トレーナーさんは眠らない(ガチ)   作:HK416

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またしてもランキング入り、評価、誤字報告ありがとうございます!
やる気がもりもり出てくるぞぉ!


それにしてもキャンサー杯、なかなか勝てないなぁ。
これでは決勝Aグループにいけるかどうか。
予想で聞いていたほどセイちゃんもそんな活躍してないし、もうわかんねぇなこれ。


スズカに続いて今回はルドルフ編。その次はオグリの初戦じゃい! 
でもあれだ、レース描写って難しいですわ。今回書いてみて実感した。
まあそんなに重要なとこじゃないから描写しないでザックリカットでもいいか。また考えます。



『鎧袖一触』

 

 

 

 

 

 スプリングSから一週間。

 レースにおいて最も強いと言われる「逃げて勝つ」を実現させたスズカ。

 未出走でありながらも重賞を勝ち切る偉業は瞬く間にマスコミに取り上げられ、期待のルーキーとして取材の電話が引っ切り無し。

 ついでに言えば、小遣い稼ぎと揶揄されたオレの悪評も掌返しで三冠バトレーナーの英断やら何やらと持て囃されている。

 

 とは言え、オレにせよスズカにせよ、持て囃されようが嬉しい性質でもない。

 アポなしの突撃取材は当然のようにお断り。無理に詰め寄ってくる場合は即座に警備員を呼んでお引き取り願った。

 記者やテレビ関係者が、売れるネタを手に入れられれば礼節も常識も関係ない、なんて輩が八割な時点で頭痛がしてくる。汚いなさすがマスコミきたない。

 

 ただ、そんな中でも熱意と誠実さに溢れた仕事人という人種はいるもので。

 そういった方々には此方も誠意を以て対応させてもらった。記憶の関係で不安が色々とあったので、理事長やたづなさん、ルドルフ、おハナさん、南坂ちゃんのいずれかに最低一人は同席していただいたが。

 

 なかでも印象に残ってるのは「月間トゥインクル」の乙名史という女性記者か。

 やや前のめりながらも、トレセン学園に所属する期待値の高い未出走者を調べていたり、レースやトレーニングに関する知識も十分と正にプロ。

 以前に何度となく取材を受けていたらしく、ルドルフが同席していなければ面倒なことになっていた。

 

 オレの健忘に関しては少なくとも学園外に流れていない。

 入院中はオレ自身ですら把握しておらず、退院後も理事長が色々と手を回してくれた。

 病院関係者も職業意識が高い上に、トレセン学園とは懇意。其処から情報が洩れることもない。

 

 オレとしても有り難い限りだ。

 マスコミにしてみればオレの現状など格好のネタ。

 シンボリルドルフの担当トレーナー記憶喪失! などと面白可笑しく騒ぎ立てられては堪らない。

 

 世間が同情するばかりのはずがなく、さっさと担当を降りて引退しろとの気運も高まる。

 トレセン学園内部には理事長から温情と特別扱いされているオレを敵視する人物もいて、これ幸いと動き出すこともあるだろう。

 そうでなくとも年頃の娘達が大半なんだ。ちょっとした取材で悪意も悪気もなくポロリなんてことも在り得る。

 

 そうならないためにも、まずは結果。これを出し続ける限りは言い訳もたつ。

 そして、あとはオレ自身の人間性と運。可能な限り彼女達と行けるところまでは行きたいが、それも何時まで続けられることか。

 

 

「トレーナー。トレーナー……?」

「ぅん? どうかしたか?」

 

 

 喜ばしくない未来を想像していたら、オレの異変に気付いたオグリに袖を引かれて現実へと引き戻された。

 

 本日の舞台もまた中山レース場。

 しかし、スプリングSの時とは違い、今日はチームでスタンドの最前列に立っていた。

 これから観戦するのは春天の前哨戦となるGⅡの日経賞、芝2500m。出走するのは勿論、ルドルフだ。

 

 

「しっかりなさってくださいませ。今は余計なことを考えずに目の前のレースと応援に集中を」

「悪い悪い」

 

 

 何処か上の空でいるオレにマックイーンは眉根を寄せながらもピンと人差し指を立てて忠告してくる。

 参ったね、口振りから察するにオレの内心を読み取っているかもしれない。こっちが困るくらいに聡い娘だ。

 誤魔化すこともできず、オレは苦笑いを浮かべる他なかった。

 

 オレの心を周囲に暴く真似もせず、かと言って貴方の問題と冷たく突き放してもいない。

 踏み込み過ぎず、離れ過ぎない絶妙な距離感。オレを気遣ってなのだろうが、有り難い限り。

 

 

「大丈夫? 何処か痛いの……?」

「いや、ちょっと考え事してただけ。大丈夫だよ」

 

 

 全くの見当違いではあったが、今度はライスが顔を覗き込んできた。

 ちょっと心配になるくらい幼さの残る彼女だが、その優しさは本物。打算的なものは何もなく、真心だけがある。

 

 そんな娘の担当であれる誇りと静かな喜びから、気が付けば彼女の頭を撫でていた。

 照れ臭さはあるのだろうが、それ以上に歓喜が勝ったらしく耳をぷるぷると震わせて笑みを浮かべる。

 ライスは割とストレートに褒められることを好む。なので手加減せずにわしゃわしゃしておく。

 

 

「…………」

 

 

 そして、オグリの反対側にはスズカが静かに佇んでいる。

 眩暈すら覚えそうな美貌は、高揚からか薄紅色に淡く色づいている。

 これから走るわけでなく、中山で先頭走って快勝した時を思い出して悦に浸っているらしい。

 スズカ、そういうところだぞ。そんなだから皆から先頭民族認定を受けるんだ。いや、言い出したのはオレで、皆は乗っかってきただけだが。

 

 

「…………」

「……ふふ」

 

 

 …………しかし、あの、なんか近い。近くない?

 

 ルドルフの距離感もバグっていたが、スプリングSを終えた辺りでスズカの距離感もバグり始めた。

 隣に立っているだけにも関わらず、肩と肩が触れ合ってしまいそう。お肌とお肌の触れ合い通信などする必要などないはずなのに……!

 

 圧が、スズカからの圧が凄い!

 先頭を走ると意気込んでいる時くらいの気迫を感じる!

 

 しかし、スズカも何かと注目される立場になってきている。

 マスコミにおかしな捉えられ方をしては面倒なので、意を決して伝えるべきことを口にしよう。

 

 

「あの、スズカさん、ちょっとぉ、距離を空けて欲しいのですが……」

「いえ、お客さんが多いので無理です」

「そ、そっすか……」

 

 

 出来るだけ穏当に、適切な距離を空けていただこうとしたのだが、にべもなく断られる。

 

 確かに、確かにスズカの言うことも尤もだ。

 本日の中山にはGⅡレースとは思えないほどの観客が集まっている。

 

 ミスターシービーというターフの演出家は海外への挑戦中。

 皇帝に一度は土をつけたカツラギエースは上位リーグへ。

 同期の桜にしてライバルだったビゼンニシキは中長距離から短距離マイルへと鞍替した上に、現在は怪我で療養中。 

 

 とどのつまり、現状トゥインクルシリーズにおけるスター選手はルドルフただ一人。

 GⅠレースはチケット入手の競争率と難易度は高くなるので、GⅡの日経賞で彼女の勇姿を拝もうと相当数の観客が押しかけている状態だ。

 ルドルフの出走が決まったおかげで、出走者の数は激減。本来は16人でフルゲートのところ、本日は8人立てだ。

 

 でもですね?

 人が一人立つのもやっとというくらいの密度ではないわけですよ。

 だから距離を……、と思ったのだが、スズカは更にぐいと肩を寄せてくる。いや、押し付けてくる。

 

 もうぐい、なんてレベルじゃない。ぐぃぃぃぃい! と言った感じ。

 

 ちょっ!? 凄い力だ!

 このままではオレはスズカとオグリに挟まれてサンドイッチの具みたいになっちゃう!

 

 オグリもオレに押されて迷惑しているだろう。

 ついでに助けを求めるつもりで反対側に視線を向けたが――――

 

 

「ずぞっ、ずぞぞぞぞぞぞぞぞ――――!!」

 

 

 …………こいつ、焼きそば食ってやがる。

 

 全く我関せずとばかりに、何時の間にやら買っていた山盛りの焼きそばに夢中になっていた。

 オレとの距離感なんて何も気にしていない。いくらトレーナーだからって、男との距離が近いのだからもう少し警戒心を持ってくれ。

 

 何となく気になって、オグリの向こう側にいるマックイーンとライスの方を前のめりになって覗き込む。

 

 

「もぐもぐ……あっ、マックイーンさんも、食べる……?」

「……えっ!? あ、いえ、こうして立ちながら食べるのは、はしたないかと……」

「そうなの……? でも、立食パーティーとかもあるし……」

「……で、では、お言葉に甘えて…………もぐっ……んん~~~~~~~♪」

 

 

 こっちも買ったばかりのベビーカステラを分け合っていた。大変微笑ましい。

 二人はルドルフやオグリの最終調整に付き合って、糖質も脂質も少なめな食事が多かった。オグリも含めて今日くらいは大目に見よう。

 

 よくよく考えると、ウチのチームは食い意地……もとい食欲不振の娘はいないな。

 オグリが来てからルドルフもスズカもよく食べるようになったし。良いことだ。

 

 見ていて安心する身体つきなのはルドルフとオグリくらい。

 スズカもマックイーンもライスも足から何から細すぎて不安になる。

 人間以上の強度を持っているのは分かっていようとも、見た目や印象から覚える不安というものはどうあっても生じるもんだ。

 況してや、こっちは速度や筋量から生み出される出力やら耐久値もおおよそとは言え把握しているわけで。何時まで経っても不安は尽きない。

 

 スズカの距離感から半ば現実逃避気味にそんなことを考えていると、スタンドが一気に沸いた。

 

 

「んぐぐっ、ごくん。来ましたわね。トレーナーさんの見立ては?」

「んー……ルドルフの勝ちは揺るがないだろうが、ワンチャン有りそうなのは人気通りカネクロシオかサクラガイセン辺りかなぁ」

 

 

 地下バ道から現れた出走者がコース上に足を踏み入れていた。

 

 スタンドのファンに向けて愛想を振りまく者。

 レースに集中して、ただ前だけを向いて歩く者。

 対戦相手を威嚇するかのように鋭い視線を飛ばす者。

 

 反応は様々だが、既にレースを経験しているだけあって必要以上に緊張している者はいない。

 

 沸き上がるスタンドの歓声を最も受けるのは、やはり一番人気のルドルフだ。

 この程度の歓声には慣れているのだろう。泰然自若、威風堂々と歩を進める姿は皇帝の名に相応しい。

 

 

 余談であるが、出走者の人気はチケットを買った際に得られる購入者の投票によって決まる。

 この際、投票した出走者が一着になると、後のライブで壇上手前の優先席に座れるシステムになっていて、金の戻ってこないギャンブル的な要素もある。

 

 余りライブに興味はないが、それなりにいいシステムではないだろうか。

 そうした方がファンもより一層のめり込むし、応援もひと際熱が籠る。

 トゥインクルシリーズが衰え知らずに成長期であり続けられる秘訣の一つだろう。

 

 そして、ウマ娘側としても嬉しい配慮と言える。

 万が一、一番人気を降して大穴を開けたとしても、自身のファンが間近にいれば人からの不興も不満もなんのその。

 気後れすることなく高らかに自らの勝利を歌い上げ、ファンの声援に最高の形で応えられるだろう。

 

 

 閑話休題。

 さて、トレーナーとしてすべき仕事をするとしよう。

 

 指を咥え、甲高い指笛を鳴らす。

 すると、大歓声を切り裂いた音はルドルフの耳に入ったようで目が合い、また意図も届いたようだ。

 ゲートに向かう出走者の列を抜け、此方側へと向かってくる。

 

 近づいてくるルドルフにファンはサービスの一環とでも思ったのか、より一層黄色い声を上げた。

 余りの人気と歓声に、スズカやライスばかりではなく、マックイーンも驚いていて、オグリなんか焼きそばを頬張ったまま背後を振り返っている。

 

 

「トレー……むぅっ」

「ル、ルドルフ、どうした急に」

「いや? 何もないが? ただ、相変わらず私のトレーナーとしての自覚が薄いと思っただけだ」

「えっ?! そんなに?!」

「……むふー」

 

 

 此方に近寄ってくる時は涼やかな笑みを浮かべていたのだが、突如として眉根を寄せるルドルフに困惑する。

 シンデレラグレってる。いや、シンデレラグレるってどんな動詞だ。混乱のあまりに訳の分からん電波を受信している。

 

 うんまあ、そうした自覚の薄さはオレ自身も分かっている。

 ただね? オレとしてもね? 君だけのトレーナーじゃなくてね? “デネブ”のトレーナーとしてね? 色々ね?

 

 それからスズカさん、ぐいぐい肩を押し付けてくるのやめて???

 

 ……いかんいかん。

 急速に機嫌が悪くなっていくルドルフと何だかよく分からんくらいに上機嫌なスズカに挟まれて、本来の目的を忘れるところだった。

 伝えるべきことを伝えねば。そうでなくてはわざわざ呼んだ意味がなくなる。

 

 

「作戦変更。どうも他の相手が落ち着きすぎてる。何か策があるかも分からん」

「……そう、だな。カネクロシオやサクラガイセン、チェスナットバレー、出走数も中山での経験も上だ。では、如何に?」

「好きに走っていい。ただ、()()()()()()

「また急だな、君は。しかし、分かった。()に私の走りを魅せるとしよう」

 

 

 オレの冗談を抜きにした真剣な指示を受け、機嫌の悪かったルドルフは一瞬で心持ちを切り替える。

 その結果、彼女が漏らしたのは他ならぬ苦笑だった。

 

 無理もない。

 昨日までに、今日のレースについての話は伝え終わっていた。

 注意すべき相手や懸念点、ルドルフ自身の仕上がり具合と所感を踏まえた上で、今日取る作戦は何時も通りの好位抜出。いわゆる先行策。

 相手がどんな策を弄そうが、能力の違いを明らかにする横綱相撲を展開する予定だった。

 

 だが、今は相手の策を受けきった上で超えるのではなく、何もさせずに勝てと言っている。

 並の娘なら混乱してしまうだろうが、ルドルフならば問題あるまい。

 

 ウマ娘の調子は変わりやすい。

 パドックで見た時とコースに立った時で調子が変わっていた、などよくある話。

 である以上、オレが覚えておらずとも、直前になって指示を変えることは間違いなくあったと考えていい。

 

 事実、ルドルフは驚くでもなく、容易く聞き入れるだけ。

 否定も動揺も見られず、それでいてオレの意図を察している様子でゲートに向かう花道へと戻っていく。

 最後にスズカに飛ばした鋭い視線が気になったが、この分なら大丈夫だろう。

 

 

「よろしかったのですか。スタート直前になってあんなこと……」

「問題ないさ。今日はあくまでも春天への前哨戦。此処で躓くようなら三つの冠も皇帝の名も返上した方がいい」

 

 

 余りにも厳しい物言いに、ルドルフを思って発言したマックイーンはむっとした表情になる。

 

 オレは一度吐いた言葉を取消も撤回もするつもりはない。

 それを信頼の証と受け取ったのか、彼女はそれ以上は何も言わず、スタート地点へと赴く選手達の後ろ姿に目を向けた。

 

 ゆったりと、並々ならぬ熱量と気迫を伴って進む姿は美しく、壮観ですらある。

 発バ機へと近づくごとに大歓声はこれから始まる真剣勝負に水を差すまいと徐々に静まっていく。

 

 何の澱みも予定外もなく、全てのウマ娘が各々の思惑と願いを胸に、ファンファーレが響き渡る中でゲートに収まった。

 

 

 

『各ウマ娘、ゲートに入って体勢整いました』

『春の天皇賞に向けての日経賞。ですが、ただの通過点にはならない彼女達の熱いレースに期待しましょう』

『さあ、今スタートです!』

 

 

 実況と解説の声に応えるように、ゲートが一斉に開いた。

 しなやかで強靭な五体を持つウマ娘達が芝を踏み抜いて、身体を躍らせながら飛び出していく。

 

 

『まずは綺麗に横並びのスタートです。最初にハナに立つのは――――おおっと!』

『これは……思いも寄らない、展開ですね』

『観衆もざわめきを隠せません! これは一体どういうことだー!』

 

 

 解説も実況も観客も、それどころかスズカ達ですら目の前の展開に息を呑んだ。

 唯一驚かなかったのは、言葉少ないながらも意図を正しく理解してもらったオレとまだ焼きそばを食べているオグリくらいのものだ。

 

 オグリは兎も角として、皆の反応は無理もない。

 ポンと好スタートを切った6枠6番のルドルフが、そのままハナに立ったのだから。

 

 おおよその期待と予想を裏切っての“逃げ”。

 しかし、動揺しているのは他人ばかりで、ルドルフは涼しい表情のまま第四コーナーからスタンド前の直線へと差し掛かる。

 

 

「ト、トレーナーさん、これはどういうことですの……?」

「いや、何か作戦でもありそうだったから。ならいっそのことハナを奪っちまえってだけだよ」

「だ、大丈夫かな? いつもの走り方じゃない、よね……?」

「君等に見せた走り方じゃない。だが、アレもルドルフの走りだよ」

「凄いな。もぐもぐ」

「…………良い機会だ。全員よく見ておけよ」

 

 

 …………こいつ、今度は牛串食ってやがる。

 

 両手に牛串を握ったオグリを取り敢えずそっとしておく。

 食べてはいるが、しっかりとレースは見ているからな。但し、明日の調整はちょっと追加方向にすべく手帳に書き込んでおく。

 

 

 さて、スタンド正面を越えて、レースは第一コーナーに差し掛かっていた。

 

 

 先頭は変わらずにルドルフが、二番手は二番人気のカネクロシオ。その後は殆ど団子状態で続いている。

 

 決して掛かっているわけではない。

 寧ろ、掛かっているのは現在三番手のカネアスカでさえある。

 あくまでも自分が2500を走り切るのに十分な体力を残しつつも、集団を引っ張る展開に持っていっているだけ。

 

 スズカのような“大逃げ”ではないが、これもまた逃げの一つだ。

 他とは隔絶したスピードがあるのはスズカと一緒。

 

 しかし、これは天から賜った才能に物を言わせた逃げではない。

 卓越した時間感覚と努力によって生み出される逃げだ。

 

 

「最初は1ハロン11秒刻みのペース、向こう正面に差し掛かってからは13秒刻みのペースに変えたな」

「トレーナーさん、分かるんですか……?」

「ああ、結構正確だぜ。何なら今度それで遊ぼうか。指定した秒数でストップウォッチを止められるから。コンマ1秒単位までならいける。ルドルフもコンマ5秒以内に収まるはずだ」

 

 

 オレの時間感覚は、シンザンを筆頭に様々なレースを見続けた結果。

 そして、頭の中でシンザンと様々なウマ娘を競わせ続けたことで培われていった。

 何の意味もないが、その気になれば月、年単位で数え続けられる。

 周囲の状況が分からなかったとしても、数えてさえいれば何年の何月何日の何時何分何秒かを当てられるだろう。

 

 そしてルドルフの時間感覚は、あのラップ刻みの課題によって培われたもの。

 

 逃げが勝つ秘訣は如何にして後続を騙すか、同時に程よく消耗を強いるかに尽きる。

 実際に逃げが勝ったレースを見ても、時計自体は早くないパターンが多い。

 ただ全力で逃げるのではなく、自身の脚と相談しながら後続を消耗させて粘り勝つのが大半だ。

 

 自身の大逃げとは全く毛色の違う逃げに、スズカは目を奪われていた。

 今の彼女にそんな真似は不可能だ。内から溢れ出る闘争心のまま、ハナに立ったまま押し切ることしかできない。

 

 スズカほどの才能であれば、そのまま続けていってもいい。

 スズカは百年に一度の天才だ。だが、もし仮に己を超える才能とぶつかった時はどうだろう。

 他の皆だって同じくらいの天才で、トレセン学園なら右や左を見れば五十年に一度の天才くらいはザラにいる。

 そんな環境で、どうして百五十年に一人の天才が現れないと言い切れるのか。

 

 そんなもの、ハッキリ言って想定が甘すぎると言わざるを得ない。

 

 だから、逃げというものの中には様々な幅や手段があることを学んで欲しい。

 

 どんな相手が立ちはだかろうが、僅かな突破口を残せるように。

 たとえ一度追い抜かされたとしても、再び追い抜かせるように。

 たとえ負けたとしても、ただ無様に負けるのではなく成長のヒントを得られるように。

 

 出来ない、やれないことと()()()()()()()()ことは天と地ほどの隔たりがある。

 例えば、スズカと同じく他とは隔絶したスピードを誇るタイプであるマルちゃんなんかは、出来るがやらないタイプだ。

 

 その違いが、モロに精神面とレース展開に表れている。

 マルちゃんだって闘争心はあるだろうが、これまで身に付けてきた技術と自信で完全に制御下において掛かったりなどしない。

 彼女ならばたとえ一度抜かれたとしても、もう一度差し返す気骨と余裕すら見せるだろう。

 

 どちらも今のスズカにはないものだ。

 それを手にすることが出来たのなら、彼女はもう一段才能を開花させることになるだろう。

 

 

『第四コーナーを回って直線コースに向きました! 残り400! 先頭は依然シンボリルドルフ!』

『恐るべきパフォーマンスです。開いた口が塞がりません』

 

「さてと、タイムは2.34ってところか」

「聞いてはいましたが、其処まで分かるものですの?」

「まあね。ここでオレの予想とルドルフの走りにどれだけズレがあるのか見るのも目的の一つだ」

 

 

 元々の予想に加えて、これまでのルドルフの調子から見えた結果。

 このまま二番手を六バ身も突き放してゴール板を駆け抜ける、と確信した。

 

 その確信に、マックイーンのみならず皆も半信半疑のまま眼差しを寄越す。

 無理もない。オレにとっては当然だが、彼女達にとっては目にしておらず、また聞いただけの事柄なのだから。

 

 第三、第四コーナーを回っても依然、先頭はルドルフのまま。

 表情は余裕そのもの。春天に向けて3200mの調整にも入っている彼女にとっては、まだ余力を残したも同然の状態。

 

 解説の言う通り、圧巻のパフォーマンスだ。

 あまりの格の違いに歓声もまばら。目の前の現実を受け入れるのに四苦八苦しているのだ。

 

 そんな中であってさえ、ルドルフは自らの走りを変えようとはしない。

 一人、また一人とついてこれずに脱落している中、最後に残ったカネクロシオの様子を確認する。

 

 

「そろそろ仕掛けるな。3、2、1――――行け、今だ」

 

「――――!」

 

『あぁっと! シンボリルドルフ、此処で後続を突き放しにかかる! なおも表情は涼しいまま、笑みさえ浮かべているぞ!』

 

 

 そして、カネクロシオが汗に塗れながら大きく息を吐いた瞬間、オレの言葉を耳にしたかのように豪脚が解き放たれる。

 

 仕掛け時として文句のないタイミング。

 全力には程遠いが、勝ちを確定させるためのラストスパート。

 これまでハナに立っていたとは思えない速度に、ようやく現実を受け入れ始めた観客の雄叫びが轟いた。

 

 影を踏むことさえ許さず、ぐんぐんと何処までも伸びていく。

 重心低く、ストライドの広い走り方は、まさに飛んでいるかのよう。

 

 そうして彼女は何の問題もなく、ゴール板を駆け抜けて――――

 

 

「……ん?」

「凄い……凄い凄い! 会長さん、あのまま逃げて勝っちゃった……!」

「正に圧倒的。皇帝の面目躍如ですわね」

「あんな風に逃げる方法もあるんだ……」

「けふー。凄かった、私も負けていられないな。走りたくなってきた」

「………………」

 

 

 …………こいつ、ゲップしてやがる。

 

 い、いや、今は其処じゃないな。

 地を揺らすような今日一番の大歓声の中、各々がそれぞれの感想を口にしていたがオレだけは思いも寄らぬ現実に思わず掲示板を見た。

 

 煌々と輝いて表示されるタイムは2.36.2。着差は四バ身。

 2500mにしてはやや遅めのタイムであるが、問題は其処じゃない。

 

 

「あら、トレーナーさんの予想とは二秒ほど遅いですわね」

「それでも私は十分凄いと思うが……」

「あっ、いえ、私は責めているわけではなくて……」

「いや、気にしちゃいないが……」

 

 

 揶揄すると言うよりも、寧ろ不思議そうな声色でマックイーンが呟いていた。

 オグリはそれでも十分だろうと言いたげで、受けたマックイーンは慌てふためきながら誤解を解こうと両手を彷徨わせる。

 

 しかし、オレはそれどころではなかった。

 渋面を作ってしまっているだろうが、それは全く別の理由だ。

 

 生じた二秒のズレ。

 この距離で二秒ともなれば、着差に変換して平均でもおよそ十から十二バ身。

 

 レースにおいては致命的な差だが、そこはまだいい。

 現実と差があるというのなら、都度修正していけばいいだけ。

 ルドルフと息が合っていないというのならば、これから合わせていけばいいだけ。

 オレが問題視しているのは、ズレが生じたそもそもの理由と見えてきた意外な()()()()

 

 ……いや、意外でもないかもしれない。

 

 これまでルドルフが歩んできた人生、受けてきた教育を考えれば何の不思議もない。

 上に立つ者として生まれてきたのであればある種当然とも言える癖であるが、ことレースの世界においては悪癖であり致命的な瑕となる。

 

 拙いな。非常に拙い。

 何が拙いと言って、ルドルフがその癖を自覚しておらず、また自覚していたとしても自身の力だけではどうすることも出来ない。

 そして、今日この時を以て気付いたオレでさえ、矯正しようがないことだ。

 

 このままではルドルフは負ける。必ず何処かで負ける。

 春天かその先の八大競走か。しかも酷くつまらない、何の為にもならない負け方をする。

 

 

「思いの外、前途多難だな……」

 

 

 ルドルフを称賛する声ばかりが轟く中で、オレの呟きは誰の耳に届くこともなく搔き消されていく。

 

 何処かの誰かがこう嘯いた。

 『レースに“絶対”はないが、彼女には“絶対”がある』、と。

 見当違いも甚だしい。現状のルドルフに絶対などありはしない。

 

 とは言え、頭を抱えてばかりはいられない。

 彼女もまた自らの走りを“絶対”のものとすべく日夜努力している。

 ならば、オレもまたそうすべく努力を怠るべきではないだろう。

 

 

 “日経賞は快勝。だが、別の問題を発見。今日のレースを見返して皐月賞、ダービー、菊花賞後の記録を当たれ。結論は同じだろうが、問題は浮き彫りになる”

 

 

 手帳に重要な事柄のみを記しておく。

 今のオレが解決策を思いつかない以上、記憶を失った後のオレも同じだろう。

 ただ、問題があると気づいているといないとでは、望む回答に至るまでの速度が違う。

 

 其処まで考えて、ゴール板を駆け抜けたルドルフを見る。

 他の競走相手が膝に手をついて荒い息を繰り返しているか、疲労困憊のまま芝の上に身体を横にする中、観客の応援に感謝を示すよう既に呼吸を整えて手を振っている。

 

 格が違うとは正にこの事。

 それほどのパフォーマンスを見せた。相手が誰であれ、今日の彼女に勝つことは難しかっただろう。

 

 取り敢えず、問題は棚上げしておく。

 オレが今やるべきことは、この光景を忘れてしまう不条理に苦悶することでも、発見した問題に思い悩むことでもない。

 

 今はただ、ルドルフに万雷の拍手と喝采を。

 オレの愛バに、そう呼ばれるに相応しい走りを魅せた彼女に、惜しみのない称賛と皇帝の誉れは此処に。

 

 ルドルフの誇らしい姿をその目に焼き付けて――――結局オレは、何時もの如く全てを忘れ去った。

 

 

 

 

 

―――――

――――

―――

――

 

 

 

 

 

「……ふふっ」

「すっげーご機嫌じゃん」

「うん? 今日も問題なく勝てた。嬉しくないわけがない。それに……」

「それに?」

「い、いや、何でもない」

 

 

 すっかりレースの顛末も愛バの活躍も忘れ去ったオレは、ルドルフを美浦寮へと送っている最中だった。

 

 ルドルフの勝利者インタビューの応答は完璧、ライブも問題なく終了。

 その後は中山から学園に戻ってきて、他の面々とは解散した。

 各々の顔を見る限り、何か得るものはあったようでオグリの最終調整を休みにした甲斐があったというもの。

 

 オレとルドルフはミーティングルームで少しだけ今日の反省会を行った。

 とは言え、何も覚えていないオレから言えることなどなく、ルドルフから顛末と所感を聞くだけだったが。

 

 手帳には見過ごせない言葉が書き連ねてあった。

 意味は分からず思い当たる節さえなかったが、何か無視できない予感めいたものがあったのも事実。

 ルドルフを寮に送り届けた後で、過去のオレからの忠告に従うことにした。

 

 

「……こうしてレースの後に送ってもらうのも、一年も経っていないのに随分と久し振りな気がするな」

「何だ、おハナさんは送ってくれなかったのか?」

「いや、そんなことはないさ。ただ、な。君ではないとどうにもしっくりとこない」

 

 

 レースが終わった後には寮へと必ず送り届けようと決めていた。

 

 勿論、スズカの時もそうした。

 ルドルフが驚くことなく受け入れたというのなら、過去のオレも同じように考え、送っていたのだろう。

 

 トレーナーにとってのレースは、ゴール板を駆け抜けた後も終わらないとオレは思う。

 

 勝ちに喜び、負けに落ち込むこともある。

 けれど、それは単なる結果。互いの努力が正しい形で結実しただけ。

 格好付ける必要もなければ、無理に強がる必要もない。粛々と受け入れて次に繋げればいいだけだ。

 そんなことよりも、愛バがしっかりと自分の脚でコースを去り、無事にライブを終えることの方がよほど重要だろう。

 そして、彼女達が何事もなく寮に戻ってこれた時こそ、其処でレースはようやく終わるのだ。

 

 

「しっかし、ルドルフが御褒美を強請るなんて意外だ。それに、こんなんでいいの?」

「私とて、努力が実ったのなら認めてもらいたくもなるさ。それに、人肌が恋しくなる時もあると言うか……まあ、そういうことだ」

 

 

 ミーティングルームに戻ってから、祝勝会の話となった。

 スズカにとっては正真正銘の初勝利。ルドルフにとってはオレが戻ってから初めての勝利。

 

 そして、来週にはオグリのアーリントンカップもある。

 オレの予測では勝ちは揺るがない。想定が甘いと言われるかもしれないが、彼我の実力差を可能な限り客観視したつもり。

 取らぬ狸の皮算用と言われれば返す言葉もないけれど、それくらい楽観視しても良い結果は出ている。

 

 其処で、どういうわけだか祝勝会とは別に個人的な褒美があってもいいかもな、という流れに。

 言い出したのはオレの方で特に考えがあったわけではないのだが、ルドルフが思いの外喰い付いてきた。

 

 もうその時の早口と来たらオネダリルドルフと言った次第。

 

 えっと、今何人目の皇帝戦隊だったっけ?

 この調子で行くとスーパー戦隊シリーズの最大人数は年内に超えることになると思われる。

 

 まあそれはそれとして、ルドルフの求めたのは手を繋ぐという些細ながらもやや抵抗を覚えるもの。

 初めの内はちょっとぉ、と忌避感を示していたオレであったが、あれよあれよと押し切られて現在に至る。

 

 そんなわけで、外灯と月と星の明かりが照らす寮までの道を、手を繋いで歩いていた。

 

 うん、でも――――

 

 

「人肌が恋しいなら、オレと手を繋ぐよりもライスを抱き締めた方がいいと思う。絵面的にも」

「…………ふんっ!」

「いたぁい!! どうして足踏むのぉ!?」

「そういうところだぞ、トレーナー君」

 

 

 何がそういうところなのぉ?!

 相変わらずルドルフの情緒もよく分かんないし、最近はスズカの情緒もよく分かんないよ!

 どうして、どうしてこの二人は距離感バグってんのぉ?!

 

 踵で踏みつけられた爪先に激痛が走り、思わず繋いでいた手を開いたが、生憎とルドルフは放してくれない。

 人間には215本も骨がある! 一本くらいなんだ! ということか。サラ・コナーかよ、コイツは。

 

 

「…………だが、思いの外悩んでいないでよかったよ。サイレンススズカのお陰かな?」

「……あー、まあそんなとこ」

「むぅっ、先を越されてしまったか」

 

 

 今も変わらず、ルドルフがレースを勝っていながら、心から勝利を喜べない自分がいる。

 置かれた境遇上、仕方のないことでオレ自身にはどうしようもない事柄だ。

 それを仕方ないと割り切れずにはいるが、重く受け止めることだけはやめた。

 

 記憶が失われたとしても、意味も意義も失われたわけではない。

 何度となく出した結論ではあるが、オレは何度となく堂々巡りを繰り返し、何度となく背中を押してもらい、倒れそうな身体を支えてもらうしかない。

 

 スズカにはそれをまた教えてもらった。

 だから、彼女達の前では出来るだけ笑っていようと思う。

 きついはきついが、何の事はない。一人ではないと分かっていれば、人は存外笑えるものだ。

 底抜けに明るくて、呆れるほど前向きなのがオレの良い所であるのだ。辛くなれば、素直に吐き出せばいいさ。

 

 

「まあ何にせよ、彼女には感謝だな。しかし、私のトレーナーであることは忘れないで欲しい」

「まだ言うの、それぇ」

「無論だ。何時までも言い続けるとも」

「どうしてそんなに拘るかねぇ」

「…………少しは気付け、バカ」

 

 

 そうして、ルドルフは唇を尖らせて強く手を握ってくる。

 随分とらしくない、子供のような仕草。いや、これまでも何度となく見てきたが、一層幼く見えた。

 

 それが何だか信頼の証のように思えて嬉しくなったから、思うままに遊ぶことにした。

 

 

「ほーら、人の事をバカ呼ばわりする悪い子はこうだ!」

「何を……あぁっ! と、突然何をするんだトレーナー君! 全く、君と言う奴は、ふふっ、あははっ!」

 

 

 繋いだ手を上に大きく持ち上げる。

 オレとルドルフには体格差があれば、自然と爪先は地面から離れて宙ぶらりん。

 親父譲りの体格と腕力があれば、彼女一人の体重を片手で持ち上げるなんて造作もない。 

 

 突然の悪戯染みた行動にルドルフは驚きこそしたものの、責めるよりも早くはしゃいで見せた。

 月明りに照らされる笑みは随分と美しく、同時に何処か無邪気なもので。

 

 また一つオレは救われて、前へ進む力を貰った気がした。

 

 

 

 

 


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