僕がにこ先輩から詰め寄られてからすぐに絵里先輩は帰ってきて。数分もしないうちに希先輩も帰ってきていた。
にこ先輩は絵里先輩が返ってきたとき、不機嫌な顔をしていたが、僕は見ていないふりをした。
そこをつつくのは藪蛇だと思うし。つついてかまれるのも好きではない。
絵里先輩はすぐに料理に戻り、あっという間に出来上がってしまっていた。
食卓に並ぶあまり食べたことないロシア料理に、僕の心は踊っていた。
確か得意料理と言っていた、ボルシチとペリメニだっただろうか。美味しそうな匂いがするそれに食欲は沸いている。
席に着くと、かなりの速さで僕の隣に絵里先輩が座っていた。それに対して二人とも抗議したがっていたが、食事を作ったからという理由で諦めていた。
それに苦笑しながら、いただきますと号令をかけ食べ始める。ボルシチを掬うと鮮やかな赤色のスープと野菜や肉がゴロゴロと入っていた。
確か、先ほど買ってきたスビョークラが赤くする元だっけと思いながら食べる。トマトの酸味とビーツの甘みがうまく混ざり合ってとても美味しかった。
絵里先輩によるとビーツが入っていないボルシチはボルシチじゃないとのこと。そんなに変わるものなんだと思いながら食べる。
しかし、鮮やかな赤色だなぁ。この中に血が入ってもわからないぐらい。そう思っていた。
ペリメニは水餃子のようなもので、皮がもちもちしていて美味しかった。
しかし、ボルシチというのはとても赤くできているものだと思った。中に血が入っていてもわからないぐらい。
なんて。冗談でも思うことではなかったかなと思いながらスプーンを口に運ぶ。
満足そうに絵里先輩がこちらを向いて笑っている。しっかりと美味しいですよと、感想を言っておいた。
料理はとても満足で、すぐに食べ終わってしまった。片付けも終え、僕はお風呂を溜めに行く。
それから、団欒の時間があった。他愛のない話から、三年生でしか聞けない苦労話など。聞いていて楽しい物ばかりだった。
あっという間に時間は流れて。お風呂が溜まったことを知らせる音楽が鳴る。
僕は寝る準備もあることだし、先に譲ることにした。もちろんレディーファーストの意味も込めてだけども。
「どうぞ、お先に入ってきてください。僕は寝る準備をしてきます」
「そう、悪いわね。何だか押し付ける形になってしまって」
「いえ、大丈夫ですよ。ああ、僕の家のお風呂広いんで、三人で入っても大丈夫ですよ」
「へぇ、そうなんや。普通じゃないんやね」
「僕もそこは謎なんです。なんでか昔から大きかったんですよね。理由はわかんないんですけど」
僕が生まれた時から、お風呂は大きくて。それこそ一家で入っても全然大丈夫であった。
穂乃果ねぇ達が小学生の時、一緒に入っても全然広くて。そこが僕の家の自慢だった気がする。
大きくなるほどに謎になっていくんだけれども。でも今考えるとそこがこだわるポイントなんだろう。両親が温泉好きだし、そういうことなんだろう。
「にこ達が先に入るからって、覗かないでよ?」
「ええ、そりゃもちろん。穂乃果ねぇ達にきつく言われてますから」
そう言うと少し残念そうな顔をした。なんとも正解が見つけにくい。まるでパズルを解いているかのようだ。
頭の中がぐるぐると回っている。たけども僕の中のジュークボックスは答えの歌を歌ってはくれなかった。
「とにかく、覗いたりしませんから。ほら入ってきてください」
僕はその場から逃げ出すように二階へと上がった。お風呂場がある場所を行ってないことに気付いたけれど、どうやらわかってくれたようで。
僕が恐る恐る戻ったころには三人ともお風呂に入っていた。
四人分の布団を敷き終えたときにふと、思った。なんだかいつもの癖の様に四人分並べてしまっていた。
何だか四人分引いて一緒に寝るのがまるで習慣の様になってしまっていて。少し苦笑する。
一人分の布団を持って、リビングに卸す。そのまま、全員が上がるのを待つためテレビを見る。
どのチャンネルを回しても面白いものはやっていなかったので、僕は点けっぱなしにしたまま携帯を操作する。
アプリを起動させて、会話している内容を見る。μ'sと書かれたグループ会話にはいつもの様に会話している皆がいた。
僕はその中には入らずに少し眺めてから、携帯の電源を切る。何というか、誘われたのはいいのだが喋ることがない。
ここでも男と女の違いと言うものが分かってしまうほどに。独特の空間が出来ているものだ。
テレビを見ると、どうやらバラエティのゴールデンタイムも中盤に差し掛かっていた。華やかに移り変わる画面にめまいさえ覚えた。
「あれ、何してるん?みーくん」
「あ、希先輩。テレビを見ていただけですよ」
「いや、うちが言いたいんはそういう事や無くて。なんで布団がここにあるん?」
「ああ、これですか。いや、僕が寝る用の布団ですよ。さすがに先輩方と同じ空間で寝るのはいけないと思って」
「ええ?そんな事無いと思うけどなぁ。そんな仲間外れなの寂しいやん?」
「いや、寂しいって……そういう事じゃないんですけど」
なかなか理解してくれない。何というか論点がずれているというか。
そんなことをしている内に二人がやってきた。
「あら、何してるのかしら」
「あ、絵里先輩ににこ先輩」
「えりちも寂しいやんな!」
「い、いったい何のことかしら?」
戸惑っている。そりゃそうだ。僕は一から説明することにした。
説明しているうちに少しずつ顔色が変わっていた。
「それは駄目よ。湊。別々なら泊まりに来た意味がないでしょう?」
「にこもそれには賛成かしら」
「にこ先輩まで……。はぁ、まったく。穂乃果ねぇ達と違って慣れてないんだから勘弁してくださいよ」
同じ女の子だとしても、付き合ってきた年数が違う。
僕からしたら穂乃果ねぇ達はお姉さんのようだが、絵里先輩たちは先輩と言う女の子だ。
そう言いたかったんだけど。僕に権利はないようで、布団を持っていかれてしまった。
僕はそれを見送る事しかできなかった。その後に何もなかったかのようにしてドライヤーで髪を乾かしていた。
はぁとため息をついて、お風呂場に行く。とりあえず、入ってしまおう。
脱衣所のドアを開けると、いつもと違う甘い匂いに戸惑ってしまう。これに関しては穂乃果ねぇ達が泊まりに来た時も同じだ。
慣れって言うものはないんだろう。僕が男である限り。
そんな雑念を振り払うかのようにして、服を脱いで脱衣所のかごに入れる。
どうやら絵里先輩たちは服を持って帰るようで、脱衣所のかごには服がなかった。お風呂場のドアを開け、イスに座ってシャワーを出す。
頭からかぶって、頭を冷やす。刹那、占めたはずの脱衣所のドアが開いた音がした。
もしかして、忘れ物でもしたのだろうか。そう思ってシャワーを止める。
水滴が付いている顔を拭って、問いかける。
「どうかしたんですか?忘れ物ですか?」
返事はなかった。不審に思ったその時、ドアが開いて、バスタオルをまいた絵里先輩が入ってきた。
僕は言葉が出なかった。理解に頭が追い付いていない。だけれども僕の体は意外と動くようで。とっさにタオルで体を隠していた。
艶やかな笑みを浮かべた彼女は、僕に話しかけてくる。
「どう?びっくりしたかしら?」
「あ、え、え?」
「ふふっ、ハラショー。ここまでびっくりしてくれたなら、やった甲斐があったわね」
そのまま僕にくっつくようにして近づいてくる。肌と肌がふれる。瑞々しい白い肌が近くにある。
それはまるで宝石の様な艶やかさと美しさがあった。妖艶な体が僕の目の前にあって。僕の視線は宙を舞っている。
直視なんてできない。そんな度胸なんて僕にあるはずもなかった。だけどそれを許してくれなくて。
僕の両頬を優しく手で包むと、視線を絵里先輩に固定させるように顔を持っていかれてしまう。
「こーら。こっち向きなさい?駄目よ、他のところに目を向けるなんて許さないわ」
「え、絵里先輩。駄目ですってさすがに。僕はこういうの耐性ないんですから」
「あら、そうなの?じゃあこういうのはどうかしら?」
不意に体を押される。尻餅を付いてしまった僕の胸に収まるかのようにして絵里先輩が寄ってきた。
いわゆる、雌豹のポーズと言うやつだ。長い蒲公英色の髪が水を含んで鮮やかだ。
身体のラインもまるで陶芸品のようで。その一挙手一投足に目を奪われてしまう。
そう言えば、雌豹のポーズを見たときはそうでもなかったのだが、状況によって変わるという事か。
絵里先輩の手が僕の体に触れた瞬間、引き戻される。どうにも現実逃避する癖を直さなくてはいけない。
「綺麗な体ね。傷一つもない、湊の体」
「男の体に綺麗と言われても……。ってか、離れてくださいよ。僕からしたら絵里先輩のほうが綺麗ですよ」
「ほら、こんなにも綺麗なのよ?」
僕の体を指でなぞる。ゆっくりと、丁寧に。それから、首に移って。そのまま僕の首を甘噛みするかのように顔をゆっくりと近付け、首にキスマークを付けるように吸われてしまった。
そこからまるで壊れ物を扱の様に、ゆっくりと僕の胸にキスを落とした。
空間に反響する水音が僕の耳に強く残った。
「っ、何してるんですか」
「ねぇ、知ってるかしら?私が胸にキスした理由」
「何ですかそれ。聞いたことありませんよ」
何のことを言っているんだろうか。僕の頭は追いついてくれるどころか、もっと離されてしまった。
僕の困惑しているかを見て、満足そうに笑って。瑞々しいその唇から、言葉を紡ぐ。
僕にキスををとしたところを撫でながら。
「首筋は執着、胸は所有。そして――」
僕の唇を指で押す。ゆっくりと、まるで口づけをするかのように。
「唇は愛情の印。どう?わかったかしら?」
「っ、なるほど。よく知っていますね」
納得をしたふりをしながら、彼女を遠ざけようとする。
だけど、そんなことで来ているなら始めからしているわけで。
肩のあたりに爪でひっかき傷を付けられてしまう。そこから、ジワリと血が出てくる。
それを吸い取られる。まるで猫の様に何度も何度も舐められてしまう。
「嗚呼、湊の血が私の中に混ざっていくのが分かるわ。誰にも渡さない、私だけの湊。もう、どこかに行くことさえも許さないわ」
僕の両目が、彼女のアイスブルーの目とあってしまう。目をそらすことは出来なくて。
僕は袋小路に立たされたような気分だった。
「ねぇ、湊。ロシアにはね、こんな諺もあるのよ?」
一呼吸おいて。僕にそう告げた。
「狼は自分の脚で餌を探さなければならない」
妖艶な笑みが、なぜか僕にはオオカミに見えて。