「よし、明日は休日にしよう」
ギルド《月夜の黒猫団》リーダー・ケイタは、五人の視線を見据えて宣言した。
SAOという名のデスゲームが始まってから五か月ほど経過し、二週間前までソロプレイヤーだった俺はギルド《月夜の黒猫団》に所属した。所属経験がない俺から見ても、《月夜の黒猫団》のパーティーバランスが悪く、前衛が一人しかいない偏った構成は典型的に危ういと表現できた。
でも、攻略組とは違う、全てもプレイヤーを守りたいというリーダー・ケイタの意思は従来ゲームプレイヤーとは異なる意見だった。
「だけどさ、あと少しでレベルアップじゃん。明日も狩りしようぜ」
短剣使いのダッカーは不満そうに呟き、近くにいたキリトに同意を求めようと視線で訴えてきた。別に気づかなかったふりをしてもいいが、後で愚痴られるのも面倒なので、俺はしぶしぶ口を開いた。
まだギルドの雰囲気に慣れていないせいで、なんて答えたらいいか迷ったが、三日前に聞いた噂が過り、すぐに答えるのを躊躇した。
「……だけど、最近ダンジョンに行く回数が多くなっているから、明日くらい休みでいいんじゃないか」
ケイタが急に休日しようとしたのには、順調過ぎるレベル上げと俺が関係している。
最近、俺が入ったことで、以前と比べてモンスターとの戦闘が比較的にやりやすくなった。
その程度のメリットなら、不自然に注目を浴びることはなかったが、俺が何も考えず効率のいいスポットを誘導し続けたことで、黒猫団の平均レベルはボリュームゾーンを抜け出してしまった。
そうなった原因もメンバーに本当のレベルを隠している俺が全面的に悪いのだが、レベル差がなければ守れる自信はなかった。
その影響で、《月夜の黒猫団》の根も葉もない噂が後を絶たないが、ケイタも薄々悪化する状況を見逃すつもりはなかったらしい。
悪評を広げているプレイヤーを情報屋のアルゴに頼んで、情報を集めて貰っているが、集めているだけで直接手出しする訳にいかない。
ソロプレイヤーだった頃の俺は、あまりそう言う噂を気にしたことはなかったが、長時間同じ層で拠点を持つことで、少しずつ精神を蝕んでいくことはよく知っていた。
だから、今回ケイタの意見に賛成したのには自分でも薄々気づいていたからだ。
数十分の短いようで濃厚だった討論は、明日は休日にするという可決で終わった。ケイタの最近よくない噂が出ているから、あまり目立つような行動は控えるようにという注意ともに今日の集会は終わりを迎えた。
他のメンバーも、ケイタが去ったのを気に各自部屋に戻った。
俺も隣の部屋に戻ろうと歩き出すと、後ろから「ちょっと待って」という声に聞こえ、呼び止められる。
俺は一旦立ち止まってから声の主に視線を向け、プレイヤー名を口にした。
「……サチ、何か用事があるのか」
びくと体を震わせた槍使いのサチは何か気まずそうに、つっかえながら言葉を続けた。
「……キリト……明日……用事ある?」
一瞬、俺はサチの質問に答えるのを躊躇した。明日は前線でレベル上げをしようと思ったからだ。
最近、メンバーのレベル上げを重視していたせいか、ここ二週間レベル上げが芳しくない。
前までは深夜に部屋を抜け出して、前線でレベル上げを行っていたが、数日おきにサチが訪れるようになってから遠出の外出は困難になった。
「明日はダッカーたちと同じようにポーションの買い出しをする予定だったけど、午前中に変えてもらえば、午後はほとんど暇かな」
俺は嘘をついた。サチにも自分にも。
「そうなんだ、明日の午後空いているんだ」
と、そんな俺も思惑などお構いなしにサチは安堵した表情を浮かべる。恋愛経験のない俺から見ても、サチが誘いたいそうになのは一目でわかった。
俺はサチが次の言葉を続けるのを待った。
「……キリト。暇なら明日の午後、私の用事に付き合って貰えないかな」
視線を交えるのを避けたいのか、サチは微かに斜めを向いていた。それとも、茹で上がった顔を隠したいのか、俺には判断できなかった。
「いいよ。じゃぁ、午後一時に宿の前に集合でいいか」
「うん」
明るい表情を浮かべたサチを見据えて、俺は部屋を後にした。今まで考えていたことがくだらないと思わされたようで、実に考え深いものだった。
*
アインクラッド標準時、二〇二三年五月二十九日午前一時。
俺は現在、二十八層の狼ケ原を訪れていた。ちょうど一週間前に《風林火山》のクラインたちと遭遇したが、今は見当たらない。現在は《血盟騎士団》に所属している三、四人のチームがレベル上げをしている最中で、サムライ衣装の団体など毛頭もなかった。
「……やっぱり、迷宮区の方にいったか」
ちょうど二日前に二十八層の迷宮区が発見された。現在の新進気鋭である《風林火山》が行かないというわけがないので、現在、迷宮区内でマッピングをしている最中であると窺えた。
まだ迷宮区は見つかってからそう日時が経っていないので、今の狩場は込み合っていないがそろそろ違う狩場を探した方がいいかもしれない。
といっても、経験値が美味しい狩場はアルゴ経由で聞き出せるので、然程悩む心配はなかった。ただ情報提供としてアルゴにたんまりと絞り取られるので懐が少々痛い。
それと、サチが夜中に訪れることを考慮すると、安易に遠い場所に行けない。転移結晶で帰れるが、狩場に行くたびに使用していると俺の懐が破産してしまう。
今日はサチからメッセージで「今日は大丈夫」と伝えられたので、俺の部屋に訪れることはない。でも、ソロプレイヤーだった頃の俺はよく深夜でレベル上げをしていたため、逆に目が覚めてしまって寝付けない。
そんなわけで、俺は二十八層の狼ケ原を訪れていた。
「……次から、迷宮区の方でレベル上げした方がよさそうだな」
と、モンスターがポリゴンになり砕ける瞬間を眺めながら、俺は一人呟いた。
血盟騎士団の男性が「次どうぞ」というかけ声とも、俺は考えるのを止めた。雑念が入った状態で戦うとろくなことがない。迷宮区などの罠が仕掛けられている場所で、戦うならなおさら危険だ。パートナーがいれば、ある程度余裕を持てるが、ソロプレイヤーだった俺には一瞬の油断も許さなかった。
「……はっ」
俺は深く息を吐いた。相棒である剣を強く握ると、心臓の鼓動が速くなり、一気に緊張が増す。SAOが始めてから、染み付いた息遣いで狼型のモンスターと対峙する。開始当時と比べれば、戦う恐怖は緩和されたが、消えることはない。
でも、この感覚には慣れてしまった。常に死と隣り合わせで戦闘を繰り広げているのが原因であるが、もう立ち止まることも戻ることもできない。
その後、俺は少しずつ擦り減っていく自分に気づかないまま、ただ一心に剣を振るい続けた。
俺が十一層のタフトに着き、宿で着いたのは午前四時。
たった三時間程度で成長した実感はないが、一種の習慣のようで暇さえあれば続けている。レベルアップすればその分、死にくくなるので、ゲームの常識といっても過言ではない。
俺は指先で操作し、アラームの時間を変更した。いつも午前九時に起きているがそれだと少し早起きだ。ポーションなどの購入は一時間もあれば回れるし、強化しようとする武器や防具がないので、午前十一頃に起きても十分、間に合う時刻だ。
とりあえず寝る前に済ますことを終えた俺は、横になって瞼を閉じた。結局、サチの用事とはなんだろうな、と思いながらゆっくりと意識を手放した。
*
「キリト。今日は付き合ってくれてありがとう」
サチは微笑むと、感謝の言葉を口にした。サチの格好はいつもの鎧装備ではなく、衣服などを装備した、いわゆる私服の姿だ。
俺も何着か、私服を持っているがまだ一回も着たことはない。汚れる心配を考慮しなくていいとわかっているせいか、着替える必要性がないと感じている。
でも、ずっと戦闘態勢だと気が休まないというプレイヤーもいるようで、戦闘時以外は私服で過ごすプレイヤーも結構いる。俺は別、そういうことは気にしないが、気分転換にはいい薬だと思っている。
SAOには現実世界と比べて娯楽設備が充実しているというわけではないので、着替えぐらいで気が済むなら安いもんだ。
「別に休日といっても、重要なイベントがあるわけがないからいいよ。それで、サチの用事って何?」
俺は昨晩から気になっていることを質問した。二週間経過したとはいえ《月夜の黒猫団》のメンバーのことを詳しく知っているわけではない。
俺以外のメンバーは皆パソコン研究会のメンバーらしいが、知っているのはそれだけで個々の趣味など全く見当がつかなかった。
「……ええっと。今日は……私の服選びに付き合ってほしいの」
サチは少し首を下げて、恥ずかしそうに答えた。俺はサチから服選びに付き合ってほしいと言われるなど考えもしなかったせいか、どのように答えたらいいか判断に困った。
といっても、サチの知り合いに女性のプレイヤーがいるとは到底思えなかった。なので、サチ自身も、わかった上で俺に頼んでいるので、断るのは失礼だと感じた。
でも、現実世界で服装に無頓着だった俺には持てる自身など始めからなかった。
「……俺でいいの?」
「そう」
「現実世界でも、ゲーム関してはそれなりに詳しかったけど、服に関してはからっきしだったから手伝えるかどうかわかないけど」
「いいよ。現実世界の知り合いに選んで貰う方が恥ずかしいし、一人だと似合っているかどうかわからないから……。メンバーの中でキリトが適任だよ」
サチが生き生きと口にするので、俺も否定しづらかった。これ以上話を続けても、時間だけが過ぎていくだけなので、俺はしぶしぶ納得するという形でサチの話を終わらせた。
SAOの服の購入は武器の購入と同じで、ストレージに溜まっていく設定だ。ストレージが限界値に到達してしまうと、それ以上収納することはできないが、無駄物を貯めなければ限界値に到達することはなかった。
宿から離れた後。俺たちはタフトの街頭を歩いていた。十一層というわけで、数ヶ月前に訪れたことはあるのだが、あまり印象に残った覚えはない。レベル上げと攻略のことで頭がいっぱいだったのは否めないが、清々しいほど街並みに覚えがなかった。
「今日は、どこの店で買うんだ?」
「広場のチェリーフラッシュという店」
俺は店の名前を聞いても、どういう店かさっぱりわからなかった。NPCが経営する店やプレイヤーが経営する店など、挙げればきりがなく、有名でなければ印象にすら残らない。
「そこはNPCが経営しているけど、ちょっと特殊だからキリトも気を付けてね」
「なんのこと?」
サチの曖昧な言い回しが気になったが、ここで話しても埒が明かないと思い、俺はそれ以上追求するのを諦めた。
そして、なんやかんだでサチの後についていくと、俺は衝撃すぎる目的を見て漠然とした。
前回来た時は風俗店のような煌びやかな店など記憶に残っていなかったが、俺の目の前にはまさにその印象的な建物が鎮座している。
「サチ、この店は本当にNPCショップなのか?」
俺は素直に思ったことを直接口にした。そしてサチはキリトの表情がよほど面白かったのか、クスクスと笑いながら、質問の意図に答えた。
「少し入りづらいけど、正真正銘NPCショップだよ」
「……」
サチの返答に唖然するしかなかったが、俺はどうにか理性を取り戻し、店に入るサチの背に追った。
SAOにおけるNPCおよびノンプレイヤー・キャラクターは従来のゲームと同様にストーリーを進める上で重要な役割を持っている。SAO初期の大型キャンペーン・クエストで出会った《キズメル》は黒エルフという特徴を持っていたが、SAOという世界で生きる一つの生命だ。
俺も頭では理解しているがSAOのNPCは今までの常識を覆す、限りなく人の知能近い感情を持っていた。判別方法として、NPCの下に【NPC】と表示されるが、それがなければプレイヤーと見分けられるか自信がなかった。
「……キリト、急にボーとしてどうかしたの?」
「いや。ちょっと考え事した」
「そう」
《チェリーフラッシュ》の店内は外見とは異なり、現実世界の店と似た構造だ。俺も数回か似た店に訪れたことがあるが、今回のように洋服メインで扱う店は初めてだった。
俺は何となく手元のコートを手に取ると、そのお値段は転移結晶一つ買える値段だった。はあ、高すぎるだろ。
手触りと見た目から相当貴重な素材を使っているのは見受けられるが、この衣服のために、転移結晶一つ分のコルを使う気にはなれなかった。
「キリト。そこは一級品で、私でも一枚買えるかどうか怪しいだよ。だから、私たちに用があるのはこっち」
「……」
俺はサチが指さす方向に視線を向けた。先ほどのコートと比べて、色合いが少し薄いが全体的に見ても、悪くない一品だ。ここのステータスに偏りがあるが、私服として使うには十分なでき前だと言えた。
サチが洋服を探している間、俺は暇になったので椅子に座りストレージ欄を開いた。ストレージアイテムはわかないものがほとんどで、料理で失敗したゴミなども収納されていた。
料理のゴミは心当たりがなくもないが、そんなことを考えていたら切りがないので、俺はさっさと削除という欄を選択した。
そんな整理作業を三〇分ちょい繰り返していると、洋服探しに行っていたサチが帰ってきた。サチの表情は戦闘の時と打って変わり、明るく満足したような様子だ。
「キリト。どっちの方が似合っていると思う?」
俺は見せて貰った衣服を吟味しながら、じっくりと考え込んだ。といっても考えてもどちらの方が似合っているか判断しようもなかったので、俺は素直に直感で答えた。
「えぇ……と、最初に見せて貰った方かな」
俺がサチに返答したのと同時にモンスターよりも恐ろしい怪物が視界に映った。
「サチちゃん、この坊や見る目ないわ」
唐突のことで、茫然とする俺を怪異こと筋肉マッチョの男性が睨みつけてくる。見てくれだけ判断するなら、近隣に生息するモンスターよりも恐ろしい。
オーダーメイドでわざわざ作成しただろうピンクのタイツは肉体と上手く定着し、外装からでも鍛えられた筋肉が一目でわかった。
「……ぇぇと、誰ですか」
取り敢えず、俺は麻痺とは違う硬直状態から抜け出した後、思うままに口を開いた。
「ここの店主よ、それとサチちゃんの友人よ」
と、言われた本人ことサチは頬を赤く染めながら、うつむいていた。サチにこんな友人がいた事に正直驚いたが、他人の俺がどうこう言うつもりはなかった。
それにしても、身長百八センチ以上のNPCプレイヤーに会うのは珍しい。サチには悪いが、情報量だけで見るとサチよりもこのNPCプレイヤー方が多い。
なので、俺は思わず感想を口にした。
「……でかい」
「まぁ、主対面の相手にいきなりデカいなって、デリカシーにかけるわ。でも、今日は特別に許してあげる。名前はメリーよ」
「……キリトです」
俺はメリーの名前と体格のギャップに驚きを隠せないが、注意したら何か地雷を踏みそうで躊躇した。なので、どのように切り出しらいいか戸惑いながら、サチに助けを求めた。
「……今のキリトが悪いよ」
サチは俺の擁護するのではなく横やりを入れ、鋭い視線で睨んだ。背後のいるメリ―はその様子を見てクスクスと笑っているが、俺にとっては笑いごとではなかった。
「……頼む、このままだと気まずい」
サチは「もう」と言いながらも満足したようで、メリーにキリトのことを話し始めた。やっぱりサチは意外と怖いかも、と思いながら、俺は二人の服選びが終わるまでストレージ欄を眺めて過ごした。
二時間後。
俺とサチは店主であるメリーに別れを伝えた後、日が暮れて賑やかなに色づく通路を歩いていた。十一層が攻略されて数か月は過ぎているが、思ったよりも多くのプレイヤーは滞在しているようで、あちこちでポーションや素材などのやり取りが行われている。
まぁ、野良での取引は、金額をちょろまかされる危険性が高いので、俺はほとんど知り合いのエギルに鑑定をしてもらっているが、周囲を見る限り定価の一割増しで売られていた。
だがプレイヤーの中でも、定価の値段がわかっていない人もいるようで、ぼったくりにあったことに気づいていないプレイヤーもちょろちょろいた。
食事をしてから結構な時間が経過しているようで、俺は空腹の状態に襲われていた。アインクラッドにおける空腹は、食事をしない限り消えることがないので、たとえ仮想世界でも食事は必死である。なので、俺は近くの店で食事を仕様とサチに声をかけた。
「この近くで食事して帰ろう、と思っているけど、サチも一緒に食べていく?」
「うん」
サチはそう言って、うつ伏せがちに顔を赤らめながら呟く。
「……キリト。今日一日付き合ってくれてありがとう」
その瞬間、キリトは照れたように視線を逸らした。家族以外の人に直接「ありがとう」と言われたことがなかったので、色々な感情が込み上げてきて言葉が詰まった。
「えぇと、そうでも」
サチはキリトの反応で緊張が解けたのか、微笑みを溢す。そして、キリトがギルドのためにいろいろと影で動いてくれていることに感謝し、サチは再度感謝の言葉を呟いた。
「本当にありがとう」
サチの声は小さかったため、プレイヤーたちの活気でかき消され、キリトには何を言っているのか聞き取れなかった。
「なんか言った?」
「……ふふ、なんも」
と、サチは答え、キリトの背を追いかけるのだった。