これがウチのブライアンだ!
ミホノブルボン
ナリタタイシン
黒マックイーン
さ、三人合わせれば皐月賞、ダービー、菊花賞制覇してるから実質三冠バナリタブライアンだから(震え声)
これは天井まで行くな(白目)
距離とタイムを揃える自主トレを要求してから少し時間が経った。
目標を最初に達成したのはマックイーン、次いでライスだった。
やはり名門の指導、其処で培われる感覚というものは凄まじいものがある。
ライスは名門出ではないものの、彼女自身の才能と特殊性がトレーニング内容とガッチリと噛み合った結果。
二人は現在、スズカ・オグリの先輩コンビと同条件に挑んでいる。
対し、スズカとオグリは悪戦苦闘中。
オレの一番に求めているものが、二人にとっては兎に角苦手分野、無理もない。
デビュー戦までそう日はないが、精神面でのフォローはすれども技術面での口出しは止めておく。
失敗を繰り返すのを前提としているし、その失敗から何を見出すべきなのかを考えるのもトレーニングに含まれるからだ。
ただ、感覚面の伸びは凄まじい。もしかしたらこの二人、オレの用意した意図に何一つ気付かないまま目標達成してしまうかもしれない。天賦の才も考え物だ。
さて――――とは言え、毎日毎日学園のコースを借りられるわけではない。
トレセン学園で鎬を削るウマ娘の数は2000弱。其処に個人やらチームやらが
実際のレースに近い状況で訓練できるコースは特に人気が高い。此処の所、使用できていたのは運が良かっただけ。
理事長に目を掛けて貰っているし、天下の皇帝様を抱えちゃいるが、好き放題できるわけでも、コース使用の優先権があるわけでもない。
というわけで、本日はプールを使った水練に。
ウエイトトレーニングなんかも択の一つだったが、全身をバランス良く育てていきたいのでこっちを選択。
そして、今は皆が着替え終わるのを待っている最中。
プールのみならず更衣室、休憩所、シャワールームまで完備した一棟の廊下。
其処の壁に背中を預け、手にしたノートに予定しているトレーニング内容を書き込んでいた。
「おや? サブトレさん――――は、もう相応しくないね。今はトレーナーさんか」
話し掛けてきたのは青鹿毛の少女。
一目で女性だと分かる顔立ちだが、所作の一つ一つに男性的な振る舞いが見て取れ、結果として中性的な美貌に見えてくる。
テイエムオペラオーも宝塚系だが、個人的にはこの少女の方がより宝塚系に思える。
上にトレーニングウェアを着ているが、裾から覗く目も眩みそうな白い脚を見る限り、彼女もまた水練のためにプールにやってきたらしい。
個人的に何より重要なのは、気さくに話し掛けてきた時点で知り合いは確定していること。
またしてもトラウマでルドルフの泣き顔がフラッシュバック。心拍と呼吸が乱れて、冷や汗が噴き出してきた。
もう駄目だ。
トラウマに耐えられん。
そのまま土下座謝罪を敢行して事情を説明させて貰おう。
「ああ、君の事情はおハナさんやマルゼンさん、ヒシアマゾンから聞いているさ。そんな真似をしなくても大丈夫だよ」
「お、おぉ、そう? その二人と知り合いってことは“リギル”の……フジキセキ、だったよな」
「二度目の自己紹介をしなくて済みそうだね。フジで構わないよ、気軽に呼んで欲しいな」
悪戯っぽく笑う姿は酷く魅力的だ。
年頃の娘に黄色い悲鳴で騒がれるタイプに見える。
同性にモテそうな女子。それが今のオレがフジキセキに抱いた第一印象だった。
しかし、トレセン学園には人間の出来た良い子しかいないのか。
オレの担当している娘ばかりじゃなく、リギルの娘達もこっちに気を遣ってくれる。
ルドルフ無断外泊事件の時、説教しに来たヒシアマゾンも最後にあんま無理すんなよ、と肩を叩いて帰っていったほどだ。
「色々と助けて貰ったからね。今度は私達の番さ」
「オレ、そこまでのことしてんの?」
「あははっ、記憶はなくても反応は変わらないね。気負いのなく手を差し伸べられる姿勢も、善行を当たり前だと思えるのも君の美徳さ。私としてはもっと恩着せがましくても構わないと思うけれどね」
真正面から褒めてくれているのだろうが、いまいちピンと来ない。
オレは“やりたい”やら“やらなければならない”と感じたことをやっているまでで、それが善行だったかと言われても首を傾げざるを得ない。
如何せん、其処には相手への思い遣りがあるにはあるが、オレはオレの思いを何よりも優先している。
結果として善き結果を招いているだけで、その過程が善行と呼ばれるだけのものがあったかは判然とせず、疑問符ばかりが浮かんでくる。
オレの反応が面白かったのか、または気に入ったのか。
フジは何度も首を縦に振りながら更に笑みを深めた。
「そういうところがおハナさんを変えたんだろうね。正直、君が来る前と後じゃ天と地ほどの差があった。昔から私達のことを一番に考えてくれてはいたんだろうけど、分かり難かったし正直息苦しかったよ」
「あー、そういうところある感じの人だよな、あの人。オレ、馬鹿ばっかやってたろうしなぁ」
「ハハ、そうだね。おハナさんが沖野さんとお付き合いを始めたのは君のお陰だし」
「…………オレ、他人の恋路に首突っ込むような真似してたのぉ?」
この娘もまた気遣い上手のようだが、これまでとはまた違ったタイプ。
似ているのはマルちゃん辺りか。
あの娘は相手の様子を見つつ、距離感を測っている節がある。
対してフジは見た目に依らず、タマちゃんレベルでぐいぐい来る。
そして、オレの覚えていない過去もあっけらかんと明かしてくる。
こちらとの距離感を測りつつ反応を見ながら、気になる過去を矢継ぎ早に明かして余計なことを考える暇を与えさせず、気後れもさせない。
申し訳なさや不甲斐なさを覚えないのは、この会話術のお陰だろう。うーん、実に話し易い。
口が達者で立ち居振る舞いも完璧。
間違いない、この娘は絶対同性にモテる(確信)
「実際、私達から見ていても良い雰囲気だったからね。おハナさんが柔らかくなった決定打はアレだった」
「えぇ、ウソォ……なんて余計な真似を……」
「いやぁ、アレは傑作だった。ある日突然、リギルのメンバーを集めたと思ったら、神妙な面持ちで“おハナさんと沖野さんってどう思う? オレくっついたらいいと思う”って言いだしてね。全会一致で同意を得ていたよ」
「アホ過ぎて言葉もねえ」
「その後はリギルのメンバーで雰囲気作りをしたりしたね。君なんて“くそっ、じれってーな! オレちょっとやらしい雰囲気にしてくるわ!”と言って、色々やったかな」
「バカじゃん! もうその時のオレは君等に蹴られて地獄に落ちた方がいいんじゃないかな? 君等もよく付き合ってくれたなぁ!」
沖野さんが何者かは思い出せないが、オレは兎も角としてリギルの面々が同意したということは相応しい男だったと信じたい。
おハナさん、マジでいい人だから変な男に引っかかっておかしな事態に発展して欲しくない。
暫く前にオレがいない間、ルドルフを一時的に担当してくれた礼をしに行った。
記憶がなければ初対面も同然。如何にも冷酷無慈悲な鉄の女と近寄りがたい雰囲気を醸していた。
オレはあまりそういうのは気にならないが、気弱な人間はとことん苦手な部類だろう。
会話は一言目から説教。
内容は人を庇うならばまずは自分の安全と無事を確保してからにしろ、という至極まっとうなもの。
言葉の一つ一つが厳しくはあったが、オレを慮っていなければ出てこない言葉と理解できて、要らん反骨精神すら起きなかった。
そして、その日の夜に飲みに誘われた。
まだ言いたいことあるのかな、説教続くかな、オレ仕事出来る時間帯なんだけど、と色々思ったが、世話になった人なので断るわけにも行かず。
如何にも出来る女、大人の女なおハナさんに連れていかれたのは良い雰囲気のバー、などではなくお高めの居酒屋だった。
そしたらまあ飲むわ飲むわ、しこたま飲むわ。
碌に会話もせず、種類を問わずにちゃんぽんし、空のジョッキに桝にグラスが机を埋め尽くした頃――――
『ごめん……私のせいで……ルドルフの戦績に、傷がついた……』
――――おハナさんはボロボロ泣き出した。
その瞬間からオレはトラウマモードに入りかけたのだが、予期してもいなかった謝罪に困惑した。
考えてみれば当然だったかもしれない。
オレの事故によって過去最悪の精神状態で挑んだジャパンカップ。其処で刻まれた皇帝の一敗。
その責任はオレにあると受け止めていたが、代わりを務めてくれたおハナさんも同様に責任を感じていただろう。
冷徹な姿勢は誰に対しても平等に接しようとした単なる結果。その実、誰よりも情が深い人だった。
自らの担当ばかりではなく、オレやオレの担当にまで本気で情や優しさを向けてくれた事実に思わず貰い泣きしそうになったが、ぐっと堪えてその日は飲み明かした。
「だ、大丈夫? その沖野って人本当に大丈夫?」
「はは、心配しなくていいよ。沖野さんは君とも仲が良かったしね」
そんな一件もあったので、過去のオレの所業のせいでおハナさんが泣く羽目にならないか不安になって問い掛ける。
フジは太鼓判を押してくれているが、沖野さんの情報が少なすぎて不安が一切解消されない。
も、もっと情報を……! 情報をくれ!
「トレーナーとしての腕は一流さ。
「……ほ、ほう。性格は良さそうで安心した」
「そうだね。性格はいいと思うよ、ちゃらんぽらんだけど。君よりも年上なのに」
「……え?」
「自分の担当していた子やら私達にも給料を使って奢ったりしてくれたよ、だから貯金とかは一切ないかなぁ。おハナさんに集っていたし」
「……?!」
「まあ、私なら付き合うのも結婚するのもゴメンだね」
「安心できる要素一個もなくない???」
オレも、オレも割とちゃらんぽらんな自覚はあるけど其処までじゃないぞぉ?!
おハナさんに集るとか軽くヒモしてるじゃん!
最悪、オレはおハナさんを地獄に叩き落した戦犯になるかもしれない……!
中央のトレーナーは、それなりに高給取り。
実績と年齢で基本給が上がり、重賞やらクラシック優勝バを生み出せば
三冠バトレーナーになれば凄い。オレも何も知らない状態で自分の通帳を見て腰を抜かしたほどだ。
フジが腕は一流と言っている以上、おハナさんほどでないにせよ、稼いでいるはず。
それなのに集るって絶対にヤバい。金銭感覚が崩壊している恐れがある。
いや、ウマ娘を育成する上で必要な道具や設備を私財で揃えている可能性もあるか。
そう考えれば、確かに良い人…………なんだが、不安感が拭い切れない。
「大丈夫さ、沖野さんも憎からずおハナさんを思っている。お金のことは心配いらないよ。私達が勝って、おハナさんに稼がせるからね」
(沖野さんの男としてのプライド終了のお知らせ……!)
「おハナさんは絶対に幸せにして貰う。これは“リギル”の総意さ」
「ヒェッ」
フジの見せた黒い笑みに、オレは思わず身が竦んだ。
凄絶とさえ言える笑みだ。
それほどまでにおハナさんに対して感謝を覚え、幸せを願っているのだろう。しかもリギルメンバーの総意と来た。
ヒモルートから主夫ルートに舵が切られている。リギルの面々によって。
なお、当人の意思でルート変更しようもんならリギルメンバーがすっ飛んできて袋叩きに遭う模様。
もうこれ沖野さん逃げられねぇな。
そしてオレも助けられない。オレはなんて無力なんだ……!
でもヒモルートよりかは主夫ルートの方がまだマシなんでスルー。
沖野さんの男としてのプライドは粉微塵に粉砕されて永遠に行方不明となるだろうが、このまま素直に人生の墓場に堕ちて貰うとしよう。
おハナさんが不幸になるかもしれないって?
ははは。リギルの面々がそんなん絶対に許さないし、オレも許しませんよ?
万が一の時は皆で沖野さんに殴り込みかけるとしよう。
「あら、フジ先輩……?」
「トレーナーさんとお知り合いで……ああ、リギルの繋がりですわね」
「こ、こんにちは」
「やあ。ふふ、期待の新人達をこれだけ侍らせるなんて流石だね。ところで会長は?」
「侍らせるて。ルドルフは急用」
フジと同じく水着の上からトレーニングウェアを着たスズカ、マックイーン、ライスの三人がやってきた。
本日、ルドルフは生徒会の仕事が立て込んでいるらしいので臨時で休みにした。
レースのことだって重要だが、ウマ娘は全員学生だ。
学園生活とて疎かにすべきではない。
青春全てをレースに費やさなくてもいい。
経験を偏らせると、偏った光景や結論しか見えてこなくなる。
それで苦しむ羽目になるのは他ならぬ彼女達。
彼女達は競技者人生の中で多くの後悔や未練を抱えることになるだろう。
だが、後で振り返った時にそれでも良かったんだと胸を張れるようにしてやるのも、オレはトレーナーの仕事だと思っている。
「へぇ……そうか、そうなのか。なら元サブトレーナーの
「別にそれくらいならいいけど」
何処か怪しい光を瞳に宿したフジはルドルフ不在でオレに手隙が出来たと思ったのか、そんなことを言ってきた。
実際、空いていると言えば空いているので0.1秒で承諾した。
今日オレが気を付けねばならないのは、泳いでいる時に身体の何処の筋肉を使っているのか意識させ、効率良く身体を鍛えることと溺れそうになった時の対処だけ。
フォーム改善のように付きっ切りになる必要がなく、ルドルフもいないので余裕はあった。
「むぅっ……あの、トレーナーさん。私……達の担当なんですから、私達を疎かにするのは……」
「え? トレーナーさん、そう、なの……?」
「いや、優先はあくまで君等の方だよ。単に余裕あるからってだけ。おハナさんのことだから、トレーニングメニューは決まってるんだろ?」
「勿論♪」
「ならいいじゃん」
「むむむっ」
「ふふ。可愛らしいポニーちゃんじゃないか」
(スズカ先輩、いま私の、って言い掛けましたわね。……全く、コミュニケーション能力が高いのは素晴らしいとは思うけれど、八方美人になってしまうのは困りものですわ)
スズカが心配し、ライスが不安がっているように疎かにする訳もない。あくまでもオレが優先するのは担当している彼女達。
フジの方はおハナさんから指示されているトレーニングを聞いた上で、適切な言葉を掛けるだけ。頭を捻る必要すらない。
そもそも一人で来ている以上、一人でも問題ないと信頼されている証拠。オレの出番があるかも疑問だ。
しかし、スズカはそれでも不満があるのか、加速度的に機嫌が悪くなっていく。
フジはそんなスズカを見て微笑んでいた。ポニーちゃんって何だよ。子猫ちゃん的なニュアンスか?
いや、いま気にするのは其処じゃない。
確かにスズカは内に籠るタイプだから、余り親しくない相手が近くにいるのは気が休まらないかもしれないが、そ、其処まで?
こう、もうちょっと人と打ち解けられるようになった方がいいと思う。
困った時に頼りになるのは自分よりも他人だ。オレは今まさに実体験として味わっている訳だし、そういったところも教えたいし学んで欲しい。
「あれ? オグリ先輩は……?」
「え? まだ来てないぞ? まだ着替えてるんじゃないの?」
「いえ、一番最初に更衣室から出て行かれましたわよ?」
その時、ライスはオグリを探しながら首を傾げた。
マックイーンの言葉を聞く限り、入れ違いになったらしい。
スズカもそうなのだが、最近はオグリも元々あったやる気が更に溢れ出さんばかりに満ちている。
ルドルフの存在が良い刺激になっているらしい。
高い目標が近くにいる、というのはそれだけで多くの影響を受けるものだ。
無論、精神面だけでなく実力面に関しても。
団体競技において一人の天才に引きずられてチーム全体の実力が飛躍的に高まるように、オレの率いる娘達も通常では考えられない成長を見せている。
トゥインクルシリーズ出走直前のスズカやオグリばかりではなく、マックイーンやライスも飛躍的に伸び始めていた。
元々あった天性もあって、併走しているだけで多くを学んでいる。
これならば相手が現役であったとしても、そう易々とは後塵を拝しはしないだろう。
上ばかりではなく、下からも刺激を受けてオグリのやる気が増す一方。
その分だけストレスも軽減されて間食も減ってきている。
置いていかれる焦り、追い付かれる焦りに取り憑かれるタイプではないのが幸いした結果だ。
「先にプールへ行ったのか? まさか外行ってないだろうなぁ?」
「いくらオグリ先輩でもそれは……」
困った事にオグリは大の方向音痴だった。
自身の位置が分からなくなるのではなく、自然豊かな環境で育ったせいか、都会のように人工物の多い環境は見慣れないものが多過ぎて頭の中で地図を作れない、道を覚えられないようだ。
トレーニングの開始に遅れる度に全員で探しに行く羽目になるのだが、当人は反省していても中々改善されない。
健啖家具合と同じぐらいに方向音痴ぶりは凄まじい。
何せ同じ場所を4、5回ぐるぐると回っていても自分が迷っている自覚が生まれないド天然。
そうした印象はオレばかりでなくスズカの中にもあったのだろう。
否定こそしたものの、心配そうに眉根を寄せていた。
「ま、まあオグリ先輩は食事は兎も角、トレーニングやレースに対してはストイックな方ですし、もう泳いでいるのではないですか?」
「そ、そうだね。きっとそうだと思うよ」
流石に水着の上にトレーニングウェアのまま裸足で外に出て行ってしまうとは思えないが、オグリだからなぁ。
そんなトンチンカンなことをしてしまうのがオグリなのだ。
沸々と湧き上がってくる嫌な予感を振り切るようにマックイーンとライスは口を開いたが、二人とも顔が引き攣っている。
どう見ても嫌な予感を振り払えていない。オレも一緒だ。
その嫌な予感を別の形で示したのは、オグリの生活する栗東寮の寮長フジだった。
「いや、そっちの方が大丈夫なのかい? 彼女、泳げないって聞いたことあるけど……?」
「………………え?」
「「「…………」」」
いや……あの……えっ?
……待て、待ってくれ。
オレ聞いてない。オレそんなの知らない。オグリもそんな素振り見せなかったぞ、おい。
全員目を点にしてフジを見るが、引き攣った笑みを見せるだけで噓は言っていない様子。
思わずスズカ達に視線を向けても、三人が三人とも顔の前で手を振って同時に首も横に振る。私も聞いてないという意味だ。
「ふっ、はは、は……いやいやいや、流石にそれはないっ。オグリでも流石にそれはないっ」
そんなことを言いつつも、オレは全身から血の気が引いていく音を聞いた気がする。サーッて音がするサーッって!
既に嫌な予感が頂点に達したオレは、プールへ向かって歩き出していた。
「そ、そうですよ。オグリ先輩でも、それは流石に……」
「そ、そうですわ。泳げないにしても、きっとストレッチを始めているだけに決まってますわ!」
「そ、そうだね……そうかも…………そ、そうかな……?」
「そ、そうさ! きっとそうだ!」
多分――――いや確実に、今この瞬間、オレ達の頭に浮かんでいたのはオグリの惚けた表情だった。
そして、アイツならやりかねねえ! と心は一つになっていたに違いない。
だって後を付いてくる皆ももう既に小走りになっていたもの。オレなんか全力疾走である。
そう短くない廊下を進み、曲がり角でスピードを制御しきれずにオレは壁に激突しながらも何とか先頭をキープ。
着替える前にプール設備を確認したのだが、間の悪いことにオレ達が一番乗りで他にはまだ誰も来ていない。
つまり最悪の事態が起こり得るのである。
頭に纏わりついて離れない最悪とスピードをそのままにプールに続いている扉を蹴破る勢いで開けると其処には―――――
「がばっ、ごぼぼ、がぼぼぼっ!」
「おぼれ、いや泳い、ど、どっちだい?!」
「ウソでしょ!?」
「何をしてらっしゃいますのーーーーー!?」
「あわ、あわわ……!」
――――プールの中で溺れているのか泳いでいるのか分からないオグリの姿が。
「アホォーーーーーーーーーーーーー!!!」
そして、オレはその姿を見た瞬間に、着の身着のままプールに飛び込んでいた。
―――――
――――
―――
――
―
「ひーっ……げほっ……はっ……はぁ……お、オグリ、無事か?」
プールで暴れるオグリの首に腕をかけ、殆ど力業でプールサイドに引き上げたオレは疲れ果ててその場に座り込みながら問うた。
「ぴゅーーーーーー」
「ぴゅーじゃねえよ、ぴゅーじゃ!」
「あたっ。トレーナー、暴力はいけないぞ」
見れば、オグリはプールサイドに横たわったまま口から水を噴水のように噴き出していた。
思わず頭を軽く
「は、ははは。ま、まあ、無事で何よりさ」
「そ、そうですわね」
「よ、よかったぁ……」
「どうしたんだ、そんなに慌てて。私は泳いでいただけなのに」
「ウソでしょ……」
オグリは起き上がると安堵からその場にへたり込んだオレ達を見回すばかり。
キョトンとした顔でオレ達が何故慌てているのかに全く気付いていない。
マジかよコイツ、溺れてた自覚がまるでない……!
チラッと他の皆を見るが、もう既に諦めているのか無言で首を横に振るばかり。
オレは溜息を吐きながら居住まいを正し、その場に正座。
ちょいちょいと皆を手招きすると、慣れているチームのメンバーとオグリ、困惑しているフジも含めてプールサイドに全員正座した。
「えー、唐突ですが、オグリには一人で水練するのは禁止します。皆さんはどう思いますか?」
「えっ? 何故だ……?」
「異議無しですわ」
「右に同じく」
「ライスも……」
「流石に同意せざるを得ないね、これは」
「はい、賛成4、反対1で可決します。オグリはちゃんと守るように」
「むぅ……皆が言うのなら……しかし、何故……」
オグリは不満は有りつつも納得しているらしいが、疑問は拭えないのかしきりに首を傾げている。
その様子に誰もが呆れているし、同時に苦笑を漏らしている。オレも同じだ。
やや強引であるがオグリの場合、自覚していない事柄を自覚させること自体が難易度ナイトメア。
しかし、その分だけ実直なので、決定したことには従順で絶対に破ろうとしない。いっそ強制的であろうとも禁止を宣言した方が効果的だ。
凄まじい天性を持ちながら、何処か抜けていて何処までも素直。
困ったちゃんは困ったちゃんなのだが、そうしたところが故郷で周囲から愛されてきた理由なのだろう。
事実、散々心配と苦労を掛けられたオレ達だが、既に許してしまっている。
「取り敢えず、オグリはビート板取ってきな」
「分かった、行ってくる」
「他の皆はストレッチ始めて。脚攣らないようにしっかりな」
『学園内は静かに走るべし』という校則を律儀に守って、ぴゅーと駆けていくオグリを見送ってから指示を出す。
取り敢えず、何時も通りにライスのストレッチを手伝うか。
その後は、オグリの様子を確認。本当に全く泳げないのであれば、腕用浮き輪を付けてやらせる。
それさえ無理なら浅いプールに移動して、重りを付けて水中ウォーキング。
最近は走り詰めで脚への負担が増していた。浮力で関節や骨格への負担を減らしつつ、水の重さで筋肉を鍛えられてちょうどいいか。
「皆、可愛いものじゃないか」
「その上、素直で優しいと来てる。もうオレの誇りで、幸運そのものだよ」
隣に立ったフジの言葉に、意識せずに本音が
間違いなく、トレーナーとして幸福な部類だろう。オレは実についている。
シンザンを超えるウマ娘が見たい、という虚仮の一念でトレーナーになったが、それはあくまでも個人としての夢。
だから、それは彼女達には関係のない事柄で、シンザンを超えられなかったとしても失望もしなければ、不幸とも思わない。
最速のウマ娘も、最高のウマ娘も、最強のウマ娘も、トレーナーとしてのオレにとってはどうでもいい。
オレはトレーナーとして求められるものを、死力を尽くして為すだけであり、それが仕事だからだ。
相手側の能力も、オレの夢を差し挟む余地は初めから存在していない。
能力の高さも、ウマ娘としての才能も性能も、相手が望む結末に必要な分だけオレが補えばいい。
だが、心の在り方だけはいくらトレーナーでも補えない。
だから人として当たり前の優しさや正しい心を持った彼女達に出会えたこと自体が、オレにとって――――
「…………私には、そう言ってくれないのかな?」
「あ……あー」
目を合わせずに何処か遠い場所を見ながら、フジはオレのずぶ濡れになった裾を掴み、僅かばかり寂しげに呟いた。
…………失言だった。
おハナさんほどでないにせよ、サブトレーナーとして絆を育んできた相手に記憶を失ったまま口にすべき言葉ではなかった。
フジの大人びた態度から油断していたが、年頃の少女が育んできたものを忘れ去られて気にしていない筈もないのに。
参った。余りの迂闊さに自分を絞め殺したくなる。
かと言って、その場限りの見え透いた嘘が何になるのか。
だから、素直に本心を口にすることにした。
「今は思い出せないけど、前のオレにとってもフジは誇りだったと思うよ」
「何も思い出せないのにかい?」
「思い出せないけど、今のオレにとっても誇りになりそうだからな。オレが変わってないって言うなら、信じてくれてもいいんじゃない?」
「……ずるい。ずるいなぁ。君のそういうところ、ずるいと思うよ」
掛け値のない本心だ。
全てをなかったことにしたも同然のオレに、彼女は躊躇なく声をかけてきた。そうでなくとも、全てを覚悟した上で。
根底にあった思いがどうであったかは別にしても、過去にあった出来事を明かしてきたのはオレが記憶を取り戻す切っ掛けになれば、という思い遣りがあったはず。
そんなフジに出会えたこと自体を幸運と呼べずに何と呼ぶのか。
思い出せずとも、そんなフジの一助になれていたであろう過去を誇りに思わず何を誇りと思うのか。
するとフジは切ないような、泣き出しそうな、嬉しそうな複雑な表情で責める言葉を吐いた。
「でも、嬉しいよ。意外に私も単純と言うか現金と言うか。これじゃあ私がポニーちゃんだね」
「さっきも思ったんだけどさ、ポニーちゃんのポニーてなに?」
「ポニーちゃんはポニーちゃんさ」
どうやら当人も理解していないらしい。ポニーとは一体……うごごご!
――――その疑問は兎も角として、心底からホッとした。
オレの言葉を受け取って、フジは照れくささから頬を染めながらも、はにかむように微笑んでいたからだ。
おハナさん
此処のトレーナーのせいでアニメ版とは違って、当たりが随分と柔らかくなっている。
と言うのも、トレーナーがリギルの面々と打ち解けるのがクソ早くて、焦ったおハナさんが「は? 彼女達は全員私の愛バなんだが?」みたいなことを言ってしまってヤケクソになったから。
学園で誰よりも早くトレーナーがヤベー奴だと気づいたヤベー人。この話で出てくるトップクラスのトレーナーは全員漏れなくヤベー奴等。
拷問部屋出身。沖野Tとデキてる。
サポート効果:全トレーニング効果UP、自分以外の友情トレーニング効果大UP、バッドステータス獲得無効。
これくらい出来なきゃトップクラスのトレーナーは務まらない。
沖野T
アニメ版とは違ってチームを率いていない。
現在、海外に挑戦しにいったミスターシービーの付き添い中。当時担当がいないのを良い事におハナさんに任された模様。今日も海外でウマ娘のトモを触って蹴っ飛ばされている。
トレーナーとは意気投合している。うまぴょい伝説をデュエットして「オレの愛バが!」と熱唱したことも。お互いにお互いのことをちゃらんぽらんだな、とか思ってる。
おハナさんの下でサブトレやってた頃から、トレーナーのことは頭おかしいヤベー奴だと思っていたけど付き合い方を一切変えなかったヤベー人。
おハナさんの同期。拷問部屋出身。おハナさんとデキてる。トレーナーとリギルの面々に外堀埋められて逃げられない。
サポート効果:ステータスUP、体力+30イベントが頻発。やる気が「好調」以下にならなくなる。レースボーナス大UP。
ウマ娘に走りたいように走れと言えるからこんな感じ。
但し、放任過ぎるところがあるのでバッドステータスにはなる。