自分の置かれた状況を再確認した後。
精霊についてや今後の方針、つまりデートしてデレさせるという突拍子もない方法について琴里からレクチャーを受けた士道は、明日から本格的な訓練をするということで一旦解放された。琴里はこれから十香攻略に向けて色々と準備することがあるそうなので、今は士道一人である。
因みに自分が未来からやってきたという話はしなかった。今の状態で話したところで恐らくは信じてもらえないだろうし、士道もうまく説明できる自信がなかったからである。
家まで送るという申し出を断り、ぶらぶらと町を歩く。夕飯の買い出しをするという名目だったが、本当は帰る前にいくつか確認したいことがあったためだ。
1つは町の様子。見慣れた景色の中に変わったところがないか目を配りながら、足早に歩く。やがてあまり人が通らないであろう裏路地を見つけると、2つ目の目的を果たすためにそこへ身体を滑り込ませ、薄暗い物陰に向かって声をかけた。
「……聞こえるか、狂三」
1秒、2秒、3秒……。少し緊張しながら待つも、暗い影は当然のように動いたりなどせず、頭の中に声が響くこともない。知らず息を止めていたことに気づき、ふう、と吐き出した。
(やっぱり狂三とのリンクは切れてるみたいだな。あいつの力が関係してるなら、もしかしたらと思ったんだが)
5年前の世界では狂三のナビゲーションもあって、なんとか立ち回ることができた。しかしどうやら、今回はそうもいかないようである。
(まあ、【
そう納得したふりをするも、やはり同じ情報を共有できる仲間が居ないことに、少し不安を覚える士道だった。
目的がないのなら長居をするような場所でもない。踵を返し立ち去ろうとしたところで、風に乗って話し声が聞こえてきた。姿は見えないが、どうやら若い女性と複数の男がいるようだ。
(この声、まさか)
男の方は分からないが、女性の声には聞き覚えがある。声の主を確かめようと細い道を進み、建物同士の間、通りからは死角になる様な場所に目を向けると、そこに居たのは。
「あらあら、申し訳ありませんわ」
(やっぱり……!)
漆黒の衣装に身を包み、長い髪で顔の半分を覆い隠した少女。士道が探し求めていた張本人、時崎狂三その人だった。しかし、どうやら再会の喜びをゆっくり分かち合えるような状況ではないらしい。狂三はやたら屈強な男2人組に詰め寄られていた。
「待ちなお嬢ちゃん、そっちからぶつかってきておいて、それで終わりはねえだろう」
「阿賀武の兄貴、この子マジかわいいっすね! どうします、やっちゃいます? やっちゃいましょうよ!」
「俺も本当はこんなことしたくないんだけどな。世間知らずのお嬢ちゃんには大人の怖さを教えてやらないとなぁ……ククク」
「あら、あら。困ったことになりましたわね」
全然困ってない顔でそう呟く狂三。どうやら知り合いというわけではなく、ぶつかるか何かして絡まれてしまっているらしい。下卑た視線を向ける男たちは気づいていないが、彼女の目に怪しい光が灯っていることを士道は見逃さない。
2人のうち特に大柄な男、兄貴とか呼ばれていた男がニヤニヤと笑みを浮かべ、ゆっくりと狂三に手を伸ばした。
(やばい! このままじゃ死人が出る!)
思うが早いか、士道は咄嗟に狂三の前に躍り出て、男の手首を掴んだ。
「待て! それ以上は駄目だ!」
「……あら?」
「あぁ!? なんだテメェ! 俺の邪魔しようってのか!!」
「ヒュー! ガキがいっちょ前にヒーロー気取りかぁ? かっこいいね♡ ……舐めてんのか殺すぞ。死んで♡」
狂三はまさかこんなところに他の人が来るとは思っていなかったのだろう。驚いた表情で士道の顔を見ている。
一方これからというタイミングで予想外の妨害を受けた男2人は、本気で頭にきているらしく額に青筋を浮かべながら睨みつけてくる。その迫力に思わず心臓がバクバクと鳴り始めるが、ここで引くわけにはいかない。なにせ(こいつらの)命がかかっているのだ。
「1度しか言わないからよく聞けよ。早くここからいなくなったほうが身のためだ。……死ぬぞ」
士道は思ったよりも気が動転しているらしく、意図せず挑発的な言葉が口をついて出る。
(あれ、なんか言い方間違ったような)
気付いたときにはもう遅い。一瞬で怒りのメーターを振り切った男は、丸太程の太さがある腕を大きく振りかぶった。見た目からしてかなりの腕力がありそうだ。相当なダメージを受けることを覚悟した士道が目をつぶった、その瞬間。
『しゃがみなさい!』
「……ッ!?」
突如聞こえた声に従い姿勢を落とすと、先ほどまで頭があった位置にブォン!と音を立てて腕が通り過ぎていくのが見えた。
『そのまま右手を真上に突き出して!』
どうやらこの声は頭の中に直接響いているようだ。しかし狂三のものではない。よく分からないままに言われた通り右腕を突き出すと、うぐ、というくぐもった悲鳴とともに重い手応えが伝わってきた。なんとパンチを空振りして無防備になった男の顎に、士道の掌底がクリーンヒットしたらしい。脳を揺らす一撃は男の意識を刈り取るまではいかずとも、相当のダメージを与えたようである。そもまま崩れるように倒れこみ、苦しそうにうめき声をあげている。
「あ、兄貴ぃ! てめぇふざけやがって! もう許さねぇからなぁ?」
「す、すみません。俺にも何がなんだか。今のは事故みたいなもので」
「黙りやがれぇぇぇ!」
絶叫し、今度は子分(仮)が胸倉を掴み上げてくる。兄貴の方には劣るものの、こちらもかなり鍛え上げられている。普段から凶暴な野生動物とでも戦っているのだろうか。純粋な腕力では振りほどけそうにない。しかし迷う暇もなく、頭の中に声が響く。
『逃がさないように左手で手首を掴んで。右手で相手の親指第一関節を思いっきり押し曲げてやりなさい』
今度はやたらと具体的な指示だ。他にできることもないので、士道は言われた通りにしてみる。
「えっと、左手で、手首を……。右手で、親指を……こう」
「あ? 何してんだてめぇあああ痛たたたたたた! 何これ! すごい痛い!」
突如走った激痛に耐えかねて、男は悶えながら大きく距離を取った。
(さっきからなんだってんだよこの声は。色々なことがありすぎてついに頭がおかしくなったのか?)
辺りをキョロキョロと見回してみるも、声の主らしき人物は見つからない。
『安心なさいな、あんたは正常よ』
(会話できるのかよ! 一体誰なんだお前!)
『説明は後。ほら来るわよ! 右に跳んで!』
「くっ……!」
謎の声に促されるままノールックで回避行動をとると、空気を切り裂く音ともにナイフが横切った。どうやら男は武器を隠し持っていたらしい。一瞬反応が遅れたため左腕に掠ってしまい、触れた部分からじわりと血が滲む。
(これは……ちょっとやばいんじゃないか?)
『もっとやばいのと今まで散々戦ってきたくせに、今更こんな奴に何弱気になってんのよ。私が合図したらまた跳ぶのよ。しっかり合わせなさい。いいわね? 3、2、1――』
「くそっ! やるしかないか!」
0、という言葉に合わせようと足に力を込めた、その直後。
パァン!という乾いた音が士道の後ろから鳴り響き、今まさに襲い掛かろうとしていた男の足元に弾痕が刻み込まれる。
「貴方……ちょっとおいたが過ぎますわよ」
たった一言。狂三が言葉を発した、ただそれだけで周囲の温度が下がった。そう錯覚させるほどの殺意が込められた言葉だった。つい先刻、士道が男たちに向けられたそれとは比較にもならない。
いつの間にか赤と黒のドレスのような霊装を纏った狂三の手には、細緻な装飾が施された短銃が握られており、先端からは僅かに白煙が上がっている。
「ああ、ああ。でも許してさしあげますわ。ほんの少し小腹を満たそうとしただけですのに、こぉんな素敵な出会いをプレゼントしてくださったんですもの。本当に、感謝いたしますわ。ですから――」
露になった時計の左目を金色に光らせながら、その顔にニィっと捕食者のような壮絶な笑みが浮かぶ。
「せめて苦しまないように、殺してさしあげますわ」
「ぅ……ぁ……」
銃口を向けられ、驚きと恐怖のあまりその場にへたり込んでしまった男は、満足に声を出すことすらできずガタガタと震えている。まるで生物的本能が目の前に迫るものの強さを感じ取ってしまったようだ。このまま放っておいても勝手に息の根が止まりそうな勢いである。
『士道!』
「分かってる!」
謎の声に指示されるまでもなく、士道は今度は狂三の前に立ちふさがった。
「あらあら、一体どういうおつもりですの。貴方はわたくしを助けに来てくれたナイト様だったのではなくって?」
「生憎ナイトの免許はまだ持ってなくてな。明日から研修の予定なんだ」
「その割には随分と勇敢な様ですけど。わたくしのこの姿を見ても立ち向かっていらっしゃるなんて、貴方一体何者ですの?」
「ッ! ……そうか、俺のことが分からないか」
会話の内容から、この狂三はどうやら士道のことを知らないということが分かる。そしてそれは同時に、今がかなりの危機的状況であることを示していた。
単にこの世界についての情報交換ができないというだけではない。初めて会った時の狂三、最悪の精霊〈ナイトメア〉は、士道の力が欲しいという理由で来禅高校の生徒全員を人質にとり、挙句琴里と大立ち回りを演じた危険な存在だった。それから長い時間をかけ、目的の一致もあって何度か共闘し、危険な存在というスタンスは崩さないまでも、やっとのことである程度打ち解けることができたのである。
だが今の狂三は違う。純度100%の悪意で構成された存在であり、士道が大量の霊力を保有しているということが分かればすぐにでも狙ってくる可能性がある。
『名前を呼んだのはさっさと逃げろっていう意味だったんだけど。言っておくけどこの子はあんたのこと知らないわよ』
(できればもっと早くに教えてほしかったぜ……)
どうやら声の主様は結構なお茶目さんらしい。
『勝手に人のせいにしないでほしいわね。どうせ駄目って言っても止まらないくせに』
(そんなこと……あるかも)
『よく分かってるじゃない。それと、私の声はあんたにしか聞こえてないからね。狂三に変なこと聞いてこれ以上話をややこしくしないでちょうだいよ』
(ご忠告どうも。なんとなくそんな気はしてたよ)
「早く答えてくださいまし」
脳内会話に花を割かせていると、狂三がしびれを切らしたように催促してくる。こちらを警戒しているのか、銃口はこちらを向いたままだ。その間に、倒れていた男たちはいくらか回復したのか、短い悲鳴を上げながら走って逃げていった。横目で見送り、士道は狂三に向き直る。
「お、俺は……」
(どうする。未来から来たってことを素直に話すか?)
そう考えたがすぐに断念する。5年前の狂三と初めて会ったときに、それであまり良い方向へ転ばなかったことを思い出したのだ。あの時は頭の中の狂三が話をつないでくれたからなんとかなったが、今は状況が違う。
(……なぁあんた、狂三と交渉してくれたりは……?)
『できるわけないでしょうが。目の前の不審者を警戒してる相手に新しい不審者紹介してどうすんのよ』
(だよなぁ)
『さっきみたいに親指押さえてどうにかなる相手でもないし、自分で何とかしてみなさいな。……幸い、実はあんたが思ってるほど狂三も警戒してないみたいだしね』
(え?)
言われて、狂三の目を見てみる。先ほどまでは気が動転していて気付かなかったが、成程チンピラ2人に向けていた視線とは確かに違うようだ。とりあえず抵抗の意思はないことを両手を挙げてアピールしつつ、自己紹介をしてみる。
「俺の名前は五河士道だ。人気のない道から女の子の声が聞こえたんでな。気になって来てみたんだ」
「そうでしたの。それは素晴らしい心がけですわね。丸腰であんなに体格の違う相手に立ち向かえるなんて、そうそうできることではありませんわよ」
名前を聞いた瞬間、狂三がすっと目を細めたように、士道には見えた。
「かわいい女の子が困ってたんだ。当然のことさ」
「なら今度はそこをどいてくれませんこと? 悪い子にはお仕置きをしなければいけませんの」
「女の子が簡単に手を汚すもんじゃないぜ。せっかくの綺麗な手が台無しになる」
「あらあら、喧嘩の強さに加えて、口までお上手だなんて。今までさぞ多くの女性を泣かせてきたんでしょうね」
「ソ、ソンナコトハナイデスヨ……?」
『目が泳いでるわよ』
「目が泳いでますわよ」
しどろもどろになりつつ答える士道を見て、狂三はクスクスと笑みを漏らし、握っていた短銃は闇に溶けるように消えていった。どうやら無害なことを証明できたらしい。ひとしきり笑った後、改めて向き直る。
「ふふ、敵意がないのは分かりましたわ。
「え?」
「わたくしの名前は時崎狂三。見ての通り、少し普通の人間とは違いますの」
「そ、そうか」
「まぁ、貴方もただの一般人というわけではないようですけれど」
「ッ!」
吸い込まれるような美しい瞳がいきなり視界いっぱいに広がり、思わず息をのむ。
『むっ』
「最初からあのお2人を助けるつもりでいらしたんでしょう? わたくしの洩らした僅かな殺気に気付けたのがその証拠。……わたくしのこと、一体どこまでご存じですの」
唇と唇が触れ合いそうな距離で更に狂三が囁いてくる。
「安心してくださいまし。もう攻撃したりしませんわ。だから教えてほしいんですの。貴方が何者なのか、すごく興味がありますわ」
ふわりと香る甘い匂い。温かい吐息が肌をくすぐり、思考が溶かされていく。
『むむむっ』
「あ、あぁ。俺、実は――」
まるで言霊に操られるように、未来から来た、そう言いかけた瞬間、遠くからパトカーらしきサイレンの音が聞こえてきた。段々とこちらに近付いてくるように思える。逃げた男たちが助けを求めたのか、或いは先ほどの銃声を聞きつけた近隣住民が通報したのか。どうやら狂三も事態を把握したらしい。すっと身を引き、名残惜しそうな表情を浮かべた。
「あらあら、どうやらタイムアップのようですわね。本当はもっとお話ししたかったのですけれど」
「……そうみたいだな」
「このお話の続きは、いずれ。またお会いしましょう、素敵なナイト見習い様?」
「はは……楽しみにしておくよ」
そう言って、狂三はスカートの裾を持ち上げて恭しくお辞儀をした後、暗闇の中へ消えていった。
「…………」
『なに呆けた面してぼーっと突っ立ってんのよ! 警察が来ちゃうわよ! さっさと動く!』
「お、おう!」
やたらと苛立ちを滲ませた声に叱咤され、慌てて士道もその場を離れた。
風に吹かれてじくりと痛む左腕の傷が塞がっていないことに、気付く余裕もなかった。
◆
「ぜぇ……はぁ……つ、疲れた……」
士道は自室に戻るなり上着を床に放り投げ、ワイシャツが皺になる事も気にせずベッドに身を投げた。額から落ちる汗で髪の毛が張り付いて気持ち悪いが、今はそれを拭う気力もない。それほどまでに疲労していた。
なにせあの後警察に捕まらないよう、身を隠しながら町中を駆けずり回ったのだ。思いのほかパトカーの数が多く、家までの道を大きく迂回する必要があった。おかげで町が自分の知る天宮市と変わりないことが確認できたが、家に着く頃には日はとっぷりと暮れ、闇が辺りを包み込んでいた。
(そういえば、フラクシナスに運び込まれる前も走り回ってたんだっけ。……琴里を探して)
はるか昔のことのように感じるが、肉体的には今日1日で相当走り回ったことになる。やたらと重く感じる身体に確かな疲労を認めながら、士道は思わず苦笑した。
いつの間にか自分よりも強く、聡明になっていた妹。泣きながら兄のことを待つ姿を勝手に想像し、事情も知らないまま一心不乱に脚を動かし続けた自分。
思い返してみるとあまりにも滑稽で、なんだか泣けてくる。
「と、思い出に浸るのは後だな。……そろそろ話をしようぜ、声だけの誰かさん」
『あら、もう少し休まなくて大丈夫なの? 心臓病で倒れた孫〇空みたいな顔してるけど』
「それは休んでも治らねえよ!」
どうやら声の主の少女(声色から推測)は、士道に味方してくれるようだった。暴漢を撃退したときもそうだったし、帰宅中に度々あった危ない場面も、彼女のサポートのおかげでなんとか切り抜けることができた。まるで憂さ晴らしとばかりにやたらと走らされたことも記憶に新しいが。
「まずは色々とありがとな。おかげで助かったよ」
『ふふん、どういたしまして。私のことは太陽のように熱く崇め讃えるといいわ』
「別に俺は太陽信仰なんかしてないんだが……。それで? 助けてくれたのはありがたいけど。お前は一体どこの誰なんだよ」
『恩人に対してお前とは失礼ね。そういえばまだ言ってなかったっけ? 私には万由里っていうちゃんとした名前があるんだから』
姿が見えないので勝手に「えへん!」と胸を張る姿をなんとなく想像した。
「はぁ……。それで、その万由里さんは一体どこから話しかけてきてるので?」
『そんなの、あんたの頭の中からに決まってるじゃない』
なにやら聞き捨てならないことを言われた気がして、士道は恐る恐る聞き返した。
「え、ちょっと待ってくれ。それってもしかして」
『そ。そのままの意味よ。 私は今あんたの頭の中にいるの。 五河士道にしか認識出来ない存在で、五河士道にしか聞こえない声で話しかける。 実体のない霊力の塊、それが私』
「そりゃ確かに頭の中から声がするとは思ってたけど……まじか」
今まで話していた相手がまさかのイマジナリーフレンドだということがわかり、士道は愕然とした。鏡に映る口を開けた自分の間抜け面を見ても、笑う気さえ起きない。
『誰が妄想の産物よ。私には実体は無いけど実在はしてるんだからね。むしろこのスーパーウルトラ美少女であるところの万由里様にこんなにも構ってもらえるんだから、光栄に思いなさいな』
「勝手に人の頭を間借りしてるやつの台詞とは思えないな! というか、美少女って言われても、声しか聞こえないからどうにも」
『何よ、私の言うことが信じられないってわけ? 仕方ないわね。ちょっと待ってなさい』
そう言うと、士道の目の前にいきなりノイズが走った。それは段々と大きくなり、やがてテレビの砂嵐のように視界を完全に覆い尽くす。
(おい、なんか俺の頭にやばいことしてないか!? 重度の立ち眩みみたいになってるんですけど!)
その問いに答えは返ってこず、代わりに頭の奥の方から『うんしょ、うんしょ』と可愛らしい声がする。たまに聞こえてくるブチっと何かが切れるような音や、『あ、やば……』とかいう声は気のせいだ。気のせいに違いなかった。
そうこうしている間に段々と視界が晴れ、目の前には何故か腰をくねらせてセクシーポーズを決める、長い金色の髪をサイドテールに括った少女がいた。
『はぁい』
成程、自分のことを美少女と言うのも納得の可愛さである。士道はしばし時間を忘れて、目を奪われていた。
『……え、えっと……。 そんなに見つめられると照れるんだけど……』
「あ、あぁ、悪い。……本当にかわいいんだな。疑って悪かったよ」
『かっ、かわっ! ……ふ、ふん! 今更気付いたって遅いんだからね!』
「すまん……」
思わず妙なことを口走ってしまったことに気づいた士道。2人で顔を真っ赤にして目を逸らし合い、そこには初心な恋人のような雰囲気が漂っていた。
気まずさを断ち切るように一旦咳払いをし、士道は口を開く。
「ゴホンッ、それで万由里はどうして俺の頭の中なんかに?」
『正確には、私の本体は鍵の方に封印してあるんだけどね。あんたのポケットに入ってるでしょ? 花飾りのついた鍵』
ズボンのポケットを漁ると、確かに言われた通りの鍵が入っていた。初めて見るはずなのに、これが自分のものだという確信がある。持っていると不思議と心が温かくなる鍵だった。
『この世界に来るときに私の持ってる霊力全部使っちゃってね、そのままだと私の存在自体が消えかねなかったし、
「丁度いいってなぁ……。いやそれよりこの世界にって。そういえば、狂三の事情にも詳しかったな。何か知ってるのか? この世界について ……ッ!?」
士道は思わず万由里の腕に触れようとして、その手は身体をすり抜けて空を切った。驚く士道に万由里はいたずらっぽく話しかける。
『残念でした。私には触れられないわよ。言ったでしょ? 私には実体がない。こうして今あんたの目に写っているのは、私があんたの目に細工を施したからなのよ』
「まじで大丈夫なんだろうな俺の身体は!?」
不安に汗を垂らす士道に構わず、万由里は続ける。
『あんたの思っている通り、この世界に跳んできたのは私の仕業。初めてで自信なかったけど、いや~うまくいって良かったわ。なにせ次元跳躍なんて初めてだったし』
「次元跳躍!?」
『その様子だと憶えていないみたいだから、順を追って説明するわね』
そして万由里は語り始めた。
2人がここに至るまでの経緯を。
◆
〈
え? 身に覚えがない? ふーーーん。ま、今はそういうことにしといてあげるわ。
あのときは本当に驚いたわよ。自分の出番が来るのを待ってたら、いきなりあんたの方から私のところに来ちゃうんだから。ん? ああ、なんでもないわ、こっちの話よ。
それでまぁ、どうしようかと悩んでたら、あいつがやってきたのよ。そう、ファントム。後を追うように現れたからあんたを連れてきた犯人だって分かったのよね。
先に言っとくけど、あいつの事について私に訊いても無駄よ。私もほとんど知らないからね。ま、なんとなく気にくわない奴だってことは分かるんだけど。
話を戻すわね。ファントムにあんたをどうするつもりなのか訊いたらなんて言ったと思う? 『このままでいい』、ですって。
霊力ってのは本来人間にとって毒なのよ。使うたびにダメージを受けてたあんたなら嫌ってほど知ってるでしょ? 隣界はそんなヤバい力で溢れかえる世界であり、人ならざる者たちの巣窟なの。時間や空間さえも歪んで、常識なんか通用しない。
そんなところにあんたを放置したんじゃ一体どうなるか分かったもんじゃないわ。廃人になるくらいならまだ良い方。最悪今のあんたとは全然違う存在に変わってしまうことだってあり得た。ファントムがそれを許容するとは思えないから、何かしらの手を打つつもりではあったと思うけどね。
どうしてそこまで入れ込むのかって? 知らないわよそんなこと。でも私はそれを待つ気にはなれなかった。だって絶対碌なことにならないじゃない? それに、あんたのあんな顔見ちゃったら放っておけるわけ……。な、なんでもないわよ!
とにかく、ファントムの言うことに従うのが嫌だった私は、あんたに訊いたのよ。どうしたいか、ってね。そしたらみんなに逢いたいって言うから、あんたの持ってた霊力と、私の持ってた霊力を全部使って無理矢理隣界から抜け出してきたってわけ。やり方が強引すぎたせいで時間軸が大きくずれちゃったみたいだけどね。
せめて場所だけは離ればなれにならないように事前に
そんな訳で、霊力が戻るまでは頭の中に居候させてもらうから。まさか嫌とは言わないわよね? うん、よろしい。
以上、説明終わり!
◆
説明を終え、万由里はもう言うことはないとばかりに満足げな表情でベッドに横になった。正確には実体がないわけだから、そう見えるように上手いこと位置を調節しているだけなのだろうが。まったく器用なことである。
「成程な。狂三の力で過去に来たわけじゃないから、狂三が俺のことを知らなかったのも当然、てことか」
『そういうこと。時間の流れに干渉する能力があるからって、その事象の全てをあの子が把握できるという訳ではないわ』
「ところで、万由里は俺のことよく知ってるみたいだけど、それはどうしてなんだ? 今までに会ったことない……よな?」
『……そうね。私たちは初対面よ』
何故だか少し寂しそうな顔をして、万由里は目を逸らした。
『……あのね、士道。私たちって実は結構深く繋がってるのよ。それこそ、あんたが声を出さなくても心の中で会話できるくらいには』
「そういえばそうだな。姿が見えるから普通に会話してたけど、別にその必要もないのか。
…………え、ちょっと待ってくれ。それってつまり」
『うん。あんたが考えてることはほとんど丸わかりだし、あんたの過去の記憶とかも勝手に入ってきちゃうのよね。強く残ってる記憶なら、そのとき何を思ってたかーとかまで……。あはは』
「あはは、じゃねぇよ! 俺のプライバシーはどこ行っちまったんだよ!」
『しょうがないじゃない! 咄嗟に入り込んじゃったから調節してる暇なんてなかったのよ! もう少し遅かったら私消えちゃってたかもしれないんだからね!?』
「それにしても限度ってもんがあるだろ! 今からでもいいからオンオフ機能つけろ!」
『人を電化製品みたいに言わないで! あー怒った怒りましたよ万由里さんは! あんた命の恩人に対して感謝の気持ちとかないわけ!?』
「それとこれとは話が別だろ! 怒りたいのはこっちの方だよこの野郎!」
『なによ! 私だってやりたくてやったわけじゃないのに! ちょっと間違っちゃっただけなのに! 流石にひどいわよ謝って! 早く私に謝ってよ!』
「いいや謝らないね! これに関しては俺は何を言われようと絶対に引かないからな! 何か弁明があるなら言ってみろ!」
『腐食した世界に捧ぐエチュード。作詞、五河士道』
「ごめええええええええん!!」
完全に上下関係が決まった瞬間だった。
絶望に打ちひしがれ床に崩れ落ちる士道に、少し冷静になった万由里が心配げに声をかけてくる。
『ご、ごめん。まさかそんなにダメージ受けるとは思わなかったのよ……。その、完全にシャットアウトするのは無理だけど、あんまり踏み込みすぎないように気を付けるから……』
「……いや、いいよ。これからしばらく一緒にいるんだろ? 変に気を使って疲れるのは嫌だからな。……俺の背負ってる業が他人より深い、ただそれだけの話だ」
ふっ、と自嘲気味に嗤う。
『今の台詞、一晩寝て起きたら新しい黒歴史になってそうね』
「うわああああああああああ」
もうなってた。
『どうして自分から傷口に塩を塗っていくの!?』
「業を持たぬ者には……分かるまい……!」
血反吐でも吐くように呻く士道。熱したナイフのように鋭く心を抉るそれは、しかし我が子のように愛おしい存在でもあるのだ。人はそれを黒歴史と呼ぶ。
その後なんとか落ち着いた士道は、2人の持つ情報を出し合い、そしてこれからやるべきことを決定したのだった。
「とりあえずは精霊の迅速な封印。それと、過去をなぞるだけじゃなく、少しでも良い方向に変えられるように動く」
『ええ。せっかく未来から来たんだもの。それを活かさない手はないわ。戻る方法も今のところないしね』
「ああ。もうあいつらに……そして折紙に辛い思いはさせない。絶対に」
静かに、しかし確かな決意を胸に秘めて拳を強く握った。そこへ、スラリと伸びた手が重ねられる。
『それでこそ士道ね。安心なさい、絶対大丈夫よ。なんたってこの私がついてるんだからね!』
赤みがかった目が真っ直ぐ士道を見つめている。迷いのない瞳を見ていると、不安な心が消えていくような気がした。
「ああ、頼りにしてるぜ。それと、改めて本当にありがとう。万由里は巻き込まれただけなのに、ここまでしてくれるなんて」
『何言ってんのよ。私たちはもう一蓮托生なんだから、そんなこと気にしなくていいのよ。ただし、私が協力するからには、中途半端は許さないんだからね。 目指すのは完全無欠のハッピーエンド! それ以外はありえないわ』
「ああ、最初からそのつもりだ!」
2人はしばし見つめあい、心からの笑みを浮かべた。
これから2人を待ち受けるのは、数多の困難。
しかし、この先何があろうとも。
彼らがその歩みを止めることはない。
世界を変える、その時までは。
「『さあ、俺(私)たちの
万由里のキャラが某駄女神みたいになってますが、声が同じなので許してください。