学園から歩いて30分ほどのところにあるショッピングモール。
学園の生徒は勿論のこと、教師、トレーナーのみならずその他の職員もよく利用している。
日常の消耗品は言うに及ばず、服飾品から家電製品、一風変わった趣味の一品まで揃う場所だ。
かく言うオレもよく利用する。
大型の書店があって、海外で発売された最新の運動生理学やら管理栄養学の書籍なんかも連絡すれば手に入るからだ。
吹き抜け構造のショッピングモールはゴールデンウィークだけあって人が多かった。
個人で訪れている者も居れば、恋人に友人同士、家族連れと年齢層も客層もバラバラ。
人が多過ぎたお陰か、五冠達成の有名人ルドルフ、有名人になりかけのオグリを連れても然程騒ぎにはならなかった。
人間の記憶と認識能力なんてものは存外いい加減で、顔をハッキリと覚えていてもシチュエーションによっては上手く機能しなくなるものだ。
「………………お、多いな」
ショッピングモールの一角にある家電量販店の携帯コーナーに辿り着いたオグリが吐いた第一声は、そんなもの。展示台にずらりと並べられた携帯の数々に若干引き気味だ。
田舎育ちの貧乏暮らしでは触れる機械など冷蔵庫やら固定電話くらいで、こうした精密機器には苦手意識があるのだろうか。
聊か以上に偏見に満ちた考えなのだが、反応を見る限りは間違いではないようだ。
或る意味で、オグリにとって此処はトレセン学園以上の異国の地にして魔境なのかもしれない。
「それでどれにする? オグリキャップは何かあるかな?」
「ど、どれにすると言われても…………正直、何が違うかもよく分からないぞ」
「そりゃそうだ。うーん、それぞれ機能なんてそう変わるわけじゃないから、使い心地よりも色とか触り心地で選んでもいいと思うけど、まずは触ってみれば?」
「触る? さ、触っていいのか? こんな高価そうなものを? 素手で? そのまま買い取りなんてことには……」
「そんな熟慮断行も事上磨練もない詐欺はないから安心するんだ」
オグリは一体何を警戒しているのか、さっとオレの後ろに隠れて顔を半分だけ出して様子を窺っていた。
盗難防止用のストラップに繋がれた数々の展示品を前にして、かつてないほどオロオロしている彼女の様子にルドルフと一緒に苦笑する。
どうやらオグリの頭の中では精密機器=高級品みたいな扱いになっているらしい。
確かに高級品は高級品なのだろうが、店側も壊れる、壊される前提で展示しているのだから、そこまで気にしなくても。
――というのは、慣れた人間の意見か。
初体験の場に連れてこられた人間の反応なんて、こんなもんだろう。
「よ、よし、行くぞ……!」
「なんて不安と勇気の入り混じった姿勢なんだ……!」
「君は一体何と戦っているんだ。あとトレーナー君も面白がってないで助けてやれ」
ファイティングポーズを取ったオグリは、ジリジリと展示品との距離を詰めていく。
なんか初代ウルトラマンみたいな腰を落とした姿勢だ。いやこれもう完全に腰が引けてる……!
トレーナーさん、何だか面白くなってきちゃったぞぅ……!
普段は絶対に見られないオグリの姿に童心が戻ってくるようだ。してぇ~、悪戯してぇ~、からかいてぇ~。
くっ、だがしかし、隣にいるのは真面目一徹のルドルフだ。
これがイクノディクタスだったら眼鏡をキランキランさせながら一緒になってやってくれたんだろうが、彼女の場合はそうもいかない。
割とマジに怒られかねないし、面白いと同時にオグリが可哀想になってきたから助け船を出してやろう。
「ほら、怖くない」
「む、むぅ……そ、そうか、そうだな」
お手本のつもりで展示品を手に取ってみせる。
するとオグリはようやく安心したのか、オレを真似して隣のスマホを手に取った。
暫く手にしたスマホを眺めていたオグリは、おもむろに顔を上げる。
その顔はどういう訳だが、はっとしていて目が点になっていた。
「大変だ、トレーナー。画面が真っ暗だ、壊れているぞ。ど、どうしよう。店員さんに伝えた方が……」
「ぐっ……はっ……ふっ……はぁーーーーーーーーっ……」
「…………んぐっ」
「ど、どうしたんだ二人とも?」
マジかよ……!
どんだけ天然なの、この娘ぉ……!
オレとルドルフの笑いの沸点は一瞬でメーターを振り切った。
笑ってはいけない、と反射的に思ったがオレ達の反応はそれぞれ違っていた。
オレは噴き出す直前に口を大きく開き、息を吐いて何とか堪えたものの変顔を晒す羽目になり、ルドルフは堪えきれず腕で口元を隠して顔を逸らすのがやっとだった。
そりゃ画面は真っ暗だろうよ。待機状態なんだから。何のボタンも押さずに持っただけなんだから。
持ってる。持ってるなぁ、オグリは。(笑いの)曲線のソムリエ持ってやがる。
無知を笑うのは恥ずべき行為であるのだろうが、勘弁してくれ。
オグリの迫真の表情と完全に予想外の一撃を喰らえば腹筋は一瞬で崩壊するわ。
「ふっ、い、いや、ぐっ、大丈夫だ。側面の、ボ、ボタンを押せば、ロック画面になる」
「側面、これか……あっ、点いたぞ。ほっ、よかった」
「……や、ヤバい。ルドルフ、お、オグリヤバい……」
「天然だとは思っていたが、此処までとは…………くぅ、狡いな。何の冗句も口にしていないのに、この破壊力とは……!」
光が灯りロック画面を映し出したスマホを見せつけ、オグリは心底安堵した表情を見せる。
その様に腹筋が攣りそうになった。
天然はどうしてこう面白いのか。何もかもが予想外過ぎた。
自分とは全く違う思考形態に、引くよりも早く笑いが込み上げてくる。
オレは内頬を噛んでひたすらに堪えていたが、ルドルフは何故か悔し気だ。
どうして訳分からんないところで対抗意識◎を出すの???
「しかし、どうすればいいんだ? 画面だけでダイヤルもボタンもない……これでは電話をかけられな――――」
オグリは電話と言えば回転ダイヤルかボタン、とレトロな感覚を抱いているようだ。
この辺りは珍しい感覚ではないか。
ウマ娘間の携帯の普及率は、スマホが登場するまで伸び悩んだ過去がある。
と言うのも、スマホ以前の携帯では頭頂部に耳が位置するウマ娘にとって、相手側の声を聴くために耳元に持っていき、声を伝えるために口元に持っていかねばならず、使い難いことこの上なかったのだ。
最近の固定電話はタッチパネル式なんてものもあるがトレセンの寮の電話はボタン式のようだし、発想自体がないらしい。
買う前に簡単でも説明しておいた方がいいか、などと考えていると、突如としてオグリが飛んだ。
何の比喩もない。本当に飛んだ。190近いオレの顔面の位置に、彼女の膝が来るくらいの勢いで飛んだ。
思わずオレもルドルフも目が点になる。
まるで背後にキュウリ落とされた猫みたいだこれ――――!
「あわ、あわわ、わわわわ……!」
「ぐわーーーーーーーーーーー!」
「わ、私のせいか、これは……!」
「お、落ち着け、オグリキャップ」
オグリが驚いたのは、一斉にピンポロパンポロ鳴りだした展示品が原因だった。勿論、彼女が手にしていたスマホも同様。
誰かが悪戯で展示品のアラーム機能を弄ってこの瞬間に鳴り出すように設定したのだと思われる。
まあ、それくらいはいい。
店側にしてみればいい迷惑だが、客側は失笑するだけで収益にまで影響が出ないことを考えれば可愛いもの。
……ものなのだが、オグリが手に持っているタイミングで鳴り始めることはないだろうに。
飛び上がったオグリはそのままオレの真正面から抱き着いてきて、視界が真っ暗になった。
多分、感触からしてオレの頭に腕を巻き付け、両脚で胴を蟹挟みしているものと推測できる。
頭蓋骨と首、胴体から聞こえちゃいけない音が聞こえる。骨が、骨が軋む音だこれ……!
オグリはウマ娘の中でもかなり力が強い方だ。ベンチプレスで300キロとか簡単に持ち上げる。
そんな超絶パワーで締め上げられたら、親父譲りの肉体を持つオレでもキツい。こ、呼吸も出来なくなってきた……!
「お客様ーーーーーーーーーーーー?!」
「と、兎に角、ま、まずは降りるんだ!」
「わ、わ、わか、わか――――ひぃっ!」
「ぐわーーーーーーーーーーーーー!!」
「お客様ーーーーーーーーーーーー!?」
異常事態にすっ飛んできた店員さんも混じって、てんやわんやの大騒ぎ。
何とかルドルフがオグリの混乱の元である展示品を奪い取り、冷静さを取り戻させるファインプレーで事なきを得た、とオレが知るのはもう少し後の話だ。
―――――
――――
―――
――
―
「す、済まないトレーナー……本当に怪我は……」
「いや、大丈夫だから。そう落ち込まなくてもいいって」
「幸い、大事はなかった。タイミングが悪かったな」
店舗の片隅にある待合所の椅子に座りながら、揃って溜息を吐く。
まだ首やら腕やら鈍痛はあるが、この分なら骨も折れていないし痣も残らない。
しかし、凄い力だった。流石は穏やかな心を持ちながら激しい食欲によって目覚めたスーパーカサマツウマ娘、恐るべし。
チラリとオグリの顔を見ると、見たこともないくらいに意気消沈している。
混乱の最中にあったとは言え、人を傷つけかねない真似をしたのは初めてなのだろう。
メチャクチャヘコんでいる。もうベコンベコンに凹んでいた。これじゃあベコリキャップである。
「本当に気にしなくていいよ。こんなもん可愛いくらいだ。地元じゃもっと酷い目にあったしな」
「これでか。何があったんだ……」
「いやー、知り合いの娘がね、レース場で暴走しちゃって。誰も止められなかったからオレが止めようとしたんだけど、ぶっ飛ばされて外柵に脇腹から突っ込んでね」
「笑って話すことではないぞ……」
それにこれくらい、オレは笑って済ませられる。
地元でもっとすげー気性難のウマ娘と出会ったことがあるからだ。
あれは高校3年くらいか。
拷問部屋に入学が決まって、空いた時間に必死こいて勉強している南坂ちゃんに付き合っていた頃だ。
ふらっと近所を散歩している時に、同じウマ娘にいじめられている娘を見掛けて助けてやったことがある。
で、どういうわけだかその娘に懐かれたオレは、兄弟もいなかったので随分と可愛がって仲良くなった。
御多分に漏れずその娘もレースに興味があったらしいが、学校なんかじゃ成績は振るわなかった。
で、どうせこれからトレーナーになるんだし、とおかしな癖がつかない程度に簡単な指導をしたのだったか。
元々才能があったのだろう。
その娘はメキメキと頭角を現して、地元で大きな大会に出走が決まった。
で、その娘はレース会場に着くと普段の甘えん坊で大人しい態度から豹変。
最後の直線で内ラチに切れ込むわ、ゴール板を越えてもスピード一切緩めないわ、挙句外ラチに突っ込んでいきそうになったのでオレが身体張って止める羽目になるわ。
手が付けられない、とはああいうことを言うのであって、オグリなんて可愛いもんだ。
その後も気性難を解消してやらねばと頑張ったのだが、残念ながら解消できないまま3月を迎えてタイムアップ。
地元を離れる時には大泣きされたっけ。
今はどうしているだろう。元気でやっているといいが。
……そう心配することもないか。便りがないのが良い便りとも言う。
案外、地元近くではなくトレセン学園にやってきたりして、なーんて。そりゃ少し出来過ぎか……?
「……………………」
(トレーナー、ルドルフの顔が怖くなってきたのだが……)
(本当だ! どうして?! どうしてなの?! そんな怒らせること言ったオレェ?!)
「相変わらず、君は私のトレーナーとしての自覚が薄いようだな……」
地元の思い出に浸っていると、ルドルフの目がギンギラギンにさりげなく、なんてレベルじゃない眼光を放っていた。
ライオンだ。獲物を狙うライオンみたいな目をしている。これぞ正に八方睨み……!
そんでまたトレーナーとしての自覚が薄いって言ったぁ! 結構気にしてるんだからなそれぇ! これでも頑張ってるんだぞぅ……!
「いやでも、ほら。ルドルフのトレーナーとしてはね。他の誰にも任せるつもりはね。なくてね?」
「っ、全く…………おほん。兎も角、オグリキャップの携帯を買うのだろう?」
セーーーーーーーーフっ!!!
オレの本心を言葉にしたからか、ルドルフはちょっとだけ機嫌を直してくれた。こういうのは実際、大事。
ピーンと耳を立てて前掻きもしているが、尻尾はふりふりしていて上機嫌なのは分かる。
口元はにやけているようにも見える。
そんなに? オレがトレーナーとしての責務を全うしようとするのが、そんなに嬉しいか? そんなにかぁ?
「で、どれにする?」
「うぅ、む……そう言われても、正直困る」
「あんなことの後だ、気持ちは分かるが持って貰わねば此方も困るからな」
「そうか……そうだな……では、トレーナーと同じものにしようと思うのだが」
「……オレェ?」
「――――?!」
オグリには特に深い理由などなかったのだろう。
これまでの無知ぶりを鑑みるに、スマホの種類による違いや差なんて知るはずもない。
だから単純に、親しい相手の使っているものにすれば安心。そんな程度の考えだ。
でも、オレのは数世代前のものだから結構古い。
この店舗ではその世代を契約していないから、同じものとなると何処かの中古屋でスマホ本体を買い取る必要があって、色々と手間だな。
なら、いっそのことオレも買い替えるのが一番手っ取り早いか。
別に最新モデルに拘るような性分じゃないが、少しでもオグリが安心して使えるならアリだろう。
「んー……じゃあオレも買い替えるかな。色とかどうするー?」
「――――?!」
「特に希望はないが、白が好きかもしれない…………そう言えば、タマも白い携帯を使っていた。ふふっ、トレーナーだけでなくタマともお揃いになってしまうな」
「なんだーこいつめー。愛い奴だ、うりうりぃ」
「――――――?!??!」
「ふっ、ふふ、やめてくれ、トレーナー。ふふふふふっ」
オグリがあんまりにも愛嬌たっぷりな可愛らしいことを言うので、もちもちのホッペを突いてしまった。
言葉ではやめろと言うものの、手を払い除けることはせずにされるがまま、照れたように頭を掻く。
何と言うべきか、オグリはこうした些細であっても精神的な繋がりを大切にしている節がある。
地元の期待を背負って裸一貫で中央にやってきて、周囲を愛し、周囲から愛されてきたからこそ絆を大事にしているのかもしれない。
それこそ、レースの結果以上に。それでいて勝負根性は並々ならぬものがあるのだから不思議なもんだ。
ところで、さっきからルドルフがそわそわしてるのはなんで……?
「………………そうか。ならば、私も買い替えるのもいいかもしれないな」
「え? ルドルフのはそんな古くないから別に……」
「 私 も 買 い 替 え よ う と 思 う の だ が ? 」
「アッハイ」
圧が! 圧が凄い……!
そわそわから一転して、この態度。
ルドルフの情緒は相変わらずよく分からなかったが、更に混沌としてきている。もう秋の空ってレベルじゃねーぞ。
その圧の強さと来たら、責任を取れと迫る暴力団みてーなことになってる。これが
ルドルフの機種は最新モデルでこそないが、一世代前。
無理して替える必要はないと思うが、まあ当人の選択だと言うのなら止める理由もない。と言うか――――
「なんだぁ? 仲間外れになるの、そんなに嫌だった?」
「そ、そういうわけでは……まあ、何だ、その…………す、少し」
「案外、可愛いこと言うなぁ」
「かわっ……か、からかうな!」
「だってなぁ、オグリ?」
「ああ、可愛いな」
「このっ…………ああ、もう全く! 君という奴は!」
頬が緩むのも止められないまま顔を覗き込む。
ルドルフはそっぽを向いたまま、一度はオレの指摘を否定したものの、思い直して肯定した。
そして、オレのからかいとオグリの真顔による首肯に、ルドルフは顔を真っ赤にして狼狽する。
こういう所は本当に年相応だ。
学園の多くに与る生徒会長としてではなく、レースに挑む皇帝としてでもない素のままの表情。
仮面を被るのは人と付き合っていく上で必要な行為だ。
大なり小なり誰もがそうして自分を偽り、周囲に折り合いをつけて生きている。
そうでもしなければ生き辛い。そうでもしなければ生きていけない。
でも、時には被った仮面を脱ぎ捨て、感情を吐き出す行為もまた必要。
そうした感情の受け皿にチーム“デネブ”がなれるのなら、そしてオレがそうなっているのなら嬉しい。
色々と無理をして、トレーナーを続けた甲斐があった、チームを作った甲斐があった、と胸を張れる。
たとえ、この記憶を失うとしても。それでいいのかと問うのではなく、それでもいいんだと笑って言える。
「ケースとかどうするか? オグリは首から下げるストラップタイプにした方がいいかもな」
「お、オホン。確かにな。ポケットに入れておくと先程のように驚きかねないし。何処かに忘れる心配もない」
「そういうのもあるのか……!」
――――今は、この実感と細やかな日常こそが、オレの希望だ。