トレーナーさんは眠らない(ガチ)   作:HK416

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『笙磬同音』

 

 

 

 春天の直前。

 以前、フジから申し出のあったリギルメンバーを交えたお茶会。

 あれから多少時間は開いてしまったが、今日は各々の予定が合うらしく、打診があった。

 

 折角かつフジからの誘い、断るつもりはハナからなく、予定を空けておいた。

 

 時刻は17時過ぎ。真っ赤な夕日が建物の中にも差し込んでくる時間帯。

 お茶をするには随分と遅い時間だが、オレの状態を考えてくれてのことだ。

 

 場所は、時間も時間故に学園内のカフェテリア。

 夕食の時間帯ではあるがトレセン学園では夜練などもあるので、混み始めるのはもう2時間も経ってから。

 それまでの間は人も疎らで周囲を気にしなくて済む。

 

 正直、聊か気は重い。

 共有していた思い出を失って、合わせる顔がないと言うべきか。

 それでも逃げ出さなかったのは、フジの心遣いを無下にしたくはなかった。

 そして、ルドルフを筆頭とした皆のお陰で随分と気持ちが楽になっていて、本来の能天気さを取り戻せているからだろう。

 足取りは想像していた以上に軽く、負い目よりも楽しみが勝っている部分があるらしい。

 

 幾人かの生徒達と擦れ違いながら向かったカフェテリアでは、既に一人が準備を進めている。

 彼女は此方の姿を認めると、少しだけ悪戯っぽい笑みを浮かべて片手を上げて迎えてくれた。

 

 

「やあ、トレーナーさん」

「よっ……って、ちょっと早かった?」

「はは、そんなことはないさ。他の皆は少し遅れるみたいでね。私は……少し張り切ってしまったかな」

「そんなに楽しみだった?」

「勿論。こんなにも待ち遠しかったのは久しぶりだったとも。さあ、どうぞ」

 

 

 カフェテリアの片隅で誰よりも早く待っていたのは、提案者のフジだった。

 寮長としての仕事もあるだろうに、カフェテーブルの上には人数分のティーカップ、中央には時間帯を考えてか申し訳程度に添えられたお茶菓子が用意されていた。

 

 声を掛けるよりも早く此方の存在に気付いたフジは屈託のない笑みを浮かべて迎えてくれた。

 こうして知り合いと顔を付き合わせてお茶をするなんて珍しくもないだろうに、まるで子供のような喜びを全身から溢れさせている。

 その感性に困惑を覚えるものの、それほどまでに喜んでいるのならばオレとしても特に言うこともない。

 

 フジは笑顔のまま椅子を引き、片手で座るように促してきた。

 その振る舞いは瀟洒な執事を連想させたが、顔立ちどころか存在感そのものに華があり過ぎてまるっきり宝塚。

 

 くぅ、相変わらず封印したはずの乙女心を刺激してくる……!

 鉄扉を蹴破る勢いでやってきた王子様のようだ。

 

 いかんいかん、これはいかん。

 落ち着けオレ。オレは男、オレは男。取り敢えず、お言葉に甘えて椅子に座って深呼吸しよう。

 

 

「ふぅーーーーーーーーーーー…………」

「……そんなに疲れていたのかい?」

「いや、疲れているというか、自分自身を見つめ直している最中だから……」

「なんて?????」

 

 

 心配そうに覗き込んできたフジだったが、予想外の返しに困惑していた。

 だって、今この場で見つめ直さないと女の子になっちゃうから……。

 

 その目を見開いた顔を間近に見て、ふと気が付く。

 エチケットと呼ぶに相応しいナチュラルメイクに隠された不調。

 普段よりも肌艶はやや悪く、うっすらとだが目の下には隈も見て取れた。

 

 学生生活に加えて、おハナさんから課せられる厳しいトレーニング。

 其処まではトレセン学園の生徒ならば日常でさえあるが、フジには寮長としての仕事も加わる。

 元々の世話好きの気質もあって然程苦には感じていないだろうが、肉体的には疲れは溜まるものだ。

 

 おハナさんが気付いていないわけがなく、問題なしと判断しているからこそ看過しているのだろうが、念のため釘を刺しておこう。

 

 

「……そういうフジの方が疲れてるみたいだけど」

「あはは、やっぱりバレちゃったか。さっきも言ったけど、張り切って知らず知らずに無理をしてたみたいでね。うん、少しだけ疲れてる」

「なら日を改めようか? 他の皆にはオレから言っとくけど」

「本当に大丈夫さ。自分の体調を管理できないほどポニーちゃんじゃないよ。それに、トレーナーさんも無理をして時間を空けてくれたんだ。お流れにはしたくない」

「いや別に、今日流れたっていいじゃん。フジのためならいくらでも時間作るしさぁ」

「ふン゛ッ……!」

「ど、どうした急に?!」

 

 

 本当に日常へと支障が出るほどの疲れはなかったようなのだが、会話の途中で突如として奇怪な声を上げるフジ。

 唇をギュと噛み締め、服の胸元をぎゅっと片手で握り耳は伏せ気味。眉間に皺は寄っているわ頬は赤いわで尋常な反応じゃない。

 

 まるで鳩尾(ボディ)右脇腹(レバー)に良いのを貰ったボクサーみたいになっちゃってる……!

 

 きてるきてる、膝にきてる……! 

 そのままフジはよろよろと隣の椅子に座り込み、テーブルに突っ伏しそうになっていた。

 

 ど、どういうことなの。

 さっきまでそんなに疲れてなかったじゃない。オレちょっと釘を刺すくらいで十分と思ってたのに。

 

 

「ふーーーーーーーーー…………危なかった」

「な、何が……? 無理しないで休んだ方がいいんじゃね? また時間合わせるから……」

「い、いや、大丈夫。本当に大丈夫だから。ちょっと油断してポニーちゃんにね?」

「油断してただけでそんなのになっちゃうの???」

 

 

 思っていたよりも、フジはか弱い生き物だったのか。

 それ以前に、何に対して油断していたと言うのか。そしてポニーちゃんとは……。

 

 兎にも角にもすぐに持ち直してきた辺り、本当に大丈夫だろう。

 調子の悪さはどう覆い隠そうとも尾を引くものだが、フジにその兆候は見られない。本当に何だったんだ一体。

 

 

「悪い悪い、遅れちまって――――おや、トレ公はもう来てんのかい?」

 

 

 深呼吸を繰り返すフジにオレが背中を擦って落ち着かせていると、声を掛けてきた少女が一人。

 

 絹糸のように艶めいた黒鹿毛の長髪が歩く度に煌めいているようだ。

 女性らしさと育ちの良さを凝縮した顔立ちながらも、振る舞いや言葉遣いからは豪快さが溢れ出ている。

 それでいて、それぞれの要素が見事に調和している。ニカッと浮かべた笑みはお淑やかさよりも野性味が勝っているが、不思議とよく似合っていた。

 

 彼女は美浦寮の寮長であるヒシアマゾン。

 ルドルフ無断外泊の一件では随分と世話になったし、その後も何度か話している。

 気遣いや処世術と言うよりも元からの性格なのだろう。その豪放磊落さは話していて気が楽であった。

 

 

「やあ、ヒシアマ。準備を手伝ってくれるんじゃなかったのかな?」

「そう言いなさんな。こっちだって寮長、やることは山ほどあるさ。それに約束には三十分も前だよ? フジ、アンタちょっとはしゃぎ過ぎだろ」

「は、はしゃいでなんて……」

 

 

 フジはシニカルな笑みを浮かべてヒシアマゾンを咎めたが、揶揄うような返しにどんどん口調は弱弱しくなっていった。

 照れているだけかと思ったが、先程と同様に何でかよく分からないがダメージを受けている様子。

 

 

「オレは楽しみでした!」

「トレーナーさん?!」

「あははっ! トレ公、アンタはそうじゃなくちゃねぇ!」

 

 

 なので、オレははしゃいでおくことにした。

 ピーンと腕を上げて宣言すると、ヒシアマゾンはますます笑みを深めて背中をバシバシ叩いてくる。

 そんなオレ達にフジは呆れ気味だった。

 

 馬鹿をやって事を有耶無耶にしてしまうのである。

 場の空気が澱んだりおかしなことになったりした時には、割と有効な手段だ。

 それに気は重くはあったが、楽しみであったのはまた事実。

 誰かの話しているのは楽しいし、新しい知識や他者の感性に触れることは古くなった心の角質を落とすにはちょうどいい。

 

 

「まっ、何にせよ安心したよ。アンタがその調子じゃなきゃ、こっちも調子が出ないからね。会長も同じだろうさ」

「……だよな」

「こればっかりはどうにもねぇ。ま、無断外泊できるくらいには元気になったから良しとしようか。まっ、前みたいにアマさんって気軽に呼んどくれ」

 

 

 ヒシアマゾン――もといアマさんはオレの背中を叩いていた手を肩に置く。

 其処にはオレの覚えていない大切な思い出が籠っていたのだろう。手から伝わる温もりは慈しみすら含まれていた。

 

 少し前のオレなら申し訳なさから目も合わせられなくなっていたが、今は冗談を口にする程度の余裕はある。

 

 

「迷惑かけるねぇ、おっかさん」

「はは、野暮なことは言いっこなしだよ、おとっつぁん」

「ほら、野暮じゃなくて馬鹿なこと言ってないで、ヒシアマも座りなよ」

 

 

 以前話した時から思っていたが、アマさんも随分と話し易い。

 豪快な性格のお陰か、彼女の前でやっていい、言っていい許容範囲が人よりも広く設定されているのがよく分かる。

 デリケートな部分に踏み込んでいくのは戸惑われるが、それ以外を躊躇しなくていいのは安心感すらあった。

 

 一昔前のドラマのようなやり取りは馬鹿馬鹿しいが、だからこそ面白く自然と笑みが零れる。

 余りのノリの良さにフジは呆れ顔のまま、一仕事終えてきたアマさんを労うように椅子に腰かけるように促した。

 

 

「へーへー。ちょっと遅れたくらいで何も其処まで怒ることはないじゃないか。そりゃ一人で準備させたのは悪いとは思うけどね」

「そうじゃないんだけどなぁ……それから関係性を疑われるような冗談は誤解を招きかねないからやめるんだ。二人とも、いいね?」

「「アッハイ」」

 

 

 拗ねたように唇を尖らせたアマさんは促されるまま、椅子に腰を下ろす。

 その拗ねの中にも申し訳なさを同居させている辺り、性格の良さが滲み出ている。 

 

 しかし、何故だか薄っすら機嫌の悪くなったフジには通用しない。

 フジはテーブルの上に肘をついて両手を組み、その上に顎を乗せてニッコリと笑う。但し、その顔と背後には黒い怒りオーラを携えて。

 

 もうオレもアマさんも、一も二もなく同意する他ない。

 やっぱり年頃の娘の心ってよく分からないよ。一体、何がフジの逆鱗に触れてしまったのか。

 

 

「分かってくれればいいんだ…………さて、少し早いけど私達だけで始めてしまおうか」

「え? いいの?」

「いいんじゃないかい? 生徒会の二人は仕事で遅れるって連絡があったしね」

「マルゼンさんは……連絡がないってことは後輩のポニーちゃん達と何かあったんじゃないかな。楽しみにしていたから、時間になれば来るさ」

 

 

 全員揃うまで待つかと思っていたが、そう気を遣わなくてもいいらしい。

 そうこうしている内に、フジとアマさんはテキパキとカップを揃えて、紅茶を注いでいく。

 寮長という立場上、こうした場を設けて寮生の相談に乗る場面も少なくないのだろう。

 随分と手慣れていて、息も合った様子。オレが手伝う余地など何処にもなかった。

 

 そうして、一足先にお茶会は始まった。

 とは言え、することなど近況なんかや他愛のない会話ばかり。

 実りのある時間とは到底言えないが、休養とはまた違った意味での安らぎや心の栄養を得るためのもの、それで十分だ。

 

 

「あー……オレ、やっぱミスターシービーとも仲良かったのか」

「そりゃアンタがリギルにやってきた頃にゃ、もういたはずさ」

「付き合いの長さで言ったら、マルゼンさんと同じくらいじゃないかな? それに爪の怪我に関しても、おハナさんと協力して当たっていたしね」

 

 

 暫くして話題に上がったのは、海外へ挑戦しに行ったターフの演出家についてだった。

 

 現状、ミスターシービーはマルちゃんと同世代かつリギルでは最古参に当たる選手だ。顔見知りに決まっている。

 実際、彼女のフォーム改善やら怪我からの復帰に携わっていたのは、残されていた資料からも明らかだった。

 資料によれば、彼女の走法は足の先端に負担の掛かるものだったらしく、爪の怪我に悩まされていた。

 

 その負荷たるや、バレリーナさながら。

 バレリーナの足の指は爪が無残なほど変形してしまうのが当たり前で、多くが『爪なんてものいっそなくなってしまえばいいのに』と漏らすほどだ。

 

 ミスターシービーは元々の巻き爪も相俟って、出血と化膿は勿論のこと、裂傷にまで至っていたのだとか。

 特に顕著になったのは二年前の三冠達成後。一時は歩くことさえ困難になるほどの激痛だったようだ。

 そうなれば当然、トレーナーであるおハナさん、サブトレのオレも治療と改善に努めるのは当然なわけで。

 

 改めてその事実を突きつけられて、忘却したまま顔を会わせる怖さと申し訳なさと興味関心が、それぞれ2:3:5にブレンドされた心境。

 それでも大分マシになった方だ。学園に戻ってきたばかりであれば、顔を会わせないように逃げ回るかしか考えられなかっただろう。

 

 だが、今は違う。

 失われた記憶を取り戻すキッカケになれば、立ち向かうべき逆境だと思える。

 例え、相手を傷つけてしまう結果になろうとも、過去(きのう)現在(きょう)から確かに繋がる未来(あした)が欲しいから。

 

 何よりも海外挑戦した者の口から語られる経験は貴重だ。

 主観に塗れていようとも、レース振りとその人物の性格を紐解けば客観的な事実は見えてくる。

 オレが個人的に思い描く、ルドルフの最終目標には必要な情報だ。実体験にはどうしても劣るが、我武者羅遮二無二であるよりはずっといい。

 

 そのために、必要な計画(プラン)を考えている最中でもある――――なんて考えていると、フジとアマさんがふと顔を上げた。

 

 

「おや、来たみたいだね」

「だね。おーい、二人ともこっちだよ!」

 

 

 アマさんが招くように右手を大きく振った先には、二人の少女が歩いてきていた。

 

 

「えぇい、ブライアン! きびきび歩け!」

「……遅れると連絡を入れてあるんだ。それにまだ約束の時間じゃないだろう」

「そういう問題ではない。予定の十分前に待っておくのは礼儀だ、馬鹿者ッ!」

「はあ……まあ正論なんだろうがな」

 

 

 先を進んでいたのは、鹿毛をボブカットに、長く伸ばした前髪を左で分けた少女。名前はエアグルーヴ。

 赤いアイシャドウが印象的で、もう一人への説教と共に向けられた切れ長の目がより鋭く煌めいていた。

 自身の言動通りにきびきびとした歩みは自他に対する厳格さを示している。後輩へ礼儀の指導をしている辺り教育ママのようでさえある。

 

 その後ろには注連縄のような紐で括った長い黒鹿毛を左右に揺らしながら付いてくる少女。こちらはナリタブライアン。

 つっけんどんな言動は無骨な性格を表していて、同時に意志の強さも感じさせた。

 口に銜えた枝はチャームポイントだろうか、まるでドカベンの岩鬼だ。スタートしたりスパートをかけたらグワァラゴワガキィーン! とわけわかんない擬音が聞こえてくるかもしれない。

 

 どちらも資料にあった写真、あとはルドルフやスズカからの伝聞でしか知らないが、当人であるかを判断するには十分過ぎた。

 

 エアグルーヴは此方の姿を確認すると、テーブルの前までやってきてすぐに頭を下げる。

 

 

「済まないな、遅れてしまった」

「ま、生徒会の仕事じゃあね。仕方ないさ」

「それにブライアンじゃないけど、約束の時間には間に合っているから気にしないでよ」

「ほら見ろ、二人もこう言っているだろう」

「待つ側だからこその言動だ。遅れそうになった我々の口にできる言動ではないだろう。ほら、お前も頭を下げんか」

「これだ……ぐっ」

 

 

 エアグルーヴは自らの謝罪に続き、悪びれる様子を見せないブライアンの後頭部を掴んで無理やり頭を下げさせる。

 

 その様はしっかり者の姉と無愛想な妹と言った感じで、随分と微笑ましい。

 こうしたやり取りは珍しいものではないのか。アマさんはやれやれと首を振り、フジは苦笑を漏らしていた。

 

 オレはと言えば、第一声に何を選ぶべきか模索中。

 かつての距離感が分からない以上、気軽に挨拶でもすべきか、軽口の一つも叩いておいた方がいいのかも分からず悩ましい。

 

 結局、オレは明確な回答も得られずに口を開こうとしたのだが、顔を上げたエアグルーヴにじろりと睨まれて閉口せざるを得なかった。

 

 彼女は謝罪もそこそこに、挨拶もないまま此方の前に立つと、両手でパンと叩くようにオレの顔を挟み込んだ。

 

 

「ふん、相も変わらず締まりのない顔だ」

「あにょ……にゃにを……」

「肌艶も血色もいい。隈もない。充血もしていないな……」

 

 

 じんじんとする頬の痛みと突然の出来事に、されるがままに任せる他なかった。

 左を向かされ、右を向かされ、下瞼を親指で引っ張って広げられる。まるで医師の診察だ。

 

 いや、そんな生易しいものじゃない。顔面をひょっとこレベルで揉みくちゃにされている。

 心配をかけたからこそ、こうして状態を確認していると嫌でも分かって振り払えなかったが。 

 

 

「ふむ、健康なようだな。これならば……むっ」

「あー、それは単なる痕だから……」

「貴様にしては髪を伸ばしていると思ったが、そういうわけか」

 

 

 一時は表情を僅かに緩めたエアグルーヴであったが 眉が隠れるほどの前髪をかき上げると顔を顰めた。

 

 彼女の視線の先には、事故で出来た傷痕がある。

 幸い、脳そのものに出血等はなく開頭手術には至らなかったが、額から後頭部にかけて硝子でざっくり切れてしまった。

 

 縫合によって完全に塞がってはいるものの、どうしたところで痕は残る。

 ルドルフ達の負い目を刺激したくはなかったので髪を伸ばして隠していたのだが、此処までされれば流石に見つけられてしまう。

 

 暫くの間、エアグルーヴは痛ましげに眉根を寄せ、傷痕をなぞるように指を合わせていたが、やがて溜息をついて手を離す。

 

 

「……何にせよ、無事で何よりだ」

「御心配おかけしまして」

「まったくだ。だが、説教は勘弁してやる。会長やおハナさんがしてくれただろうからな」

「いやぁ、ははは……」

「だから私から伝えることは礼だけだ。結果はどうあれ、貴様のお陰で我々は無事だったわけだからな。癪だが、感謝している」

 

 

 色々と言いたいことは山ほどあっただろうに、エアグルーヴは全てを飲み込んで笑みと共に礼を伝えてきた。

 

 しかし、その笑みには力がないように見える。

 オレが戻ってきた安堵も確かにあるだろうが、それ以上に失われた記憶(もの)に対する悲しみもあって複雑なのだろう。

 

 確かな絆があったことを感じ取れるが、今のオレには何もできない。

 出来たのはその悲しみを真っ向から受け止めて、目を逸らさずにいることだけだ。

 

 

「……ブライアン、貴様も何か言ってやったらどうだ」

「取り立てて何かあるわけでもない。色々と聞いているが、無事ならそれでいいだろう」

 

 

 僅かばかりに気まずい沈黙を破ったのはエアグルーヴだった。

 

 彼女から話を振られたブライアンは、気だるげに答えながら椅子に座る。

 ぶっきらぼうな物言いは興味がないと言うより、よく観察したからこそ気遣いは余計と判断したからこそ。

 

 記憶喪失とは言え、二度と戻らないわけではない。

 ならばこれまで通りに接し、記憶が戻るまで気長に付き合っていけばいい。

 

 そんな考えが伝わってくるかのようだ。

 深刻に受け止め過ぎない姿勢は、オレとしても有り難い。

 

 

「いや~ん、もうまいっちんぐ~~~~~!」

 

 

 その時、今日び絶対に聞かない特徴的な語彙が耳朶を打つ。

 全員で視線を向ければ、校舎へと続く通路から“学園内は静かに走るべし”の校則を実践しているゲキマブの姿があった。

 

 本人にしてみれば軽くアクセルを踏み込んだ程度なのだろうが、その速度たるやスーパーカーの異名に相応しい。

 あっと言う間にテーブル前にまでやってきたマルちゃんは、勢いをそのままに両手を合わせた。

 

 

「遅れちゃってめんごめんごっ、後輩ちゃん達に捕まっちゃって!」

「我々も来たばかりですので、お気になさらず」

「マルちゃんらしいねぇ」

 

 

 汗の一つも掻いていないのは流石だったが、焦っていたのは事実。

 謝り方こそ普段通りであったが、抱いていた後ろ暗さは本物だったのだろう。珍しく耳が垂れていた。

 

 リギルの面々には時間に対するルーズさというものが、ブライアンを除いて存在していない。

 生来の性格もあるのだろうが、それ以上におハナさんの教育が行き届いているからか。

 少し気にしすぎと思わないでもないが、半ば社会人も同然の彼女達の立場を考えればこれぐらいがちょうどいいかもしれない。

 

 

「さて、全員揃ったことだし、改めて仕切り直しと行こうか」

 

 

 

 

 

―――――

――――

―――

――

 

 

 

 

 

「うーん、ウェディングドレスもいいね。これなんて似合いそうだ」

「いやぁ、おハナさんなら白無垢も似合うんじゃないかい?」

「問題は相手の方だ。あの髪型で着物なんて似合うか?」

 

 

 全員が揃ってから暫く経って。

 始めの内は互いの近況やらを聞いて話してをしていたのだが、どういうわけだが今はおハナさんと沖野さんの結婚式に話題に移り変わっている。

 

 以前、フジから聞いて知っていたが、本気でリギルの面々は二人を結婚させるつもりらしい。

 他人に対して余り興味を示さないブライアンですら真剣そのものの表情で、マルちゃんが持ってきたブライダル雑誌に目を落としている。

 

 このおハナさんの愛されっぷりよ。まあ、あの人の愛情深さなら分からなくもない。

 そして、沖野さんは知らないところで外堀埋められている。これ本人が知らないところで両親にまで話行っちゃうやつだ。

 

 が、オレも二人をくっつけた責任があるらしいのでガンスルーで。何ならオレが沖野さんの両親のところに話を持っていってもいい。

 いやぁ、いいんじゃないっスかねぇ。おハナさんもアレで奥手な感じだし、聞いた話じゃ沖野さんも色恋よりも仕事って感じの人らしいし。

 周りがお膳立てしないと一向に話も進まないのは目に見えている。まあ、結婚の形態も変わってきているから余計なお世話以外の何ものでもないのだが。

 

 

「トレーナー君はどっちがいいと思う? あ、沖野さんがって意味じゃなくて、一人の男として、ね?」

「ふむ、男側の意見というものも必要ですね。おい、貴様はどう思う?」

「オレぇ? そうねぇ……」

 

 

 マルちゃんは興味津々、エアグルーヴは真剣な表情を向けてくる。

 フジもピクリと耳を動かし、言葉にこそしなかったもののニッコリと微笑みながら此方を見る。

 ただ、その、マルちゃんとフジの瞳には何と言うか、妙に計算高い光が灯っているのは気のせいだろうか。

 

 それは兎も角、予期していなかった話題の振られ方とマルちゃんの雰囲気に、やや困惑して言葉に選ぶべく思考を巡らせる。 

 

 

「うーん、そうだなぁ。相手の意見にもよるけど、オレは結婚式も神前式もやりたい」

「おや、意外だね。男ってのはこういうのは面倒だと思ってそうなもんだけど」 

「えー、だってぇ、好きな人の晴れ姿ならぁ、どっちも見たいしぃ。きゃっ、言っちゃった、恥ずかしいっ♡」

「気持ち悪い」

「地獄へ落ちろ」

「ひでぇ」

 

 

 ポッと頬を染めながら両頬を押さえると、エアグルーヴとブライアンの辛辣なツッコミが入る。

 デネブの面々はルドルフですら割とボケよりなので、こういうやりとりは新鮮でさえある。

 

 意図してボケこそしたが、割と本心だ。でなければ、彼女達の参考にはなるまい。

 とは言え、沖野さんがどう考えているかは分からないので、余り参考にはならないだろうが。

 世間一般のイメージはどうあれ、こういう男もいると伝えられれば十分か。

 

 実際、惚れた相手だと言うのならウェディングドレスも白無垢も見てみたくもある。

 尤も、最優先するのは相手の意見だが。理想や憧れよりも、現実や今後の生活の方が重要と言う女性もいるものだ。

 

 

「へぇ……じゃあ、参考ついでに聞いてみるけど、トレーナーさんはどんなタイプが好みなのかな?」

「………………」

「うっわ、露骨に嫌そうな顔するねぇ」

「貴様、そんな顔もできたのか……」

 

 

 ニッコリと微笑むフジの問いに、口角が下がり眉根が寄っていくのを自覚する。

 今度はマルちゃんが耳を立てて、GJね! と言わんばかりにサムズアップして目を輝かせていた。

 普段から意識して笑顔を心掛けているオレの歪んだ顔にアマさんとエアグルーブは驚いている模様。 

 

 そりゃ嫌だろう。

 おハナさんやらたづなさん、小宮山さんみたいな下の話も華麗にスルーして笑い話に出来る女性ならまだしも、年頃の女の子とはそんなこと話したくない。

 彼女くらいの年頃だと性そのものを汚らわしいものだと思い込んでいたり、逆に夢見がちだったりが常。

 人にとって当たり前の営みで、等身大の行為。秘するものではあるが、誇ることでも恥じることでもない。

 何にせよ、デリケート過ぎる問題なので、コンプライアンスというものが全く分からず、何処まで踏み込んでいいのやら。

 自分が嫌われることよりも、男に対して間違った先入観を抱いたり、何だか珍妙な性癖に目覚められても厄介だ。

 

 なんと答えたものか。これは悩ましい。かなり悩ましい。

 ある意味で記憶障害だとか、自身の今後についてだとか、担当した娘を平穏無事に引退まで支えられるか以上に悩んでるぞオレェ!

 

 

「別にそんなに気にしなくてもねぇ。おハナさんにも沖野さんの何処が好きなのかーとか、初体験はどうだったーとか聞いてるし」

「マジかよ!」

「はは、血とかドバドバ出るし、どちゃくそ痛いから気をつけなさいね、とか言ってたかなぁ」

「明け透け過ぎんだろ! 女同士ってそういうとこあるよね!」

 

 

 品も何もあったもんじゃねぇ……!

 オレは知り合いのそういう話を聞きたいタイプじゃないからドン引きである。

 

 この手の話題に顔を赤くしそうなアマさんもエアグルーヴもシレっとした御尊顔だ。

 まあ他人の体験は体験、実体験とはまた異なるのでこんなものかもしれない。最近の娘は進んでるなぁ~~(遠い目)

 

 

「ふふふ、そんなに悩まなくてもいいじゃない」

「ははは、そうだね。で、どうなのかなトレーナーさん?」

「………………」

 

 

 マルちゃんとフジの目が、目が怖ぁい!

 い、一体、何が彼女達をそんなに駆り立てると言うのか……!

 

 この後、オレは根掘り葉掘りタイプについて聞かれる羽目になる。

 見た目によるところのない性格にだけ言及した当たり障りのない返答を繰り返すのだが、もうメチャクチャ。

 恋愛に関してはよく分かっていないアマさん、半ば呆れ気味だったブライアンもエアグルーヴもノリ出して収拾がつかない始末。

 

 二人はそんな返答では納得できないと不満気だったが、どうにかこうにか丸く収めることには成功した。

 

 肉体的には兎も角、精神的にしこたま疲れた。

 だが、何気ない日常の一コマとしては悪くない。

 失われた記憶は未だ戻らないが、かつての日常までが失われたわけではないとよく分かる時間だった。

 

 

『先輩のタイプ? …………ケツがデカくて足の太い子がタイプって昔言ってました!!!!(クソデカ爽やかボイス』

 

 

 まあ、その後で南坂ちゃんに暴露されたんですけどね……。

 お陰さんでマルちゃんとフジだけでなく、デネブのチームメンバーの耳にまで入ってしまい、頭を抱える他なかった。

 何でか、ルドルフとスズカは普段のトレーニングは短パンなのにブルマ履き出すわ、マックイーンには冷たい目で見られるわ、散々だ。

 

 なので、オレは南坂ちゃんがDカップ以下は興奮しないおっぱい星人だと暴露してやった。

 後にイクノディクタス、ナイスネイチャ、マチカネタンホイザから執拗にローキックを喰らう南坂ちゃんの姿が目撃されることになるが、それはまた別のお話。

 

 

 

 

 


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