ぎゃ〜て〜ぎゃ〜て〜 は〜ら〜ぎゃ〜て〜
旺盛な声が表門より響く、いつもの朝方。
命蓮寺に住まう舟幽霊──村紗水蜜は、境内の端に位置する縁側に腰掛け、ささやかな庭園を眺めている。
「ふんふんふ〜ん♪」
寄せる読経の波に負けじと、即興のメロディーラインを鼻歌にて響かせるその様から、彼女が今現在非常に上機嫌な状態にあると推察するのは余りに容易い。
事実、彼女の様子を偶々目撃していた正体不明の妖怪、封獣ぬえはそのように思った。
となるとその次には、『どうして村紗はそんなにも浮ついているのだろう?』との疑問文が自然と湧いて出る。
常時気侭である
またぞろ抜け出して、旧地獄の方にでも遊びに行ってたのかしら?
そんな風に、ぬえはテキトーに見当を付けた。が、しかしこれは余りにも大雑把過ぎる推量だった。
当たっているのかどうか定かではない。しかしかと言って当人に疑問をぶつけようにも、正視に堪えないそのニヤケ顔が一瞬でも此方に向けられると思うとなんだか気が進まない。正直、薄気味悪かった。
如何な大妖怪の了見をもってしても、朝っぱらから見ていて気分が悪くなるような不恰好なものと向かい合いたくはない。
……なお、ぬえは、自身の外観が他の者のことを悪しざまに言えるようなものではないという客観的事実はあまり気にしていなかった。
いちいち姿見の前で身嗜みを確認するようなマメな習慣など持ち合わせていない上、もとより
ともあれ、ぬえが『せめて普段通りの面してたらなー』と内心でぼやき腕を組んでいると、やがてその背後からは見越し入道雲を伴って、法衣を着た妖怪がゆったりと姿を見せる。
雲居一輪と雲山は、イタズラ好きな同居人が立ち塞ぐように廊下のど真ん中で佇んでいるのを発見して、何事かと交互に見合わせた。
とはいえ、些細を知らぬ者同士でそればかりやっても仕方が無い。
そこそこに切り上げて、一輪は翼の形が赤い鎌状のものと青い矢印状のものが三つずつという、幻想郷広しと言えども他では滅多に見掛けないであろう特徴的な背中に向かって声を掛けた。
「お早う、ぬえ。こんな所で何で突っ立ってるの?」
「ん、おはよう。それがさー。村紗の様子がなんかおかしくって──」
かくかくしかじかと、謎に上機嫌な舟幽霊を顎で指しながら封獣ぬえは状況を話す。
「……というわけなのよ。一輪、何か知らない?」
「へ、へえ。確かに、見るからにゴキゲンって感じねえ。何か良い事でもあったのかしら」
実を言うとそれを聞き届けた一輪の胸中には、ガッツリと思い当たる節があった。
村紗が何故あのように機嫌が良い様子をしているのか、その理由を、頬を若干引き攣らせる彼女は前々から知っていた。
しかし、なにぶん無闇にそれを明かしてしまうと
なのでその場で雑に思い付いた事例を挙げ、一輪はぬえからの問いにすっとぼけて見せることにした。
「……ま、純粋に何かイイ事があったんじゃない? 朝一番に淹れた茶の茶柱が立ったとかさ」
「茶柱ぁ? そんな事で?」
「いやうんまぁ多分だけどね? あはは……」
怪訝な表情をされて少々焦りを覚えた一輪だったが、挙げた例の取って付けた様なその適当さ加減は、結果的に功を奏すことになった。
「……別に何にも知らないんだったら初めからそう言ってくれればいいのに。はぁ、なんだか気が抜けるわね」
もともと少し気になっていただけで、根掘り葉掘り追求する意思は端から無かったのだろう。これ以上何も知らない一輪に質問していても無駄足そうかな、とぬえは判断したようだった。
そんな相手方の鼻白む気配を察知した一輪は、気取られぬようにしながらも深く安堵する。
ちょっと暇潰しで人間どもを冷やかしに行くわ──そう言い残して、ぬえは気まぐれにふらりとその場から立ち去って行く。
その黒い人影が遠くへ離れるまでをしっかり見届けた一輪はクルリと振り返ると、ひたひたと忍び歩きをして、浮かれに浮かれる舟幽霊の背面を位置取る。
そして徐に片方の手を天高く掲げると、「えいやっ」と短い気迫の声と共に腕を振り下ろした。
無論、降ろした先にあるものは村紗の頭頂部。
ゴン、と響く鈍い音。
「いったぁ!」
夢見心地から現実へと跳ね上がった彼女は、涙目になりながら後方を確認する。するとそこにはやれやれと肩を竦める一輪と、申し訳なさそうにして相方の非礼を身振りで詫びる雲山の姿。
「ちょっ、一輪! いきなり何すんのよ!?」
気を良くしていた所、急に頭を殴られたのだ。当然の如く村紗はその下手人に対して全霊で抗議する。
一見理不尽に思えるその行い。しかし一輪からすると、そうされる筋合いなど無く寧ろ助けてやったとすら思っていたので、目の前の、あまりに迂闊な共謀者に対して冷ややかな視線を浴びせる。
「あのねー、今日届く予定の“アレ”を心待ちにするのは判るけど、せめてそれを隠す努力くらいはしなさいよ! 滅茶苦茶顔に出てるし、ついさっきまでぬえからは変なモノを見る目で見られてたわよ」
「……え、そうなの? 私そんな判りやすかった?」
意外そうに目をしばたたかせる村紗を目の当たりにして、一輪が向ける視線の温度は零点に近づく。
「ええ、それはもう。気付いたのが聖じゃなくてほんとに良かったわね。もしそうだったのなら今ごろ優〜しく詰問されて、“アレ”の存在がバレることになっていたかもよ」
「……あー、そういうところ聖は鼻が利くもんねー」
「まったくよ。私たちがこっそりと“アレ”を楽しむ為に、今までどれだけの苦労をして人目を掻い潜ってきたことか。なのにさっきまでのあんたは──」
「ま、まあまあ。さっきのは厳重注意ってことで済まさない? ほら、今騒ぐとそれこそ“アレ”がバレかねないしさ」
長くなりそうな説教の始まりを予感した村紗は、それを避けるべくして“アレ”とやらを提示する。
「……むう」
するとその効果は絶大だったらしく、一輪は不満そうにしながらも口を噤む。さしもの彼女も“アレ”を人質に取られれば、そうするより他はなかった。
二人が揃って言葉を濁す“アレ”とは即ち、“お酒”のこと。
普段から命蓮寺で寝泊まりしている者達の中で、一輪と村紗の両名は、大仰に言ってしまえば『密輸』に相当することを積極的に請け負っていたのだ。
その人選は、毘沙門天代理や山彦が隠し事しているのをあからさまに表情に出したり、ぬえに至っては堂々と聖さんの前でブツを取り出したり等々、様々な苦い経歴あってのことだったりする、らしい。
密輸する目的は勿論、自分達でそれを楽しむ事だ。
一人静かに呑むのもアリ。
複数人で寄り集まって呑むのもアリ。
培われた不文律はたった一つ。
『住職に気取られる事勿れ』である。
空を飛ぶ宝船が地に根を降ろし仏教寺院としての機能を表したその時から。
それぞれお小遣いを出し合ったり法力を込めたアイテムを代金として提供したりなど、この妖怪二人はあの手この手でお酒を入手しようと画策していたのだとか。
「──前回利用したモグリの業者は、聖に南無三されて足を洗っちゃったでしょ? 私たちが里で使える伝手はあれで全滅しちゃったし、そこんとこ今回はどうなってるのよ。ただでさえ配達先が妖怪寺ってことで尻込みする人間も多いのに、よく代わりを見つけられたわね」
ふと一輪はそんな質問を投げる。当然それは住職の耳に届いては困る内容、なので発する声音は何処となく抑え気味である。
それを受けた村紗は首を傾けて、何か思い出すような仕草をする。
「えーと確か、うちの依頼を請け負った業者の屋号は“藤見屋”だったかな。最近里で立ち上がったばかりで無名のトコだって聞いたわよ」
「……聞いた? どうして人伝で知ったみたいに言うのよ。あんたが直に見繕ったんじゃないの?」
「いやー、私も最初はそうするつもりだったんだけどねー。でも一から口の堅い取引相手を探すのも骨が折れるでしょ? だから楽な手段を取らせてもらったのよ。その分お高くついたけど」
「ん、それってどういう──」
「よし! そろそろ裏手の墓場で落ち合う時間だから、悪いけどこの話の続きは今晩にでも。もちろん“アレ”と一緒にね!」
「……はあ、わかったわよ。いってらっしゃい」
今の彼女達にとって『お酒の確保』とは何事においても優先されるべき最重要事項。
なので、万が一すぐそこにある集合地点に遅れて結果お酒を受け取れませんでした〜だなんて事態は、罷り間違ってもあってはならない。
それを重々承知する一輪は口に出しかけた問いの言葉を飲み込んだ。
代わりに、ひとつ忠告しておく。
「藤見屋だっけ? その業者に声を掛けるときはくれぐれも気をつけてね。落ち合う場所が場所だけに、受け取る暇もなく逃げられるかもしれないわよ?」
「……」
ま、妖怪寺に来る時点で相手も相当に覚悟してきてるだろうから、無用な心配かもしれないけど──と言い終えた一輪は、しかし村紗が何の反応も示さないことに気が付いた。
「…………」
突如立ち止まった彼女は、沈黙を守ったまま何やら空を仰ぎ見始める。
「どうしたの?」
「……なんか、妙に静かね」
一輪は、その言葉を聞いて首を傾げる。
「それが?」
「や、だから……今の時間に、響子の声が聴こえてこないのは変じゃない?」
言われて一輪は気が付いた。
確かにさっきまで響いていた筈の、目覚ましに丁度いい般若心経を唱える声がいつの間にやら途絶えてしまっている。いくら集中して耳を澄ませても、朝一番の掃き掃除中あの子がいつも大きく口ずさむ、溌剌とした発声が聞こえて来ない。
きっと彼女は今現在箒を持つ手を止めているか、それか既に掃除を終わらせたかのどちらかだろう。
して、それが一体何だと言うのか。
「うーん、ちょっと嫌な予感がするわね」
振り返った村紗の頬は、大変に引き攣っていた。
一輪には何故、彼女がそんな深刻そうな顔をするのかが今一つピンと来ていない。
「偶々作業が捗っただけなんじゃないの? で、今はもう庫裡に移って休憩でもしてるんでしょ」
「偶々? “アレ”が届く今日に限って? ちょっと一輪、気が緩んでるわよ。“アレ”に関しちゃ常に最悪を想定して行動しないと。そうやって私たちは幾多の南無三の危機を乗り越えてきたんだから──ま、ダメな時はとことんダメだったけど」
そこまで聞いてやっと、一輪は先程から村紗が何を恐れているのかを朧げに察知する。
「あー、なんとなく言わんとすることは判ったけど流石に心配しすぎじゃない? だって『住職に見つからないようにしろ』とかの最低限の情報は伝えてあるんでしょ? なら業者も相応に警戒するだろうし──」
事前に言い含められて見つかるまいと警戒する業者と、非公式の客がやって来るとは露ほども知らない響子。
どちらが先に相手の姿を捉えるのかを競うのであれば、十中八九、前者の方に軍配が上がる。
そして先に見つけたのなら、当然業者は響子の目が届かないような進行経路を選んで集合地点まで動く筈。
時間帯的に他の者達は屋内を過ごしていて外に意識を向けることは無いので、その後はどう考えても業者には失敗のしようがない。
よって、村紗の『もしや依頼した業者は何かの手違いで響子に見つかってしまったのでは?』という懸念は、取り越し苦労であると言わざるを得ない。
「──うん、大丈夫よ。何も心配することは無いわ」
一輪は確固たる自信を持ってそう結んだ。
相対する村紗はその堂々とした態度を見て、やっとのこと引き攣っていた顔を徐々に落ち着かせ始めたのだが、
突如、表門の方──つまり先程まで話題にしていた所から、長年に渡る付き合いによりすっかりお馴染みとなった法力の輝きが、薄曇りの空へと昇っていくのを彼女達は目撃する。
「一輪、あれって……」
「うん、間違いなく聖の仕業ね……」
「と、ということは……」
「まあ、そういうことでしょうねー」
何故かいつもより早めに切り上げられた山彦の読経。
何故か有事でも無いのに法力を発現させている住職の気配。
同じ場所で連続して起きる二つの出来事。
それらを単なる偶然の連なりと捉えて受け流す事は、彼女達からすると不可能であった。なにせ、心当たりがあり過ぎた。
如何ともし難い『あ、もうこれダメじゃね? 普通にバレてね?』感が、二人に重くのしかかって来る。
「……あの放火魔がまた懲りずにやって来たのかなぁ。それを迎撃する為って線はない?」
「そんなわけ無いでしょ。現実逃避しないで。ほら、『“アレ”に関しては常に最悪を想定して行動せよ』って言ったのは村紗でしょ。今がその時よ。錨でも持って行って突撃すればいいんじゃない?」
ドヤ顔で『村紗の懸念は杞憂』と宣言した次の瞬間。それを即刻否定された形となってしまったので、若干ばつが悪い気分の一輪。
見るからに自棄っぱちになっている。
「まあ確かに錨を振り回すのも、偶には悪くないけどねぇ」
耳に入った無茶苦茶な提案はさらりと受け流して。
村紗はやけに自信ありげな様子で宣言する。その口元には、ニヒルな笑みが上等に形作られていた。
「それよりも真っ先に試すべきは、聖が“アレ”の存在を認識したかどうか確かめることでしょ。で、それでもし気付かれてないようだったら、まだまだ挽回の余地はあると私は思うのよ。だから一輪、悪いけど付き合ってくれないかしら?」
南無三の嵐に晒されるかもしれないというのに、この舟幽霊は屹然とした態度を崩さない。例えそれが虚勢なのだと分かっていても、一輪は自身の武者震いを抑える事が出来なかった。
彼女のその、強固な決意の現れよう。
魔界に封印された聖を救い出そうと遮二無二奔走していた頃のことを思い出す。
「村紗……ふ、あんたがどれだけ今日この日を待ち望んでいたのか、たった今身に染みて理解したわ。わかった、付き合ってやろうじゃない!」
釣られるようにして覚悟を固めた一輪は、威勢よく啖呵を切った。
斯くして。
命蓮寺の酒好き妖怪若干二名様が、住職と山彦と元外来人が集まって何やら擦った揉んだしているところへと乱入していく運びとなった。
そのときのこと。
二人は揃って飛び上がって目を凝らし、現状の把握に努める。すると眼下に広がる光景は、大方の予想と違わぬものであると理解した。
あまり事態を飲み込めてない様子の響子。
今にも突貫しようと身構えている聖。
そしてそんな住職の正面に立って青い顔をしている、件の業者と思わしき年若き男性──手荷物をさりげなく身体で隠している辺り、まだ望みはありそうかなと二人は判断した。
まぁ実際にそうであるのかは、これから確かめること。
「で、死地に飛び込む前に村紗に一つ聞きたいんだけど」
「短めにお願い。じゃないと彼が南無三されちゃう」
「……仮に聖が“アレ”に気付いてなかったとして、その後はどうするつもりよ。受け渡す余裕なんてなくない?」
「あぁその事? 簡単簡単、任せなさいよ。私にいい考えがあるから」
「……なんか駄目そうね」
「ひどい。でもまぁ確かにあの人間が察して乗ってくれるかどうかに全て掛かってるわけだし、そう考えると分の悪い賭けにはなるかなぁ」
「やっぱり辞めとく?」
「冗談、待ちに待ったお酒が目の前にあるってのに今更諦めるわけにはいかないでしょ。ハケンリョウキンとか何とかいって散々ふっかけられたのに結局収穫無しだなんて、そんな事あってはならないわ」
ちょっぴりお待たせさせてしまった割には、文章の推敲が十分でないし余り話が進展しなかったようで本当に申し訳ない 視点変更の最大のデメリットと言えるのかもしれませんね
(秘封フラグメント(二次創作ノベルゲーム)が期待以上に面白かった(小並感))