デート・ア・ライブ 士道ロールバック   作:日々の未来

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エピローグです。


第14話 月の光の下で

「おーい! 待ってくれよ十香!」

「遅いぞシドー! 早くしないときな粉が無くなってしまうぞ!」

 士道の少し前を歩き、子供のように手を振っているのは、数日前まで人類の敵だのなんだのと言われていた精霊〈プリンセス〉、夜刀神十香だ。

 春らしいヒラヒラとした薄い色のワンピースと士道に選んでもらったハットを身につけ、先ほどから走っては戻り、走っては戻りを繰り返してゆっくりと歩く士道を必死に急かしている。

「ははは、そんなに焦らなくてもきな粉は逃げないから安心しろって」

「逃げるぞ」

「逃げるの!?」

「きな子が持って逃げる」

「誰!?」

「親戚の名前はつなk――」

「それ以上いけない」

 急に真顔になった士道に口を塞がれ、頭の上にはてなマークを浮かべる彼女だったが、数秒後にはそんなことはどうでもいいとばかりに士道の()()()()()、走り出すのだった。

 

 あの後。右腕を失い大量の出血と共に倒れた士道と、介抱するために駆け寄った十香は、フラクシナスに保護されすぐさま治療を受けた。十香は持ち前の頑丈さですぐに完治したのだが、士道はしばらく昏睡状態が続き、目を覚ましたのは1週間も後のことだった。その間十香は決して傍を離れず、食事に連れ出すのも一苦労だったとは琴里の談。

 目を覚ましたら覚ましたであれこれと世話を焼こうとするものだから、本来封印直後に行われるはずだった精密検査も後回し。半壊したフラクシナスの件と共にラタトスクの悩みの種の1つになっていることは、もちろん本人の知るところではない。

 一方の士道も目覚めたあと段々と霊力が回復していき、〈灼爛殲鬼(カマエル)〉によって腕も完全復活を遂げた。霊力値が精霊2人分で頭打ちになったことに納得のいかない琴里に、〈雷霆聖堂(ケルビエル)〉のことも含めて色々と追及を受けたが、そういえば彼女はあまり自分のことを話したがらなかったということを思い出し、一言だけを伝えておいた。

「大切な相棒が力を貸してくれたんだ」

 と。

 

 現在2人は何をしているのかというと、勿論デートである。

 「DEMやASTの報復があるかもしれないから学校に行く以外は家から出るな」と琴里にきつく言われていたものの、活発な十香が狭い室内で我慢できるはずもない。彼女の精神状態向上を理由に、渋る琴里を説得してなんとか町へと繰り出したのだった。監視と護衛を付けると言っていたので、きっとどこかでラタトスクの関係者が見守っているのだろう。

 しかしそんなことはお構いなしに、十香は商店街食べ歩きツアーを全力で楽しんでいた。目についた飲食店に片っ端から突撃し、気になったメニューを制覇して回る。士道も最初は付き合っていたが、限界寸前のところで十香の腹二分目発言を聞き、付いていくことを早々に諦めた。

 やがてほとんどの店に顔を出したのではと思い始めた頃、ようやくデザートを所望したため、満を持してきな粉を紹介したという訳である。

 

「どんな味がするのだろうな、きな粉と言うのは」

「そうだなぁ。甘くて柔らかくて、あといい匂いがするな。餅とか揚げパンもいいけど、お菓子にも使える万能食材だぞ」

「ふおぉ……! 聞いているだけでヨダレが止まらないのだ! やはり急がねばなるまい。民衆がきな粉を求めて暴動を起こすかもしれないぞ!」

「そこまでではねぇよ!?」

「何を言うか。シドーの1番のオススメなのだろう? 凄く美味しいに決まっているのだ」

「そ……そうか。うん、そうだな。きっと気に入ると思うよ」

 十香が目を合わせて満面の笑みでそんなことを言うものだから、士道は頬が熱くなって思わず目を逸らした。高鳴る胸は店に着くまで治ってはくれなかった。

 

「んん〜!! ふぉへもほいひぃぼ、ひぼー! ほっひも、ほっひもひひはほは!!」

「新しいグ◯ンギ語か何かか? とりあえず気に入ってくれたみたいで嬉しいよ」

 きな粉パンを頬張る十香は、それはもう幸せそうだった。キラキラと目が輝き、ひと口食べるたびに恍惚の表情を浮かべる。

 好みの味だとは知っていたが、ここまで喜んでくれると紹介した甲斐があるというものだ。士道は嬉しくなり、食べ物を掃除機のように吸い込んでいくその横顔を眺めていると、それに気付いた十香が餅を1つ差し出してきた。

「シドーも食べたいのか? ほら!」

「い、いや。俺はもう……」

「遠慮はいらないぞ! あーんだ!」

「……あーん」

 心の底から楽しそうな十香に水を差すことができず、士道は覚悟を決めて口を開いた。口いっぱいに甘い香りが広がり、お腹の苦しさに拍車がかかる。しかし、士道を躊躇わせる理由は他にあった。

「む……。あまり美味しくないか、シドー?」

「あぁいや、そんなことはないぞ! うん。凄く美味しい」

「そうか? その割にはなんだか難しい顔をしているのだ」

「いやその……。か、間接キスだなぁと……」

 そう。十香が差し出してきたのは、彼女がずっと使っていたプラスチックフォークだったのである。士道の言葉の意味をしばし考えてやっと意味が分かったのか、十香は急に顔を赤くしてフォークを引っ込めた。

「ッ!! な、何を言っているのだシドー!」

「ご、ごめん! いやでも、俺は全然嫌じゃないぞ! むしろありがとうございます!!」

 焦って訳の分からないことを言ってしまい、恐る恐る様子を伺うと、十香は俯いてフォークを凝視していた。そして。

「わ、私も嫌じゃない、ぞ……」

「え!?」

「な、なんでもないのだ! うがあああああ!!」

 そう言うと、十香はまたきな粉餅を掻き込み始めた。心なしか、さっきより顔の赤みが増したように見えた。

「十香!? 餅をそんなに1度に食べたら!」

「うっ!?」

「わああ!! 大丈夫か!?」

 穏やかな午後の昼下がりだった。

 

「シドー、あれはなんだ!? 何やら賑やかでキラキラしているのだ!」

「はいはいあれは……ッ! 十香、あそこは危険だ。近付いちゃいけない」

「そうなのか!? しかし頻繁に人が出入りしているようだぞ。避難させた方が良いのではないか?」

「いや、俺にとって危険な所なんだ……あのゲーセンって場所は」

 そう言って、士道は厳しい表情で入口を睨みつける。十香と話しているうちに、いつの間にかこんなところまで来てしまったらしい。今日が日曜日ということもあってか、店内は中々盛況なようだ。

「見つかると厄介だ。十香、すぐにここから――」

「だ・れ・に、見つかると厄介なのかなぁ〜?」

「うわあああああ!! 店長!!!」

「テンチョー?」

 背後からいきなり現れ肩を掴む店長に驚き、士道は白目を剥きながら絶叫した。

「んふふ士道くん。水臭いじゃないかぁ、そんな美人さんを連れているのに寄ってくれないだなんて。さ、遠慮せずこっち来て」

「嫌だぁ! 俺は戻りたくないぃ!!」

「待つのだテンチョー! シドーが嫌がっているではないか。それにゲーセンとやらは危険だとシドーが言っていたぞ!」

「だぁいじょうぶだよ彼女さん。それは士道君の嘘、冗談さ。ゲーセンは安全で楽しいところだよ。お茶とお菓子も用意してあるよ」

「騙されるな十香! 悪魔の囁きに耳を……あれ? 十香?」

「あの子ならお菓子って単語を聴いた途端に走っていったよ?」

「十香あああああああ!!」

 商店街に悲痛な叫びが木霊した。

 

 士道が重い足取りで店内に入ると、そこで信じられないものを見た。いつかの厳つい2人組が、十香を取り囲んでいたのである。

「なっ! なんでアイツらがここに!?」

「大丈夫、前みたいに暴れたりしないから安心していいよ」

 意外にも店長は落ち着いており、士道の隣に立ち様子を見守っている。

「彼らはうちでアルバイトを始めたんだよ。応募理由はちょっとアレだったけど……。それでも勤務態度は割と真面目なんだよ?」

 どうせいつでも『バン達』が練習できるから、とかそういう理由なのだろう。店長の懐の深さに嘆息しながらも近付いていくと、徐々に会話が聞こえてきた。

「お姉さーん! 今から俺らと遊ばない?」

「さっすが兄貴、すんげー美人ゲットォ!」

「俺、阿賀野丸武蔵乃介。略して阿賀武の兄貴。へへへぇ⤴付き合ってよ、素敵なおねぇさぁん」

「ぬ?」

「首傾げて『ぬ?』だって」

「きゃわいい~はは~!」

「どこが真面目な勤務態度だって?」

 士道が額に青筋を立てながら割って入ると、男たちは目を見開いて飛び退いた。

「シ、シドの兄貴!?」

「ご無沙汰しておりやす大兄貴!!」

「は?」

 なんだか聞き捨てならない単語が聞こえたような気がして士道が固まっていると、困り顔だった十香がまるで主人を見つけた子犬の如く駆け寄ってきて、その背に縋りついた。

「シドー! こやつらと知り合いだったのか? よく分からないことを言われて困っていたのだ」

「いや、知らない人たちだよ。行こう十香、あっちのレースゲームで遊ぼう」

 十香の手を引いて立ち去ろうとすると、ものすごい勢いで回り込んできた2人が、これまたものすごい勢いで頭を下げてくる。

 

「俺たち心を入れ替えたんです! あの敗北の後、ネットにアップされた勝負の動画を見て改めて思い知らされました。あんたらとのレベルの違いを……!」

 

「は? ねっとにあっぷ???」

 

「たった1曲演奏しただけで100万再生されるようなマネ、今の俺たちにゃ逆立ちしたってできません! それで思ったんです。初心に帰って一からやり直そうって!」

 

「は??? ひゃくまんさいせい?????」

「よく分からんが辞めるのだお前たち! シドーの顔がなんかエラいことになっているのだ!」

 心配した十香に抱き抱えられて色んなところが当たるが、今の士道はそれすらも感じ取れないほど自我を喪失していた。まさか自分の醜態が世界レベルで拡散されているなどと思ってもみなかったのである。

 十香の胸に埋もれながら現実逃避していると、騒ぎを聞きつけた他の客たちが徐々に集まってきた。

「おい、あれシドじゃねえか?」「間違いない、この間見たから分かる!」「やっぱり帰ってきたってのは本当だったんだよ!」「きゃー! 闇のポエム聴かせてぇ!!」

 みんな口々に好き放題言っているのを聞いて、ますます気が遠くなる。

「シドー、顔色が悪いのだ。やはりここを出よう、無理を言ってすまなかったのだ」

「あぁ、そうしてもらえると助かる……」

「あ待ってくださいよぉ」

 引き止める声を尻目にゲームセンターを出ようとすると、不意に出口を遮る影が現れた。

 

「待て!!」

 

 周囲の人々が声のした方へ目を向けると、そこにはひとりの男が仁王立ちしていた。地面に着きそうなほど長く白いコートに身を包むその姿からは、どこか威厳が滲み出ているような気がする。

「なっ!? お前はまさか……!」「かつてシドと対等に渡り合ったという西の高校生ゲーマー……」「人呼んで〈カイザーシーホース〉!!」「馬鹿な、どうしてこんなところに!?」

 頼んでもいない解説を始めるギャラリーに釣られて顔を上げると、士道にとってあまり見たくない顔がそこにはあった。思わず顔を顰めて目を逸らす。

(あいつ……。確か中学卒業まで何かと絡んできた隣町のやつじゃなかったか? なんでこんなところに……)

 そんな士道の疑問に答えるように、シーホースと呼ばれた男はふんぞり返ってこちらを見下すように話しかけてきた。

「ふぅん。KKK、シドが復活したと聞いて飛んできたのだ。文字通り自家用ジェット機でな!」

「あいつすげー金持ちだって聞いてたけどそんなもんまで持ってるのかよ!」「隣町から来るのに空路を選択しちゃったの!?」「やっぱボンボンの考えることは理解できねーな」

 周囲からは明らかに引かれているが、男は顔色ひとつ変えずに真っ直ぐ士道だけを見つめていた。その視線に、士道は嫌な予感をひしひしと感じる。

「俺のことなどどうでもいい。1年前、俺に勝ち逃げしたまま姿を消した男シド。遂に見つけたぞ。あのときの雪辱、今こそ果たさせてもらうぞ! ……って何処に行く!!」

「マジで勘弁してくれ……。俺はもうそういうのは卒業したんだよ。逃げたんじゃなく引退したんだ、頼むから放っておいてくれ」

「なんだと!?」

 自然に横を通り抜けようとしたのだが、やはり駄目だった。肩を掴まれ、強引に動きを止められる。

 その様子を見て十香は僅かに顔を顰めると、2人の間に割って入り、男の手首を掴み上げた。

「おい貝柱シーフードとやら、シドーは病み上がりなのだ。余りしつこいと――」

「女は黙っていろ! 暗黒に染めるぞ!!」

「あっ」

 シーフードが掴まれた手を咄嗟に振り払うと、その腕が十香の被っていた帽子に当たり、地面に落としてしまった。

 その瞬間、十香からとてつもない殺気が放たれる。

「シドーが選んでくれた帽子を……。貴様……!」

「ひっ!? な、なんだこのプレッシャーは!?」

 帽子を拾った十香が一歩踏み出すと、先ほどまでの高圧的な態度は何処へやら、男は顔を青くして震え上がった。しかし、殺気の出所は1つだけではなかった。

 十香の後ろからゆらりと出てきた士道が男に詰め寄ると、ハイライトの消えた瞳で語りかける。

 

「お前、今何をした……?」

 

「えっ」

「十香に手を上げたのか?」

「あ、あの……」

「十香は今日のデートを心の底から楽しみにしてたんだよ……」

「は、はい?」

「それを台無しにしやがって……。ステージに上がれこのキャベツ頭があああ!!」

「ウエエエ!?」

 その瞬間、待ってましたとばかりに周囲から歓声が上がる。

「そうだ、それでいいんだよ士道君。いやシド! 世界は君を待っているんだ!!」「出た! シドさんの〈闇の鎮魂歌(ダーク・レクイエム)〉モードだ!」「普段は光と闇が混在するシドさんの心の闇が暴走したときに現れる激レア状態よ!」「きひひ、ああなったらもう誰にも止められませんわ!」「勝ったな風呂入ってくる」

 一気に会場のボルテージが上がり、そこかしこから喝采の声が上がる。十香はそんな周囲の雰囲気に気圧され、すっかり怒りを忘れてしまっていた。

「い、一体なんなのだこれは……。シドーもみんなもどうしてしまったのだ?」

「あれは君のためだろうね」

「テンチョー! どういうことだ?」

 十香の隣に移動してきた店長は肩に手を置くと、諭すような優しい声で語りかけた。

「普段温厚な士道君が怒るのは、決まって自分以外の誰かが傷付けられたときなのさ。それもいきなり闇モードとは……。君は相当大事にされてるんだろうねぇ」

「そ、そうなのか? それはなんだか……むずむずするのだ」

 顔を赤らめ恥ずかしそうに身を捩る十香を、店長は微笑みながら見つめていた。

「おっと、ゆっくり眺めている場合じゃないか。店長としての役目を果たさないとね」

 そう言うと、店長は足早にステージの方へ向かっていった。その先では士道とシーフードが一触即発の雰囲気で対峙している。

「闘いの生態系、闘いの食物連鎖。女にうつつを抜かす軟弱者など誇り高き獅子に触れることすら許されぬと教えてやる!」

「みぞおち……。喉仏……。人中……。乳様突起……」

「人の急所を舐めるように見つめるのをやめろぉ!!」

「そこまでだよ! この勝負、店長権限により公平にジャッジさせてもらう! 2人の決着はこれより『EXTREME』にて執り行う!!」

 突如として乱入した店長の言葉で、会場は更なる熱気に包まれた。

 後ろの方ではてなマークを浮かべている十香の側で、屈強な男2人が神妙に頷く。

「『EXTREME』……。それは古より伝えられし伝説の決闘方法。お互いに競技種目を書いた紙を複数枚箱の中に入れ、そこからランダムに引いた紙に書かれていた競技で闘うというルールだ」

「オフィシャルでは先に3勝した方が勝者、ですな? 兄貴」

「うむ」

「解説ありがとうなのだ、でっかいの1号2号」

「「恐縮です十香の姉御!」」

「アナゴ?」

「十香さんはシドの兄貴の大事な人なんすよね? じゃあ俺らの姉御で違いねぇっす!」

「これって……勲章ですよ?」

「うむ……? よく分からないが、私とシドーは深いところで繋がった仲なのだ。大切な存在なのは間違いないぞ」

「「ヒュー!」」

 

 そんなやりとりを他所に、ステージの上では闘いの準備が完了したようだった。いつの間にか用意されたホワイトボードには、でかでかと「1回戦、バン達・ベースバトル」と書かれている。

「ふぅん。早速俺のフェイバリットを引いてしまったようだな。初戦は俺の勝利――」

「何勘違いしてるんだ?」

「ひょ?」

「俺の得物がギターだけだと思うなよ」

「なっ! まさか……!」

「ギターと間違えて買ったあと死ぬほど練習したんだよ、ベースもなぁ!!」

「な、なんだとぉ!?」

 頂点を決める戦いが、今始まった。

 

 

 

 

 

 

「シドー! 見るのだ、すごく綺麗な夕陽だぞ!」

「あぁ、そうだな……。俺には眩しすぎてやけに目に染みるよ……」

 時刻は18時に迫ろうかというところ。士道はデートの終わりにと、思い出の高台を訪れていた。初めてのデートで訪れ、紆余曲折有りながらも初めて十香とキスをした、この場所へ。

 柵に手を掛け辺りを見回す十香は、子供のようにキラキラと目を輝かせている。その表情からは出会った当初のような剣呑さは微塵も感じられない。

「これがシドーの暮らしている町なのだな……」

 天宮市を一望できるその場所で、十香は優しく微笑みながらしみじみと呟いた。士道はその横に立ち、そっと肩を抱き寄せる。

「これからは十香の暮らす町でもあるんだよ。一緒に学校に行って、勉強して、遊んで、それから帰りに美味しいものでも食べて……。そんな日常がこれから十香を待ってるんだ」

「そうか……。そんな日々が、本当に手の届くところにあるのだな……」

 十香は士道の肩に頭を預けると、これが現実であることを確かめるように、士道の手をしっかりと握った。

 

 そのままゆっくりと、時間が流れていく。

 暖かなそよ風に吹かれて、桜の花びらが飛んでいく。

 もうすぐ桜が散り、やがて夏がくるのだろう。きっとその頃にはもっと賑やかになり、騒がしくも愛おしい、掛け替えのない日々となる。

 そんな当たり前の日常を享受できることを、士道は何よりも望んでいた。

 例えそれが、どれほど難しいことだろうとも。

 

 あれから、折紙は1度も学校に来ていない。居留守なのか不在なのか、家を訪ねても会うことができず、そもそも連絡先すら交換していないことに気付いたのは今頃になってからだ。

 他の精霊たちとも未だにコンタクトを取れておらず、彼女たちがどこにいるのかすら分かっていない。

 未来の知識を活かすには、過去と現在の世界では状況があまりにも違いすぎていた。

 だがそれでも。士道は決して諦めたりはしない。

 消えてしまった彼女の前で、あのとき確かに誓ったのだから。精霊たちを絶望の未来から救ってみせると。

 もう2度と果たされることのないもうひとつの約束を大切に胸に仕舞い込み、今ある幸せを守り抜く決意を込めて十香の手を握り返した。

 士道の雰囲気が変わったことに気付いたのか、十香が潤んだ瞳で見上げてくる。士道はそれを察すると、どちらからともなく唇を寄せ合い、そして。

 

 ぐうぅぅぅぅぅ〜。

 

 触れ合う寸前、なんとも気の抜けた空腹を知らせる音が聞こえてきた。

「あ……」

「ぷっ! あはははは!」

「わ、笑うな! なんだかいい匂いがしたからつい……」

「いやだって! あれだけ食べたのに、あは、あははははは!」

「むぅぅぅ〜!」

 甘酸っぱい雰囲気は霧散し、ぽかぽかと胸を叩く十香が可笑しくて士道は更に笑うのだった。

 ひとしきり笑ったあと、どこからか軽やかな音楽が聴こえてくることに気付いた。どうやら近くに屋台か何かが来ているらしい。

「花見客用にお店でもやってるのかな? 見てきていいぞ。俺はもう少しここで休んでるからさ」

「いいのか!?」

「あぁ、もちろん。でもあんまり遠くには行かないでくれよ」

「分かったのだ!」

 返事をしながら、既に十香は走り出していた。その姿は段々と小さくなり、階段を降りてすぐに見えなくなる。

「昼間あれだけ食べたのに……。元気だなぁ」

 そう呟くと、士道は再び町を眺めるのだった。

 

 気付けば遠くの空では星が輝き、平和な町並みにはぽつぽつと光が灯り始めている。

 あの光ひとつひとつに人がいる。笑って、泣いて、そして支え合って、顔も名前も知らない誰かが大勢生きている。ふと、そんな当たり前のことが頭をよぎった。

(でも……。どこを探しても、万由里はいない)

 あの日、一方的に別れを告げて万由里は消えてしまった。士道にはそれが信じられず、時間が経った今でもふとした拍子に彼女の影を探してしまうのだ。

 人混みの中。

 教室の隅。

 廊下の曲がり角。

 木陰の下。

 ベッドの中。

 どこを探しても、どれだけ探しても万由里は見つからなかった。

 冗談の好きな彼女のことだ。そのうちひょっこり顔を出すんじゃないかと、そんな風に考えていた士道だったが、色々な場所を探すうちになんとなく理解してしまった。

 この世界に来てからずっと士道を支え、励ましてくれた彼女は、もうどこにも居ないのだと。

 

 ――何よ寂しいわけ? 男のくせに情けないわね。

 

「馬鹿言うなよ万由里。俺、すげー強いんだぜ? なんたってあのエレン・メイザースを倒した男だからな」

 ポケットから鍵を取り出し、空にかざしてみる。沈みかけの夕陽に照らされ金色に輝くそれを見ていると、人を小馬鹿にするような声が聴こえた気がして。思わず強がりを言ってみた。

 

 ――ほんとかしら? 怪しいわね。

 

「嘘じゃないさ。それに怪我も治ったし十香も元気になった。これ以上は無いってくらいのハッピーエンドだよ」

 誰に向ける訳でもなく、士道は胸を張って目を閉じた。同時に大きく息を吸い込む。そうしないと、何かが溢れ出してしまいそうだったから。

 

 ――それは大層なことね。じゃあ、もう他には何も要らないわね。

 

「そうだよ。お前がいなくなったって、俺は全然平気なんだ」

 周りに誰もいなくてよかった。きっとその声は震えていただろうから。

 

 ――じゃあどうしてよ。

「……やめろ」

 

 ――どうしてあんたは。

「もう、やめてくれよ」

 

 ――そんな風に、泣いてるのよ。

「やめろって言ってるだろ!!」

 

 気が付けば、士道の頬からは涙が零れ落ちていた。必死に拭い、流れ出さないように上を向いても、一向に収まる気配はない。

「くそっ! なんで、どうして止まらないんだよ! 泣かないって誓ったはずなのに! 俺はどうして……」

 

 こんなにも弱い。

 

 その理由は自分が1番良く分かっているから。きっとこの涙が止められないということを、誰よりも士道自身が理解していた。

 失ったのがどれほど大切なものだったか気付くのは、いつだって手遅れになってから。

 士道はそれを嫌というほど知っている。だから失くさないように必死に努力を重ねた。

 頑張って、頑張って、頑張り抜いて。そして結局、また手のひらから零れ落ちてしまった。

 

 声を上げてしまわないよう歯を食いしばる。肩を震わせて耐えるうちにすっかり日は落ち、辺りを優しい闇が包み込んでいた。

 花飾りの鍵を握りしめ、士道は顔を上げる。その目は赤く腫れ上がっていたが、確かな意志を感じさせる強さがあった。

「じゃあ、これからはどうするの?」

「もっと強くなるよ、俺。大切なもの全部、ちゃんと守れるように、今度こそ」

「うん、それでいいのよ。何があっても、あんたは前に進み続けなさい」

 

 最早懐かしいとも思える声を聞いた士道は涙を拭って振り返ると、後ろに立つ万由里を真っ直ぐ見据えた。

 

「ありがとう。それとごめん。色々と心配かけちまったな」

「気にしないでよ。私はあんたのパートナー、頼れる相棒なんだから」

 そう言っていたずらっぽく片目を閉じる彼女を、士道は力強く抱きしめた。

「ふぇ!?」

「俺、もう大丈夫だから。もう絶対、泣いたりしないから」

「う、うん……」

「お前に心配かけないように頑張るから」

「……うん」

「……だから万由里、安心して行ってくれ」

「どこに!?」

 本気で驚愕の声を上げる万由里の顔を至近距離から見つめ、なんだこの幻影全然消えねぇな、などと考える。試しにほっぺたを摘んでみると、確かな暖かさと柔らかさが伝わってきた。

「いひゃいいひゃい! ひょ、はらひて! は、はら……。離しなさいったら!」

 摘んでいた指をこれまた小さくて暖かい手に掴まれると、強引に引き剥がされてしまった。

「いきなり何すんよの! この美しいほっぺたが伸びたらどう責任取るつもりなの!」

 ぷりぷりと怒る彼女を、士道はぽかんと眺め続ける。そして。

 

 

 

 

 

「……………え?」

「え?」

 

 

 

 

 

「万由里?」

「なにさ」

「え?」

「え?」

「……成仏して、どうぞ?」

「しませんけど!?」

「え?」

「え!?」

 

 

 

 

 

「えええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええ!!!???」

 

 

 

 

 

 人生の中でもトップクラスに驚いた士道は、目の前の現実を確かめるように万由里の身体を触りまくった。

「本物!? いつの間に!? というかどうして実体化してるんだ!?」

「あはは、くすぐったいってば! どうしても何も、力を使いすぎて消えたんだから力が回復したら元に戻るに決まってるじゃないの」

「充電式の電化製品かお前は!!」

「なんだとこのヤロー!」

「あれ、でも胸が薄……。まだ完全には回復してないのか?」

「ぶっ殺すぞ」

 その後もわちゃわちゃしているうちに、万由里の身体は以前のように透けて触れなくなってしまった。

「ま、万由里!」

『大丈夫、もう消えたりしないわよ。実体化が切れただけ。士道の保有霊力が増えたからできるようになったんだけど、どうやら持続時間は1分てとこね』

「そうだったのか……。良かった……本当に良かった」

 万由里が消えないことに本気で安堵した士道は、大きく息を吐きながら胸を撫で下ろした。

『そんなに喜んでくれるとは思わなかったわ。いや〜、隠れて練習した甲斐があったってもんね!』

「……………………は? 今なんて?」

『え? いやだから、ここ最近はずっとあんたに隠れて実体化の練習を……。あれ、なんか怒りの感情がひしひしと』

「万由里」

『は、はい』

「1発殴らせろ」

『ひぇぇぇ!!』

 暗がりの中、自分にしか見えない相手と追いかけっこをする士道。しかし、誰かに見られる心配などする余裕もないほど、士道の胸中には様々な思いが渦巻いていた。

 散々心配をかけさせた万由里への怒りと、()()()()()()()()()()()()()()()()()()ことへの悲しみ、やるせなさ。そういうものが入り混じった感情だ。

 きっと士道の知らないところで、士道の想像もつかないような艱難辛苦を乗り越えて万由里はここに立っているのだろう。或いはもしかしたら、まだ。

 それを証明するように彼女の心に僅かに落ちる影を感じ取ることができても、かける言葉を見つけることが出来なかった。

 きっと今の士道が聞いたところで、どうしようもできないようなことなのだろう。万由里は何も言わない。ならば士道も何も聞かない。

 少なくとも今この瞬間、目の前に大切な少女がいてくれる。士道にはそれで十分だった。

 何故なら、彼女の顔を見るだけで、彼女の声を聴くだけで。今までのドロドロとした暗い気持ちを消し飛ばすほどの喜びが心の底から溢れ出てくるから。

 そしてこうして戯れ合うのが楽しいのは万由里も同じなのだろう。いつしか彼らは大笑いしながら、子供のように辺りを走り回っていた。

 この瞬間がずっと続けばいいのに。

 心の底から、士道はそう願った。

 

「ただいまなのだシドー! む? 何をしているのだ?」

「あぁ、お帰り十香! ちょっと暴れたい気分だったんでな。ひとっ走りしてたところだ! 美味しいものは見つかったか?」

「うむ! 外で食べるおやつというのも良いものだな! 端の店から順番に食べ進めたのだが、もう材料が無いと言われたのでな。お土産のお団子を貰って帰ってきたのだ!」

「そ、そうか……。それは残念だったな」

『あの細い身体のどこに消えてんのかしらね。相変わらず謎だわ』

 誇らしげに団子の入った袋を掲げる十香が士道の隣まで来ると、キョロキョロと辺りを見回した。

「どうした?」

「む? さっき誰かの声が聴こえたような気がしたのだが、誰も居ないのか?」

「『え!?』」

「それになんだか……」

 十香は目を閉じてくんくんと鼻を鳴らしながら辺りの匂いを確認していき、やがて士道の胸に顔を埋めた。

「お、おい十香?」

『オイオイオイこんな往来でお熱いことですなぁ! 帰ってきたばっかだけど席を外しましょうか旦那ぁ?』

 

「知らない女の匂いがする」

 

「『ひえっ』」

 顔を上げて真っ直ぐに士道を見つめる瞳が、今までに見たことのない冷たい輝きを放つ。別にやましいことはないのだが、何故か2人は震え上がった。

『じゃ、オラギャラ貰ってけえるから』

(オイふざけんなよ! それは悟○の台詞でもなんでもねぇから!)

「誰なのだシドー。誰とここで話していたのだ? なんの話を。なんの為に。答えるのだシドー」

「『ひぃぃぃ〜!!』」

 ぐいぐい来る。異様な雰囲気に気圧され口をぱくぱくさせていると、ふっと十香の圧が消えた。

「むぅ……」

「と、十香?」

「すまん、困らせてしまったな。シドーが話せないというなら、きっと私が無理に聞き出すべきでは無いのだろうな……」

「それは……」

「だが!」

 俯きながら上目遣いで士道を見つめるその表情に、不安さが滲んでいるのが見てとれた。

「目が覚めてからずっと、シドーはどこか辛そうにしていたのだ。私はそれを分かっていながら何も出来なかった」

「う……。気付いてたのか」

「当たり前だろう。シドーは私を救ってくれた恩人で、大切な人で……。だからシドーを元気付けられるように、私なりに色々やってきたつもりだったのだ」

「それであれこれ世話を焼いてくれてたんだな」

『健気ねぇ。こんなすけこましなんかのために』

 隣で万由里が頭をぐりぐりしてくるが、士道は十香から目を離さない。

「でも、それは私の役目ではなかったのだな。たった少しの間でシドーをこんなにも元気にすることは、私にはとても出来ないのだ」

「そんなことない! 十香はいつだって俺に元気を与えてくれたさ。それで俺がどれだけ助けられたことか」

「……本当か? こんな私でもシドーの側に居てもいいのか?」

「当然だろ! むしろ居てくれないと困るって。俺たちもう家族みたいなもんなんだから」

「かぞく……?」

 聞き慣れない単語に首を傾げる十香の手をしっかりと握り、安心させるのうにゆっくりと言葉を紡ぐ。

「家族ってのはな、一緒に居るのが当然なんだよ。楽しいときも辛いときも、いつでもそれを一緒に分かち合う。他のどんな絆よりも強い力で結ばれてるんだ。だから……」

「シドー……」

「良いとか悪いとか、そんなこと気にするな。ずっと一緒に居よう。十香」

「…………うむ! ありがとうなのだ!」

 そのまま手を繋ぎ、ゆっくりと家路を辿り始める。2人の表情には、もうなんの不安も迷いもなかった。

 大切な人が側に居てくれる。たったそれだけのことで、こんなにも心が晴れわたるのだと、士道は改めて知った。そんな彼らを、万由里は笑顔で見送るのだった。

 

 

 

(いや何ボーっとしてるんだよ。お前も帰るぞ万由里)

『えっ? いいの?』

(駄目な訳ないだろ。ほら)

 士道は十香に気付かれないようそっと空いた方の手を差し出すと、万由里はおずおずとそれを握り返した。

『この雰囲気に割り込むって、私ちょー空気読めてない気がするんですけど……』

(何訳分からないこと言ってるんだよ。さっき言ったろ? 家族なんだから遠慮すんなよ)

『っ! ま、まぁ? あんたがそこまで言うなら仕方ないわねぇ〜。……えへへ』

 士道を挟んで、3人仲良く歩みを進める。

 こんな光景を士道はずっと夢見ていた。そしてそれは、今やっと現実になったのだ。

 

 彼らは進む。

 数多の困難が待ち受ける世界で。

 それでも懸命にもがいて、生きていく。

 どれだけ辛くとも、仲間が居ればきっと乗り越えていける。

 

 そう願う彼らを優しく包み込むように、満天の星空から柔らかな月の光が降り注いでいた。




ありがとうございました。
これにて十香クライシス完結です。
連続更新は今日で一旦終了ですが、今後もゆっくりと更新していければなと思っています。
詳細が決まれば活動報告に上げる予定ですので、どうぞ気長にお待ちいただければ幸いです。
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