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頑迷な人間という物は存在する。
その日もカッパさんはキュウリを頼んだ。いっそ清々しいまでにいつものペースである。
お通しに出したチーズもキュウリに漬けて、『悪くはないがいつものが良いな』とのたまう始末であった。
それはそれとして今夜の本命は、こないだの女性客だ。
「このお通しを小鉢に盛ってもらえる? まずは溶かした方で一皿、後で溶かさないのを野菜をできるだけ変えてもう一皿」
「問題ありませんよ。欲しい野菜や肴があれば入れ替えられますので」
茹でた温野菜とチーズの組み合わせをスタンダードに提供し、茹で卵をオイルサーディンやハムに変えたりできる。もちろん全部野菜が良ければそれも可能だし、チーズを溶かすパターンと溶かさず切っただけのパターンも可能だ。
「それならアーモンドかクルミがあれば嬉しいわね。あるなら自家製サングリアを合わせたいところだけど」
「流石に市販のだけですね、すみません。ナッツ類は用意してありますのでちょいとお待ちを」
今回は溶けてる方と溶かさない方を同時に頼まれたこともあり配分を考える。
ポテト・黒ニンニク・茹で卵は前者、指定されたアーモンドやナッツは後者だ。しかしオススメにローストビーフを合わせるつもりだが(向こうもその予定だと思うが)、この組み合わせならばローストビーフよりもアサードを出したくなる。
アサードというのはスペイン・アルゼンチン辺りの料理で、サラマンデルというグリルで焼く豪快な肉料理だった。ローストビーフと同じ赤身を使って作る料理でもあり、シェラスコも含めて作れるので同じ肉から作れるバリエーションとしては悪くない。問題なのは機材の方で、現時点で拡張する余裕など一切ないのだが。どうしてこんなことを思うかというと、サングリアというのがやはりスペインやアルゼンチン辺りで呑まれている果実入りのワインだからだ。
「臭いは薄いんで黒ニンニクを試してください。甘いからチーズに合いますよ。それと大勢で大皿を頼まれる場合は、分量または肉類をサービスさせていただきますね」
「あら、嬉しいわね。今度、友人を誘って飲みに来ようかしら」
今のところ大皿で頼む客は一人も居ないが、うちは大皿で頼む場合は量を多めにする予定だし、パーティ-前提なら大盛りが指定できる。大皿だと1500円で大盛りは2000円だが分量は小鉢を等倍したよりも遥かにリーズナブルに設定してあった。
だが何事にも計算違いという物はあるし、例外だの予想外という言葉は存在する。
黒ニンニクの味と効用を気に入り、通販で仕入れたら一瓶で1000円を超えることを知って、後に大皿で頼んだり持ち帰りができないかと相談を受ける事に成った。流石に『家庭で作れますよ?』と伝えてみたのだが、『家で臭いをまき散らすわけにはいかない』とのことである程度は融通を利かせる必要が出たのは言うまでも無かった。
人は相変わらずまばらではあるが、こうやって常連客が増え、一過性の客の中にも以前に見たことのあるリピーターが出て来る。こうなってくると頭の隅を横切るのがソーセージ辺りを試してみたいなという欲望とアルバイト……というか女性店員が必要かという考えだ。
(店自体は一人で回せるんだがな……。いかんせん俺も豊も男だからなあ。客に聞くわけにもいかんし、女性目線が気になるんだよな)
できるだけ小綺麗にしたり、今日みたいにおしゃれっポイ料理も考慮したりと考えてはいる。
だがそれは手前勝手な理屈でしかない可能性もあるのだ。目が行き届いていない場所や、もっと根本的な問題があるかもしれない。男性客に愛想を降らせる必要はないが、女性客から見て男ばかりの呑み屋というのは気が引けるかもしれないからだ。こればかりは俺がいくら気を付けても対処できるはずも無かった。
(しかしなあ。赤字が減って来たってのも俺一人だからだしなあ。人なんて雇ったらとんでもないことになるぞ。魚市でバイトしたって釣り合う訳がない)
SNSで広めたりポップを可愛く飾ってみたりしても、所詮はおっさんたちの集団だ。
こんな狭い場所におっさん連中が屯していて、気軽に入って来れる訳がない。むしろ目の前でサングリアを傾ている女性客の方が例外だと言えるだろう。健が前の料理屋に務めている時にだって、酒でストレス発散に来て居る女性客がいないわけではないかったが、愉しみに来ている人が多かったわけでもない。それだって大将の奥さんが居なければどれほど居たかは不明である。
(まともに店を構えたら必ず使う出費だと割り切るか、それとも非常手段に訴えるか、考え物だぞ)
場所代を払って良い場所に出店するか、それとも妥協して郊外のもう少し良い場所にするか。
その条件で店を構えた場合は、確実に女性スタッフを雇っただろう。そして豊が言うには半年は赤字覚悟が当然なのだとか、税務上は三年くらいみてくれるらしい。ならば今から人を雇って更なる赤字に似合っても、必要な投資だと言えるだろう。
そしてもう一つ方法が無くはない。
豊にコンサル費用を出世払いにしてもらっている様に、何らかの条件で身内を呼ぶという事だ。ただし無給という訳はいかないし、何らかの代用手段で相殺するとしたら誰でも良いわけではない。ということはかなり無茶な条件を飲んでもらう必要があるし、向こうも自分に対して無茶を要求して来るだろう。
(うちの妹に声かけてみるか。あいつも将来に店を持ちたいと言ってたしなあ……)
その実験をこの店でやって良い。
そう言えば乗ってくるかもしれないし、ダメでも女性視点での意見位は聞けるだろう。
そんなことを思いながら、ついこの間までは思いもしなかった悩み事で頭を抱えるのであった。
という訳で軌道に乗り始めましたが、それでも一人ゆえです。
女性視点が足りないと不安でいっぱい。
どれだけアレかというと、一昔前のゲームセンターやパチンコに女性客がどのくらい居たか?
そういうのを想像していただければ幸いです。