黒板ではなくホワイトボード、チョークではなく水性ペンという幻想郷らしからぬ現代的なアイテムを駆使して授業が進んでいく。
さっきから高度な内容過ぎてちっともついていけない、それは隣の少女も同じらしく講義内容をシャーペンでノートに書き記すペースが遅くなり、遂には止まってしまっていた。
──書き写していれば完璧に理解出来るというわけじゃないのが辛いよな。スゲー分かる。
対して俺の方はといえば、まずペンもノートも支給されていない。だからただ聞いていることしか出来ない。
スキマ妖怪に頼んでみても『門外不出の情報が載ったノートが外部に流出しない保証がないじゃない』と一蹴されてしまっていた。俺が喋ってしまえば同じ事だろうに訳が分からない。
せめて聞いた内容を文字としてアウトプットさせてくれないかなあ。
と、不平を漏らすことは出来ない。
『マヨヒガ教室』、なんてそれっぽい名称を付けてはいるがこれは俺が勝手にそう呼んでいるだけのこと。
その実態は“八雲の式神”としてまだまだ半人前な橙ちゃんを、知識的に、妖術的に鍛え上げる為の訓練の一環、そのうちの一つである。
俺はそれに便乗させてもらっているだけ。
……では何故、そんな事をする様になったのか。
ちらりと自分の後方を見る。どうやら今回も“あいつ”は居ないらしい。毎回とまではいかないが、お茶しながら藍さん、橙ちゃん、ついでの俺というメンツで授業をしているのをいつも何やら嬉しそうに眺める彼女の姿がない。
大結界の維持に注力しているのか、はたまた寝ているだけなのか。
以前の八雲紫、あのスキマ妖怪は『マヨヒガに御招待するわ。そこで、貴方の目標の達成に役立つ知識を授けましょう』──そう言って、突然俺をここまでスキマを通して拉致しやがった。
その時、俺は長屋で読書をしていた。
鈴奈庵から借りたミステリーものがそろそろクライマックスという段になって、急に現れて急にそんな事を言われ急に攫われたのだから、その時の俺の混乱っぷりは凄まじいものだった。
しかも『知識を授けましょう』と偉そうに言っていたくせに、それを自分の部下(正しくは式神というらしいが)にぶん投げるという始末。
とはいえ、この授業は俺にとってとても有難い事には変わりない。
人間の里で暮らす内に、ある不安を俺は感じ始めていた。それはこのまま生活を送っていたとしても“幻想側に寄る”という目的を達成出来ないのでは? という懸念である。
幻想郷の者たちと関わり合う。これだけで万事上手く行くのであればそれで構わない。
だが、これだけでは実感と経験は積めても知識を得ることが出来ないのではないか。
そして、それはそのまま俺の常識を完璧に更新させることが出来ない事を意味している。
人里に暮らす者たちの殆どは博麗大結界や『常識と非常識の境界』の事について何も知らない。知っていたとしてもその理解の程は俺が期待していたものではなかった。
博麗霊夢を頼ろうという考えは上手くいかなかった。彼女はあくまで感覚的な理解をしているだけのようで、理論立てて説明する事が出来ない。
『幻想郷縁起』、その写しを読んだことがある。だがそれは幻想郷の未知なる妖怪の事については触れているものの、やはり大結界や境界については俺の知っている情報以上の事は記されていなかった。
幻想郷、特に大結界や境界についての知識が足りない。
それを学習出来る環境もない、もしや手詰まりか──
そんな焦りを感じ始めていたその時。スキマ妖怪は俺の前に現れてきて、知識を与えましょうと言ってきた。わざわざ自分の拠点の一つに俺を招いてまで。
まさに渡りに船だった。
彼女は、俺の願いである『外の世界への帰還』の成就にとても協力的だ。それはこちらとしても十分にありがたい事であるのだが──しかし、
しかし、である。
何故彼女はここまでしてくれるのだろう?
俺が持つあいつの胡散臭いイメージと、ある意味献身的とすら言えるまである彼女の行動。何かが決定的にズレているような気がする。
彼女はこの幻想郷を創り出した『賢者』の一人なのだと聞いた。
そんな大妖怪であるというのに、俺みたいな何の変哲もない外来人をそこまでして気にかけるのは、何処か不自然であるように感じる。
俺のこの根拠のない勘繰りは、全くの見当違いなのだろうか。
それとも、何か──あるのだろうか?
俺が外の世界に帰ることで発生する、何かしらのメリットが。或いは、俺が幻想郷に居続ける事を拒む強い理由が。
••••••
藍先生の講義が終わり、橙ちゃんの質問タイムに入っていた。
俺?
質問をするという行為は、教えられた事柄に対してある程度の理解が進んでいてやっと出来る事なのだ、と言っておこう。
ちんぷんかんぷん、という言葉がある。
今回の授業内容に関する俺の理解の程はつまりそういうことなのであった。泣ける。
活発に質問を繰り返す隣の少女を見遣る。まだまだ半人前だという話であったが、それはスキマ妖怪や藍さんの視点から見た話。自分の視点から見たら彼女も十分にすごい子なのだ。
フリフリと揺れる二つの尻尾を見る。
化け猫──それか猫又、それは長く生きた末に妖怪に変化した猫だとかなんとか。
案外、俺より年上なのかも知れないな。
その者の年齢は外見のみで判別することは不可能。
それは幻想郷に住み始めて気が付いた、特に女性に当てはまる事柄だった。
「藍さん、今回も手土産を持ってきましたよ」
「お、おおー。いやあ毎度すまないな」
「気にしないでください、授業料ってやつですよ。むしろついていけない事の方が多くて恥ずかしいくらいなので……」
質問タイムが終わった後、ノートと睨めっこし始めた橙ちゃんを傍目に持って来たお土産を手渡す。
初めは媚を売る為というか、本来一対一でやっていた所に俺が急に入り込んだ形になったので、そのお詫びの表明という形で始めた事。
今では随分と喜んでもらえているようで、現に彼女の目がそれに釘付けになっている。しかも若干瞳孔が開いていてちょっと怖い。そういうのは猫の領分だと思っていたのだが、狐もそうなるものらしい。親子、と言い表しては語弊があるがそっくりである。尻尾も心なしか揺れているように見受けられるし。
お土産の中身は油揚げ、それと乾燥したマタタビ。
マタタビの方は藍さんが指定したお店で買い付けたものである。
豆腐屋の評判の良し悪しはご近所付き合いでの会話から仕入れる事が出来た。だがマタタビを売っている場所は流石に分からなかったので、彼女からの情報提供をもとに探す所から始まった。何か訳ありそうな寂れた屋台で売ってあったものだったが、それなりに良い
ちなみに、油揚げは藍さんから、マタタビは橙ちゃんからの要望である。狐に油揚げ、猫にマタタビという組み合わせは、最早一種のテンプレとも言えるだろう。
「助かるよ。私が人里を出歩く為にはまずこの顔と尾を術で隠す事から始めないといけないから面倒でな、何かお返しが出来たら良いのだが」
「それは──大変ですね。まあ、お返しなんていいですよ。色んな知識を教えてくれる事に対するお礼のつもりですから。寧ろもっと沢山買ってきましょうか?」
「そこまでしてもらうのは此方としても申し訳ない。次は私からも何か……」
いやいや、こちらこそ。どうか遠慮なさらずに。
そんなお互いに遠慮し合って話が進まないループ状態になってしまった。
──なんだこれ。
あらあら、うふふ。
とそんな応酬を繰り広げていると、それを見兼ねての事ではないのだろうが、橙ちゃんが俺たちの間に割って入りある提案をしてきた。
••••••
あ〜、癒される。これがアニマルセラピーってやつか。
寄ってくる無数の猫たちを見ていると温かな気持ちになっていく。残念な事に、猫たちの目標は俺じゃなくてその手に持ってるマタタビなのが惜しいところ。
自分が不思議と動物に好かれる体質だったりしたら良かったのになあ。
“猫の里”、それが近くにあるとは聞いていたのだが、まさか本当にお隣だったとは。マヨヒガから外に出たことがなかったから知らなかった。
橙ちゃんからの提案は至極簡単な事、『私が化け猫たちの長になる為のお手伝いを俺にして欲しい』というものだった。
なんでも彼女は八雲の式神として一人前になる為に、“化け猫たちをかき集めて彼らのリーダーになる”という試練を己に課しているのだとか。
その手伝いをすれば、俺と彼女たちでどちらも得する事が出来るのだと言っていた。
……どうやら、俺の視線が度々彼女たちの尻尾に釘付けになっていた事がバレバレだったらしい。
仕方ないじゃない。
だって動物大好きなんだもの。
彼女たちからセクハラを訴えられる事にならなくて
──動物はいいぞ。なんせ可愛いし、自然と愛情が湧いて出てくるし、そして何より美しさや醜さなんてくだらない価値観に執着することがない。
幼い頃、美醜感覚逆転のせいで若干の人間不信になっていた俺にとっては物言わぬ動物との触れ合いはとても心温まるものであった。
その時を思い出して、ちょっと懐かしい気持ちになる。
目の前の化け猫たちに、均等になるようにマタタビを与えていく。
こうして物を施すことで、上下関係を教えるのだと橙ちゃんは意気込んでいたのだが……さて、俺が与えていてもいいのだろうか。
その理屈だと自分をリーダーと認識しちゃうんじゃないのと思い、これでほんとに良いのか聞くために彼女の姿を探す。
いつの間にか彼女は持っていたマタタビを化け猫のうちの一匹に奪われており、その子を追い回していた。それはもう必死に。
──何やってんだ。
それを見て呆れていたのだが、
「あっ」
油断したせいか、俺もマタタビを奪われてしまった。
シュタタッと離脱していく猫たち、その場に俺は一人立ち尽くすのみ。
──何やってんだ、俺。
結局、マタタビを奪われたまま取り返す事も出来ず、二人してマヨヒガの縁側に座って落ち込んでいた。
何故彼らは橙ちゃんをリーダーとして仰がないのか、ふと疑問に思った。化け猫たちの中で唯一人の姿に化ける事が出来るというのに。
質問してみると驚愕の答えが返ってきた。
「え、動物たちも美的感覚を持ってんの⁉︎」
「うん、私がブサイクだからって皆言うこと聞いてくれないの」
橙ちゃんは悲しそうに目を伏せる、が俺は咄嗟に彼女を励ます言葉を言う事が出来ない。
(俺にとって)衝撃の事実がここに発覚した。
美醜感覚に左右されない良い子たちだ、と子どもの頃心の支えにしていた動物たち。
普通にそういう価値観を持っていたのか──
少し、いやかなりショック。
ま、まて早まるな落ち着け、長年を生きた化け猫なのだから、特別そうなのだという可能性もある。ビクビクしながら聞いてみる。
「も、もしかして、他の動物たちもそんな感じだったりするのか?」
「うーん、少なくとも私が出会った子たちだと全員そうだったよ?」
……おおう、もう。
そ、そうなのかー。そうだったのかー。
不意に熱くなって来た目元を押さえて上を向く。あー、日も暮れてきたなー。夕日が目に染みるなー。
既に真っ暗な空を見上げてそう嘯く。
──夜中一人で
ああ、すごく悲しいなあ。
知識を求めてマヨヒガに来た身分だけれど、この知識だけは知りたくなかったなあ。
••••••
またお世話になります、そう彼女たちに言ってスキマに落下して、自宅の少し古臭い長屋に戻る。藍さんはあいつの式神だからかスキマを使える。それでいつも送ってもらっていた。
重ねて敷いていた座布団の上にボスンと着地する。行きの時と比べて膝が痛いのは、それだけマヨヒガのものの方が上質な座布団だからか。
──ホワイトボードとか幻想郷として色々おかしいからな、きっとスキマ妖怪が外の世界から持ち込んでいるのだろう。
八雲紫と藍さんはマヨヒガとは別の場所に居を構えているらしいが、そこは一体どんな所なのやら。
『
その後、長屋に帰って軽くストレッチをする。身体が資本なので丁寧にケアをする事を忘れてはならない。
鈴奈庵で借りた本の返却期限はいつだったかなと気になって荷物を整理していると、いつも持ち歩いている『博麗の御札』の効力が弱まってきている事に気がついた。これも立派な商売道具、補充するべきだろう。
明日は博麗神社へ行かないとな。
──それと駄目元で大結界を越えられるようになっているかどうか試してみるか。
布団を取り出して就寝態勢に入った。
外からの酔っ払いたちの声がうるさいがいつものこと。
何か気の晴れる別の事を考えよう、と思って脳裏に浮かぶのはさっきの居酒屋の看板娘の事。
あんなに可愛くて愛想の良い女の子がご近所さんの中で全く話題に挙がらないのは不自然だ。
そう感じるのは、やはり俺が美醜逆転しているせいか。
あの
動物が美的感覚を持つのかどうか
この議題はあべこべものを取り扱う作者としては少しばかり気になる所 目の前の機械で軽く調べてみても、そういう学説やら論文が多数見受けられます まあ現状では動物の感情をダイレクトに出力出来るような技術なんてありませんから(ないよね?)分かりようがないんですけど 価値観という極めて主観的な代物をデータで完全に表せるのかという疑問もありますし
あべこべものをこよなく愛読する皆様方も概要だけでも理解していれば、この作品のみならず色んな美醜逆転ものをより深く楽しめるかもしれません
まあ私は全然理解してませんがね!(INT3)