喫茶店・ホースリンクへようこそ! 作:アヴァターラ
水曜日である。定休日である。俺の唯一の完全なる休日である。店を開く必要なし、なんと素晴らしいことか(生きがいの半分が消し飛ぶ)早く起きる必要もなく、仕込みをする必要もない。趣味といえば料理の研究の俺としても今日は何をすることもなく暇を持て余す日なのだがたまにはそんな日があってもいいだろう。
もう昼前といういつもよりだいぶ遅い時間なので俺は起き上が・・・なんか布団の中にいない?というか俺の肩のあたりに見覚えのあるウマ耳があるんだけど。つーか隣の柔らかい感触はもしや・・・?あれー?おかしいぞー?昨日は確かに一人で寝たゾー?俺は恐る恐る布団を持ち上げる。するとそこには・・・
「これは学園の生徒には見せらんねえな・・・」
「・・・すぅ・・・お兄ちゃん・・・」
そこにはとてもとても幸せそうに眠る我らが完全無欠の生徒会長、シンボリルドルフの姿があった。ご丁寧に小学生の頃の俺への呼び方で寝言を漏らす彼女は私服姿で俺の腕を抱き枕にして眠りについていた。なんだっけ?この子になんかあったっけ?確かにコイツには2階の住居スペースのカギを唯一渡してあるけど普段の様子を見る限りこういうことは滅多にしない、というか中等部に入ったあたりで卒業したはずだ。ちなみに下の喫茶店スペースの合鍵を持ってるウマ娘は結構いる。マックイーンのようにおやつを食べたいがために開店前に入り浸る用途にしか使われてないけど。
「・・・ふふ、いつもありがと・・・・」
「なーんの夢を見てんだか」
にへら、といつもの姿とは正反対のだらしない笑顔で寝言を漏らすルナに俺も何となく笑顔になってしまう。そういえばコイツとこんな風にまったりとした時間を過ごすのはいつ以来だったか。ルナは7冠を達成して華々しく引退して以降生徒会長の業務に精を出してきた。夜遅くまで書類とにらめっこして地方のレースに出向き有望なウマ娘をスカウトしては生来の面倒見の良さでとことんサポートする。いつ寝てるのかわからないなんて噂すら出回る始末だ。
仕事に熱中しすぎて夕方の食堂の時間を逃して俺の店に申し訳なさそうに生徒会メンバーを引き連れて食べに来たのだって1度や2度じゃない。それくらい自分に厳しく他人にゲロ甘。それがシンボリルドルフというパーソナリティだ。
もっと言ってしまうと単純に甘え下手。年齢が上がるにつれてルナは誰かに頼るのが下手になっていった。なまじ自分で全部できてしまうから頼る必要がないのも手伝って、完璧な生徒会長という仮面を演じそれを完全に遂行していくようになったのだ。
まあ半分言い過ぎみたいな感じなんだけどな。生真面目さは生来のものだし生徒会長もそれに付随するものもこいつは楽しんでやってる。だけどたまーーーーーーに糸が切れることもある。とどのつまり今日がその糸が切れた日なのだろう。電池切れみたいなもんだ。ほっときゃ治る・・・んだけどちょっと今日は用事がなあ。幸せそうなとこ悪いけど起こすか。
「ルナ、ルナ。起きろよー?起きないと耳をモフるぞ?いいのか?ほれほれ」
「ひぃあっ!?・・・兄さん、起きた。起きたから耳を触るのをやめてほしい。嫌ではないが・・・こそばゆい」
「なんだ、お兄ちゃんって呼ばないのか?」
「なっ・・・!?」
ドッキリがてら耳を優しくもみながら声をかけて起こすと素っ頓狂な声をあげてルナが起きた。モフられることに対して文句を言ってくるので俺が寝言でお兄ちゃんと呼ばれたことを教えるとルナの顔がカァァァと紅く染まっていく。パクパクと口を動かしたルナであったが結局真っ赤になって黙り込んでしまった
「・・・降参だ。その、勝手に寝床に入ったのは謝る。だからその・・・それ以上掘り返さないでほしい」
「俺としては入った理由を聞きたいんだけどねえ。まあいいや、朝飯でも食べるか。何が飲みたい?」
へんにょりとした耳で頬を赤らめて顔ごと目を逸らすルナにこれ以上追い打ちをかけようとは思えなかったので俺はしなった耳ごと頭を撫でて話題を切り替えた。少しすねたような顔をしたルナはボソッと
「ブレンド、兄さんのオリジナルが飲みたい」
「はいよ、お姫様」
「・・・そんな柄でもないし、年でもない」
「俺はそう思わないけどな」
「ふふっ。兄さんにはかなわないな」
俺のからかいをどう受け止めたのかはわからないが、ルナは穏やかに笑った。いつも彼女が見せる皇帝らしさを脱ぎ捨てたような少女らしい笑顔だった。
コーヒーの奥は深い。豆を焙煎し、ミルで砕く。抽出だってペーパードリップやネルドリップ、サイフォンといった種類がある。俺の店だと基本サイフォンなんだけどな。なんてことを思いつつルナの好みである苦みが薄くコクと香りが立っている配合をしてサイフォンでコーヒーを淹れる。アルコールランプが揺らいで蒸気圧でコーヒーが上にたまっていく。規定通りの時間を守ってフラスコをゆすって上からコーヒーを戻してカップに注いでルナに出してやる。
「ありがとう・・・こうして兄さんの淹れてくれたコーヒーをゆっくり飲む時間が取れるのはいつ以来だろうな・・・」
「今日はトレセンは休みなのか?朝っぱらからお前がいるなんて珍しい」
「正確には私が休みなんだ。エアグルーヴに怒られてな、理事長の許可まで取って私を休みにしたのだ。引退した私にとっては今日の授業はもはや意味のないものだからな」
「今日は一般教養がないのか、なるほどなあ。じゃあゆっくりしていけよ・・・つっても俺ももうすぐ用事があるんだけどな」
おいしそうにコーヒーを飲んでくれていたルナの瞳がちょっとだけ揺れて耳がわかりやすく垂れた。そんなに俺と一緒に居れないのが悲しい?兄離れしてほしいなあ甘えん坊め。理由が理由だから一瞬で納得するだろうが。
「すーぐ戻ってくるよ。タキオンの奴に弁当届けに行くだけだ。あいつもう食堂じゃ満足できなくなったらしい。トレーナーにも弁当を作ってもらってるのに贅沢な奴だ」
「なんだ、そういうことか。彼女も兄さんの料理に病みつきになったのだな・・・ところで新作のダジャレがあるのだが」
「どうせ自販機でソーダを買ったのだそーだーみたいなもんだろ」
「そうだ!会心の出来だと思うのだが!」
「30点」
「兄さんは厳しい・・・!」
なんかエアグルーヴあたりの調子が下がってそうな気がするダジャレを聞いた俺はルナの分のブランチついでに作ったサンドイッチをバスケットに詰め込みルナの朝食の分を出してやった。ルナはここで待ってるので早く戻ってこいとのこと。俺は了解の返事をだしてルナのさわり心地のいい耳ごと綺麗に梳かされた頭を撫でてから自分の城を後にするのだった。
「いかに近いとはいえ遠近法を疑うくらいでかいよなあトレセン・・・」
徒歩5分もすれば俺の城の何倍もでかい建物とそれを取り囲む巨大な運動場をいくつも備えた超マンモス学園についた。もう昼前に近いからか運動場には更衣室に戻るウマ娘の姿が散見される。とりあえず門の前の受付所で理事長にもらったIDカードを提示して中に入る。何で俺がこんなもん持ってるかっていうと扱いがトレセンの職員だからだ。俺の店はトレセンが立場上運営してるからな。
「あっマスターさーん!」
「マスターさん!この前の日いけなかったんですけどー!」
「次の新メニュー決まってます!?」
と次々声をかけてくれる店をひいきにしているウマ娘たちにテキトーな挨拶を返して職員用玄関から入ってトレーナー待機室を目指す。一応今日来ることは知ってるだろうから挨拶くらいはしとかないとな。
「すんませーん。アグネスタキオンのトレーナーさんいますかー?」
「あ!マスターさんこんにちは。この前はミークがお世話になりました。ええっと・・・アグネスタキオンのトレーナーは・・・・」
「ああ、桐生院さんどうも。もしかして視界の端でキラキラしてたりします?」
「ええ・・・はい・・・」
「さすがはMrモルモット、相変わらずですね。じゃ、失礼します。これ、ミークとどうぞ」
「わ、ありがとうございます!」
俺のあいさつに反応してくれたハッピーミークというウマ娘のトレーナーである桐生院さんにニンジンフィナンシェの詰め合わせを渡して無駄にまぶしい目標物に接近する。光で影もわからないくらいまぶしいのでいつも通り遮光グラスをかけて挨拶する。
「今日はまた一段とまぶしいですね。タキオンは実験室ですか?」
「ああ!マスターさんどうも!ええまあ今日は3本ほど実験をしたもので・・・どうも効果が重複してるらしくて・・・慣れましたけどね!あっはっは!」
「ぶっとんでますね相変わらず・・・」
この異様に光り輝く人物こそが超光速の粒子の異名をとるウマ娘、アグネスタキオンのトレーナーである。ウマ娘の限界の先を見ることを目標にし、レースにすら出なかったアグネスタキオンを口説き落とした剛の者で通称はMrモルモット、もしくはゲーミングトレーナー。タキオンの実験の結果常に光り輝いているためタキオン以外は素顔を見たことのない謎の人物ではあるが人当たりもよい好人物だ。
「わざわざ申し訳ありませんね・・・私もそれなりの弁当は作れるようになったんですけどやはりマスターさんには敵わないようで・・・」
「いえいえ、最初よりはだいぶ上達しましたよ。それにこれで商売してるんです。負けたら商売あがったりですよ」
「はは、そうかもですね。それじゃ、タキオンが待ってるでしょうから、よろしくお願いします」
「ええ、失礼します」
俺はそう言ってトレーナー室を後にした。タキオンが陣取っている最上階の実験室まで歩を進める。途中で遭遇するある意味で運のいいウマ娘たちに持ってきたお菓子をばらまきながら階段を登り切り、薬品の匂い漂う実験室の前についた。ゴンゴンとノックをすると気の抜けたはいりたまえーという声が聞こえたので横開きの扉を開ける。するとそこには
「あー、うあー・・・遅いよマスターくぅん。私はもうエネルギーが足りずにフラフラだよ。どうしてくれるんだい?」
「そら俺の弁当を待つんじゃなくて大人しく食堂の料理を食いに行けばいいんだよ。今日俺は休みなんだぞ」
実験机に突っ伏した無駄にサイズが合ってなくてだぼだぼの袖あまりな白衣を着こんだ気だるげで栗毛なウマ娘、アグネスタキオンが恨みがましそうな声をあげて俺を出迎えてくれたのだった。ぐでんとしている彼女はそれでも俺の言葉にカチンときたようで突っ伏したまま言い返してくる。
「食堂までいって皿を取って料理を盛り付けて口を動かす時間があるなら実験をしたいんだよ私は!モルモ・・・もとい、トレーナー君の弁当は君よりも愛情の量が多いが味についてはだいぶ良くなってきたとはいえ君の料理には栄養バランスも含めて勝てないだろう!総合的に見ても君が私の弁当を用意するべきなんだ!・・それに・・・」
「それに?」
「私に「おいしい」を教えたのは君だろ?責任、取りたまえよ・・・」
そう言って本当に限界が来たらしくあげていた顔を突っ伏したタキオンのために持ってきたバスケットを置いて中身を取り出してタキオンの口元にもっていく。迷いなくそれにかぶりついた彼女がもぐもぐとサンドイッチを咀嚼して飲み込んでいく。俺がこいつに弁当を作り始めたのは1年ほど前、彼女のトレーナーになったばかりのMrモルモットがいきなり営業時間終わりの俺の店に光り輝きながら突っ込んできたのが始まりだ。曰く「担当ウマ娘の食生活を改善したいが自分は料理ができないので何とかならないか」だったかな。
そんで話を聞くにつれて自分の頬が引きつり、その依頼を受けたのだ。なんせ栄養がありそうなものを片端からミキサーにぶち込んで飲み干すという所業を耳にすれば飲食業にかかわるものとしてほってはおけないしな。つーかそんな食生活をすれば間違いなく胃腸は弱くなるし咬合力も減って逆に運動能力が落ちるだろうに。というわけで弁当を作ってアグネスタキオンのもとへ行き栄養の取り方について懇切丁寧に説いたあと面倒くさがる彼女に弁当を食わせた。そしたら一口食べた時点で普通にぺろりと平らげたのできちんと飯は食うようにということで別れたのだが・・・
「ふむ、相変わらずバランスがいい。飽きないような味付けに適度な歯ごたえとボリューム・・・ところでマスター君」
「なんだ?」
「やっぱり毎日作ってきてくれないかい?」
「アホ、お前にゃトレーナーの飯もあんだろが」
「彼のは彼のでおいしいしあったかいと思わせるんだけどね、いいじゃないかデリバリーくらい。飲食店なのだろう?」
「残念ながら俺のデリバリーはルドルフ専用でな。お前はついでだついで」
「ひっどい店主もいたもんだねえ。シンボリルドルフが羨ましいよ」
「バーカ。お前のトレーナーほど尽くしてくれる奴ぁなかなかいねえぞ」
「わかってるよ・・・もちろん」
そういうタキオンの頬は赤みがさして愛しいものを考えるような表情をしている。ケッ、両想いならさっさとくっつきゃいいのになあ。それにぐだぐだと彼女のトレーナーが忙しい時に代わりに弁当を作っては来たがそれもこの様子ならそろそろ終わるだろうしな。ウマ娘とトレーナーが恋に落ちるなんてのはよく聞く話だ。なんせ担当ウマ娘のために栄養学を学んで料理を一から俺に教わりに来るような奴だ。そんな奴と接して落ちないほうが俺としちゃどうかしてると思うね。自明の理という奴だろう。
「ふぅ・・・ご馳走様、おいしかったよ」
「おう、お粗末様だ。じゃあ俺は帰るぞ。ルドルフを待たせてるからな」
「ああ、ありがとう。そうだ、ついでにこれをもっていくといい」
そう言ってタキオンは白衣のポケットからピンク色に発光する液体の入った試験管を俺に手渡した。いぶかしげな顔をする俺に彼女は
「ほれ薬だよ。いつものお礼さ、好きなウマ娘に使ってみるといい、面白いだろう?」
「いらねえよばかちん」
「あああーーー!!もったいないじゃないか!」
あまりにくだらないものだったのでその場でふたを開けて流しに流して不法投棄してやった。そのまま「鬼!悪魔!えーっとえーっと・・・料理上手!」とわめく罵倒の語彙が乏しいアグネスタキオンの実験室を後にしてそのまま帰路につくのだった。そうして俺の城、喫茶ホースリンクのドアをくぐると・・・
「兄さん、遅い」
「すまん」
ぷっくーと頬を膨らませてぷりぷりと拗ねているルナの姿がそこにはあった。俺はしょうがなく彼女のご機嫌取りに奔走して休日をすべて使いつくすのであった。めでたしめでたし。