些か以上に決まりの悪い心地となった朝餉を済ませ、食堂から逃げる様に退散した俺は、雲居一輪と雲山の付き添いのもと、さっそく仏道修行に取り掛かるべくしてその準備を整えた。聞くところ考案されて然程の時をまだ経ていないらしい命蓮寺の体験入信、その第一カリキュラムに大人しく従った形である。
場所は屋外。
井戸のすぐ近く。
目の前には洗濯板と大きな
いやまあ確かに食後、聖さんから本日の予定について言い渡されていたし了承もしていた。けど、けどなあ。初手からお洗濯って本当だったのかよ、と。寺の修行体験と言えばてっきり坐禅や滝行が鉄板とばかり思っていたのだが、昨日の話に聞いていた通り案外そうでもないらしい。
しかしここ一週間程で体感してきた幻想郷の文化レベルを合わせて考えるとこれは非常に不味い事態になった。というか用意したものが『洗濯板』って代物の時点で、これから行う事になる作業内容の全てを理解できる、できてしまう。
思わず陰鬱なため息が出てくる。
「なぁ一応訊くけどさ、このお寺には全自動洗濯機とか置いてないの?」
「全自動洗濯機? ……ああ、何となく言いたい事は判ったけど、まずそれはここに置いてないわね。河童の住処や山の神社にならあるかもだけど」
何故、脈絡も無く尻子玉妖怪の名が飛び出したのか要領を得なくて困惑する。それと同時に、『山の神社』ってなんだよもしや博麗神社のことか? とも思った。
だが今はそれらの疑問点を深掘りするよりも、彼女の発言の意味するところを察して嘆く方が先決だ。
「Oh, マジか。やっぱこいつら全部手洗いしないといけないのか、どんだけの重労働になるんだ……」
「何言ってんのよ、大袈裟ね」
縁側にドンと積もりに積もった洗濯物の数々。それを見てこの先の悪戦苦闘を予感する俺とは対照的に、袖を捲って腰を屈めた一輪は慣れた手つきでこれに取り組み始める。
流石は科学的インフラの発達が現状特に見受けられない幻想郷の現地人というべきか。さして気負う様子も無いその姿には心強さしか感じないがいやしかし、いくら二人掛かりとてこの量はちょっとなあ……
二の足を踏む俺に気が付いたのか、気楽な声音で彼女は言う。
「ほら、何事も経験ってね。ひとまずは手を動かしてみなさいよ。もし不自然なトコがあったら、
「……お手柔らかにお願いします」
やや体育会系の雰囲気を嗅ぎ取ったので遠慮がちにそう頼む。だが、返ってきたのは盥に張った水のざぶざぶ鳴る音だけだった。どうして返事がないのだろうかと不思議に思う。
「あの、一輪さん? 聴こえていらっしゃいます?」
不安げなこの問いにニコリと微笑むだけ微笑んで、一輪は結局返事のひとつも返しやしない。……何となくではあるが、俺はこの修行(という割には少々俗っぽい様な?)が決して楽には済まされない事を悟った。
『村紗水蜜や雲居一輪とかねてからの親交を持っていて、かつ、その流れでつい最近仏教に興味を持ち始めた里の人間』
これは命蓮寺の皆(ムラサや一輪、雲山除く)が俺という人間に対して抱いている共通認識である。
勿論、言うまでもなくこれは真っ赤な嘘。俺は彼女達とは昨日出会ったばかりだし、仏教に対してこれと言った関心がある訳でもないし、人里の住民を自称できるほど長く住んでもいない。突っつかれると速攻でボロが出そう、というのが率直な感想だ。
なにせ、外来人かつここに来て日も浅い俺は必然何かと不案内すぎた。『かねてから』との文言もあって、自分自身を人里にてそれなりの期間を過ごしている人間だと見せかけねばならないのに、当の本人はまるで
“そういう”人間を名乗るのには知識量が圧倒的に足らなさすぎで、可及的速やかにその不足分を補完する必要性があった。
張り子然とした筋書きを補強する為に、昨晩の酒の席では盃片手に少女達からは様々な情報をご教示いただいたものだ。
酒気帯びの耳で一回聞いただけという付け焼き刃もビックリなお粗末さだが、それでも傍から見て『少々物知らずな人なのかな?』となる程度に違和感を抑えるほどに至れた、と思っている。確証は無いが。
とは言え知識だけ有っても実践できなければ結局怪しまれる事に変わりはない。なので俺は、自分がつい最近幻想郷に流れ着いたばかりである事を改めて強調した上で、彼女達に図々しくも頼み込んでいた。
ここでの生活様式にはまだ不慣れなので、明日から開始される修行の内情を思うと懸念が残る。だからどうか“仏教初心者を監督する”という名目で直接指導してくれないか、と。
先程の一輪が「頼まれた通り〜」云々言っていたのは、つまりそういう事であった。
ちなみにこれは完全なる余談だが、『お互いの趣味嗜好を
読書と小動物鑑賞そして心霊スポット巡り、という文句無しにメジャーどころ(異論は認めない)な趣味を威風堂々と口で並べる俺。それと「酒!」と一升瓶傾けながら小気味良く宣言するヘヴィドランカー・一輪とは対照的に、何やらもじもじと身を捩る村紗水蜜はその赤ら顔に更なる朱を交えて曰く、
「私の趣味? あー、その。旧血の池地獄で溺死することかなぁ。なんかこう、クラクラしちゃう感じが、ね。ウン。癖になりそうでいいよねって」
「ん
「……うぇ」「あー泣かしたー悪いんだー」
「え? あ、すまん。つい」
いま思うと今後の円滑な協力関係の為に無難なコメントを残すべきだったのかもしれない。
実際は無常にもバッサリとやってしまったわけだが、まぁあれだ。彼女の共感し難いエキセントリックな趣味はさて置いておくとしても、かの有名な血の池地獄が実在すると知って驚いたよね、うん。たったそれだけ。ちょっと舟幽霊という括りそのものに対して今後偏見の目を向けちゃうかもだけど、まあそれだけだ。
ハイ余談終わり。
……溺死が趣味ってなんだよ、そっちが沈める側ちゃうんかい普通。
仮定の話だ。
現代を生きる日本人が、何らかの弾みで例えば江戸時代にでもタイムスリップしたとする。更にその者はかつて生活面において電化製品に依存しきりで、米を
で、そんな自動化に慣れ親しんだ現代っ子が「洗濯板とか初めて使うなあ」というぼやきと共に、予習無しのぶっつけ本番で山の様な洗濯物とご対面するわけだ。一様に決め付けはしないが、大抵の人は「わー大変そう」と思うことだろう。
事実俺は、一枚目である薄い掛け布団に取り掛かかってみて早速体感している。
こいつは一大事だな、と。
盥に張った洗濯液(一輪は樽から回収していたこれを灰汁と呼んでいたが…まさか鍋料理作った時に出るアクと同一ではないよね?)を存分に吸い取った布はずっしりと重く、擦ってみてもなんだか泡立ちがショボいような気がしていまいち洗ってる感がしない。
うーむ、物足りないがこれでいいのだろうか?
それとも、
「あれか、もっと強く擦った方がいいのか?」
残りの洗濯物全てにそうする必要があるとすれば中々に体力的な損耗が厳しそうではある。しかしこれが正しいとするとどうだ、なるほど如何にも修行っぽい。
こいつは気合を入れてかからないと──と、俺が一人納得しながら布を洗濯板にガシガシし始めると、横から鋭く叱咤の声がかかる。
「こら、そんなに激しくしたら生地が傷んじゃうでしょ! ていうかなんで直接板に擦り付けてるのよ、折り返して布同士をあてがうのが基本なのに」
「え、そうなの?」
「ええ。ああそれと特に汚れがひどい物でもなければ、わざわざ洗濯板を使わずとも揉み洗いで全然事足りるからね?」
「ほう、知らんかった」
「……ちょっと確認したくなったんだけど、もしかしてこれらの洗濯物全部を板使って洗うつもりだったわけじゃないわよね? 本当、まさかだけど」
「………………いや? そんなことはないヨ」
さり気な〜く目を逸らしながら発したその返しには「ふーん」というなんとも素っ気ない相槌。
恐る恐る視線を向けても彼女は黙々手を動かすのみで、特にそれ以上追求してくる様子はなさそうだった。
なんとか誤魔化せたかと安堵していると、手早く仕上げた洗濯物を物干し係の雲山に手渡して、一輪は言う。
「私としてはね、貴方には頑張ってもらわないと困るわけ。例えば聖様の眼前で下手打って違和感を持たれちゃうと、そっから芋づる式でその身の上を保証した私たちにまで累が及びかねないから。そんで実は彼にこっそり酒を運ばせてました〜なんて発覚したら、もう大変よ」
「……急に何の話だ」
「要するに私と雲山と村紗そして貴方は、昨日の密会で盃を交わしたその時点で、謂わば“一蓮托生の仲”になったってこと。……私の言いたい事、わかる?」
そう問い掛けられたので、優しめに揉み洗いする手を一旦止めて暫し考える。が、いまいちピンと来ない。
「今後とも仲良くしよう、と言いたいのか?」
「確かに以後そうしてく必要性も出るだろうけど、ここでは不正解ね」
「じゃあ分からん、降参する」
「へぇ、そう」
特に粘りもせず早々にギブアップする俺を横目に、一輪はにこやかな表情を浮かべる。
その様は己が特殊な感性を通して見るだけあってうっかり見惚れる程の快活さであったが、どうしてかそれと時同じくして『笑うとは本来攻撃的な行為であり〜』というどこか小説か漫画かで目にしたような俗説がふと頭を過ぎった。
何故だろうと思い当たる所を探る間も無く、入道使いは畳み掛けてくる。
「さっきまでのやり取りで、貴方がどれほど生活力に欠けているのかよく判ったわ。このままだとダメね、いずれは私たちのお楽しみが白日の下に晒されてしまう」
「異議あり! これでも幼い頃から自分の面倒を自分で見てきた実績はあるんだ。金銭面についてはまあ、その限りじゃないけど。なので『生活力に欠ける』という先の発言は撤回していただきたい!」
「……洗濯板の使い方も知らなかったのに?」
「・・・」
ぐうの音も出なかった。
いや違うし、生まれる時代が時代なら洗濯板なんざ二刀流も超余裕だったし──と自分でもよく分からない強がりをしそうになったが、流石に自重した。
「ま、理解できなくもないけどね? 何でも外の世界ってのはここと比べて随分と便利になってるそうじゃない。テクノロジーがどうのって耳にしたことあるし。だから貴方の言ってる事もきっと本当なんでしょうけど、っと」
視線を盥に落とし布巾に取り掛かりながら、彼女は言葉を続ける。
「さっき言ってた、えと何だっけ、全自動洗濯機? とやらもそうだけど、里に暮らしている人たちはそういった便利な代物とは無縁な生活を送っているわけよ。でも毎日やってる事だから、取り立てて不便にも思っていない。そこんとこ判ってる?」
「え? あーまあ、なんとなくだけど」
「だったら話は早いわね。私の言いたかった事はズバリそこよ」
……昨晩の自分が彼女達に頼み込んだ事と先程までの発言内容を合わせて考えると、なんとなく一輪の言いたい事を察せたような気がした。本当に、なんとなくだけども。つまりは、
「『幻想入りして間もない外来人が生粋の人里住民として適切に振る舞えるよう、頑張って指導しなくちゃ!』って感じ?」
「うーん、大体は当たってる」
「大体は当たってる」
それ即ち、今の推測には少しだけ誤っている部分があるということ。果たしてそれは一体? すっかり修行に取り組むのも忘れてうーむと悩む。
しかし回答権は一度きりだったようで、間を置かずして正答が返ってくる。その声音は何処か不満たらたらに聞こえた。
「言ってしまえば『頑張って指導しなくちゃ!』ではなくて『とてもとても頑張って指導しなくちゃ!』が正確なところね」
「あんまし違いはないようだが?」
「いいえ全っ然違うから。私はもう既に不安で胸がいっぱいよ? この後予定してる薪割りやら本堂清掃やら托鉢やら、その最中に貴方がいつやらかすのか気が気じゃないわ」
まるで利かん坊を相手取ったかようなその口振りに、頬が緩んでしまう。俺は何か、やんちゃなガキだとでも思われているのだろうか。
もしかすると長年を生きた妖怪目線からするとごく自然の思考なのかもしれないが、年下の少女然としたナリで告げられるとちょっと真剣には受け取り難い。
「心配しすぎだろ。薪割りだってあれだろ? 適当に斧担いで適当にそれ振り下ろすだけなんだから楽勝楽勝」
「経験あるの?」
「や、ないけど」
「ほらー! そういうこと言うー」
その両の手が濡れていなければ頭を抱えていそうなくらいのハイテンションだ。恐らくこの少女は極度の心配性なのだろうなと当たりを付ける。
まあ洗濯板云々のやり取りで大いに不安にさせてしまった自分にも確かに落ち度はあったと認めよう。
ならば今日一日の目標は定まったのも同然、課された修行を粛々とこなしてみせる事で、彼女を見事安心させてやろうではないか。
「まあ見とけって、これでも外面を装うのは慣れてる方と自負してるからな」
「……頼むわよ? 嘘吐きがバレたらうちの住職は本当に怖いんだからね」
残念なことに一輪は俺の言葉をあんまり信用してくれなかったようで、脳裏で聖さんが怒る様を想像したのか、すっかり顔を青ざめさせていた。
やはり彼女は心配性なのだろう。俺なんか、あんな穏やかで人の良さそうな聖さんが怒り狂う姿など、いまいち想像できないと言うのにね。やんわりとした忠告くらいで終わりそうなものだ。
その晩、薄暗い廊下をひたひたと歩む俺は、肩をぐりぐりと回しながら独りごちる。
「いつつ、明日の筋肉痛が怖いなこれは」
命蓮寺の体験入信。その一日目の日程を全て終えての感想はなんとも真に迫っていて、それでいて悟りの境地とは程遠いものとなった。
情けないようではあるが仕方のない事だったのだ。
大量に積まれた洗濯物の対処に、初めて経験する薪割り体験。もうその時点で身体中が悲鳴を上げていたと言うのに、同行する一輪は平気な顔して次の修行を押し付けてくる。その連続だった。
途中ちょくちょく様子を見に来る住職さんに備える為という理屈は分からないでもないが、それでも休憩時間をもっと伸ばして欲しかった感はある。
それか『妖怪と違って人間ってのはひ弱な生き物なんだなあ』と気付いて欲しかった。
彼女は俺と全く同じメニューで動いていても息一つ切らさなかった。それは素直にすごいと思う。でもね、いきなりその水準を要求されてもこっちは困るわけですよ。片腕で丸太を持ち上げたりとか、慣れでどうこう出来る次元の話では多分ないから。
明日は一応、ムラサが俺のお目付け役を買って出るものと打ち合わせている。
本日得た教訓を活かすのなら、事前に彼女へ頭を下げて休憩時間の割り増しをお願いするべきなのだろう。素直に了解してくれるといいのだが、そうならなかった場合は…地獄だなあ。
そうこう考えている内に、体験入信者専用(ちなみにこの部屋が活用されるのは俺で二回目らしい)客室の前に到着する。
眠気から来る欠伸を盛大に撒き散らしながら障子を開いて。その次の瞬間には、緩み切っていた意識を完全無欠に覚醒させていた。
何故ならば、
「どうやら随分とお疲れのようですね」
「ど、どうも。聖さん」
坐禅を組む聖白蓮その人が、暗がりに潜んで俺の入室を待ち構えていたからだ。
え、なんでこの人明かり付けてないの?
てかあれ? 寝惚けて入る部屋間違えたか?
いくら目が完全に冴えたと言っても、現状を把握しかねて混乱するのは必定だった。
そうして気を酷く動転させていると、聖さんはやおら立ち上がった。その手には一風変わった巻物が握られていて、それの放つ多様な色彩は彼女のその端正な顔立ちを宙に浮かび上がらせている。
「少々不審に思う所がありまして、失礼ながら貴方の身辺を調べさせて頂きました。……聞くところによると貴方は、なんでもつい八日前にやって来たばかりの外来人で、昨日は運河沿いの酒屋にて二本お酒を入手なされていたそうですね」
──ああ、これは不味いな。
発せられたその第一声で、心の底からそう感じた。
一体何をきっかけにして俺を調査しようと思い至ったのか、その次にどうして昨日取った行動が筒抜けになっているのか。ちょっと訊いてみたい所だが、生憎と今はそんな悠長な問い掛けが許される空気感ではなさそうだ。
「私の認識とは甚だしい齟齬があるようですが、どういう故あっての食い違いなのかご説明願えますでしょうか?」
機械的に表情だけで人の感情を区別するのなら、皆が皆現在彼女が浮かべているそれを『嬉しい』と判別することだろう。
確かに聖さんは今現在慈悲深そうな微笑みを湛えてはいる。であるならば、相対している俺の背中に大量の冷や汗が流れているのは果たして何故か。これでは道理が通らないではないか。
『笑うとは本来攻撃的な行為であり〜』
午前中の俺は一輪に対してそう連想した。がしかし、まだまだその先の秘められた段階が存在するとは露程も知らなかった。というか、知らないままでいたかったよそんな末恐ろしい事実は……
ジリジリと笑顔で詰め寄ってくる聖さんを目前にして、追い詰められる俺はひたすらに乾いた笑みを溢すしかなかった。やべえ超怖い。なんとかして言いくるめ出来ないだろうか。こう、上手い感じに屁理屈を捏ねたりなんかして。
……いやもう、無理っぽいか。
『嘘』とは疑われていない状況下で吐いてこそのもの。なのに今のように確信を以て糾されては言い逃れのしようがない。それが苦し紛れで吐かれたものならば、尚更のこと。
所謂“詰み”ってやつだ。この状況は。
もはや、如何ともし難い。
そろそろ五十話に差し掛かろうかという時分なのに洗濯板一つも満足に使えないオリ主がいるらしい まぁ一応過去回想中という体なのでしゃーないんですが