昨晩、いざ就寝しようかという頃合いにて届いた匿名の依頼書。そこに記された指示に従って、俺は行動を開始する。
数日分の食い扶持が見込める稀有な機会である。
そう思うと、仕事に取り掛かる姿勢は随分と前のめりな物となった。
未だ慣れぬ土地にありながらも、テキパキとやるべき事をやる様は、自分で言うのもなんだか疾風迅雷の如し。
指定された“物品”を書に付随していた御守りとで取引し、その後配送先の詳細な方位を聞き込みにて確定させる。
道行く人達の指差す先を目指して歩を進めてみると、そこには確かに依頼書が指定している所らしき建築物が遠くに見て取れた。
人間の里を少し外れたその場所は、緑が生い茂る緩やかな丘になっていて、御目当てのソコへと伸びゆく石段の両脇には『毘沙門天王』の字が踊る赤地ののぼり旗がズラリと整列している。
命蓮寺。
そう呼ぶらしい。
因みに先程の聞いた所に寄れば、“妖怪寺”とも渾名されているのだとか。
妖怪──そう聞くと脳内でまず第一に連想されるのは、幻想入りしたその初日に襲ってきた、金髪赤目の人喰い少女の姿であった。
その時に染み付いた妖怪への恐怖心を思い起こすと、今でも足が戦慄いてしまう。
そんな、恐るべき妖怪が、この階段を登った先で寄り集まっているという。
ゴクリ、と喉を鳴らす。……あの時は全力全開の霊弾で辛うじて難を逃れたものの、相手は一人(一匹?)だけだった。今度は複数を相手取る事となる。その場合、果たして俺は生き残れるのだろうか。
例えば妹紅さんが見せてくれた様な、あの格好良くて強力な火術を使えるのならまだしも、今の自分の力量を顧みるとぶっちゃけ望み薄な感じが──
……いや、なんで襲われる前提の思考してるんだろうね?
ふるふると頭を振って、あそこに関して耳に入ったのは決して悪い評判だけではなかった筈だと思い直す。
『あすこの住職さんはよぉやっとる、わたしの様な歳行った婆にも親身になってくれてねぇ』
とか、
『お参りか? それとも説法を請いに? なんにせよ若いのに熱心で見所のある奴じゃ、あの寺の面々を噂で知らぬ訳ではなかろうに。その真に善きものを求むる心意気、上っ面ばかり気にする他の輩共に見習わせたいのう』
とか。
お年寄りの方々からは、割りかし好意的な意見を耳に拾えていた。
いずれにせよ、いち早く謝礼を確保して一安心を得たい心境にある現状。尻込んでいたずらに時を浪費するよりも、年の功を素直に信じた方がまだ良かろう──そんな結論を下して、そう長くはない石段の一段目に足をかける。
……にしても、
それらしく解釈するのなら『奉納』という形なんだろうけども、それってどちらかと言えば寺でなく神社の領分のような気が……まあ素人知識で詳しくは無いんだけど。
神仏習合ってやつの仕業なのかなぁと思いながら、手にする二本の運搬物の重さを、包んだ風呂敷越しにしかと確かめた。
博麗神社のそれと比較すれば大分手入れの行き届いた階段を上り切ると、いよいよお仕事は最終局面。
今のところ恙無く事を進めてはいるのだが、仮に油断でもして届け物を落としてしまっては全てが水泡に帰してしまう。自然と身が引き締まる思いだ。
ぜ〜む〜と〜ど〜しゅ〜 の〜じょ〜いっさいく〜♪
……希少なクライアントにはなるべく良い印象を、願わくばうちのリピーターとなってくれる事に期待して、不自然に思われない程度の匙加減で常時スマイルを心掛ける。
気持ちはしっとりと落ち着かせて、間違っても先方に失礼のないよう細心の注意を払う。
集中だ。集中することが肝要なのだ。
しかし先程からまあ、なんとも。
ぎゃ〜て〜ぎゃ〜て〜 は〜ら〜ぎゃ〜て〜♪
……気になる、気になるなあ。
なんだろう、この妙にリズミカルな般若心経は。しかも矢鱈と音が反響してノッリノリに聞こえくるというオマケ付き。その上ここは開けた屋外であるというのに、どうしてこう、サラウンドな響きとなっているのだろうか?
いやまあ確かに、いの一番に聞こえてくる物音がお経ってのは如何にも寺っぽい感じはするけれども。
しゅ、集中力が削がれる……!
いまいち意識が仕事モードの方へと切り替えられない事に些か歯噛みをしつつ、好奇心でその立派な表門から首だけを敷地内へと突き出して、誰がこのビブラート読経を唱えているのかを知ろうと試みる。
すると、広々と開けた境内や立派に聳え立つ拝殿などに向かって目を凝らすまでも無い。
直ぐにその者の姿を視認することが出来た。
そして、それと同時に驚きで目を見開くことにもなった。
「なん……だと……!」
髪型はウェーブが緩くかかる松葉色のショートボブで、服装は薄茶色のワンピース。
そんな見た目をした可愛らしい女の子が、参道の脇で元気よく掃き掃除をしている。勿論、お経を歌う様にして唱えながらだ。
……まあ、口ずさむ中身は少々非凡ではあるものの、見る者を和ませる微笑ましい光景である。それだけならば、別に驚愕するに値しない。
問題は、その少女が持つ垂れた大きな両耳。
別にスッゲー福耳だったとかそういう話ではない。
何と摩訶不思議な事にその少女の頭部には、犬か猫か、判別はつかないが兎にも角にも、大きな獣の耳がぴょこぴょこと跳ねているのである。
付け耳だとかそんなチャチなもんじゃあ断じてない。
その動きからして見て取れる生気は間違い無くリアルであった。
それはまるで、アニメやらゲームやらの獣系キャラがそのまんま現実へと飛び出したかのよう。
うおーやべー本物だー、どうなってんのあれ、触ってみてーなー、などと思って無邪気に目を輝かせていたのだが。
人間に動物の耳が付くだなんて事はあり得ないのだから、あの子の正体は妖怪ということになる──
……人の欠損した腕を持っていた、あの金髪の人喰い少女と同等の。
そう思考すると、胸の内に盛り上がっていた何かがスンと急降下していくのを自覚した。
合わせて、『己が今何を為すべきなのか』をリアル獣耳の衝撃で忘れかけていた事に気が付く。
そういえば、そうだった。
今は呑気に覗き見している場合ではない。
この場所に来たのは、仕事を無事完了させて稼ぎを得る為なのだ。
只でさえ、明日の食費の工面に苦心するこの身の上。浮かれている暇など無い、急がねば。
それに加え実をいうと、依頼書には『
この事から察するに、どうにもこの命蓮寺住まいらしき匿名の依頼者は、俺が今手に持つ“コレ”を身内の者には秘匿しておきたいようだった。
ならば粛々と、藤見屋は雇い主の意向に従うのみである。
早速裏手に回ろうかと、覗き込んでいた首を引っ込めようとしたその刹那。
「あ!!!」
「……やべ」
ガッツリと、大きな声の妖怪少女と目が合ってしまった。
『寺の者には声をかけずに
……い、いや。まだ分からないじゃん?
瞬間。
いつになく弾けたシナプスが、脳内を駆け巡る。
見た感じだと、あのトテトテと俺のもとへと駆け寄って来る妖怪は、まだまだ精神的にも幼い子供のよう(あくまで雰囲気から何となく判断したことで別に確定情報ではない事に留意!)である。となれば彼女がこの寺の責任者──即ち住職であるという可能性は、限りなくゼロに近いのではないか。つまり事ここに至った現在でも、依頼書にあった追記の太字部分は未だに守れていることになる。……仮にこの願望混じりの憶測が正しかったとして、今の自分がこの窮地を脱する為に行うべき事は何か。俺がめでたく報酬を得て、匿名の依頼人もめでたく御目当ての品を得る。そんな理想的な未来を勝ち得る為に、今からどんな選択をすれば良いのだろう。
……そうだ! この子に頭を下げて、全てを見なかった事にしてもらえば良いのでは?
第一印象的にいい子っぽそうだし、真摯に頼み込めば多分やれるやれる。もしもやれなきゃ数日後に俺が貧乏に殺される。ならば、やっぱりやるっきゃない。
以上の思考を手早くパッとまとめ上げる。
そうして俺は『あの少女を説得するには何を言ったら良いのだろうか』と、考えを張り巡らせる事に注力した。
先週、妖怪に襲われて恐ろしい思いをしたばかりの時分である。
なので本来であれば、本性を知らない妖怪少女がこちら目掛けて走って来たその時点で、俺は踵を返し這々の体で逃げ帰るべきだった。
しかしなにぶん報酬に目が眩んで、判断力が鈍っていたのだろう。
彼女は人間でない、という事実を忘れ。
彼女は恐るべき妖怪である、という事実を忘れ。
元気が余って仕方の無いわんぱくな子供の相手をしてやるようにして、ついつい
彼女──“
その本性がそこいらに蔓延る野良妖怪と大差ないものであったのなら、俺は今頃三途の川を渡って死後の裁判にかけられていたに違いない。それほど、その時の自分は妖怪という畏怖すべき存在に臨んで、余りにも明け透けで隙だらけであったという事だ。
まあ、後々になってこうして振り返ってみると。
結果的にはあらゆる意味合いに於いて、それは『正解』だった。
「おはよーございます!」
何かを期待するかのように顔を綻ばせるその少女は、こちらの顔を見上げながら挨拶をしてくる。相変わらずの境内外に遠く響く大声にて、である。
……まずは、彼女の声量を抑えさせることから始めないと不味そうだ。他の者も呼び寄せかねない。万が一、それが“住職”とやらだったとしたらもう最悪である。
『“住職”にこの荷物の存在を認識させないことが最低ライン。これだけは絶対に守らねばならない』と内心で固く誓いを立てる一方、膝を曲げて相手との目の高さを揃え、お願いをする。
「あーキミ、出来ればもう少しだけ声を落としてもらえると助かるんだけど……」
「……おはよーございます!」
しかし帰ってきたのは先と変わらぬ反復の声。
一瞬、言葉が通じていないのかと心配したのだが、そうではないようだ。
挨拶をしてきた者に対して、それを受けた者は果たして何を返すべきなのか。
それすら出来ない輩なんかとは口を利くつもりはないわ──とそこまでは過激ではないものの、それに近いニュアンスの憮然とした表情を察知して、思わず苦笑する。
まあ、確かに第一声が『静かにしてくれませんか』とは流石に失礼が過ぎていたか。
「……おはようございます」
「!」
そう返すと、少女の表情は一変して花開く。
「はい! おはよーございます! やっぱり挨拶はきちんとしないとね」
「うん、まあ、確かにね。今のは俺が悪かったね」
挨拶は大事。
古事記にもそう書かれている、ような気がする。
そんな当たり前を初対面の子供から諭されて、ちょっぴり苦い気分。
「もしかして、体験入信の申し込みに来た方ですか?」
「体験入信? いや、それは知らないけど」
「違いましたかー……まぁそうですよねー」
この子は先のやり取りである程度満足?したらしく、声量を抑えてくれている。しかも掃き掃除がちょうどひと段落ついた後らしく、俺との会話に付き合ってくれるようだ。
少し、確認したい事柄があった。
これ幸いと恐る恐る質問してみる。
「……キミ、ここの住職さん…だったりする?」
「いえ、違います。聖様は只今お勤め中で──あ、用があるんでしたら私が今から呼び掛けますよ? 自慢になりますけど大声には結構自信が──」
「待った! その気持ちは有り難いけど今は待った! 今の質問は、キミが住職じゃないって確認が取りたかっただけで、別に住職さんに用事があってのことではないから!」
「……?」
急に捲し立てられてポカンと疑問符を頭に浮かべる少女を尻目に、俺は依頼進行に暗雲立ち込める只中、希望の光が差し込んできたのを確信する。
……これは──もしかすると、行けるのでは?
この獣耳の少女が住職ではない事を確認出来た。ならば後は彼女に、今日この場で俺と出会った事を他言しないよう頼むだけ。
『やったーこれで依頼にあった指示を完璧に守れた事になるぞう、報酬ゲットだぜー』とほくそ笑む。
当然、それを表に出すような迂闊な真似はしない。
ただ一つ、コホンと空咳をして場を仕切り直す。そしてこちらの要求を告げる為に、より一層のこと少女と真剣に向き合った態度を示す。
「キミに……ってかそういえば、キミの名前を聞いてなかった。よければ教えてくれる?」
「幽谷響子って言います!」
「そっか。じゃあ響子ちゃん、一つお願いがあるんだけど……」
正直なところ、彼女に対して切れる交渉のカードは皆無だ。
情け無い話ではあるが、響子ちゃんから下される温情に期待するしかないのが現状である。依頼を失敗した結果路頭に迷う位なら、いっそのこと頭を地に擦り付けてでも──と覚悟を固めて切り込もうとしたそのとき。
意識の外側から放たれる、透き通った女性の声。
「そこな見知らぬお方。命蓮寺に何か御用でしょうか?」
視線を向けると、下は砂利道というのに、音もなくこっちへ歩み寄ってくる一つの人影があった。
その頂点から腰元までに伸びる長髪の、グラデーションが紫から金へと変容していく様が真っ先に目に入ってくる。真っ白のドレスの上には真っ黒の羽織っている物があって、その前見頃を交差する変わったデザインは、彼女の身体的特徴の一部を殊更に強調しているように思えた。
容貌はうら若き少女のそれと相違なく、しかしその身に纏う雰囲気は実に堂に入ったもので、甚だしいギャップを感じさせる。
「えー、と…? どちら様でしょうか?」
まず身分を明かすべきは来訪者である自分からであろうに、そんな言葉が口から溢れ出てしまった。しかも質問を質問で返しちゃってるし。
幸運なことに、やって来た少女は非常に寛容な精神の持ち主のようで、無礼者を相手にしてもその湛える微笑を崩すことは無かった。
「私は“
住職の“じゅ”の発音を聞き取った時点で俺は、風呂敷の中身を隠すようにしてサッと後ろ手に持っていった。幸い、この動作は気付かれていない様子。
「……ああ、なるほど。ここの住職さんでしたか。ええっと。私は藤宮慎人と言いまして、ここにはちょっと……野暮用、と言いますかね……」
「ふむ、てっきりお参りに来た方と思っていたのですが違うのですね。して、その野暮用とはどのような?」
「……ええと、それはですね……」
返答の声が吃ってしまって、少し怪訝そうな目を向けられる。
内心では滝のような冷や汗が止め処無い。
しまった。
野暮用ではなくお参りと言えば、ひとまず急場を凌げたのか…!
後悔しようにも口に出してしまったものは仕方が無い。何とか吐いた嘘を取り繕おうと脳味噌をフル回転させる。が、焦りもあって全くそれらしい言い分が思い付かない。
この状況、本当に不味い。
ただそんな何ら役に立たない一言だけが、頭の中をぐるぐると旋回していた。
その一方で、だんまりを決め込み始めた不審人物に対して、警戒心を強めない者が居る筈もなく。
聖白蓮の普段は穏やかそうな目付きが、段々と厳しく険しいものとなっていき──
「もしや貴方、廟の手の者では──」
遂には殺気立ってきているようにも思えてくる。そしてその細身に霊力とはまた違う、何らかの超常的なエネルギーを纏い始めた。
ギュインギュインと、現実離れした効果音が聞こえてくる。(幻聴)
こちらを冷徹に見定める目は、たったそれだけで対象を射殺さんとしているようだ。(錯覚…多分)
彼女から発せられる圧倒的な存在感が、俺の足を地面に縫い付けるようにして纏わりついてくる。(これはマジ)
もう駄目だ、おしまいだぁ!
こんな事ならこの依頼を引き受けるんじゃなかった!
頭を抱え、全てを洗いざらい白状してしまおうかと諦めかけたのだが。
「いざ、南無──」「「聖様! ちょっと待ったー!!」」
やけに息が合った掛け声と共に、俺と住職さんの間を割り込むようにして突っ込んだ来たのは少女二人組。
片方は空色の髪が窺える頭巾を被り、黄と黒の袈裟を着た尼さんのような少女。
もう片方は船長帽と水兵服を身に付けて、何故か片手に底の抜けた柄杓を持った少女。
響子ちゃんが「うわわ!?」と圧されてしまう程のその勢いには、何らかの強い目的意識が秘められているように見て取れた。
今はもう、朝と呼ぶには遅過ぎる時間帯。過ごしやすい薄曇りの天候の中、“妖怪寺”と渾名されるお寺の表門で、俺は雄大なる空を仰ぐ。
嗚呼、空っていいなぁ。
情報量が少なくて。
乱入して来た二人組を観察する。
えっと、まず、誰なの? 何者なの?
そしてなんでこっち見て『待たせたな』と口パクしてくるの?
もしかして、俺に仕事を頼んでくれた匿名の依頼者って彼女達のことだったのだろうか。
そんな発想に行き着いて、なんとなしに後ろ手に隠していた届け物に目を向けた。
……ちなみに、風呂敷に厳重に包まれたその中身は、たった二本ばかしの酒瓶である。
(ここすき機能の存在を先週まで知らなかった事は、まあ言わなきゃバレへんか……)
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