トレーナーさんは眠らない(ガチ)   作:HK416

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『ゆげざんまい』


なにものにもとらわれることなく、仏の境地に遊ぶこと。
または、嫌なことでもやることそのものを楽しむこと。

「遊戯」は仏教用語で、仏や菩薩、悟りを開いた者がなにものにもとらわれることなく、思いのままに振る舞うこと。
「三昧」は一つのことに夢中になること。


苦難苦境に囚われず、自然体で立ち向かうチーム“デネブ”とトレーナーの心意気、或いは在り方。


注意すべきは、誰一人として悟りの境地に辿り着けているわけではないことか。



『遊戯三昧』

 

 

 

 

 

「成程、そういう感じか。となると、手帳と文字だけじゃ伝えたい情報が足りなくなるなぁ……」

「ボイスメモやカメラではどうかな?」

「ないよりはマシだが、それでもまだ十分じゃない。どっちかって言うと整体は動きそのものより手から伝わってくる感覚の方が重要なことが多いし」

「ふむ。言語化するのは難しい感覚、か。況してや手感は想像以上に鋭敏で感じ取れる幅も種類も多い。確かに難事だ」

「泣き言ばっかり言ってられないけどな。ルドルフの提案通りにボイスメモから使ってみるよ。微妙なニュアンスの違いから伝わるものもあるかもしれないしな」

 

 

 時刻は18時過ぎ。

 日没までの時間は長くなり、初夏を迎えた現在はまだ地平線に朱に染まる夕日が見え隠れしている。

 目も眩むような焼け空の下、私とトレーナー君はコースの外でチームの練習を眺めていた。

 

 サイレンススズカは処置をした直後故に流す程度。

 歩様に問題は見られず正常な形に近づいたのだろうが、身体の微妙なバランスの変化に現状は何とも言えない違和感を覚えているらしく、無理はさせられない。

 ジョギングとさほど変わらない速度で、コースの外ラチ付近をゆるゆると周回していた。

 

 他の面々はコーナーを如何に無駄な力みやロスなく遠心力に対抗すべきなのか、併走しつつも共に研鑽を積む。

 かく言う私は、春天が終わってからそう日が経っておらず疲労が抜けきっていないため、トレーニングを見守る側に回っている。 

 

 そしてトレーナー君はサイレンススズカの処置後、念のために医務室へと向かわせた。

 診断結果は打撲と内出血の兆候は見られるものの、胸を中心とした骨、内臓への損傷なし、とのこと。

 緊急入院、通院どころか治療も必要なかったらしく、自己治癒に任せるのみで十分とのお墨付き。

 但し、医師にはウマ娘に蹴られて無事とかどうなってんですかアンタ一体、とドン引きされたようだが。

 

 単に運が良かったのか、はたまた父親譲りらしい偉躯(いく)のお陰か。

 いずれにせよ、我々が胸を撫で下ろすには十分すぎる結果であった。

 

 

「ところで、どう思う?」

「どうって、何が?」

 

 

 外ラチの上に両腕を乗せて、手帳を見返していたトレーナー君は怪訝に塗れた顔を上げて視線を向けてくる。

 

 余りにも唐突な私の問い掛け故に。

 主語も目的語もない。どころか、前後に会話の繋がりさえない。

 其処で彼はチームについてだとでも思ったのかコースの様子を眺めたが、私が問うたのは其方ではない。

 

 

「いや、わざとだったのかなと思ってね」

「わざとぉ……?」

「サイレンススズカの矯正に当たって身体の反射で何かが起こりかねないと予期したからこそ、彼女に要らぬものを背負わせまいとあの時間を選んだのでは、と考えた」

 

 

 17時以前は彼にとって一日が無駄になるか否かの瀬戸際。

 未来(さき)の自分に伝えるべき必要な情報の取捨選択をしておかねば、業務どころか生活も立ち行かない。

 自らの状況を受け入れた上で、さしたる苦も見せずに可能な範囲で最大限の能力を発揮しているが故に気付かないが、だからこそ一日において最も重要な時間帯。

 

 如何に重要な事柄に目を取られていようと、忘れることなどあるだろうか。

 

 一意専心、廃寝忘食。

 人並み外れた程度では生温い、完全に人から逸脱した集中力を有する彼には相応しい言葉だ。

 それでいて約束事において遅刻を見たことは一度もない。恐らく、私以外の相手でも同様だろう。

 時間感覚がハッキリしていると言うべきか、はたまた時間を認識するために思考が分割されていると言うべきか。

 

 ともあれそんなトレーナー君だ。

 勢いに誤魔化されてはいたが、冷静になって思い返してみると疑問は尽きない。

 

 

「いくら何でもオレのこと買い被りすぎじゃないかぁ?」

「いやに自己評価が低いな、君は。だが、少なくとも私は正当な評価だと考えているよ。で、どうなんだ?」

「まあ、そうだな。状況から察するに……5:5、いや3:7くらい……?」

「割合がそれぞれどちらの意味合いかは聞かないでおこう」

 

 

 大概な無茶に私は大袈裟に溜め息を吐き、彼はだから言いたくなかったんだと気まずそうに視線を逸らす。

 

 喜べばいいのか、憤ればいいのか。

 実に彼らしく、私もそうしたところを頼もしく感じてきたのは事実。

 しかし、こうして彼との距離が近くなればなるほど、心配は膨れ上がっていく。

 しかもそうした気質はサイレンススズカの脚とは違って矯正のしようがない。

 

 より性質が悪いのは己を軽んじた結果の暴走ではなく、問題なく解決できると怜悧な判断の下に行われていることか。

 せめて一言相談を、と言いたいところではあるのだが、私も何かと一人で背負い込み解決しがち、とエアグルーヴ達生徒会役員に苦言を呈されている以上、同じ穴の狢で何も言えない。

 

 心配が募ると同時に、これが他者から見た私の姿なのか、とも思う。

 憂わしいような、切なくなるような。それでいて喜ばしいような、誇らしいような。何とも妙な気分に浸る。

 

 

「…………ふぅ」

「む、戻ってきたようだな」

「スズカ、脚の調子はどうだ?」

「何処にも痛みはないんですけど妙に違和感があって……」

「矯正の影響だから仕方がない。暫く生活してればなくなるはずだ。違和感が続くようなら教えてくれ」

「はい、分かりました」

 

 

 コースを緩やかに3周ほどしてきたサイレンススズカは、我々の前で脚を止める。

 顔は不安に染まっていると言うよりも、不快感を感じているようでさえあった。

 

 実際のところ、彼女の脚は正常に近づいている。

 トレーナー君の測定では現時点での差は3mm~5mmほど。矯正前に比べれば遥かに良くなっている。

 ただ、どんな異常であっても長く続けばそれが基準となる。違和感を生み出しているのはその狂った基準そのもので、慣れてくればそれもなくなるだろう。

 

 問題があるとするのなら今後だ。

 トレーナー君が今回行ったのはあくまで緊急的な処置であって、脚長差の生まれた原因を排除してはいない。

 あの原因と思しき左旋回までも止めさせるつもりはないのは処置前の言葉通り。とすれば日常的な立ち方、歩き方、運動等で整えていく方向。

 また彼の仕事が増えてしまった。私自身も手を貸せない分野故、隔靴搔痒の心持ちにならざるを得なかった。

 

 

「はぁ……はぁ……オグリさん、以前に比べてコーナーの走り方が上手になっていませんこと?」

「ほっ、ほっ、ひっふー。むふふ、実はルドルフに教えてもらったんだ。ルドルフはコーナーも巧いからな」

「ひぃ……はぁ……そ、そうなんだ。どんなことを教えてもらった……?」

「それはな…………………………どう、説明すれば、いいんだ? ううん? …………もう一度皆で教えてもらおう」

「「……えぇ」」

 

 

 そうこうしている内に、オグリキャップ達も一通り走り終えて戻ってきた。

 

 彼女達の口にしたように、今日のオグリキャップのコーナーワークは見事なものだった。

 内ラチ沿いスレスレを進みながらも遠心力に振り回されず、ロスなくすっと何処までも伸びていくかのような走り。

 

 これならば私も教えた甲斐があったと言うものだ…………尤も、まともな指導とは言えなかったが。

 始めの内は理詰めで説明していたのだが、彼女には小難しい理屈は通用しなかった。

 どうしたものかと頭を悩ませた結果、私が選んだのは――――

 

 

『重心のかかる脚を意識して身体をくっと傾けて、内ラチ側の方をぐぃっと前に出すといい。そうすれば、いい、はずだ……』

『な、なるほど……! ちょっとやってみるぞ……!』

(他に手段がなかったとは言え、トレーナー君のように巧く説明できればよかったのだが。流石にあれでは……………………で、出来ているっ!)

 

 

 恐るべし芦毛の怪物。恐るべしオグリキャップ。

 あんな擬音塗れの説明で身に着けてしまうなど驚心動魄……いや、魂飛魄散の方が意味合いが近い気がする。

 

 こ、好意的に解釈するのなら、彼女は私の走りと言葉の微妙なニュアンスから最適な動きを導き出したのだろう。

 もしかしたら、こと天才性という点において彼女に勝るウマ娘は存在しないかもしれない。

 

 しかし、当然ながらメジロマックイーンとライスシャワーには説明できてない。

 頭で理解するのではなく、身体で理解していたのだから当然ではある。それでも十分に驚きだが。

 

 

「と、ところで、本当に大丈夫ですよね……?」

「スズカさん、医師のお墨付きも頂いていますし、安心なさっても……」

「で、でも、気持ちは分かるかも……」

「まぁ、それは…………トレーナーさんも何か仰っては?」

「へーきへーき。もっと酷い目にあってるから」

 

 

 幾分か軽くなっているとは言え、憂慮は尽きないもの。

 

 サイレンススズカは罪悪感混じりの。

 メジロマックイーンとライスシャワーはトレーナー君だけでなく、サイレンススズカも含めて。

 それぞれがそれぞれを慮っての心を砕いている。

 

 しかし、トレーナー君は相変わらずだ。

 確かにあの時の事故や地元で知り合った気性難のウマ娘の暴走に巻き込まれていたことを考えれば、遥かにマシだろう。

 心配をかけまいと強がっているのではなく、本当に問題がないからこその自然体。

 

 これでは逆に心労になろう。

 致し方ない。助け船を出すとしよう――――としたのだが、私より先に口を開いたのはオグリキャップだった。

 

 

「いっそのこと、皆に見せてやったらどうだ。その方が安心するだろう?」

「え゛っ」

 

 

 オグリキャップの提案に、これ以上ないほど顔を顰めるトレーナー君。

 打撲傷を見せるのが嫌というよりも、一部であれ身体を晒すのに抵抗がある様子。

 

 まあ、確かにその通りだ。

 相手が医師でもなく、担当に身体を晒すなど要らぬ誤解を招きかねないのだから。

 

 だが、その時、背筋に電流が奔った。

 

 無意識の内にサイレンススズカに視線を向けると、バッチリと目と目が合う。

 私達は無言で頷き合うと、トレーナー君に向き合って口を開く。

 

 

「良い提案だ。トレーナー君、見せてくれないか?」

「えぇ……その……そういうのは、ちょっとぉ……」

「いえ、私もその方が安心しますし、見せて下さい」

「あっ、スズカ、ラチ乗り越えたら危ないって。ルドルフもシャツの裾掴むのやめ、いや、ちょ、ちょっと、ウワーーーーーッ!! 凄い力だーーーーー!! 分かった! 分かったからちょっと待って!!」

 

 

 揃ってトレーナー君に迫り、シャツの裾に手をかける。

 

 疚しいところなど何もないが?

 これはそう、ただの診察の延長。単なる安全確認だ。サイレンススズカもきっと同じ気持ちに違いない。

 トレーナーとウマ娘は比翼連理の間柄。互いの不調は知っておいて然るべき。自然な流れだろう。そうだ、そうに間違いない。

 

 

「ったく、無理やり服脱がすなんてオレでもやらねーぞ…………周りに人はいないな。これ見られて変態扱いされねーだろうなぁ……」

 

 

 トレーナー君は鼻息荒い我々の手を何とか裾から外し、ぶつぶつと文句を漏らす。

 

 それでも我々の思いを察したのか、はたまた観念したのか。

 周囲をきょろきょろと見回して人目がないことを確認すると、また文句を垂れながらシャツの裾を捲り上げた。

 

 

「「……ご、ごくっ」」

「えぇ……何その反応……怖っ……」

 

 

 露わになった肉体に、私とサイレンススズカは生唾を飲み込んだ。

 

 その肉体を、どう表現したものか。

 とにかく何処も彼処も厚く太い。とても同じ人の身体とは思えないほどだ。

 無駄な脂肪など一切ついておらず、太い骨格に重厚な筋肉が巻き付いて構成された胸板と腹筋。

 

 女性的なものとは全く違う、逞しさと機能美を凝縮した男性的な色香に満ちている。

 最近は線が細く中性的な顔立ちの男性が持て囃されるようだが、わ、私は此方の方が……。

 

 これで我々の方が力が強いなど、とても信じられない。

 

 あの胸板に飛び込んで、両の(かいな)に抱き締められたら逃げられまい。

 あの肉体に組み敷かれ、何かを囁かれたのなら抵抗する気すら失せてしまいそうだ。

 

 男らしい色香にくらくらする。まるで顎にきつい一撃を叩きこまれたようだ。

 不甲斐ない姿を見せたジャパンカップでカツラギエースに喰らった張り手よりも効いている……!

 

 

「ひ、ひぇぇ……」

「痛そうだ」

「あ、足の形に青痣が……」

「これ逆効果じゃねぇかな? まー、ホント大丈夫だ。こんくらいなら明日か明後日には治ってる」

「これでか。私達でも一週間は治らないぞ」

「オレ、っつーか父方の家系が傷の治りがメチャクチャ早くてさ。親父とか、飯食って映画見て寝る! 男の治療と鍛錬はそいつで十分よッ! とか言いだすし」

「えぇ……何ですの、それ……」

 

 

 狙い通りというべきか、予想外の威力というべきか。

 くらくらしている私とサイレンススズカを尻目に、オグリキャップ達は問題の部分へと視線を向けていた。

 

 赤と青と黒。

 人体ではそうそう見られない色合いをした打撲傷。

 気弱で他者への共感性が強いライスシャワーなど涙目になっている。感じるはずのない痛みさえも感じているかもしれない。

 

 対して、オグリキャップとメジロマックイーンは比較的冷静だ。

 二人はトレーナー君の言葉に裏や嘘などないと信じているのか、驚いているだけ。

 

 そしてオグリキャップは何を思ったのか――いや、特に何も考えていないのか。思ったままの言葉を口にする。

 

 

「うーん。しかし、凄い腹筋だ。バキバキと言うのか、こういうのは。ライスも凄いが、元が細いからな」

「はわっ……?! お、お、お、オグリ先輩、い、言わないで~!!」

「むっ、そうか。なら、マックイーンのお腹は一番ぷにぷにだぞ」

「ひゅっ、ひゅーーーーー………………」

「どうした急に?」

「マ、マックちゃーーーーーーーーん!」

「「「………………」」」

 

 

 何の悪意もないオグリキャップに突然後ろから刺されたメジロマックイーンは、白目を剥いて喉を鳴らしながら断末魔のような呼吸をする。

 

 これは辛い。これは酷い。

 自分の身体について暴露され、顔を真っ赤にしていたライスシャワーですら余りの気の毒さに無言で目を逸らすしかない。

 

 私もサイレンススズカも同様だ。

 これであしざまに罵っているだけならばメジロマックイーンも反論の一つもしただろうが、悪意がない分だけ辛い。

 オグリキャップとしては単なる話題の転換、或いは女性らしい身体つきと言いたかったのだろうが、本人が気にしている部分を突くのは拙い……!

 

 

「だ、大丈夫だ、マックちゃん。体重も体脂肪率もちゃんと考えてっから!」

「そ、そうですわね。し、信頼していますわ、トレーナーさん!」

「お、おう…………もう仕舞ってもいいよな。ところで皆に一個聞いときたいことがあるんだけどさぁ……」

 

 

 何とか持ち直したメジロマックイーンであったが、まだ若干涙目だった。

 それを横目に見ながら、捲っていたシャツを元に戻すトレーナー君。

 

 むぅ、もう少し見ていたかったのだが。サイレンススズカも残念そうな表情をしている。

 まあ色々と確認できたから良しとしよう。あのままでは誤解をされかねない光景だったからな。うむ、疚しい所は何もなかった。

 

 しかし、トレーナー君の聞きたいこととは一体何なのか。

 改まった態度であったが、思い当たる節などない。他の皆も同じであったのだが――――

 

 

「なんかケツをシバき倒されたみたいに痛むんだけど、なんか知ってる?」

「あの時にお尻から着地しましたから、そのせいでは?」

「どうしたマックちゃん、急に流暢な口調になった上に食い気味だったぞ?!」

(ウソでしょ、私のせいに……?!)

 

 

 ――――その質問とマックイーンの気迫に、誰一人として口を開こうとした者はいなかった。

 

 

 

 

 

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