トレーナーさんは眠らない(ガチ)   作:HK416

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『きょくめんだかい』

行き詰った状況を切り開き、新たな方向を見出すこと。

「局面」は囲碁や将棋の盤面。または勝負の趨勢。転じて物事や事件、その時の状況や状態。
「打開」は、困難な状態や行き詰った状態から解決の糸口を見つけること。

そのままの意味。
そして、トレーナー自身の苦境そのものを打開できたわけではない。


『局面打開』

 

 

 

 

 

「う~ん、参ったなこりゃ。どーしたもんか……」

 

 

 スズカの身体に隠されていた脚長差という歪みに気付いてから一週間。

 

 オレはミーティングルームで一人悩んでいた。

 悩みの余り業務机に脚を投げ出して後頭部で両手を組む大変お行儀の悪い格好で思案中。

 断っておくが、スズカに関してではない。おおよそではあるが、今後の計画は立て直しは終わって、実行の段階に入っている。

 

 骨格矯正を目的とした柔軟運動と普段から心掛ける立ち方、歩き方の指導。

 この辺りはフォーム改善の延長線上にあるようなものなので、スズカも慣れてきていて殊の外スムーズに進んだ。

 効果のほどは今後身体に変化として現れる。

 旋回癖の矯正は調子の変化を鑑みて最初(はな)から放棄しているので、毎日計測することで歪みと修正のせめぎ合いを確認するところに落ち着かせてある。

 

 しかし、最も危険なのはクラシック期と踏んではいるが、現時点でも差は存在している。

 つまり、不意に、唐突に、突然に、偶然に。脚の骨が折れてしまうだけの負荷がかかる可能性が他の娘よりも高い。

 其処で現時点の対策として、専用のインソールで短くなってしまっている分を補うようにした。

 

 スズカの足を型取り、石膏で足型を作って、それを元にインソールを作成。

 作るだけならオレ一人でも構わなかったのだが、衣裳部屋の方々に協力して貰った。

 日常用やトレーニング用だけではなくレース用のインソールも造っておきたかったからだ。

 

 脚に最も負担がかかるのがレースであり、負担軽減を求めているのならば最も必要になるのはレース用。

 そして、そういった身を守るための道具に関する規定も制限も結構厳しいのである。

 

 G3、G2で使用する体操服やシューズは指定されたものを使用せねばならず、専用の蹄鉄を使用している場合は主催者側のチェックが入る。

 G1も勝負服は様々な見た目や種類はあるが素材から規定が存在していて、それ以外のものを使用していようものなら即失格。

 個人の身長や体重、戦績まで考慮に入れた上で重さも範囲内に収めねばならない。

 全ては公正な勝負を展開させるための措置ではあるが、公正さを追求する規定を設ける側、衣裳を製作する側の並々ならぬ努力には頭が下がる。

 

 流石に、そうした衣装規定は専門家に任せた方が安心確実ということで、素材と情報提供をお願いした次第だ。

 

 結果はまだ分からないが、スズカは違和感を覚えていない様子。

 走っている最中に見せていたヨレも確実に少なくなってきている。後は矯正に合わせてインソールを薄くする方向で調整していく。

 そんなわけでスズカに関しては予断を許さないが、良い方向に向かっているといったところ。

 

 

「マックイーンはマジで問題があるように思えないのがなぁ……」

 

 

 目下、最大の悩みはマックイーンに抱いた不安感。

 自身でも説明できない感覚によるところが大きいものの、日増し夜ごとに募っていく。

 ただ、それを理屈と結びつけるだけの要素が、まるで見当たらない。

 

 ルドルフのような高い能力と育ちの嚙み合わせの悪さによって生じた競技における瑕疵ではなく。

 ライスのような生まれ持った精神性故に、超えてはならない領域へと踏み込んでいける危険性ではなく。

 オグリのような急激な環境の変化によって、上がった無意識の悲鳴ではなく。

 スズカのような日常の些細な積み重ねによる歪みでもない。

 

 確かに、マックイーンはあれで暴走特急みたいなところはある。

 オレと出会う以前は、どうしようもない体質を何とかしようと無茶な食事制限やトレーニングを繰り返していたらしい。

 この辺りは本人の申告ではなく、見かねていたイクノディクタスによる証言なので信憑性、客観性ともに十二分。

 だが、本質的には当人にブレーキがないタイプではなく、どちらかと言えばブレーキを踏み忘れているタイプ。

 頑固なところはあるにはあるが、外から口を挟んで理を説いてやればすんなりと非を認めて受け入れてくれる。

 

 性能面に関しても爆発的な伸び方こそしないものの、限界に達するまで右肩上がりで強くなり続けるタイプ。

 成長曲線や戦績が一定であることは自他共に力量を正確に把握しやすく、無理無謀に至らない要素になる。

 走り方も典型的な先行型。瞬発力勝負はせず、差しや追い込みに比べて脚への負担も少ない。

 

 安定感と言う一点においてはルドルフ以上。

 肉体面においても、精神面においても欠点が少ない。つまり負ける要素は元より、怪我や病気になる要素も少ないということだ。

 

 

「となると、別のアプローチだが、どうしたもんか」

 

 

 スズカのように日常の中に何かが潜んでいる点も否定はできない。

 だが、オレ自身が観察し、色々と聞いて回ってみても、特に問題があるようには思えない。

 野球は見るのもやるのも好きだとか、スイーツが好きで食い意地が張ってるだとか、クソ映画が好きだとか。

 ふふっ、あんな御令嬢みたいな見た目しといておもしれー…………いや面白がってる場合じゃなかった。

 

 出会ってから二ヵ月ちょっと。

 オレ自身も含めてチーム全員に何らかの問題を抱えている以上、マックイーンだけを集中的にとはいかないが時間は十分に割いてきた。

 それで何の見当もつかないとなると、もっと根が深い問題であり、探る方法そのものを一から見直した方がいいかもしれない。

 

 

「見直そうにも取っ掛かりがなきゃ…………」

 

 

 これまでとは全く別の視線、別のアプローチを考えるが、何処から手を付けたものか。

 何の手掛かりもない状態からでは、それこそ手当たり次第に試していくしかないのだが、藁山の中から針を探すようなもの。

 何らかの新しい理論を追求するのならばそれでもいい。科学なんかも気が遠くなるような試行錯誤と努力の末に、普遍性や再現性を得るものだ。

 しかし、そうした手段が許されるのは時間的な制約がない場合だ。生憎と、こっちにはタイムリミットがあると思われる。

 

 しかも、時間の線引きが何処に敷かれているのか分からない状態。

 時間表示の見えない状態で時限爆弾を解除しているようなもん。

 ある程度は当たりをつけてから取り掛からないと、絶対に間に合わない。

 

 余りの難題に机の上から足を下ろして、そのまま頭を抱えた。

 

 そうこうしている間にも、どんどん自分が追い込まれていく感覚を覚える。

 頭は確かに回っているのに、胃が引っ繰り返って吐き気を覚え、背筋が薄ら寒くなる。

 所詮は感覚だけの話、気のせいで済ませてしまえばいいだろうという甘い囁きと、絶対に見過ごしてはならないという直感が同時に襲い掛かってくる。

 

 堂々巡りの二律背反。

 その上、健忘に関して不安や悩みは尽きない。

 皆のお陰で精神的な調子は取り戻してきている。だが、だからと言って問題が解決したわけではない。

 

 現実は変わらず其処にあり、情け容赦なく追い詰めてくる。

 

 自分の精神が壊れていく音が聞こえるかのようだ。

 硝子が砕けるような一瞬で済むようなものではなく、まるでヤスリがけするように、ゆっくりとしていながら確実に削り取られていく。

 

 マックイーンの将来に対する不安が、自らに対する不安と綯い交ぜになる。

 不意に叫び出したくなった。今まで培ってきた自分自身を投げ捨てて、感情のままに叫びたい。

 

 情けない姿を誰にも見せたくないからとか。

 誰かを不安にさせるような顔を見せたくないからとか。

 そんな他者への気遣いや自分を良く見せたいという見栄さえない。

 

 そうでもしなければ立ち行かない。

 そうでもしなければ自分を保てない。

 

 絶叫と言うよりも情けない悲鳴が喉元までせり上がり、助けを求めるように視線を彷徨わせ――――

 

 

「………………いや」

 

 

 ――――ふと視界へと入ったものに、不安は掻き消された。 

 

 目にしたのは常に作り続けているマックイーンの資料と、それに挟まれていたメジロ出身の娘達のプロフィール。

 

 業界の名家だけあって、メジロの息のかかった娘は多い。

 何かのヒントになるものがあるかも、或いは今後鎬を削るライバルとなり得る、と情報を集めていた。

 

 既に何度となく目を通してきた資料とプロフィールだが、新たに得たのは閃き、別のアプローチ方法だった。

 

 

「……その手があるか!」

 

 

 既に不安は駆逐され、成果を得られるかは別として、やれることは見つかった。ならば、後は其処に手を伸ばすだけ。

 

 通常のウマ娘では使えない、名家出身のウマ娘でしか使えない手だ。

 長くレース業界に関わり、大きな共同体を形成して独自のノウハウを手にしている家ならば、或いは。

 

 どう転ぶかは分からないが、可能性があるのならば、やらない理由はない。

 

 まず必要なのは承認か。

 となれば、頼る相手は決まっている。

 

 

「そうと決まれば………………たづなさんですか?」

 

 

 オレは机の内線の受話器に手を伸ばし、まずは理事長と話すべく電話をかけるのだった。

 

 

 

 

 

―――――

――――

―――

――

 

 

 

 

 

 後日、某県某所。

 広大な敷地に、巨大な庭園と模擬レース場まで備えた大豪邸にオレは居た。

 

 

「と、と、と、トレーナーさんがどうして本家(ここ)に居ますのぉ~~~~~~~~!?!?!」

「へへっ、来ちゃった」

 

 

 そう、シンボリに並ぶ大財閥メジロ家。

 その総本山に当たる本家に、オレは乗り込んでいたのであった――――!

 

 

 

 

 


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