再度、紅魔館へ
鮮血を思わせるような紅を身に纏い、不気味に
そんな暮なずむ正門前にて、二つの人影が対峙している。
一つは少女。ロングの赤髪に緑色ベースの華人服を着た彼女は、リラックスした体勢で、ただただそこに泰然自若として立っている。その表情も余裕綽々といったもので、或いは身を置いている現在の状況を心の底から楽しんでいるようにも窺えた。
一つは青年。白シャツに黒いスラックス、そして革靴という非常にシンプルな洋装の彼は、握り拳を前方に持ち上げて、少女の方へと突撃して行く構えを見せている。その顔は緊張に強張っているようで、踏み込むタイミングをいまいち掴み損ねているようでもあった。
ゆったりとした様子の少女と、余裕の無い様子の青年。二人の織りなす沈黙が続くこと暫く、その時間はまるで永久に続くかのようだった。
だが、青年は意を決したような顔をしたのち、満を持してその沈黙を無言のままに打ち破る。
砂利の蹴る
青年の行った踏み込みは、それなりに鋭いものであった。
しかしその後披露したのは、やぶれかぶれの特攻かと見紛う程の不恰好な突撃である。もしこれを鑑賞する者が居るとしたら、『彼は徒手空拳の類に全く精通していないのだな』と容易に見抜けることだろう。
対する少女は、中国拳法を始めとしたあらゆる格闘術を独学で修めてきたという経緯を持ち──当然玄人が素人に遅れをとる道理は無い。
彼女は身体の軸をずらすことで青年の攻勢をあっさり受け流し、ついでとばかりに脚を払う。それにより、勢い付いた彼は冗談のように身体を縦に半回転させた。
人が地面に叩きつけられる音、ガフッという肺から空気が押し出される音が共に鳴り、打ち負かされた青年は仰向けになって空を仰ぐ。
呆然としながら、青年がそのままの体勢で夕焼けに染まった空を眺めていると、心配そうな表情をした赤毛の少女が彼の顔を覗き込む。
「今、頭からいっちゃってたけど大丈夫?」
「ケフッ……あ〜、一応受け身は取ったつもりだから大丈夫、です。ええ」
「……念の為、今日はここまでにしておきましょうか。いくら手加減しているとは言え怪我はいけません。それに、やり過ぎてしまうと後で私が妹様に叱られちゃいますしね」
少女が差し出した手を取って立ち上がった青年は、その洋装に付着した土埃を叩いて落とす。そうする顔には少々の苦々しさが張り付いている。
「アレで『手加減』…ですか。めい──いや、師父は手厳しいなあ」
ため息と共に吐き出されたその言葉──の一部の単語に目敏く反応して、少女はとても機嫌が良さそうに声の調子を高くする。
「ええ、ええ、なんと言っても私は貴方の“師父”ですから。弟子に厳しくなるのも当然のこと、つまりそれだけの期待を寄せているってことで……」
「はいはい、立派な師の立派な教えを受けられて、俺はとっても感激してますよー」
「でしょう? いやぁ、早くも次に貴方が来る日が待ち遠しくなってきました。さっきの組手も最初の瞬発力は悪くなかったですし、次回はそこを基点にして少しずつ腕を磨いていきましょうか!」
青年──藤宮慎人は、かつて彼女が『修行中は“師父”って呼んで欲しいかなぁ』とさり気なくも執拗に要求していたことを思い出し、その事を皮肉るつもりであったが、それが不発に終わったことを悟り面白くなさそうな顔になる。
少女──紅美鈴は、最近弟子入りしてきた男性が己に対してしっかりと敬愛の念を抱いているのだと確信し、内心でひっそりと歓喜に湧き上がる。
彼からの突然の要請に始まった、この二人の師弟関係に当初彼女は戸惑ってはいたのだが、それも数回行うだけで今やすっかり馴染んでいる様子。
特にすることのない退屈な門番業務に飽き、ウトウトと昼寝に勤しむ毎日に突如現れた刺激ある日常。それも、自分を慕ってくれる者がセットでついてくるともなれば、これを拒否する理由など彼女には全く想像がつかなかったのである。或いは、彼が自分の外見を差別しない事も多少作用したのかもしれない。
いつしか彼女は心の何処かで、青年の来訪を待ち望むようになっていた。
その気持ちは普段の勤務態度にも表れたようで、青年が紅魔館にやって来るその日は決まって昼寝を慎むようになった。具体的に言えば、昼寝に費やす時間が以前と比較して半分にまで減少したのである。
『これは大いなる進歩ですよ!』とは、昼寝をメイド長に咎められた際、鼻高々な様子をして言い放った美鈴の言。
尤もその昼寝時間半減も青年がやって来る日に限定されている上、『そもそも初めから昼寝すんなよ』という話である。
その為、その“大いなる進歩”とやらにメイド長は特に心打たれることも無く、その後美鈴は無事銀ナイフの錆となったのだった。
合掌。
••••••
初めて紅魔館を訪れ、やっとのこと脱出できたあの日。俺は十六夜咲夜を通して、レミリア・スカーレットに一つの要望を伝えていた。
それは、簡潔に言えば『紅美鈴に師事したい』というもの。
何故そんな突拍子も無い事を要求したのかというと、それはひとえに“自分の生存率を少しでも高める為”だった。
──その日、俺は二度死に目に遭った。
飛行中、氷の妖精チルノに追突されて落下死しかけたのが一つ。『吸血鬼フランドールと出会ってしまった事』そのものでもう一つ。
それらの危機に臨んで俺は、成す術もなく流されるがままで、割と今でもどうして生き残れたのか不思議に思うくらいであった。あの時の絶望的な浮遊感、あの時の切り札を破壊されて背に走った戦慄──否応も無くはっきりと覚えている。
もう二度とあんな心臓に悪い体験は味わいたくない。ではどうすれば良いのか? その答えがまさしく、『紅美鈴に体術を教えてもらう事』なのだ。
俺自身を相手にして披露してくれたあの格闘技術を、少しでも盗めるのなら御の字である。それは自己の生存率を多少なりとも押し上げる要因となる筈だ。
まあ、例えばフランドールのような強大な妖怪相手には全くの焼け石に水であるが、そもそもそんな論外な存在と張り合おうとは思っていないのでそれは思考の外にでも放り投げておくにして、だ。
“自分の生存率を少しでも高める為”の手段として体術を選んだのには、三つの理由がある。
まず第一に、もし俺が彼女のような体術を扱えたのならば、チルノに突撃されたあの瞬間に受け流すなりなんなりして『あわや墜落死』とまではならなかったのではないか──そう考えたからだ。
第二に、俺の自衛手段である博麗の御札と霊力の弾丸が通用しない“敵”と将来的に遭遇することを想定して、それら以外で何かしらの対抗手段を用意しておきたいと考えたからである。
尤も、俺の仮想敵たる野良妖怪相手に体術が通用するとは思えないので、これはあくまで『無いよりはマシ』程度の気休めに留まるのだろう。
それと最後の第三、これはあくまでオマケ程度の理由なのだが……純粋に、彼女の魅せる体術を俺もやってみたいと思ったからだ。
──だって滅茶苦茶格好良いじゃん? あのカンフー映画ばりのアクションが出来るようになったら絶対楽しいって。
外の世界に居た頃の漫画で見た“男なら誰でも一度は夢見る地上云々”では無いし、氷の妖精の“さ”から始まるあの口癖に感化された訳でも無いが、『ちょっとは齧ってみても罰は当たるまい』とつい童心に返ったのであった。
“御札と霊弾で足止めして逃走する”という普段のやり方に真っ向から否定するような取り組みではあるので、うっかり魔が差したと言い表してもいいのかもしれない。
紅魔館の敷地を覆う赤レンガの囲いに並んで背を預け、俺と美鈴さんは今回の組手に関して、互いに意見を交わす。
彼女は格闘術を上達させる方法論として、“一旦実践して後で反省する”という手法を取っているらしく、弟子である俺もそれに倣った形になる。
一頻り「あの時の足運びは…」「接近する際の呼吸の仕方は…」などと話し合ったのち、美鈴さんは「そういえば」と前置きをし、夕日に染まった端正な顔をこちらに向けた。
「先程の動きを見て確信したんですが、藤宮さんは“攻め”というものに全く向いていませんね」
「うっ、そ、そう、ですか……」
暗に『格闘術を修めるのに向いていない』と宣告されたように感じ、顔を引き攣らせる。すると、それを見て彼女は慌てたように言葉を継ぎ足す。
「ちょっと、変な誤解しないでくださいよ? ただ、貴方は動き始めは滑らかだったのにいざ私を眼前にした瞬間、攻撃の意思を鈍らせました。だから、“攻め”に向いていないと言ったんです」
……確かにそれは、さっきの組手で睨み合っている間に自分も予感していた事だった。
他者を害するにはそれ相応の覚悟が必要となる──これまで俺は相手と距離を取っていたが為にそれに気付くことは無かったのだが、今回初めて自ら望んで格闘戦を仕掛けたお陰で、その事実に気付くことが出来た。
霊的ではなく肉体的なアプローチで外敵を排除するのは、俺にとって思いの外精神的重圧が大きいと判明した訳だ。
「でもそれって結局、俺は格闘術に向いていないってことなんじゃあ……」
「ご安心を。別に攻めるだけが格闘術ではありません。“攻め”と相反する“守り”もまた武術の基本にして真髄です。ほら、護身術なんてその最たるものじゃないですか」
一旦、彼女は言葉を区切って俺の表情を窺う。納得したような、そうでないような微妙な顔をしていると、トドメとばかりに口を開く。
「つまり私が言いたいのは、『貴方は“守り”に向いているのかもしれません』ってことです。繰り返すようですが、瞬発力は悪くないんです、今後はそこを重点に伸ばしていきましょう」
「守り、ですか。ちょっと意外な感じが──」
戦闘に於いて自分が何を最も得意としているかを問われたら、迷い無く『逃げる事』と返す自信がある。しかし『守りに向いている』だなんて彼女のような体術の達人に言われると、自身の思わぬ長所を褒められたようで中々に嬉しくなってしまう。
それと同時に少々の安堵を感じる。俺が彼女に師事しようと考えた理由──今後の人里の外での活動を見据えて生存率を少しでも上げる──は無事達成されそうであると予感したからだ。
いくら主であるレミリア・スカーレットの許可を得たと言っても、彼女本人がやる気になってくれなければ、俺の趣味と実益を兼ねたこの計画は頓挫したも同然だった。
しかし幸運にも、美鈴さんは超善良かつお人好しな性格の持ち主であったようで、まだ数度しか出会った事の無い見知らぬ人間にも親身になって教えてくれた。
突然の名指しに驚いてこれを拒否しても良いくらいなのに──そこら辺は、彼女の人の良さが表れた結果なのかもしれない。
そうこう考えているうちにいつの間にか、夕日は妖怪の山の山際に沈みかけていた。それに気付いた美鈴さんは会話を切り上げようとする気配を見せる。
「……おや? そろそろいい時間帯ですね。館内で、妹様がお待ちになっているのでは?」
「あー、そうですねえ。……もう少しだけ話していきません? 可愛い可愛い愛弟子からの頼みだと思って、もう少しだけ」
今からまたあの吸血少女の前に出頭しないとと思うと大変に気が滅入るので、現実逃避気味に目の前のチャイナドレス風の衣装を着た少女に会話の継続を要求してみる。
──我が敬愛する師父、自分はこれでもう満足したので人間の里に帰っていいですか? それかこのまま二人で、一夜を語り明かしませんか?
「あはは、貴方からそう求められるのは嬉しい限りですが、その実“時間稼ぎ”が目的だと分かっていると喜びも半減ですね。──いけませんよ、妹様がお怒りになってしまいますから」
「……はい。やっぱそうなりますよねぇ」
当然の事ながら、美鈴さんは俺の体術の師である前に紅魔館に尽くす従者だ。当主の妹からの
不満を大きく表すように肩を竦めて、組手をする前に正門の鉄柵に掛けておいた上着とネクタイを回収し、それらを身につける。
「よく似合ってますよ」
「そりゃどうも」
その上着というのは所謂燕尾服というやつであり、つまり現在外観から分かる俺が着用しているものは、燕尾服ネクタイ白シャツスラックス革靴である。
これらは(女所帯なのにどうして男性向けの服が用意されていたのかは本当に謎だが)紅魔館から貸し出されたものであり、恐らくヴィンテージものの高級仕立てな代物なのであろうが……
美鈴さんは本気か世辞か、『よく似合っている』なんて言うけれども。初めてこれら一式を着て紅魔館にある大きな姿見の前に立った時、そのコッテコテな執事服を着た自分の姿を見て、俺はこう思った。
──どっからどう見てもコスプレだよこれ! と。
美鈴さんと別れ、嫌だ嫌だと前へと進む事を拒否する本能に無理やり活を入れ、庭園を横切って紅魔館の内部へと足を運ぶ。
入り口を抜けると、そこはシャンデリアを中央にした吹き抜けとなっている。赤々としたアンティーク調の家具やら絨毯やらで、相変わらず目に優しくない内装である。
かつてはここでレミリア・スカーレットとの初邂逅を果たし、俺は勝手に恐れ慄いて逃げ出したのであるが、今この場に彼女の姿は無い。
ついでに言えば、そのとき館を案内してくれると思っていた十六夜咲夜の姿も今は無い。
つまり現在の俺は何の監視の目もついていない完全フリーの状態な訳で、仮に今からUターンをして里に戻ったとしても、美鈴さんを除けば誰にも咎められないのである。
逆に言えば、それは『監視をつけなくても別に逃げ出す事はしないでしょう?』と向こうが確信している事を意味している訳で。
「あー、気が進まねえ……」
そしてその読み通り、俺は嫌々ながらもこうして彼女の待つ地下室へと進む他無いのだった。
ある程度の時間をかけてゆっくりと先を目指して歩いていると、三名の妖精メイドが幾つかの調度品をテーブルに並べて磨いている場面に出食わした。
その妖精達は執事服を着た俺に気付くと、ササっとそのテーブルの後ろに隠れてしまう。しかし好奇心は抑えきれなかったようで、度々頭を出して頻りにこちらを観察している様子であった。
仕事の邪魔をしてはならないと、俺はそそくさとその場を後にする。既に何度も行った紅魔館訪問とは言え、ここの住民で俺の事を知らない者の数は未だに多く、故にああして注目を浴びるのは珍しくもなんともない。
恐らく、俺の存在を知らない者は過半数を超えているのではなかろうか? まだ顔を合わせたことの無い妖精メイド以外の館の住人も、まだまだ居るであろう事は想像に難くない。
気を取り直して引き続き長い通路を進んで行くと、いよいよ目的の部屋が近づいてきた。否、近づいてきてしまった。叶うのならば、今すぐにでも引き返したい。自然とため息が溢れてしまう。
本当に、何度でも、つくづく思う。
誰にも知られたくない秘密を明かす相手は、慎重に慎重を重ねて選ぶべきなのだと。罷り間違っても、自棄になって衝動的に秘密を漏らすべきではなかったのだと。……それがあの狂気の吸血鬼が相手ならば尚のこと。
そして本当に嫌なのは、そんな存在と関わりを持つようになった事を心の底から嫌悪出来ない自分が居る、という奇妙な事実に対してだ。
あの可憐な容姿に翻弄されている所為なのか、はたまた彼女のことを“頭の何処かが破綻している仲間”と無意識に認識して、ある種のシンパシーを抱いている所為なのか。
同類相憐れむと言う。
その考えが正しいのならば、きっとフランドールも俺に対して──いや、これ以上はよそう。俺と彼女を勝手に同列に語るのも可笑しな話だ。
地下室前の階段まで辿り着き、一歩一歩丁寧に、一段ずつ降りて行く。これは誓って、万が一足を滑らせてしまわないようにと気をつけているだけなのだ。決して、遅延行為を目的としているのではない……断言はしないけど。
ただ、そんな努力は実を結ぶ事なく終わりを迎える。すぐに階段の終着点に辿り着いてしまった。
扉を開けるのに敢えて時間をかけるという選択肢が無い訳ではないものの、流石に彼女も俺がここに居る事は感じ取っている筈なので、『ああ〜扉が重くて開けられないよ〜…じゃあしょうがないから帰るかぁ作戦』は少々どころでなく露骨に過ぎた。
そう観念して扉を開けようと手を伸ばすと、取っ手に触れるかどうかといったタイミングで一人でにその扉は開いた。無論、付喪神が宿っている訳でもなしに無機物が勝手に動き出す道理は無いので、向かい側にスタンバイしてた彼女の仕業だった。
一体いつからそこで待っていたのだろう。
「……遅かったわね、シント」
不機嫌そうな声をして、フランドール・スカーレットは真紅の瞳をこちらに向ける。……ストレスでも感じているのか、その片目はヒクヒクと痙攣していた。
もしかして、俺が遅延行為に走っていた事に勘づいている…?
少しでも彼女と共に過ごす時間を減らそうと画策した咄嗟の目論見であったのだが、それは返って逆効果であったらしい。
気付けば小さな両手がガシッとこちらの片腕を掴んでいた。無常なことに非力な人間ごときでは強大な吸血鬼に力で敵う筈も無く、そのまま俺は吸血鬼少女の自室へずるずると引き摺り込まれていった。
新しい章が始まったとしても場所が変わるとは限らない そんな第五章、始まります
誤字・脱字報告、誠に感謝致します 未だに最初の方の話で誤りが指摘されちゃったりするので笑えてきますよね いや笑ってる場合ちゃうんですけど