東方被常識 あべこべなこの世界で俺は   作:自律他律

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 祝! 五十話 突破!
 だからと言って特別なことはなく平常運転ですけども
 


妖怪寺体験入信日記 その参

 

 

 

「はあ、まずいかなぁ。やっぱまずいよなぁ」

 

 翌日、未だ気を緩めるとつい眠気が忍び寄ってきそうな薄明の頃。

 

 客室にて寝具を片付け身支度を整えて、そして朝食を摂るべく食堂(じきどう)へと向かっている最中の俺は、内心で(いた)く意気消沈していた。

 その理由は明白だ。

 食事時、それは命蓮寺に属する全員(と言っても他所に居を構えている者がいるそうで本当に全員ではないらしいが)が揃って集合することを意味する。

……これだけならば別に構わない。ああいう大人数で和気藹々と食事を楽しむというのは自分にとって中々に得難い体験で、むしろいつでもウェルカムな心持ちではあるのだから。

 問題はその面と向かい合う顔ぶれの中に、今のメンタルではちょっと、いやかなり顔を合わせづらい感じになってしまっている者達が存在することだった。

 

 村紗水蜜と雲居一輪がその例。

 

 やや大仰に言ってしまえば、昨日までと違って今の俺は、彼女達と親しげに言葉を交わせる資格を持ち合わせていないのだ。

 なにせ昨晩、穏和ながらも鬼気迫る表情をしていた住職さんからそれはもう優〜しく詰問されて、結果自分が何でこの寺までやって来たのか、その大部分をありのままに白状してしまったばかりなので。

 せっかく午前中に一輪が『“アレ”の秘密を共有するからには一蓮托生の仲』とまで宣言してくれたというのに、その晩に速攻でゲロってしまってたという即落ち二コマもかくやな流れであった昨日の夜。思い返すだけでも情けなさで顔を覆いたくなる。これでは本当に、どこの馬の骨とも分からぬ外来人にそれでも一握の(具体的には酒の席一回分くらいの)信頼を向けてくれた彼女達に対して、面目が立たないではないか。

 根性無しかな? と虚しい心境になりながら自己分析する。……或いは自分がもっと賢くて機転が利いたり弁舌が巧みであったとするならば、昨晩の聖さんからの追求をうまく煙に巻けただろうか?

 

 そんな『もしも』を空想して、間を置かずして「まあ不可能か」と小さく呟く。

 彼女は、まるでその場に居合わせていたかのように、喜び勇んで引き受けたスニーキング・ミッション『命蓮寺に酒を運搬せよ』に奔走する一昨日の俺の動向をきっちり把握していた。

 如何なる手段を用いてその情報を仕入れたのか。この疑問に対する答えは既に本人の口から得ていて氷解しきりなわけだがともかく、そのような旗色の悪い形勢下ではどれほどの口八丁を発揮したとしてもあえなく無に帰したことだろう。下手な言い訳をすれば却って自分の首を絞めるところだった。

 結果論になるが、菩薩顔の聖さんからジリジリと詰め寄られたあの時、特段粘りもせず即座に口を割ったのは悪くない選択だったと思う。

 逆に、言い繕ったり白を切ったりなど往生際の悪いことをしていても何らメリットが無かったことは想像に難くない。

 

 と言うかそもそも『何をきっかけにして聖さんは俺を訝しく思ったのか』という疑問点に着目すれば「なんだ始めっから詰んでたじゃねーか」と、我ながら呆れ果てる話であったりするのだ。

 

 てっきり俺は、昨日の修行中か何かのタイミングで里の人間が絶対に取らないような言動を不用意にしてしまったのでは? と思っていたのだが、真相はもっと単純明快であった。

 詰みポイントは昨日ではなく更にその前。

 一昨日の、つまりは初めてここ命蓮寺に足を踏み入れた際のことだった。依頼の指示に従い忍ばねばならないのに、結局見つかってしまったその時、寺の表門にて俺は山彦の妖怪少女とこんなやり取りを繰り広げていたのだ。

 

『もしかして、体験入信の申し込みに来た方ですか?』

『体験入信? いや、()()()()()()()()()

『違いましたかー……まぁそうですよねー』

 

 これが、寺の体験入信を申し込みに来た人間が行う会話内容としてはあまりにも不自然過ぎることは誰の目にも明らかだ。

 そして実際に彼女はふと疑問に思って、住職さんの前でぽろりとその事を口に出したらしい。で、それを聞き「おや?」と思った聖さんがとある伝手を頼ったことによって、秘密裏であった筈の俺とムラサと一輪の結託があっさりと表に出てしまったというわけだ。

 だいたいその時は身分を詐称して妖怪寺に潜り込もうだなんて毛ほども考えていなかったから、あの時の迂闊な発言も仕方がないと割り切ってしまえばそれまでの話。天網恢恢疎にして漏らさず、いやここはお寺なのだから、因果応報の方が適切か──

 

 

 

 

「おっと」「わわっ」

 

 食堂へと目指している筈の自分の両脚は、まるで断頭台をのぼるかのようで遅々として進まない。そんな遅すぎる行軍が図らずも功を奏したのか、縁側に面した曲がり角にて飛び出してきた小さな影にぶつからずに済む。

 

「あっ、おはよーございます!」

 

「……どうも、おはようございます」

 

 その小さな体躯に似合わぬ大きな発声に、やや苦笑めいたトーンでオウム返す。

 噂をすれば何とやら。うっかり目で追ってしまいそうになる愛らしい獣耳をパタパタさせて、件の幽谷響子が俺の前に姿を表した。

 朝っぱらから元気が有り余っているその様子は今の後ろ暗い心持ちから窺うとなんとも羨ましい限り。

 子供が元気なのはいいことだ。もっとも彼女の場合は妖怪だからその実、ムラサや一輪みたく俺より全然歳上でしたなんてオチもあり得るかもしれないが。

 

「どうかしたのか? 急いでるみたいだけど」

 

 片膝をついて言いながら『彼女が告げ口さえしなければ隠し事は発覚せずに済んだのでは』と今更な思考が頭の片隅を過ぎった。

 そして同時に、その事でこの子を逆恨みしてしまう偏屈な感情が心中で(わだかま)ってしまっているのに気が付いた。

 それは、流石に人としてあんまりだろう。慌ててその邪念を打ち消し話の続きに専念する。

 

……聞くところなんでも、そろそろ朝食の刻限というのになかなか新入りがやって来ないねーと食堂で寺の皆が話していたようで。

 

「昨日に続いて寝坊してるんじゃないかって一輪さんが言ってたので、じゃあ私が起こしてこよう! って思ったんですよ」

 

「へえ、なんで?」

 

「耳元で大声出せば起きるかなぁって」

 

「お、おう。そうだったかー」

 

 どうやら知らぬ間に俺の鼓膜は絶体絶命の危機に瀕していた模様。山彦による耳の奥へのゼロ距離目覚ましアラームかぁ。ちょっぴり試してみたいような気がするけども、些かリスキーが過ぎる予感。鼓膜は破れるととても痛いそうだし、ここは遠慮しておこう。

 

「まあ見ての通り寝坊してたわけじゃないから。別に昨日も起床時刻自体は遅くなかったし、明日こそはちゃんと早めに参上するつもりではある」

 

 続けて「ま、その明日があるかどうか今となっては怪しいもんだけど」と、そう言って半ば自嘲しながら締め括る。

 

 この身は、寺に禁制品を持ち込んだ上に飲酒して更には身の上を偽った不届き者である。

 昨晩それを知った聖さんは結局俺に対して罰を下すことはなくこちらの言い分を聞くだけ聞いて客室から立ち去っていったが、一晩経っては流石に嘘吐きに言い渡す処分は定まったことだろう。

 あれだけのやらかしだ、まさかお咎めなしだなんて事はあるまい。個人的には体験入信の中断プラス以後寺への立ち入り禁止あたりだろうかと踏んでいるものの、さてはてどうなることやら。

 

 多分、それについての情報は多少なりともこの子にも予め伝わっているんじゃないか?

 

 そう予想しての発言だったのだがしかし、殊更に意識するまでもなく、それを聞いた幽谷響子の表情に疑問の色が浮かんでいるのに気が付いた。……あれ?

 

「……響子ちゃんは聖さんから何か話を聞いてないのか?」

 

「え、話? なんのことですか?」

 

「んん? ああいや、やっぱりなんでもない。取り敢えず一緒に食堂まで行こうか。今ここで説明しなくても何の話なのかはそこで分かるだろうし」

 

「?」

 

 どうやらこの子はまだ俺が清廉潔白な身分でない事を知らされていないようで。……それは恐らく彼女があの件の当事者ではないからであり、昨日の尋問が終わった時点でだいぶ夜分遅かったが為に聖さんとしてもそのことを皆に周知させる時間がなかったからなのだろう。

 

 なるほどなるほど。それさえ把握できたのならば、このあと食堂で何が起きるのか大方の予想がつくというもの。

 

 間違いない。

 

 聖さんは寺の皆が勢揃いする朝餉のタイミングで、全ての真相を白日の下に晒すつもりなのだ。

 彼の正体は仏の道を志す信心深い里の若者などではなく、身銭を惜しんで命蓮寺へと経済的に寄り掛かってしまおうと目論んだ、卑しい外来人なのだと。

 

 これに『戒律によって当然ご法度である酒を持ち込んでしかも敷地内でそれを呑んだ』との歴然たる罪状が加わるというのだから、果たして下される沙汰は如何程のものとなるだろうか。

 まさかいくらここが妖怪の集まるところだからと言って、罰として文字通り取って喰われる訳ではあるまい。昨日の修行中だって、細々とではあるが人里からの参拝客の姿がぽつぽつと散見されたことだし。

 

 いや待て、この決め付けは早計か?

 

 命蓮寺に住まう何かと美形揃いな(無論、俺視点に限っての話だが)彼女達と出会ってまだ三日だ。表では友好的な態度を取っておいてその裏では無警戒な人間を前に舌舐めずり──という可能性も、ともすれば否定できない。

 こちらの身の安全が完全に保証されてると断定するには、いかんせん付き合った日数が足りてなさすぎるような……

 

 いかん、今頃になって一気に緊張してきた。

 

 昨日までの彼女達を眼前にして平然と軽口を叩いていた自分は一体どこに行ってしまったというのか。

 というか逆にどうして今の今までその可能性を真面目に検討しなかったんだ俺は。馬鹿なんじゃないか?

 幻想郷に迷い込んで間もなく、ブロンドの髪をした人喰い少女相手に決死の逃走劇を演じたのを忘れたか。

 あれからまだ十日程度しか経っていないんだぞ。

 

「あのぅ、大丈夫ですか? なんか顔色が悪いような」

 

「……そうか? 気のせいじゃないかな」

 

 側面から聞こえてくる気遣わしげな声音が、本当かどうか疑わしく思えてくる。歩きながらこちらを見上げる、そのあどけない表情もまた同様に。

 

 なんだか過剰に疑り深いようであるが。

 よし決めた。

 

 もし到着した先で不穏な空気を少しでも感じ取ったら即決で逃げてしまおうそうしよう。

 幸いなことに、一部を除き、俺は自分が色々と特異な体質の持ち主であることを寺の誰にも明かしていない。

 あべこべの事は言わずもがな、『常識に囚われる程度の能力』とかいう代物の事も、霊力を扱って漫画で見るようなガンマンもどきの攻撃が可能な事も。

 それは別に己の手のうちを知られたくなかったとかそういう訳ではなく。中々に言い知れぬ忌避感があったからだとか、或いは博麗神社にてスキマ妖怪から口止めされてたからだとか、又は単純にそのことを主張するタイミングがなかったからだとか、要は様々な遠因があったが為にたまたま言ってなかっただけなのだが。

 

 とかく今重要なのは、彼女達は俺が空を飛べるという事実を全く知らないこと。有事の際、意表を突くにはこれ以上無いアドバンテージとなる筈だ。

 

 いざと言う時はこれで一直線に人間の里まで退散するとしよう。

 なんでもこの寺の意向としてはもっと里で仏教の教えを広めていきたい方針らしいし、ならばその先で追いつかれたとしても公衆の面前で悪いようにはされまい。

 

 人間の里での風評を楯にする。

 うーむ、我ながら結構あくどい作戦だ。

 

 最悪のパターンへの対策が決まったかと思うと、さすがに浮き足立った気分が沈静化してきた。

 

 てか冷静になって考えてみるとあれだな。

 

 向こうがそのつもりならとっくに寝込みを襲われてもおかしくない訳で。

 そうなってないという事は先程の考えは全くの杞憂になるという訳で。

 

……まったく、どうして早朝からこうも頭を忙しくしないといけないんだか。

 

 終いには内心でそんな愚痴っぽい心情を吐露しながら、覚悟を決める。色々うだうだと言葉を捏ねたが、結局のところ非はこちら側(俺とムラサと一輪&雲山)にあるのだ。

 逃げの一手を打つのはあくまでも言い渡される罰の内容があからさまに不当であった場合のみ。

 悪さをした自覚はあるのだ。然るべき判決が下された際は、大人しく従うつもりである。

 

 

 

 

 

 

 

「お待たせしてしまいどうもすみません。どうやらまだここでの生活に身体が慣れていないようでして」

 

「いえいえ、どうかお気になさらず。実際まだまだお外は薄暗いですからね。私も歳若い頃はそうでしたし、至って正常のことかと」

 

 辿り着いた先の襖を開け即座に謝意を述べる。すると他の妖怪少女達と同様に食膳の前に座す聖さんは、まるで昨晩の事を忘れたかのように平然とこれに応答する。

 

 少々意外に思って食堂内に軽く目を走らせてみると、人数分用意されたであろう食膳には二つほど空席があって、たった今しがた響子ちゃんがそのうちの一つについたところだった。

 そして彼女達に欠員は見受けられない。

 という事は、

 

 しっかと、聖さんと視線が絡み合った。

 

……どうやら、()()はひとまずの後回しにされたらしい。

 果たしてそれは単に寺に潜り込んだ不届者のことよりもこれよりいただく飯の温度が失われることを重要視したからなのか、それともこれが最後の晩餐(仏教なのに)だとでも言いたいからなのか、判別はつかない。

 

 なんにせよ彼女がそのつもりであるならば、こっちとしても今のところは対応しようがない。いっそのこと、開口一番に処罰の内容を言い渡された方が何かと動きやすかったのになぁ。

 

 やや気勢の削がれる思いをしながら、残りの空いた食膳につく。その前に一応ムラサや一輪に声を掛けてみたが、彼女達は特に変わった様子もなく挨拶を返してきた。

 おや?

……当事者でない響子ちゃんならまだしも、主犯格である彼女達にも話が行っていない? ううむ、これはちょっと予想外だ。聖さんは全員まとめての説教でもかますつもりなのかね。

 

「「我今幸いに、仏祖の加護と衆生の恩恵により──」」

 

 両手を合わせ、たどたどしく唱和する。一方で頭の中ではこの後の事を考える。

 本音を言えば、このまま暫くはここのお世話になりたいものである。少なくともひとり立ちするのに役立つ何かしらの転機を得るまでは粘りたいものだ。

 今ここを追い出されては再び以前の極貧生活に戻ってしまう。今や外の世界でもそうではあるが、特に異郷の地では頼れる人もなし。と言うか何しろ蓄えの心許なさが頭痛の種だ。今度こそは飢え死んでしまうかもしれない。

 軽い叱咤で済ませて欲しい。そう願ってしまうのは些か自分に甘すぎるだろうか。

 

 

 

 そのようにくどくどと思考しながら箸を動かしていると、あっという間に時は経過していた。

 

 

 

 眼前にあった粟合わせのご飯も山菜の天ぷらも長芋の澄まし汁も、すっかり胃の中だ。

 それは他の妖怪少女達も同様で、しかも大半は食後の言葉を述べてこの場から出て行ってしまっている。各々に割り当てられた作務を早速こなしに行ったのだろう。

 ああ、何の気負いもなしにその後に続けたら、どんなに良かったことか。

 

「あの、聖様。未だここでの生活の心得──というか仏道修行に不慣れとのことですし、手助けの為に今日は私が彼の補佐役を願い出たいのですが」

 

 軽く片手を上げて、たった今思いつきましたよ風を装ってムラサが言う。

 それは、俺が外来人である事を隠す為に事前に打ち合わせた通りの動きであるがしかし、現在ではもう状況が想定していたものとは一変してしまっている。

 

 ごめんねえ!

 俺、聖さんに全部言っちゃってるから!

 俺達がグルだってとっくにバレてっからぁ!

 

 申し訳なさ過ぎて衝動的に叫びたくなってしまう。と言うかこれはもう全力を込めて叫んでもいいくらいじゃないか。このままだとこの舟幽霊、偽りのプロフィールに則った形で有る事無い事を言い出しかねないような予感が、

 

「いやぁこうなるとなんだかとっても感慨深いですよね。以前改宗を勧めた時は頑なに首を縦に振ってくれなかった貴方が、今ではすっかり御仏の教えに夢中になって……」

 

「OK、ムラサ。ちょっと静かにしてようか」

 

「……何よもう、そんな照れることないじゃないの」

 

 口では快活そうな調子で茶化してくる反面、ムラサは目線にてこれでもかと猛抗議している。見た感じだと『せっかくアドリブしてあげてるのにノリが悪いなー』的なニュアンスを伝えたいらしかった。

 違うんよ。語れば語るほどに自らの墓穴を掘るシステムになってるんよ今は。気付いてないみたいだけど見て、あの聖さんの輝かんばかりの笑顔を。アカンてあれは。視界に入れるだけでなんか寿命が縮む心地がするんだけど?

 

「そうですか。村紗がそのつもりでしたら──」

 

 いい顔のまま穏やかに告げられるその言葉に、我知らずゴクリと生唾を飲む。

 昨日、一輪は彼女のことを『嘘がバレたら恐ろしい人』と評していた。幾度も酒を入手しようとして時折阻まれてきたという入道使い自身の経験則から来るらしいそれは、恐らく的確だ。

 さりとて病的なまでに潔癖という訳ではなく。

 

 悪さをしていたから叱る。

 

 きっと彼女にとっては単にそれだけの事なのだろう。でもそれは俺がこれまで身を置いてきた環境にはなかったもので、それ故になんとも恐ろしく感じる。聖さんが次に言う言葉はなにか、否応にもこわごわと身構えてしまう。

 

 果たして、どのような手厳しいお言葉が飛び出してくるのやら……

 

 

 

「その要望通り今日一日、彼のお手伝いをしてあげてください。貴方もそれで異存はありませんね? 行動を共にする相手は、見知った間柄であるほうが何かと気が安らぐでしょうし」

 

「え、まあはい……………はい?」

 

 一瞬、自分の聴力を疑った。だが決して聞き間違いではなかった。

 確かに、食膳の前に座した状態でふわりと微笑みながら、彼女はとても不可解な事を言っている。

 これには大いに首を傾げざるを得ない。どんな意図があって、“知っていないふり”なんてするのか。

 なんだ? 昨夜のあの出来事は、身分を騙った罪悪感から来る夢か妄想だったとでも? 訳が分からない。

 

 思考回路がフリーズした俺の手を、いつの間にやら立ち上がっていた聖さんが掴んでちょいちょいと引っ張ってくる。決してその力は強くはなかったが、どうにも反抗しづらい凄みを感じて、されるがままに。

 

「ただ貴方には本日最初の修行に取り掛かる前に少しだけ、場所を移して私からひとつ説法をしたいところです。村紗、それが終わるまでの間ここの後片付けをお願いしますよ」

 

「へ? ちょ、聖様!?」

 

 驚き半分困惑半分の悲鳴を上げるムラサを食堂に残して、俺を連れ立った住職さんは何処かを目指して廊下の先を行く。……片手でしょっぴかれているこの絵面、まるで罪人として連行されてるみたいだぁ。

 

 屋外を見遣ればやっと日の光が暖かく中庭を照らす頃。

 

 行きがけにすれ違った雑巾掛け中の一輪が俺達を見て「ええ、何事? もしかして私たちの隠し事がバレてる? 嗚呼終わった…」と嘆くような表情をして、悲愴感を漂わせていたのが印象的だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 招かれるままに敷居を跨いだこの一室は、聞いたところ彼女の自室らしかった。

 

 失礼千万ながらざっと内装を見渡してみると、隅でキチンと折り畳まれた寝具とか机上に配置された筆や硯、櫛、手鏡などがあって、ささやかな生活感がある。

 そこはかとなく鼻腔をくすぐる爽やかなこの匂いの源は多分戸棚の上に置かれた香木からだろう。快い薫りに包まれながらこうして畳の上で正座していると、やましさで暗澹としていた心根がスッキリと晴れゆくような気分がする。

 

 そんな落ち着いた空間の只中、俺と向き合って対座する聖さんは薄く笑む。

 

「意外でしたか?」

 

「……ええ、それは勿論。朝日を拝めないうちにここから追い出されるものと、とっくに諦めかけていましたから」

 

 至極端的なその言葉にひとまずの苦笑を示しておく。

 本当、何を考えているのだろうかこの人は。真意を測れず戸惑ってしまうけれども、それでも先程のやり取りからして一つだけ、判然とした事があるのは確かだった。

 

 どうやら、彼女は“乗り気”らしい。

 

 こちらとしては願ったり叶ったり、しかし何故そうなるのかが分からない。有難いことに、わざわざこうしてサシでの対話の場を設けてくれたのだ。疑問に思うこと有らば今のうちに訊け、と。そういうことなのだろう。

 

 居住まいを正して、住職に問う。

 すると、

 

 

 

 

「そうですね。簡潔に言い表してしまえば、私たちと接する貴方の有り様が至って『普通』だったからでしょうか」

 

 

 

 

……その言葉を皮切りにして彼女は語る。

 

 どうして昨晩の白状を聞かなかったことにしているのか、どうして中々に()()()()なしでかしをした不届き者を追い出しにかからないのか。それとほんの少しの昔話を交えて。順序よく、丁寧に。

 

 そうして淀みなく流れるそれらを耳にした俺の顔は、果たしてどういった風に見えていただろうか。

 

 頼る先もないままに路頭を彷徨う、そんな希望の無い未来を回避できて安堵していたのか。

 自分が騙されていたと知っても尚それを許し、更にはこれを活用しようとする彼女の意外な強かさに感心しきりだったのか。

 

……どうやら己が身に、過分な期待が寄せられているようだと察して引き攣らせていたのか。

 

 いずれにせよ、結論として体験入信はこのまま問題なく続行する運びとなった。昨晩、俺と聖さんはそもそも会っていなかった(ということになった)のだから、つまり俺の正体は未だ熱心な仏教初心者のままなのだから、当然と言えば当然の話である。

 

 どうにか土俵際から脱せたなと気を緩めてもいいだろう。ふと思い返せばただ単に、自分一人であーだこーだと思い詰めていただけの話だったりするのだが、まあこれが性分なんだから仕方がない。

 

「──では、この事はくれぐれも内密に。万が一住職である私が貴方たちの破戒行為を見逃していたと余人に知られては、内外に示しが付きませんので」

 

「ええ、それは構いません。けど、案外ちゃっかりしてるんですね? 俺はてっきり、曲がったことは一切認めない厳格な性格の持ち主とばかり」

 

「ふふ、御希望でしたらその期待に応えましょうか?」

 

「……や、今の発言は無しということでお願いします。で、では俺はそろそろ食堂に戻ってムラサと合流してきますんで」

 

 最後には、茶目っ気を存分に含んだ冗談に降参の意を表明して、聖さんの部屋から足早に退散することにしたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 障子を閉めて少しだけ廊下を歩き、息を大きく吸って吐く。ついでとばかりに独り言も少々。

 

「普通、ねぇ。確かにここ数日何かと手一杯で、気にする余裕がなかったなぁ」

 

 初めは経歴詐称がバレてどうなることかと気を揉んでいたが、今となっては大事に至ることはなかった。

 その実、彼女達に現在(いま)へと至るまでの複雑な事情があって看過されただけに過ぎないそうだが、結果的にこちらに利益があったことに変わりはなし。そのこと自体は喜ぶべきことなのだろう。

 しかしながら、いまいち解せない。命蓮寺の皆の前で『普通』であったから──つまり特に何も気にせず接していたから。たったのそれだけで俺の働いた悪事が全て見逃された? 一体何故?

 

 まさか美醜感覚逆転(あべこべ)が関係している訳ではあるまい。他人と関わり合う際に、その者の見目の良し悪しなんかを気にしちゃいけませんよってことは、誰しもが理解している共通認識ではないか。

 故に、俺は()()()()()()彼女達の前であっても、下手に顔を顰めるような小芝居を挟まなかったのだが──

 

 う〜ん? と低く唸って……今はそれよりも優先して対処すべき問題がこの身に降りかかっているのに気が付いた。

 

 というか、こっち目掛けて真っ直ぐ飛翔してくる。紺の頭巾に黄と黒の袈裟、一輪だ。なんでそう血相を変えてすっ飛んでくるのかって、あぁなるほど。

 

「よお、そんなに慌ててどうしたよ。ちなみに先に念の為言っておくと、さっきのは聖さんが『ちょっと落ち着いたところで説法したい』って言うんでそこまで一緒に移動してただからな? 別に酒のことも俺の正体のこともバレてない」

 

「ほ、ほんと? 嘘だったら承知しないからね!」

 

 そう言う彼女の目頭には随分と力が入っている。虚言許すまじと主張するそれに、敢えて正面から受けて立つことに決める。

 

「大丈夫だ、安心しとけ。少なくともその二つの件については聖さんから咎められることはない。なんなら誓ってもいいぞ」

 

「……なんかそこまで自信ありげだと逆に不安になるんだけど」

 

「え、そんな信用無い感じなん?」

 

 物は言いようと思って彼女を安心させるべく言葉を尽くしたが、その腹積りは日の目を見ずに不発に終わる。

 結果、涙腺が刺激されない程度の哀しさをいっそう噛み締める羽目になった。

 

 こ、こいつ…! いつになく俺が真剣になって考え込もうとしているのを遮っておいて、そりゃないだろ。

 

 どっと徒労感を覚える。なんだかあれこれと思い悩もうとする自分が馬鹿らしくなってきた。

 さっさと食堂に戻って、本日の体験入信を始めることにしよう。考える時間くらいは、いくらでもこの先確保できるのだろうし。

 

「じゃあ俺もう行くから。多分今ごろ食器洗いしてる筈のムラサを手伝ってやんないといけないだろうし」

 

「大丈夫? お皿の洗い方は判る?」

 

「お? 何だ急に喧嘩売ってんのか? あんまし馬鹿にされると、気が長いと外の世界でもっぱら評判だった俺も流石に堪忍袋の緒が」

 

「洗濯板、薪割り、火起こし」

 

「……やだなぁ一輪さん。私めには何の事やらさっぱり」

 

 昨日の修行中のことを引き合いに出されると滅法弱い。白々しくすっとぼけると、一輪は冷ややか視線を寄越してきたのだった。

 

 





 オチがない
 干支的にちょうどいいのもあって今年中の更新はこれでラストとなります 皆さま良いお年を
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