愉快犯女神によって転移先異世界で異端審問の危機に陥っている 作:駒由李
この世界に来てから新調したスーツ。それを着ながら書類を捲る。羊皮紙でないことが幸いだったな、と思う。氷河期以前の技術が失われていなかったことに感謝した。
俺は、今や主人であり社長代理となったアダマスを前にして報告する。
「○○鉱山からルビーが30kg採掘されたそうです」
「それの選別をしないとな……××鉱山のジルコンはどうだ」
「あれは研磨したところ無色でよく輝きました。ハイタイプです。ダイヤの代替品として売り出せるかと」
「そうか。……この短期間によくそこまでやってくれた」
黒檀の机を前にしたアダマスは、その机の色によく似た黒髪を揺らして微笑む。
「君はホワイトカラーの人間なんだな」
「はは……どうにもやはりこちらが天職のようで。でもお休みももらえるし給料ももらえるし病気休暇も有給も産休もあるから最高です」
「何を言ってるいるんだ。そんなもの常識だろう」
それを聴いて、俺は内心で苦笑する。
あぁ、自分はだからこそ――
「アダマス、アダム。いるかな」
聞き慣れない声がした。年配の男性の声だ。俺が振り向くと、男性が立っていた。半白の、初老の男性だ。目を瞬いていると、アダマスが席を立つ。
「これは、父様」
「えっ」
「はは、挨拶に寄っただけだよ。偶には、一応名目上はこの家の当主だからね。様子を見に来ないと。――そちらが、ひょっとしてイノセントが連れてきたというアキツシマネの新人かな?」
「は、トモヤ・マツシタと言います」
どうやら、顔を出してこなかったジェマーケット兄弟の父親らしい。頭を下げると、彼は「うん、元気がよいようでなにより」と言う。
「有能だというのは聴いているよ。よく働いてくれているとも。でも、偶には休むんだよ」
「はっ……」
「それじゃアダム、私は妻を見舞うからこれで失礼するよ」
そう言って、扉を閉めていった。遠離る足音。それが聞こえなくなった頃、俺は尋ねた。
「ご両親共に、お体を……?」
「……元々体の強いというわけではなかった。母は特に、僕たち双子を変則的に無理して産んだから産後の肥立ちが悪くてね。父は元々だ」
「だから、あなたがお店の采配をなさっていると」
「なんだ。両親の不在を良いことに実権を握っていると思ったか?」
「いえそんな」
「ま、周りにはそう思われても構わん。ただ僕は、この家を潰すわけにいかない。そう思っているだけだ」
その言葉を聞いて、俺は思う。あぁ、イノセント。お前はきっと、これを望んでいた。
誰かひとりでも多く、この誤解されやすい弟の味方をつけてやりたいと。
アダマスは書類を整えた。
「それではトモヤ。そろそろ昼だろう。休憩に入れ」
「は、わかりました。それでは失礼します」
外に出る。都会と言えど、元の世界に比べて澄んだ空気。それを胸いっぱいに吸い込んだところで、背中を叩かれた。
「よっ、トモヤ」
「ごふっ?! ちょ、なにするイノ……イノセント坊ちゃま」
声の主を言い当てたが、振り向いた先で言い当てられた本人は不服そうだ。
「俺のこと坊ちゃまって呼ばないでよ」
「ですが、もう俺はこのジェマーケット家の従業員で――」
「でも、俺とお前は友達だろ。2人きりのときぐらい呼び捨てでいいって。それに敬語もやめて」
「……わかったよ。しょうがないな、イノは」
俺は苦笑する。イノセントは嬉しそうに笑った。けれど、不意にそれが翳る。
「ねえトモヤ。本当によかったの?」
「何が」
「トモヤは言ったよね。元の世界に戻れたかも知れないって。でも、トモヤは結局こっちに戻ってきた。あのときは『こっちで暮らすことにしたから。世話になる』って言っただけだったけど……結局、何が決め手だったの? こっちで生きるって決めたのは。その……スキルはそのままなんでしょ」
「まあな」
「危険な世界だよ。それでもまだ生きていくっていうの?」
それに、俺は笑った。
「あぁ。俺はこの世界で生きていく」
――俺は決めたのだ。
確かに、俺の名を与えてくれた両親は、俺の幸福を願ってくれてのことだろう。悪人なんていなかった。ただ、色々な巡り合わせの結果、俺はあの世界で押し潰されそうになっていた。俺は、そこから脱出する方法がもう「死」以外なかった。
しかし、「死」以外に、あの世界を脱出する方法があった。それがこの異世界転移――否、時間渡航だった。だから、俺はそれを選んだ。
繰り返す。前の世界に悪人などいなかった。けれどその社会の仕組みは、俺を押し潰すには充分だった。元の世界に戻っても、それはきっと同じだっただろう。社会も、親も。
だから、俺は帰らないことにした。
そういう思考は口にせず、俺は微笑んだ。
「スキルも、この世界で単身でやって来た俺が自分を助けるために使う機会もあるだろ。折角異世界に来たんだ。そう言うスリルもありだろ」
「トモヤ、随分なんというか……いやなんでもない」
イノセントは呆れたように嘆息した。けれど、それも暗いものではなかった。
この友人は、俺が異端審問の危機に今なお瀕していることを心配してくれているのだろう。けれど、そんなスリルもありではないか。俺はこのところそう思うのだ。そんな中でばれないように無双する――無双する場所と意味を己で考えるのも楽しいのではないかと。
俺は腕組みをして息を吐く。今日の昼食はフェブラリーで摂ろうか。そう考えながら、ふと、あることを思い出す。なので、尋ねた。
「イノ、そういや確か今の仕事に正式に就く前……イーヴォのメシスタントの仕事を割り振る前に言ってたよな。『あと仕事は1つか2つ紹介できる』って。ひとつはメシスタントの仕事だったわけだけど、結局残り1つってなんだったんだ?」
「ああ」
イノセントは何でもないように、逆に問い返してきた。
「トモヤ、お前泳げる?」
「え? まぁ人並みには……」
「じゃあ丁度良かったかもね」
そう答えてから、イノセントは言った。
「天然真珠の採取の仕事だったんだけど」
「待て待て待て、そんな過酷な仕事を俺に振るつもりだったのか!? 確かあれって素潜りでどこにあるとも知れない真珠貝から真珠を探す仕事だったよな!? 俺の身が保たなかったよそんなん!!」
「サイキック持ちならそれもなんとかなるかなあって……」
「ならない! ならないから! 本当ここに仕事決めてよかった! と言うか養殖真珠って概念はないの?!」
「あるにはあるけど天然真珠は天然真珠で需要あるんだよ。今からでも行く?」
「行かない!!」
身振り手振りで拒絶を示した俺。そして肩で息をする俺に、イノセントは口元に手を当てた。ぷ、と噴き出す。
「そこまで嫌がると思わなかった」
「嫌がるに決まってるだろ! ……まぁ、他に仕事がなくて、イノ。お前が喰うに困るってなったら、そのときは働いてやってもいいけどな」
「大丈夫だよ。俺は大丈夫。俺はこの手さえあればなんとかなるから。それにしても、トモヤ」
イノセントは微笑んだ。
「今、お前は幸せ?」
「――前の世界よりはな」
俺は笑って応えた。
これにて、終幕。
End.