「おはよう、お兄ちゃん! 今日もいい天気だね!」
『なんなのこのあざといキャラ。 私の方が100倍魅力的ね』
(結局こうなるのか……)
画面の中の小柄な妹キャラと頭の中の声を聴きながら、士道は面倒臭そうに溜息を吐いた。
そう、士道は今まさにギャルゲープレイの真っ最中なのである。
――リアル妹と大の大人、それに脳内彼女に見守られながら。
話は昨晩まで遡る。
◆
あの後すぐに琴里が帰宅してきたため、万由里との話し合いは打ち切られた。そこでまだ夕飯の準備をしていないことを思い出し、取り掛かろうとしたのだが。琴里は士道の姿を見るや否や、慌てて駆け寄ってきた。そこでやっと士道は自分の身なりの異質さに気付いたのだった。
走り回ったせいで髪は乱れ、ズボンにはあちこちに泥撥ねの跡。胸倉を掴まれた際にワイシャツの首元が伸びてボタンがはじけ飛んでいたらしく、おまけに二の腕は血で真っ赤に染まっていた。
「おにーちゃん! 一体どうしたのよそれ!」
琴里は黒いリボンを付けているにもかかわらず、かなり取り乱しているようで口調が崩れていた。
「あ、そういえば怪我してたっけ。いろいろあって忘れてたよ」
「いや忘れてたって! めっちゃ血が出てるじゃないの! 大丈夫なの!?」
「平気だよ。見た目ほど傷は深くないし、もう止まってるから」
それを聞いて、琴里の勢いが少しだけ落ちる。
「そう、それならいい……訳ないでしょ! 夕飯の買い出しに行くだけでどうしてこんなことになるのよ!?」
狂三のことを話すわけにもいかず、士道は困ったように頬をぽりぽりと掻く。少し考えた後、仕方ないので掻い摘んで話すことにした。
「うーん、簡単に言うとだな。裏路地で女の子を助けたと思ったらボディビルダーみたいな奴らと喧嘩になって」
「!?」
「兄貴は倒したんだけど子分に腕切られちゃって」
「!?!?」
「女の子が子分を捕食しようとしたところで警察が来て町内追いかけっこが始まったんだ」
「????????」
「…………」
「…………」
「? 終わりだけど」
「嘘でしょ!? 全然分からなかったんだけど!?」
「まあまあ。五体満足ならそれでいいじゃないか。それよりほら、ご飯作るから早く手洗ってこい」
「あ、ちょっと! 話はまだ……」
琴里が声を上げるが、事実である以上は他に説明のしようもない。それに、士道には早く切り上げたい理由があった。話はこれで終わりとばかりにひらひらと手を振り、着替えを取りに2階の自室へ向かう。
琴里は何か言いたげな顔をしていたが、とりあえず諦めたのかそれ以上追及はしてこなかった。
『危なかったわね。あれ以上話してたら多分ボロが出てたわよ』
(あぁ、気を付けないとな)
血染めのシャツを脱ぎ、洗濯するかどうか一瞬迷ってそのままゴミ箱に入れる。傷口を指でなぞると、まだ完全に塞がっていないのか、ズキリと刺すような痛みが走った。
『次元跳躍の後遺症……ってとこかしらね。 ま、存在が消えかけるほどの霊力を使ったんだから、当然といえば当然なんだけど』
「…………」
そう、琴里が帰ってくる前に話し合っていた、重要な事案。士道が本当のことを話せない理由。
『まさかここまでスッカラカンになるとはねぇ』
今の士道は、霊力を持っていない。時系列的には既に封印しているはずの、琴里の力すらも。
――つまり。
(死ぬほどの怪我を負ったら……そこで終わる)
かつて、跡形も無く消し飛んで、何事も無かったかのように修繕されたはずの脇腹が、ズキリと痛んだ気がした。
◆
『あんたの再生能力が失われていることを知ったら、琴里ちゃんは間違いなく作戦を中止するでしょうね』
(あぁ。 それだけは絶対に阻止しなきゃいけない)
十香と初めて出会ったのは4月10日。反転した折紙と戦ったのは11月7日だから、約7か月。それほど長い時間ではない。しかし、その時間以上にに濃密な日々を、十香と、そして精霊のみんなと一緒に過ごしてきたのだ。笑って、泣いて、毎日が輝いて。こんな日々がずっと続けばいいと、本気で願っていた。
しかし、それでも。初めて十香と出会ったときの、世界に絶望したような彼女の顔は、色褪せることなく士道の脳に焼き付いていた。
この世界の十香は、きっとまだあんな顔をしているのだろう。ならば、一刻も早く救わなければいけない。例え今の士道が、なんの能力も持たないちっぽけな存在に成り下がったのだとしても。
(待ってろ十香……すぐに助けてやるからな!)
「うん! お兄ちゃん大好き!」
「……っと。 やっとエンディングか」
気付けば、画面の中ではスタッフロールが流れていた。琴里の言う特訓とは勿論、フラクシナスで開発したギャルゲー『恋してマイ・リトル・シドー』をプレイさせること。ゲーム開始から約2時間、士道は以前の記憶を頼りに、ほとんど間違った選択肢を選ぶことなく1人目の攻略を終えたのだった。
『意気込んだ割に、やってることは唯のギャルゲーっていうね』
(う……仕方ないだろ。 下手に拒否して怪しまれる訳にはいかないんだし)
しかし、端から見ても中々手際の良い攻略だったとひとりごちる。これならば琴里も褒めてくれるだろうと思い、彼女の様子を伺うと。
「…………ちっ」
何故かめちゃくちゃ不満そうにしていた。
「な、なぁ琴里? 1人目終わったんだけど……今日はまだ続けるのか?」
若干ビビりながら声をかけると、琴里は今考え事をしてるから黙ってろ、と言わんばかりの視線を投げかけてくる。
『なにビビってるのよ、妹相手に情けない。「俺の手にかかれば女の1人や2人楽勝だぜグヘヘヘェ〜」くらい言ってみなさいよ』
(お前の中の俺はどんなキャラなんだよ! ったく……仕方ないだろ。 あいつは今、人質をとってるんだ。 迂闊なことは出来ない……!)
そう、士道の記憶が確かならば、琴里は士道の黒歴史を持った工作員を何人も校内に配置し、隙あらばそれをばら撒こうと画策しているはずなのである。士道としては、精霊を絶望させることの次くらいに阻止しなければいけない案件だった。だって自分が絶望するから。
『大袈裟ね。 ちょっと恥ずかしいポエムとかオリジナルキャラが世に広まるだけじゃない』
(他人事だと思いやがって。 あんなもんばら撒かれてみろ……五河士道反転体の完成だ)
『成程それは恐ろしいわ。 ……奥義、しゅ、瞬閃轟爆破で……ぶふっ。 て、敵を、な、なぎ倒していきそうだもんねぶははっ』
「はっ倒すぞこの野郎!!」
「あ?」
「いえ、なんでもないです琴里様」
万由里に対する文句が思わず口をついて出るが、琴里に睨まれて一瞬で縮こまる。
(あいつめ、これを狙って琴里の横に立ってやがったな……!)
怨みがましく万由里に目をやると、彼女はいまだに床に蹲って腹を抱えて笑っていた。
士道のこめかみに青筋が浮かぶが、暴れだしそうになる衝動をぐっと堪える。その隣でやっと琴里が口を開いた。
「随分と手際が良かったじゃない士道。 ……まるで女の扱いに慣れてるようだったわ」
しまった、と今更ながらに気付く。初めてやるゲームにしては、手際が良すぎたのだ。選択肢を間違えたときの罰ゲームに気を取られすぎて、そこまで頭が回っていなかった。
「そ、そんな訳ないだろ! ギャルゲーなんて殿町とたまにシェアするくらいで……」
「そういう意味じゃないわよ……。てかあんた普段そんなことしてんの? キモ」
「人にギャルゲーをやらせてる奴の台詞じゃねぇ!」
「ま、いいわ。 今日はもう終わり。 さっさと帰って休みなさい」
最初に何か言った気がしたが、琴里はそれ以上追求してこなかった。ホッとする間もなく、しっしっと手を振る琴里に促され士道は部屋を出る。
扉を閉め、頭上に取り付けられたプレートを見る。そこには「物理準備室」と書いたプレートが掲げられていた。
改めて考えると、学校でギャルゲーとは結構ハードルの高いことをしたものである。まぁ、知り合いに1人余裕でそういうことをしている奴はいるが。もしかして自分は殿町と同類なのか、と恐ろしい考えが頭をよぎり、士道は首を振って思考を切り替えた。
「さて、夕飯の材料でも買って帰るか。昨日は結局余りもので済ませたしな」
『私ハンバーグがいい!』
いつの間にか隣に立っていた万由里が元気よく話しかけてくる。
「いや、お前食べられないだろ……」
『士道とのシンクロ率を上げれば味覚の共有くらいチョロいもんよ』
「またなんかヤバい細工をするんじゃないだろうな? 俺の身体で遊ぶんじゃねえ」
そんな他愛もない会話をしながら歩いていると。
「五河士道」
抑揚の少ない声で、後ろから声を掛けてくる者がいた。
◆
士道が去った後の物理準備室では、琴里と令音がゲームのプレイデータの見直しをしていた。
「選択肢の正答率9割以上……初見でここまでの数値って出せるものかしらね」
「……ほぼ不可能だろうね。 普通の選択式のものならば話は別だが、このゲームは時間経過によってもルート分岐が発生する特殊なタイプだ。 それをほとんど説明もなしにクリアしたとなると……」
「…………」
「……ゲームの内容を既に知っていたか」
「ありえないわね。対精霊用の極秘プロジェクトで作られたゲームなのよ?」
「それならば、或いは」
「或いは?」
「……天性のプレイボーイか、だ」
僅かな沈黙が辺りを包み、やがて琴里は重々しく口を開いた。
「……そういえば昨日、帰り道で女の子を助けたとか言ってたわね」
「へぇ、そんなことが。やるじゃないかシン。しかしそれがどうかしたのかな?」
「ほら、士道ってちょーかっこいいじゃない?」
「うん」
「たぶんピンチに颯爽と駆けつけられたら、一発でその女は惚れちゃうと思うのよ」
「うん」
「しかもあの阿保兄はきっとその優しさをいろんなところで振り撒いてるわ」
「うん」
「今まで気付かなかっただけで、私の知らない女が何人も近くにいるのかも……」
「それは……由々しき事態だね」
「しかもそいつに女の扱いを手取り足取り仕込まれて……!」
「吐きそう」
「令音!」
「あぁ」
「すぐに士道の周囲にカメラを飛ばして。これからは24時間監視するわよ」
「既に手配済みさ」
「流石ね。私のおにーちゃんに手を出した女……。必ず見つけ出してやるんだから」
未来の知識を活かしても、状況が悪くなることがこの世には――ある。
◆
「どうしたんだよ折紙、こんな時間に」
士道に声をかけてきたのは折紙だった。重要な話があるとのことだったので、2人はとりあえず屋上近くの階段の踊り場まで場所を移す。
「昨日のことについて話がある」
『昨日ってことは、十香ちゃんとの戦闘に巻き込まれたときのことね。折紙に顔を見られたんだっけか』
「そうか。 ところで、下校時刻から結構経ってるけど、もしかして俺を待ってたのか?」
「そう。 それが何か?」
「いや、悪いな。 ちょっと用事があってさ。 もうすぐ暗くなるし、帰りは送っていくよ」
「……そう。 …………ありがとう」
表情をほとんど変えずに、折紙はそう呟いた。
『この子は最重要警戒対象よ。今のうちに好感度は稼げるだけ稼いでおいた方がいいわ。……伸びしろあんのかこれ? カンストしてんじゃないの?』
(フラクシナスのAIを使えば分かるんだけどなぁ)
そんなことを考えている間に、彼女は語り出す。精霊のこと、ASTのこと、そして自分の両親のこと。
淡々と紡ぐ言葉の中にどれだけの憎悪が込められているのか、今の士道にはよくわかる。
(そして、その先に待つのがどれだけ悲しい未来なのかも、俺は知っている)
だから。それ以上黙って話を聞いていることができなかった。
「……折紙」
「なに」
話を途中で遮られた折紙は、士道の言葉に耳を傾ける。
これだけはどうしても伝えておかなければならない。
「折紙は、精霊と話をしたことはあるか?」
「ない。その必要もない。奴らは存在するだけで世界を蝕む化け物。話し合いの余地はない」
「なら、表情を見たことはあるか? 誰かと戦ってるときの、辛そうな……苦しそうな顔をする理由を、考えたことはあるか?」
「……何が言いたいの」
折紙は士道の言おうとしていることが理解できず、首を傾げた。
「あいつらはな、言葉を話せるんだ。呼びかければ答えてくれる。楽しかったら笑うし、悲しかったら泣くんだよ。人と同じように考えて、人と同じように……生きたいと願ってるんだ」
「いくら似ていようと奴らは人間ではない。悪意を持って人に害をなす。あのときもそうだった」
「それは一部の精霊だけだ! ほとんどの精霊は違うんだよ! 望まない力に振り回されて……誰かを攻撃するのも、先に攻撃をしてくる奴がいるからだ!」
「五河士道、あなたは精霊の何を知っているの……? それに、仮にそうだったとしても、あの強大な力がある限り人間がその存在を許容することはない。共存できない以上、どちらかが消えるしかない」
「違う! なら力を持った人間はどうなる! 悪意を持った人間はどうなるんだ! 精霊よりも質の悪い人間なんていっぱいいるじゃないか!」
取り付く島もない折紙に思わず声を荒げてしまうが、ここで辞める訳にはいかなかった。
「どうしてそうなっちまうんだよ! お前だって本当はこんなことしたくないはずだ! 本当は優しいお前が誰かに刃を向けることに心を痛めていない訳がないだろ!」
「何を……」
「俺が昔お前に絶望しないでくれって言ったのは、こんなことをさせるためじゃない……!」
「ッ!! やっぱり覚えて……。そう。なら分かるはず。あのとき私は貴方に全てを預けた。笑顔も、喜びも全部。お母さんとお父さんを殺したあの精霊を殺すまでは、私は止まれない」
「……ッ」
青い瞳が真っすぐに士道を射貫く。どこまでも純粋で、そして悲しいほどに強く、復讐の炎が燃えている。
『分かってはいたけど、過去の世界でのあんたの頑張りは無かったことになってるみたいね』
(あぁ。だとするとこの場で説得するのは無理、か。でも……)
「なら、仮にだ。なんの力も持たない、悪意もない。そんな精霊が現れて、人と一緒に生きることを望んだとしたら、お前はどうする? それでも倒さなきゃいけないと思うか?」
「……どんなに無害だろうと精霊は精霊。例外はない」
「折紙!」
「でも」
言葉を続けようとした士道の声を遮り、折紙は口を開く。
「そんな状況であれば、ASTが戦闘許可を出すとは思えない。軍人である私は、命令に背くことはできない」
「!! それって」
「貴方が何を考えているのかは分からない。こんなありえない仮定の話をして意味があるとも思えない。でも、どうかお願い。もう危ないことはしないで。……五河士道に何かあったら、私は本当に帰る場所を失ってしまう」
(あぁ……。やっぱり折紙は折紙だ)
心の底から士道の身を案じる折紙を見て、まだ手遅れでないことを確信した。
「分かった。今はそれでいいよ。それに俺も無理はしないさ。折紙が心の底から笑う姿を、1番の特等席で見なきゃいけないんでね」
「それはつまり結婚式で誓いのキスをする瞬間ということ」
「違ぇよ!」
「? チャペルじゃなくて式場の方が好み? 私はどちらでも構わない」
『ふふ、やっぱり折紙は折紙ね』
「場所はいくつかピックアップしているから心配しなくていい。子供は最初は女の子がいい。名前は五河千代紙。新居を建てるなら日当たりの良いところで――」
突如始まった折紙の人生プラン講話を聞き流しながらも、士道は決意を新たにした。
(もう折紙を絶望させない。未来を変えてみせる……必ず!)
『幸い時間はあるしね。折紙が精霊のみんなと笑い合えるような世界にしてやりましょう!』
ふと外を見ると、だいぶ日が傾いてきていた。あと30分もしないうちに辺りは闇に包まれるだろう。
「そろそろ行かなきゃいけない」
「あぁ。色々話してくれてありがとうな。何かあればすぐ言ってくれ。いつでも相談に乗るから」
その言葉を聞くと、折紙はもう話すことはないとばかりに階段を降りていった。と、中頃まで進んだところで、振り返り士道を見上げる。
「今日は、名前で呼んでくれて嬉しかった。また明日、学校で。――士道」
それだけ言うと、彼女は今度こそ歩いて行った。表情は相変わらず固かったが、少しだけ頬に赤みがさしているような気がした。夕日のせいなのか、或いは。
「ミスった。最初は苗字で呼んでたっけか? …… ま、いいか」
『いや良くないでしょ。 最初に送って行くって約束したじゃない。 なに突っ立ってるわけ?』
「あ」
『ほら、走って追いかける!』
「ま、待ってくれ折紙ー!」
格好をつける場面でも、いまいち締まりのない士道だった。
因みに、士道が学校一の美少女と下校しているところを監視カメラで発見し、琴里が激昂するのはまた別の話。
そして迎える、一週間後。
「お前は、何者だ」
「あぁ、俺は――」
ついに始まる。
士道の