紅茶を淹れる。なんていうのは口でいう程簡単なことではない。残念なことにこの鎮守府には茶葉に湯を注げばそれでいいと思っている様なものばかりだが、だからこそ、せめてこの私くらいは紅茶というものに対して正しい理解をもっていたい。
私は紅茶を愛している。口さがないものが体に血の代わりに紅茶が流れていると言ったところで寛容に聞き流し、こころの中でのみお前の寝顔に焼きたてのトーストを乗せてやろうかと思うだけだ。
金剛という名が、与えられた肉体が、刻まれた記憶が私にそうあれと命じるだけでなく、私自身が積み重ねてきた私自身の嗜好として、私は紅茶を愛好し、こだわるのだ。
紅茶を楽しむにはまず準備が大切だ。
お気に入りのティーセットはもちろん欠かせない。これがなければ紅茶を淹れるどころではない。ティーセットが上等なものであればある程、基本的に見た目は良くなり、その齎す気品から自然と紅茶の味も心理的味覚上よろしくなる。
とはいえ、私は艦娘として決して安くはない俸給を頂いてはいるが何しろ手に入れる流通経路に欠く。割れ物である白磁を前線まで運ぶのは容易なことではない。私一人の嗜好の為に貴重な物資の枠を圧迫するのは褒められたことではない。なので用意するのは支給のマグカップとポットで良い。
確かに上等でもないし、見た目に気品も欠けるだろう。しかし使い慣れた温かみのあるマグカップは、私に安らぎを与えてくれる。虚栄より心の安寧の方が大切だ。
これはティーセットだけでなく人生の多くのことに共通する。確かに人は虚栄を必要ともする。社会に生き社交を武器とする以上、避けては通れない。だがそんな余所行きの仮面の他に、心の安らぎとし、支えとし、糧とする、真の友がなければ虚栄を掲げ続けることはできない。
次に茶葉だ。紅茶を淹れるのに茶葉がなければ、形而上の紅茶を沸かしたての哲学で淹れ、数学的芳香を味わうことしかできない。
海軍も嗜好品に関しては苦労して捻出してくれている。内地では物資の不足もあると聞くが、何しろ我々は前線兵なのだ。士気に欠ける兵隊の脆さは、散々歴史で学んできたのだろう。
何も上等な葉でなくていい。
高望みは結局の所こころにささくれを生むだけだ。
コーヒーであれば何でもいいとばかりに薬物中毒者の様にカフェインを摂取する連中と一緒にはなりたくないが、選択肢が足りないと嘆くよりも、まだ自分には選択肢があるのだというほうが心の平穏を保てる。
私はお徳用と書かれた紙箱を開けてティーバッグを一つ取り出してマグカップに放り込んだ。
虚栄より心の安寧だ。
さて、茶葉が用意できたからといってすぐに紅茶を淹れようというのは浅慮が過ぎる。コーヒーに恐ろしい程の量の砂糖を入れて朝食代わりにするような破綻者達と同じ末路は辿りたくない。
紅茶のお供が必要だ。
古来からティータイムには茶菓子や軽食と言ったものが供されてきた。特に甘いものと紅茶の組み合わせというものは神が人類に与えたもうた文化の一つの極みと言っていい。
ケーキやスコーンがあれば嬉しいけれど、しかし洋風の焼き菓子はこの鎮守府ではなかなか手に入らない。作る技術も楽しむ気風もあるのだけれど、どうしても和風を好むものが多いから、自然とそういうものが流通する。無理に洋菓子を所望して手間を取らせるのはあまり優雅ではない。
イギリスの気風を受け継ぐからか私はチョコレートも大好きだけれど、こちらもなかなか難しい。カカオの流通量が少なくなったことであまり廉価で仕入れられず、また仕入れたものも若いものに優先的に支給されている。私も子供から奪ってまでチョコレートを楽しみたいとは思わないし、楽しめるとも思わない。
せめてショートブレットでもあればと思いながら棚を漁ると、かりんとうがありました。
まあこれでいいか。
チョコみたいに黒いし甘いしビスケットと言えばこれもビスケットでいいでしょう。
さて茶菓子も揃ったことで紅茶を淹れたいところだけれど、ちょっと待って。
ジャスタウェイ。
紅茶はただその味わいを持って紅茶としていいわけではない。紅茶を楽しむにはふさわしいシチュエーションが存在して然るべきなのだ。
例えば薄暗い牢獄で啜る紅茶と、よく晴れたバラ園で嗜む紅茶を比べれば、明らかに後者の方がおいしそうだろう。
中庭にテーブルと椅子を運び、ティーセットを広げればきっと楽しいことだろう。
私は早速正面玄関を開け放ち、これからかさばるし重いしとにかくかさばる家具を段差やらなんやらを越えて運び出す面倒を思って、扉を閉めた。
日差しはお肌の敵だし、この時期は虫も出る。一見優美そうに見える環境に騙されてはいけない。ここは自室の気安く落ち着いた環境で紅茶を楽しむのがベストだ。
場所が決めれば次は紅茶を一緒に楽しむ相手だ。人は一人で生きていくようにはできていない。艦娘もまた然りだ。二人で分け合えば苦しみは半分に、喜びは倍になるともいう。小難しいことを言わなくても、誰かと共に楽しむ紅茶は、独りきりで飲むそれよりずっとおいしいのだ。
とはいえ誰でもいいわけではない。アインシュタインが言ったように、熱したストーブの上に手を乗せている一分間と美女と一緒に過ごす一分間は同じではない。楽しい時間を過ごしたければ相手を選ばなければならない。それは自分の為でもあるし、相手の為でもある。
態々嫌いな相手、苦手な相手を選んで紅茶を共にしても気まずくて全く味などわからないだろうし、そもそも誘った所で断られて単に気を悪くするだけだろう。
さて誰がいいだろうか。私はリストアップを始めた。
まず妹たち。
比叡は確か島風に付き添って外に遊びに出ている筈だった。あの娘はあれでなかなか面倒見がいい。物を深く考えないように見えるときもあるが、察しがよく気が利いて、我が妹ながらよくできた娘だ。とはいえいないなら仕方がない。
榛名はどうだろうか。優しく、おしとやかで、何かにつけて姉を立ててくれる榛名とならきっと楽しいティータイムをと思ったけれどそもそも榛名はこの鎮守府にはいないのだった。存在しないことが逆に存在感を放つ空枠としての榛名だけがいるのだった。
霧島なら何とかしてくれると思ったが、霧島は霧島で出撃中だった。今頃暖かな南の海を敵の血で赤く染めている頃だろう。視力が低下した理由が返り血が目に入ったからとかいう理由だったからなあ。
うん。
まあ。
うん。
時には一人で静かに紅茶を楽しむという贅沢な時間の遣い方をしてみるのもいいだろう。私にはそれをする自由と時間とがあるのだから。
私はカセットコンロに笛吹きケトルをかけ、かりんとうをバリバリやりながらソファにだらりと横になった。
つけっぱなしのテレビからはドラマの再放送のさらに何度目かの再放送が流れている。すでに中身を暗記した様なものであるドラマは、しかし見るたびに新しい発見を与えてくれた。見る度に内容を忘れているしそもそもそんなに集中してみていないからだ。
こいつ誰だっけと役名と俳優名どちらにも悩みながらぼんやりかりんとうをかじっている内にケトルが鳴いた。
着た切りのジャージの裾で指を拭いて、マグカップにお湯を注ぐ。
立ち上る湯気が何だか無性に目に染みた。
私は金剛。
練度が上がり切り、他に優秀な面子がいくらでもいるので、大規模作戦が来るまで働かずにご飯を食べる艦。
悲しくもないのに涙が出てくるけれど、働かないのにお腹は空くけれど、私は今日も元気です。
ああ、早く世界滅びないかな。