真姫ちゃんとの情事があった後、彼女は満足そうに台所に向かった。
どうやらお昼ご飯を作るらしい。あまり作れなさそうなイメージがあるのだが、どうやらそうでもないみたいだ。
手に持っていたレトルトのパスタソースが気になるのだが、あまり突っ込むのはよしておこうと思う。
藪をつついて蛇を出したくなんてないから、僕は料理を彼女たちに任せることにした。
残念ながら凛ちゃんには台所に立つことも許されなかったのだが。
「まあ、しょうがないにゃ。凛の手料理はお腹壊しちゃうから、やめといたほうがいいにゃあ」
「うーん。僕もそれは勘弁したいしなぁ。レトルトならはずれはないしね」
「その内上達するのを待つにゃ!」
「他人事だなぁ。ま、いいけど」
横にいる凛ちゃんが、僕のほうを向いて笑う。お気楽だなぁ、なんて思いながら背伸びをする。
ふと、かよちんがまだ下りてきていないことに気付いた。
もしまだやってるなら手伝いにでも行こうか。そう思い立ち上がる。
それに気づいた凛ちゃんが僕に尋ねる。
「あれ、みーくんどこ行くにゃ?」
「かよちんのとこ。多分降りてきてないから、手伝いに行こうと思って」
「じゃあ、凛も行くにゃ!」
「了解。じゃ、行こっか」
二人で階段へと向かう。僕の家の二階には二部屋しかなくお願いしたのは寝室の一部屋なので、そんなに掃除するのに時間はかからないと思うのだが。
登り切って、ドアを開けようとすると、ちょうど中からかよちんが出てきた。
「うお、っと。もしかして掃除終わっちゃった?」
「あ、うん。丁度終わったとこだよ」
「あれま、そっか。手伝おうかなって思ったんだけど、タイミングが悪かったかな」
頬をかく。さて、どうしようか。こうなってしまっては、僕は手持無沙汰になってしまった。
「あ、真姫ちゃんは?」
「料理中。手伝おうかって言ったんだけど、作れるからって言われちゃって」
「あはは……」
苦笑される。どうやらその情景がすぐに浮かんだらしい。
僕の後ろにいた凜ちゃんが、僕の肩から顔を覗かさせて言う。
「真姫ちゃんはりきってたにゃ!」
「空回りしなきゃいいんだけどねぇ。レトルトに手を加えるとか言いそうだけど」
多分だけど、そんなに料理経験はないはずだ。少し手付きを見たけど、あまり慣れていなそうだった。
少し心配になる。食べれる、食べれないとかではなく、ただ単純に怪我しないかと思う。
「そうだ、2人とも真姫ちゃんの手伝いに行ってくれる?僕が行くとまた何か言われそうだし」
「うん。分かったよ」
「まかせるにゃー!」
「あ、凛ちゃんは見てるだけでいいからね」
「う、わ、分かってるにゃ」
3人して笑いあう。同級生だからか、気を遣わなくていい。何と言うか、軽口を言いやすいというのか。
とにかく何にも考えずにいられる仲だ。僕に向けられている好意は別にして、だけども。
「それじゃ、僕は自分の部屋にいるよ。出来たら呼びに来てもらってもいいかな」
「了解にゃ!それじゃ行こ!かよちん!」
「ま、待ってよ!凛ちゃん!」
階段を降りていく背中を見送り、扉を開ける。いつもより綺麗になった自分の部屋があった。
寝室だけでよかったのに、僕の部屋までやってくれていたのか、と思い中に入る。
入ってから、ここ最近で自分に起きたことを思い出す。疑いたくなかったが、どうしても払拭できない不安がある。
すぐさま自分の持ち物をチェックするが、特に異常は見られなかった。
と、言うより僕も今まで気づかなかったぐらいだ。気づかないほうが普通なのか。
そう納得させて、机に置いてあるパソコンをつける。
「さて、なるべく早く終わらせなくちゃね」
そう声を出して、やる気を出す。パソコンにインストールしてある3DCGソフトを立ち上げる。
そのロゴを見た瞬間、少し苦笑が漏れてしまう。そのままいつもの通りファイルを選択する。
ファイル名には”μ's PV製作中”と書かれていた。
ソフトを扱うのに四苦八苦してた頃が懐かしく思える。
少し、昔を思い出す。
そもそも、作り始めた切っ掛けは彼女たちが本格的にPVを撮り始めた頃からだったと思い出す。
それと、僕がμ'sの演出家だけでなく、PVを作り始めたのはメンバーの誰にも話していないことだ。
彼女たちにはほかの人に依頼している、と嘯いている。
それには色々理由があった。
僕は当時、それ程スクールアイドルというものを知らなかった。穂乃果ねぇ達が学校を廃校にしたくないから、始めると聞いたときに詳しく知ったぐらいだ。
前から何をするにも4人で相談していた僕たちは、僕を演出家として雇うことで、いつもの結束とした。
僕は少し興味もあって、参加した。学生がやることだし、本格的じゃないだろうと思い込んでいた。
それから初ライブまで色々あって、僕の今から見れば余りにも幼稚な案は通ってしまい。
散々な結果に終わってしまった。
「ごめんね。みーくん。折角考えてくれたのに」
終わった後、彼女たちが諦めずに立つ中。僕にそんな慰めの言葉をくれて。
僕は激しく後悔した。
それから、彼女たちはどんどんと成長して、仲間も増えていき。僕は取り残されていく気がしていた。
だから、努力した。バイトも増やして、演出の本も買って、色々な勉強をして。
果てにはPVを作ろうと思った。映像だけじゃなくて、しっかりとした本格的なものを。
あの頃を振り返ると馬鹿らしく思える。日々衰弱していく体は、すぐには対応なんて仕切れるはずもなくて。
限界を迎えているなんてわからなかった。でも、表面を嘯くのは得意で。
μ'sのメンバーは3人を除いて、騙せた。3人には顔色悪いよ、なんて言われた。それも長く続かなかったけど。
今でも覚えている。朝から体はおかしく。眩暈がして、頭痛は収まらなくて。吐き気を催していた。
そうして、いつものように雨戸を開けようとしたところで、記憶は途切れている。
記憶が再開したのは白い病室のベッドの上で。目を覚ますと、皆が泣きながら僕を見ていた。
それを見て、悟ってしまった。倒れたのかと。
それでも当時の僕は、取り残されるのが嫌で。足手まといになりたくなくて。
僕は彼女たちに謝ったことを覚えている。なんとも思い出すのも嫌な記憶だけど。
「ごめんね。でもすぐに頑張って案を出すから。迷惑かけてごめん」
僕は誤った選択をしたんだと、当時の僕でもすぐに分かった。皆の安堵する顔が変わっていったからだ。
言葉を紡ごうとしたけど、そんな事できなかった。
頬をたたかれた。初めてことりねぇが手を出しているのを見た。
「っ!馬鹿!みーくんの馬鹿!いつも自分のことは後回しで!そんな事して欲しくないのに……!」
泣き崩れてしまう。どうしたら良いかわからない。想定外だった。
今いる場所が、何だか居てはいけないような、張り裂けそうなほどの罪悪感が僕を襲う。
穂乃果ねぇは僕に抱き着きながらごめんと謝り続ける。海未ねぇは僕の手をずっと握りながら泣いている。凛ちゃんはいつもの元気なんかなくて、僕に寄り添いながら怒って。かよちんはうつむいて、床に水跡を残している。
真姫ちゃんは怒るのだろうかと、どこか他人のように考えながら見ると、呆然としたまま泣いていて。にこ先輩は僕を怒りながら泣いて、希先輩は震え、何かを言いながら泣きはじめて。絵里先輩は、僕が見たこともないほど号泣しながらずっと謝っていた。
それから、僕は二度と無理をしないということを彼女たちの目の前で誓った。
だから、彼女たちに言うことを避けているんだ。
やはり、思い出して恥ずかしくなる。何もわからなかったと今なら言える。
と言ってもやっぱり、僕は自分で作りたいのだけど。ソフトを操作しながら、そう考える。
そう思いながらも、あまりにアマチュアだし、これから先に行くなら僕は要らなくなるのだろう。とも思う。
僕は裏方で、メインじゃない。スポットライトが当たって輝くのは彼女達なんだ。そこに行くならベテランに頼むのは必然だし、当然の道理だ。
でも、焦りなんて感じていない。悔しさもない。僕は彼女たちに使って捨てられるなら十分だ。この先どうあっても。
だから、今出来るすべてをぶつけたいんだ。他でもない彼女達だから。
少しくさかったかな、と思い作業に戻る。いつものように本棚からテクニックを自分なりにまとめた冊子を取ろうとする。
だけど、そこにはなかった。ここにいれたと思ったんだけど。
同時に部屋のドアが開く。そこにはかよちんが立っていた。
「あれ、かよちん。どうしたの?ご飯できた?」
「ううん。違うの」
僕に近づいて、見覚えのある冊子を出す。それは探していた冊子だった。
「あ、これ」
「知ってるよ。みーくんが花陽たちにPVを内緒で作ってるんだよね」
「え」
驚く。誰も見てもわからないような専門的な言葉が一杯のはずなのだが。
当てられたということによって、動揺が生まれてしまった。
動揺から生まれた、無言を肯定と取ったのかさらに言葉を紡ぐ。
「でもいいんだよ。分かってたもん」
こちらを見る。笑っている。僕は、かよちんの目を見て少し恐怖を感じた。
どろどろと泥のように引き込まれそうな、光を写さないような混沌の目が、僕を射抜いていて。
表情を変えずに告げる。
「睡眠時間は前より2時間も増えてるし、ちゃんとご飯は食べてるし、バイトも少なくして」
つらつらと話し続ける。いつものおどおどした感じはどこかに消えてしまったかのようで。
僕は見ることが出来ずに、そむけてしまう。
「ごめん。また僕が言わなかったから」
「え、ち、違うよ!みーくんが悪いんじゃないの」
いつものかよちんに戻る。どこかおろおろとしていて。
僕に近づいて、冊子を渡す。
「いいの?僕に渡して。また作ってしまうけど」
「う、うん。皆いいよって言ってたから。花陽もそう思うし、それより怖いことのほうがあるもん」
「何それ。どういうこと?」
気になる。少し問い詰めるように聞く。
それと同時に、僕の胸に飛び込んでくる。また、同じような笑みを見せる。
「みーくんが、離れるほうが嫌なの」
「へ?」
「何でもするからいなくならないで。お願い。花陽、いなくなるって思うと、どうしても」
涙を流しているんだと、僕は気付く。何だか表情が二転三転しているようだ。
見たことない表情に困惑してしまう。
「どうして、そんなこと言うの?そんな事言ったことないけど」
「……それは」
口を開こうとする。刹那、ドアが開く。
「みーくん!ご飯できたにゃー!」
「あ、凛ちゃん」
「あれ?かよちん、どうしたの?」
凜ちゃんがかよちんに近寄る。僕の胸から離れる。
泣いていた表情をどこか抑えたように笑う。
「なんでもないよ。凛ちゃん」
「んー?そっか。ほら!ご飯できたから食べるにゃー!」
「あ、うん」
引っ張られる。さっき抱いていた疑問はまだ胸に残ったままだった。
立ち上がった時、かよちんが僕にしか聞こえない声で呟く。
「誰かに取られたくないんだもん」
疑問が、晴れてしまう。僕はどうすればいいのだろう。
元に戻りたいんだ。けど、許されないのだろうか。
僕の中でぐるぐると巡る。この疑問は簡単に晴れそうになかった。