白き翼の物語~Trail of klose ~ 作:サンクタス
~一か月後、ジェニス王立学園~
それから私は休日の度に暇を見つけては孤児院を訪れ、クラム君やマリィちゃん達と一緒に遊んだり、テレサ先生に学園での出来事を話したりしていた。孤児院に通う事に乗り気じゃなかったジークも、先生に世話されるうちにいつの間にかあの場所が気に入ってしまったみたい。
楽しい日々はあっという間に過ぎてしまうもので、気づいたらもう一ヶ月が経っていた。
私も初めの頃は、次の日の授業の準備とかをしなければならないし、なるべく早めに帰るようにしていた。でも時が経つにつれて帰ってくる時間は遅くなっていき………とうとう学園の門限までに帰れなくなる時もあった。同室のジルさんが毎回うまく誤魔化してくれているみたいだけど、いつまでも頼っているわけには行かない。
しかし………この日もまた、虫の音が辺りに響く中、私はすっかり暗くなってしまった学園までの森を抜け、走って女子寮まで戻っていた。
周りに人がいないのを確かめてから、音のしないようにそっと門を開ける。整備がきちんとされていて、開ける時にギシギシ音を立てなかったのが幸いだった。おかげで誰にも気づかれずに学園に入る事が出来た。
「(あ~あ、また遅くなっちゃって。また先生に怒られるよ、クローゼ。)」
肩に乗ったジークは眠そうに翼を動かしながら言った。前回はこっそり女子寮に戻ろうとする所を見回りの先生に見つかって、初めて叱られた。
「うーん、わかってはいるんだけど、孤児院に行くと、ついつい長居してしまうのよね。」
「(ふああ………俺は早起きだから、もうこの時間だと眠くなるんだよ。もう羽ばたくだけでも億劫で………。)」
「それなら、私より先に帰ってればいいのに。」
「(バ、バカ言え!俺の任務は曲がりなりにもクローゼの護衛だぞ!そう簡単に先に帰れるか!それに……………)」
あ、わかった。ジークは結構ああ見えて食べ物に目がなくて、以前テレサ先生に特製のご飯を食べさせてもらった時にとても気に入ったらしくて、孤児院に行くたびに先生にねだっていた。多分そのためだろう。ふふ、わかりやすいんだから。
「(と、とにかく、俺は寝るよ。じゃ、クローゼ、おやすみ~)」
そう言って彼はねぐらにしている旧校舎の森の中へ飛んで行き、すぐに見えなくなった。
「………私も早く寮に戻らないと。ジルさんはもう寝てるかな……?」
それにしてもジルさんはどうして、門限を破ってしまうような私を庇ってくれているんだろう。とっても助かってはいるけど、私なんかのために、何故そこまでしてくれるのかな……………。
女子寮は灯りがついていたものの、運良く生徒も先生もいなかった。忍び足でこっそりと二階に駆け上がり、自分の部屋に入る。
部屋に入ると、部屋の中は明かりが消されて真っ暗だった。
「あれ………真っ暗。やっぱりジルさん、もう寝ちゃったのかな………?」
すると突然、目の前が眩んだ。部屋の明かりが一斉にパッとついたらしい。
「わ、わわっ……!?」
「お~か~え~り~っ……!」
いたずらっぽい声。ひょっとして………といっても、ジルさんしかいないよね。
「た、ただいまジルさん。えっと……そんな所で、どうしたの?おまけに明かりまで消して……。」
「いや~、愛しのクローゼ様がいなくなって寂しかったのですよ~。最近休日になる度に嬉しそーに出かけちゃってさぁ。全然帰ってこないんだもん。こんな時間までいつもどこへ行ってるのかにゃ?」
ニヤニヤしながら聞いてきた。
「ご、ごめんなさい。また門限を破ってしまいましたね……。」
こう何度もお世話になるのは………やっぱり悪い気がする。気まずい思いでいたら、ジルさんは、気にしてないよ、とでも言うように手を振った。
「あー、そっちは大丈夫。先生にはうまく誤魔化しといたから。でも、こう何度も続くといずれバレちゃうわよ?」
「は、はい。そうですね……これからはもう少し早く帰るようにします。(でないとテレサ先生にも怒られてしまいますよね。)」
さて、明日の準備をして早く寝ないと。あ、そうだ、宿題がまだあったかもしれない。早起きしないといけないかな………。
カバンを机に置き、振り返ると………ジルさんがまだニヤニヤして立っていた。この眼。どこかで見たことがあるような。
「…………で?」
「え…………?」
分かった。孤児院で皆でおやつを食べている時のジークの眼だ。どこか期待をしているような。という事は、何か期待してる?一体何を?
「今日こそ答えてもらうわよ。いっつもいっつも毎日、こんな遅くまでどこに行ってるの………??もしかして~……………」
そう言ってから、ジルさんのメガネがキラリと光った。
「………男か!?」
「……ち、違いますよ。ちょっと知り合いの家に……………」
「ほう、知り合い。知り合いねぇ!?それは一体どーゆー知り合いなのかしら!!?」
な、なんか今日の彼女、いつもよりもしつこい……………仕方ない。嘘をつく程の事でもないものね。
「え、えっと……………マーシア孤児院というところです。以前お世話になったことがあって………。」
「へ…………孤児院?」
彼女は別な答えを期待していたみたい。かなり面食らった様子。
「ああ、そう言えばマノリア村へ行く途中にあるらしいわね。なんだ孤児院かぁ~……ちぇっ、残念。でも………クローゼらしいかな?」
あからさまにがっかりするジルさん。そして最後に、ボソッと呟いた。
「………え?」
言いたい事がよくわからなかった。ジルさんは続けて言う。
「うんうん、可哀想な子供たちの世話をするなんて、献身だねぇ~。よっ、この優等生!」
彼女はそうやって私の背中をポンポン叩く。その皮肉っぽい言い方はいつも通りのはずだった。なのに………その時の私は、ジルの言葉を聞いた私は、身体の奥から熱い何かがたちまち喉までこみ上げてくるのを感じた。
「……………………かっ………………可哀想じゃありませんっ!!!」
「わわっ…………へ?」
夜中の静まり返った空気であったせいか私の声は、部屋が震えるのではないかと思う程響いた。冷静な私がそこにいたらすぐに止めていただろう。
それでも……………感情のままに叫ぶのを、止める事はできなかった。ほぼ反射的に、言葉が溢れた。
「あ、あの子達は“可哀想”なんかじゃありません。それに私は……私は、献身しているわけでもない!失礼します!!」
冷静、という言葉から、全く正反対の状態だった。半ば吐き捨てるように言い放った私は、部屋の扉を乱暴に開け、外へと飛び出していた。
ジルはというと、普段見せないクローゼの物凄い剣幕にしばらく呆然としていた。何がどうなっているのか。クローゼの気持ちを知らない彼女はヘタリとベッドに座り込む。
「…………び、びっくりした~…………。」
クローゼが、怒った。腹を立てるどころが、何があっても(レクターに仕事を押し付けられても)ニコリと笑っていたクローゼが、あんな風に感情を露わにして。嫌な気持ちよりも、不思議な気持ちの方が強かった。
扉が中途半端に開いている。風が吹いて扉をフラフラと揺らしていた。クローゼが叩きつけるように閉めたつもりでちゃんと閉まらなかったのだろうか。ジルは立ち上がってドアノブに手をかける。
「(………そういえば、前もこんな感じだったなー………。)」
―――――――――どうして!?なんでそういう言い方しか出来ないわけ!?
―――――――――あ、あたしはそんなつもりじゃ………。
―――――――――知らないっ!アンタなんかもう、大ッキライ!!
「………………ん…………また悪い癖が出ちゃった、かな……」
後悔先に立たず、であった。
女子寮から飛び出した後は、しばらく記憶がはっきりしていない。我に返った時、夜中の涼しい風がさわさわと木々を揺らして音を立てていた。それからも、私はふらふらと園庭を歩き回っていた。行きたいところがあるんじゃない。散歩がしたいわけでもない。今はただ、このままでいたかった。
「(………私は…………そんなのじゃない……優等生でも………………献身でもない…………!そんな理由で通っていたんじゃないのに…………!)」
そんなニュアンスの言葉を頭の中でグルグル回していると、いつの間にか目の前は学園の本館前だった。灯りはまだ灯っていて、先生と鉢合わせするかもしれなかったけど、それさえも私はどうでもよかった。いっそ叱られた方がスッキリするかもしれない。ふうと一つため息を吐き、園庭に下りる階段に腰を下ろした。
「…………はぁ…………」
……………なんだろう……胸がざわざわする………どうして私はあんなに………ちょっとだけからかわれただけなのに、何故私はあんなに怒ったんだろう………。
それからまた、私はそのままぼおっとしていた。
「『最近自分がよくわからない』。」
「…………私の後ろに立つのはやめて下さい。悪趣味です。」
「ハッハッハ。今日は相当機嫌が悪いな。」
私は背後にいつの間にか立っていた(足音もしなかったように思えた)レクター先輩に対してありったけの不快さを込めて言ったつもりだった。(もちろんこのよくわからない気持ちの捌け口に。)でもそれには全然構わないで、先輩は私の横にドカッと座った。彼はそこで何かするわけでもなく、黙って私と一緒に庭園を眺めていた。
………先輩の言った通りだった。私は………私の気持ちがわからない。自分は一体何を感じ、考えているのか。何故私はこんなに心が昂ぶっているの?何故私はここに座っているの?だから、自然に口から言葉が流れ出ていった時も、むしろおかしく思わなかった。
「……………私は、ずっと憧れていたんです。普通の生活とか、家族とか、友達とか………でも、そんなにうまくいかない。上手く、いかないんです……………。」
「………………なるほどなァ。それでなんとなくイラついて、物わかりの悪いヤツに、怒鳴りつけてやっ
たってワケか。」
「……そういう事じゃありません。先輩と一緒にしないで下さい。………私はジルさんの事も大切に思ってるんです。でも……私は間違ってない!!同情とか……献身とか……そんな理由じゃなかったんです。あの場所はそんなのじゃないんです。……哀れみなんていらないんです!そうじゃなくて、そんなのじゃなくて、私は自分が好きだと思うから、純粋に大切だと感じていたから………だから…………あの場所にいたのに………!」
あくまで飄々とした態度を崩さないレクター先輩に、私はイラッとして突っかかった。そのまままくしたてていると、なんだか涙が出てきそうだった。それをこらえながら、さらに続ける。
「私は優等生なんかじゃない。私はただ………家族でありたかった………!!」
「ふう~ん。」
話すをやめると、彼は一言納得したように言った。それを聞いて、ついカッとなった。もともとヤケになっていたから、自制心なんか欠片ほどもなかった。私はレクター先輩に向かって叫んだ。こんな事言ったって、なんの解決にもならないのに。つまり、ただの八つ当たり。
「………先輩は………何かに一生懸命になる事ってないんですかっ!!こだわりや、譲れない一線は無いんですかっ!?」
「お~お~、怖いねェ~。」
先輩は私の剣幕に対しても平然と答えた。何だか、興ざめした。
「………もう、いいです。」
それから私と先輩は黙ってそこに座っていた。
一体、先輩は何がしたいんですか?私がイライラしてるのを見かけて、からかいに来たって事?でもそれにしては………タイミングが良すぎる。
「……………で、結局自分が何のために怒ってるのか分からんわけだ。」
急に、先輩の方から口を開いた。
「……………先輩、やっぱりちゃんと聞いてませんでしたね。私が怒ってるのは、えっと、同情とかじゃないのに………私は……そんな理由じゃなくて……!」
「ハァ~、また堂々巡りかよォ。オレ、もう飽きちゃったぜ~。」
すっくと立ち上がる先輩。
「せ、先輩!ちゃんと聞いてください!私は真面目に話してるんです。いい加減に流さないで下さい!」
「なァクローゼ、オレちょっと体が動かしたくなってさァ。ちょっと一勝負やんねえか?」
「………え?」
「オレは先に旧校舎に行ってるぜ。じゃ、また後でなァ~!」
「せ、先輩!」
引き止めるのも聞かず、先輩は旧校舎の方へ去って行ってしまった。
「まったく、先輩ったらもう…………。」
でもなんだろう、一勝負って。先輩の事だからまたロクでもない事かもしれないけれど………どうせ女子寮にはまだ戻りたくないし、行くところがないんだから、ちょっと行ってみようかな……。
旧校舎へ続く格子門はなぜか鍵が開いていた。
「あれ………ここはいつも閉まってるはずなのに………レクター先輩、どうやって鍵を手に入れたんだろう………。」
不思議に思いながらも、私は門を開け、レクター先輩の待つであろう旧校舎へと向かっていった。
旧校舎は、王立学園が今の校舎に建て替えられる前の物だ。もちろん今は使われていない。そのため、校舎全体がボロボロに傷み、ツタなどの雑草も生え放題。そのため生徒達からは『幽霊が出る』などと、噂の種としてよく扱われていた。本校舎とは離れているから非常に静かで、静かな場所を求める生徒や、一人静かに物思いに更けりたい生徒などがよくここを利用していた。(私は一回も来た事はなかったのだけれど。)そんな旧校舎の玄関に、レクター先輩は壁にもたれかかって立っていた。
「おー、来たかァ。」
「レクター先輩。一勝負ってどういう意味なんですか?それに寮に戻らなくてもいいんで………」
「あ~、大丈夫大丈夫。なにしろ俺は生徒会長だからな!まァこっちに入れよ。」
人の話も聞かないで、先輩はさっさと旧校舎の中へと消えてしまった。
「……………仕方ありませんね。」
校舎の中は石壁風の壁に囲まれたホールになっていて、思っていたよりも広かった。床には埃が積もり、壁や天井にはクモの巣。先にレクター先輩が壁の燭台に火をつけてくれていたようで、ぼんやりと明るかった。(むしろ暗かったら本当にお化け屋敷みたいだった。)
待っていたレクター先輩は壁に立てかけてあった何かを手に取り、包んでいた布を取り払って私にポイッと投げ渡した。カランカランと音を立てて足元に転がったそれは、私が普段よく見慣れている物だった。
「こ、これは………練習用の
「どこから持ってきたかは聞くな~。イライラした時はパーッと体を動かすのが一番!さあ~クローゼ。構えたまえ!」
そう言って先輩はもう一方の
「ちょ、ちょっと待ってください。先輩………剣が使えるんですか?」
「ん~、ちょっとかじった程度だがな。まあ真剣じゃないし問題ないだろう。」
「は、はあ……でも………。」
「堅いこと言うなって!お前、フェンシング部に入ってるんだろ?だったら練習のつもりでさァ。」
ニコニコして言う先輩の表情が、とても楽しそうだった。それにつられたのか、私も何だかやってみたくなった。こういう勝負事は、相手が初めての人だとすごい緊張するし………ワクワクする。私は足元の細剣を拾い、型通り構えた。
「………わかりました。でも、剣なら私、負けませんよ!」
先輩が剣を使えるなんて、全然知らなかった。本当に得体のしれないというか、なんというか………変な人だ。
「よおし。やっとやる気になったか。よっしゃクローゼ~、いっちょかかって来い!」
「はい!遠慮なく行かせていただきます!」
とは言ったものの………幾分かにらみ合っても、私は仕掛けることができなかった。思った以上に、レクター先輩の隙が見つからなかった。一種踏み込んでフェイントをかけても全く動じず、かといって下手にカウンターを受けたくもない。よし、こうなれば速攻で。
「せいっ!」
カキンと金属音。私の突きは先輩にいとも簡単に受け流され、さらに剣を払ってきた!
「わわっ!」
慌てて防御。なんて素早い……深追いしてこなかったのが幸いだった。やっぱり距離を取らないと………。
「お~、なかなかお主、やりおるな?」
まだ一合しか交わしてないけど、多分レクター先輩………かなり強いかもしれない。何だか、初めてユリアさんと立ち回った時の気持ちだった。
「せいっ!」
「おっと、そこだっ!」
「ま、まだまだ!」
仕掛ける、向こうが返す、攻撃し、打ち込み、受け流す…………夜中の旧校舎に高い金属音が何度も響く。十数合打ち合っても、なかなか勝負はつかなかった。
「ふうう、先輩、なかなかやりますね………」
凌ぎ合いの最中、私は先輩に言った。
「ハッハッハ、それはこっちも同じさ、やっぱりただのお嬢様、というワケではなさそうだなァ。一体どんな人に剣を習ったのかな~?」
「…………!」
「このまま引き分けってえのも後味が悪いな。そろそろ決めさせてもらうか~!」
「………の、望む所です。この勝負、この一合に懸けさせていただきます!」
一度バックステップで距離を取り、構え、攻撃の隙を窺った。あんな事を言ったけど、今の私の腕では、彼の懐に剣先を飛び込ませるとは思えなかった。自然と柄を握る手に汗がにじむ。
その時、明らかに先輩は何か呟いた。緊張と集中のおかげで聴覚が冴えていたのか、私の耳にはこう聞こえた。
「(フム、さっきまでは顔色が悪かったが、やっぱりこっちが素のようだなァ。)」
「えっ………。」
「………そこだっ!」
それと同時に、先輩の剣が物凄い勢いで向かってきた!ま、まずいっ!心の乱れが読まれた………反撃、いや、この速さじゃ防御も間に合わない………っ!
「………ピューイ!!」
「な………!」
「えっ………!?」
突然、先輩の顔面スレスレを何かが超高速で横切った。驚いた先輩は一歩後ろに仰け反り、それに私の右腕が反射的に反応していた。放たれた剣先は弾かれることなくそのまま吸い込まれるようにして、レクター先輩の身体を捉えた………!
「はあ、はあ、はあ………」
あちこちが欠けた古い階段、私はそこに座り込んでいた。ずっと緊張しっぱなしで息もできなかったから、もうヘトヘト………。
「それにしても…………ジーク、どうしてここに来たの?」
そう、さっきレクター先輩の顔面を通り過ぎたのは、ジークだった。私がそう言うと、彼はムカッとしたような顔をして、飛びかかってきた。
「(な~にを言ってるんだ!旧校舎にクローゼとアイツが入ってくのを見て慌てて追っかけて来たんだよ。正面扉は開けられないから、中に入る抜け道を探してたら結構時間がかかって………本当に無事でよかったよ………。)」
「ちょ、ちょっと落ち着いて。ジークったら、心配性なんだから。ただ先輩に付き合っただけなのに。」
「(当たり前だ!それが俺の仕事なんだから。まったく、こんなことがユリアに知れたら俺は………)」
「えっ、ユリアさんがどうかしたの?」
すると、ジークは急に落ち着かないように翼をバタバタさせた。
「(な、なんでもない!!俺は何も言ってないぞ!?)」
「??」
「いやァ~、ビックリしたぜ。まさかあれがジークだったとはな!お前の騎士道精神には頭が下がるねェ。」
「(ジロッ………)」
レクター先輩が茶々を入れると、ジークは彼を睨め返した。そう言えば先輩、全然疲れていないように見える……………。
「おーおー、そういう顔は、クローゼにそっくりだなァ~。」
「(なっ………!コノヤロー、どこまでも人をコケにしやがって……………)」
「あの……先輩。」
私は立ち上がって先輩を見つめた。もうこの際だから、はっきりしておきたい。普段は逃げられてばかりだけど、今なら聞ける。今なら。
「先輩は……………一体、何者なんですか?」
「ンン~、ワタシはジェニス王立学園生徒会長、レクター・アランドールですが、何か?」
変に声色を変えて言う先輩。
「誤魔化さないで下さい。先輩はいつもそうやって飄々としてだらしなくしています。でも、あなたが垣間見せるそれは、常に賢者のように理知的でした。私たちが必死に探してもさらりと身を隠してしまったり、先ほど見せていただいたその剣術も、どれも普段のあなたを見る限りでは、出来るはずがないんです。………先輩、さっき本気じゃありませんでしたね?」
「ん~、どうだかねェ~。」
「どちらにしても、先輩が普段見せているただのグータラな生徒には出来ない事です。それに何故、何故私の事を……その………心配してくれているんですか?」
彼は目を閉じ、私の話をニヤニヤしながら聞いていた。聞いていたように見えた。
「最初は、からかっているのばかり思ってました。私が悩んでいる時に限って、タイミングを図ったみたいに現れたりして………今日も私のために、こんな事をしてくれたんですよね?どうして先輩は私を………こんなにも気にしてくれているんですか?お願いです。言ってください。あなたは一体………。」
こうなれば、聞ける所まで聞いてしまおうと思っていた。でも、先輩はそう一筋縄では私に話のペースを渡してくれないだろう。だから言える事は一度に言った。
しかし………やはり先輩に関しては、そう簡単に行くものではなかった。彼は私が話し終わると、突然腹を抱えてさも楽しそうに、大笑いした。
「クックックッ…………………ハハハハハハハハハハ!!」
「せ、先輩っ?」
「いやぁ……ハハ、クローゼ、お前は本当にスゴイやつだ。ウン。だがなあ、それよりも今は、お前自身の問題を片づけるのが先じゃないか?」
「えっ…………」
「さっきお前が言ってたことだよ。まー、そこんとこだけは自分でハッキリさせとくことだなァ。もつれた糸と同じ………根元を解かにゃ絡まる一方だぜ。」
「え…………ど、どういう意味で………。」
私が言い終わるのも聞かず、彼は立ち上がって出口の扉を開け、外に出ようとした。
「精々悩め~」
「先輩!待って下さい!先輩!!」
引き止めるのも聞かず……………結局、彼は後ろ向きに手を振りながら校舎から出て行った……………。
旧校舎には私とジーク、二人だけが残された。不思議な事に、レクター先輩がいなくなってしまうと、校舎の中も幾分暗くも、狭くも感じた。
「………………。」
「(アイツ、結局何も言わなかったな。)」
「………うん。また誤魔化されちゃった。」
「(全く、なんなんだろうな、アレは。もう俺にはよく分からん。行くぞクローゼ。そろそろ帰らないと夜が明けちゃうよ。)」
バッと床から飛び上がって、いそいそと校舎の外に飛び去るジーク。
ここに来る前なら、私は帰るのを渋っていたかもしれない。でも今の私の心は、気持ちがいい程に落ち着いていた。あの時あんなに昂ぶっていたのが嘘みたいに。
「(やっぱりレクター先輩は、ちゃんと考えてる人だ……。)」
頭の中に再び、先輩の言葉が響いた。
―――――――結局、自分が何のために怒ってるのか分からんわけだ。
―――――――もつれた糸と同じ………根元を解かにゃ絡まる一方だぜ。
「(私が怒っていたのは…………どうしてなんだろう…………私の心がこんなにも乱れて、いらだっていたのは………どうして…………?)」
その途端、肩に重い物がのしかかった。ビックリして振り向くと、恨めしそうにこっちを見つめているジークの姿が。
「(なあ、クローゼさん、考えてるのを邪魔して悪いんだけどさあ、そろそろ帰らせてくれねえかな?俺はもう………………ふあ~っふ、限界………。)」
ジークは大きな欠伸をして言った。鳥が欠伸するなんて変だけど、私にはそう見えた。
「あ……うん、そうだね。帰ろうか。」
レクター先輩が置いていってしまった剣やらを回収して、重い音を立てる冷たい玄関扉を、ゆっくりと閉じた。
旧校舎を離れてジークと別れた後も、私は女子寮へと向かう道の途中、さっきの事を考えていた。
「(………そう、本当にレクター先輩の言う通りだ。………私は、しがみついていたかっただけ………多分、失うのが怖かったんだろう。)」
女子寮の扉をそっと開け、二階への階段を登る。
「(やっぱり、私の心は…………。)」
そして、自分の部屋の前に立った。部屋の中から、物音は聞こえなかった。
「(……いや、それを考える前に、今はジルさんに説明しなきゃ。お互い気まずいと思うけど、話しておかないと………。)」
ドアをそっと開けると、部屋の中は真っ暗だった。私は滑り込むようにして中に入り、扉を閉めた。
「…………ジルさん……もう寝てる?……明かり、点けるよ………。」
導力灯のスイッチを手探りに探して灯りをつけると……………ベッドに人の姿はなかった。
「あ、あれ……?ジルさん、どこに行ったんだろう。こんな夜中に………。」
仕方ない。正直、ちょうど良かった。明日は休日だし、また時間を見つけて話そう。私は手早く身支度を済ませてベッドに潜り込み、レクター先輩との一騎打ちで疲れきった身体を休めた。