紅魔館の主、レミリア・スカーレットとの交渉が具体的にまとまって(尤もそれはフランドールの独断の上、俺は殆ど黙っているだけだったが)、メイドさんに連れられるままに、俺は紅魔館の正門前まで案内されていた。
何処からか小鳥の
やっとこさ吸血鬼の根城という超危険地帯から抜け出せたことで、張り詰めていた精神が弛緩してすっかりリラックスモードに突入してしまっていた。それと同時になんだか完徹したときのような、もったりとした気怠さが全身に襲いかかってくる。
さもありなん。
空を仰ぎ見てみれば、既に朝日が登り始めている事が確認出来るのだ。
昨日の夕刻この場所に到着したことを考えると、俺は一晩中ずっと紅魔館の中であれこれ活動していたことになる。
もうそんなに時間が経っていたのか……と、少し意外に思った。しかしよくよく思い返してみると、メイド服の妖精達相手に何時間もかくれんぼをしていたのだ。加えて、フランドールと地下室で少々話し込んだこともある。貧血でダウンしていた間もそれなりだった。
当たり前のことではあるが、意識しない間にも着々と時間は経過していたのだ。
と言うか俺、一睡もしていないな?
道理で心身共に疲れている訳だ。
肺に取り込んだ美味しい空気を吐き出して、それに欠伸も少し交える。今が明け方で本当に良かった──脳裏でひっそりと安堵する。もし仮に今が真夜中であった場合、こんな腑抜けた状態で外を出歩くのは自殺行為も同然だった。夜中は活発な野良妖怪達も、朝になれば何処ともなく鳴りを潜めてくれる。
切り札兼お守りとして持って来ていた霊夢の御札が全滅して、外で活動するにはいまいち心許ないそんな現状。偶然であるとは言え妖怪が最も大人しい時間帯に解放されたのは、俺にとってかな〜り有り難いことであった。
「では先程の取り決め通り、また後日此方までお越し下さい、藤宮様。歓迎致しますわ」
凛と響く声が聞こえて来て、慌ててメイドさんに向き直る。“
「ええ、分かりました。十六夜さんもここまで案内してくれて、本当にありがとうございます」
「謝辞は結構。私はお嬢様の
人受けが良いと密かに自負する笑顔で感謝の言葉を返してみても、相も変わらず彼女の表情と返事はお堅い。
その対応に少々の壁を感じるが……そういえば昨日初めて会ったばかりなのだから、それも当然かと思い直す。
俺のことをいたく気に入った様子のフランドールの所為で感覚が麻痺しそうになっていたが、初対面の人に対する態度の表し方っては普通こんなもんである。それが、人となりもよく知らない歳上の男性相手なら尚更だ。
“ちょっと距離感を測り損ねちゃったな”と内省しつつ、漂い始めたこの微妙な空気をそのままに無言で立ち去るのも流石にどうかと思ったので、さっきから視界に入らないようにしていた“とある事柄”について言及してみる。
俺たちの会話の音量は決して大きくはないのだが、仮にも
・・・・・・むにゃむにゃ……
赤レンガの壁に寄りかかり、立ちながら居眠りする中華風衣装の少女──“
「あの人、いつも
「美鈴は人じゃなくて妖怪だけど……まぁそうね、いくら注意してもいっつもあんな感じよ」
こめかみを軽く押さえながら、彼女はそう言った。その心底うんざりとした様子に、彼女はその事について本当に困っているのだと理解した。
そうか、それならば──
まるで天啓の如く、とあるひらめきが頭の中に降り立った。特に深い考えもなくあの門番さんについて話を振ったのであるが……ラッキーだ。
「その、少し彼女に頼みたい事があるんですけど、良いですか? 上手く行けばあの居眠り癖を矯正出来るかもしれません」
「……何をするつもり?」
「え、そんなに嫌そうな顔をしなくても……」
少々の目論見あっての提案であったばかりに、十六夜さんは
「取り敢えず、聞いてみてください。彼女にやってもらう事ってのはつまり──」
結局のところただの思いつきである、そう込み入った話でもない。そんな底の浅い提案であった為に、かえって裏のない話だと彼女は理解したのだろう。
「貴方、正気?」と言う散々なお言葉が聞こえて来た後、
『よし!』と心中でガッツポーズをする。
どうせ紅魔館には定期的に赴く事になるのだ。俺から見て、フランドールの提案した物事に全くのメリットが無かった訳ではないが、それにしたってもう少し美味しい思いをしても良い筈だ──そんな考えを元に思い付いた提案であったが、無事通ったようで良かった良かった。
ほくほく顔の俺を見て、メイドさんはやはり怪訝な顔をする。確かに普通に考えたら、妙なことを要求しているようにしか聞こえないのかもしれない。でも、今後の幻想郷での生き残り方を憂慮するのなら、いずれは必要になることなのだと思う。外の世界に帰れた後も、もしかすると役に立つ場面もあるかもしれないし。
……
片手に銀色のナイフを持ったメイド服の少女が爆睡する門番の少女の所までにじり寄っていく光景を背後にして、俺は人間の里目掛けて飛び立った。
朝靄深い霧の湖の上空を気分良くひとっ飛びしていると、後方から門番さんの悲鳴が聞こえて来た気がしたが──まあ気の所為ではないだろう。
霧の湖を抜けるまで、脳内で両手を合わせ哀れな彼女へ向けて黙祷を捧げ続けた。でも、正味自業自得なんよなぁ。
••••••
道中何かしらのトラブルに見舞われる事もなく、人間の里へと到着出来た。
そのまま危険な外と安全な中を隔てる里の出入り口の一つに降り立つと、そこで眠たそうに目を擦っていた門番のおやっさんがこちらに気づき、話しかけてきた。
「おう無事だったか、藤見屋。
気安い態度で声をかけて来たこの人は、俺が幻想入りした日に初めて出会った里の人間である。
現代の服に身を包み、右も左も分からなかったあの時の自分に、元外来人のよしみで親身になってくれたあの門番さんだ。
なんだかその存在を完全に忘れるくらいには
実際に、作物を荒らす弱小妖怪相手に里の自警団達と協力して撃退するということは何回もあった。
彼はその自警団のリーダー的存在であり──日ごろ里の外で活動する為にここをよく通る俺の
そんな彼に向かって、俺はあからさまな愛想笑いを見せてやる。昨日からずっと蓄積し続けていた疲労の所為で、活動限界がそろそろ近づいて来た為だ。さっさと長屋に戻って早く布団の中に潜りたい。
「朝帰りって……俺いま結構疲れてるんで、冗談も程々にしてくださいよ。昨日から外で色々あって寝てないんですから」
「……あんまり人のやり方に口出ししたくない性分だが、『里の外は危険だから、なるべく里の中で過ごすべきだ』と一応忠告しておくぞ? ったく、よく生きて戻ってこれたなあ」
「ええ、自分でもよく生き残れたなと思いますよ」
なんか『まるで俺が昨日紅魔館に出向いていた事を知っているかのような口ぶりだなぁ』とぼんやり思いながら、ぽろりと溢れた本音を呟く。
紅魔館の地下室でフランドールはマジに俺を破壊するつもりだったし、そのときは本当に命運尽きたと思った。その前だと、霧の湖で何の脈絡も無く頭突きして来た氷の妖精と、共に仲良く墜落死するところであった。……そう考えると、昨日俺は二回も死に目に遭ったと言える訳で。
──いやぁ、本当によく生還出来たな。
やはり幻想郷というものは恐ろしい。もしあの時、地面に激突する前に飛行体勢が整わなかったとしたら──もしあの時、彼女が俺の殺害に“程度の能力”ではなくもっと直接的な手段を取っていたとしたら──そんな“もしも”を想像して、ちょっと遠い目になってしまう。
現在こうして自分が生きていられるのは、単に運が良かっただけなのだろう。きっと俺は『生き残ること』に関してだけ言えば、相当の豪運の持ち主なのではないか──違うか。もし本当にそうであるなら、そもそもそんな危険な場面には出食わさないか。
ならば豪運と呼ぶよりは、悪運と呼ぶべきなのかも。
俺は、自分が生きて帰れたのは“偶々運が良かっただけ”なのだと解釈した。しかし、門番のおやっさんはそうは思わなかったらしい。興味深そうな声音をして、会話を続ける。
「いやはや大したもんだ。……やっぱり、『ありがた〜い博麗の御札』ってヤツのお陰なのかねえ。確か前に、自警団の皆で一緒に飲みに行った時言ってたろ? 『博麗神社には度々世話になってる』って」
以前、依頼達成の報酬代わりの打ち上げに参加した際に言ったことを、この人は覚えていたらしい。
「あー、そういえばそんな事も言いましたね。あの御札けっこう妖怪とか幽霊とかに対して良く効くんですよ。実際、里の外で活動していて何度助けられたことか……」
まあ、今回はフランドールの手によって呆気なく破壊されてしまったから、特に出番はなかったけどね……
なんて事を口に出さず呟いていると、門番のおやっさんはふと声を落としてこんな事を言ってきた。
「ちょっといいか? その御札についてなんだが──」
「はい……そうですけど……え、そうなんですか!? なんともそれは……はい。だったら霊──博麗の巫女には、責任を持って俺から話を通しておきますよ」
「ああ、よろしく頼む──ま、これはあくまで可能だったらの話だからな。もし博麗の巫女が断ったとしても現状維持ってだけだ。“向こう”もそれで納得してくれるだろうから、そこまで気負わなくてもいい。」
「わ、分かりました」
そんな会話を最後に、俺は門番のおやっさんと別れて人里の内部へと進んで行く。
あ〜疲れた、はよ寝たい──と本日何度目かの欠伸をして、自宅であるオンボロ長屋を目指して歩く。その少々の霞が掛かった頭の中では、彼が最後に言っていた事を思い浮かべていた。
「『そのお気楽そうな様子だと、里の中に戻ったらもしかすると驚くことになるかもな』、か。……どういうことだ?」
予言チックなその言葉を何度反芻してみても、意味がよく分からない。分からないので、俺はその事についてあれこれ考えるのをやめた。ただただ眠い──その事実の前には、些細な疑問も存在しないも同義だ。
ふらふらと足取りを怪しくしながらも、自室を目指して歩き続ける。
違和感に気付いたのは、いよいよ俺の住むボロ長屋に辿り着くかというその時になってのことであった。
自室の前には、依頼人の目に止まり易いようにと慧音さんに協力してもらって作成した『藤見屋』の看板を立て掛けていて、昨日紅魔館に向かう前、確かに俺はそれに『外出中』の掛け札を付け、藤見屋の一時的な営業休止を周囲に示していた。
それを見て、依頼人は日を改めるか、書面上で依頼内容を俺に伝えるかのどちらかになるのだ。その為、朝っぱらという現在時刻も合わさって、今の俺の部屋の前は人通りも少なく閑散としている、その筈だったのだが──
あの人達、あんなところで何をしてるんだ…?
長屋の前には頭数にして十数の顔見知り達が集まっており、何やら真剣な様子をして話し込んでいるようであった。
遠目からではあるが、それはご近所に住む奥さん方であったり、かつて仕事で関わった事のある居酒屋の店員さんであったり、非番であるらしき自警団の青年達であったり……人影に隠れて初見ではよく分からなかったが、慧音さんの姿も確認出来た。あの特徴的な髪色と赤いリボンが付いた角ばったデカ帽子、見間違いようがない。
一見すると、いまいちこれといった共通点が見出せない顔ぶれである。一体何の寄り合いなのだろうか? ピリッとした緊張感が彼らからは漂っており、なんだか非常に近寄り難い雰囲気である。
──世間話をするにしてもちょっと場所を考えて欲しいなぁ、あれでは話し声がウチの中にも響いてしまう。早く寝たいのにそれだととても困るんだが……
そこまで考えて、ハッとして気づく。
俺の部屋の前で寄り集まっているという事は、つまり彼らは藤見屋を頼って依頼をしに来たという事。
日が昇ったばかりのこの時間帯に、あれほどの人数で押し寄せて来たという事は、つまりそれほどの急を要する依頼であるという事。
例えば人命が関わるような。だとしたら、やれ疲れただの眠いだのと不平を愚痴っている場合ではない。居ても立っても居られず、その集団のもとまで近づいて行く。
「・・・というのはどうだろう」
「〜〜〜? しかし……だが……」
しかし近づいてみても彼らは会話に夢中になっているようで、俺の存在に気づかない。仕方なく、その人の輪の外周で耳を澄まし何を依頼しに来たのかを探る。
「──は本当に里の中に居ないのか?」
「ええと、最後に彼の姿を見たのは里の門を出るところだった、というのは確かなのよね?」
「すいません! 俺があの時引き止めておけば…!」
「そう自分を責めるな、そもそも昨日の昼頃にはその予兆があったという話も──」
ふむ、なるほど。どうやら昨日から姿を
“彼”と言う呼ばれ方からして男性らしきソイツは、人里から出て行くところを目撃されており、もしかすると最悪のケースも想定される、と。
ならば必然その人物の捜索には、里の外での活動を主にする藤見屋に白羽の矢が立つ訳だ。
……望むところである。人の命が懸かっていると考えると気が重くなるが、皆の期待を裏切るという選択は無い。
その依頼、やってやろうじゃあないか。
パンパンと、大きく手を叩いて皆の注目を集める。そうする内心では『しかし危険な妖怪ばかりの里の外に出掛けるとか、ソイツはよっぽど非常識なやつなんだなあ』と素朴な所感を抱いていたのは内緒である。
こちらを視認しても何故か固まったまま動かない彼らに対し、少しの違和感を覚えながら、気を取り直し安心させるようしっかりとした声で話しかける。
「話は聞かせて貰いました。──安心してください。その捜索依頼、この藤見屋が無事達成させてみせますよ」
暫くの間、沈黙が辺りを支配した。
あれ? なんでみんな黙ったままなの? もしかしてカッコつけ過ぎた? それとも聞き耳されて嫌な思いをしたとか?
あまりの反応の悪さに一瞬『みんなに無視されてんのかな?』と傷付き始めたその時、自警団の若衆が反応を示した。自分と年の近い青年達は互いに目を合わせ立ち位置を調整する事で、ジリジリととあるフォーメーションを形作っていく。
あ、俺それ知ってる。物盗り相手にやる捕縛体勢だよね、見た事あるわーそれ。
おお、正面に立つと中々の迫力があるんだなあ。
……しかし何故それを俺に?
「「「いたぞぉ! 捕らえろぉぉ!!」」」
「は? えちょ、うおおおぉぉぉぉぉぉ!?」
急に突撃して来た自警団メンバー達に俺は碌な抵抗も出来ず、呆気なくその場に拘束される。
「『話は聞かせて貰いました』じゃねーえよ! カッコつけやがって!」
「まっ待て、なんでこんな事するんだ!? 落ち着けお前ら!」
「てめえの所為で折角の休みがおじゃんになっちまったんだよ! 落ち着いてられるか!」
何言ってんだこいつら!?
訳の分からないこの事態に困惑し助けを求めようと視線を彷徨わせると、他の皆は『残念だけど仕方ないね』と主張するように肩を竦めるばかり。
頼みの綱である慧音さんも、俺とガッツリ目が合ったのにこれを取りなしてくれず、ただただ苦笑いを見せるのみに留まった。
……なんでぇ?
「自警団の彼らは一晩中、君の行方を探して聞き込みをしていたからな。疲労困憊になった所にああして張本人から呑気な啖呵を切られたら、誰だってそうするさ。──彼らが動いていなかったら、私が出るところだったんだぞ?」
「……あいつらのお陰で慧音さんの頭突きを食らわずに済んだと思うと、さっきのあの強引な取り押さえも中々悪くなかったかもですね」
憮然とした俺の返しにクスリと微笑みながら、上白沢慧音は来客用の湯呑みを傾けてお茶を飲む。場所を移してここは我が家、うらびれた長屋の一室である。この場に居るのは俺と慧音さんの二人のみ。
彼女以外の俺の無事を案じていた彼らは、『迷惑かけた詫びに今度飯奢れよ』とか『次の依頼は報酬半額でいいかしらね』とか大変に心温まる数多くの言葉をかけてくれやがった後、方々へと解散していった。
……うち一人からは『上手くやれよー』と俺と慧音さんを交互に見ながら、謎の野次を飛ばしてきたのは解せないが。
いやあ。しかしまさか、昨日から行方を眩ませた男性──それが自分のことを指していたとはなあ。灯台下暗しというかなんというか。
てか人里の住民達の大半は外の危険性について充分理解しているのだから、普通に考えると確かに俺くらいしか該当する人物はいないのである。
それに気づかなかったのは──多分、今なお襲い来る疲労と眠気の所為であろう、決して『俺がアホだから』という理由ではないと信じたい。
思い返せば、門番のおやっさんも人が悪い。自警団の若いもん達が動いていたということは、それに指示する立場にあるあの人も当然“俺が失踪した”って話は耳に入れていた筈で……
先程開口一番『おう無事だったか』と言っていた事に実は僅かに違和を感じていたが、そういう事なら納得である。そして、里に戻ったら云々という予言も事実その通りになった。
次に自警団名義の依頼が来たら報酬を倍にしろとふっかけてやろうか……とおやっさんに対し恨み節を全開にしていると、慧音さんがそういえば、と話しかけてくる。
「紅魔館に居たんだろう? 人里に与する立場なのもあって、正直私はあまりあそこは好きになれないが……よく生きて帰ってこられたな」
「さっき同じようなこと言われましたよ──て、なんで俺が紅魔館に行ってたって知っているんです? 少なくとも人里で、自分の行き先を誰かに告げた覚えはないんですが……」
「うん? ああ、それはだな──」
ふと疑問に思った事柄について、彼女はウキウキとしながら非常に懇切丁寧な説明をしてくれる。教師故なのだろうが、相変わらず話が長い。
……長かったのでざっと話をまとめて結論から言えば、それは昨日の昼頃に十六夜さんが行っていた聞き込み活動が起因であった。あの目立つ銀髪にメイド服、紅魔館にそんな姿をした人間が住んでいる事は結構有名な話であるらしい。
そんな少女が突然目の前に現れて、こう聞いてくるのである──『“フジミヤ”という名に心当たりはないかしら?』と。
まるでタチの悪い都市伝説のような話であるが、逆にそれが琴線に触れたらしく、ミーハーな気質持ちの多い人里の皆様の間で瞬く間に広がった。
実際には厄介ごとの気配を感じ取って、自衛の為に話すら聞かずに立ち去った者が殆どだったらしいのだが──しかし、それに対して目撃者の数は多かった為に、数刻も経たずして大いに盛り上がっていたのだとか。
そうしてその噂を聞いたフジミヤの名に心当たりがある者達は、いつの間にか俺が消えている事に気付き、それはもうてんやわんやだったらしい。なんか本当に申し訳ない。要求通り、ホントに飯奢ってやろうかな……
兎も角、それが『藤宮は紅魔館に行っていたのでは?』と慧音さんが推理した理由である。更に言えば、彼女は俺がメイドさんの手によって強引に拉致されたのかも、とも予想立てていた。
ハハッ、流石に年下の女の子には負けんよ──と簡単に一笑に付せられないのは、この幻想郷の本当に怖いところだった。
「ああ、それと恐らく、噂の流布に伴いフジミヤの名も広く知れ渡る事になるだろうな。あの盛り上がりようを考えると」
「それは──喜ぶべき事なんですかね…?」
「喜んで良いんじゃないか? 君の仕事柄、知名度が無いとうまい商談も飛んでこないだろう? 前の『薄紫の薬売り』と連続して関わってることを思うと、明日からは忙しくなるのかもな」
「……怪我の功名とでも思っています。でも、本音を言うとあんまり忙しくなって欲しくないですね」
「ん、そうなのか?」
嘘偽りのない正直な心持ちを白状すると、慧音さんは意外そうな顔をした。
確かに一軒家を購入してやろうと意気込み、休む事無く依頼を受けまくっていた時期はあった。が、それだけで判断して金の亡者と思われていたのならショックだ。今はもうそれは落ち着いているし。
忙しくなって欲しくないと言うのは、やっと引っ越しする分の軍資金が貯まり切ったからでもあるし、今後定期的に紅魔館に通う必要性ができたからでもある。
だが、彼女に伝えるのは、やっぱりこれであろう。
「──ほら、自分、妹紅の世話を焼きに行かなきゃならないので。多分気を抜いたら、あいつのことだからすぐにでも堕落し始めますよ、『やっとお小言を言う奴が居なくなったわ〜』ってな感じで」
声色を変えて、全く似ていない妹紅のモノマネを披露して見せると、慧音さんは心底面白おかしそうに笑ってくれる。
「ふふ、確かにそれは困るな。……私から頼んだ事ではあるが、こちらから言わずとも励んでくれているようで安心したよ」
「ええ、勿論ですとも。妹紅の更生、今後とも一緒に頑張りましょう」
そう言って前に拳を突き出してみると、慧音さんは少しキョトンとした後、俺が何を求めているのかを正しく理解して、同様に片手を持ち上げる。
この部屋に、自分の拳と彼女の拳が打ち合わさった音が一つ。
交わされるのは、同じ志を持つ者へと向ける敬意の念。
我等、“なにかとズボラな妹紅の生活環境を改善させよう同盟”。この同盟を締結した際期限などは定めておらず、きっとこの小気味の良い関係はいつまでも続いていくことだろう。
なお、その命名センスの無さは改善されない模様。
……いつか機を窺って、慧音さんに名付けて貰おうかなあ。藤見屋の看板の文字を担当してもらった時の如く。
『里の外で活動する際、次からは行き先を誰かに伝えておくんだぞ』という有難い忠告を言い放って、慧音さんは手を振って部屋から出て行った。
忙しい身の上であるというのに、態々貴重な時間を割いてまで俺と話をしてくれたのは、彼女の人の良さが如実に現れた結果なのだろう。
そしてその“人の良さ”というのは、何も慧音さんだけに限った話ではない。早朝の時間帯に寄り集まっていたあの場に居た全員が、いや、もしかしなくても彼ら以外の里の人達にも、その多くに当て嵌まる性質なのだ。
人間の里の住人達の温情深さと言うものに、俺は数え切れない程の恩恵を受けて来た。今回の出来事は偶々分かり易い形で現れただけであって、きっと以前からその片鱗は体験していたのである。
やはり、人里の皆の心はあったかい。
その事を痛感した一幕であった。
そして、それに気付く発端にもなった紅魔館の事についても思考を巡らせる。
全ては館の主、レミリア・スカーレットの『運命を操る程度の能力』が俺を探知した事に始まり、十六夜咲夜の用意した導線を辿り、紅美鈴の体術に魅せられ、フランドールとの奇妙な邂逅を果たした。
その後、紆余曲折を経て悪魔の館へ再度訪ねることとなったのだが──さて、そんな彼女達との関わりは、俺に何をもたらしてくれるのだろうか?
差し当たっては、まずフランドールの提案した二つの要求に応える事からがスタートである。
果たしてどうなる事やら……そんな不安が押し寄せて来るのだが、その一方で再び紅魔館を訪ねる事にワクワクしている自分も居る。
とまあ色々と予想は出来るものの、結局俺は賢くも、勘の鋭い性分でもない。少なくとも命は保証されていることであるし、出たとこ勝負と行こうではないか。
そんな事を考えながら、俺は早過ぎる就寝準備を進める。
……なんか昼夜逆転しそうで怖いな。やっぱり気合を入れて、夜になるまで起きていようかな……
••••••
紅魔館、その端に位置する大図書館にて。
パチュリー・ノーレッジは、机に山積みにした沢山の書籍を一つずつ崩しながら読み耽り、そこに記された情報を知識として脳に吸い上げていた。種族的に彼女は“魔法使い”であるからして、こうして日がな一日魔術に関する研究の参考となる知識を求め、日々研鑽するのは普段通りの光景であった。
彼女は生命維持法としての“食事”という行為は必要としておらず、髪や衣服などの身の清潔を保つ方法も魔法を頼り、睡眠も座ったままにほんの数時間で済ませてしまう。
故に少女はその場から決して動かない、動く必要がない。梃子でも動かぬその様子を見て、友人からは『いわば“動かない大図書館”ってトコね』と揶揄われたりもしていた。
その際、少女は『なに上手いこと言ってやったみたいなドヤ顔なのよ、いつにも増して酷い顔ね』とその友人を一蹴していたが──恐らくそれが、彼女達なりの気安いコミュニケーション法なのであろう。
ちなみに、そう言われた友人はその発言を受けて結構心を傷つけていた。偉い立場にある者にしては、その心は割と硝子なハートなのであった。
ペラリ、ペラリとページを捲る音がその場に流れる。
興味深そうな顔をして分厚い本を熱心に読み込むその様は、まさに学徒の鑑と言えるだろう。『本』とは即ちそれを編纂した識者の思想・知識の結晶であり、それを読み込む事で得られるものの価値は、それを真に修める者にしか正しく理解は出来ない。
読書家という存在は、それぞれの本が持つ価値を計る為だけに目を通している。そう言っても過言はないだろう。
──ところで、彼女が今現在読み込んでいる本は果たして、本当の本当に魔術に関する書籍なのだろうか?
確かに彼女は魔法の研究を第一とする生粋の魔法使いである。しかしだからと言って、今読んでいるその本が魔導書に類するものだと決めつけてはならない。
もはや彼女の根城とも呼べる“大図書館”と言う場所は、紅魔館に属していながらその実、空間的には独立した非常に開けたスペースである。常人の脳と寿命ではその内の1%も読み終える事は叶わない程そこに納められている本の数は膨大であり、という事はその本のジャンルも多岐にわたるのである。つまり魔術に関する事のみを扱った本に絞った場合、その量も半減してしまうということだ──それでも充分過ぎる冊数ではあるのだが。
兎も角、この場には魔術書だけでなくその他の、例えば料理や鍛冶、ペットの飼育法についてなど、様々な本がわんさと存在するのである。中には、パチュリーの与り知らぬ書籍もやや混ざっているのだ。
先程は“彼女は一日中ずっと通しで魔法の研究をしている”という旨を述べたが、厳密には誤りである。
いかに彼女が食事も風呂もベッドも要しない魔法使いであっても、流石に精神的な疲労は全く感じない訳ではない。自身の限界を悟ったその時、少女は一旦魔法の研究を中断して、小時間の休憩を取るのである。
それは単に軽い背伸びだけに留まることもあれば、優雅にティータイムと洒落込むこともある。
……そして、普段読まないジャンルの本に挑戦することだってある。
現在、パチュリー・ノーレッジはその休憩の最中であり、魔導書ではない別の種類の本に集中して、これを読み込んでいるのであった。その熱中ぶりは、魔導書に向けるそれと遜色ない。
その背後に、赤いショートヘアをした少女の影が忍び寄る。”小悪魔”と呼ばれている彼女は、珍しく魔導書以外の本に夢中になっている様子のパチュリーを見て、その手に持つ本の内容に興味を持った。
話しかけて集中しているのを邪魔するのも申し訳が立たない。なので、背後からその本の内容をこっそり覗いてやろう、そう小悪魔は気を遣ったつもりで画策したのだ。
そして、彼女の作戦は成功に終わる。
パチュリーの読む本のジャンルに気がついてハッと息を飲まなければ、それはもう完璧に遂行されていたことは想像に難くない。
後ろに忍び寄るその存在に気付き、パチュリーは一つため息をついて、手にしていた本を机に置く。
「……折角集中していたのに、それを邪魔するなんて悪い子ね。それと、読書中の人の背後に回って本の中身を盗み見ようだなんて、ものによっては極刑に値すると思うんだけど──どう思う?」
「え、えへへ。バレちゃいましたか」
「もう。次は許さないわよ」
少々気分を害された様子を引っ込めて、パチュリーは小悪魔に対して苦言を呈するに留める。どうやら彼女は小悪魔の働いた狼藉について、これ以上追求する気はないようだ。
これ幸いと、小悪魔は机に広げられた件の本について言及する。
「珍しいですね、パチュリー様が恋愛小説に夢中になるなんて」
「たまたま表紙が目に止まってね。フィーリングで手に取ってみたけど、中々興味深かったわ。……恋愛感情に関して、もう少し理解を深めてみようと思うくらいにはね」
「へえ、大絶賛じゃないですか! 後でそれ、私も読んでいいですよね?」
「良いわよ。その代わり、この本の山の整理を宜しくね。それが終わったら休憩時間あげるから」
「判りました! 約束ですよ?」と意気込む小悪魔に、パチュリーは満足そうにして頷く。使い魔根性の発露を確かに感じ取った為である。
そして流れるようにして、その恋愛小説に再びのめり込み始める紫の魔法使い。
「古典的だけど、『白馬の王子様』と言う存在には是非巡り会いたいものね……レミィに頼めば用意してくれるかしら?」
それは誰に向ける事なく呟かれた独り言であったが、ヨイショと積み重ねられた本を持ち上げながら、小悪魔は律儀にもそれを拾いとって返答を返す。
「な〜に言ってるんですか。知っての通り、紅魔館のみんな結構際どい容姿をしているんですよ? そんな場所にわざわざ王子様がやって来るなんてあり得ないですよ」
「……ええ、それもそうね。この本に影響されてか、ついつい不毛な妄想をしてしまったわ」
パチュリーも本気で“王子様”を所望したつもりはないので、小悪魔の方を見ることもなく、熱の無い調子の声でそう返した。
大図書館に、そんなやり取りが虚しく響く。侵入者でも入り込まなければ、ここはいつもこんな感じで穏やかな空気が流れているのである。
……一方、紅魔館本館では流石に“白馬の王子様”とまではいかないが、既に人間の男性が度々出入りするようになっていた。
その『あり得ない事実』を彼女達が知ることになるのは、もう少し後になってからのお話。
紅魔館でなく人里の方の門番の人に関する描写で“以前こんな事が…”とあります 『ん? そんな事あったっけ?』と疑問に思った方、それは実際今回で初めて描写した事柄なので安心して下さい オリ主も描写されてないところで色々やってんだな、と思ってくだされば幸いです(そこら辺もちゃんと書くべきでは? という的を得た指摘はNG 主にその場合幻想少女が出てこないじゃんというのが原因)
今話で第四章はお終い な、長かった… 話数と文字数の平均がちょいちょい増してきてて結構ヤバかったです(小並感)
突然ですがここで読者の皆様に(私的に)重要なお知らせがあります なんとこの作品、☆10から☆0までの評価を総なめすることが出来ました 感謝…っ! 圧倒的感謝っ…!
『高評価ならまだしも低評価貰って嬉しいのか…』と思う方もいらっしゃるかもしれませんが、かつては空欄だった評価の点数の欄が今や全て埋まっていると言う事実に、人は謎の達成感を覚えるものなのです(強弁)
実際以前から“あと☆0が一つ付けばコンプ出来るのになー”と思ってたりもしました 今思い返すとあんまり健全な考え方でなかったなとは思います 要反省 でも、『人の感性ってモノはまさに十人十色だなあ』って感じがして面白かったです
あ、因みにこの作品は非ログインのユーザーの方にも感想を受け付けるよう設定しておりましてね… 評価の一言コメントも、ちょっとハードルが高いかなと思って撤廃しております 詰まるところ完全なるノーガード、“どんな感想・評価も受け付けるよ!”てな訳ですな
“メニュー”から飛んでみて、『今までそういうのやった事ないな』って方も気楽にやってみて下さい 可能ならば他の方の作品に対してもそうしてくれると個人的には非常に有難いです このサイトはそういった書き手と読み手の相互作用によって成り立っているのじゃよ 多分だけど