白き翼の物語~Trail of klose ~   作:サンクタス

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第三話~百日戦役~

~七耀暦1192年~

 

 

 

この年、リベール王国にとって最大の危機が訪れた。後に『百日戦役』と呼ばれる戦争である。

リベール王国の北方にあるエレボニア帝国が、帝国南部の村ハーメルでリベール王国軍による民間人の大虐殺が起きたと主張。それを口実にリベール王国への侵攻を開始する。帝国大使館から宣戦布告の書状がグランセル城に届くのと、エレボニアが誇る戦車部隊のハーケン門への一斉砲撃がほぼ同時に行われたため、王国軍は完全に虚を突かれた形となってしまい、王国軍も反撃を試みるものの、自軍の二倍はある帝国(エレボニア)の機甲部隊にはほとんど歯が立たず、マルガ鉱山やツァイス中央工房等、リベール各地の領土を次々と占領されていった。

 

 

 

 

 

~王都グランセル、グランセル城・女王宮~

 

 

 

王都の朝、ユリアはアリシア女王に呼び出されていた。

 

「姫殿下の避難……でございますか?」

ユリアはアリシア女王の突拍子もない依頼に驚いた。

 

「はい。安全が確認されるまでクローディアをグランセルから遠さげること、そしてあなたにはそのクローディアの護衛を頼みたいのです。」

 

「し、しかし……今のこの危険な状況で親衛隊である私が女王陛下のもとを離れるのは……。それに、城内に留まった方が姫殿下にとっても安全なのではないでしょうか。」

 

「確かに見た目では安全かもしれませんが、帝国は恐ろしいスピードで侵略を進めています。今はモルガン将軍やカシウス大佐が抑えていますが、最悪の場合、王都の陥落もあるかもしれません。幸いクローディアはまだ幼い故、顔はあまり知られていません。それならば、王族として城に残るよりも、一民間人として行動した方が安全だと思うのです。」

 

「し、しかし………」

 

「ユリア殿、これは命令です。」

アリシア女王は真剣な顔つきでユリアに言った。これ以上食い下がっても無駄だ、と悟ったユリアは、

 

「……わかりました。不束者ながらこのユリア、命を懸けてクローディア陛下をお守りいたします。」

普段通りハキハキと答えた。

 

「ありがとう。ユリア殿。」

そう言うと、アリシア女王は突然悲しげな表情を浮かべた。

 

「今もレイストン要塞では反攻の機会を伺って作戦を練っているといいます。どうかそれまでの間……こんな事を言うのは無責任かもしれませんが………頼みましたよ。」

 

「……御意。」

ユリアは最敬礼をして応じ、部屋を後にした。

 

 

 

 

 

 

 

アリシア女王にしては珍しく、無理矢理な話だ。

 

彼女はそう思わずにはいられなかった。ただそれも自分が女王から信頼を受けている事の裏返し。そう思うと、どことなく神妙な気持ちになるのだった。

 

「クローゼ。」

ユリアはいつも通り庭園で遊んでいるクローディアに声をかける。何も知らない彼女は無邪気な笑顔でユリアに笑いかけた。

 

「なに、ユリアさん。」

 

「これから貴女は城を離れねばなりません。お出かけになる準備をなさってください。」

 

「どこにいくの?」

クローゼは不思議そうな顔で聞いた。

 

「まだ決まっておりません。」

 

「お祖母様は?いっしょにくるの?」

 

「……いえ、女王陛下は城に残られます。」

クローディアは幼いながらも、ユリアの話し方から事の緊急性と重大性をなんとなく把握した様だった。

 

「……わかりました。すぐに準備します。」

その時ばかりは、クローディアも自然に敬語になった。

 

「それからもう一つ、外に出たときは、ご自分の事をクローゼとお名乗りになってください。決してクローディアと名乗らないようにしてください。」

 

「は、はい。わかりました。」

 

 

 

 

 

 

二人が女王宮に戻ると、クローゼの部屋でヒルダ夫人が出迎えていた。

 

「………行ってしまわれるのですね。」

 

幼いクローゼの事が心配なのだろう。短い言葉の節々からも不安が伝わってくる。ユリアは姿勢を正し、はい、と答える。

 

「ご安心ください、ヒルダ殿。殿下はこの私が何に換えてもお護り致します。」

 

「…………………。」

彼女の口は何も言わなかった。代わりにユリアに向かって深々と頭を下げた。

 

「(………信頼を受けているのは………陛下からだけではない、という事か……………。)」

 

「どうしたの、ヒルダさん。ねえねえ、ヒルダさん、なにか悪いことしたの?」

 

「いえ………殿下。ヒルダ殿に挨拶をして差し上げてください。」

 

「はい!ヒルダさん、いってきます!」

相変わらずの無邪気な笑顔だった。そしてつられるように、二人の表情も綻ぶのだった。

 

 

 

 

 

 

 

~王都グランセル北街区~

 

 

街に出ても目立たぬよう平民の服装をしたユリアとクローゼは、その後すぐにグランセル城を出発した。

 

「クローゼ。これから随分と歩くことになりますが、お疲れになったらすぐ申しつけください。そして、どうか片時も私のそばからお離れになられぬようにして下さいね。」

 

「わかりました。気を付けます。」

クローゼはユリアの腕を握ってぴったりと付いていった。どこに行くのかも知れぬ不安な旅である。表には出していないものの、クローゼが相当怯えているのがユリアには判っていた。だからこそクローゼはユリアにすがりつく。それは彼女のユリアに対する信頼の一端である事も、ユリアは分かっていた。彼女は再び気を引き締めていた。

 

 

 

 

そうして二人は、百日戦役の戦災から逃れるため、グランセルを旅立った。

その様子を、空中庭園から眺めていたアリシア女王がいた。

 

「(クローディア。あなたにはずいぶん苦労を掛けてしまいますが、挫けずに頑張っておくれ……。あなたがた二人に女神の守護があらんことを。)」

アリシア女王はただただ祈るばかりであった。

 

 

 

 

しかし、彼女が自分の大きな誤算に気付くのはずっと先の事である。

 

 

 

 

 

 

~数日後、海港都市ルーアン~

 

 

ユリア達は初め、近場のツァイスあたりに行こうとユリアは思っていたのだが、途中すれ違った通行人から(街の間を結んでいた定期飛行船は、エレボニア帝国に制空権を奪われているため使われていなかった。)ツァイス中央工房が帝国に接収されたという噂を聞き、急遽行き先を変更したのであった。それで余計に距離を歩いてしまい、幼いクローゼの疲労は大分限界に近づいてきていた。

 

「………ユリアさん………まだ着かないのかなあ。」

 

「市街まではもう少しです。疲れていらっしゃるのであれば、やはりまた私がおぶって差し上げたほうが‥………。」

 

「で、でも、ユリアさんに迷惑がかかってしまうし………」

 

「クローゼ。貴方にとって臣下とはこき使うものですよ。気遣いは無用です。」

 

「は、はい。………すみません。」

そうしてユリアはクローゼを負ぶってやった。やはり彼女も疲れていたようで、力無くだらりとユリアの背中にもたれた。

 

「(私のような者にも気を使ってくれるとは…………本当にクローゼ様は優しい方だ。)」

背中のクローゼを横目で見ながら、思った。

 

 

 

 

 

そしてようやく、彼女らは王国西部、アゼリア海に面する海港都市、ルーアンに到着したのだった。

 

「ここがルーアンか。こうして歩くのは初めてかもしれないな。」

 

「わあ、きれいな街!ユリアさん。早くいきましょう!」

 

クローゼは先程までの疲れも吹き飛んだかのように走り出した。初めて見る王都(グランセル)以外の街並みに彼女は興奮しているようだった。

海港都市・ルーアン。飛行船による貿易が主流になった今でも船による貿易が行われている街であり、リベール有数の観光都市でもある。グランセルの端正な街並みしか知らないクローゼにとっては、騒がしく働く労働者たちや白を基調とした少々雑多な街並み、何もかもが新鮮であった。

 

「見て見て!ユリアさん。大きな橋ですね!」

 

「ほう、これがラングランド大橋か。噂には聞いていたが、見事なものだ。」

『ラングランド大橋』とは、ルーアン市の中央を横切る大きな川を跨ぐ導力式跳ね橋である。

 

「ユリアさん!大きな湖!きれい……。」

 

「これは『海』という物です。王宮から見えるあのヴァレリア湖よりもずっと大きいのですよ。」

 

「へええ……。」

城から見えるヴァレリア湖しか見た事のないクローゼは、眼を輝かせて波音が響く広大な海を見つめていた。

 

「(ふふ、姫殿下も楽しんでいただいて何よりだ。殿下にもいい経験になるし、ここに来て良かったかもな。)」

ユリアはクローゼのはしゃぐ様子を見て思った。

 

「クローゼ。まずは宿を取らなくてはなりません。こちらに付いてきて下さい。」

 

「は~い!」

彼女はもう、完全に気持ちが舞い上がったようだった。

 

 

 

 

 

 

~ルーアン・北街区、ホテル・プランシェ~

 

 

 

ユリアは近くにあったホテルを訪れた。ホテルといえども客の姿はほとんど見られず、がらんどうとしていた。

 

「いらっしゃいませ。本日は当ホテルにお越し下さり、ありがとうございます。」

オーナーとみられるカウンターの店員は恭しくお辞儀をした。

 

「部屋を一つ取りたいのですが、空いていますでしょうか。」

店員は手を前に組みながら頷く。

 

「はい。空いておりますよ。旅行、のようですが、珍しいですね。こんな時に。」

 

「はは………少し事情がありまして………。やはり、お客はほとんどないようですね。」

 

「ええ、今の帝国との紛争の影響で部屋のキャンセルが相次ぎまして、今はがら空きでして……。」

 

「(まあ、いつ帝国軍が来るのか判らないのだから当然か………。)それは私達としては都合がいい。案内していただけますか?」

 

「はい。こちらでございます。」

 

 

 

 

 

ユリア達は案内された部屋に荷物を降ろし、腰を下ろした。普段から鍛えていたとはいえ、クローゼを負いながら王都からはるばるここまで歩いてきたせいで、身体の負担は大きかったようだ。

 

「(ふう………私もまだまだ修行が足りないようだな。こんな事で疲れていては、先が思いやられるというものだ。)」

そうして彼女はクローゼの方にチラッと目を遣る。彼女はというと、小さな小部屋のあちこちを物珍しそうに眺めていた。

 

「陛下、少し狭く感じられるかもしれませんが、当分はここに滞在いたしますので、我慢の程を。」

しかしクローゼはユリアの話も聞かずに、今度はベッドに潜り込んで寝心地を確かめていた。

 

「ふーん、お城のシーツよりざらざらだけど、これはこれでいいかも!」

彼女のあまりの無邪気さに、疲労の溜まった彼女も思わず笑いが零れた。

 

「(普段とは違う環境で生活するから陛下もストレスが溜まるかと思ったが、杞憂だったようだ。ふう、どれ、私も少し休むとするか………。)」

 

 

 

 

それから数日間、ユリア達はルーアンに滞在した。クローゼの無邪気な活発さに振り回されながらも、城勤めとは違う開放感をユリアは味わっていた。クローディア姫の護衛と聞いて緊張していたユリアであったが、クローゼと町の観光をしているうちに少しづつその緊張がほぐれていった。

 

しかし、その油断がユリア、そしてクローゼの運命を大きく変える事になる。

 

 

 

 

 

その日、事件は起こった。

その日の朝もいつも通り、身の回りの整頓をしてから街へ行こうとしていた時、ユリアは外が異様に騒がしいことに気付いた。

 

「お客様!お客様!」

そして、慌てた声がして部屋の戸がドンドンと音を立てた。何事かとドアを開けると、ホテルのオーナーが息を切らせながら立っていた。

 

「いったい何があったのですか?何やら外が騒がしいようですが……。」

 

「大変です!帝国軍が……帝国軍がこちらに向かっているようです!先程連絡が入りました!」

 

「な…!!」

 

「市街に入る前に、早くお逃げください!ここから南側の市長邸なら隠れられる地下室があるはずです。さあ、早く!」

 

「わ、わかりました!」

オーナーが部屋から出て行くと、ユリアはまだベッドに潜り込んでいるクローゼを揺り起した。

 

「クローゼ!クローゼ!」

 

「ん……なに…?ユリアさん。」

クローゼは眠そうに眼をこすりながら起き上がった。

 

「帝国軍の襲撃です!今すぐ逃げねばなりません!」

 

「え……。は…はい。わかりました!」

クローゼは突然の出来事に戸惑いながらもベッドから飛び起きる。

 

「くっ………南の市長邸か!」

いざという時は、自分の身を盾にしてでもクローゼを守る。その時は、そう思っていたのだった。

 

 

 

 

 

外に出ると、街はほとんどパニックに陥っており、道路は人でごった返していた。

 

「クローゼ、私と手をお繋ぎになってください。けっしてお放しにならぬよう。」

 

「はい!」

 

そして二人は、人の流れに乗って南街区へ向かおうとした。

 

 

 

しかしその流れは、ユリアが思った以上に強かった。

 

「くっ、こら!押すな!」

 

「ユリアさん!待って!キャッ……!」

それはあっという間だった。ユリアがしっかり握っていたはずの手は……………無情にも引き離された。

 

「な……!!ク、クローゼ!?」

ユリアがそれに気がついた時には、彼女の姿は既に人ごみに紛れ見えなくなっていた。

 

「クローゼ!?クローゼ様!?」

彼女の返事はない。

 

「クローゼ!!クローゼ~~!!!!」

ユリアの悲痛な叫びも、群衆の叫び声やどよめきにすぐにかき消された。

 

 

 

 

 

「ユリアさん!?どこにいるの!?」

その頃、クローゼも逃げる人々にに突き飛ばされながらもユリアの行方を探していた。しかし激流のように人の波が彼女を押し流していく。

 

「ユリアさん!私を置いていかないで!!」

次第にクローゼの眼から涙が溢れ始めた。

 

「だ、だれか……たすけて!」

クローゼは走った。ユリアが向かったと思われる南街区へ向かって。しかしその途中何度ユリアの名を呼んでも、返事は帰ってこなかった。誰かを呼べばすぐに駆けつけてくれる王宮で育ったクローゼにとって、助けを呼んでも誰も来ないというのは初めての経験であった。クローゼは泣きながら、ひたすらに助けを呼んだ。

 

「だれか…えぐっ……たすけ…たすけて!…えぐっ……だれかあ!ううっ…キャッ!」

闇雲に走っていた彼女は突然建物の陰から現れた男にぶつかり、そのまま転んでしまった。

 

「ああっ、ごめんよ、お嬢ちゃん。ぶつかってちゃって。」

ぶつかったのは三十代くらいの男性であった。彼は倒れたクローゼをそっと抱き起した。するとクローゼは、彼に優しい言葉をかけられたせいで、感情の抑えが利かなくなってしまった。

 

「う…うう……うわあああああああん!!!!」

 

「そ、そんなに痛かったのかい?どれ、こっちに来て見せてごらん?」

クローゼは言われるままに、転んだ際に擦りむいた膝を見せた。

 

「おやおや、少し血が出てるよ。仕方ない、お嬢ちゃん。おぶってあげるからこっちに来なさい。まずは

安全なところに避難しないと…。」

 

「グスッ…は、はい……。」

知らない人物についていくのが危険だという事、冷静な時の彼女であればそれは判断できたかもしれない。しかし今の彼女にその判断を求めるのは酷だった。その男に背負われた後すぐ、泣き疲れた彼女はその背の上で寝てしまうのだった。

 

 

 

 

 

数時間後、帝国軍はルーアン付近から去った。どうやら斥候部隊のようで、本隊でなかったらしい。ルーアン市民達は、避難していた市町邸からそれぞれ戻っていった。クローゼにぶつかった男はクローゼと一緒に北街区へと戻っていた。。

 

「ところで、お嬢ちゃん。あの時は一人で歩いていたようだけど、お父さん、お母さんはどうしたの?」

 

「……………。」

 

「もしかして迷子?」

 

「………うん。」

小さな声で、答えた。

 

「そうか…。どこに住んでるの?」

 

「……ここじゃないの。もっと遠く。」

 

「そうか…。旅行者の子か。う〜ん、困ったな……。誰かに預けるのにも当てはないし………。」

彼は頭をポリポリと掻き、少し考え込んでから、ポンと手を打った。

 

「そうだ、お嬢ちゃん、うちに来てみない?」

彼女に笑いかけて、言った。

 

「………?」

 

「実は僕は孤児院をやっているんだ。あっ、孤児院ってわからないか。まあ、とにかく、君と同じくらいの子もいるし、もし君の家族が見つかったら、ちゃんと送ってあげるよ。だから、ね?」

 

流石に見知らぬ大人の言うことに軽く従うようなクローゼではなかった。だがユリアという頼れる存在がいなくなってしまった以上、そんなことを考えている余裕は、彼女にはなかった。

「………うん。」

 

「そうか!じゃあさっそく行こうか。さっきの事件でだいぶ帰るのが遅くなってしまったし、早く戻らないとうちの奥さんに叱られてしまうよ。もう歩けるかい?」

 

「……はい。歩けます。」

 

「よし、いい子だ。そう言えば名乗ってなかったな。僕の名はジョセフ。ジョセフ・マーシアだ。ジョセフおじさん、ってみんな呼んでるけどね。君の名も教えてくれるかい?」

 

「……クローデ…クローゼです。」

クローゼはユリアとの約束を思い出してしっかり偽名で答えた。

 

「クローゼちゃんか。よし、じゃあちょっと歩くよ。クローゼ。」

 

「…は、はい。」

そうしてクローゼはジョセフと共に彼の言う孤児院へと向かった。

 

 

 

 

 

クローゼ達はルーアンの市街を出て、海岸沿いを通る街道、メーヴェ海道の途中の分かれ道を曲がると、一つの古ぼけた建物が見えてきた。

 

「ほら、あれが僕たちの、マーシア孤児院だ。僕の奥さんを紹介するよ。付いて来て。」

 

「……………。」

ここでクローゼようやく、何も言わずにすごすごと付いてきていた事に気づいた。いくら迷子になったとは言え、やはり素性の知らない男に付いて来てしまった事を少し後悔していた。そして別れてしまったユリアのことも気がかりであった。しかしここまで来てしまった以上、自分一人で戻るわけにもいかない。彼女は仕方なくジョセフの後について行った。

そこは周囲を森に囲まれた古い民家のようだった。広い庭には畑や花壇があり、鶏が放し飼いにされていた。そして正面に見えてきた家は、遠くから見るよりもさらにボロボロに見えた。ジョセフは古ぼけた玄関戸を何度か叩いた。

 

「おーい。テレサ。今帰ったぞ。」

すると戸が開いて、一人の女性が現れた。

 

「あらあなた、買い出しに行くだけなのに遅かったではないですか。心配していたのですよ。」

優しそうなその女性は少し声に凄みをきかせて言った。

 

「いやいや、ちょっと色々あってな。」

 

「あら……その子は?」

彼女はクローゼに気付くとジョセフに尋ねた。

 

「う~ん。これも話せば長くなるんだが……。」

困った様に頭をかくジョセフ。彼女はふう、とため息をついた。

 

「まあ、こんな所で立ち話も難ですね。中に入りましょうか。」

 

「ああ、そうしてくれ。」

優しそうな女性はクローゼに向かって言った。

 

「さあ、こっちに入ってらっしゃい。ここまで歩いて疲れたでしょう。」

 

「はい……………わかりました。」

 

「まあ、お利口さんなのね。いらっしゃい。アップルパイでもご馳走しますよ。」

そうしてクローゼは初めて、マーシア孤児院の戸をくぐった。

 

 

 

 

 

中は玄関、居間、台所が繋がっていて、少し狭かったが、こざっぱりとしたきれいな部屋だった。マーシア夫妻にクローゼはテーブルの席につかされた。まずは女性の方からジョセフに尋ねる。

 

「さあ、あなた。どういう事か説明して下さい。」

 

「ああ、実は…………。」

ジョセフは街に帝国軍が襲来し、そのパニックの中クローゼを拾った事を説明した。

 

「まあ、そんな事が。あなたに怪我がなくて良かった……………大変だったのね。」

 

「そうなんだ。でもクローゼがお利口で助かったよ。ここにくるまでダダもこねずについて来てくれたし、今時珍しいよ。」

 

「クローゼちゃん。私はテレサ。ここのみんなは『テレサ先生』って呼んでるわ。」

テレサ先生はクローゼの目を見て優しげに言う。しかしクローゼはすぐに目を逸らし、さらに下に向ける。

 

「そう言えば俺は『ジョセフ先生』と呼ばれたことないな。」

 

「ふふ、あなたは先生と言われる柄じゃないものね。」

テレサ先生は微笑んで言った。暖かみのある笑顔だった。

 

「さて、クローゼちゃん。この人の話によると、あなたと一緒にルーアンに来た人がいたのよね。今どこにいるか、心当たりはある?」

 

「…………わかんない。」

 

「わからないの?」

 

「ちゃんと手をつないでっていったのに。守ってくれるっていったのに………。」

そこまで言うと、またクローゼの眼から涙がこぼれ落ちていく。こうなると彼女は、もう自分を止められなくなってしまった。クローゼは机に突っ伏し、大声を上げて泣き出した。

 

「う…ううう……。うわああああああん!!」

 

「あらあら、クローゼは泣き虫さんなのね。そっか。一人になって怖かったのね……。」

そう言うと、テレサ先生は立ち上がってクローゼの背後にまわり、そっと抱きしめた。

 

「…………あ……………。」

 

「何も言わなくていいわ。まずは泣きたいだけ泣きなさい……。」

 

「……ぐすっ………ううっ………。」

クローゼはいくらかそのままテレサ先生に抱かれていた。完全に身を任せてじっとして、そうしてうちに、クローゼは気付いた。

 

(なんだろう。すごくあったかい。体の中からあったまるような……。)

当時のクローゼはまだ気づかなかったが、彼女は、まだ幼いころに両親を亡くていた。彼女は家族の、そして母親のぬくもりを知らなかったのである。

クローゼはテレサ先生の腕の中で、初めて、母親のぬくもりという物を感じていた。

 

 

 

 

「……………。」

 

「……もういい?」

 

「………うん。」

クローゼが頷くと、テレサ先生はそっとクローゼから離れた。

 

「さあ、落ち着いたところでお茶にしましょうか。ほかの子はまだ寝てるけど、あなたは疲れただろうから特別ね。それから今後の事を話しましょう。」

そう言ってテレサ先生は台所へと向かい、数分してから彼女はクローゼの前に紅茶とこんがり焼けたアップルパイを置いた。

 

「はい、どうぞ。さっき焼けたばかりだからきっとおいしいと思いますよ。」

 

「うちの奥さんのアップルパイは絶品だからな。冷めたっておいしいぞ。」

 

「あら、あなたに言われると照れますわね。」

 

「いやいや、これは孤児院のメンバー全員の感想だよ。」

クローゼはかすかに湯気を上げるアップルパイををしげしげと眺めた。立ち上るリンゴの香りが、疲れきっていた彼女の食欲をそそった。そしておずおずと一口、口に入れた。

 

「…………おいしい。」

 

「んん?どうだ?おいしいだろう?」

彼女は顔を上げて言った。

 

「はい!すごくおいしいです!」

 

「あら良かった!喜んでもらえて。」

 

「そうだろう、そうだろう。どれ、俺もちょっと一口……。」

 

「こらこら、クローゼのを取ってはいけませんよ。」

 

「そ、そんな…一口ぐらいいいだろう?なあ、クローゼ。」

 

「ふふふ、いいですよ。少しだけなら。」

 

「おっ、笑ったな。クローゼは笑ってた方がかわいいな。」

 

「ふふ、あなたってば、はしゃいじゃって。」

その時、二階から話し声が聞こえ始めた。ドタバタ走り回る足音も聞こえる。

 

「あら、ほかの子も起きたようね。みんな~!朝のおやつですよ~!」

 

「は~~い!!!」

大きな返事とともに、四、五人の子が階段から駆け下りてきた。

 

「おはようございます!テレサ先生!」

 

「今日のおやつって何~!」

 

「あれ、その子は?」

 

「あっ!先にアップルパイ食べてる~!ずる~い!」

 

「こらこら、文句は後だ。みんな、席につけ~!」

ジョセフは騒ぐ子供たちをなだめて言った。

子どもたちはばたばたと席についたが、見慣れないクローゼへの興味と目の前のアップルパイのおかげで落ち着かないようだった。

 

「ねえねえ、この子だれ?」

 

「新入りの子?」

 

「はやくアップルパイ食べた~い!」

 

「はいはい、わかったからみんな静かにね。」

ジョセフは立ち上がって大きな声で言った。

 

「みんな!今日から新しい仲間が増えるぞ。この子だ!この子の名前は………。」

 

 

 

 

 

そうして、クローゼの孤児院生活が始まった。


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