底が抜けたかのような美しい茜の空。
点在する雲をひたすら目で追っていると、忙しなく雲が形を変えていく。
それは犬であったり。ケーキであったり。蹄鉄であったり。そして謎生物であったり。
(……また)
ぶるぶると首を振るって、その考えを消そうとする。だが一度意識をしてしまうともう、そうとしか見えないから困りものだ。
流れる雲に紛れ、謎生物がちらり、ちらりと姿を見え隠れさせる。
さり気なく。主張することなく。そして、寂しそうに。
涼しさ交じる秋の月。
学園カフェテラスで参考書片手に休憩をしていたマックイーンは、外を眺めながら溜息をついた。
数週間前に怪我をした足は、最早
『――ねえねえこれ見た? ウマッターでさ!』
『あっ。カレンの新作コーデ動画でしょ~、あれって――』
皆でスマホを回し身しながら談笑するウマ娘達。
昼と比べれば少ないが、語らいの声は途切れない。
彼女らの話題にはもう、あのウマ娘の幽霊の話は一言も出てこなかった。
この学園にとって、それは良いことなのだろう。
しかしながらマックイーンには、それが悲しい事に思えて仕方がなかった。
「相席いいかな」
返事をする前に座り込んだのは、アグネスタキオンであった。
ふわりと広がる紅茶の匂い、マックイーンはその香りに非常に馴染みがあった。
「セイロンですわね。よくお飲みになるんですの?」
「こちとら紅茶党だよ。カフェイン摂取に丁度いい。キミも飲むかい?」
「……頂きますわ」
予め用意していたもう一つのコップを手渡したタキオン。
プラスチック越しに感じるほんのりとした熱は、肌寒さ感じる秋口には嬉しいものだ。
マックイーンは熱さを予想し、少しだけ口につけ――そして、顔を
「これ……お砂糖はどれだけ淹れたんですの?」」
「5つ。あとハチミツも入ってるよ」
「……今ならコーヒーも飲めますわ」
「あてつけかい? ただでさえ私はコーヒーは好かないというのに」
激甘紅茶を素知らぬ顔で
夕暮は既に黄昏へと移り変わり始めている。
暗闇が徐々に侵食しているというのに、外では未だ元気よくウマ娘達が走っているのが見えた。
本来なら、あの娘のように自分も本腰を入れて練習するべき時期。だと言うのにここでまったりと座っているなんて。何だかおかしい気分だ。
「足の調子は……どうかな?」
ふわりと耳をなぞる、タキオンの声。
横眼で見れば、彼女もマックイーンと同じく体を窓に向け、視線だけをこちらに寄越していた。
「お陰様で。明日にでも湿布は外すつもりですから」
「それは何よりだ。あの時は本当、生きた心地がしなかったよ」
「その……あの時はご迷惑をおかけしました」
「いやっキミを謝らせるつもりは……はぁ、すまない。言葉を間違えたな」
お互いに言葉を選び合う、気まずい雰囲気。
しばらく二人は食堂の喧騒に耳を傾けたかと思えば、またどちらともなく口を開き始めた。
「……あの時は悪かったよ」
「何度言うつもりですの……? 謝罪はすでに受け取りましたわ」
「しかし」
「しかしも何もないですわ。テイオーにも。ゴールドシップにも。本当に聞き飽きるくらい謝られましたわ。テイオーなんて涙で海でも作るつもりなのかってくらい大泣きして。ゴールドシップですら見たことのない真面目な顔で謝るのんだからむず痒くて仕方なかったですわ! それに……」
「……それに?」
「……それに。あの方からも、謝罪は貰いましたし」
あの人の事は、出来るなら考えたくはなかった。
何故ならひとたび考えれば、それこそずーっと考え続けてしまうから。
あの夜の翌日のことは今でも思い出せる。
メジロ家が擁する療養施設でゆっくりしていた時の事だった。お見舞いにと訪れたジェシーは、まるで迷子の子供のように小さく見えた。
『怪我は、大丈夫か……?』
『え。えぇ、大丈夫ですわよ。本当に足を捻っただけですの。別に骨に別状もないですし……ただ。少しだけ走るのはお預けですけどね。それよりもあの後、貴方達はどうなって』
『――すまなかった……!』
『!? ジェシーさん!? ちょっと、何をして!』
忘れられる訳がない。
床に頭を思い切り打ち付けて、土下座をしたジェシーの姿を。
あの無骨な顔をくしゃくしゃに歪め、執事達が見ている前で恥も外聞もなく謝り出した事を。
大きな未来を控えた私に怪我をさせて事や。
そして、大人である自分が、みすみす怪我をしそうな場所に導いた事や。
小事から大事に至るまであらゆる謝罪をどばぁっと浴びせかけてきたのだ。マックイーンがベッドから出て止めようとしなかったら、きっと日が暮れるまで謝り続けた事だろう。
「私だって、罪悪感はあったのですのよ。なのに一方的に自分が悪者ぶって……お陰様で余計モヤモヤしてしまいましたわ」
「こう、と決めればテコでも曲げられない人だからねぇ。ちなみに、私はキミもそうだと思ってるけど?」
「う。じ、自覚はありますわよ! でもあの人と違って、私はそれだけ自分を信じているだけで――」
「――」
「――自分が、信じきれなくなってしまったのでしょうか。あの人は」
「どうだろうねぇ……私は違うと思っているけど」
マックイーンは読む気のなくなった参考書を優しく閉じると、紅茶と言いたくないその液体を、ぐいっと口へと注いだ。口内に広がる粗雑な香りと、舌にしつこく残る甘さが何とも言えない気分にさせてくれる。けれど、鬱屈した気分を紛らわせるには丁度良いと思った。
「……罪を全部背負って退職だなんて。そうなると知っていれば謝罪は受け取りませんでしたわ」
「大人らしい責任の取り方だね」
「あの人は罪を認めました。謝罪もしました。反省もしているでしょう。ならば、それでいいではありませんか。当事者たる私が許しているのですのよ。だったら、何もそこまでする必要は……!」
「……」
「……分かっていますわよ。これが子供の理論だというのは。公になった時点で、私達だけの問題ではなくなった。トレセン学園にも、そして我がメジロ家にも関わる問題に変わった」
「そうさ。だからこそ一番丸く収まる解決を、あの人はしてくれたのさ」
どこが丸く収まっているのだ、とマックイーンはタキオンの台詞に無性に腹が立った。
タキオンもまたあの人に深く関わったメンバーだ。なのに我々ウマだけが平穏無事。それでいいと本当に思っているのか?
「腹立たしいのはこちらも同じだよ」
すると、見透かしたかのようにタキオンが被せてきた。
彼女は手に持ったコップを一口で煽ると、カコン、とわざとらしく音を立てて机に置いた。
「ジェシー君にああして庇われなかったら。私達はこうして優雅にお茶なんで啜れていなかった。生徒会でのあの人の弁は、口惜しいが最善だったと私は思っている」
「あの人が辞めてしまったというのに、何が最善ですか」
「そうかな。ではよしんばあの人が退職しなかったとしよう。キミはその結果どうなるか想像はつくかい?」
「どうなるって……それは」
「生徒会が事実を完璧に隠ぺい出来ていれば良かったが。しかし、キミという怪我人が出た時点でこの件を隠すのはほとんど不可能になった。事件は噂を呼び、噂はすぐに行き過ぎた真相へと辿りつく。我々への風当たりはもとより、人間であるジェシー君への風はまるで台風の如く荒れるだろうね。『
不幸な事にも、今回怪我をしたのが知名度も注目度も高いメジロ家の御令嬢である。
彼女は今回の怪我から、冬の菊花賞への出場の取り止めも検討されているのだ。そして、その事実は目ざといマスコミに既に勘付かれている。
真実がどうであれ、彼女の怪我の要因となった人間が居るとなれば……それは、噂だけでは留まらない。学園内外を巻き込むスキャンダルにもなりえることだろう。
「……」
「あの時、ジェシー君がそこまで見越したかは分からない。だがジェシー君の辞職は、学園側が明確な罰を与えたと言う、生徒達や世間へのアピールになる。だからこそ学園も、メジロ家も、そして我々も、平和を享受できるという訳さ」
「ですがそれでは、あの人だけが……!」
「だからこそ腹立たしいんだよ。その実に大人らしい選択肢を丸々見過ごすしかなかったことも、何一つ、対抗策が思い浮かばなかった事も……!」
「タキオンさん……」
「私は自分が恥ずかしいよ。巻き込んだのは私達だっていうのに、最後の最後にあの人に罪を被せてしまった。まだ子供なんだ、って分からされたようで……クソ」
タキオンが見せる初めての表情に驚いてしまう。
ジェシーのことはただの被検体だと
そんなマックイーンの気持ちを表情から読み取ったタキオンは「なにさ」とムスっとしたかと思えば、再度紅茶をグビリ、とやり始めた。
「っはぁ……それよりもだ。ゴールドシップ君はどうなんだい? 変な噂を聞いてるけど」
「……ちなみにそれはどんな噂ですか?」
「トレーニング中一切ふざけなくなった。レースに参加したけど誰も抜かずに最下位が連発した。トーセンジョーダンを見ても蹴りにいかない。いつまでたっても寮に戻ってこない。と思ったら朝になったら寮にいる……」
「全部。全部本当の事ですわ。今回の件で一番重症なのは、あの子でしょうから」
あの事件で一番ダメージを受けたのは誰かと言えば、関係者が首を揃えて『ゴールドシップ』だと言うだろう。
彼女は誰かに心境を明かすことはなかったが、この件を悔やんでいた事は誰の目から見ても明らかだった。
ぼーっとする事が増え。どんな会話でも返事は上の空。練習こそ真面目に出るが、いつも見せていたふざけた雰囲気は消え。気が付いたらいずこかへ消え、そして気が付けば戻っている。そして行き先は誰にも言わない。
元々強いムラッ気がある彼女ではあったが、その成績は現時点で絶不調もいいところだ。
「一番責任を感じているのだろうね。確かに、元はと言えばジェシーの件はあの子が持ち掛けた話ではあったが……」
「考えすぎですわよ。責任は皆にあった。あの子だけの責任じゃあないっていうのに……」
「だとしても。ゴールドシップには耐えられなかった。何せ、目の前でジェシーのあの言葉を聞いてしまったんだからね。……私も、あの言葉には大分応えたよ」
"皆。徒労をかけさせてしまって、本当に申し訳なかった”
聞くだけで胸が締め付けられるような言葉である。
怪我のため、その場には居る事は叶わなかったが、もしも現場でジェシーのその言葉を聞いてしまったら……。
怒るだろうか、泣いてしまうだろうか。
喚くか。へたりこむか、暴れるか……は分からないが、ゴールドシップがそうしたように、衝動的な行為に走ってしまう自信がマックイーンにはあった。
「彼女がたびたび失踪してるのは、ジェシー君を探しにいってるのかな」
「……恐らくは。ただ、ジェシーさんとは会えていないんでしょうね」
「個人的な連絡手段はあったが、全てブロックか着信拒否だからね」
本人の自発的意思か、あるいは学園側の呼びかけたか。退職に伴ってジェシーとの連絡は、全て絶たれてしまっている。残された携帯のアドレスからは、無機質な電子音声以外何も返ってこない。
「現実を見据えているようで、我々は全く現実を見ようとしなかったのかな……世界が我々を中心に回っているように思っていたけど……違った。世界は、我々なんて
「……」
「流石にへこむよ。自分はこんなにも無力だったのかって、分からされてしまうと」
それだけ言い切ると、タキオンはくたっと力を抜いて机に突っ伏し始めた。
毛並みの整った栗毛耳は重力に負けてへたり、半開きの口からは、まるで空気の抜けた風船のように、やる気が次々と漏れ出ているように思えた。
マックイーンは再度外を眺める。夕暮れは瞬く間に夜に差し掛かり、
彼女達は決して変な被り物はしないし、決してカーブで転ぶこともない。悠々と、さりとて真剣に走り、そして抜きつ抜かれつの展開を見せつけている。
もう、あの人がコースを走る事はないのだろうか。
夢を諦めてしまったのだろうか。
あれだけ強い夢を思い描いていたのに。
あれだけひたむきに頑張っていたのに。
あれだけ成長したっていうのに。
自分が、あの時転ばなければ。
自分が、足を怪我をしなければ
夢を諦めずにすんだのだろうか。
……考えれば考える程仄暗い気持ちになってくる。
しかし、そんな暗雲の中を泳ぐような思考をマックイーンは止められなかった。
走るのを止めないでと伝えたい。
懇願して、泣き喚いて、レースに復帰させたい。
けれど肝心の本人は、どこにいるかも分からないのだ。
学園はだんまりを繰り返すばかり。メジロ家の力を使おうとも、やんわりと
ずるいではないか。一人だけ罪を背負った形になって。
私も背負いたかったっていうのに。
「……」
ふと、机の上のスマホがこちらの気を引こうと必死に振動を繰り返している事に気付く。
拾い上げてみて見れば、それは定期的に届くスピカメンバー達からのメッセージであった。
謹慎中、沈みがちな気分を和らげてくれたのが彼女達だった。
彼女達は、それにまるでローテーションがあるかのように、持ち回りで何気ないメッセージやお誘いをくれる。そして本日はスペシャルウィークの日のようだ。
『今日、お母ちゃんの所からまた新鮮な野菜が沢山届きました。見てくださいこの美しい輝きを放つ大根! レタス! そしてたくましいニンジン! ʕ •̀ω•́ ʔ✧ 良かったらみんなで野菜パしませんか? ʕ •ɷ• ʔ』
添付された画像には両手で野菜を持ってドヤ顔をするスペと、その背後で同じように謎ポーズを決めているウォッカとダイワスカーレットの姿が写っている。まるで歌舞伎役者のように見得を切る様子は、とてもではないが淑女がするような真似ではないのが、どうにもおかしく、けれども有り余る程の魅力のあるお誘いであるのは間違いなかった。
――それでも。
「ごめんなさい皆さん」
到底その気にはなれず。マックイーンはありもしないリハビリの約束がある事を伝えていた。
スピカの皆は……当事者ではない彼女達は、我々に何があったかを深く突っ込む事もなく、静かに心配をしてくれているというのに。何という体たらくだろうか。何という背任であろうか。ほとほと、自分に嫌気がさしてくる。
「……」
「……」
「……ジロジロ見ないでくださいまし」
「ひどくないかい?」
無気力な表情でこちらを眺めていたタキオン、その顔が隠れるように教科書をたてかけると、マックイーンは今日で何度目かになるため息を漏らすのだった。