白き翼の物語~Trail of klose ~   作:サンクタス

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ここからはクローゼはいつものクローゼの姿に戻ります。タイミングはFCから一年前に遡ります。読めば、すぐにどこかわかると思いますよ!

三月四日 更新。


第一章~学園編~
第六話~遅い春~


~七耀暦1201年、春~

 

 

 

 リベール全土を戦火に巻き込んだ百日戦役から、はや九年が経っていた。

 戦中は五大都市のほとんどが占領され、国境近くでは帝国軍との戦闘に巻き込まれ、ほぼ壊滅状態になってしまった村も出、もちろん人的被害も甚大なものだった。

しかしその際、リベール王国女王・アリシア二世はすぐさまグランセル城の国庫を開放し、その資金は王国各地に被害の大きさによって均等に分けられ、すぐに支援物資として送られた。その反応の速さは、復興のスピードアップにも直接繋がり、王国軍や遊撃士、何よりも各地域の住民の努力により、王国各地の復興は急ピッチで進められていった。

 それから九年経った現在では、その戦災の傷跡はすっかり消え、人々も既にかつての活気を取り戻したかのように思われた。しかし、どの人々も心の奥底には、百日戦役で得た傷の痕跡がはっきりと残っていたのである。国民も………王族でさえも。

 

 

 

 

 

 

~王都グランセル、空の上~

 

 

 

 俺はグランセル市街の上空をあてもなく飛び回っていた。

散歩の度に思うんだが、この街は本当に小ざっぱりとしていた。別にそれは悪いことじゃないんだけどさ、俺はどちらかというとルーアンみたいな少し騒がしいくらいの方が好きなんだよな。まあ、これもあの立派な女王様の影響もあるんだろう。空気もそこまで汚くない。

 おっと、アイツが呼んでる。俺は市街では数少ない上昇気流を見つけてさらに上空に上昇し、城の方へと方向転換した。

 リベールの王都、グランセル。王国の真ん中にあるヴァレリア湖の畔にある大都市だ。その街のさらに中央に位置するのがグランセル城で、そしてまたさらに頂上に、女王様を含む王族の人間が住む、女王宮がある。もっと言うと、その手前には草木が植えられた王族達の憩いの場所、いわゆる空中庭園が広がっていた。

 俺がそこに飛んでいくと、そこに、一人の小柄な人影が見えてきた。そう、彼女が、俺の仕えてる人だ。仕えてるって言っても、相手はそうは思っちゃいないがな。

 彼女の瞳の色は、青紫(今風に言えば、ヴァイオレット、かな?)。髪の色も瞳と同じ色をしていた。彼女が、リベールのお姫様。堅苦しく言えば、現リベール王国女王のアリシア二世の唯一の孫であり、今は亡きユーディス王太子の一人娘、クローディア・フォン・アウスレーゼだ。でも親しい人とかには、本名の最初と最後をくっつけた、愛称の『クローゼ』で呼ばれることが多い。(クローディアの『クロー』と、アウスレーゼの『ゼ』だな。)そして俺も、その名で呼ばせてもらっている数少ない人物の一人。

 

俺の名はジーク。ずっと昔から、リベール王家に陰から仕えているらしい、白ハヤブサの一族の末裔だ。

 

 

 

 

 

「(お~い。クローゼ~。呼んだか?)」

 俺はクローゼがもたれかかっている豪華な飾り付きの柵にとまった。

 クローゼは王宮内にいるときはいつも立派なドレスを身につけていた。動きづらそうだけど。そうそう、なぜそうするのかよく俺には分からないんだが、公式の場の時とか、城の中を歩き回る時はヘアピースを付けている。そうすると、長髪になるんだな。でもそれ以外の時、彼女はいつもそれを外す。つまり普段通りのショートカットヘアになるんだ。クローゼはこっちの方が好みらしい。やはり俺にはよく判らんが、まあ多分色々と面倒な決まりみたいのがあるんだと思うんだけどねえ。

 

「(どうしたんだ?そんなとこでボーっとしちゃってさ。)」

 

「あ、ジーク。あなただったの。ごめんなさい。なんか心配させちゃって。」

彼女は飾りっ気のない笑顔でそう言った。

 

「(えーっと、なんとなく呼ばれたように感じたんだけど。もしかして気のせい?)」

 

「え?私は呼んでないつもりだったんだけど。」

 

「(なんだ。気のせいか………。)」

いや、気のせいではないことはわかってる。こういう時はたいていコイツは、なにかで悩んでる。俺の九年間の経験がそう言ってる。俺は十何秒間か待ってから再び彼女に聞いてみた。

 

「(なあ、クローゼ。なんかあったんだろ?まさか、またユリアに宿題をどっさり出されたとか?最近飛空艇の操縦とか、戦術オーブメントの使い方の訓練とか、流石のクローゼも色々やりすぎて勉強がおっつかないんだろう?)」

 

「ふふ、確かにそれも大変だけど…………。」

眼下に広がる王都(グランセル)の家々をぼおっと眺め、そして一つ、ふうと溜息をつく。

 

「そんなのじゃないの。ちょっと考え事をしていて。」

何だか浮かない顔をして、クローゼは一旦柵から離れてから近くの木陰のベンチに腰掛ける。俺達公認、長話専用の(ベンチ)だった。

 

「さっき、お祖母さんに呼ばれたの……………。」

 

「(は、はあ。)」

そう言ってクローゼは淡々と話しだした。ホント、浮かない顔で。

 

 

 

 

 

 

~三十分前~

 

 

 

私は、突然お祖母様からの手紙を受け取った。城内は広いから、連絡は口頭か、もしくはこんな風に手紙でやり取りしている。でも、お祖母様からこんな風に呼ばれることはあまりないし、とても驚いた。

 

―――――――――クローディア。あなたに話したい事があります。女王宮まで来てください。

 

手紙にはそれだけ書かれていた。随分と短い文面だった。

 

「(どうしたんだろう。筆跡もちょっとだけ乱れているし、急ぎの用事なのかしら………。)」

 

私はというと、特に用もなかったし、急いで女王宮に向かった。そしてお祖母様がよくいらっしゃる女王宮裏のテラスへの扉を二、三、ノックした。

 

「お祖母様。私です。クローディアです。」

 

「お入りなさい。」

穏やかな声が返答として返ってくる。私はそっとテラスのドアを開けた。

 

「失礼します。」

テラスに入ると、眼下のヴァレリア湖から流れてくる潤いのある空気が私の顔を撫でた。そして、湖の向こうをじっと眺めていたお祖母様が、振り返った。こうやってただ湖を眺めるのは、お祖母様の趣味の一つだった。

 

「待ってましたよ。クローディア。」

 

「あの、珍しいですね。こんなふうに呼び出されるなんて。えっと、私、どんな用件で呼ばれたのですか?」

私がそう言うと、お祖母様はさっきまでの温和な顔が厳しげな表情にガラリと変わった。私は思わず身を固くする。

 

「手紙にも書きましたが、貴女に一つ、言わなくてはならない事があります。」

 

「は、はい。」

 

「以前からいつ貴女に伝えようか迷っていたのですが……………もう、向き合うのに早すぎるという事はないでしょう。」

向き合う?……………何の事だろう。お祖母様がそこまで迷っていたという事は、かなり重要な用件には違いないけれど……………。

 

「では単刀直入に聞きます。貴女には、次期リベール女王としての覚悟はありますか?」

 

「!……………え?」

思いがけない言葉に、私は驚きを隠せなかった。お祖母様は続けて言う。

 

「これはここだけの話ですが、私はこのリベールの王位を貴女に譲ろうと考えています。貴女はまだ若輩ですが、私にはその奥に光るものがあると思っているのです。」

 

「………………。」

 

「しかし、二代に渡って王位に女王が就くことには、おそらく国内からも多くの反対があるでしょう。もしかすると、保守勢力がそれに対抗して別の人物、おそらくはあのデュナンを王に推すかもしれません。余計なトラブルを防ぐためにも、この事はまだ公にするつもりはありませんが………それでも、覚悟という物をしておいて欲しいのです。」

 

「………………。」

 

「貴女の事です。多分すぐには答えられないでしょうから、答えが出たら、また私に伝えなさい。いつでも待ってますよ。」

頭の中は真っ白だった。自分の遥か頭上で、いくつもの言葉がふわふわと漂う。

 

「………はい、わかりました。失礼します。」

なんとかその二言だけを言い、私はテラスから出て行った。

でも、出て行った後も、それから数時間経っても、お祖母様に言われた事が、どうしても、頭から離れなくて……………気づいたら、私はこの庭園に来ていた……………。

 

 

 

 

 

 

「(な~るほど。要はいきなりそんな大層なことを考えろって言われて、ビビっちまっんだな?)」

俺は納得して言った。そりゃビックリするわな。王族とは言っても、クローゼはただ城の中で勉強して、つまりはぬくぬくと生活してるって事以外は、フツーの十五歳の女の子と同じだ。真面目なクローゼの事だ。無駄に真剣に考えて頭がごっちゃになってるに違いない。

 

「私だって、その事は普段から考えていたつもりだった………いつかは向き合わなければならない事だもの。でも、そうだったんだけど……改めて言われると…………やっぱり私、ちゃんと考えていなかったみたい。」

はあ、とまたため息をつくクローゼ。

 

「(ふ~ん。でもクローゼって女王様とか向いてそうだけどな。頭だっていいし、性格も俺みたいにチャランポランしてないしさ。少なくてもあのデュナンとかよりは向いてると思うよ。)」

デュナン公爵というのは、本名デュナン・フォン・アウスレーゼ。あの名君で有名な現女王アリシア二世の甥であり、クローゼの小父に当たる人なんだが……………一言で表せば、『馬鹿』だ。柔らかく言うんなら、『放蕩者』のほうがいいかな?

見た目はおかっぱヘアのオジサンで、普段は自分の部屋で劇画雑誌読みながらドーナッツ食ってばかりで、酒癖が悪くてすぐに城付きのメイドに絡んで…………とまあ挙げればキリがないんだよなあ。なんであんなのがいきなり王族として生まれ出てきたのか。俺の中では世界七不思議の一つだ。

 

「ジーク。小父様も王族なんだからそんなこと言わないの。」

 

「(はいはい、わかってますって。)」

やれやれ、女王の覚悟、か。厄介な家に生まれついたもんだねえ。クローゼのやつ。

 

 

 

 

 

 

ジークと別れた後も、女王宮にある自分の部屋に戻りながらさっきお祖母様に言われた事が頭の中を回っていた。

小さい頃から、私はこのリベールの女王として毅然と振舞うお祖母様をずっと見てきた。二大大国の再三の圧力にも屈せず同等の地位を保ち、先代から始まっていたオーブメント技術の研究を積極的に支援してリベールの技術大国化に貢献し、それでいてリベールの民達の事細かな生活状況までしっかり把握して、各地からの請願にも的確に答えられていた。

とても、それはかっこよかった。リベール国民の誇りでもあり、憧れでもあった。それは私も同じ。こんなすごいお祖母様を持てた事が、嬉しかった。

 

私が………王になるという事は、お祖母様の存在に取って代わるという事。リベールの誇りの象徴になるという事。でも……………

 

「(私には……そんな覚悟は………………。)」

 

あまりにも、お祖母様の存在が大きすぎた。

 

「(今の私には、知識も、経験も、何もかもが足りないのに…………。私にそんな事ができるんだろうか?)」

 

考えただけで、背筋を凍えのようなものが襲った。

避けられない、逃げられないものが迫ってきている。それが、とても強く感じられた。

 

 

 

 

 

~数日後~

 

 

その夜、一人の客人がグランセル城を訪れた。アリシア女王はその客をクローゼにも紹介したいと言い、城の応接間にクローゼを呼び出した。

 

 

 

「お祖母様、クローディアです。今参りました。」

 

「来ましたか。さあ、こっちへいらっしゃい。」

彼女がアリシア女王に招かれるままに行くと、女王の脇には豊かな髭を蓄えた老人が座っていた。彼はクローゼの姿を認めると、席から立ち上がってそっと会釈をした。

 

「クローディア殿下。しばらく会わぬうちに大きくなられましたな。」

 

「あ、あなたは、王立学園のコリンズ学園長……?」

 

「おお、覚えてくれて光栄ですぞ。」

コリンズ学園長、ルーアン地方にあるジェニス王立学園の学園長を長年務め、アリシア女王の相談役も務める人物である。賢人として国内でも広く知られており、アリシア女王の相談役としてたまにグランセルを訪れるので、クローゼも前から顔見知りだった。

 

「実は、コリンズ殿にはクローディアに関わる事で来てもらったのです。そこにお座りなさい。」

クローゼは女王の脇の空いた椅子に座った。自分の事、一体何だろうと思っていると、初めにコリンズ学園長が口を開いた。

 

「殿下。実は先日、陛下から相談を受けましてな、クローディア殿下。突然で申し訳ないが、あなた様は、我が王立学園に入学してみる気はございませんかな?」

 

「……………え?王立……学園?」

 

「はい。ルーアン地方にある『ジェニス王立学園』です。名前はご存知かと思いますが……。」

 

「は、はい……リベール王国でも名門中の名門の一つだという事は。でも、な、何で私が………?」

思いがけない事でしどろもどろするクローゼに、アリシア女王は、

 

「何も驚くことはないと思いますよ。あなたももう十五歳。タイミングで言えば何らおかしくはありません。いくらユリア殿に毎日色々なことを指導してもらっているとはいえ、学校という違う場で学ぶのもあなたにとって良い刺激になると思いますが。」

もっともらしく、言った。

 

「ええっ!で、でも……。」

それでもクローゼが食い下がると、アリシア女王が続けて言う。

 

「……クローディア。私が数日前に言ったこと、覚えていますか?」

 

「!!……………は、はい。」

 

「私は、あなたに足りないのは経験だと思っています。去年は私の国内視察の際にあなたも全国を回りましたが、視察という形だけではとてもその土地土地の事などわからないものです。王族としてではなく、一リベール国民として色々なものを見てみるのも、あなたにとって良いと思いますよ。」

 

その時、彼女は悟った。これも女王の配慮の一つだと。しかしその場で答えを出すほどの時間も、勇気も彼女には無かった。

「…………すみません、もう少し考える時間を頂けませんか?」

 

「構いませんよ。考えが固まったら、いつでも言いなさい。」

 

「…………わかりました。失礼します。」

そう言って、彼女ははその場を後にした。

 

 

 

 

彼女が部屋から退出してから、学園長が先に口を開いた。

 

「陛下、よろしいのですか?クローディア殿下は普段あまり人前に姿をお見せになられませんし、そこからいきなり学園で寮生活をさせるというのは、流石にあのしっかりなさった殿下でも負担になるのではないかと思ったのですが。」

 

「構いません。あの子には少し過保護にしすぎたところもありますから。それに、あの子には、早く自分の足りていない所に気づいてもらわないと。そうでないと、確実に将来あの子自身が後悔する事になるでしょう……………。」

彼女はきっぱりと言い切り、グラスに口をつける。そして小さく、ホッ、と息を吐いた。

 

「そうですか……しかし、あと一年は待ってもよろしかったのではないかと………。」

 

「それは、どういう事ですか?」

 

「実は、王立学園に入学するには……………。」

 

 

 

 

 

 

 

~女王宮、クローゼの部屋~

 

 

自分の部屋に戻っても、頭の中は全く整理がつかなかった。それどころか数日前の『あの話』の事までが浮かんできた。私は近くの椅子に腰掛けて、ジークが入れるようにいつも少し開けている窓の方をぼおっと眺めた。隙間から夜中の冷えた風が入って来、顔を優しく撫でていった。

 

「学校…………か。」

そんな事、考えてもみなかった。城の奥で育ち、リベールでは大抵の子供達が行くという日曜学校には通っていなかった私にとっては、学校は未知の存在で、また、多分叶わないであろう憧れでもあった。立場上、あまり同年代の人とも触れ合うこともできなくて、心のどこかでは寂しく感じていたのも確かに事実。今まではそんな寂しさも、ジークが一生懸命埋めてくれていた。

でも…………でも、私の中では、それとは別の感情があった。もっとも昔の私ならそうだったかもしれない。お祖母様の言葉がまた脳裏に響く。

 

――――――――――貴女には、次期リベール女王としての覚悟はありますか?

 

お祖母様らしい、無駄のない一言。でも私にとってこれ以上、強く迫られる言われ方はない。

 

「(お祖母様は、私に独り立ちをして欲しいと思っているのかもしれない。城の白壁しか知らない私に、ほんの僅かでも世の中を知ってほしいのかもしれない。)」

私は、経験も、そしてもちろん実績もない。もしそんな私が突然王位に就いたりなどしたら………その反発は計り知れないだろう。だからこそお祖母様は、私に城から出ることを勧めた……………それは何となく解った。

お祖母様も今年で五十九。国民にはいつでも変わらず気丈な姿を見せているけれども、度重なる政務が身に堪えるようになっているはず。お祖母様が急ぐのも当然だ。

 

「(私は今まで、自分がいつかリベールの女王となることを考えないようにしてきた。怖いから。このリベールの王になるという、とてつもなく大きな重圧に自分を置きたくなかったから………。こうなる事はとっくに予想できたはずなのに…………私は何もしなかった。怠けていた。)」

小さく開いた窓の外から、月影が入り込んできた。彼女の足元がぼんやりと照らされる。

 

「(ううん。違う。私は考えていたのかもしれない。ただ、漠然とだけれど。確かに、そうする事で私は重圧から逃れられた。わたしは、ただそうなるんだろうと思って、流され続けていた。)」

窓の外の月に雲がうっすらとかかり、少し部屋が薄暗くなった。

 

「(でもそれは、ただ逃げている事にしかならない。もしこのままお祖母様に言われるままに、女王になるための経験を積んだとしても、そしてこのリベールの女王になったとしても、それでは、お祖母様のような、このリベールを支える大きな柱にになれるわけがない。自分の意志も何もなく、ただ流されるのみで毎日を過ごしてきた私には。それは………………本当の私じゃない。自分で考えて、なろうと思った私じゃない………それは、王位継承権第一位・クローディアという名に乗っただけの、空っぽの私でしかない……………!)

 

「……ダメ。それじゃいけないっ!!」

思わず声を上げて叫んだ。我慢が出来なかった。誤魔化し誤魔化し生きてきた、この数年間に。

 

「私………馬鹿だ……………。」

そして私は座ったまま身を屈めて、声も上げずに泣いた。しかし後から思えばそれも泣いたと言えるかどうかわからない。固く拳を握り、頭が熱を持ったように感じたから、その時はそう思った。

 

 

 

しばらくの間、そうしていた。窓から入る風が相変わらず顔を優しく撫でていく。すると、

 

―――――――――逃げては、いけない。

 

そんな言葉が、フッとよぎった。

 

「(……………もしかしたら、これも良い機会かもしれない。そうだ。誰にも、何にも頼ってはいけない。もちろん王族という身分にも。そして次期女王候補という自分にも。そんな物に、縛られてはいけない。私が、本当の私になるために。私は、自分の足で歩んでいく……………!)」

私が椅子から立ち上がった時、月明かりは雲に隠れ、すっかり見えなくなっていた。

 

 

 

 

 

 

~翌日、グランセル城玄関大広間~

 

 

朝、クローゼが階段を下りていくと、忙しなく足音が背後から近づいてきた。

 

「で、殿下!」

突然名前を呼ばれ、振り返ると、ユリアだった。

 

「な、何?ユリアさん。そんなに取り乱して。」

 

「王城内を走った無礼をお許し下さい。しかし、これだけは確認させて頂きたく思います。」

 

「え?何の事でしょうか……?」

 

「先程部下から聞きました……………あなたが、ジェニス王立学園に入学するというのは、本当の事でしょうか?」

ユリアが至極深刻そうに尋ねたのとは裏腹に、クローゼはプッと吹き出すように笑った。笑いを堪えるのに必死になりながら彼女は答えた。

 

「……なあんだ。その事でしたか。はい。さきほどお祖母様にも伝えました。」

 

「あ……そ、そうですか………。本当だったのか……………。」

尻すぼみに声が小さくなり、黙り込んでしまうユリア。

 

「(ついにクローゼも私の元を離れる時が来てしまったのか……。陛下から殿下を託されて九年、ここまで立派に成長なさって、長くお仕えした甲斐があったものです………。)」

ユリアは感慨深そうにボソボソ呟いた。すると気遣うように聞いた。

 

「ユリアさん……?」

 

「……はっ。し、失礼しました。しかし、クローゼ様。ジェニス王立学園は言わずと知れたる難関校です。今からだと途中編入となりますし、さらに厳しいでしょう。勉強、頑張らなければなりませんよ。」

 

「はい。わかっています。でも、私、諦めるわけにはいかないんです。私自身のためにも。だからユリアさん。私に少しだけで良いですから、協力していただけませんか?」

ユリアは、今までと違いクローゼの眼にいつになく強いものが宿っていることに気づいた。

 

「(そうか、彼女も本気のようだな。)…………わかりました。全力で協力させていただきます!」

 

「はい!よろしくお願いしますね!」

 

 

 

 

二人が笑顔で協力を誓い合っていると、突然、

 

「フィリップ!フィリップ!どこにおるのだ!」

城内全体に響きそうな大きい声が聞こえてきた。自分達の足元からおどおどした数人の話し声もする。

 

「あら、あの声は……………。」

二人が階段から下を覗き込むと、声の主がわかった。厨房の扉が乱暴に開かれ、なぜか寝間着のデュナン公爵がヨタヨタ歩きながら現れた。

 

「フィリップ!早く出てこんか!」

 

「…………閣下、申し訳ございません。少々公務が立て込んでおりまして…………」

現れたのは、白髪の男性だった。彼は何度も頭を下げていたが、不思議と媚びへつらっているようには見えなかった。

 

「そんなことはどうだっていい!フィリップ!今すぐエーデル百貨店に行って来るのだ!」

 

「は………百貨店、でございますか?」

 

「わしのドーナツがなくなったのだ!さっさと買って参れ!」

足を踏み鳴らして怒鳴り散らすデュナンだったが、フィリップの方は落ち着いていた。

 

「閣下、畏れ入りながら申し上げますが、確かドーナツは一日三つまでとお決めになっていらしたはずですが…………」

 

「ん、そうであったか?………まあいい、とにかく今わしはドーナツが食べたいのだ!」

 

「後、城内を歩くときはきちんとした御服をお召しになって頂かないと……………」

 

「えーい!フィリップ!最近小言が多いぞ!いいから早くドーナツを買って参れ!」

 

「は、は!ただいま…………」

 

そう言って、フィリップはせかせかと城の外へ出ていった。クローゼ達は、それらの光景を苦笑いをしながら見つめていた。

 

「えっと…………小父様も困ったお方ですね………。」

 

「はい。私どもの立場ではあまり申すことはできませんが、臣下としてみてももう少し公爵閣下にはしっかりして頂きたいですね…………。」

 

 

 

 

 

 

それから編入試験の日まで、クローゼはユリアにみっちりと勉強させてもらった。もともと普段からユリアに知識や教養をきちんと学んでいたので、受験勉強とはいえ、彼女にとってはあまり負担にはならなかったようだ。

そして編入試験当日。試験といっても、王城にコリンズ学園長自ら問題を持参し、王城で受ける出張試験だった。ユリアやアリシア女王の心配をよそに、無事に彼女は試験を終えた。

 

数日後、クローゼのもとに王立学園編入試験合格の通知が届いた。

 

 

 

 

 

ジェニス王立学園は寮制のため、登校日の前に先にルーアンに行くことになった。その前日、クローゼはユリアとともに荷物の確認をしていた。

 

「ええと、着替えはここだから……。うん。大丈夫。」

 

「終わりましたか?もう三度目の確認ですが……。」

 

「ちょっと、というかだいぶ緊張してしまって。これでも本当に大丈夫か心配です……。」

 

「ふふ、無理もありませんね。私も初めて士官学校に入学する前日は眠れませんでしたよ。」

 

「あはは、ユリアさんにもそんな時があったんですね。」

ユリアもはは、と笑ってふと立ち上がり開け放たれた部屋の窓辺に立った。

 

「クローゼ。私は、私が教えられることはすべてお教えしたつもりです。勉強や礼儀作法だけでなく、剣術や戦術オーブメントの使い方もです。私はアルセイユに付いていなくてはならないので、あなたのそばに付くことはできませんが…………あなたなら、一人になってももう大丈夫でしょう。」

 

「そう言えばユリアさんはあのアルセイユの艦長を務めるんでしたね。…………大丈夫です。もうあの時、九年前とは違います。もう私は………自分で自分の事を守れますから。」

 

「わかりました。では、後はそこで見ているジークに任せましょう。」

 

「え………。」

そう言った間もなく、窓の外から急にジークが現れ、狭い部屋の中で巧みに方向転換してユリアの腕にとまった。

 

「(ちいっ。ばれたか。最近ユリアも敏感になってきたよな~。)」

 

「もう、ジークったら。盗み聞きなんてしなくたっていいのに。それに、ユリアさんも毎日鍛錬しているんだから。昔とは違うわよ。」

 

「(はあ、昔はユリアもからかいがいがあって面白かったのに………。) 」

 

「ジーク。私がいない間、クローゼの事を頼んだぞ。」

ユリアはそう言いながらジークの頭を撫でてやると、彼は身をぶるっと震わせて窓辺に戻った。

 

「(ふ、ふん。親父みたいなこと言いやがって。言われなくてもわかってますよ~だ。)」

 

「ふふ、わかってるそうですよ。」

 

「では、私からはもう何も言うことはありません。クローゼ。本当にお気をつけて……。」

 

「はい……!」

 

ちょっとだけしんみりした空気になったところで、またジークがバタバタと部屋の中を飛び回る。そして今度はクローゼの肩に乗った。

 

「もう、さっきから落ち着きがないのね。ジーク。」

 

「(なんだよ。気分を紛らわせただけさ。そういえばさ、学校ってクローゼの年で入れるモンなの?)」

 

「へ?」

 

「(ほれ、学校に入学できるのって十六歳からだろ?クローゼまだ十五歳じゃん。)」

 

「ああ、その事ね。」

 

「………失礼します。ジークは何と?」

ユリアが首をかしげ尋ねる。クローゼが通訳すると、

 

「……………。」

何故か、ポカンとした顔をした。

 

「……あ、あの、もしかしてユリアさん、知らなかったんですか?本当は後一年待たなければならないんですけど、お祖母様の計らいで特別に飛び級させて頂く事になったんです。」

あんぐりと口を開けるユリア。それからすぐにジークがカラカラと大笑いした。(少なくてもクローゼにはそう聞こえた。)

 

「(クックック……………そっか、ユリア、知らなかったのか。ププッ………ユリアの弱みゲット~!)」

 

「………クローゼ。ジークの奴から悪意のようなものを感じるのですが。」

 

「そ、そんな事、ないと思いますよ。あ、あはは……………。」

流石に、通訳ができなかったクローゼであった。

 

 

 

翌日、クローゼはグランセルを後にした。髪型が違うお陰で街中でも気づかれず、難なくルーアン行きの定期飛行艇に乗り込めた。

船が出発する時、彼女は窓の外をじっと見つめていた。ぐんぐんと街並みが遠さがっていき………王城と、その真後ろのヴァレリア湖がちらりと姿を表したところで、船は雲に入り、外は一瞬のうちに灰色の波で覆われた。

 

「(………またね。グランセル。)」

小さく呟いた彼女は足元に目を伏せると同時に、窓のカーテンをサッと引き閉めた。

 

 

 

 

 

 

 

~クローゼの王立学園登校日~

 

 

 

その年は遅い春であった。マノリアの花も少しづつ咲き始めて気だるい春に微睡む中、ジェニス王立学園にもまた、遅れて足を踏み入れる者がいた。

 

学園の門の前、ジェニス王立学園の白を基調とした可憐な制服に身を包んだクローゼは、ふうと一つため息を吐いた。

 

「(ここが、『ジェニス王立学園』………。)」

歴史のありそうな深緑色の門を見上げるクローゼ。門の隙間からは、花々が植えられて広々とした校庭と、その奥にある、薄茶色のレンガ造りの校舎が姿を覗かせている。

 

「(ここに来たら、もう私は何にも頼れない。王族という身分にも、『アウスレーゼ』という名にも。私は、『クローゼ・リンツ』。私は、自分の足で歩いていく………!)」

もう一度大きく、深呼吸をした。

 

「よし……!」

そしてクローゼは学園の門を開き、始めて学園の校内に足を踏み入れた。

 

 

 

 

 

クローゼは緊張しながらゆっくりと校舎に歩いて行った。それを、何故か屋根の上から見つめる者が、一人いた。

 

「……ほーお…………あれがウワサの編入生、ね。」

よれよれの制服をだらしなく来たその青年はボソリと呟く。すると、彼の頭上を白い影が素早く通り過ぎていった。

 

「ん?……鷹……?」

それは一声鳴いてから森の中に消えていった。

 

「いや、ハヤブサか……。」

青年はニマリと笑い、屋根の上にゴロリと寝転がり、目を閉じた。


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