トレーナーさんは眠らない(ガチ)   作:HK416

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『きんこんいちばん』


気持ちを引き締め、十分な覚悟で挑むこと。難事や勝負を前の心構え。

「緊褌」は褌をきつく締めること。ひいては気を引き締める意。
「一番」はここぞ、或いは思い切って一度に賭ける意味。



『緊褌一番』

 

 

 

 

 

「トレーナーさん、これは一体……」

「説明した通り、整体だ」

「いえ、それは聞きましたけど、どうして皆が……」

 

 

 サイレンススズカはトレーナー君の指示で背もたれのないベンチへと仰向けに寝かされた。

 体勢としては臀部をベンチの端に位置させ、両足は投げ出すような形で困惑の声を上げている。

 

 それもそのはず、チームの全員で彼女の身体を押さえていたのだから。

 私は両肩を上からベンチに押さえつけるように。

 メジロマックイーンは右腕、ライスシャワーは左腕を。そして右脚はオグリキャップが右脇で抱え込むように抑えていた。

 妙に物々しい対応にサイレンススズカは不安を覚えている様子。傍目から見ても何をしているのかさっぱり分かるまい。

 

 

「ほら、子供の頃、予防接種とか受ける時にウマ娘の看護師さんが近くにいなかったか……?」

「そう言えば、いたような……」

「ウマ娘に麻酔を使用しない医療行為を行う時はウマ娘が傍に控えるのは義務じゃないが通例なんだよ。反射的に身体が動くこともあるからな」

 

 

 サイレンススズカは大人しく、落ち着いた性格をしている。

 だから知らなかったのだろう。そして、周囲の大人も悟らせない努力をしてきたものと思われる。

 

 痛覚を麻痺させる麻酔や身体に負担をかけない拘束技術が発展するまで、ウマ娘の治療には医師以外にも資格を有していなくともウマ娘が立ち会うのが必須だった。

 

 理由は単純。ウマ娘も人類という大きな括りの中では人種の一つに過ぎない。

 だが、身体能力の桁が違い過ぎて痛みや不快感で暴れた時に手が付けられなくなる。そうでなくとも反射で動いてしまう場合もある。

 

 医療技術そのものが未熟だった時代、或いは戦時中など麻酔等の医薬品が手に入らなかった時代は悲惨そのもの。

 苦しみ藻掻くウマ娘を助けようとし、逆に怪我を負うなどザラ。酷い場合には死亡事故にまで至った。

 近年では様々な――科学医療は言うに及ばず、法整備やウマ娘の本能的な部分の解明や付き合い方も含めた全ての――技術革新に伴って数は大きく減少。

 こうした件での事故は殆どなくなっているが、古くからの慣習と万が一への備えで暗黙の了解として残っている状態だ。よって、医療や看護方面へと進むウマ娘も少なくはない。

 

 

「と言うよりも、何も青空の下でやらなくてもいいのでは……」

「いや、いくらトレセン学園でもそういう設備がない。なら周りに物がないところの方がまだマシだよ」

「医務室はあくまでも軽い怪我や病気の処置が前提。医師も常駐しているが、基本は応急処置まで。重篤な場合は即搬送だ。トレーナー君の言う通りではあるな」

 

 

 メジロマックイーンの疑問に、トレーナー君はこの場の方がいいと答えた。

 

 実際、トレセン学園の医務室はあくまでも簡易的なもの。

 整骨院や整体院のように整った設備はない。確かに、彼の言う通りではある。

 

 私としては、こんな危険を冒すくらいなら医師に任せて貰いたいものではあるのだが、サイレンススズカの希望に沿った形で実現するのならこれしかない。

 体のいいだけの言葉でしかないが、彼の腕を信じる他なかった。

 

 

「でも、どうするの……?」

「スズカの現在の状態だけど、凄く簡単に言うと骨盤が傾いてるのと、骨盤を構成する骨が微妙にズレて左脚が短くなってるわけだ」

「はぁ……」

「そうなのか」

 

 

 トレーナー君はライスシャワーの口にした問い掛けに、鹿爪らしく頷きながら口にする。

 とは言え、それを把握しているのは彼だけで、当人であるサイレンススズカは生返事をするだけ。

 オグリキャップはふんふんと頷いていたが、正しく理解しているかどうか。

 

 機能的脚長差は骨盤に起因する場合が殆どであるらしい。

 実際、左右の脚の骨の長さが均等であるのなら、確かに付け根となる骨盤に原因が集約するのは当然だ。 

 

 

「本来なら運動やらで徐々に矯正していくもんなんだが、骨へ蓄積するダメージを考えるとなるべく早く差をなくす、もしくは減らしたい」

「それはそうですわね。今は正常な状態ではなく、左脚に負荷がかかっているわけですし……」

「――――なので、脚を引っ張ります」

「「そんなわんぱくな方法で?!」」

「いや勿論ただ引っ張るわけじゃないよ? 骨盤の状態を把握して正しい方向に力をかける。これも立派な整体だ」

 

 

 こう、何と言えばいいのか。

 話を聞くだけでは強引極まる手法に聞こえるのだが、そもそも整体とは手を使って骨の歪みを正していく処置である。間違いはない。

 間違いはないのだが、メジロマックイーンとサイレンススズカはもっと穏やかな方法を想像していたようだ。

 

 しかし、トレーナー君は穏やかに微笑んで説明するだけ。

 可能な限り早急に、骨への負荷を減らしたいのだ。

 

 骨は瞬間的な圧力に対して多大な耐久力を発揮する。

 だが疲労骨折のように、ダメージが蓄積した結果として骨が折れる場合も間々ある。

 折れる瞬間が分からない以上、発生しうる要因を排除しておきたいのは当然の心理と言える。

 

 説明もそこそこに、トレーナー君はうむと頷くと人差し指を立てる。

 

 

「右ヨシッ! 左ヨシッ! 後方ヨシッ! いくぞッ!」

「は、はい……!」

「皆、抑えられないと思ったらすぐに離して後ろに倒れろ。特にオグリは脚だから気をつけろ」

「ああ、任せておけ」

 

 

 周囲に人がいないことを指差し確認し終えると、トレーナー君は意気衝天の様子でサイレンススズカの左脚を掴んだ。

 右手で足首、左手で太腿辺りを掴み、稼働域を調べるように右へ左へ、或いは股関節を始点に軽く回転させる。

 

 そうしている間にも、周囲への忠告も怠らなかった。

 ウマ娘は頑強さと出力のバランスが取れていない。同じウマ娘にその力が向けられた場合でも、大怪我は必定。

 

 だからこそ、最も力の強いオグリキャップを右脚を押さえる役に据え、当人はふんすと鼻を鳴らして気合十分だった。

 彼女はベンチプレスで500kgを持ち上げるほどの剛力を持つ。快速タイプのサイレンススズカの力も抑えきるだろう。

 本来であれば、自らの担当に危険が及ぶ行為をするなど褒められた行為ではないが、先の通り他に方法もなければ時間も惜しい状況。

 

 手を貸すと頷いてしまった以上は、私も同罪。他の面々も同様だ。

 リスクを背負うのならば全員で。それがチームの総意であり、同時にチームそのものの在るべき姿だと信じていたから。

 

 そんな我々の決意を知ってか知らずか、トレーナー君はおかしなことを口にした。

 

 

「ところでスズカ、坐骨神経って知ってる?」

「は、はぁ……えっと、確か、神経痛の病気とかで聞いたことがあるような……」

 

 

 余りにも唐突な話題の転換に、サイレンススズカは困惑しながらも自らの知識を口にした。

 恐らく、彼女の頭に浮かんだのは坐骨神経痛だろうか。厳密には病名ではなく病気によって引き起こされる症状なのだが、それは然程関係ないか。

 

 トレーナー君はにこやかに微笑むと、彼女の返答に補足を入れていく。

 

 

「そう、それだ。坐骨神経は背中の下から下肢全体を覆っててな、大抵の動物にとっては一番太くて長い末梢神経になる」

「それが、何か……?」

「今からやる矯正はちょっとその神経が圧迫されそうでな。正常な神経を圧迫されるわけだから――――めちゃくちゃ痺れるか、痛いぞ」

「えっ――――――――い゛っっっっっ!!!」

 

 

 トレーナー君の補足から処置までは寸毫の間も置かなかった。

 サイレンススズカが補足に気を取られ、脚に力を入れる隙さえ与えぬ一瞬の早業。

 身体を押さえる側に回った我々は、さほど力は必要とせずに跳ねることさえなかった。

 

 巧いやりようではある。

 敢えて会話で気を逸らして余計な緊張を生ませず、自ら引く力を想定した通りに身体と骨に伝える。

 関節が鳴るようなこともなく、我々には処置が行われたかさえ分からなかったのだが――――

 

 

「――ごっへぁっ?!?」

「「「「「あっ」」」」」

 

 

 ――――気が付けば、トレーナー君の身体は何の比喩もなく宙を舞っていた。

 

 それを目撃した瞬間、我々の口からは間抜け極まった声が漏れる。

 時の流れが緩やかになったかのように全てがスローモーションになっているにも拘わらず、思考がまるで働かない。

 サイレンススズカが痛みで反射的に彼の胸板を蹴り上げたと分かったのは、全てが終わった後だった。

 

 ゆっくり、ゆっくりと。

 トレーナー君が10mも離れた位置に投げ出される様を眺めていることしかできず。

 同時に全身から血の気が引いていき、背筋に薄ら寒い電流が奔る感覚に怖気を覚えながら。

 

 我々がようやく動き出したのは、彼が背中から芝の上に叩き付けられてからだった。

 

 

「と、トレーナー君ッ!!」

「だ、大丈夫ですかっ!?」

「――――???????」

 

 

 全員で泡を吹きながら倒れ伏した彼へと駆け寄っていく。

 サイレンススズカなど顔を蒼褪めさせながら裸足のまま駆け出していた。裸足は兎も角、顔色は全員同じだっただろう。

 

 しかし、我々の心配を余所に、トレーナー君は何事もなかったかのように上体を起こすと周囲をキョロキョロと見回すだけ。

 自分がどうしてベンチから離れた位置で倒れていたのかさえ分かっていない様子に見える。

 

 

「ごほっ、どうかした???」

「ど、どうかしたじゃありませんわよ?!」

「だ、大丈夫、お兄さま、痛い所はない???」

「トレーナー、受け身は取れたか? 受け身はとれたのか?!」

「え? 受け身? ごっほ、つーか、オレなんでこんなところに瞬間移動してんの????」

 

 

 大事に至っていないことに、まずは全員で胸を撫で下ろす。

 そしてオグリキャップ、今は受け身を取れたかどうかを心配するのはズレにズレているぞ。

 

 私と言えば心臓が異常なほど跳ね上がり、過呼吸になって眩暈もある。

 一瞬、彼に庇われた事故の瞬間がフラッシュバックした。それほどまでの勢いだった。

 

 と、兎に角、咳はしているが無事のようだ。

 骨や内臓に異常があればまともに会話など出来るはずもない。

 防具のお陰か、はたまたトレーナー君の肉体のお陰か。いずれにせよ、幸運には違いない。 

 

 

「そんなことより、スズカ。脚は大丈夫か?」

「そ、そんなことじゃありませんよ!? わ、私が……」

「何もなかった。何もなかったけど? オレがなんか瞬間移動しただけ。超常現象ってのは意外に起こるもんだな」

「流石に無理があるぞ、トレーナー君」

「無理でも何でもねーし! 兎に角、何もなかった。この話はそれで終わりだ、いいね?」

「「「「アッハイ」」」」

 

 

 トレーナー君の有無を言わせぬ物言いに、慌てふためいていた皆は押し黙るのみ。

 

 私は思わずその場にへたり込みそうになっていた。

 無事で何よりであるが、自分については二の次三の次が当たり前の男だ、彼は。

 今もサイレンススズカに罪悪感を抱かせないため、勢いで押し通すことにしたのだろう。

 

 人の心境を察し、自身の状況を計算に入れずに行動できるのは間違いなく彼の美徳だ。

 しかし、それは長所ではあるが同時に短所でもある。トレーナー君を想う私から見れば尚更である。

 

 小言の一つでも言ってやろうかと思ったが、止めておく。

 そういうところに惚れ込んだのは私自身も認めるところ。そして、そうした彼を隣で支えると決めたのも他ならぬ私なのだから。 

 

 

「まあ、兎に角――――いや待て。色々と立て込んで慌ててたから忘れてたけど、いま何時だ?」

「む? 任せてくれ、トレーナー、こういう時のためにスマホがあると学んだからな。あっ…………」

 

 

 突如としてスンと無表情になったトレーナー君の問いに、オグリキャップは自慢げにスマホへと手をかける。

 何処かに置き忘れることのないよう、首から下げるタイプのストラップとケースを買ったのだが、今までの流れではミーティングルームに置いてくる間もなかっただろう。

 

 だが、覚えたばかりのスマホの操作をすると彼女は固まった。

 

 

「………………その、16時50分だ」

「ひゅっ……!」

 

 

 見たものを見たまま、然れども難しい面持ちで伝えるオグリキャップ。

 彼女の言葉を耳にした瞬間、トレーナー君は妙な音を立てて息を呑んだ。

 

 それもそのはず、彼の記憶がリセットされる十分前。

 これでは折角の気付きも無駄になり、処置を何処まで済ませたのかも分からなくなる。

 しかも、今回の処置は今の彼にしか分からないもので、私達では処置をした事実しか伝えようがなく、詳細までは分からない。

 

 我々も事態が事態だけに、時間を気にする余裕がなかったのが仇となった。

 

 

「と、兎に角、どうなったかまずは調べる! スズカ、脚の長さ測るからもう一回ベンチ座ってぇ!」

「は、はい、分かりました……!」

 

 

 そこからの展開は、どう表現したものか。

 慌ててサイレンススズカの脚を測り、その結果と自らが何をしたのか記憶を失った自分に伝えるべく、トレーナー君は悲鳴を上げながら詳細に手帳に書き込んでいた。

 

 ああ、こういうものを正にてんやわんやと呼ぶのだろう。

 悲観を差し挟む余地もなく、ただひたすらに前向きに邁進する。全く以て彼らしいものだった。

 

 

 

 

 


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