碇さんがもう、エヴァに乗らんでええように   作:足洗

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アスカさんの心情を書きたいのにいつの間にかサクラさんの情念を書いている。これが浸食タイプのヒロインか(違)




 

 今日も来てる。

 人間二人擦れ違うにも苦労しそうな狭苦しい廊下。木の根のように壁や床を這い回る電装と作動流体用器管を踏み退けて、薄暗い通路の先。

 そのバカは今日も、そこにいる。

 

「……バッカみたい」

 

 吐き捨てた。反吐のように。

 この行為に何の意味があるのか。無い。一切合切ありはしない。

 罪の意識に耐えかねて、逃げる口実を見繕っただけ。こうすれば心が楽になるから。自分は贖罪をしていると、言い訳できるから。

 自己欺瞞。嘘。逃避。

 そうに違いない。そうに。そうじゃなきゃ。

 

「……」

 

 窓の下に目を落とすその横顔は無表情に見える。そう、装ってる。

 その瞳に赤を映して、その奥の、奥底で、あいつは。

 あの、バカは。

 

「…………」

 

 それが、こんなのがあんたの責任の取り方?

 バカだ。バカ。バカ過ぎ。大バカじゃない。

 バカシンジ。

 何も変わっていなかった。鈍感なくせにガラスみたいに繊細で傷付きやすくて脆い。

 何も変わっていない──そう思っていた。けれど、ガラスは傷付いて傷付いて、いつの間にか私の知らない模様を形作っていた。消えない傷痕。

 見ないふりだって出来た筈だ。開き直るような度胸が無いのは知ってる。けど、目を閉じて耳を塞いで口を噤んで、自分の所為じゃないと思い込むことだって出来た。

 この世界にはもう、一個人の罪状に一々刑罰を割り当て執行するような悠長な文明維持統治の為のシステムは残っていない。

 始まりは理想と思想、それが狂った信仰に繋がり、そこに一つの願いが介入した。少年はその当事者であり、人類滅亡装置起爆の実行犯であり、ただの……被害者の一人だ。この世界に今や溢れて、路頭を彷徨い、それでも歯を食い縛って生き続ける人々の、ただの一人。

 

「今更」

 

 ポケットの中で握った拳が、軋む。

 その華奢な背中を見るだに、胸の奥の何かが軋む。

 バカ。

 何度となく、幾らでも罵倒してやる。

 今更、あんたが悔いたって遅いのよ。意味なんて無いのよ。あんたが、苦しんだって、痛がったって、どうしようもない。

 あんたが背負わなきゃいけない十字架なんて。

 

「…………」

 

 近付いてくる足音を足の裏に感じて、益体もない思考に堰を下ろす。

 今更。

 何度となく、幾らでも湧くこの罵倒。自嘲、自己嫌悪の罵詈。

 止まらない、この苛立ち。

 バカシンジ。あいつを見てるとイライラして仕方なかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 金属質の廊下を歩く。靴底に感じる排水グレーチングの網目、機関の鳴動、そして機械の排熱。壁や天井に張り巡る配管はまるっきり生き物の血管と同じものだ。

 目的の場所はもうすぐ目の前にある。隔離室からここまで歩いて五分と掛からない。

 軟禁生活は常に運動不足との戦いだ、というのはサクラさんの言。その解消の為に彼女は、自分がこうして出歩く許可を取り付けてくれた。

 先日のドタバタで偶然辿り着いた観測窓。そこに、今のこの世界というものがあった。僕が知るべき、知らなければいけない光景、現実が。

 丸く区切られた罪の凝集景に目を凝らす。純白の雲の切れ間から覗くのは一様に一定に変わり映えもしない赤。赤い海原、穏やかに波立つ赤い水。

 そこには何もない……と、加持さんはそう言っていた。けれど今の僕にその言葉は頷けない。そこに宿る、流れ込み混淆した生命の存在をもう僕は疑えない。

 命の溶けた海。生命のスープ。

 今日も僕は、それを黙って見下ろしていた。眼球に焼き付ける思いで、ひたすらに。

 これが僕の新しい日課だった。

 自己満足で、何の価値もない、独善という名の義務だった。けれど。

 

「やっと、やっと実感が持てたんだ……僕がやったことの重み」

 

 鉛を吐く心地で吐息する。

 そこにない、けれどそこにいる君に、微笑む。

 

「だから大丈夫。僕は大丈夫だよ……綾波」

 

 何もない左肩の空虚に触れる。それだけで十分。それだけで。

 

「碇さん」

「あ、はい」

 

 背後からの声に振り返る。

 サクラさんだった。気付かない内に少し長居し過ぎたみたいだ。

 衣食住を保証された身で虜囚を自称するのは烏滸がましいけど、僕は自由を制限されるべき立場なのだ。

 この外出だって、十分な特例。担当医官である彼女の口添えがあって叶っている。

 

「今、戻ります」

「あ、いえ。別に急かしに来たわけとちがくて……」

 

 その気遣いに首を左右する。

 

「いいんです。手間取らせてすみません」

「……いえ」

 

 殊勝を気取るのもなんだか嘘臭い。自分の思考、一挙手一投足さえ、癇に障るような気がする。

 自分が思うより、以前よりも増して……僕は僕自身を嫌ってる。

 彼女に随って自室へ戻る。その道すがら、サクラさんは振り返って言った。

 

「そ、そうそう! 主計科からまた届いてましたよ」

「え? あ、はい。わかりました」

「今度は多いですよー。なんと段ボール箱三つ分! もー最初はやいのやいの言うとった癖に、役に立つてわかった途端これやわ。碇さん、ちょっと丁寧にやり過ぎです。もっと手ぇ抜いてもええんですよ?」

「ううん。少しでも使えるって思ってもらえてるなら、それで」

「でも……」

「僕に出来ることなんてこれくらいしかありませんから……我が儘なのはわかってます。でも何もせずにいるのはもっと申し訳ないんです。だから……お願いします」

「……はい」

 

 肩を落とすように彼女は頷く。俯く顔がどうしてか、ひどく辛そうに見えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「縫製?」

「そうっす。最近主計科がうるさいでしょ。例のほら、物資の効率的運用推進計画」

「ああ、そんなメールが出回ってたな」

 

 多摩ヒデキがプラのフォークの先端で空中に文字を書く。その字面が見えた訳でもあるまいが、高雄コウジはその禿頭を叩いて得心した。

 艦橋にて、オペレーター一同が遅めの昼食を摂っている。

 暇潰しの世間話に満開花が咲くほど親しい間柄でもない。実の有る話の種が尽きると、近頃は決まって巡ってくるその話題。

 先の『US作戦』で衛星軌道上から持ち帰られたエヴァ初号機とそのパイロット。とりわけかの少年に対する関心は、ヴンダークルーならずとも浅からぬ。善きにつけ、悪しきにつけ。

 

「襤褸切れ同然の艦内着やらを雑巾にしたり包帯にしたり。節約節制、再使用再利用、補修できるものは補修して無駄と浪費を抑えるとか。何時までもあると思うな物資と命とか」

「主計ってそんなこともやってたんですか?」

 

 長良スミレがぽつりと呟く。食べ終えたレーションの空袋を丁寧に折り畳み、小さくしたそれを乱雑にダストボックスへ放り込んだ。

 

「みたいっすよ。経理やら管財やらよりそっちの方が忙しいくらいだってぼやいてたよ。あたしはお針子か! ってさ」

「まあ、整備科じゃあ雑巾(ウエス)は欠かせんからな。汚せる布切れは幾らあっても足りん」

「結構評判いいみたいっす。仕事が速くて細やかだって」

「ほー。そりゃ感心」

「だからなんだって話」

 

 空気に刺さる鋭さで響いたのは、北上ミドリの声の棘だった。

 苛立ちを隠そうともしない。憤懣を露わに、コンソールを指で叩く。叩く。叩く。

 

「それで罪滅ぼしのつもり? そんな雑用こなせばちょっと許された気にでもなれるわけ」

「い、いやー、それは知らないけど」

「思っちゃおるまい。あの坊主は」

 

 高雄は含みも持たせず言った。

 ミドリは不愉快げに表情を歪め、そして不可解に目を瞬いた。

 

「ああいう小賢しい顔したガキは、齢に似合わん気負い方をする。難儀なもんだ」

「……はあ? 意味不なんですけど」

 

 目を背けてミドリは吐き捨てた。気息と、やる方ない怒気、憎悪を。

 

「悪びれてるならいいのかよ……罪人が罪人らしくしてるだけじゃん……それで何が許されるのさ……何が……!?」

 

 滔々と怨嗟を溢すミドリに、長良も多摩も言葉はなかった。肯定はしないが、否定もしない。

 高雄コウジは苦笑する。あの人を食ったような男の笑みが懐かしい。その面の皮の裏側に、悲壮な覚悟を忍ばせる憐れを。

 罪悪に潰されながら、それを甘受する少年。懲役に服す囚人を心底から演ずる愚かを。

 そして目の前の、いじらしく憎悪を滾らせる娘っ子に。

 どいつもこいつも。

 

「難儀だな」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 一針一針丹精込めて、なんて。

 そんな風に言うと実に大袈裟だ。流石にそれはお為ごかし。自分はさも頑張ってますよー、一所懸命に仕事してますよー……そういう鼻につくアピールをまさか彼がする筈もなく。

 碇さんはただ作業に没頭している。

 少年の手付きは軽やかで、手馴れていて、驚くほど巧みである。

 あっという間に、綿のシャツが長方形の雑巾に変わった。同じ大きさに裁断し縫製されたものがもうすぐ百枚ほどになる。ミシンの使用が許されてからというもの、手縫いであった当初と比べれば生産数、制作ペース共に鰻上り、増すばかりというやつだ。

 数時間、たまのトイレを除けば休憩も挟まず、ひたすらずっと作業を続けて。

 雑巾の一枚を手に取って広げる。均一な縫い目、切り口、生地を選り分けているのか厚みすら整っている。

 

「はえー、こない綺麗になるもんですねぇ。私もたまーに主計科の子に呼ばれて手伝いますけど、こないええ感じになりませんわ……」

「小さい頃から自分の服は自分で直してたんだ。その方が安く済むし……買わなくていいからね」

「すごーい! やりくり上手やったんやねぇ」

「家事くらいしか取り柄が無いだけだよ」

 

 はにかむというより、自嘲の色を濃くして少年は言った。

 不意に、少年はミシンのスイッチを切る。

 

「ごめんなさい。何かと無理を聞いてもらって……」

「えっ、な、なんもなんも! そんな無理なんて! 気分転換大事やでー言うたん私やし。主計(むこう)かてもうホンッマ大助かり言うてましたよ」

 

 肩身を縮めていく少年に堪らず頭を振る。両手を振る。ぶんぶんと。

 

「むしろ嬉しいんです、私。碇さんが自分からやりたいこと言うてくれはったんが、ホンマに嬉しい……辛い思いさして苦しめたんは、私やのに……こんなこと言う資格ない思いますけど」

「違います!」

 

 少年は弾かれたように顔を上げた。そうしてすぐ、恥じ入って俯く。

 

「……サクラさんは、僕に、僕が知りたがっていたことを教えただけです。知らなければいけない、現実を教えてくれたんです。僕が……僕の……」

「……」

 

 続く言葉を少年は飲み込んで、こちら見てふっと笑みを浮かべた。一吹きで消えてしまいそうなほど儚い、微かな笑みを。

 

「……すみません。でも、サクラさんが負い目に感じることなんてない。ないんです。気を遣わせて、ごめんなさい」

 

 目礼気味に俯いて、彼はもう何度目かもわからない謝罪を口にする。

 痛みに怯えて、痛みを堪えて、罪の重さに慄いている。けれど。

 けれどそこに迷いはなかった。受刑者の刑務めいたこの作業を、今はこれが課された義務なのだと自身に定めて。

 部屋の隅で蹲っていた姿が遥か過去の光景であるかのよう。

 こんな雑用に、心の底から気負ながら取り組む様は、正直滑稽だ。まさに愚直と言える。

 でも、真っ直ぐだった。下向きだけど、暗澹の中にあるけど、真っ直ぐ進んでる。今、自分にやれることをやってる。

 選んだ今に、懸命だった。誠実だった。

 変わった訳ではない。彼は彼のままだ。碇シンジという少年のまま……何かを、取り戻した。

 それはきっと覚悟とか、責任とか、そういう重くて硬質なもの。それを、少年は持っていた。この艦で目覚めるよりずっと以前から抱えて、抱き締めていたのだ。

 それを、思い出させたのは。

 少年にそれを与えたのは。

 あの白。純白の影。無垢な幻影。

 

 ────綾波レイ

 

 消え去った筈の少女。運命を仕組まれた最初の子供。

 あの時、確かに。碇シンジに彼女は寄り添っていた。

 

「…………っ」

「? サクラさん?」

 

 声を掛けられてから、自分がパイプ椅子を立ち上がっていたことに気が付いた。

 声を出そうとしてから、自分が奥歯を噛み締めていたことに気が付いた。

 

「…………」

「サクラさん……?」

「す、すみません。医務データの整理せなあかんかったの忘れてました! 私、ちょっと医務科の方に出ます」

「そう、なんですか」

「なにかあったらいつでも呼び出し鳴らしてください。番号は碇さんの端末に登録したりますんで」

「あ、はい。わかりました」

 

 一礼してその場を後にする。扉を抜けて、逃げるように。

 

「……っ……はぁっ……」

 

 血流の増加が心臓を囃し、息を切らせる。

 身体が熱かった。体温の上昇を自覚する。そして自覚し得なかった火が今、体内に灯っていることに気付く。

 冷えた通路を早足に過ぎる。歩けど歩けど熱は、火は、収まらない。

 

「……なんでなん。なんで、今更……」

 

 良いことの筈なのに。碇さんの心が、ようやく暗がりから立ち戻った。絶望と罪悪を抱えながらそれでも、下向きでも仄暗くても、生きることを選んでくれた。

 生きていてくれるだけでよかった。ここで、生きていてくれさえすれば。

 ここで────私の傍で、碇さんが。

 

「────」

 

 その願望は、ずっとここにあった。14年前の憧れは、尽きず変わらずここにあった。いや、14年掛けてそれは醸成されていった。

 歪に。

 碇さん、私はあなたが。

 

「憎らしいです……」

 

 あの白い影の中に希望を見出すあなたが、憎いです。

 憎らしいほど────あなたが欲しい。

 あなたの喜び笑顔、痛みや苦しみすら。

 あなたの全部が欲しいです。

 

 

 

 

 

 

 

 

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