燃えている。
人が、家が、町が。
そこで積み上げてられてきた幸福を、一片の塵さえ残さず焼き尽くすように、真っ赤な炎が世界を覆っていた。そんな炎すらも霞むほどの眩い輝きを放つ光の柱が、町の中心から天に向かって伸びている。
あそこに行かなければならない。そして救わなければならない。もう2度と、手を離してはいけない。そんな想いに突き動かされるように、少年は走り続けていた。
やがて見つける1人の少女。謝りたいことがあった。言わなければならないことがあった。一緒にやりたいことがたくさんあった。
手を伸ばす。もう少し。もう少しで届く、その刹那。
乾いた銃声が木霊した。
崩れ落ちる身体。誰かの悲鳴が聞こえる。でも、もう何も見えない。世界が遠ざかっていく。舞い落ちる雪が、少年の体温を奪っていく。
最後の力を振り絞り、光に向かって手を伸ばし、その名を呼んだ。
「…………澪」
夢を見ていた気がする。
世界の終焉。僅かな救いすらなく、絶望に染まっていくのをただ眺めることしかできなかった、消えゆく少年の夢。
あれは何だったのかと思いを巡らせたところで、士道は自分の置かれた状況に気付いた。
(何処だ、ここ……?)
目の前に広がるのは無限に続く白。自分の置かれている状況が全く理解できず、身体を動かそうにも上手く力が入らない。せめて周囲を確認したいと思い、首を捻ることに悪戦苦闘していると。
「起きてから開口一番に私以外の女の名前を呼ぶなんて、良い度胸してるじゃない士道」
「うおっ!」
いきなり目の前に、逆さまの万由里の顔が現れた。
「みおって誰なのかしら? 昔の彼女? それともガールフレンド?」
やけに威圧感のある笑顔を向けられ、焦る。
「一緒じゃねえか! というか俺そんなこと言ってたか? そういえば妙な夢を見た気はするけど……。いやそれよりも、 なんで上から万由里が……って」
口に出してようやく気付く。逆さまの顔、後頭部に感じる柔らかさと温もり。士道は現在、万由里に膝枕をされている状態だった。
「わ、悪い! すぐに退くから……って、あれ?」
慌てて立ち上がろうとするものの、身体は僅かに動くだけで力を入れることができない。というか、万由里に触れられているという妙な状況に、士道は軽く混乱した。
「ふーん。……別にいいけど。ここはあんたの精神世界。 現実じゃないから私に触れることもできるのよ。 ま、慣れてない士道にとっては動くのも一苦労でしょうけどね」
半目を作りながら、万由里は士道の頬をぷにぷにと突いてくる。なんだか恥ずかしくなってそっぽを向きたくなるが、相変わらず身体が動かないため必然的に見つめ合う形になってしまった。顔を赤くした士道を見て気を良くしたのか、万由里は耳元に唇を近づけると、優しく囁いた。
「どうしたの? 顔赤くなってるけど。もしかして私の顔を見て照れちゃったのかなー? ふふっ、かーわいー」
耳元にふわりと息がかかり、ぞわぞわと身体が震える。が、今はそれよりも、万由里が膝枕の状態で身体を折り曲げるので、視界いっぱいに胸元が広がってどうにかなりそうだった。花のような甘い香りを吸い込みながら、動揺を面に出さないように言葉を返す。
「からかうなよ。 ところで、俺はどうしてこんなところにいるんだ?」
それを聞き、万由里は身体を起こして答える。
「覚えてないのも無理はないわね。 あのときかなり強く頭を打ったみたいだったし」
「頭を打った? ……ッ!!」
頭を撫でられて思い出す。十香と出会い、名前を送ったこと。そして突如襲来したDEMの
「十香! 十香はどうなったんだ!?」
寝ている場合ではないと、無理矢理もがいて身体を起こす。何度も地面を転がり、かなり手間取ったもののなんとか立ち上がることができた。
「……」
「万由里、答えてくれ! 十香は……無事なのか?」
視線を落とし顔を歪める万由里を見て、答えは分かったようなものだった。しかし、士道は一縷の望みをかけてじっと言葉を待つ。やがて万由里はぽつりぽつりと語り始めた。
「落ち着いて聞いて。あんたが気を失った後、十香ちゃんはあんたを守るために必死に戦ったわ。折紙や琴里ちゃん、フラクシナスも助けに来てくれて……。でも、あいつらを倒すことはできなくて……」
「……それで、どうなったんだ?」
ゴクリと喉を鳴らし、士道は問う。
「フラクシナスはダメージを受けて現在修理中。ラタトスクの情報によると、折紙はかなりの重傷で今は近くの病院で入院してる。十香ちゃんは……」
言葉を切り、吐き出すように呟いた。
「フラクシナスが逃げる時間を稼ぐために最後まで戦って……DEMに連れて行かれた。あんたはずっと眠り続けていて……あれから3日経ったわ」
それを聞き、足元が崩れるような感覚に陥った。目を開いているはずなのに、視界がぐにゃりと歪んで見える。
「なんだよ、それ。俺が十香を助けなきゃいけなかったのに、みんなが俺を助けるために戦って、十香が連れて行かれた? そんな状況なのに、俺はのうのうと寝てたってのかよ……!」
「そんなことない! あんただって大怪我したのよ!? もう少し打ち所が悪かったら死んじゃってたかもしれない! だから、お願いだから自分を責めないでよ……」
「でも俺は結局何もできなかった! ただ吠えるだけで、お前の言葉にも耳を貸さないで……ゴミみたいに、遇らわれて。これじゃあなんのために過去に戻ってきたんだ、俺は……」
言っているうちに情けなさややるせなさが込み上げてきて、涙が溢れそうになり士道は口をつぐむ。これ以上情けないところを、たとえ万由里にでも見られたくはなかった。
そんな、力一杯握り締めてブルブルと震える士道の拳を、そっと暖かい手が包み込んだ。視線を上げるとすぐ目の前には万由里がいる。その目元には光る雫があった。
「お願いだからそんなこと言わないでよ。あんなにも荒れていた十香ちゃんが折紙と協力してあんたのために戦ったのよ? それはあんたが十香ちゃんの心を動かした証拠なんだから。それに……」
万由里は不安げに瞳を揺らす。
「あんたがここにいることを後悔したら、私はどうしたらいいか分からなくなるわ……。だから、お願いだからそんなこと言わないで」
万由里の涙を見て、士道は自分の愚かさに気付いた。
(……あぁ、俺は大馬鹿野郎だ)
そうだ。万由里が存在が消えかけるほどの決死の覚悟で起こしてくれた奇跡を、意味がないだなんて。士道は一瞬でもそう思ってしまった自分をぶん殴ってやりたい気分だった。
しかし、そんなことをしても更に万由里を悲しませるだけだ。代わりに彼女の手を優しく解き、両手で思い切り抱きしめた。
「……し、どう?」
「ごめん。 動揺して、馬鹿なこと言っちまった。 せっかく万由里が俺のために頑張ってくれたってのにな。 ……本当にごめん」
「……ううん、いいわ。 士道が大変な目にあってるのは私がよく知ってるもの」
言いながら、万由里も士道の胸に顔を埋めて抱きしめ返してくる。今にも折れてしまいそうな細い腕と僅かな温もりを感じながら、士道は決意を新たにする。
(……そうだ。今するべきなのは後悔じゃない、これからどうするか考えることだ。 十香は連れていかれただけで殺されたわけじゃない。必ず救ってみせる!)
その決意に満ちた士道の瞳を見て、万由里の顔に僅かな笑みが浮かんだ。
「助けに行くつもりなのね、十香ちゃんを」
「あぁ。決まってるだろ?」
「はぁ……馬鹿は死ななきゃ治らないって言うけど、あんたは死んでも治らなそうね。ま、それでこそ士道だけど」
「誉め言葉として受け取っておくよ」
軽口を叩きながら笑い合う。お互いやっと調子が戻ってきたようだ。万由里は満足したのか、士道の腕の中から出て改めて向き合った。
「じゃあ改めて状況を整理しましょうか」
「手短に頼む。できればすぐにでも行動を起こしたい」
「焦らなくても大丈夫よ。ここは外とは時間の流れが違うの。言うなれば精◯と時の部屋ってところね」
「どっから仕入れてくるんだよそういう知識は……。あ、俺の記憶からか。とりあえず猶予はあるってことなんだな?」
「そういうこと。話を戻すわね。まずは十香ちゃんだけど、現在は天宮市の駐屯所、ASTの本拠地に監禁されているわ。情報によると、捕まった後もかなり抵抗したらしくてね。弱るのを待って、DEMの日本支社に連れて行く手筈らしいわ。それが今日じゃないかって言われてる」
十香の置かれた状況を想像し、士道は歯噛みした。しかし、今すぐ駆け出したい気持ちをぐっと堪えて話を続ける。
「生きてるのは間違いないってことだな。あまり酷いことされてなきゃいいけど……」
「それについては祈るしかないわね……。次はフラクシナスについてだけど。機体の損傷はそこまで大きくはなかったけど、戦闘の要である〈
「フラクシナスの援護は期待できない、ってことか。それはかなり厳しいな」
「ま、クルーが全員無事だっただけでも良しとしましょう。後は折紙についてね。あの子ったら凄かったのよ。十香ちゃんが手も足も出なかった2人を相手に大健闘して。ジェシカってやつには大怪我を負わせたんだから!」
興奮気味に話す万由里に、苦笑しながら士道は返した。
「確かに凄いけど、折紙も重傷なんだろ? そっちの方が心配だよ」
「うっ……確かにそうね。相当無理したみたいだし、しばらくは入院したままでしょうね。それで、これからのことなんだけど」
「あぁ。状況を聞いた限りだと絶望的だな。敵の戦力は多少削れたものの、こっちの被害は甚大で俺は相変わらず霊力が無い状態だ。一体どうすれば……」
再び気持ちが落ちかけた士道に、万由里は意を決したように告げる。
「……方法が無いわけではないわ」
「本当か!」
「でも! うまくいく補償なんてない……。ううん、むしろ失敗する可能性の方が大きいわ。それでも――」
「それでも。俺は十香を救いたいんだ。頼む万由里、教えてくれ。俺は何をすればいい?」
即答する士道に一瞬驚くも、万由里は諦めたように苦笑して続けた。
「答えは1つよ。今ある戦力をかき集めて敵を叩く。それだけ」
「今ある戦力って、そんなの――」
「十香ちゃんの状況を教えてくれたのは、真那なのよ」
「!!」
「あんたや十香ちゃんの話を聞いて、何かしら思うところがあったんだと思うわ。フラクシナスの情報は得られなかったけど、あんたのことはすぐに調べられたみたいでね。家の近くに居るところをクルーが偶然発見したらしいわ」
「そう、だったのか。やっぱり真那は真那だったな。本当に良かった……」
「案外心配することでもなかったのかもね。きちんと話せば分かってくれる。なんたってあんたの妹なんだから」
「あぁ。自慢の妹だよ」
正直なところ、士道にとってかなり気掛かりではあったのだ。このまま対立するようであれば、フラクシナスと真那が戦うなんて事態にも発展したかもしれない。ひとまずその心配がなくなり、ほっと息を吐いた。
「彼女を仲間に引き込めれば、戦力は大きく向上するわ。……家族を利用するのは気が引けるかしら?」
「……できることなら、あいつにも危ないことはしてほしくない。でも、今は少しでも仲間がほしい」
「そうね。こうなったら腹を括るしかないわ。括るついでに、もう1人の妹にも力を借りましょう」
「もう1人って、琴里のことか? でもフラクシナスは――」
「私が言ってるのは霊力のことよ。確かに今士道は霊力を持っていない。でもそれは、あくまで士道の中にあった分が消えただけの話。琴里ちゃんを再封印してパスを繋ぎ直せば、もしかしたら」
万由里の言わんとしていることを理解し、口を開く。
「琴里に残っている霊力を受け取って、回復能力が使えるようになる、ってことか」
「えぇ。力を分けてもらうためにキスするのはちょっと不誠実な気もするけど」
「後で何されるか分かったもんじゃないな……」
恐ろしい未来を想像して、頬を汗が伝った。因みにそもそも好感度が足りなければ封印はできないのだが、2人はその可能性を一切考慮していなかった。
「最後はあんた自身よ、士道」
「え、俺?」
「人に頼ってばかりじゃ格好がつかないでしょう? いくら引けって言っても聞く耳持たないし。それにあんた願ったじゃない。みんなを守れる力がほしいって」
「それはそうだけど、でも一体どうすればいいんだよ? 今の俺は唯の人間で――ッ!?」
ヒュッと、顔の横を鋭いものが通過していった。なんの気なしに顔を傾けたから避けられたものの、そうでなければ今頃眉間に穴が開いていたかもしれない。
「何すんだよ、万由里!」
見れば、万由里の手にはいつの間にか漆黒の槍が握られていた。それは一切の光すら通さないようなあまりにも暗い黒。見ているだけで寒気が走るような天使だった。いつもの白い学校制服の様な恰好に、身の丈以上もあろうかという武器を持つその姿は、あまりにも異質に見える。
「強くなるには実戦あるのみ。今からあんたを殺す気で攻撃するから、あんたも死ぬ気で掛かってきなさい。あぁ、安心して。ここは精神世界。心臓を貫かれようが頭を潰されようが、死にはしないわ。……死ぬほど痛いけど、ねッ!!」
「うわぁ!」
横っ飛びに躱し、なんとか一撃を避ける。しかし、地面に倒れこんで顔を上げた瞬間には、既に顔前に槍の切っ先が突きつけられていた。思わず息が止まる。
「立ちなさい士道。今からあんたが飛び込もうとしている世界は、日常的に命のやり取りをしているような奴らがひしめき合うところ。そんな世界に、なんの力もない、経験もないド素人が飛び込んで、誰ひとり死なせず自分も無事に帰ってくるなんていう馬鹿みたいな夢物語を叶えなければいけないのよ。あんたにその覚悟はある?」
(……馬鹿みたいな夢物語、か)
確かにそうだ。今まで幾度となく戦場に立ってきた士道だが、それはあくまで〈
無論士道は毎回命懸けで戦っていたつもりだが、全く当てにしていなかったと言えば嘘になる。
しかし、今はそれがない。事実、先の戦いでももう少し運が悪ければ死んでいたところだった。士道は敵の気まぐれで生かされたに過ぎない。しかし。
「……当たり前だ。夢でもなんでも関係ない。十香が苦しんでるのに、迷ってる暇なんてねぇんだよ……!」
槍の先端を掴み、力任せにはね除ける。霊力が通っていたのか触った手が焼け爛れてしまったが、すぐに完治した。それに気付き、思わず手のひらを見つめる。
「気付いたようね。今あんたの身体には疑似的な霊力が流れてるわ。天使を顕現できるほどではないけどね」
「……ようやく状況がつかめてきたぜ。つまりこれは琴里を封印した後、十香を助けに行くときの俺の状態を再現してるって訳か」
「そういうこと、理解が早くて助かるわ。限られた霊力でもうまく使って立ち回ることができれば、生存率は格段に上がる。今からあんたにはその使い方を身体で覚えてもらうから」
槍を構えなおし攻撃を再開しようとする万由里を余所に、1つ疑問の疑問が浮かんだ。
「ん? 天使を使う以外に霊力の使い道ってあるのか?」
「……今まで相当ピーキーな戦い方してきたみたいね。いい機会だから教えてあげるわ。簡単に言ってしまえば霊力ってのは人智を超越した現象を起こす力。武器の具現化や身体強化、果ては空中飛行まで、使い方なんていくらでもあるのよ」
「そういえば俺も何度かやったことあるな」
何故かものすごく呆れた顔で万由里が見てくるが、気にしない。
「天使を使えばその辺りはある程度オートで処理してくれるからね。でも、その力を使っていたのはあくまで士道自身よ。『この天使の力はこうだ』っていう認識があるからこそ、あんたは精霊と同じ力を使うことができた」
「……えーっと、つまりどういうことだ?」
「要は想像力の問題よ。『強い自分になりたい』『こういう力を使いたい』、そういう願いによって霊力はいかようにも変化する。あんたは今までそれを天使という
それを聞き、やっと納得がいった。
「成程な。天使を使えない今だからこそ必要な技術ってことか」
「……別に天使を使えるときは不要って訳でもないんだけどね。身体強化を使えれば少なくとも
「ふっ、照れるぜ」
「褒めてないわよ! どうしてそんなドヤ顔なのコイツ……。とにかく、あんたにまず必要なのは身体強化、強い自分をイメージして実行すること。身体が頑丈になれば、前回みたく簡単にやられることはなくなるわ。出力さえコントロールできれば燃費も悪くないしね」
自分のやるべきことが分かり、やっと道が開けたように思えた。しかし、まだほんのきっかけを掴んだだけに過ぎない。十香を救出できるかどうかは、これからの自分の頑張り次第だと改めて心に刻み込む。
「気合い入れ直したみたいね、よろしい。それじゃお喋りは終わり! ガンガン行くから覚悟なさい。身体強化の基本は、霊力が体中を巡って覆い尽くすイメージ! 気を開放しなさい! あたかも界〇拳の様に!」
「お前ちょっとドラゴ〇ボール好きすぎじゃね!?」
「碌に見たこともないくせにGTを批判する奴は……嫌いよ!」
「なんの話だよ!!」
怒気の籠った声が発せられると同時、槍と拳が交差した。
◆
あの戦いから、既に3日が経過していた。メディカルルームのベッドに横たわる士道は、救護班の必死の治療により一命を取り留めた。しかし、
その間、琴里は議会から招集が掛かったり、真那との接触があったりと大忙しだったが、時間を見つけては何度もここへ足を運ぶのだった。
(士道……)
力なく手を握り兄を見つめるその顔には、疲労が色濃く見て取れる。碌に寝ていないのか唇はガサガサに乾燥して血が滲み、目の下には大きな隈ができていた。
少しでも元気付けようと令音が気を使い、「私とお揃いだねワハハ」なんて意味の分からない冗談を飛ばすが、最早愛想笑いを返す気力もない。
日に日に憔悴していく琴里を他のクルーたちも気にかけていたが、フラクシナス復旧のために奔走しており手が回らない状態だった。
2人きりの部屋で、静かに時間が流れていく。やがて琴里はぽつぽつと語り始めた。
「……あのね士道、私怒られちゃったの。あんな一般人を精霊との交渉役に選ぶなんて何考えてるんだー、だってさ。当然よね。なんの力もない唯の高校生を化け物の前に立たせて、『はいなんとかしろ』だなんて。あはは、こうなることなんて小学生にだって予想できた筈よね。ほんと、何考えてるんだか……」
おどけてみせても、いつものように優しい声が返ってくることはない。大きな手が頭を撫でてくれることは――ない。
カチコチと時計の針の音だけが部屋に響き、琴里の孤独感をより一層に煽った。ここへ運び込まれた後、士道の体をくまなく検査したが、彼は間違いなく普通の人間だった。5年前に封印したはずの琴里の霊力はきれいさっぱり無くなっていて、分かったことといえば他人より脳の使用領域が大きいことくらい。しかし、それがいったいどれほどの意味を持つというのか。
結果として残されたのは、保護するはずだった精霊が誘拐され、フラクシナスは損傷。五河士道という無力な一般人が、いつ目覚めるかも分からない眠りについたということだけ。
――ただ、それだけだった。
(士道は怒るでしょうね。絶対に安全だなんて言う私に騙されて。よく分からないまま大怪我を負って。もしかしたら愛想つかされちゃうのかな? もう口きいてくれないかも。それはちょっと……嫌だなぁ)
無理やり笑顔を作ろうとして、出来なかった。頭の中はネガティブな思考が波紋のように広がっていき、涙が溢れ出るのを堪えることができない。
「ごめん……。ごめんなさい士道。こんなはずじゃなかったの。私はただ、絶望の中にいる精霊を私のときみたいに救って欲しかっただけなのに。誰の期待にも応えられなくて。貴方をこんな目に合わせて……。全部、全部私のせいなの。……うっ……うあぁぁ」
小さく嗚咽を洩らしながら、琴里は泣いた。
(駄目なのに。私には泣く資格なんてない。本当に泣きたいのは士道の方なのに)
必死に涙を堪えようとしても堪えることができないその姿は、精悍な軍人でも頼れる司令官でもない、唯の年相応の少女だった。弱音を吐くことすら許されない状況で、琴里は14歳という若さで背負うには大きすぎるものを背負わされていた。そんな琴里がここまで頑張ってこられたのは、士道の存在があったからに他ならない。
何も知らずとも家に帰れば温かく出迎えてくれる。家を空けがちな両親に代わって家事をこなし、琴里が寂しくないように、少しでも一緒にいられるようにと部活にも入らずに過ごしてきた。
感謝の言葉を伝えると、頭を撫でながらなんでもないといった風に返してくれるのだ。『好きでやってるからいい』と。その優しい微笑みは、どんなアイドルやヒーローよりも格好よく見えた。
だから、士道に対して家族以上の感情が芽生えるのに、そう時間は掛からなかった。
そんな琴里にとっての帰るべき場所、生きる理由が、今目の前で失われようとしている。他ならぬ琴里自身の手によって。逃げることは許されない。目を背けることも許されない。しかし何かが出来る訳でもない。
いずれ十香は殺され、何ひとつ成果を残せなかったフラクシナスは解体されるだろう。議会に呼ばれた際に告げられたのは、そういった類の話だった。
精霊を救いたいと思うのは傲慢だったか? 私と士道にならそれができると思うのは慢心だったのか? 積み上げてきたものが全て崩れ落ちていくのを感じながら、琴里はそんなことを考えていた。もう、どうしたらいいのか分からなくなる。だから――。
「…………助けて、おにーちゃん」
それが浅ましく、自分勝手なことだと分かっていながらも、琴里はそう願わずにはいられなかった。困ったときはいつも士道が傍にいてくれた。なんとかしてくれた。琴里が泣いていて、士道が助けに来なかったことなど、唯の1度もないのだ。
だから、その願いを聞き入れたヒーローが帰ってくるのは、当然だった。
「任せとけ。……お兄ちゃんがなんとかしてやる」
そう言って琴里の手を力強く握り返し、ニヤリと笑う士道の顔を見て。琴里は今度こそ声を上げて泣いた。
琴里の笑顔を取り戻し隊