デート・ア・ライブ 士道ロールバック   作:日々の未来

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オリジナル設定盛り盛りの本筋にしばらく関わらないおまけ話になりますので、苦手な方は読み飛ばしていただいて大丈夫です。


幕間 ―真士君の日常―
幕間1 おわりがはじまる


「青春」

 青春とは人生の或る期間を言うのではなく、心のもち方を言う。

 たくましい意志、豊かな想像力、燃える情熱をさす。

 青春とは臆病さを退ける勇気、安きにつく気持ちを振り捨てる冒険心を意味する。

 年を重ねただけで人は老いない。理想を失う時に初めて老いる。

 頭を高く上げ希望の波をとらえる限り、80歳であろうと人は青春にして已む。

 

 

 

 誰の受け売りか知らないが、聞いてもいないのにあいつがあんまりしつこく高説を垂れるものだから、頭に焼き付いてしまった。こんなものを覚えたところで、俺には一生縁のないものだというのに。

 

「オイ新入りィ! ボサッとしてんじゃねぇぞ!」

「…………うす」

 

 余計なことを考えていたせいで、手が止まっていたようだ。俺は慌てて資材を担ぐと、軋む身体に鞭打って歩き始める。

 割の良い仕事があると聞いて飛びついた建設現場のバイトだったが、夜間工事だの長距離移動だのとなかなかにハードだ。おまけに身体を酷使する作業ばかりのため、痣や切り傷が絶えることはなく、重度の筋肉痛がここ最近の悩みの種だった。

 

 日付が変わってから更に時計の針が1周ほどしたところで、リーダーらしき男から本日の業務終了が告げられた。汗と埃に塗れた手で薄汚れた封筒を受け取り、飯屋に誘う鬱陶しい中年オヤジを無視して帰路に就く。

 

 家に着いても出迎えはない。当然だ、この家の住人共はとっくに寝ているか、そもそも帰ってすら来ないのである。むしろ起きているようならさっさと寝ろとゲンコツを喰らわせるところだが、幸いにもそういったことが今まで1度もないところを見るに、あいつらもそれを分かっているのだろう。シャワーを浴び、物音を立てないように着替えを済ます。

 ふとテーブルの上を見ると、丁寧にラップで包まれた晩飯が用意されていた。その上には、やけに達筆な文字で書かれたメモが1枚。

 

『お仕事お疲れさま。

 おみそ汁もあるから、温めて食べてね。

 明日の朝はちゃんと起こすから、寝坊しないように!』

 

 皿を手に取ると、まだ少し温かかった。

「あの馬鹿……。一体何時まで待ってやがったんだよ?」

 悪態を吐きながらも、ラップを剥がして手早く腹の中に収めていく。眠気に襲われながら身体に染みついた作業のように済ませた食事だったが、それでもなお「おいしい」と感じさせるものが、そこにはあった。

 

 ようやく布団に入った頃には、すでに午前3時を回っていた。あと2時間もすれば、東の空は白んでくることだろう。まだ昇ってもいないのに、これから睡眠を妨げるであろう朝日に苛立ちを覚えながら、目を閉じる。

 あれほど睡魔に襲われていたはずなのに、何故かなかなか眠ることができない。代わりに思い出したくもない今日の出来事が、頭の中に浮かんでは消えていった。

 周りから向けられる負の感情。恐怖、憐憫、戸惑い、怒り。とは言っても、それは別に今日に限った話ではない。周囲から浮きまくっている俺の存在は、他人から見れば異常そのものだから。

 

 人の輪に入れない。

 規律を守らない。

 素行不良で愛想も悪い。

 

 凡そ人から嫌われる要素をほとんど網羅しているのではないかと思うと、最早笑いさえ込み上げてくる。

 こんな俺に好意的な目を向ける奴がいるとすれば、それは詐欺師か頭のネジが外れたイカレ野郎だけだ。

 好きでこうなったわけではないのだが、直すのも億劫。それに、既に青春時代の大半を棒に振ってきた俺が、今更他人に好かれてなんになるってんだ。

 ……いや、そういえば青春ってのは年齢の話じゃないんだったか。

 

「希望持ってりゃ80でも青春……か」

 

 またあの言葉が蘇る。

 流石にそれは言い過ぎだろ。次の瞬間には寿命でぽっくり逝くかもしれないのに、夢も希望もあるもんか。

 

 でも、もし。

 仮に。

 仮に青春をやり直せるとしたら、俺は……。

 

 

 

 かつて憧れたような、誰かと笑い合えるような日々を。

 送ることができるのだろうか。

 

 

 

 そんなあり得ない想像をしているうちに、意識は薄れ、俺は深い眠りの中に落ちていった。

 誰かの温もりを、近くで感じた気がした。

 

 

 

 

 

 

 目を覚ますと、時刻は既に10時を回ろうかというところ。もっと前に起こされたような気もするが、今こうしているということは、たぶん俺は2度寝を決め込んだんだろう。

 今更急いでも仕方ないので、ゆっくりと布団から這い出て、眠い目を擦りながらリビングに移動する。

 するとテーブルの上には、昨夜と同じ位置に飯が用意されていた。食パンと目玉焼きとベーコン。お手本のような朝食だ。

「そういや昨日は片付けもせずに寝ちまったんだっけか」

 食器棚をみると、昨夜使った茶碗やら皿やらが綺麗に並べられているのが見えた。

「律儀な奴だなほんと」

 俺には到底真似できないことだ。きっと1人暮らしなんか始めたら、あっという間にそこはゴミ屋敷と化すだろう。今真っ当に人間らしい暮らしが出来ているのは、もしかしなくてもあいつのおかげなのかもしれない。

 そんなことを考えながらも食事を終え、一応使った皿は流しに置いておいた。

 軽く顔を洗い、制服に着替えて玄関を出る。既に俺以外誰もいないので、見送りの言葉はない。代わりに聞こえてきたのは、最近更に建付けの悪くなった扉の軋む音だった。

 ……いや、見送りならいた。以前からうちの床下に住み着いている猫。最近子供が何匹か産まれたらしく、そのうちの1匹、金色の毛並みをした子猫がこちらをじっと見つめていた。

 確か名前は……なんだっけ? なんか海賊っぽい感じだったような……。

 まぁいいや。猫に挨拶するほど人生に疲れてもいないので、一瞥をくれ歩き出す。

 

 今にも泣きだしそうな曇り空を見上げて、ふと思い出した。

「そういや雨漏りしてたっけか……。後で直しとかなきゃな」

 やや広いだけが取り柄のオンボロ木造建築2階建て。

 

 ――孤児院「たいようのいえ」。

 

 名前にそぐわない薄汚れたこの建物が、俺の暮らす場所で、俺の世界そのものだった。

 

 

 

 

 

 

 誰もいない廊下を歩く。何百人と生徒がいるはずのこの学校がこんなにも静かなのは、単純に授業中だからだ。

 自分のクラスに辿り着き、特に配慮もなく教室の扉を開けると、視線が一斉に集まってくる。好意的とは対照的な、不愉快な視線が。

 ……まぁ遅刻してきたのは俺なので、特に文句もない。

「崇宮か……。さっさと座りなさい」

 教壇に立つ男は面倒くさそうに一言吐き捨てるように言うと、再び黒板に向かい始めた。それに合わせて、他の生徒の視線も散っていく。

 俺はというと、特段遅刻に対する謝罪を述べるでもなく、窓際後方にある自分の席へ腰を下ろし、教科書すら出さずに突っ伏して睡眠へ移行した。

 仕方ないだろ? 眠いんだよ。

 俺の意識はすぐに沈んで、次に目が覚めたのは昼休憩に入ってからだった。

 

「ふあぁあぁあ〜」

「やぁ、ようやくお目覚めだね崇宮君」

「んぁ? ……なんだ五河か」

 寝起きの俺に馴れ馴れしく話しかけてきたのは、クラスメイトの五河竜雄だ。校内でも指折りの不良である(そういうことになっているらしい)俺に話しかけてくる、数少ない人物の内の1人。

 進級して同じクラスになり約1ヶ月。短い付き合いでしかないが、こいつの人当たりの良さはちょっと常軌を逸していることを、俺は感じ取っていた。ラノベの主人公か何かだろうか。いやラノベってなんだよ。

「あはは、なんだとは酷いなぁ。それより、今日も盛大に遅刻だったね。また嫁さんに怒られるんじゃないかい?」

「ほっとけ。あと誰が嫁さんだ誰が」

 驚くべきことに、五河は俺に対して一切の悪感情を抱いていないようなのである。こうして睨みつければほとんどの奴は顔を引き攣らせて離れていくのに、こいつはニコニコと人の良さそうな笑顔を浮かべ、俺の前の席に座ってきた。

 俺に好意的な人間は2種類いると言ったが、これは詐欺師ってタイプでもないので、たぶん頭がおかしいのだろう。

「用がないならどっか行ってくれ。俺はまだ眠いんだ」

「えぇ、まだ寝るのかい? 相当お疲れのようだね。工事現場のバイトってやっぱりキツいの?」

「……誰に聞いた、そんなこと」

 先ほどとは違うドスの効いた声で問うと、流石に地雷を踏んだと気付いたのだろう。慌てた様子で弁明を始めた。

「あぁいや、別に誰からってことでもないんだけど。だた、ちょっとした噂になってたからさ」

「あ? 噂だと?」

「うん。君のバイトの件っていうよりかは、彼女の武勇伝の一部って感じでさ」

「彼女……。澪のことか。今度は一体何をやらかしやがった?」

 なんだか嫌な予感がしつつも、俺は先を促す。すると五河はなんとも言い辛そうにしながら、少しだけ目を逸らした。

「どうせそのうち耳に入るだろうから言うけど、今朝方職員室から言い争う声が響いてきてさ。よくよく聞いたら、なんと澪さんが先生たちを相手に怒鳴り散らしてたんだよ」

「へぇ……。あのクソ真面目優等生がか、珍しいこともあるもんだ。一体どうして」

「うん、それが……その」

「さっさと言えっての!」

 五河が再び言い淀むので、いい加減イライラしてきた。思わず机を叩いた俺を見て、観念したように口を開く。

「先生たちが君のことを悪く言っていたのを、偶然耳にしたかららしいんだ。生活態度が悪すぎるとか、あまりにも遅刻が多いとか、夜な夜な出歩いては碌でもないことをしてる、とか。あとはまぁ、これ以上問題起こす前にさっさと退学にするべきだ、とかね」

「は? そんなことで? 全部本当のことだし至極真っ当な意見じゃねえか」

「それを聞いたらあの子はまた怒るだろうね……」

 澪が声を荒げるところなんて俺は見たことがなかったが、どうやら教師たちはあいつの数少ない逆鱗に触れてしまったらしい。

「よく分かんねぇけど、その流れで俺がバイトしてるって話になったわけだ」

「そうだね。『みんなの生活のために頑張ってるシンを馬鹿にするな!』って、それはもうすごい剣幕だったよ」

「やけに詳しいじゃねぇか。お前さては野次馬に混じってやがったな」

 俺が半目で睨むと、五河は観念したように苦笑いを浮かべた。余計なことに首を突っ込みたがるのは、お人好しの性みたいなもんなんだろう。

「彼女も君もうちの学校では相当な有名人だからね。もし僕がその場に居なくたってすぐに噂は耳に届いただろうさ」

「一緒にすんな。あいつは良い意味で有名だけど俺のは悪評ばっかだろ」

「そんなことないよ。君の良い話も僕は結構知ってるさ」

 ニヤリと気持ちの悪い笑みを浮かべる五河に若干引きつつも、内容は純粋に気になった。興味がなさそうな雰囲気を醸し出しつつもそれとなく探りを入れてみるか。

 いやこいつにどう思われようとも俺の知ったことじゃないのに、何を遠慮してるんだ俺は。

「嘘つくんじゃねぇよ。本当にあるなら言ってみろ」

「ここって結構な進学校だろ? そういうところの女子って、意外とアウトローに興味があるみたいでね」

 聞いてがっかりした。1番興味のないタイプの話だこれは。

「……んだよ、そういう話か。くだらねぇ。女絡み以外のネタ持って来いよ」

「じゃあ無いね」

「無ぇの!?」

「ごめん、ちょっと僕のデータには……。他はヤクザの女に手を出して命を狙われてるとか、商店街を幼女を連れて歩いてたとか、校内で着々とハーレムを築きつつあるとか、そんなことばっかりだし」

「良い噂はどこいったんだよ! クソみてぇな話ばっかじゃねぇか!!」

 思わず大きな声を上げると、クラスの連中が何事かと目を向けてきた。うざったいので睨みつけてその視線を散らしていく。

「すまない。無力な僕を許してくれ」

「テメェも何言ってやがんだ」

 

 なんとなく会話の区切りも付いたので時計を見やると、既に昼休みが15分近く浪費されているのに気付いた。これ以上眠りの邪魔はされたくないので、どこか空き教室にでも移動しようと考え席を立つ。

「おや、どこに行くんだい?」

「お前が居ないとこ」

「あはは、手厳しいね。でも僕も馬に蹴られたくないし、丁度良かったよ」

「あ? 何言って……」

 ゾワリ、と。背後から怒気を感じ取り、恐る恐る振り向く。するとそこには――。

 

 

 

「おはようシン。今朝は遅刻せずに登校できたのかな?」

 

 

 

 ニコニコと笑みを浮かべているはずなのに、何故か背後に燃え盛る炎が見える。

 神に愛されたとしか思えないほどの、整いすぎた容姿。

 しかしそれ故か、神に嫉妬され見放された存在。

 

 崇宮澪。

 

 俺と同じく「たいようのいえ」に住み、同じ学校に通う彼女が、長い髪を靡かせそこに立っていた。

 

「あ……あぁ。ばっちり間に合ったよ」

「そう。それは良かった。じゃあ授業の内容で訊きたいことがあるから、もちろんお昼、付き合ってくれるよね?」

「……はい」

 怖い。バイト先の親方でもこんな威圧感はねーぞ。

「五河君、足止めご苦労様」

「俺を裏切ったな」

「頼まれはしたけど、僕はそんなつもりはなかったよ。友人と楽しく話してただけさ」

「いつか殺す」

「五河なだけに……。フフッ」

「今殺す」

「その前に私と話そうか」

「ヒェッ」

 

 後ろ襟を掴まれた俺は、成す術もなく連行されるのだった。

 

 

 

 

 

 

 連れてこられたのは、部室棟にある物置部屋のようなところ。その一角に磨かれた机と椅子がポツリと置いてあり、2人座るには十分なスペースが用意されていた。

 この部屋は以前まで演劇部の部室として使用されていたのだが、部員の減少と共に自然消滅してしまい、以来倉庫として使われているらしい。心底どうでもいい情報だ。

 2つある椅子の片方には既に澪が座っており、所狭しと弁当を展開していた。

「……説教でもされるのかと思ってた」

「するよ?」

「するのか」

「でも食べた後にね。今日は朝から色々あってお腹空いちゃったから」

「……さいで」

 めんどくせぇな。食べたら逃げるか。

「逃がさないからね」

「人の思考を読むな」

「シンの考えてることならなんでもお見通しだよ。それよりほら、早く食べちゃわないとお昼休みが終わっちゃう」

 そう言って箸を差し出してくる澪。むりやり逃げてもいいが、それをやると後が怖すぎるので渋々受け取る。ひとつ屋根の下で暮らしていると、何かと不便なんだよ。

 目の前の弁当箱に詰められていたのは煮物にほうれん草、焼き魚に卵焼きなど。うろ覚えだが、昨夜食べたメニューに似ている気がした。

「ん……どっかで見た献立だな」

「そりゃそうだよ。晩御飯の残り物だからね」

「そうか」

 似てるんじゃなく同じのものだったようだ。

「もう少し時間があれば別のものも用意できたんだけどね。誰かさんを待ってたら遅くなっちゃったから」

「別に頼んでねぇよ。お前が勝手にやったことだろ」

「すぐそういうこと言うんだから。女の子にはもっと優しくしないとモテないんだよ?」

 またその手の話題かよ。どいつもこいつも2言目には愛だの恋だのと、発情期か?

 ジト目で睨んでくる澪を無視して、さっさと食べることにした。

「別に文句がある訳じゃない。何食っても大して変わりゃしねぇんだから」

「む。それは私の料理が全部マズイって意味かな?」

 箸を止めて頬を膨らませる澪。中々あざとい顔をしている。

 身内に対しての評価だから客観的な意見かどうかは怪しいが、こいつは相当整った顔をしていると思う。性格もいいし気配りもできる。

 おまけに恋愛うんぬん言ってるところをみるに、そっち方面への興味も人並みに持ち合わせているようだ。しかし、どういうわけかこいつも俺と同じく独り身らしい。

 本来なら性欲旺盛な男子高校生が放っておくわけがないんだが、なんでもバックにヤクザより怖い男が付いてるから手出しできないんだとか。

 誰だよそいつ、俺は見たことねぇぞ?

「膨れてねぇでさっさと食べろ。昼寝の時間が減る」

「酷い……。頑張って作ったのに……」

 無視して食べることに専念していると、今度はあからさまに落ち込み始めた。

 …………あぁもう、ほんとにめんどくせぇな!

「不味いなんてひと言もいってねぇだろ。どれ食ったって…………から」

「え?」

「……」

「……聞こえなかった」

「…………」

「うぅ……泣きそう」

「だあぁ!! 全部うめぇから一緒だって言ったんだよ! はっ倒すぞこの野郎!」

 澪と一緒にいるとペースが乱れる。ほんとになんなんだよクソッ!

 チラリと澪の様子を伺う。あ、コイツ口元押さえて笑ってやがる!!

「ふふ、ありがと。シンのそういうところ、私は大好きだよ」

「ッ!!」

 真っ直ぐに。

 余りにも真っ直ぐに俺の目を見てそんなことを言うもんだから、言いたいことなんか全部吹き飛んでしまって。

 

「……からかってんじゃねぇよ、馬鹿」

 

 目を逸らして、そう呟くので精一杯だった。

 

 たとえどんな答えだろうとも、俺には返す資格なんてない。

 

 

 

 ……あるわけがない。

 

 

 

 

 

「くあぁ〜! 終わった終わった。崇宮君もお疲れ様。じゃ、一緒に部活行こっか」

 最後の授業を終え、クラスメイトたちが談笑しながら散っていく。これから部活で切磋琢磨したり、あるいはどこかへ遊びに行ったりと、それぞれの青春を謳歌するのだろう。

 一方の俺は外を眺めながらぼ~っとしていた。特に誰かを待ってたわけじゃない。人混みを歩くのが億劫だから時間をおいて帰るってだけの話だ。

 いつもなら一目散に教室を出るんだが、午後の授業もぼんやりと外を眺めたり、居眠りしながらダラダラと過ごしていたため、終業に気付かず出遅れてしまった。

「おーい! あれ、聞こえていないのかな?」

 ……そのせいで面倒なのに絡まれてるわけだが。油断した、次から気を付けないとな。

「ん”ん”、ゴホンッ! お疲れ様崇宮君、一緒に部活行こっか」

「うるせぇな言い直さなくても聞こえてるっての。……行かねぇよ」

「え……!?」

「その意外そうな顔をやめろ。今まで1回たりともお前と部活に勤しんだことはねぇよ」

「そんな!? あの日の夕陽に誓ったじゃないか、共に全国大会を目指そうって!」

「幻覚でも見えてんのか。そもそもどこの所属なんだよお前」

「黒魔術研究会」

「大会開けるくらいの競技人口があるってことが1番の驚きだよ」

「知れば知るほど奥が深いものさ。ぜひ体験入部だけでも……」

「近寄るな。知り合いと思われたくない」

「そんなぁ」

 

 本気なんだかよく分からない五河を適当にあしらって校門を出ると、またしても後ろから追いかけてくるやつがいた。透き通る髪をはためかせて駆けてくるのはよく見知った顔、澪だ。

「はぁ、はぁ……。やっほーシン。今日はゆっくりなんだね? 一緒に帰ろ!」

「はぁ~~~……」

「む、人の顔を見るなりその大きな溜息とは。流石に失礼なんじゃないかな?」

「気にするな、油断した自分に嫌気がさしただけだ。それよりもわざわざ走ってくるなよ。危ねぇだろ」

「そういうわけにはいかないよ。シンは歩くのが速いからね、ちゃんと声をかけないと置いてかれちゃう」

 何がそんなに嬉しいのか、隣を歩く澪は息を切らしながらもニコニコと笑みを浮かべている。

「何笑ってんだよ? なんかいいことでもあったのか?」

「ふふっ、あったよ。シンが私の心配してくれた」

 予想外の台詞に面食らう。俺が澪の心配? なんの話をしてるんだこいつは。

「その様子だとやっぱり無意識だったんだね。さっき走ってきた私に向かって『危ない』って言ってくれたじゃない」

「あー……。言ったっけか」

 思い返してみると、確かに言ったような気がする。でもそれは仕方のないことだ。だって澪は初めて会った時からずっと……。

「ありがとね。でももう心配しなくて良いんだよ? あの人たちの治療を受けるようになってから、すっごく身体の調子が良いんだから」

「ッ……」

 

 

 

『このままでは彼女は助からない』

 

『我々の実験に協力してくれるなら……』

 

『予想以上の結果だよ。やはり彼女こそが神に選ばれた……』

 

 

 

「……? どうしたのシン、とっても怖い顔してる」

「…………別に。なんでもねぇよ」

 心配そうに顔を覗き込んでくる澪から目を逸らし、俺はまた歩き始めた。それを見て、澪は少し困ったような表情を浮かべながら後に続く。

「まだ疑ってるんだ、先生たちのこと。私のことこんなに元気にしてくれたのになぁ」

「疑ってるわけじゃねぇよ。腕が確かなのも認めてる。……でも胡散臭ぇ。あいつら絶対何か隠してやがる」

「あはは、出たよシンの疑心暗鬼。もしそれが本当だったとしても、ちゃんと私の治療してくれてるんだから良いじゃない」

「でも治療を受けてる間お前はずっと眠ってるんだろ? 何されてるか分かったもんじゃない」

「ははぁ~ん」

「あ? んだよその顔は」

「シンってば、もしかしなくても私が男の人たちに好き勝手されて妬いてるのかな? それとも眠ってる間にエッチなことでもされてたらどうしよ~、とか。そういう心配とかしちゃってるのかな~?」

「…………」

 その時俺はどんな顔をしていただろうか。少なくとも今までに感じたことのない不快感が滲み出ていたのは確かだ。

 その証拠に、澪が驚いたような怖がっているような表情で俺を見ている。

「っ! ご、ごめん。心配してくれてるのに流石に無神経……って、待ってよシン!」

 

 喋る気が失せたのでしばらく足速に歩いていると、それでも必死についてくる澪が口を開いた。

「怒らせちゃったのなら謝るよ。でもね、もう少しあの人たちを信用してあげてもいいと思うんだよ。現にこうやって私を普通に生活できるようにしてくれたんだから。しかも無償で」

「……だから余計胡散臭いんだよ」

 約1年前、出会った頃の澪は真っ当な日常生活を送れるような状態じゃなかった。それが半年前から治療と称した「何か」を受けるようになってからは、まるで別人にでもなったように回復し始めたのだ。

 俺みたいな世間知らずのガキでも、それが異常だってことくらい理解できる。

 

 ……それに無償なんかじゃない。

 人間は見返りもなしに誰かを助けたりしない。

 このまま行けば、何か取り返しのつかないことが起きてしまうのではないか。

 あるいはもう既に何かが起こっていて、そのことに俺が気付いていないだけなんじゃないのか。

 そんな焦燥感が、俺の中で渦を巻いて燻っていた。

 

 これ以上、あいつらと澪を会わせちゃいけない。そんな確信がある。

 でも、だからといって何かができるわけでもない。

 いつだってそうだ。

 俺は無力で、望んだものなんて1つも手に入らなくて。

 それならせめて、いつ何が起きてもいいように、少しでも金を稼いでおく。

 意味なんてないのかもしれない。

 でも、何かをしなければいけないという思いから、ある種の現実逃避のようにバイトに打ち込み続けてきた。

 こんな日々が、一体いつまで続くのだろう。

 いっそもう、全てを捨てて、楽になってしまえば……。

 

 そんな風に考えていたところで、ふと視界の端に小さな影が横切った。

 見覚えがある。

 

 あれは今朝、俺を見送った子猫で――。

 

 道路を渡ろうとしている。そこへ車が迫ってきて、そして――。

 

 無意識に俺は走り出していた。

 間に合うはずなんてないのに。

 仮に間に合ったとして、数十キロで迫る車に対して俺は何ができる?

 分からない。

 分からないけど、諦めたくない。

 

「やめろ……行くなおい! 止まれ!!」

 

 その声は、果たして届いただろうか。

 それとも届かなかったのだろうか。

 

 もうどっちでもよかった。

 だって、道路に駆け寄った俺の目の前には、もう子猫はいなかったから。

 

 ――さっきまで子猫だった「モノ」しか、落ちていなかったから。

 

「シン! はぁ……はぁ……一体どうし、っ!!」

「……………………」

 澪が追いかけてきたようだ。後ろから荒い息づかいが聞こえる。

 あぁ、またこいつ走ってきたのか。危ないからやめろってさっき言ったばかりなのに。

「……カリブ、ちゃん」

「…………カリ、ブ?」

 あぁ、思い出した。この猫の名前だったな。

 だから海賊みたいって思ったのか……。はは、小学生並みの思考かよ。

「シン、あの――」

「車は?」

「え?」

「こいつを撥ねた車はどこ行った」

「……分からないけど、もう行ったと思うよ。停まってる車なんて1台もないもん」

「…………そうか」

 ひしゃげた身体から紅い液体が止めどなく流れる様子を、俺は見つめていた。

 

 ――命名。真士、名前を付けてみてはどうかな。

 ――わたくしにも! わたくしにも撫でさせてください! はぁ、はぁ!!

 

 自分がどうしてこんな気持ちになっているのか理解できない。

 どうだっていいはずだ。

 

 ――真士、さん。エサをあげても……いいでしょうか?

 ――私は別に撫でたりなんて……ちょっと、そんなに近付けわぷっ! ……あ、ふわふわ。

 

 軒下に住み着いた、名前も覚えていないような汚い野良猫が1匹死んだ、ただそれだけ。

 

 ――ふふ、可愛いね。なんだか家族が増えたみたいで嬉しい。ね、シン?

 

 それだけの、はずなのに。

「……場所を移そう。流石にここじゃ……あんまりだ」

「うん……そうだね」

 そう言う澪の声は、どこまでも優しかった。

 

 

 

 

 

 

 血だらけの猫を抱えて歩く。

 周りの奴らの視線が刺さるが、構うもんか。

 最早数えることも億劫な俺の悪評が、今更1つ増えたところでなんになる。

 澪の案内で見晴らしの良い高台まで移動し、そっと猫を下ろしてやった。

「スコップかなんか持ってくりゃよかったな」

 夕暮れの町が見渡せる、綺麗な場所だった。周囲に人ひとり居ないのが、妙に寂しげではあったが。

「ううん、必要ないよ。だって埋めるわけじゃないから」

「え?」

 

 なら何を――。

 そう訊こうとして、でもそれは叶わなかった。

 燃えるような陽光に目を焼かれながら、俺はその光景に心奪われてしまったからだ。

 高台の端、夕陽を背負う澪の背中には、確かに――。

 

 

 

 真っ白な翼が、生えていた。

 

 

 

「シン。今からすること、誰にも言っちゃダメだからね」

「お前……それ…………」

 

 見た目だけじゃない。

 今までに感じたことのない気配に圧倒され、上手く声が出せなかった。

 澪は横たわる死体にそっと手をかざすと、そこから暖かな光が溢れ始める。

 するとどうだろう、損傷した身体は瞬く間に修復され、かすり傷ひとつない完全な子猫の姿へと、戻っていたのである。

 

 俺はその幻想的な光景から目を離せなかった。

 ありえない。

 完全に死んでたはずだ。

 腕の中で冷たくなっていくのを、俺は確かに感じていたのに。

 

 やがて目を開けたカリブはゆっくりと起き上がると、俺の方を見て礼でも告げるように「にゃあ」とひと鳴きすると、茂みの中へ消えていった。

 身体から力が抜けて、思わずその場に尻もちをついてしまう。

 目の前で起こったことが信じられず、頭が理解を拒んでいる。

 そんな俺を余所に、銀色の粒子を漂わせた澪はゆっくりと近付いてくると、動けないでいる俺に向かって優しく微笑んだ。差し伸べられた手を、俺は握ることができない。

 

「私ね、特別な力があるの」

 生物としての本能が告げている。

 

「誰にも言えない、とても大きな力」

 目の前の彼女は、人間としての枠組みを大きく超えた「何か」であると。

 

「シンにだけは、教えてあげる」

 例えるならば、そう――。

 

「私だけの、秘密を」

 

 

 

「…………天使」

 

 

 

 幼いころの記憶が、唐突に蘇る。

 

 憧れたことがあった。

 本で読むような、テレビで見るような。

 常識なんて吹き飛ばすような大きな出来事があって。

 俺はそれに巻き込まれて、口では文句を言いながらも。

 仲間たちと心の底から笑いあって、そして。

 

 ――楽しいと感じる日々を、過ごしてみたいのだと。

 

 俺の物語は、こうして動き始めた。

 それが果たして、俺の求めた「青春」というものなのかは、分からないけれど。

 もしかしたら、全く違う別のものなのかもしれないけれど。

 

 何かが始まろうとしていた。

 俺の背中を押すように、一際強い風が吹き抜けていった。

 その中に感じる熱を、俺は確かに感じたのだ。

 

 

 

 もうすぐ、夏が来る。

 今までにないほどの、暑い、夏が。




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