今回の話、作者の勘違いでこんな形に。
自分は何でメイクデビューを4月頃とか勘違いしていたんだ?
実際に、作中のスズカさんと同じ流れでデビューしようとした競走馬がいるようで。
まあ、細かい所は違うかもしれませんが、其処はこの話特有の独自設定と言う事で一つ。
そしてフジキセキのキャラストを見て、泡食ってトレーナー君からトレーナーさんに修正。
修正し忘れてるところがあったらまた教えてください。
スズカのデビュー当日。
オレは日本の四大レース場の一つである中山レース場にいた。
天気は数日前から続く快晴で良バ場発表。
体感だが風速2・3mと平均値、方向は追い風。スズカのようなスピードタイプには絶好の条件が整っている。
午前中から始まっている未勝利戦のいくつかをスタンドで春の日差しを浴びながら眺めている最中だ。
今日の所はスズカと二人きり。
ルドルフもオグリもレースが近く、マックイーンとライスに入れ込み過ぎてオーバーワークにならないように監視を頼んだ。
観客の数はそれほどでもない。
未勝利戦など毎週土日に飽きるほど開かれているし、注目を集めるようなウマ娘がいなければ当然かもしれない。
しかし、例えG1、G2でなくとも、一つのレースにはドラマがあり、出走するウマ娘には自らを焼き尽くさんばかりの熱意が存在する。
オレ個人としては勝った負けたばかりではなく、そうしたところにも目を向けて貰いたいものではあるが、骨の髄までレース好きでもなければ共感は得られまい。
事実、新馬戦、未勝利戦にただ一度も勝利できないまま学園を去っていくウマ娘の方が圧倒的に多い。見ている側も有望株でもなければ、覚えていられないだろう。
分かり易い過程や結果しか見て貰えない勝負の世界。
どうしようもない無常が存在するからこそ、出走する側は常に夢を追いかけ、観戦する側は常に夢を見る。
ガキの頃から覚えていたやるせなさと、それを超える期待。
肌で感じるレース場の空気は随分と懐かしい気さえしたが、同時に新鮮でもあった。
こうしてトレーナーとして立つのは今のオレにとっては初めての経験になってしまうからだ。
ルドルフには申し訳ないが、忘れている以上は心境としては当然であったかもしれない。
「……そっちの担当は調子が良さそうだな」
「黒沼さん。そっちの担当の娘も未勝利戦に勝ってたじゃないですか」
「ああ、調整に苦労したがな。どうにも、体質的に弱いとオレのやり方じゃ厳しいものがある」
一人スタンドで何とも言えない心境と空気に浸っていると、後ろから一人の男性が声を掛けてきた。
誰もが最初に抱く印象は厳つい、その一言に集約されるだろう。
黒い帽子にサングラス、屈強な肉体を見せつけるようなファッションセンス。柔和さには程遠い顔立ち。
何も知らなければ堅気にすら見て貰えないだろうが、トレセン学園が誇るトレーナーの一人、黒沼さんだ。
おハナさんやオレ、南坂ちゃんと同じく拷問部屋出身。そのお陰で付き合いがあったらしい。
学園に戻ってきてから話したのは数回程度であるが、それだけで厳格さと確かな信念の持ち主だと分かった。
口数は少ないが人と話すのが嫌い、苦手と言うよりも、言葉の持つ威力、言責というものを理解しているからこそ慎重に言葉を選んでいるような印象だ。
実績もトップトレーナーに恥じぬもの。
勝利した重賞、GⅠレースは数知れず、上位リーグであるドリームトロフィーシリーズに何名も担当を送り出している。
おハナさんが才気溢れる担当を更に高い位地に押し上げるとするならば、黒沼さんはどのようなウマ娘でも一定の成果を上げさせるいぶし銀。
トレーナーとしての特徴は苛烈とも言えるハードトレーニング、結果として得られる適性距離の伸び。
その手腕は見事なもので、短距離に適性があると思われたウマ娘を中距離で活躍させるほど。
その分だけ故障の発生率が高まるのだが、限界ギリギリを見極める確かな目を持っている。
総じて、性格的にも方針的にもオレとは反りが合わない、とは思うのだが不快感や反骨精神は沸いてこない。
歩む道は違えども、互いに敬意を払っているからだ、と信じたい。
「しかし、また随分と無茶な真似を選んだな」
「6月まで待ってもよかったんですけど、思っていた以上に闘争心が強くて。仕上がりも尋常じゃないほどいいし、其処でフルゲート割れしているのを聞きまして」
明らかな批判の色を孕んだ視線ではあったが、否定だけは存在していない。
根底にあるのがオレとスズカに対する心配であり、レースの結果に関してある程度、予想しているからだろう。
通常、メイクデビューは6月以降。
其処で勝利するか、負けたとしても未勝利戦で勝つことで、トゥインクルシリーズに正式参戦となる。
だが、その前提を覆す手段はある。
それがクラシック競走の前哨戦とも称され、優先出走権を得られるトライアル競走。
URAの規定上、このトライアル競走は未出走、未勝利であったとして年齢さえ満たしていれば出走できる。
其処でオレが選んだのは皐月賞の前哨戦となる“スプリングステークス”。距離は1800m、格付けとしてはGⅡの重賞競走となる。
普通は誰もこんな真似をしない。
トゥインクルシリーズは初年度はジュニア級、二年目をクラシック級、三年目をシニア級と分けられ、出走できるレースが区分されている。
クラシック競走は登録を行った上でクラシック級に至り、一定の獲得賞金、年齢を満たさなければならず、人生においては一度きりしか出走できない。
つまり、例え勝った所で優先権が機能せずにメリットがまるでない。デビューするだけなら、面子が同じ未出走しかいないメイクデビューまで待った方が無難も無難。
実際、このオレの選択はマスコミに取り上げられた。
内容はサイレンススズカというウマ娘がそれほどのものなのか、と言う期待が二割。
残る八割は、三冠バトレーナーの出走奨励金や特別出走手当を目的として小遣い稼ぎという批判だ。
スズカを知らないURAのお偉方、トレーナー、ファンも恐らくは似たような見解を抱いているだろう。
似たような真似をしたウマ娘はいるにはいるが、いずれもパッとしない成績のままレースの世界を去っているからだ。
その上、ウマ娘は精神面での影響がもろに出る。
たった一度の勝利、たった一度の敗北で、おかしな癖でも付こうものなら矯正にどれほど時間がかかることか。
世間の反応は当然で、予期していたもの。故にメディアからのインタビューにもノーコメントを貫いておいた。
違う反応を見せたのは極一部だけ。隣の黒沼さんもその一人。
「黒沼さんから見てどうです、ウチのスズカは?」
「オレに聞くか……才能も仕上がりもお前の言う通りだ。実戦経験の無さは痛いが、チーム内での模擬レースはしているんだろう?」
「勿論。ウチには三冠バと学園に来る前から家で模擬レースしまくってたメジロの御令嬢がいますんで」
「ならお前の選択も頷ける。勝ちの目は十分あるな」
此方を気に掛けて、話し掛けてくれたのは分かっている。
既に何処かで今日のスズカを目にしただろう故に、この結論だ。おハナさんも同じ事を言っていた。
流石にトップトレーナーと呼ばれる存在。自分の担当ばかりでなく、余所の担当もいずれはぶつかるかもしれない相手として情報収集を怠っていない証拠だ。
正直なところ、オレ自身もこの選択はバカげているとは思っている。
ただ、彼女の闘争心は凄まじかった。
併走や模擬レースで発散できていると思ったのだが、甘かったと言わざるを得ない。
ルドルフやオグリに並ばれた時やマックイーンやライスに迫られた時、凄絶とさえ呼べる眼光が瞳に宿る。
結果、空回りしてペース配分を誤り、必ずと言っていいほど逃げ潰れを起こしてしまう。スズカ自身が闘争心をコントロール出来ていない。
今回の決断は、そのツケを払う結果だ。
このままでは気性難になってしまいそうなので、これまでにない相手と走らせることで溜まりに溜まった闘争心を吐き出させるのが最大の目的。
世間が思っているように、勝ち負けや金の話が焦点ではない。その後の成長のさせ方こそが焦点なんだ。
ただ、問題があるとするのなら――――
「大丈夫なのか?」
「何言ってんですか、黒沼さんの考えてる通りです。経験で劣っていようが能力が違う。あっさり勝ちますよ」
「……オレが言ってるのは彼女じゃない、お前の方だ」
溜息と共に投げ掛けられた言葉に、心臓が嫌な跳ね上がり方をした。
見透かされている、素直にそう思った。
「どう、ですかね」
「そうか……余り無責任なことは言いたくないが……」
流石に、人生経験豊富な人の前では強がりや上辺だけの言葉など通用しない。
オレが内心を当てられて辛うじて絞り出した言葉を黒沼さんは静かに受け取るだけ。
そして、顎の整えられた髭を弄りながら、慎重に言葉を選んでいる様子。
言責というものを重々承知しているからこそ、
「トレーナーは導き支える立場だが、同時に教えられ支えられることもある。オレ自身、多くのものを受け取ってきたつもりだ」
「…………」
「オレは無我夢中でそのことに気付けなかったが、お前ならそれに気付ける。だから、そう気に病むな。大事なレース前だ、顔くらい見に行ってやれ」
「……そうします」
それは先達としての言葉だったのだろう。
しかし、今のオレには受け止めるには余りに重い。
素直に受け取れず、かと言って無下にも出来ず。
何とか黒沼さんの言葉を実行にだけは移すべく、笑っておく。だが、上手く笑えたかどうか。
そのぎこちなさを見出したのか、黒沼さんはそれ以上何も言うことなく帽子を深く被り直すだけ。
忘れたとしても再び胸に刻めるように、今の言葉を手帳に書き込んでおく。オレに出来たのは、それだけだった。
―――――
――――
―――
――
―
レース場には様々な設備がある。
一般人の入れるスタンド、食堂、売店から関係者しか入れない審議や着順の確定を行う審判室。
その内の一つに、選手の控室がある。
レース開始前の各々が着替えや化粧を済ませる個室。
スズカに与えられた扉の前に立ち、乱れた心を整え直してノックする。
「スズカ、入るぞー?」
「――――あ、はい、どうぞ」
ノックと掛けた声に僅かに遅れて返事があった。
レースに向けて集中力が高まっている証拠だろう。やや入れ込み過ぎている感は否めない。
扉を開けて中に入ると、体操服の上にゼッケンを付けたスズカが控室の椅子に座っていた。
オレの顔を見るとパッと顔を綻ばせたが、瞳に宿った闘争心は炎のように揺らめいて消え去らない。
やる気十分。デビューにGⅡを選ぶ愚行に不安すら覚えていない様子だ。
同時に、そのまま何処までも走っていって、手の届かないところにまで行ってしまいそうな危うさがあった。
当人でさえどうしようもない高揚と、僅かばかりの緊張が見て取れる。朝、目にした状態とさして変化は見られない。
その時は精神的に余裕がなかったから気が付かなかったが、これは少し気を紛らわせてやった方がいいかもしれない。
「調子良さそうだな。レース前にはナーバスになる娘が多いらしいんだけどなぁ」
「そう、ですか? 私は、もう直ぐにでも走りたくて……」
「この前みたいにオレを置き去りにしてそのまま直帰なんてやめてよぉ?」
「あっ、あれは! ちがっ、違うんです! 置き去りにするつもりなんてなくて、忘れてしまっただけで!」
「それはそれで酷いと思うぞぅ?」
「あぅぅ、ご、ごめんなさい」
もう忘れてしまって情報としてしか認識していないのだが、その時の話を出すとスズカは思わず顔を真っ赤にして縮こまっていく。
少し前、学園のコースが使えず学園外でタイムを測ろうという話になった。
一般道を使った訓練なので全力ではなく、あらかじめ走るコースを説明して流すだけの訓練だったのだが、其処で事件が起きた。
春の陽気に当てられたのか、走ることが楽しくなってしまったスズカは途中でタイムの事など忘れ、コースも外れて何処かへ走り去ってしまったのである。
生憎とその時は他のチームメンバーがいなかったため、彼女を止める者など誰もなく。
その時に、オレが手帳に残したのは此方。
河川敷 五時間経っても 待ち惚け
季語もクソもない、哀愁ばかりが漂う一句だった。
時間通りにその日の記憶を失ったオレはそれでもなお待ち続け、日が暮れた辺りで寮長のフジに連絡してスズカが無事に寮へと戻ってることを確認して帰った次第である。
次の日、朝早くから顔を真っ青にしてミーティングルームにやってきたスズカの土下座せんばかりの勢いの謝罪は記憶に新しい。
別にオレは全然怒っていなかった。まあ、頭先頭民族と付き合うならこれくらいは、ね?
寧ろ、顔を蒼くさせたり赤くさせたりするスズカが面白くなって爆笑していたほどだ。
……ともあれ、スズカの気を紛らわせられたようではある。
一瞬。ほんの一瞬でもレースから気を逸らせれば、入れ込み具合は解消されて集中は一から立て直し。
レースまでに十分すぎる時間はあるし、彼女なら問題ないレベルまで立て直しもできよう。
「今回は特に指示しない。難しいことを言っても逆効果だろうしな」
「いいんですか?」
「いいも何も、スズカの走り方ならなぁ。小細工やら駆け引きなんて関係ないし。周りは殺気立ってるけど」
そりゃ殺気立とうというものだ。
未出走のままトライアル競走に殴り込みをかけてきた。
真面目に皐月賞を狙っている側にしてみれば、不快以外の何ものでもあるまい。
レースの世界を舐めている、私達を甘く見ている、と感じてもおかしくはない行為だ。
ともすれば、感情に任せて徹底的なマークや悪質な妨害に出る者もいるかもしれない。
だが、相手がどのような手段に打って出ようとも、オレとスズカはその上を行くのみだ。
出走相手の脚質や性格、今日の仕上がりを見ても、何の問題もなく勝てる相手だ。
何度頭の中で映像となった予想を行っても、結果は覆らずにスズカの勝ち。
不安要素はスズカ自身が抱えたメンタル面の問題であったが、この分ならば修正の必要はないだろう。
「いつも通りに行こう。大逃げ、期待してっからさ」
「……! はいっ!」
「……?」
一瞬ではあるが、スズカの表情が明らかに色めき立った。
……はて、オレの言葉はそんなに喜ばしいものだったのだろうか。
オレなんかは期待も失望も、自身の行いに対する周囲の反応以上のものはないんだが……。
まあ何にせよ、闘争心とはまた異なるやる気が灯ったのはいいことだった。
―――――
――――
―――
――
―
結果だけ言ってしまえば、今年のスプリングステークスは世間にとっては大波乱の、オレにとっては当然の結果となった。
スタートからハナに立ったスズカはそのまま誰にも先頭を譲らずゴール板を駆け抜けた。
そもそも生まれ持った絶対能力やスピードからして違う。
経験で培った策や駆け引きがスズカには通用しない。仕掛けようにも追い付けないのだから。
そういった世界に引きずり込める者は限られる。
ルドルフのような強靭な精神と明晰な頭脳を持った者か。
マルちゃんやフジのような比肩し得るスピードを持った者か。
オグリやタマちゃんのような末脚と並々ならぬ勝負根性を持った者か。
マックイーンやライスのような無尽蔵とも言えるスタミナを持った者か。
生憎と今回の出走者にそのような者は一人としていなかった。
途中、スズカは掛かり気味になってしまい、無駄にスタミナを消耗してしまったが。
結果、二着とは僅かハナ差。予想では一バ身は離せるとは思ったが、この辺りは今後の課題だろう。
何にせよ、ハナ差であろうが勝ちは勝ち。
寧ろ、未出走のウマ娘がクラシック級にまで駒を進め、皐月賞に挑まんとするライバルから勝ちをもぎ取った事実は何よりも重要だ。
無謀に挑んだウマ娘を一目見ようとした観客達から一瞬の静寂の後に大歓声が。
関係者からは称賛どころか愕然とした沈黙のみが送られた。
尤も、当の本人は初めてのレースとその感触を噛み締めていて、周囲に目を向けてなどいなかった。
オレとしてはファンサービスしろとは言わないが、応援してくれた人達の称賛の声にも耳を傾けてやって欲しい。
そうすれば、スズカの世界はまた広がる。
いずれ、その期待も夢に至るための力になるはずだ。
「トレーナーさん、やりました!」
控室の前で待っていると、戻ってきたスズカがオレの姿を認めて一目散に駆け寄ってきた。
普段の控え目な彼女では見られない、子供のような幼い笑みと弾んだ声。心なしか、足取りも弾んで見えた。
よし、足腰に異常なし。体力もまだ残っている。
これならライブにも耐えられるだろう。
「ああ、大した大逃げだったよ。でも、途中で掛かってたろ?」
「あっ、やっぱり分かりましたか……?」
「そらねぇ、トレーナーさんですから。これからはレースの雰囲気と自分の闘争心に飲まれないように」
「は、はい……」
取り敢えずは、まずは指摘しなければならないところを指摘しておく。
これもまたゲインロス効果の使い方。
笑いのコツは上げて落とすだが、指摘のコツは落として上げる、だ。
「だが、それ以外は流石だ。途中まで完全に一人旅だったしなぁ。よくやった。よくやったよ」
「あ……ぅ……そ、その、トレーナーさん、流石に廊下では恥ずかしいので……」
「なんだぁ? 一丁前に照れてんの? うりうり~」
労うように頭を撫でてやる。
他の目に晒される可能性があるからか、スズカはゼッケンをぎゅっと握り締めながら、顔を真っ赤にして上目遣いで物申してくる。
しかし、本当によくやったと思うからこそ、止めてなどやらない。
世間からの批判や周囲からのやっかみに負けず、勝ってきたのだ。
そして何よりも、オレ自身が魅せて貰った。
ガキの頃のように、何一つ余計なことを考えずに楽しんだ。
まさか、もしかして。そんな夢が叶ってしまうのではないか、という淡い期待を抱いてしまうほどに。
「さて、と。じゃあ、ライブの準備をしてきな」
「え、でも、インタビューがあるんじゃ……」
「スズカ、そういうの苦手だろ? そっちはオレが適当に答えとくから気にすんな。これからは兎も角、今日くらいはいい気分で行っといで」
「はい! ありがとうございます!」
しっかりとした感謝を伝えるために、深々と頭を下げたスズカはシャワールームへと向かっていく。
背中では尻尾が高く揺れて、耳はピンと立っている。喜びと同時にリラックスしている証拠だ。
おかしな癖もついていないようだし、これで当面は安心だろう。
「さてと、行きますか」
スズカの姿が見えなくなるまで見送り、オレは気合を入れ直す。
レースに勝利したことで、マスコミには大きく取り上げられることになる。
世間に八割あった批判も掌返しで称賛と期待に転ずるだろう。
そうなれば、インタビューの内容もより情報や此方のコメントを得ようと勢いを増す。
中には此方の印象を下げようと悪意を持って厄介な質問をしてくるインタビュアーもいるかもしれない。
ルドルフほど頭の回転が速ければ何の心配もないのだが、人付き合いが苦手なスズカには苦手分野そのものである。
前面に立たせるのはまだ早い。今回は疲れがあるとして代役し、次回からは横でフォローする形を取るとしよう。
こうしたマスコミへの対応も、トレーナーの立派な仕事だ。
懸念があるとするのなら、インタビューではない。記憶を失った後だ。
オレに課せられた最大の試練は、その後に待ち構えている。
どうか、スズカや他の皆には悟られませんように。
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――
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「はっ……はっ……ふふっ……!」
ライブ会場から先に戻ったトレーナーさんの待つ控室へ小走りで駆ける。
私のデビュー戦とライブは大成功の形で幕を閉じた。
レースが始まる前と間は自分の内にある熱を吐き出すことも出来ずに随分とやきもきした。
けれど、終わってみればその熱は消え去って、また別の熱い想いが生まれてくる。
ライブで歌い、踊っている最中、全身に叩き付けられるファンの歓声。
私の走りを見た人達の応援と期待が、何よりも心地良かった。
そして、レース前は刺々しさすらあったライバル達のヒリついた雰囲気も変わっていた。
負けを認めて、次は勝つと宣言する人。泣きそうな顔になりながらも称賛の言葉を掛けてくれる人。
自分がどんな気持ちであったとしても勝者に対する敬意を忘れないその姿に、私に欠けているものが何かを教えて貰った気がする。
例え負けていたとしても、先頭を走れなかったとしても、同じ気持ちになっていたと思う。
勝利以上に得るものの大きいレースだった。
多分、以前の私では先頭を走れなかった事実にだけ目を向けて、それ以外には何も気づけなかった。
そんな気持ちにさせてくれたのは、間違いなくトレーナーさんと皆のお陰だと感じている。
期待に応えることの歓び、私の願いや思い以外にも大切なものがあると気づかせてくれた心からの感謝を伝えたかった。
皆は学園にいるので明日にするとして、今はトレーナーさんに。
………………いの一番なのに他意はない。うん、決して。
「トレーナーさん!」
「おう、戻ってきたな。ライブよかったぞ」
「……?」
扉を開け放って控室に入ると、一人掛けのソファに座りながらもトレーナーさんが迎えてくれた。
でも、何だろう……?
何時もと変わらない笑みを浮かべているはずなのに、何処か違和感を覚える。
そして、予感めいたものも。
この人と付き合っていく上で、その違和感の正体に気付かなければならない気がした。
「どうかした?」
「い、いえ、何かあったわけじゃないです、けど……」
「そう、か……なら、いいんだけど……」
私の反応に、首を傾げた。
それはそうだ。トレーナーさんに私の状態は分かっても、何を考えているかまで分からない。
募る焦燥感はなんだろう。
レースで射程圏内に捉えられてしまった時以上に、焦りを覚えている。
その時、トレーナーさんは私からすっと目を逸らした。
普段は相手の存在を認めるために、目を合わせて話す人が自ら。
そんな真似をするのは、何か疚しいところがあるから……?
「……ああ」
思い至ったのは二つの事柄。
今の時刻は18時過ぎ。
もうトレーナーさんに昼間の記憶はなくなっている。
それは患っている病のせい。私も彼も理解していることで、今更説明されるまでもない。
私がどう走ったのか、どんな風に勝ったのかさえも覚えていられない。
それはいい。
私も事情は知っているし、彼も全てを覚悟した上で私の担当を引き受けてくれた。
でも、覚悟していたとしても目の当たりにした現実に何を感じるのかは、また別の話。
今のトレーナーさんにとって、私の勝利はテレビの向こう側で語られる情報に過ぎず、経験とは言えない。
そんな状態では、共感も同調もありはしないだろうから。
だから、私の勝利を心から喜べないでいる自分を恥じている。それが一つ目。
(……そうか、私、この人のことが、好き、なんだ)
もう一つはバカバカしいくらいに簡単なのに、今まで気づかなかった私の気持ち。
自分ではどうしようもない事柄を、仕方ないで済ませられない純粋さと誠実さ。
そんなトレーナーさんだからこそ、初めて会った時に担当をしている娘を羨んだ。
そして、担当をして貰って、きちんと向き合ったからこそ、今は好きになった。
そうとしか説明がつかない。
会長や他の皆、チームメイト以外の人と仲良くする度に、胸が締め付けられたのは嫉妬だったから。
頭を撫でられるほど、心配されるほどに嬉しくなってしまったのは、確かな喜びがあったから。
だから、その気付きと胸の内のまま、私は動き出していた。
「あー、あの、スズカさん?」
「大丈夫、大丈夫ですよ。トレーナーさんが忘れても、私はちゃんと覚えていますから。だから大丈夫」
「…………っ」
座ったままのトレーナーさんの頭を抱いて、逃げられないようにお腹に押し付ける。
そして今度は、私が頭を撫でる番。
少しでも不安と不甲斐なさを和らげてあげるように、優しく。
心に生まれた愛おしさを伝えられるよう、壊れ物を扱うよりも慎重に。
私の言葉に動揺したらしく、一瞬だけ身体を震わせたトレーナーさん。
でも、単純な力で
「初めて会った時も、それに今日も言ってくれたんです。大逃げを期待してるって」
「…………」
「レースの後も、掛かり気味だったけど、よくやったって頭を撫でてくれて」
「スズカ、オレは……」
「凄く、凄く嬉しかった。それじゃ、足りませんか?」
「…………いや」
トレーナーさんの動揺がなくなるまで頭を撫で続けてから解放する。
露わになった顔には、私の好きな優しげな屈託のない笑みが刻まれていた。
ほんの少しでもこの人の苦悩を晴らしてあげられたのなら、私は満足だった。
そして、意を決して問いかける。
「これからも私――達と一緒に歩んでくれますか?」
「ああ、勿論。君達と一緒に、行けるところまで」
「良かった。嬉しいです」
「……黒沼さんの言ったことは本当だった。気に病む必要なんて、なかったんだな」
改めて思いを新たにする。
この人に笑顔と幸福を。そして、私が夢を掴む姿を見せられるように。
ようやく自覚した気持ちはまだ伝えずにおこう。
さっきの反応を見る限り、意識すらされていないのは分かり切っているから。
この分じゃ、今日のレース前以上にやきもきする羽目になりそう。
でも、それを楽しむだけの余裕が今の私にはある。
まずは
そして、いずれは
トレーナーさんと皆のくれたものを大事に慎重に、後悔のないように使いながら。
望んでいたものを手に入れられるように、努力しようと思う。
他でもない、生まれて初めて女として好きになった、この人と一緒に。