「そんでリコリス、仕事の進捗はどうよ」
「ぁむ?」
我らが眠れる羊の美少女が、夢の世界から帰還してから数分後。
ガーデンテーブルに腰掛けながら、茶請けのドーナツを頬張るリコリスにそれとなく尋ねてみたんだが。
常時眠そうな紅い目は、なんでそんなこと聞くのとばかりに、不思議そうに光っていた。
「⋯⋯渚」
「ん?」
「今日は、風が静か。太陽も丁度良い日加減で、気温もぽかぽか」
「ふむ。その心は?」
「絶好の⋯⋯お昼寝日和」
「進捗駄目みたいですねこれは」
だろうと思ったよ。
ジャージの上からでもボリュームが分かるほどの胸を張っての、堂々としたサボり発言。
主従は似るものというけども、リコリスと火鈴は見事に正反対である。
アリとキリギリス。どっちがどっちかなんて言うまでもない。
かく言う俺もキリギリス側でございますが。
「そういや、肝心の相談客はどこ行ったんだ?」
「?」
「いやそこで首傾げられても。一応、昼寝する前はちゃんと相談受けてたんだろ?」
「⋯⋯」
無言のまま、リコリスがこくりと頷く。
起きてる時も寝惚け眼子と変わらない眠たげな紅い目が、のんびりと揺れる。
五円玉にひも括り付けて揺らしたら、そのままサクッと夢の世界に逆戻りしそうだ。
二度寝する瞬間が一番幸せと豪語するヤツだし。
でも分かる。分かりみに溢れる。
「おかしい⋯⋯一緒に寝てたはず⋯⋯渚、お客さん、見てない?」
「見てたら聞かねーでしょ。つか、一緒に寝てたのか?」
「うん⋯⋯だって、お昼寝日和だから」
「それなーんの免罪符にもならんってそろそろ気付こうか」
うーんこやつめ。相談に来た客と一緒に寝るってどういう状況よ。
なんてツッコみたいが、朝にちらっと見掛けた相談客の"容姿"を思い出せば、無い、とは言い切れなかった。
そんな虫食いだらけのプチミステリーにぼけーっと悩んでいれば、答えの方からやって来てくれた。
『⋯⋯おや、リコちゃん。起きたのかい?』
「あ⋯⋯
花壇の彼岸花を踏まないように飛び越えて、姿を見せたのは一匹の三毛猫だった。
しわがれながらも柔らかい声は、甘やかし上手なおばあちゃんを連想させる。
そう、リコリスにタマさんと呼ばれ、ナチュラルに言葉を話したこのニャンコこそ⋯⋯本日の【相談客】である。
三ヶ月前の俺ならば、猫が喋った、と月並みなリアクションを取っていただろうに。
骸骨が司会やってる地獄だ。常識はポイーするが吉である。
「⋯⋯どこ行ってたの。心配した」
『ちょいと散歩にね。ふふふ、寝ぼけたお嬢ちゃんに耳を噛まれちゃってねぇ。危うく青狸になっちまう所だったよ』
「おいこらリコリスさんや」
「⋯⋯お腹空いてたから」
うーん相変わらず常識はポイさせても、ツッコみをポイーっとはさせてくんないね、この天然少女。
どうやらタマさんは四次元ポケット装着の未来を回避する為、一時的に退散してたらしい。
それでも怒らない辺り、流石は年の功か。猫だけども。
『あらそっちの子は今朝のお手伝いくんかね?』
「ども。お茶をお持ちしましたんで、どうぞ」
『悪いねぇ、わざわざ皿に移してもらって』
(そりゃ猫相手ならそーする。誰だってそーする)
猫に紅茶。しかもディッシュ・オン・ティー。
マナーのタイガーの尾を全力で踏み抜いてく絵面だが、こまけぇこたぁいいんだよの精神は今日も羽振りが良くてなにより。
『ふう、良い天気だねぇ⋯⋯こんな風にゆったりした午後は、飼われてた家の
「坊やすか。一緒に外で遊んだ時とか?」
『いんや、テレビゲームをポチポチやってたねぇ』
「ばりっばりの現代っ子かい」
『おかげでババも色々言葉を覚えちまったよ。うちの
「やっべ何言ってるか分かんねー」
おタマさんが想像以上にどっぷりだった件。
おばあちゃん口調から飛び出すゲーム用語のオンパレードに、渇いた笑いしか出ねえよ。
しかもおタマさん、そのお子さんより上手っぽいし。猫なのに。
俺の反応が予想通りだったんだろう。
老いた猫はカラカラと笑い声をあげながら、そっと目尻を和らげた。
『ははは、そうだろうさ。よく訪ねてきた近所の同族にも、そう言われたよ。そういや、ゲームで負けたら癇癪を起こす時もあってね。拗ねた時にゃ、あたしを抱いて不貞寝するのがお決まりだったのさ。近所の連中にゃ、大変なご主人様に飼われて大変だなぁ⋯⋯なんて風に言われた事も、そういえばあったねぇ』
大変だった事を、彼女は否定はしなかった。
ただ、決してそれだけではなかったんだろう。
猫は、ゆるりと自分の首元を撫でた。
まるで、生前そこにあった"何か"を探るように。
『ふふふ。けれど⋯⋯あたしにとっちゃ、良い思い出だよ。せっかくの晴れた日に、坊の膝で丸まりながら、のんびり液晶画面を眺める、ってのもねぇ』
風がサッと吹いてサッと通り過ぎる。
青空に視線ごと溶かしたのは、首輪の着いた思い出なんだろう。
聴こえるはずのない、鈴の音さえ聴こえそうだった。
「⋯⋯おタマさん」
『なんだい、リコちゃん』
「おタマさんの"上がり"は、明日。あと一日」
『そうだねぇ』
「⋯⋯次の【生き先】⋯⋯決められた?」
『⋯⋯⋯⋯そうさねぇ』
──輪廻転生、という概念を知っているだろうか。
死後、あの世に還った魂が、再びこの世に生まれ落ち、また死への旅路を歩む命のサイクル。
仏教やヒンドゥー教ではメジャーなこのシステムは、それ以外の宗教思想にも結構ありふれているから、誰しも一度は聞いたことがあるだろう。
いわゆる、生まれ変わりの概念。
創作大国の日本やアジアじゃ特に浸透している思想で、詳しい知識があるのなら、地獄との結び付きもすぐに思い当たるはずだ。
地獄ってのは、ただ苦しみを与える場所じゃない。
「死」を迎え、再び「生」を⋯⋯即ち
『生まれ落ちて歩き続けた猫の道は、順風満帆。良い家族に貰われ、良い飼い主に恵まれた。苦難とは無縁のままの大往生さ。だからもう一度⋯⋯⋯⋯と、考えていたんだけどねぇ』
けど、"誰しも"⋯⋯いや、"いずれも"が簡単に次の生き方を考えられる訳じゃあない。
三途の川を渡った後で、過去から未来へと見つめる先を変えられる命は、そう多くはないだろう。
『リコちゃんに色々とお話聞いて貰ってるうちにね。あたしを見初めたあの夫婦、そして坊の顔を思い出すうち⋯⋯次は、人の道を歩いてみるのも良さそうだ、ってねぇ』
「うん」
『だから、リコちゃん』
「⋯⋯分かった」
地獄にだって娯楽が必要であるように。
死者にだって休息は必要だ。
例えば。
気が滅入るほどに長い三途の川を渡った先で、少しでも
これからの為に、思い出に触れる為の場所があったなら。
「猫のおタマさん。貴女が希望する次の生涯は⋯⋯人間」
『えぇ』
「【三途の川先相談所】のリコリスが⋯⋯しかと、聞き届けました」
『⋯⋯ありがとう』
そんな、回る命の歯車の為の休憩地。
道に迷った魂への、ちょっとした
────それが、【三途の川先相談所】の主であり、俺を拾ったリコリスのお仕事だ。
⋯⋯ま、本業って訳じゃないらしいんだけどな。
「俺が言うのもなんですが、人間も人間で、結構大変っすよ?」
『えぇ、えぇ。分かってますとも。でもねぇ⋯⋯そうすりゃ、今度は坊と一緒に遊んであげる事だって出来るだろう? ゲームだけじゃなく、青空の下で目一杯、ね?』
「⋯⋯そうっすね」
もう外された首輪の為に次を歩く。そういう考え方も悪くない。
希望が通って、今度は人として歩けた時には、もうその思い出すら無くなってしまったとしても。
晴れた空の青を見つめる、澄んだ猫の瞳を見れば。
⋯⋯無駄になる訳じゃ、ないんだろうな、なんて。
そう思えた時期が僕にもありました。
『それにプロゲーマーになって支援金片手に一日中FPSやりながらのウハウハ生活ってのも、楽そうじゃないか』
「しんみりした空気返してくれ」
生まれ変わる前から将来設計とか、俗世に染まり過ぎだろこの猫。
完全に毒されてやがる。遅ぎ過ぎたんだ⋯⋯
長持ちしないシリアスへの黙祷代わりの紅茶は、苦味が増すほどに冷えてしまっていた。