オグリキャップの引退から数ヶ月後。厳しかった冬も過ぎ去り、麗らかな春の陽射しと共に暖かい風が優しく吹くようになったある日、トレセン学園の生徒会室にて数人のウマ娘達が思い詰めた表情を浮かべながら集まっていた。
シンボリルドルフ、エアグルーヴ、ナリタブライアン、ヒシアマゾン、フジキセキ。生徒会メンバーに寮長2人という何とも豪華な面子が揃って何をしているのか。それは彼女達が囲うようにして机の上に置かれている1枚の紙面が原因だった。
そこには【セクレタリアト、日本へ来たる!!】という大きな文字と共にセクレタリアトの写真が見出しに飾られていた。
「……さて、本日諸君らに集まってもらったのは他でもない、セクレタリアトについてだ」
重苦しい空気に包まれた生徒会室の中、静寂を切り裂くようにしてシンボリルドルフが口を開いた。
「単刀直入に聞こう。彼女の目的はなんだと思う?」
紙面にトンと指を1本立てて強調しつつ、シンボリルドルフがそう聞くと全員が悩ましい表情を浮かべた。
数ヶ月前、オグリキャップの引退があった日にタイキシャトルから言伝で知らされたセクレタリアトの留学。それを最初シンボリルドルフ達は冗談だと思っていた。
セクレタリアトは誰もが知る全米一のスターウマ娘だ。その人気っぷりは凄まじく、テレビやモデルだけでなく映画や舞台と多種に渡る仕事を常にこなしている。
彼女は1度受けた仕事は必ず成し遂げる仕事人であることは周知の事実であり、そんな多忙の人物が日本へ来るなんてどう考えてもありえないことだった。
だが、そんなシンボリルドルフ達の考えと反してセクレタリアトは少ししてから休業することを発表し、記者会見を開いてマスコミ達に以下のコメントを残した。
『私はこれまで皆様の期待に応えるために一生懸命レースや仕事を頑張ってきました。しかしながらそもそもの話として私の身分は学生であり、本来ならば学業に専念しなければならない立場です。私の家族も勉学に励ませるために学園へと入学させたのですから、その思いに私は応えたいのです。しかしそうなると仕事と学業の両立は非常に難しい為、一考した結果、今受けている仕事を全て終わらせた後に卒業するまでの間だけ休業するという決断に至りました』
ウマ娘と言えど普通の人間と同じ権利は全世界共通で与えられている。ゆえに、彼女の言っていることは間違ってはいなかったが、アメリカの大スターがその発言をしたことで各地で物議が醸されることとなった。
同じウマ娘や未成年の子を持つ親として彼女を擁護する者も居れば、スターとしての責任感が無いとしてここぞとばかりに叩く者も居る。
突然の出来事に誰も彼もが大混乱となり、その混乱を巻き起こした張本人であるセクレタリアトの住まいや通っている学園に日夜マスコミ達が新たなコメントを求めて押しかけたらしい。
それを受けてセクレタリアトは事務所を通して抗議文を出し、これ以上周りに迷惑を掛けたくないと思ったようで今通っている学園から知り合いの通う日本のとある学園へと留学する意向を発表した。
世間的にはどこの学園に通うかまでは明かされなかったが、アメリカのスターが他国に行ってしまうという事実に、流石にやりすぎたマスコミは彼女のファン達を含め大勢の一般人からも迷惑で非常識な行動として白い目を向けられ、マスコミ達は今も肩身の狭い思いをしているらしいが……まぁそれは置いておくとして。
世間は知らずともシンボリルドルフ達は知っている。なにせ、セクレタリアトの友達であるタイキシャトルから知らされたし、トレセン学園の理事長からも直々に留学してくることをつい最近伝えられたからだ。
「この状況、私から見たらどうにも作為的としか思えない」
「と、言うと?」
シンボリルドルフがそう告げると、ナリタブライアンが興味深そうにしつつ言葉の先を促した。
「彼女が日本に留学すると発言したのは休業を発表した後だが、私達はタイキシャトルからそれよりも以前の段階で日本へ来る旨を知らされていただろう? つまり、彼女は日本へ来るためにこの騒動を起こしたんじゃないかと思えてしまうんだ」
「いや、それはどうなんだ?」
シンボリルドルフが自分の推測を語ると、ヒシアマゾンが疑問の声を上げた。
「別にこんなやり方しなくたって、日本に留学するなら方法はいくらでもあるだろ? わざわざこんなめんどくさい騒動起こす必要なんてねーじゃねぇか」
「そこなんだ。私にもそこが分からない」
そう、ヒシアマゾンが語った通り、日本に留学するのであれば幾らでも穏便な方法は取れるのだ。
セクレタリアトと比べれば量は違うかもしれないが、シンボリルドルフもまたレースを引退した後は三冠ウマ娘として生徒会長の仕事とテレビなどの仕事で追われる多忙な日々を送っている。
それ故に、セクレタリアトの忙しさも少しは理解出来るのだが、如何に仕事で忙しいとはいえちゃんと話を通せば仕事はどうとでも調整はできるはず。なのにそれをせず、こうして騒動を起こす理由というのがシンボリルドルフ達には皆目見当もつかなかった。
「案外、仕事が忙しすぎて嫌になっていたとかは?」
「ふむ、無いとは決して断言できないが……彼女は記者会見で卒業したら仕事に戻ることを明言していた。仕事が嫌なら辞めればいいのに、それをしないのだから恐らくそれは無いに近いだろう」
「なら、やはり本人の言う通りに学業を専念したいと思ったからでは?」
「ならばわざわざ日本に来る必要は無い。マスコミが騒ぐというのであれば、暫く自宅謹慎してから学園に通うなり転校するなり方法はある」
推測を上げては消えていく。セクレタリアトが日本に留学する目的がどうにも明確にならない。
「……私達の実力が知りたい、とかはどうだ?」
誰も彼もが頭を悩ませている中、ナリタブライアンがポツリと呟いたその言葉は全員に聞こえた。
「ブライアン、どういうことだ?」
「セクレタリアトが日本に留学する意志を見せたのはオグリキャップが引退した時だ。なら、彼女がオグリキャップの引退レースを見て日本のウマ娘に興味を持ち、その目で実際に日本のウマ娘の実力を測りたいと思った……そういう考えもあるんじゃないか?」
「なら、あんな騒動を起こした理由はどう考える?」
「目で見るだけじゃ分からないこともある。私達ウマ娘は実際に走ってみないと実力が見えてこない奴も居る。だから、学業を口実にして仕事を休み、十全な体制で私達に模擬レースのような勝負を仕掛けるつもりじゃないかと私は思う」
ナリタブライアンの推測を聞き、シンボリルドルフ達はその考えを一様に切り捨てることは出来なかった。
「それなら話は通る……のかな?」
「いや、本当にセクレタリアトがオグリキャップの引退レースを見てるかどうかは怪しいところじゃないか?」
「だが、別に日本のウマ娘に興味を持つなら他のレースでも名勝負はいくらでもある。その中の1つでも偶然見たとしたら充分に考えられるだろう」
先程までと一転して、盛り上がりを見せ始める会議の様子を見つつ、シンボリルドルフは1人口を閉ざす。
(本当にそうなのか? 私達と勝負をしたいと、あのセクレタリアトが望んでいるのか……?)
シンボリルドルフとセクレタリアト。同じ三冠ウマ娘同士であれど、ウマ娘レース後進国である日本とウマ娘レース先進国であるアメリカではその名の重みが違ってくる。片田舎の三冠と世界の三冠ではまるで意味が違うだろう。
だが、シンボリルドルフは世界でも通用するウマ娘であることを本人も自負している。その実力は決してセクレタリアトにも引けを取るつもりは無い。
もしも本当にセクレタリアトが勝負をしたいというのであれば───
「受けて立とう。『皇帝』の名に懸けて逃げはしない……!」
誰にも聞かれないように小さく呟き、されど胸の内に焦がす闘志は天を焦がす勢いでどこまでも大きく膨れ上がらせる。
そこに居たのはトレセン学園の生徒会長ではない。見果てぬ強敵との勝負に燃える『皇帝』シンボリルドルフの姿がそこにはあった。
◆◆◆
そしてその日。そのウマ娘はとうとう日本の地へと降り立った。
【ん〜! やっぱ日本の空気はいいなぁ!!】
空港から出てきた一際体格のデカい赤みがかった栗毛のウマ娘。擦れ違う人々が思わず振り返ってしまう程の美貌を持つそのウマ娘を見間違える者は誰も居ない。
「おい、アレってセクレタリアトじゃね!?」
「うっそ、本物!?」
周囲のざわめきも気にせず、そのウマ娘───セクレタリアトはその手に荷物を持って歩き出す。
【いやぁ〜なんだろうな、日本がめっちゃ久しぶりすぎてテンション上がりまくるなぁ!!】
鼻歌を歌いつつルンルン気分で歩く彼女に何人かの人々が話しかけようとするが……そのすぐ近くに居る黒スーツ姿のスキンヘッドの大男を見て後ずさった。
【……また前世の話か?】
【おうよ。トレーナーには前にも話したけどよ、やっぱ元が日本人だからいざ母国に帰ってくると何か落ち着くっていうか、嬉しいんだわ】
【……お前の母国はアメリカだぞ】
【魂の母国だ】
見るからにセクレタリアトのボディーガードだと周りから思われているその寡黙な男、実を言うとセクレタリアトの専属トレーナーであった。
名をクリストファー・チェネリー。セクレタリアトが生まれた時から一緒に居る、いわばセクレタリアトにとって父親同然の男であった。
【さて、どっから行こうかな〜! 折角日本に来たんだから色々と行きてぇなぁ〜!!】
【……16時までには学園に到着する必要があるからな】
【分かってるって。ガキじゃあるめぇし、ちゃんと時間は守るわ】
タクシー乗り場でタクシーを捕まえ、荷物をトランクに詰め込んでセクレタリアトとトレーナーはタクシーに乗り込んだ。
タクシーの運転手は最初、抜群のプロポーションと美貌を持つセクレタリアトと黒スーツでどう見てもカタギには見えない大男の組み合わせに目を白黒させたが、ベテランのプライドで精神を立て直した。
「お客さん、どちらまで?」
運転手がそう聞くと、セクレタリアトは流暢な日本語でこう答えた。
「とりあえず秋葉原までお願いします」
このウマ娘、遊びまくる気満々であった。
◆◆◆
「おかえりなさいませご主人様!」
秋葉原にあるとあるウマ娘メイド喫茶店。そこに少女は今日も来た。
「は〜〜〜〜〜やっぱりここは天国ですなぁ!」
店の中で働いているメイドの姿をしたウマ娘達を恍惚とした表情で眺めている大きなリボンがトレードマークのウマ娘。名をアグネスデジタル。
ウマ娘を目当てに日本一と名高いトレセン学園に入学するほどの真性のウマ娘オタクである。
「あ〜~〜~~今日も皆可愛いよぉ♡」
ヨダレまで垂らしてメイドさん達の一挙手一投足に至るまでジッと見ているアグネスデジタルの姿は控えめに言って不審者以外の何者でもないのだが、お金を払っている上に何回も店に通っている常連客ということで耐性の付いているメイドさん達は華麗にスルーしていた。
色んなお客さんで店内が賑わう中、チリンチリンとベルを鳴らしながら店の入口のドアが開き、新たな客の到来を知らせる。
「おかえりなさいま……せ?」
(受付さんの困惑した声ッ!?)
受付に居たメイドさんが声を掛けようとして、その言葉が途中で止まったのが声音からして困惑しているのが原因であることを一発で察したアグネスデジタルは咄嗟に入口の方へ視線を向ける。
メイドさんを困惑させるとはどんな客が来たのかと見てみれば……そこには何かのアニメのキャラクターを模した派手なサングラスに帽子を着けた赤い栗毛のウマ娘と大男が立っていた。
「2名です」
「あ、はい! 只今ご案内致します!」
いつものメイド口調も消え、思わず普通のウェイトレスのような接客をしつつ受付が席を案内すると、その2人は堂々と店の中を歩いて席へと座った。
周りの客とメイドさん達はなんだアイツら? と言わんばかりに困惑した様子で視線を向けていたが、アグネスデジタルだけが目を見開いて驚愕していた。
(せ、せせせ、セクレタリアトォ!!!!????)
あの体格、あの髪の毛、なによりあの声。如何に奇抜な格好をしていても、真性のウマ娘オタクであるアグネスデジタルには彼女が何者なのかすぐに分かってしまった。
だからこそ驚愕。だからこそ困惑。あのセクレタリアトがメイド喫茶店に居る。しかもめっちゃ変な格好で。それっていったいどういうことだってばよ? と、アグネスデジタルの脳内は混乱の極みにあった。
【……おい、日本にまで来てお前のやりたいことはこんなことなのか?】
【勿論本命はちげぇけど、折角日本に来たならやっぱりこういうの堪能してぇじゃん?】
【……アメリカにも同じのはあるだろ】
【それはそれ、これはこれってやつだ。なんだよ、別にそんな怒んなくてもいいじゃんか】
英語で話す2人の会話を耳にしつつ、アグネスデジタルは心底後悔した。英語もっと話せるように勉強しておけばよかったと。そうすればセクレタリアト達が何を話しているのか理解出来るのにと。
【というか、あんな騒ぎ起こしてまで折角めんどくせぇ仕事を全部休みにして日本に来たんだからトレーナーももっと楽しもうぜ? なんならいい所紹介するよ?】
【……余計なお世話だ。それに、お前と違って俺は遊びに来た訳じゃない。お前の体調管理と日本のウマ娘の力量を見に来たんだ】
【へいへい、相変わらず仕事熱心なこって……というか、トレーナーも日本のウマ娘に興味があったのか?】
何を話しているのかさっぱり分からん。帰ったら本気で英語を勉強しよう。アグネスデジタルはそう思った。
「おかえりなさいませご主人様! こちらメニュー表です♪ お決まりになりましたらベルを鳴らしてね♡」
セクレタリアト達が話していると、メイドの1人がメニュー表を持ってきた。
明らかに変な2人組に対して店内の同じメイドさん達からメニューを持ってきたメイドへ心配そうな目を向けていたが、そんなことなど露知らずにメニュー表を受け取ったセクレタリアトはパラッと開いてメニューの一覧を一瞥した後、すぐに閉じた。
「じゃあこのあつあつドキドキご主人様へのハートでいっぱいのニンジンハンバーグ☆とグッと苦味が染みるけど男は黙ってブラックコーヒー! でお願いします」
「はや……あ、畏まりました! 少々お待ちくださいニャン♪」
セクレタリアトのあまりにも早いメニュー決めにメイドさんはつい本音が漏れたが、すぐに口調を戻して去って行った。
【……何を頼んだ?】
【俺がハンバーグ。トレーナーはいつも昼抜いてるからコーヒーだけ】
【……助かる】
相変わらずセクレタリアト達が何を話しているのかは分からないが、それはそれとしてだ。
「あのセクレタリアトが……あのセクレタリアトが……!!」
全米のスターウマ娘が真面目な表情でメイドさんに注文するという、ある意味で一生の内にあるかないかも分からない光景を目撃してしまったことで、アグネスデジタルは思わず声を押し殺して身悶えてしまう。
普段は真面目な人物が思ってもみなかった可愛い行動を起こした時に感じる感情……いわゆるギャップ萌えによってアグネスデジタルは内から沸き起こる感情を叫びそうになっていたのだ。
【んで、話を戻すけどよ。トレーナーも日本のウマ娘に興味あったのかよ?】
【……お前がよく語っていただろう。それで興味を持ってレースを見てたりしていた】
【あー……んで、トレーナーから見て日本のウマ娘はどうよ?強そうに見えたか?】
【……何とも言えんな。レースを見た限りでは特にそこまで強そうには見えなかった。だからこそ実際に見てみたいとも思ったがな】
【なるほどな。俺は強いヤツらばっかりだと思うがねぇ。シンボリルドルフとかナリタブライアンとか、世界でも通用すると思うんだが……】
【……だがお前には勝てんだろう】
【分かんねぇよ? 勝負したら意外と負けるかもしんねぇじゃん】
(え、バトルって言った今……?)
アグネスデジタルには英語が分からぬ。されど、単語だけであれば彼女でも理解することはできた。
【……走ってみれば自ずと分かる事だ】
【まぁそれもそうか。とりあえずこの後どうする? 原宿とか行ってみる?】
【……ダメだ。これ以上時間をかけては到着に遅れが生じる。異国とはいえ日本ウマ娘トレーニングセンター学園は日本一の学園と聞く。初日から遅れるのは流石に不味いだろう。少しは余裕を持て】
【へいへい、じゃあ飯食ったらボチボチ向かいますか】
(今、ジャパンウマムスメトレーニングセンターって言った!?)
セクレタリアト達の会話を盗み聞きしていたアグネスデジタルの脳内に電流が走る。
(そういえば、セクレタリアトさんが日本に留学するって確かどっかのニュース番組で流れてたよね。どこかまでは分からなかったけど……もしかしてウチの学園!?)
聞こえてきた単語に自分の持っていた情報を繋ぎ合わせ、アグネスデジタルは推測を立てていく。
(それでさっき聞こえたバトルって言葉……もしかして、セクレタリアトさんはウチの学園のウマ娘達と勝負しに来た!?)
それが合ってるかも分からないというのに、彼女はそう決めつけてしまった。
(なんてこった……すぐに皆に知らせなきゃ!!)
間違った推測をしているという事実に気付くことなく、焦りと正義感に突き動かされた彼女は急いで店を飛び出す。
「みんな〜~~~~~~!! 大変だよぉ〜~~~~~~!!」
学園に急いで戻り、その話を広めるアグネスデジタルはまだ知らない。
それによって多くのウマ娘達の勘違いがさらに大きくなり、とんでもないことになっていくのだとこの時の彼女は知る由もなかった。
【……苦っ!!】
【あ、やっぱり苦かったか?】
……ついでに、呑気に飯を食べているセクレタリアト達も自分達の知らないところでそんなことになっているとは知る由もなかった。
たった1話投稿しただけでお気に入り登録数と評価がめっちゃ来てビビるぅ……(震え声)
皆様ありがとうございます!素人丸出しの小説ではありますが、どうかこれからも応援よろしくお願いします!
追記:アグネスデジタルがアメリカ出身ということを知らなかった為、英語を話せないという設定にしてしまいました。
作者の知識不足によってこのような事態が起きてしまったことを大変深くお詫び致します。
二次創作ということで、このアグネスデジタルちゃんは英語は出来ないというオリジナル設定でいきますので、皆様どうかご理解賜りますようお願い申し上げます。