トレーナーさんは眠らない(ガチ)   作:HK416

23 / 36
『報恩謝徳』

 

 

 

 

 

 手帳に書き記されたルドルフの瑕は簡単に見えてきた。

 そして、残された資料を当たってみたのだが、案の定と言うべきか、過去のオレも気付いていた。

 

 最初はダービーを終えた頃。その後も合間は空いていたものの、たびたび瑕に関する記述が見て取れた。

 今のオレがそうであるように、過去のオレも危機感を募らせていたのであろう。

 しかし、分かっていたところで決定的な解決策を導き出せず、自身ではどうにもならない問題はある。瑕はそういった類のもの。

 

 いま必要なのは、ルドルフの努力やオレのひらめき、考案したトレーニングでもない。状況と機会こそが必要なんだ。

 

 ルドルフのデビューがもう一年遅ければ、或いはもう一年早ければ話は違っていたかもしれないが、こればかりは嘆いたところで仕方がない。

 不幸中の幸いは、つまらない敗北に繋がるものではあっても怪我に繋がるものではないことか。

 

 歯痒い話ではあるが、状況が整うまで危機感を募らせながら堪えるしかない。

 どうしようもない事柄をどうしようもないと悩むのは単なる無駄だ。今は、目の前のやるべきことに集中するとしよう。

 

 

「思ったよりも集まってんなぁー」

「あのハイセイコーの再来と言われてますし、アレだけ宣伝されれば当然では……?」

「うわぁ、凄い……!」

 

 

 スズカ、ルドルフから続いてオグリの中央初戦である“アーリントンカップ”。

 先のレースとは異なり、本日の舞台は兵庫の阪神レース場へと場所を移している。

 付き添いはマックイーンとライスの二人。スズカとルドルフはレース後ということもあり、ゆっくりと身体を休めて貰うことにした。

 

 客の集まりは普段のGⅢレースよりもやや多いと言ったところ。

 ルドルフの日経賞とまでは言わないが、少なくともスズカのスプリングS以上の集客率であるのは間違いない。

 地方から殴り込みをかけてきたウマ娘の走りがどんなものか、と物見遊山に来ているようだ。

 

 しかし、不審も少なくはない。

 マスコミはオグリの経歴を面白がってか、大々的に喧伝していて人気は出ているのだろうが、世間は逆に冷静さを取り戻したように思う。

 

 それもそのはず、地方からやってきたウマ娘が中央で活躍するなどそうそうない。

 初戦に勝つ確率はおよそ9%。重賞ともなれば、パッと思い浮かぶのはハイセイコーくらいのもの。

 その上、ハッキリとした論拠のない俗説ではあるが、“芦毛のウマ娘は走らない”などと実しやかに囁かれてもいる。

 

 これに期待するなどどうかしているだろう。

 カサマツでのオグリの活躍を生で見た者でさえ、期待はしているだろうが心から信じられている者が何人いるか。

 

 

「オグリ先輩、大丈夫かな……?」

「そうですわね。地方はダートが主流ですし、適性があるとは言え初戦から重賞は無謀が過ぎるのでは……?」

「常識で考えればね。でも、スズカやルドルフもそうだけど、オグリも常識なんて通用しない類だよ。完全に()()()()だ」

 

 

 だからこそ、人々もマックイーンとライスも思い知るだろう。

 オグリキャップというウマ娘の凄まじさ、その実力と常識を踏み荒らす豪脚を。

 

 誰も彼もが度胆を抜かれる光景を想像して、思わずくつくつと笑いが漏れてしまう。

 

 ふと見れば、ライスは不安そうな、マックイーンは不満そうな顔をしていた。

 どうやら、オグリばかりを称賛する様は贔屓とでも映ったらしい。

 

 経験も実績も少ないライスは、不安を抱いて今後チームでやっていけるかどうか。

 マックイーンは楽観視が過ぎること、そして贔屓なんてとジト目を送ってくる。

 

 そりゃ贔屓くらいはするだろう。

 オレが担当していて、すっかりファンになっているんだから。勿論、二人のファンでもある。

 

 

「なぁに、二人もデビュー戦の頃には、オレが軽口叩けるくらいに安心して見守れるようになってるさ」

「そうかなぁ……」

「そうであればよいですが……」

 

 

 気軽でさえあったはずの言葉に、二人は少々目を伏せる。

 

 それも仕方がないか。

 最近ではチーム内での模擬レースでは負けが込み、併走でも息絶え絶えになる場面も少なくない。

 

 しかし、それは当然の結果。

 オグリとスズカは年上で、身体の出来上がり方が違う。ルドルフなど現時点では比較すること自体が間違っている。

 それでも2500m以上の距離では前者二人に勝ちを拾え、あの皇帝に喰らい付いていける時点でライスもマックイーンも完全に向こう側だ。

 

 トゥインクルシリーズを終えた頃には、間違いなく長距離走者(ステイヤー)歴代最強候補として真っ先に名が挙がるほどになっているに違いない。

 

 

「ま、安心しな。長距離ならシンザンだろうがルドルフだろうが負けないようになるし、するからさ」

「そ、そこまで……?」

「大した自信ですこと……」

「自信じゃない、確信。オレの中じゃもうとっくの昔に確定事項だ。オレも自分もあんま舐めんなよ」

 

 

 敢えて恥ずかしげもなく、今は夢想でしかない言葉を口にする。

 ただ願う、ただ祈るなど冗談じゃない。況してや大言壮語も好きじゃない。

 

 だから、口にすることで夢想を誓いに変える。

 実現して欲しいではなく、実現させるという誓いともなれば、やる気も姿勢も変わるものだ。

 

 無理や無謀は百も承知。

 だが、やりたいのだから仕方がない。

 例え道半ばで倒れ伏すことになったとしても、誰かが跡を継いでくれればいいし、何かを見出してくれればそれでいい。

 人はそういう生き物で、これまで連綿と紡がれてきた全うな営みというものだろう。

 

 それが伝わったのか、ライスは顔を輝かせ、マックイーンは仕方のない人とばかりに微笑んでいた。

 僅かばかりであろうとも、オレの心持ちが伝わったのならば、そして彼女達の心を軽くできたのなら本望だ。

 

 するとその時、パドックが沸いた。

 

 

「ブラッキーエールさん、ですわね」

「ふわぁ~……」

「現時点での戦績は9戦4勝。初戦で相手するには十分すぎる相手だな。流石は一番人気、ファンも多い」

 

 

 観客達が口々に上げる期待と応援の声を浴びるのは、ブラッキーエール。

 黒鹿毛をまとめたポニーテール、やや悪い目つきが印象に残る少女だ。

 

 現在オープン、GⅢを含めて四連勝中。

 脚質は先行、差し。適性は芝の1000から1600の短距離走者(スプリンター)

 

 まあ、オレの凶相に比べれば随分と可愛げがある方だろう。

 オレは身体の大きさも相俟って、笑ってないと出会った人の八割くらいにビビられるからなぁ。

 

 自虐交じりのオレを余所に、彼女は歓声を浴びながら肩に羽織っていたトレーニングウェアを空に向かって投げると大きく右手を突き上げる。

 こうしたパフォーマンスはレースの主催者側から要求されるものだが、それにしたところで堂に入っていた。

 

 阪神でのレースは今日で三戦目。

 先の二つは共に勝利しており、阪神の空気もコースも勝ち方も知っている。

 経験ではどうしたところで敵わない相手。それがそのまま人気に反映されている。

 

 

「あっ、オグリ先輩だ……!」

「来ました! けどぉ……」

「大した落ち着きようだ。肝が据わってるよ、全く」

 

 

 ブラッキーエールに続き、二番人気であるオグリがパドックに姿を現した。

 歓声は徐々に鳴りを潜め、ざわめきに変わっていく。

 

 地方からやってきたにしては、人気は高い方だろう。

 同じ境遇にあったハイセイコーは中央初戦から一番人気。その後も二番三番人気になったのは三度だけ。

 それに比べれば可愛いものだ。それだけ地方からやってきたウマ娘の実力に対して半信半疑なのだろう。

 

 だが、そうした視線や思いなど気にしていないのか、オグリは茫洋とした表情で周囲を眺めているだけ。

 普通、ウマ娘はレース前になると大なり小なり興奮するものだ。スズカなんかは良い例だし、ルドルフでさえそれは変わらない。

 

 にも拘らず、オグリはフラットなまま。

 見ようによってはやる気があるのかさえ疑わしくなってくる程だ。

 

 暫く茫としていたオグリであったが、ハッと思い出したかのようにトレーニングウェアを脱ぐ。

 そして、投げるのではなく、ビターンと地面へと叩き付けた。

 

 その惚けた表情と来たらもう……。

 

 

「あちゃー。もうちょっとカッコいい方法、教えとくべきだったかー……」

「ま、まあ、アレはアレで挑戦状を叩きつけているようにも見えますし……」

「皆、驚いてるね……驚いてる、よね……?」

「いや、唖然としてるだけだわ、これ」

 

 

 もうちょっと、こう気概というか、そういうのを見せた方がいいと思う。

 

 パドックを見守っていた観客達も棒立ちしているだけだったら温かな応援の一つも送ったのだろう。

 でも、これじゃあポカンとするしかないよ。明らかにやらされてる感バリバリだもの。

 平静さを保つのもいいが、愛嬌を振り撒くとか闘争心を露わにするとかしないと良い印象が残らないのだが。

 

 いずれにせよ、担当が多くのファンを獲得できるようにするのもトレーナーの仕事の一つなので、これはオレの不手際だ。

 次はもう少しオグリらしい演出というものを考えておかないと。後で確認できるように手帳に書き込んでおく。

 

 

「取り敢えず、スタンドの方に行こうか。早めに行って最前列で立ち見しよう」

「そうですわね。オグリさんにしてみればアウェーですもの。しっかり応援いたしましょう!」

「うん、そうだね! 頑張るぞ、おー!!」

 

 

 

 

 

―――――

――――

―――

――

 

 

 

 

 

 レースを見守る観客が集う六階建てのスタンドを背に、屋外スタンドの最前列に立つ。

 

 アーリントンカップは芝1600m。

 元はペガサスステークスと呼ばれていたが、海外のアーリントンパークレース場と提携を結んだ折に改称された。

 レースは向こう正面からスタートし、元々あった第三、第四コーナーの外側に新設された外回りコースを通ってスタンド前のゴールを目指す。

 

 スタート直後、暫くは直線が続いて外回り第三コーナーに入っていく流れなので、枠順による有利不利は殆どない。

 600m辺りから下り坂が続き、200m付近から始まる高低差1.8mの上り坂があるお陰で、逃げ・先行の脚質は失速するケースはよく見られる。

 まあ中山の急勾配に比べればマシな方だ。脚質の幅は広くはあるが、差しを最も得意とするオグリには向いている。

 そして、良バ場発表。総じて、彼女の実力を測るにも発揮するにも、中央初戦初勝利を狙うにもお誂え向きのコースと状況と言えた。

 

 

「来ましたわよ!」

「お、オグリ先輩、頑張れー!!」

 

 

 今日まで減量と調整に付き合ってきた影響だろうか、マックイーンもライスも年相応に興奮した様子を見せていた。

 これもオグリの人徳だろう。自分にさえ興味がない部分はあるが、その惚けた部分が他人から愛される。それがオグリキャップというウマ娘の魅力だ。

 

 そしてマックイーンもライスも走るのも好きだが、レースを見るのも好きな方。

 研究熱心とは僅かばかりに異なるものの、お陰様で他者の走りから得ているものも多い。

 最終的にはスズカと同じく私も走りたいに行きつくのだが、そこはそれ。ウマ娘の本能みたいなものなので仕方がない。

 

 余り意識はしていないだろうが互いにライバル視しながらも支え合い、与え合う。

 それぞれがそれぞれに影響を受けながら、より良い形で血肉として己の一部としていく。

 

 正に好循環だ。チームとして理想的と言えるのではないだろうか。

 オレも頑張ってはいるが、これは彼女達自身の努力によるところが大きい。

 

 

「………………」

「普段と変わりません、わね……」

「あ、あれでいいのかな……」

 

 

 地下バ道から姿を現し、ターフの上に立ったオグリの表情は締まりと真剣味こそ現れていたが、やはりこれからレースに挑むとは思えないほど落ち着いていた。

 

 二人が不安になるのも無理はない。

 パドックでならまだしもコース上に立ってなおも余りに落ち着きすぎている。

 緊張しているよりかはマシだが、これから何をするか理解しているようには見えないだろう。 

 

 ルドルフの時と同じように指笛を鳴らすと、オグリの耳がピクリと動き、オレ達の姿を発見した。

 手招きをすると、コクリと頷いて此方の立つスタンド前へトコトコと寄ってくる。

 

 今回、特に作戦はない。

 伝えてあるのは相手方の情報と阪神の芝1600mコースの特徴だけ。

 作戦は必要ないと言う結論ではあるが、現時点で小難しい作戦を実行するだけの経験がないという割り切りでもある。

 同時に模擬レースとは異なる実戦の中でオグリがどれだけ実力を発揮できるか、という試金石のつもりでもあった。

 

 とは言え、それだけでは勝つための努力を怠っているも同然。

 マックイーンとライスも気を揉んでいるし、此処は一つ今回のレースにおける要点を問うてみることにした。

 

 

「トレーナー、どうかしたのか?」

「いや、レース前に一つだけ聞いときたくてな。カサマツと阪神(ここ)の違い、分かるか?」

「…………?」

 

 

 オレの問い掛けにオグリは首を傾げる。

 

 それは残る二人も同じ反応であった。

 このタイミングでわざわざ呼び出しながら明確な作戦を伝えるでもなく、気合を入れるわけでもない。

 傍目から見ても訳が分からない行動だろう。

 

 だが、これで十分だ。

 かなり天然の入ったオグリであるが、とにかく真面目。

 中央初戦ではあるが、地方であって芝での実戦経験もある。

 このレースにおける核心。それを突けるだろう。

 

 顔中ハテナマークだらけにしていたオグリであったが、暫くすると背後を振り返る。

 

 其処に広がっているのは阪神レース場。

 彼女にとっては何から何まで違う異国の地。

 雨こそ降ってはいないが太陽が見え隠れする曇天は聊か不安を煽るかもしれない。

 

 言葉もなく無言のまま眺めていたオグリであったが、相変わらず惚けた表情のまま此方に向き直ると一言だけ。

 

 

「…………広い?」

「そ、それは……」

「あ、当たり前じゃ……」

「よしよし、それが分かってるならいい。その広さを思う存分使ってきな」

「……分かった!」

「「今のでっ?!」」

 

 

 その答えに、マックイーンとライスは更に不安を煽られて声を上げる。

 

 しかし、オレは勝ちを確信した。

 やはりオグリは馬鹿ではない。重要なポイントというものを押さえている。

 当人自身も明確な理由や理屈は説明できずとも、本能か感覚として核心を突いていれば十分だ。

 

 そして、ふんすと鼻を鳴らし、オグリは発バ機へと向かう列へと戻っていく。

 オレは安心して、そして二人は唖然とした表情のまま、彼女を見送った。

 

 

「ト、トレーナーさん。もっと、こう、何と言いますか、作戦やアドバイスをしてあげた方がよろしかったのではなくて……?」

「そ、そうだよ。大丈夫、なの……?」

「ああ、オレは安心したくらいさ」

 

 

 困惑からか、マックイーンは兎も角として、ライスすらも非難するような視線を向けてくる。

 考えてみれば当然か。自分の時にそんな真似をされれば堪ったものではないだろう。

 

 ただ、ストレートに物事を伝えることだけが全てではない。

 思案を強いた方がいい場面というものは往々にして存在する。

 

 今が正にそれ。

 

 オレの言葉を、そういうものかと受け入れるばかりではなく、何故そうなるのかと疑問を呈して欲しい。

 提示した作戦や指示に穴がないとは限らない。レースの最中に穴が生まれる場合もある。

 

 それを埋められるのはオグリの思考と機転しかない。

 オレの考える人バ一体、一心同体とはそういうものだ。

 

 

「ん――――ハハ、見ろよ」

「あ、わわだ、大丈夫かな?」

「緊張……ではありませんわね。まるで、武者震いのよう」

 

 

 二人との会話もそこそこに、ゲートの前に辿り着いたオグリを見る。

 

 次々にゲートの中へと収まってくウマ娘の中、彼女は立ち止まって再びこれから走るコースとスタンドに目を向けた。

 改めて目にした中央の景色、五感から得られる全ての情報を前にして、身体が震えている。

 

 手足の先から徐々に徐々に。

 肩と膝を介して、背骨を通じ、最後には髪まで振り乱す。

 

 何も知らない観客ですらが目を奪われるその震え。

 マックイーンの言葉は正鵠を射ていただろう。 

 

 

 ――――何せ、オグリの顔には笑みが刻まれており、その笑みは獰猛と表現する他になかった。

 

 落ち着いていたかと思えば、闘争心を剝き出しにする。

 それでいて指示を無視する真似はしないのに、並ならぬ勝負根性で果敢に挑む。

 のんびりとさえ言える気質でありながら、物事の本質を捉える聡明さを持ち合わせている。

 

 相反するはずの様々な要素が、渾然一体としながらも理路整然と並んでいるかのよう。

 

 そうとしか表現しようのない独自の感性だ。

 

 知れば知るほどに不思議な魅力に溢れている。

 その上手く言葉に出来ない魅力は、人々を否応なしに引き付ける。

 

 気が付けばオグリを知っているオレやマックイーン、ライスばかりでなく、観客や実況すらも魅力に当てられていた。

 しんと静まり返る会場は、もう彼女しか見ておらず、思わず笑みが零れる。

 

 

「さあ、行ってこい。まずは手始めに“芦毛は走らない”なんて妄言、自慢の脚で踏み抜いちまえ」

 

 

 オレの言葉に誘われるように一斉にゲートが開く。

 そうして“芦毛の怪物”によるシンデレラストーリーが幕を開け、常識も規則も通用しない豪脚が、解き放たれた。

 

 

 

 

 

―――――

――――

―――

――

 

 

 

 

 

「もぐもぐもぐもぐもぐもぐもぐもぐもぐもぐもぐもぐ」

「はふぅ。ライス、もうお腹いっぱい……!」

「ライスさんもですが、オグリさんも相変わらずですわね」

「よ・く・く・う・な~~~~~。まあ、今日くらいはいいでしょう。減量、皆して頑張ったもんなぁ」

 

 

 アーリントンカップとライブを無事に終えた後、オレ達はホテルのレストランに居た。

 中山や東京ならばいざ知らず、府中から遠いレース場で走るとなれば、とても日帰りでは帰れない。

 そのため、トレセン学園はレース場近くのホテルと契約を行い、登録されている学生とトレーナーは無料で宿泊、食事が可能になっている。

 

 トレセンと同じくビュッフェ形式のレストランで、オグリは減量の鬱憤を晴らすように盛り付けて持ってきた料理の山を無心で片付けていた。

 

 オグリの次によく食べるライスは満足げに椅子へと背中を預けてお腹を摩っている。

 ぽこんと出っ張ったお腹は妊婦さんのようで、妊娠三ヵ月と言ったところ。

 そんなことになれば制服の裾から臍やら何やら覗いてしまうのだが、オグリと一緒に腹巻――じゃなくてウェストウォーマーを渡してあるので心配なし。

 締め付けも少ないシルクの上物、色はそれぞれのイメージに合わせて黒と白だ。いやホント、買っといてよかった。

 

 そんな二人に、オレとマックイーンは思わず呆れてしまう。

 まあ普段は体重に気を遣っている彼女であったものの、今日ばかりは満足するまで食べていたし、今はショートケーキをお供に紅茶を楽しんでいるが。

 

 

「苺の風味を生かした程よい甘味と滑らかさのスポンジとクリームが……んん~~~~♪」

「…………」

「……ハッ! お、オホン!」

「いや、何も言ってないよ? 気にせずお食べ?」

「そ、それは最後まで頂きますが、そうではなくて!」

 

 

 コーヒーを啜りながら見ていたオレに気付いたのか、今にも天に昇っていきそうな表情でケーキを楽しんでいたマックイーンは咳払いをした。

 

 その頬を朱に染めていて、恥じているのか照れているのか。

 責めるつもりも揶揄うつもりもなかったんだけどな。

 余りにも幸せそうな顔をしているものだから、こっちまで幸せな気分になっていただけだ。

 久方振りの大好きなスイーツを堪能しているところを邪魔してしまった。ちょっと申し訳ない。

 

 確かに、減量の後に食事を急に元に戻すと揺り戻しは怖い。

 少なかった栄養を取り戻そうと身体が勝手に吸収率を良くして頑張ってしまうからだ。

 ダイエットに成功した後、リバウンドで元の木阿弥と同じ理屈だが、その辺りも見越しているので今日くらいは何も考えずに楽しんでくれていい。

 

 

「スズカさん、ルドルフ会長の“逃げて勝つ”に続いて、今日のオグリさんも強い勝ち方でしたわね」

 

 

 先程までとは一転して、真面目腐った表情でそんなことを言う。

 話題を変えたい、というのもあるが、それ以上に今の内にミーティングをしておきたいのだろう。

 オレだけホテルの部屋は違うし、招くのも招かれるのもメジロの御令嬢として在り得ない選択だ。

 

 そして何よりも昼間の記憶がないオレを気遣って。

 記憶と共に体験を伴う者の所感や意見は貴重だ。その気遣いに感謝して、乗らせて貰うことにする。

 

 

「大外ぶん回して直線一気。結果として六バ身のぶっちぎりだからな」

「驚きませんのね」

「想定してた通りの展開だし。小難しい駆け引きはまだちょっと早いよ。今は能力差を生かせればそれで十分だ」

 

 

 既に撮影されていたレース映像も、手帳の記載も確認済み。

 

 スタートはやや出遅れ気味だったが、第三コーナーから徐々に進出して、最後の直線で6、7番手からゴボウ抜き。

 大外をぶん回す以上は距離的不利がありながらも、この結果。差しとしては、これ以上ない強い勝ち方だろう。

 

 しかし、然程驚きはない。

 勝ち筋としては一番堅いし、オグリの能力を鑑みれば盤石ですらあった。

 一番警戒すべきブラッキーエールも先行して、終盤での失速。差し切るには十分な余力も残っていた。

 

 これなら次のレースは2000まで距離を伸ばしてもいい。

 GⅠは中距離が多いから、本質的にマイラーであるオグリには先んじて経験を積ませておいた方がいいか。

 

 

「あ、でも、トレーナーさん、レースの前に言ってたよ。カサマツと阪神は違うから広く使えって」

「正確には違いを聞いて、オグリさんが広いと答えたから、ですわね。そういった流れでしたわ」

「そうか。そういう流れも分かるのは凄く助かるよ。あんがとな、よすよす」

「え、えへへ」

「あ、あの、人前では恥ずかしいので……」

「成程、人前でなければいいと」

「あ、揚げ足を取らないで下さいまし!」

 

 

 両脇に座った二人の頭を撫でる。

 ライスはされるがままに身を任せ、ほにゃりと顔を綻ばす。

 マックイーンも気恥ずかしさから耳を使ってペチペチと手を叩いてくるも、茶化しても払い除けようとしない辺り可愛らしい。

 

 そして、随分と気が楽になる。

 手帳は文字通りの命綱。昼間のオレが嘘や出鱈目を書くとは思えないが、信じ切れないと言うか、どうしようもなく不安になる部分がある。

 書かれていた事柄が現実に起こったことであるのか。そして、書かれるまでに至った経緯や流れが全く分からない。

 文章からある程度は察せるように気を遣って書いてはあるものの、記憶がない以上は不審は消えてなくならない。 

 

 だから、経緯を知る二人の言葉は本当にありがたい。

 記憶はないままだが、書かれた文字を現実として受け入れられるまで強度を補ってくれるからだ。

 

 感謝の気持ちは堪えない。

 もう思うまま気の済むままに撫で繰り回してしまった。

 

 

「もぐもぐもぐもぐもぐもぐもぐもぐもぐもぐもぐ」

「あの、ところで、オグリさんの話なのですからもう少し参加されては……」

「いや、話はしっかり聞いてるからいいよ。話すのは好きなだけ食べてからで大丈夫だ」

「あ、あはは……」

 

 

 レース後のミーティングをしているにも拘わらず、走った張本人であるオグリは相変わらず食べ続けていた。

 

 此方に視線を向けることさえせずに、腹を満たすことに集中している。

 その様にマックイーンは頭痛でも感じているように額に手を当て、ライスは苦笑するしかない。

 

 オグリは常にこうだ。

 一度でも食べ始めたら、食べ終わるまで決して顔を上げない。

 それでいて、終わった後にはキッチリと話していた内容に返答してくるのだから、呆れてしまう他ない。

 

 まあ本格的にミーティングをするのはオグリが満足した後に――――ん?

 

 

「もぐもぐ、ごくん。そうだ、トレーナー」

「ど、どうした急に?!」

「「…………」」

 

 

 そんなことを考えていた矢先、彼女はおもむろに食べるのを中断した。

 

 これまで一度も目にしたことのない珍事に、オレは声を張り上げてしまう。

 そればかりか、驚きの余りに苦言を呈していたマックイーンとライスですら言葉もなく、ポカンと口を上げていた。 

 

 オグリが、食事中に顔を上げた、だと……?

 び……っくりしたぁ。え? なに、コイツ、食事を止めるとかできたの……?

 

 しかし、そんな胸中など知ってか知らずか、オグリは珍しく高揚した様子で口を開いた。

 

 

「今日は凄かった。走っている最中も、まるで背中に君を乗せているかのようで、スパートの時には“行け”と言葉が聞こえた気さえしたよ」

「お、おう。割とオレも狙っていたとこあるけど、オグリが凄いんだと思うよ?」

「そうなのか。スズカや会長もレースが終わった時には、こんな気分だったのか。不思議な感覚だ」

 

 

 幻聴は兎も角として、今日のオレとオグリはそれほど息が合っていたのだろう。

 映像で見たスパートのタイミングは今のオレでも完璧で、昼間のオレも同じ意見だったに違いない。

 

 これまでの積み重ねによる思考の同調。いわゆる阿吽の呼吸という奴だ。

 付き合いが長ければ長いほどに、言葉を介さずに相手の思考は読み取れるようになる。

 なるにはなるのだが、たった一ヵ月二ヵ月程度の付き合いで、ルドルフレベルにまで息が合ったのはオグリの類稀な素直さのお陰だ。

 

 アレだけの闘争心を持ちながら、而して頑なさはまるでなく折り合い抜群という訳の分からなさ。

 これまでの経験があればルドルフのように自ら息を合わせてこれるのだろうが、流石にこれにはオレも驚きを隠せない。

 

 

「オグリもよくやってくれたよ」

「ふふふ、君に褒められるのは嬉しいな。何だか、故郷の皆が褒めてくれているようだ。少し照れ臭い」

 

 

 対面に座ったオグリの頭に手を伸ばし、労うつもりで頭を撫でる。

 すると、指で頬を搔きながらもすっと目を細めて受け入れていた。

 

 彼女の脳裏に浮かぶのは、故郷の記憶であることを願う。

 遠く離れた土地で、折れず曲がらず腐らず挫けずに走り続ける彼女には、そう願わずにはいられない。

 

 

「ああ、そうだった」

「どうかしたか?」

「うぅん、こんなことを言ってもいいのか分からないのだが……」

 

 

 その時、何かを思い出したかのようにオグリはポンと掌に拳を打ち付ける。

 

 そして、作った拳をそのまま額に当てて、何か悩むような素振りを見せた。

 暫くトントンと額を叩いていたのだが、やがて意を決したかのように言葉を紡いだ。

 

 

「次のレースなのだが、ダートではダメだろうか?」

「「「ファッ?!」」」

 

 

 突然の申し出に、オレばかりではなくマックイーンもライスも素っ頓狂な声を上げた。

 

 確かに地方でダートの経験もあるわけだから、やれないことはないだろう。

 

 勿論、オレはダートのレースも味があって好きだ。

 芝でしか活躍しなかったシンザンをきっかけにこの世界に引き込まれたオレだが、ダートにしかない魅力というものも分かっているつもりではある。

 そもそもアメリカではダートが主流。芝、ダートというだけで優劣を語れるものではない。

 

 しかし、日本と中央においてダートは軽視されがちで、芝に適性のあるウマ娘はダート適性というものを下に見ている。

 

 今日のレースでオグリの芝適性はハッキリと認められている。

 そんな状態で芝とダートを行き来するようなローテションを組んだら、日本中からオレが叩かれる奴ですねぇ、クォレハ。

 

 まあ、別にいいんだけどね、それくらい。

 

 オグリのダート適性だって中々のものだ。

 ダートにだってGⅠはあるし、芝とダートのGⅠ獲得なんて珍記録も面白い。

 オグリキャップというウマ娘の凄まじさ、その適性幅の広さを分からせるには十分だろう。

 個人的に見たくもある。オグリの原点に立ち返るという意味でも、得るものはあるかもしれない。

 

 だが、芝とダートでは地面の状態が異なっていて、負荷の掛かる部分も僅かであっても変化は起こる。

 そうなった時、如何にオグリの持つ天性の肉体であっても歪みが生まれないとも限らない。

 

 だから、その前に、その考えに至った理由だけは教えて貰いたい。

 

 

「本当にどうしたんだよ、急に。自分の活躍を故郷の皆に届けるなら芝の方がいいと思うぞ、オレは」

「いや、どうせならトレーナーにも私の走りを見るだけではなく、覚えていて貰おうかと。ダートなら夜にもレースがあるのだろう? 君も皆も、私にとっては故郷の皆と同じくらいに大事だ」

「…………ハハッ」

 

 

 あっけらかんと告げられる理由に、頭が真っ白になって言葉に詰まる。

 空元気のような、乾いた笑いしか出てこない。

 

 深い考えなど、其処にはなかった。

 ただ、裏表のない感謝と真心があっただけ。

 

 壊れかけのオレを御荷物と見るのではなく、掛け替えのないものだと言っていて。

 況してや、それがオグリにとって何よりも大切なものと同列などと。

 

 余りに軽率な物言いに、何か一つでも言ってやろうかと思ったが、とても言葉に出てこない。

 

 

「何でしたら、私もダートに出ましょうか?」

「ライスも、頑張るよ……?」

「……っ、勘弁してくれ。いいんだ、そういうのは。覚えてなくても、見れるだけでも十分だよ」

「そうか? まあ、トレーナーがそういうのなら、私は構わないが」

 

 

 オグリの提案に乗っかって、マックイーンはこれまでの仕返しとばかりに意地悪く、ライスは大真面目にそんなことを言ってくる。

 

 辛うじて拒否できてよかった。

 そんなことになったら、スズカもルドルフも同じように言って、もうオレは耐えられない。

 

 溢れ出る歓びが、涙になって零れそうになる。

 

 マジかよ……。

 オレ、いい年こいて、年下の娘達に泣かされそうになってるよ。

 

 情けない姿は散々見せているので、もう今更だが、男である以上は意地はある。

 堪えきれない感情を何とか堪えるべく、目元を隠して臍を噛み、何とか深呼吸を繰り返す。

 

 

「は~~~~~~~…………ヤバかった」

「目元が赤いですわよ」

「クッソ、良い根性してるよ、このお嬢様は」

 

 

 どうにかこうにか耐えきったオレを、マックイーンが揶揄ってくる。

 ふふん、と紅茶を片手にドヤ顔してみせるお嬢様は憎らしくなるほどだ。

 

 まあ感謝はしている。

 彼女が揶揄ってくれなければ、確実に大泣きしていただろう。

 親しみ易くて面白可笑しいのに、人の心を分かっているマックイーンもまたオレにとって間違いなく救いだ。

 

 勿論、オグリもライスも。この場に居ない二人でさえも。

 

 

「まあいいや。府中に帰ったら祝勝会をしよう。実はもう予約してあってさ」

「あら、気が早いですこと。でも、何を?」

「焼肉。それなら皆でワイワイやれるしさ」

「焼肉……!」

「うわぁ、何処にしたの?」

「えっと、府中で一番いいとこ」

 

 

 湿っぽくなった心境を切り替えるために、話題を祝勝会に持っていく。

 

 選んだのはいわゆる高級焼肉店。

 チェーン店ではなく、食べ放題なんてものもないマジモンの高級店。

 

 お陰さんで、貸し切りになってしまったが。

 どうやら店の方は過去にウマ娘の団体客にえらい目に遭わされたらしく、トラウマになっているようだった。

 そら客の回転で収益を確保するのではなく、質をひたすら高めて保っている店にはウマ娘の規格外に食べる存在は恐怖でしかないだろう。

 

 

「まあ、あのお店ですのね! 以前ライアンやドーベルと行きましたが、お肉も新鮮で、口に入れるととろけるようで!」

「と、とろける。焼肉は、とろけるものだったのか……ご、ごくり」

「それにスイーツも絶品でしたわ! 季節の果物をふんだんに使ったパフェがもう堪らなくて!」

「す、スイーツも……ご、ごくり」

「お、おう」

 

 

 意外なことに、店の名前を出すと喰い付いてきたのはマックイーンだった。

 メジロ家御用達、とは行かないまでも、名家の御令嬢達が利用して満足できたとなると評判に偽りなしのようだ。

 

 でも、あの、食べてる途中のオグリも食べ終わったライスも……。

 

 凄い目をしている! これはもはや野獣の眼光だよ!

 膨れ上がった食欲には鬼が宿る、じゃねーんだよぉ?!

 

 その姿を見たオレの感想は、ただ一つだけ。

 

 

(店の命運と店員にトラウマ植えつけられるかどうかが)掛かっているようですね! 冷静さを取り戻してくれるといいのですが!

 

 

 明らかに現実逃避している何とも間抜けなものだった。

 

 

 

 

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。