愉快犯女神によって転移先異世界で異端審問の危機に陥っている 作:駒由李
それは連日の職場体験の合間の休日。喫茶店の客としては行くのにすっかり慣れたフェブラリーで、俺はカフェモカを、同行していたイノセントがはちみつカフェオレを喫していたときのことだ。
からんからん、軽やかな鈴の音を鳴らして入ってくる人物。顔を上げると、出入り口の扉から少女が入って来ていた。鮮やかな赤毛に茶色の目。イノセントと大して年の頃は変わらなそうだ。そんな彼女が、難しい顔をしてこちらに歩み寄ってくる。正確には、その褐色の目はイノセントの白くて丸い頭を見ていた。
そして、近くにまで寄ってくると――彼の頭を鷲掴みにした。
「わっ、なに?」
「イノ、用事がある。来てくれる?」
「あのさ、用事があるなら普通に話しかけてくれるかな……? 俺たち人間には言葉というものがあるんだよ……?」
その光景を眺めながら、俺は思った。イノセントは、その類い希な美貌に反して周囲からの扱いは割と雑だな、と。顔面に鉄製の盆の縁をぶち当てられても鼻血ひとつ出さなかった頑丈さのせいもあるだろう。俺がそう思いながらぼんやりと見ていると、立ち上がり伝票を手にしたイノセントは「何してんの」と俺に声をかけてくる。俺は目を瞬いた。
「お前もついてくるんだよ、トモヤ」
「なんで」
「今思い出したけどこれも職場体験の一環になるかな。まああまり仕事の内容は明かされないと思うけど――アコウ、いいよね」
「よくわからんが……まぁ、ガルシアが良いって言ったら。噂で今身元不明者の職探しをしてやってるって聞いてたけど本当だったんだな」
「お世話になってます……」
俺は申し訳なさも感じたが、とりあえず次の職場案内をしてもらえるなら有難いことはない。急いでコーヒーを飲み終えると、イノセントが当たり前のように勘定を払って店を辞した。
ひと言で言うと、彼女と彼女の養父が行っているというのは「探偵」だった。
とは言っても、推理モノにありがちな、迷宮入りしかねない事件を見事解決するとかそういうものではなく、ペット捜しや浮気調査、失踪者の捜索。そう言うモノらしい。
ついてきたのはいいものの、煙草の匂いが染みついた部屋。革張りのソファでちょこんと座っている間にもイノセントは何やら衝立の向こうで誰かと話し合っている。その間に、席に着いていた俺に茶が饗された。この間の銀行のときのようなものではなく、それなりに質の良さそうなティーカップだ。それを丁重に持ち上げて啜ると、アッサムに近い風味がした。一口呷ってソーサーに置くと、俺は思い切って尋ねてみることにした。できるだけ小声で。
「それで、イノは何の用件で呼び出されたんですか……?」
「依頼人のプライバシーに関わるのでお答えはできませんね」
「ですよね」
「ただ、まぁ言えるのは、イノは悪くない。運が悪かった、ってところですね」
「ふぅん……?」
要領を得ないが、とりあえずイノセントは無事に帰してもらえそうだ。既に大事な恩人であるし、あと彼に今いなくなられるとこの世界での拠点を失ってしまう。双子の弟のアダマスは、「余剰品」の人間を家に置いていくほど寛容には見えなかった。改めて自分の立場の危うさを感じながら再び紅茶を啜ったところで、アコウは恐る恐ると言った様子でこちらに囁きかけてきた。先程の俺より余程小さい声で。
「それで、その……こちらからもお訊きしたいことがあるんですけど」
「何でしょう」
「……あなたの起こす『奇蹟』は、アキツシマネだと普通なんですか?」
「――!」
どこだ。どこで漏れた。思わず席を立ちそうになると「落ち着いてください」と宥められる。そしてアコウは言った。
「我々は探偵ですからね。正確には私は助手ですけど。色々情報源があるんですよ」
「どうかそのことは永久に伏せておいてくださいね……」
「まぁそうしても構いませんけど……公開火炙りとか見たくないですし」
その言葉を聞いてゾッとする。火刑に処されることもあるのか。そう思いながらも怯えていると、アコウは重ねて問いかけてくる。
「あなたの『奇蹟』って、物を動かすことなんですか」
「まぁ、そうですけど」
「それだけですか」
「それだけですね」
「そっかぁ……」
アコウは嘆息した。そして、言う。
「記憶操作とか、心の傷を癒やすとか、そういうのがあればよかったんですけど」
「それは、ちょっと難しいんじゃないかな」
俺は思わずタメ口を聴いた。アコウが顔を向けてくる。
「奇蹟って言うのがどういうのかは詳しいことはわからないけど、きっと心に作用することはとても難しいことだと思う。だって、心は人の最後の砦だから」
「――」
「だから、奇蹟とやらに頼らず、自分でどうにかするしかないんだよ。立ち直るのは、結局自分ひとりの力だから。……説教臭くてゴメンね」
「……いいえ」
アコウは、頭を振った。優しい、諦観に満ちた微笑だった。
「いえ、わかっていたことです。有り難う御座います」
「おーい、話終わったよー。帰るよトモヤ」
「ご協力感謝する」
衝立の向こうから、イノセントがてろてろと歩いてくる。その背後から、ぬっと男が出て来た。黒髪に碧眼の大男だ。恐らく彼がガルシア、と言う男なのだろう。苦労しているのだろうか、眉間の皺が深い。そんな彼は、アコウの肩を抱いた。そして俺に言う。
「アコウから、探偵についての仕事は少しは聴いてもらえたかな」
「あ、はい」
大凡嘘だったがとりあえず肯いておいた。どうせここで肯定しても否定してもこの男は何も教えてはくれまい。なぜかそういう直感が働いたから。そして俺の言葉に、ガルシアは笑んだ。太い笑みだった。アコウの肩を掴む手に力がこもったのを、俺は確かに見た。
「そうか。やる気があったら、起業するのは手伝うぞ。まぁそれからはライバル同士になるがな」
「はは、考えておきます」
――恐らく、探偵の仕事というのは人のプライバシーを探る仕事。それを思うと、自身のメンタリティでは保ちそうにないな、と思った。
そしてそれよりも気になったのは、この「父娘」の距離感だった。俺はイノセントについていきながらも、最後まで振り返り振り返り、2人の姿を見送った。
「面食らったでしょ」
探偵事務所を出てきっかり10歩歩いた先。そこでイノセントが言う。それに自身は首を傾げる。
「えぇと、どれに?」
「ガルシアとアコウの距離感」
「あぁ……父親と娘にしては近いなって思った。特にアコウっていう子、あの子お前ぐらいの年だろ。あの頃なら難しいんじゃないか、色々。反抗期とか思春期とか」
「あの2人は義理の父娘だからね、その辺難しいんじゃないかな。色々と」
それを聴いて驚いた。仲がいいと思ったわけだ。しかし、その回想に違和感を覚える。
なんとなく、そう、なんとなく。距離感が近すぎると思った。
俺の懸念に、イノセントは嘆息混じりに言う。
「あの2人の行く末がメリーバッドエンドじゃないといいけど」
――彼は、どこまで、何を知っているのだろう。
俺はそう思いながら、次の職場体験について思いを馳せた。
書類を手にしたガルシアが言う。
「今回の案件は俺ひとりで片付けられるな。留守番を頼む」
「そう。わかった」
そう言って、アコウはガルシアの手に両手を回す。
そして、口づけをした。
口を離すと、ガルシアは幼子を宥めるように彼女の頭を撫でた。
「良い子に待っていろ。相手をしてやるから」
「うん」
「――次の案件は、子どもが虐待されている可能性がある。早く行ってやらないと」
そう言う、ガルシアの目は剣呑なものになる。
その目を、アコウは知っていた。
彼女の実の両親を殺したガルシアは、きっとこういう目をしていた。
――けれども、憎む気になれない。アコウはそう思う。
彼は彼なりに、アコウを救おうとしたのだ。それがわかっていたから、それを飲み下す。
それでも思うのだ。ガルシアを苦しめる「何か」を消してやれたらと。
けれどそれは叶うことがなかった。
Next......