トレーナーさんは眠らない(ガチ)   作:HK416

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『かいとうかんめん』

見た目は変化しても中身が何も変わっていないこと。

「改頭」は頭を新しいものに変える意。「換面」は顔を新しいものに換える意。
「頭を改め面を換う」とも読む。


今回は今後の計画や展開を改めたとしても、方針や本心に変化はないという意味を込めて。




『改頭換面』

 

 

 

 

 トレーナー君の余りにも残酷な宣言に、サイレンススズカのみならず私も含めた全員が息を呑む。

 誰一人として、一瞬で凍てついた空気を変えようと茶化す真似すらできなかった。

 

 彼の表情は今すぐにでも喀血してしまいそうなほど歪んでいる。

 冗談でも口にするような事柄でもなく、そんな冗談を口にする人柄でもない。

 トレーナー君の誠実さを知っている我々には、それだけで信じるに値する予言にも等しかった。

 

 予測でしかないと口にしていたが、恐らく数字としても提示できるだろう。

 トレーナー君はサイレンススズカについてフォーム改善の段階で調べ終えており、今回得られた新たな数字を其処に入力して計算し直せばいいだけなのだから。

 

 

「…………ど、どうにかならないんですの!?」

 

 

 沈黙に耐え兼ねて、メジロマックイーンが悲鳴のような声を上げた。

 オグリキャップもライスシャワーも言葉にこそならないようだったが、似たような心持ちだろう。

 

 同じチームの仲間として、同時に尊敬に値する好敵手として、そのような結末は決して認められまい。

 何よりも、彼女達はサイレンススズカがどれほど走ることそのものを愛しているのかを知っているからだ。

 

 私自身も併走中に何度となく目にしていた。

 迫る影に焦りを見せることもあるが、その中にも隠し切れないほどの喜びが見て取れる。

 恐らくは本能なのだろう。好物に理由などないように、彼女の走りに対する情熱と喜びにもまた理由などない。

 

 それでも、彼女の身を守るためには何より愛するものを奪う必要があるかもしれない。

 トレーナー君の言葉は、その未来を想像させるには十分過ぎた。

 

 しかし、サイレンススズカは大きく息を吐くと、努めて冷静に口を開いた。

 

 

「それは、今すぐに……?」

「……いや、“本格化”に伴って向上していく身体能力がピークに達した時が一番怖い。それだけスズカのスピードは稀代のもので、必然的に脚にかかる負担もデカくなるんだ」

「そう、ですか…………トレーナーさんに、何か考えはありますか?」

 

 

 自らの左脚を擦りながら、普段と変わらない口調で問う。

 

 自身では何の変調も感じられないから。

 起こるかも分からない未来の話だから。

 

 そう軽く受け止めているわけではない。

 起こり得るかもしれない未来だからこそ重く受け止めていた。

 或いは彼女自身も説明できない()()を感じたからかもしれない。

 

 

「二つある。一つ目は病院に行くことだ。オレが説明して、処置の必要性を認めさせる」

「でも、それは……レース、へは……」

「きっちりと処置を終えてからじゃないと、ほぼ間違いなくドクターストップがかかる」

「………………もう一つは?」

 

 

 サイレンススズカについて何も知らない医師ですら、納得させる自信があるのか。

 トレーナー君の物言いは断定に近く、事態がどれほど深刻なのかが否応なく伝わってくる。

 

 ウマ娘にとって骨折など軽度重度を問わず、よくある負傷ではある。

 しかし、レース中に起これば競技者としてだけでなく、自他を問わず人としての人生が終わりかねない。

 命を救う職業である医師ならば、まずは治療に専念するよう強制するのは目に見えている。

 

 しかし、サイレンススズカは納得しない。

 何時か訪れる未来を想像してもなお、走りへの情熱を捨てられない。それは彼女が彼女でなくなってしまうのと同義であったから。

 

 

「オレが矯正する。やること自体は病院と変わらん」

 

 

 だからこそ、トレーナー君の提案はより綱渡り染みたものだった。

 

 メリットはあった。

 通院は定期的であるのに対し、トレーナー君は日々の変化に即応できる。

 頭ごなしに走るなと言うのではなく、よりサイレンススズカに寄り添った形で事を進められる。

 

 それはその分だけ折れてしまう可能性が増えることを意味していた。

 だが彼女の意向を最大限汲みながらであれば、他に方法はない。

 

 

「幸い、資格も知識も経験もある。現状なら何とかいける」

「なら、私はその方が……」

「但し、クラシックへの出走は回避を選択する可能性が高い」

「トレーナーさん、それは……」

 

 

 断固とした意志の下に放たれるトレーナー君の言葉。

 口を開こうとしたものの結局は言い澱んだメジロマックイーンはサイレンススズカを見る。

 

 クラシックは一生に一度しか挑戦できない。

 日本レース界において最も伝統あるレースであり、多くのウマ娘にとっては夢の祭典。

 

 それらに挑戦すらさせずに回避させる。 

 いくらサイレンススズカにとって必要とは言え、残酷ではないか。

 そして、喉元まで出かかった言葉を飲み込んだのは、メジロマックイーンもまたトレーナー君に全幅の信頼を寄せている証だろう。

 

 トレーナー君の考えもおおよそだが理解できる。

 それぞれの成長傾向に早熟型、大器晩成型とあるが、平均的に“本格化”を迎えたウマ娘の身体能力が上がるのは、クラシック級。

 ジュニア級はまだまだ身体能力が低く、シニア級は身体も完成して、其処までで培った経験もある。だからこそクラシック級を危険視しているのだ。

 

 加えて言えば、クラシックでは多くの者が限界を超えた力を発揮する。

 一生に一度と言う大舞台故にか、はたまた他者からの期待がそうさせるのか。

 いずれにせよ、如何に卓越した能力を持つサイレンススズカと言えども追い込まれる可能性が高く、引き摺られて限界を超えてしまうかもしれない。

 

 クラシックで華々しい結果を残せたとしても、以降には凡走を繰り返す程度であればまだ再起の目はあるが、彼女の場合はそうもいくまい。

 トレーナー君が危惧している以上、最悪の結果を招きかねないのは想像に易い。

 

 皆が彼女の気持ちを慮りながら重苦しい空気を醸す中、サイレンススズカは僅かな逡巡のみで決断を下した。

 

 

「分かりました。私は構いません。トレーナーさん、お願いします」

「す、スズカさん、いいの……?」

「ええ。残念ではあるけれど、クラシックに思い入れがあるわけでもないから」

 

 

 僅かに後ろ髪を引かれながらも、静かな決意が其処にはあった。

 

 確かに私の知る限り、彼女には明確な目標があるわけではなかった。

 例えばメジロマックイーンが天皇賞を目指しているといったような、特定のレースに対する思い入れもない。

 

 誰が相手であろうとも先頭の景色を独占して勝ちたい。

 自分の走りが、誰かに夢を見せてあげられるようになりたい。

 

 そんな漠然としながらも並々ならぬ思いがあるのみ。

 だからこそ、クラシック競走への出走を断念しても僅かに気落ちした程度で済んでいた。

 

 そもそも彼女にとって全てのレースに貴賤もなければ格もない。

 走りたいから持てる力を以って走っているだけで、舞台など関係ないのだ。

 故にクラシックに出れないことよりも、いま走れなくなることの方が余程問題なのだろう。

 

 

「スズカさんが納得しているのなら、私から言う事は何もありませんが。となると……」

「問題となるのはトレーナー君の評判だな」

「え……?」

 

 

 メジロマックイーンと私には気掛かりがあった。

 

 サイレンススズカは未出走でありながらスプリングステークスを勝ち上がり、既に世間から注目を集めている。

 それもただのまぐれ勝ちではなく、高い能力を見せつけた上での勝利。

 今後もレースに出走して勝ちを重ねれば、弥が上にも世間の期待は高まっていく。

 

 その中でクラシックを回避すれば、期待している側からすれば梯子を外されたようなもの。

 何の事情も知らない外野が好き放題に喚き散らし、トレーナー君に責任を求めるのは目に見えている。

 

 

「別にいいだろ、そんなの。スズカほどの選手をクラシックに出さずにどうするって心情も分からないでもないしな」

「それはそうだが……」

「言い訳なんていくらでも利くだろ。駄法螺なんて吹き放題だ。そんなことよりもスズカの方がよっぽど問題だ。だろ?」

「仰る通りではありますけど……全く、本当にこの方は」

「ま、色々と考えておくよ。出走を回避する可能性が高いだけで、出走できる可能性がゼロになったわけじゃない」

 

 

 あっけらかんと前向きな態度に、私もメジロマックイーンも肩透かしを食らった気分になる。

 これではまるで我々が度を越えた心配性のようではないか。

 

 ともあれ、呆れこそすれ責めることは出来なかった。

 彼の態度は絶望を見据えた上で希望を追い求めているからこそ。

 事実を重く受け止めたところで現実が変わるわけではなく、態度が軽いからと言って覚悟を済ませていないわけではない。

 

 トレーナーと言う職はレース界において主役ではない脇役であり、世間から叩かれやすい職でもある。

 結果を出せば出すほど周囲から求められるハードルは上がって些細なミスでも大きく取り沙汰され、担当の敗北、予期せぬ怪我に何の責任がなかったとしても責任を追及されるもの。

 

 だからこそ、トレーナー君はこの道を選んだ時点で全ての覚悟を済ませている。

 

 彼は素直でこそあるが、それは自身の納得が前提にあればこそ。

 間違いを認め、改善するだけの度量はあるが、自身が納得していなければ決して迎合しない。

 

 例え、メディアが何を言おうとも関係がない。

 例え、名前のない人々が何を言おうとも関係がない。

 

 決して譲れないものには結果や勝算の如何に関わらず立ち向かう。

 世界中の人間が白を黒だとしても相手の目を見て必ずこう言う。“そっちが退け”と。 

 

 そんな彼だからこそ、私は信頼を預けているのだ。

 

 

「じゃあ、早速やりますか、っとぉ。シャッ、頑張れオレェ!!」

「でも、防具なんて着込んで、何するの……?」

 

 

 まだ如何なる結果になるかは分からない未来については其処まで。

 一旦、話を区切ったトレーナー君は持ってきたアイスホッケー用の防具をいそいそと着込んでいく。

 

 そして、何度も頬を叩いて気合を入れていた。

 その気合の入れようは、ライスシャワーには奇異に映ったようだ。

 いや、彼女だけではない。他の面々も同様であり、疑問が表情に浮かんでいた。

 

 

「言った通りに矯正、今回は整体だな。気を抜くなよ、死人が出るぞ」

「はい、分かり――――え? し、死ぬ? 私が、ですか?」

「いや、オレだ」

 

 

 何時にも増して真剣な表情で告げられた言葉に、サイレンススズカは凍り付いた。

 

 いや、トレーナー君……間違ってはいないのだが、それはいくらなんでも言葉足らずではないか???

 

 

 

 

 


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