曲がらぬ夢と曲がれぬカーブ   作:月兎耳のべる

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第15レース 赤いサルビア

 サイレンススズカの一日にブレというモノはほとんどない。

 

 自他共に認める、心優しい友達の誘いがない限り、彼女の私生活はランニング過多な(本人はそう思っていないが)決まりきった一日を続けていく。

 それは彼女がルーティーンを愛している訳ではない。ただ好きな事を中心に動くと決まって同じ行動になってしまうだけなのである。

 

 サイレンススズカは『走る』という行為を愛している。

 

 それは学園内外問わずの共通認識であり、過激なトレーニング、その合間のたまの休みでさえリフレッシュ目的でランニングに出かけるのは、ウマ娘ひろしと言えどスズカぐらいではないだろうか。

 

 サイレンススズカは一人で走る事が大好きだ。

 

 勿論知ってる人と一緒に走るのも好きだが、子供の頃、美しい草原を一人っきりで走る快感を覚えて以降、彼女はたびたび往く道を独り占めしたがる癖が出来てしまった。

 それは新雪を真っ先に踏みに行くような好奇心ではない。ただ視界に広がる空間を、この景色を。自分だけが占有したいと言う子供じみた欲望だ。

 

(今日はとってもいい天気ね……)

 

 季節は秋真っ盛り。熱の籠もる体を撫でる、色なき風がどうしようもなく気持ちがいい。

 原生風景を視界に収めながら気の(おもむ)くままに走る。

 ただそれだけでスズカの心は高揚し、もっともっと走りたくなってしまう。

 

 休日、いつものように外出許可を得て遠出をしたスズカは、人通りの全くない、お気に入りの場所に来て、その全身で景色を堪能していた。

 

「……奇麗」

 

 鼻をつん、と刺激する土の香り。さわさわと心地の良い草木の囁き。

 黄金色の巨大カーペットが敷かれた田んぼは、風に揺られて一斉にお辞儀をしてくれる。

 自分のためだけに舗装されたあぜ道を往けば、晴れ模様の天気は瞬く間に紅葉の小雨へと早変わり。体に触れるか触れないか、ちらりふらりと舞い落ちる葉っぱの中を走ってゆけば、おのずと足取りは軽くなって、踊り出したくなる気分に変わっていた。

 

(ふふ……楽しいわ。いつまでも、いつまでも走っていたくなる)

 

 ちょっと前にあった()()()()も、こうしているだけで忘れられる。

 ふさぎこんでしまったあの子達にも、この素敵な場所を教えてあげようかしら。

 でも、ここは出来るなら一人で走りたいし……うーん……。

 

 ――そんな事を考えていた時である。

 スズカは行く先に自分以外の誰かがいることに気付いた。

 ウマ娘の鋭敏な五感は、それが自分と同じ目的の人物であることを容易に見抜いていた。

 

(……ここは素敵な場所だものね)

 

 スズカは納得すると同時に少しだけ残念な気持ちになった。ここは自分だけの特等()ではなかったのか、と。

 しかしながらここを走る場所として選んだのはお目が高いと素直に思った。

 人に聞いても知らないと言われるこの場所で走る人物に少しだけ興味も出てきたことだし、お話出来ないかしら、とスズカはペースを上げていく。

 

 そしてその矢先に、おや、と思ってしまう。

 何故ならば先行するその人が、どこかで見たことのある走り方をしていたからだ。

 

 学園の誰か? 違う。同期の誰か? 違う。チームメンバー? それも違う。

 長い両足を大きく、力強く振って距離を稼ぐような走り方は、同じウマ娘では見たことがない。なのに、頭は見たことがあると断じている。

 

 好奇心がスズカの足に力を授ける。

 

 追随する意思こそなかったが、スズカが無意識に距離を縮めていけば、相手もこちらに気付き、そして抜かされまいと速度を上げていく。すると必然的にスズカも速度を上げてゆく。

 速度は20キロ――30――40キロと加速してゆけば、ランニングという形式は瓦解し、徒競走という形に自然とシフトしていた。

 

「――ッ!」

「……」

 

 目の前の人物はもの凄く必死に走っている。

 両手両足をこれでもかとストロークさせる仕草は、まるでスタミナの切れたツインターボを思わせる。

 スズカとしてはまだまだ余裕があるので、いつもの癖でスリップストリーム*1を利用して相手の背後につき、じろじろと眺めてしまう。

 

 (とっても体格が大きい人ね。ここには練習に来たのかしら?)

 (舗装もされてないし、ダートコースの練習には丁度良さそうだものね)

 (あっ、でもこの人そもそも耳や尻尾がないじゃない)

 (人間……だったのね。ここまで速い人間がいるなんて。少し驚いたわ)

 (このまま仕掛けちゃおうかしら。でも通りすがりだし、いきなりはダメよね)

 (ただ……何だかこの人の事を知っている気が……気のせいかしら)

 (そろそろカーブみたい。山道のカーブってわくわくする。ブロックもしてないようだし、先お邪魔しちゃおうかしら。)

 

 勿論スズカに悪意は欠片も存在せず、むしろ楽し気だ。

 しかし先行する人物にとってはたまったものではない。

 どこからともなく現れたと思えば、ぴったりと背後について追いかけてくる謎の人物。そんなの恐怖しない訳がない。

 

 先行人物はすぐ傍に迫る、なだらかなカーブを前にして、後ろを振り切ろうと全力で侵入し。

 

「あっ」

「――嘘でしょ?」

 

 なだらかなカーブを曲がり切れずに、凄い勢いで転倒するのだった。

 

 

 

 § § §

 

 

 

「……本当に、本当にすみません。怪我は大丈夫ですか?」

「……大丈夫だ。慣れている」

 

 スズカとその人物は、近くにあったベンチに二人して座り込んでいた。

 派手に横転したその人間は、外傷こそあったが擦り傷程度で、全く持って大きな怪我はなかった。かなりのスピードが出ていたと言うのに、とんでもない頑丈さである。

 

「すみません。この場所で走っている方が物珍しくて……つい」

「……いや。こちらも逃げるような真似をしてすまない。少し動揺してしまった」

 

 二人とも積極的に会話をするタイプでないのか、謝罪が終わると途端に静寂が訪れてしまう。

 スズカは怪我をさせてしまった手前勝手に立ち去るのは心苦しく、目の前の人物は特に気にしてないが、こうして座り込んでいるウマ娘に何を言っていいのか迷い、そして戸惑っていた。

 ただ――二人はお互いに既視感を覚えていた。

 

 この人(ウマ)はどこかで見たことがある。

 か細い記憶を手繰り寄せていけば、もしかしたらわかるのでは?

 

 そうしてこうして苦々しい沈黙を纏い始めた二人。

 先に思い出すのは一体誰か。緊張のレース。そしてその結末は――まあ、同時であった。

 

「あの」

「あの」

 

 互いの顔に朱がさし。直後、不毛な譲り合いが始まる。

 どうにかこうにかして先手を譲られたスズカは、こう告げた。

 

「あの……ひょっとして、貴方は――ウマ娘の幽霊さん、ですか?」

「……そう言うキミは、サイレンススズカ……でいいかな?」

 

 スズカはその走り方から。

 そして人間は、スズカの足の形から。

 

 思い思いの記憶が、互いの答えを導きだしていた。

 

 二人はその答えに同時に頷き、そしてまた思い思いに照れ始めた。

 何を隠そう、ここに居たのはジェシー・応援(オーエン)本人であった。

 学園から去ったジェシーは、人気のない僻地で人知れず走っていたのである。

 

「どうしてこんな所に……」

「……その台詞は自分も聞きたい所だが」

「えっと……私はここに走りに来ました。貴方は?」

「……自分もここに走りに来た」

「そうでしたか……お、同じですね……」

 

 そして再度訪れる耐えがたい沈黙。

 スズカは居心地の悪さにやきもきし、そしてこれ以上()()()()()()()()()()()()()()()を悩みながら、どうにか話題を絞り出す。

 

「その……今日はあの被り物はしないんですか? 動物の顔みたいな……」

「……」

「あ。もしかして……夜にしか被らないんでしょうか?」

「……そういう訳ではない」

「そうですか……なら、ちょっとだけ残念です。私、あの動物が気になっていたので。あれは、一体どういう動物で――」

「存在しない」

「はい?」

「そんな動物、存在しない。そして、もう被ることはない」

「……」

 

 ジェシーの表情は途端に曇り、三度(みたび)の沈黙が二人の間に広がる。

 スズカは悪手を悟っていた。

 メジロマックイーン、ゴールドシップ、トウカイテイオーの3人がとある事件で謹慎処分になったのは記憶に新しい。そして、その事件の中心に居たのが、ジェシーであるという事も噂では聞いていた。

 当の本人達や生徒会からは緘口令(かんこうれい)が敷かれていたようだが、噂というのはあっという間に広がるもの。スズカも、おぼろげながら事件の全容は知っていた。

 

 そんな事件の中心人物にどうしてあんな事を聞けよう。冷静に考えて避けるべき話題なのは間違いようがなかった。

 

(ど、どうしよう、怒らせてしまったかしら……この件で逆上して、私の事ももしかして――)

 

 少しだけ怯えの表情を見せ始めた所で、ジェシーが声をかけてきたのだから、スズカはびくっと体を跳ねさせる他なかった。

 

「……唐突ではあるが。聞きたい事がある」

「は、はひ」

「……? ……その。……マックイーン達は、元気にしているだろうか」

「……」

 

 思わぬ質問に、スズカは少し戸惑ってしまう。 

 彼女の中ではジェシーという人物は、間違いなく悪者である。

 用務員という立場を利用し。深夜の学園にたびたび忍び込み。

 謎の被り物をつけてはウマ娘達を驚かせる。

 あげく、マックイーンらを懐柔あるいは脅し。

 深夜のコースを我が物顔で走り回り。

 その横柄な振る舞いが故にマックイーンに怪我を負わせ。

 生徒会に捕まり。そして学園を辞めさせられた人物だ。

 

 そんな人物に、どうしてマックイーンの事を伝える必要があろうか。

 

「元気にしてますよ。マックイーンちゃんは」

 

 ……そこまで言って、スズカはあれ、と思ってしまう。

 

「……足は。足のケガは治っただろうか?」

「大丈夫ですよ。もう包帯も湿布も取れてました。遅れを取り戻すぞーって張り切って練習してます」

「そうか……トウカイテイオーや、アグネスタキオン、ゴールドシップはどうだ?」

「テイオーちゃんも、タキオンさんも元気です。ただゴールドシップだけは……不調かもしれませんね」

 

 答えるべきではない筈なのに、口からすらすらと言葉が出てくる。

 会話を打ち切ってこの場を後にしてもいい筈なのに、どうしてかこの人との話を辞めたくないと思っている自分がいた。

 

「……そうか。そうだろうな。怒っているだろうな。アイツは」

「いえ。焦って、思い詰めて……そして悲しんでいるように思えました」

 

 多分この人は評判通りの悪い人ではない。スズカは自然とそう考えていた。

 がっしりとした体格や厳めしい顔は威圧感もある。けれど物腰は弱く。そして態度は非常に繊細だ。

 見て分かるくらいにしょげる様は、無害な草食動物を想起させるくらいだった。

 

「何故だか分かりますか? あの子は……きっと貴方を探しているんだと思います」

「……私に、彼女らに会う資格はない」

「どうしてですか?」

「……それが学園との取り決めでもあり、メジロ家との取り決めでもあり。そして個人的なケジメでもあるからだ。大人になりきれない子供の私が彼女達と会ってしまえば、また取り返しの付かない事をしてしまうかもしれない」

「……」

「……もう私は会うべきではないんだ」

 

 ベンチに項垂(うなだ)れたジェシーに、スズカは返す言葉も見つからない。

 理由は分からない。きっと深い事情はあるのだろう。そしてこれ以上、ジェシーにかける言葉は見当たらない筈だった。

 しかし。すぐにでも壊れてしまいそうな程追い詰められたジェシーを見て、スズカは何かをしてあげたくなった。

 それは怪我をさせてしまった負い目から? 同情から? 庇護欲から? ……分からない。分からないけど、どうにかするべきなのだ。スズカの心は、謎の使命感に燃え始めていた。  

 

「幽霊さん……いえ、足もあるのに幽霊はおかしいですね。お名前は?」

「……ジェシーだ」

「ジェシーさん。良かったら少し、歩きませんか?」

 

 スズカの優しい問いかけ。

 ジェシーは少々の悩んでいたようだったが、間をおいて頷いた。

 

 

 

 今二人がいるのは小高い山。その中腹である。

 標高500mもいかない山。というより、丘。その天辺目掛けて二人はゆるゆると歩く。

 赤と黄と茶のコントラストに染まった地面。木々の間から指す木漏れ日は、涼しさも相まって心地が良く。スズカは両手を広げて新鮮な空気を取り入れていた。

 

「この場所にはよく来るんですか?」

「いや……今日、初めて来た」

「あら。ならここでは私の方が先輩ですね。この辺りは私のお気に入りの場所なんですよ」

 

 のびのびと。急かされることもなく歩いてゆく。

 会話の有無は関係ない。ひたすらてくてく。てくてくと。

 歩けば歩く程飛び込んでくる美しい景色の数々に、ジェシーもまた気圧されていた。

 

「ここで走るのって、リフレッシュに丁度いいんですよね。相手と競い合うのは嫌いじゃないですけど。競うのを抜きにして歩くのも素敵だと思いませんか?」

「……あぁ」

「ふふ」

 

 緩やかに続く坂道はさほど歩いていないと言うのに、もう終点に近いようだ。左右を囲んでいた木々のカーテンは徐々に少なくなってゆくのが見える。

 この先に何があるのだろう? ジェシーがそのように疑問を呈した時急激に視界が開ける。

 

 そして、自分が別の世界に踏み入れた事をジェシーは実感した。

 

 視界すべてを埋め尽くす唐紅(からくれない)色の世界。

 それは一面に広がるサルビアの花畑であった。

 

 誰かが植えたのだろう。管理こそされていないが、千々に咲き乱れるその光景はジェシーの胸に万感の想いを抱かせた。

 

「どうですか? ここの景色は」

「……凄いな」

「本当は私だけの秘密にしようと思ったんですが……ちょっと教えてあげたくなっちゃいました」

 

 悪戯めいた笑みを見せるスズカに、ジェシーも思わず相好を崩してしまう。

 

 夢を手放さざるを得なくなった事で、必然的にイライラを募らせていたジェシー。

 しかし愚直なまでに人生を歩んできたツケか。走る以外の発散方法を、ジェシーは持ち得ていなかった。

 それがどうだろう。どれだけ走っても晴れなかったモヤモヤはすっかりと消え失せているではないか。

 

 先ほどまでの悩みをすっかり忘れて魅入る。

 「あの」とスズカに声をかけられるまで、ジェシーは現実に戻れなかった。

 

「あ……すまない。見とれていた」

「ふふ。そこまで気に入ってくれたなら何よりです。私も大好きな場所なんですよ」

「……キミが気に入るのも当然だな。草木を愛でる趣味もないと言うのに……恐らく、キミが声をかけなかったら一日中立ち尽くしていたかもしれない」

「そこまで言われると照れますね。それで、どうでしょう?」

「……? 何がだ」

「ちょっとはモヤモヤ、晴れましたか」

「……」

 

 子供に気を遣われてしまった事が、どうにも気恥ずかしい。

 認めない訳にもいかない。さりとて全面降伏はしたくなかったジェシーは、視線を逸らす事で応える。しかしばっちり意図を読み取られ、より優しい微笑みで返された事で完全に大人の面目は消えてなくなっていた。

 

「貴方が何を悩んでいるのか。私には分かりません」

「ただとてもお節介かもしれませんが……その悩み、私も知りたいな、って思いました」

「解決出来るとは思っていません。そして解決できる自信もないですが」

「もし時間があるなら……貴方の悩み、教えて頂けませんか?」

 

 さぁ、と涼し気に揺れる秋桜の中で。

 ジェシーは観念したかのように首肯したのであった。

*1
ウマ娘の真後ろにつき、空気抵抗を抑える事で速度を更に上げるテクニック。


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