軽快な電子音のテーマソングが店で流れる。同じフレーズを繰り返すうちに、聞きなれてしまったようだ。
特に何も思わなくなる。耳の中に、馴染んで行くように。自然と、頭の中にフレーズが残って居く。
聞き返せば聞き返すほど、それは頭の片隅に追いやられていくかのように。
音楽としてではなくて、そこに自然に存在するものとして定着していく。
要するに。外に出ると、軽快な音が耳から離れて、今まで感じなかった喧騒が耳に入ってきて。
外の街の独特な空気が、僕の肺へと入り込んで。深い海に潜っていくかのように、喧騒に溶け込んでいく。
人々のそれぞれの歩きの速さに、合わせることなく歩いていく。交差点に差し掛かり、歩行用信号が赤へと移り変わる。
ふと、空を見る。雨雲が空一面を覆っていた。幾つもの雨雲が、重なり合い、ひしめき合う。
まるで、空のキャンパスに幾つも色を塗り重ねるように。光さえも遮断してしまいそうで。
息が詰まりそうな、そんな気がしてしまう。不思議と、そう思った。
風が吹く。風の中に、雨の匂いがした。
雨が、降りそうだ。多分、いや絶対に。
買ったばかりの外部記憶媒体を濡らしたくはない。
幸い折り畳み傘は持ってきていたけれど、それでもなるべくなら濡れたくはない。
信号から、青に変わった音が聞こえる。それにより、僕の遠くに消えてしまっていた意識は、戻されて。
また喧騒の中へと消えていく。紛れ込むかのようにして。
歩き始めて、少し。なんとなく見ていた街並みに、思い起こす物があった。
そう言えば、穂乃果ねぇが言っていたような。μ'sのグッズが有ったとか。多分。
確か、ここを曲がって、ピンク色の看板が目印だったかな。
記憶通りに道を進んでいくと、ガシャポンが多く配置されている店先が見えた。
近付いてみると、聞いた覚えのあるスクールアイドルの曲が流れている。ブロマイドに、グッズ。目を見張るような品揃えだった。
店へと入る。”いらっしゃいませー”と言い慣れた声が、奥のレジから聞こえた。
聞こえたほうに顔を向けると、ネームプレートに店長と書かれた男が、スクールアイドルであろうPVを見ていた。
それを横目に見つつ、中へと入っていく。確か、少し奥の方に人気急上昇中って書かれてたとか言ってたはず。
色々な所に目を向けつつ、探していく。少し歩くと、すぐにμ'sのコーナーを見つけることが出来た。
しかし、聞いていた話より大きくなっていた。ポータブルDVDにはμ'sのPVが流れ。簡単な説明書きとともに、色々なグッズが置いてあった。
目を見張るほどと言っても、過言ではないかのように。
ふと、グッズに書かれている画像はどこから何だろうと、思ってしまったけれど。考えても仕方ない事だった。
一つ一つ、手に取って見ていく。どれもこれも、しっかりと出来ていた。
何か買っていこうか。折角だし、買わないのも何だか損だ。
ふと、品定めをしていると。目に付く物があった。缶バッチだ。人数別に分けてあるそれは、僕には魅力的に思えて。
手を伸ばそうとした、触れる直前。脳裏に過ぎる。誰を買うべきなのかと言うことに。
手を引っ込めて、考える。果たして、どうしたら良いのだろうか。どれか一つ買えば、選ばれなかった皆に、何だか悪い気もするし。
だけども、しかし。人数分買うとなると、僕の財布にも決して軽傷ではない傷を負うわけで。
天秤が揺れ動く。僕の財政事情か、僕の良心が痛むのか。
すぐに、答えは出てしまうけども。
両手には、全員分の缶バッチがあって。
僕の財布は段々と、軽くなっていく運命だった。
それも、しょうがない事か。と、納得させる。
レジに向かって歩く。他の商品も、色々あるけれど。やはり、A-RISEが一番大きいだろうか。
遠目で見るだけでも、分かってしまうほどに。
唇を、少し噛む。分かっていても。やはり、壁は大きい。横目に、見つつ。レジに商品を出した。
「お、君もμ's好きなの?」
「え?」
声を掛けられて、少し心臓が跳ねる。
声の源は、目の前のレジの店長と書かれた人だった。
人当たりのよさそうな顔で、僕を見ていた。
「いや、ほら。最近μ'sが人気だからね。お客さんもそうなのかなって」
「あ、ああ。そうですね。好きです」
「おお、やっぱり。自分もねー、好きなんだよ。最近はA-RISEしか目立たなかったけど、ついに強力なアイドルグループ登場!みたいなね」
「そう、なんですか。やっぱり、A-RISEは凄いんですね」
「うん、そりゃあね。スクールアイドルの金字塔みたいな。でも、やっぱり、違うんだよね」
「……違う?」
引っかかる。違うとは何だろう。違う点なんてあっただろうか。
少し考えたけれど、分からなかった。
「何でしょうか、それは」
「それはね、元気を感じるって事さ」
「元、気?」
「そう。僕らがスクールアイドルが好きなのはさ。やっぱり、学生ならではの初々しさや元気なんだよね。誰も完璧だとか、クオリティが高いとか求めてないんだと思うんだ」
言葉が、雨の様に僕に降りかかる。
まるで僕の中に染み込んでいくような錯覚さえ覚えた。
ああ、きっと。僕が悩んでいたのは、この事で。何かを掴めそうな気がする。
それは、僕にとって。とてもとても大事なことなんだろう。
「μ'sのPVを見てるとね。僕らでさえも何だか、学生の頃の元気が戻ってきた気がするんだ。勿論、苦労とかいろいろあるんだろうけどね。不思議に、そう思うんだ」
「……」
「きっと。どこかに、アイドルとしてじゃなくて。学生だって事も残ってる気がして。僕らは、まるで客としてじゃなくて。僕らも同じ学生なんだって思っちゃうぐらい、そう感じてさ」
「……ええ」
「それで、応援したくなるんだよ」
「そう、ですか」
求めていたことが。僕が必死になろうとしていたことは。きっと彼女達の良さを消してしまうことで。
僕が、完璧を求めれば求めるほど。
自分の手で、彼女達を殺していることになっていて。
A-RISEに匹敵するような出来を求めれば求めるほど。
μ'sと言うグループは、壊滅していく。
僕は。どうしていいか分からない。僕が作り上げようとしていたのは。
僕が見ようとしていたのは。
誰かの、二番煎じなんだ。
「あー、……悪いね。何だかこんなに喋ることじゃなかったかな」
「いえ。とても……、聞きごたえのあることでした」
「そう、かい?ならいいんだけどね」
缶バッチ一つ一つをレジに通していく。金額が表示されていく。
僕は、その数字を見ていく。考えがまとまらない。
「ああ、そう言えば。君は誰推し何だい?」
「え?」
「ほら。グループの中でも誰が好きとかあるだろう?」
「ああ。ええと」
今まで、頭の中に住んでいた考えを、置いて考える。
浮かばない。正確には、誰かと言う個人が浮かぶことがない。そのような概念で見たことが無いからだろうか。
皆が皆、僕にとっては大切で。誰かを色眼鏡でなんて見たことない。答えようがなかった。
「そう、ですね……」
「もしかして、最近興味持った感じかな?」
「え、ああ。そうです」
「そっか。まあ、全員分の缶バッジ買ってるからさ。多分そうなのかなって思ってたんだよね」
にこりと笑いかける。慣れた手つきで袋に詰めていく。
チラシを一枚袋に入れていた。どうやら二号店のお知らせらしい。
「あの、店長さんはどうなんですか?」
「ん?僕の推しかい?」
「ええ。何だか気になって」
「僕はね、穂乃果ちゃんかな。彼女は、何だか不思議な雰囲気があってね」
「へぇ」
そうだろうか。近くにいたから気付かないのか。それとも、気付くことも出来なかったのか。
聞いていて、何だか新しく発見をしたような気になる。
「こう、笑顔になるというか。見ていてこっちも楽しくなるような、ね」
少し、刺されたような痛みが走る。僕の体に、少し異常が走りだす。
それでも、気にすることはなかった。
袋詰めが終わり、微笑を浮かべたまま袋を渡される。
「はい。また寄ってね。今度は誰推しなのかも聞きたいな」
「ええ、機会があれば」
会釈をして、袋を持ち。外に出る。外はまだ、雨は降りだしていなかった。
段々と、雲行きは怪しくなっていたが。さあ、帰ろう。雨に降られたくはない。
袋を鞄に入れようとする。ふと、聞き覚えのある声が耳に届く。
目線を声の方に向けると。穂乃果ねぇ達九人が、すぐ隣にいた。どうやら、僕には気付いていないみたいで。グッズが増えている、と会話をしていた。
声をかけようとする。瞬間。高校生かと思われる、男性三人組が話しかけていた。
少し、様子を見る。気になってしまう。なんとなく、いや、とても。断片的な会話の節しか聞こえてこない。
制服を見るに、少し離れたところの制服だろうか。あまり見たことはなかった。
……。どうやら、μ'sのファンらしい。穂乃果ねぇ達も、僕が見たことのない笑顔で接している。
僕が、見たことのないような。
その言葉に、僕は激しくめまいを覚える。
ああ、やめてくれ。気付かないでいたのに。
激しく僕の心を揺さぶる。まるで不協和音の様に、不快になっていく。僕は僕の精神が崩れていくのがわかる。
『アイドル』として振る舞っている姿に、目を背けてしまいたくなるのも。
笑顔で、握手をしている皆を見ていると。僕の居場所がなくなったように感じるのも。
店長の推しの話を聞いて、痛みが走ったのも。
全て、全て。僕が、彼女たちに。
アイドルとしてではなくて、彼女達と言う存在に。
―――――依存、していたなんて。
先に行ってしまう彼女たちに。アイドルとして僕から遠のいて行ってしまう事に。
僕は、底知れぬ恐怖さえ感じた。
僕はその場にいられず。走っていく。何も聞こえない。何も見えない。何も聞きたくない。何も見たくない。
ここにいる事さえも、ただ苦痛のように感じて。ただ走っていく。目に見えない暗闇の帳が僕を飲み込んでいく。
ただ感じるのは。僕に降り注ぐ雨で。それでも、走り続ける。
気付けば、家の前にいて。何も思えないほど、僕と言うキャンパスは黒く塗りつぶされていた。
扉を開けて、玄関に座り込む。自然と、口から言葉が漏れる。
「……。ああ、ほんと。馬鹿みたいだ」
彼女達がスクールアイドルになると言っていた時から気付いていたのに。気付かないふりをして。
自分を誤魔化し続けて。長くないなんて思えば直ぐなのに。
髪から、水滴が流れ落ちる。目尻を通って、僕の涙を流していく。
きっと、置いて行ってしまうんだろう。また。何もできないまま、置いてかれて。
もう、どうしようもないんだ。だから、僕は。
どこかで、紙を破いた音が聞こえた。