曲がらぬ夢と曲がれぬカーブ   作:月兎耳のべる

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第16レース 過去。

 ――――ジェシー・応援(オーエン)は日本人の母親とアメリカ人の父の間に生まれた、日本生まれのアメリカ系日本人の、人間だ。

 

 妹であるジェシー・海桜(みお)とほとんど同時期に生まれた二人は、貧しい家庭ながらも両親の愛情を目一杯受けてすくすくと育ち、母と父が日中または夜まで忙しなく働いている中、周りの子供達と同じようにあるコンテンツに夢中になっていた。

 

『月間●×△■コミック ~ウマ娘特集!~』

『速報です────が秋の天皇賞を制覇。三冠達成まであと1歩となりました!』

『渡米した────、凱旋門賞ならず! 無念の悔し泣き!』

『さぁいった、後方から差していく────! 速い! 速い! 最後尾から一気にごぼう抜きだ!』

 

 戦後、一定の人気を誇っていた競マという競技は、当時では既に世界を揺るがす一大ムーブメントだった。

 右を左も、前も後ろもウマ娘、ウマ娘、ウマ娘。

 人間と同じ骨格を持ちながらも、極めて優れた容姿に身体能力を持つ彼女達。その人では決して辿り着けない走りの極致に、人々は我も忘れて熱狂した。そしてそれはジェシー兄妹も同じであった。

 

「おぉぉぉぉ~~~~! いちいなるか! いちいなるか()()()()()()()()!」

「うああああぁぁ~~~~~! こうほうからおいあげるぞ、()()()()()! はやいぞ()()()()()~~!」

 

 メディア上で刻一刻と築かれる英雄譚を前に、感化された二人は日がな一日公園を走り回る。それは今も昔も決して珍しい光景ではなかった。

 子供達は誰もがウマ娘の速さ、恰好良さ、見目の良さに憧れ、アニメや特撮のヒーローや、ヒロインと同じくらい尊敬し、走り、抜き、勝つ瞬間を再現しようと必死になっていた。

 草野球と同じくらい草レースも行われており、ジェシー達は日夜同世代の子供達とも一緒になってはしゃぎ周り、架空のウマ名を名乗りあげて勝利をもぎ取ろうと必死になった。

 

『ちくしょーまた負けたー!』

『つえー! オーエンほんとにウマ娘みてーだな!』

『みおちゃんもすっごいはやい!』

 

 頑強かつ健康的な体に恵まれた二人は、こと人間同士の戦いではほとんど無敗であった。

 そして不運な事にもジェシー達の住まう地区にはウマ娘がおらず、彼らは常に人間同士とのレースに明け暮れていた。

 

 勝ちに勝ちを重ねれば、それはやがて自信につながる。

 ジェシー達はメディアで持て囃されるウマ娘達に自分らを投影させ、ゆくゆくはあの広いレース場でウマ娘達と戦い、接戦の内に勝ち、家族や友達のみんなに凄いと言われるんだろう……などと根拠のない確信を育てていった。

 

 そんな彼女達のターニングポイントととなったのが小学校、秋の運動会であった。

 仮装レース大会という余興において、なんと現役ウマ娘が参加してくれると言う話が舞い降りたのだ。

 

「! お兄ちゃんお兄ちゃん! これ! これこれこれ!」

「え? なんだ? ……! ホントかコレ!?」

「うん、ホントだよ! ウマ娘がくるよ! 私たちと走りにくるんだよ!」

 

 無論ジェシー兄妹は色めきたった。

 他でもない現役ウマ娘――それも天皇賞を制覇した『メジロティターン』が来てくれるなんて!

 テレビや新聞でしか会えない彼女を倒すべき敵だと定め、二人は打倒『メジロティターン』を掲げて猛特訓し始めた。

 

「いいか海桜。アイツに勝つには生はんかなトレーニングじゃだめだ」

「わかってるよおにーちゃん……!」

「ほんとか? すっごい辛いトレーニングになるぞ。お前の嫌いな牛乳も飲まないとダメだぞ?」

「……うぅ、でも! まけたくないもん!」

「その意気だ海桜! それなら特訓開始だ!」

「おー!」

 

 夏休みを迎えた兄妹は、二人が頭を捻って考え抜いたトレーニングを実施していく。

 朝は早くから、夕方になるまで一日中体を動かす。内容は走るだけに留まらず、サッカー、水泳、テニス、バスケットボール……と考えられる限りの運動をこなしていった。

 出されたご飯は好き嫌いせずに全て食べ(両親の方針)、朝になるまでぐっすりと眠りこける。ソレの繰り返し。

 時に強化合宿だと称して親戚の家に遊びに行っては野山を駆け回って体を酷使した。

 

 傍目では遊び呆けて居るように見えるが、彼女達は本気だった。

 実際、よく遊び、よく食べ、よく休む事を繰り返すことで、前よりもスピードが出るようになったのだから二人の自信はさらに高まった。

 

 そんな日々のトレーニングをこなす一方で、ジェシー達は仮装の内容を決める必要もあった。

 体を動かすのは好きだが、創造は苦手な二人。

 案もなかなか出てこない中、二人の仮装はとある切欠で決まる事になる。

 

「みんなうまむすめの方が人間より速いっていうけど、わたしたちも速いもんね!」

「あぁ。なんなら特訓したおれたちのほうが速い。二人ならもっと速いさ!」

「でも人間よりも、うまむすめより速いなら、わたしたちなんてよばれるのかな?」

「え? えーっと……なんだろうな」

「うまにんげん?」

「おれたちはうまじゃないぞ。でもふつーの人間っていわれるのも、なんかやだな」

「うーん……あ。おにいちゃん……アレ」

「え?」

 

 その時テレビに映ってたとあるバラエティ番組。そこでは面白おかしく都市伝説を吹聴しており、ナレーターが声高にとある単語を使っていた。

 『UMA』。意味は未確認神秘動物――世界に朧げにしか痕跡を残さない、存在()()()()()()動物達のことであった。

 

「ねえねえお兄ちゃん! 『ゆーえむえー』だって!」

「へぇ~……変なの! ゆーえむえー……でもいいかもな」

「よし決まり! ゆーえむえーだ! おれたちふたりでゆーえむえー!」

「おー!」

 

 幼い二人は、その意味こそ理解していないが響きをすっかり気に入り、人間よりも、ツバメよりも、チーターよりも、新幹線よりも、そしてウマ娘よりも足の速い『ゆーえむえー』という特別な存在を作ろうとはりきった。

 

 練習の合間、二人はこれまたあーでもない、こーでもないと考え込んだ。

 滅多に行くことのない図書館で、動物図鑑を借りてにらめっこをする。私達は二人で一人。一緒に走らないとダメだ。なら四足歩行にしよう。私は犬が好き! おれはクジラが好き。と好きな要素を出し合って取りいれる。

 ダンボールを貰う。家庭ごみから利用できるものを探す。時に少ないお小遣いを出し合って理想の体を作り上げていく。ウマのような耳はダンボールと折り紙で。クジラのような大きなおめめはプリンの容器で。四本足はお母さんの茶色のタイツで代用し、たくましい体はダンボールで再現。ふわふわの尻尾は千切ったビニールテープで再現すれば、『ゆーえむえー』の出来上がりだ。

 

 そのフォルム、形状は我々がよく知る現代の馬そのもの。

 しかしこの世界の人間からすれば、見たことのないヘンテコな生き物に過ぎなかった。

 

 問題はこの生き物が四足歩行――縦に連なって同時に走ると言う行為を必要とすること。

 これには流石の二人も苦戦したが、練習をしていくうちにコツを掴み、直線でそれなりのタイムを残すことは出来ていた。

 

 

 そして来たる当日。秋の運動会。

 

 

 初めて出会うウマ娘を。敵意爛々の目で必死に睨みつけながら、ジェシー達はレースに挑んだ。

 

『――続く7番ゲートは『ゆーえむえー』! 茶色の肌に四足歩行! 巨大な犬のようなオリジナルの怪物姿で出走です! こちらジェシー兄妹が一週間費やした手作り仮装! 出走者も同じく二人三脚です!』

 

 天気は上々、自信は満々、体調なんて絶好調。

 兄妹はレースの勝利を全く持って疑っていなかった。

 数分後には周りの皆から賞賛の嵐を受けるだろう。

 それは核心にも近い自信だった。

 

 だというのに――その結果は惨敗だった。

 

『ダンボールの体が、体がねじれっ……千切れてしまったぁ! 『ゆーえむえー』転倒! 大きくもんどりうちましたがジェシー兄妹大丈夫でしょうか!?』

 

 まさかまさかの最初のカーブでの転倒。

 それは考えられる限り最悪の結末であった。

 

「っく、ひっく、ひっく……――ふええぇええぇええぇぇん!」

「うわあああぁぁああぁあぁぁん!」

 

 あれだけ特訓したのに実力を発揮することはなく、一ヶ月かけて作った仮装はバラバラに壊れ、ウマ娘どころか負ける方がおかしいと豪語していた他の子に抜かれに抜かれた。

 二人はそれはもう恥も外聞もなく大泣きした。

 

 屈辱だった。

 久しくなかった敗北がまさかの大舞台であったことも、ウマ娘に負けたことも、同世代の友達に負けた事も。そして何より悔しかったのは、打倒を掲げた相手が、わざわざ自分達を支えて一緒にゴールしてくれた事だった。

 

 それが優しい行為だとは思わなかった。思いたくなかった。

 勝とうと思えば勝てるのに、手を抜くどころか手を差し伸べる事、そして自分達がドベになりながらも拍手で迎えられたこと。その全てが悔しくて悔しくて仕方がなかった。

 

『次は……ぐすっ、次はぜったいに、お姉さんよりも、ウマむすめよりも……だれよりも、だれよりもはやく走ってみせるもん!』

『! ……そっか。それならまた一杯練習しないとね』

 

 手を差し伸ばした彼女に二人は泣きながらも宣戦布告をした。

 所詮子供の戯言だ。メジロティターンがどう思ったかは分からない。

 だけど、彼女は『今度は一緒に勝負しよう……私も負けないからね!』と確かに告げてくれた。

 

 メジロティターンにとっては子供を納得させるための、ただの方言だったかもしれない。

 だけど二人にとってはただの口約束でもない。人生をかけた約束に違いなかった。

 今度こそ無様な真似を晒さぬように。二人はその胸に覚悟を刻み込むのだった。

 

「お兄ちゃん、ジョギング行くよ!」

「あぁ!」

 

 それからと言うものの、二人の日常は激変した。

 打倒メジロティターン――いや、打倒ウマ娘を掲げて日々練習。

 朝から夜まで筋トレとランニングを繰り返しては、さらなる速さを求めた。

 

 毎日の練習の傍ら他の町の公園まで遠征し、そこでウマ娘を見かけてはレースをねだり、敗北して、都度大泣きした。その度に周りからは「ウマ娘に勝てる訳ないじゃん」と時に諭され、時に罵倒されたが二人は決してめげなかった。

 

 幸いにも二人の地頭は悪くはなかった。

 がむしゃらに走るのではなく、敗北を分析し、何が足りないのかを考える力があった。

 両親は練習漬けの二人にほとほと困り果てていたものの、その目標を否定することなく、諦めずに頑張って見なさいと優しくサポートしてくれた。

 

「ほら、二人ともそこに並んで。写真撮るわよ~」

「こ、こうか?」

「あはははは、お兄ちゃん笑顔硬いってば~!」

 

 そして――ジェシー兄妹は中学生にあがる。

 二人は当然のように陸上部へと入部した。

 

 小学生時代一度も勝ち星を挙げられなかった事から、自らの力量に疑念を抱いていた二人であったが、改めて他の人間と戦って自分達がどれだけ成長したかを実感した。

 今の今まで走りに人生を費やしてきた二人は、同世代の中学生達の中では比類なき速さを持っていた。

 その実力からジェシー兄妹の名はあっという間に他校にも広まった。

 

 『陸上界きっての期待の新人』『二対の彗星』

 それが二人を示す言葉になるのに、時間はかからなかった。

 

 兄は短距離。妹はスタミナ分野で才能があることが発覚し、50m走はもとより100m、200m、1500mと短距離、中距離問わず中学のレコードをどんどん塗り替えてゆく。

 両親も、友達も、学校も、周りも。二人に推しみない賞賛を送り、ジェシー達はここにきて初めて勝利の美酒に酔いしれた。

 しかし、当然ながら二人はソレで満足する訳がなかった。

 

「「コーチ、俺(私)たちはウマ娘より早く走りたいんです!」」

「お前たちは何を言っているんだ?」

 

 そして同じくらい当然ながら、二人の真なる目標は聞いた傍から一蹴された。

 

『常識が分からないのか?』『馬鹿な夢を見るな』

『ウマはウマ。人間は人間同士で競い合うものだ』

 

 様々なコーチの元に足繫く通っていったが、誰もが揃ってその夢を諦めろと口酸っぱく言った。

 ただ二人の決意は見かけよりも深く、重いものだ。決して諦めようとはしなかった。

 

 絶対にウマ娘よりも速くなってやる。

 ゆくゆくはメジロティターンに勝つ。

 そして我らが『ゆーえむえー』の名をこの世に知らしめてやる。

 その気持ちだけは日々膨らんでいった。

 

 学友との交流を経て、最低限の礼儀というものを弁えだすと、小学生の頃に比べてぐっとウマ娘への挑戦数も下がった。しかしながらここぞという機会は二人は絶対に逃さなかった。

 例えば草レース、地方のウマ娘学校の催しなどは二人にとって丁度いい『本番』でもあった。

 ウマ娘の群れの中にまざって人間がレースをするなんて異例中の異例。しかし二人は恥を忍んで挑戦した。そして全てで敗北した。実力をつけた筈だった。それでも結果は大きく差を離された上での惨敗を繰り返した。

 

「なんで……なんで勝てないのよ!」

「……くそッ」

 

 二人は絶望した。

 陸上部では比類ない才能と持て囃された。

 インターハイでも優勝をした。

 それでも、それでもなお! これだけの開きがあるのか! と。

 

 敗北を糧により一層の陸上練習にのめり込むジェシー達。

 しかし最近はその練習方法にも疑問を感じ始めていた。

 何故ならばコーチが教えてくれるのはあくまで対人間向けの練習であり、対ウマ娘向けの練習ではないからだった。

 それでも学のない自分たちよりかは信じられると、コーチを信じて練習に取り組み、そしてインターハイ種目を中学1年~3年の間、すべての大会に『ジェシー』の名を刻み、周囲の注目を集めた。

 

 しかしながら――この世界にはウマ娘がいる。

 いくら速く走れたとしても、その速さは所詮はウマ娘以下。

 世間のほとんどは誰それのウマ娘が走ることにしか興味がなく、二人を取り上げるメディアの数はそれはそれは少なかった。

 

 そう、この世界での陸上競技というのは、()()()()()だ。

 二人の名前も大きく取り上げられることもなく。

 ジェシーという名は一部にしか広まることは、なかった。

 

「……朝練、先行ってるぞ」

「うん。私もすぐに後から行くから」

 

 結局、人間相手では無敗のまま、ウマ娘相手には全敗のままで中学生活を過ごしたジェシーらは、スポ―ツに注力する高校の推薦を受けて進学する。

 裕福な生活ではなかったため、特待生の学費免除は彼女らにとってありがたかった。

 無論高校生になっても同世代の強豪達を簡単に跳ね除けた。二人の名は更に広まっていった。

 

『すげーな……ジェシー兄妹。中高無敗だっけ』

『あの健脚、最初の加速も素晴らしいが、最後の追い上げもまた凄まじい』

『本当勝てないわ、あの二人にだけは……あの才能だけでも欲しい!』

『二人はわが校の誇りだよ! きっと歴史に名を遺すだろう!』

 

 最強・最速の名を欲しいままにする二人。無敗のジェシー。オリンピックへの出場も確実。様々な誉め言葉を貰った。けれどそんな周囲の期待や賞賛を余所に、二人の心は冷えきっていた。

 周りの高校生は、はっきり言って遅いの一言。並び立つことなんて早々ないし、すぐに追い抜けるしで話にならない。なのにウマ娘相手には一度も勝てない。それどころか挑めば挑む程勝てるビジョンが見当たらなくなるのだ。

 様々な名コーチ(なんだったら現役ウマ娘のトレーナーにも)聞いて回った。しかしその解答は揃って『現実を見ろ』の一言で済まされた、二人はどうしても明るい気持ちにはなれなかった。

 

 人間とウマ娘とでは根本的に違う。

 それは分かっている。それでもどうにか勝ちたいんだ。

 この足で、自分だけの実力で! そう力説しても明確な答えは返ってこなかったし、勝てる訳がないことを理性的かつ論理的に諭された。ぐうの音も出せはしなかった。

 

「……ねえお兄ちゃん。夢は、夢でしかないのかな……」

「……」

「私たち、このままずっとウマ娘に勝てないのかな?」

「……勝てるさ。絶対に。だから諦めるな海桜。俺たちはまだ強くなれる」

「……」

 

 高校三年生にもなると、二人の心は全くと言っていい程空虚になりかわっていた。

 自分達が掲げた目的は一生果たせないのではないか。

 心配性の妹が不安を吐露すれば、兄が叱咤激励するのがお決まりだったが、高校生にもなると兄もその不安を払拭する自信がなくなっていた。

 

 そして――そんな二人に起きた悲劇。

 

 インターハイを優勝し、次はいよいよもってオリンピックだという所で両親が事故で亡くなった。

 原因は対向車線からの居眠りトラック。軽自動車に乗っていた両親は、揃って即死した。

 

「――やだ、おがぁさん、おとおさぁん! やだ、やだやだやだやだあぁぁあぁぁ――――!」

「……」

 

 突如舞い込んだ悲劇に、兄妹はひどく塞ぎこんだ。

 走る気力は大きく減衰し、周囲の期待には応えられないと、オリンピックは辞退することとなった。

 そして両親が死んだことを契機に、オーエンは大学への進学を断念。

 兄は妹を支えるためにアルバイトをして二人分の生活費を稼いだ。

 大学もまた推薦のため学費こそ心配なかったが、生活費はいくらあっても足りなかった。

 夢を諦める訳ではない、一時的に遠回りが必要になっただけだ、とオーエンは自分に言い聞かせた。

 

「『また優勝したよ!』か。頑張ってるようだな海桜……俺も頑張らないと」

 

 兄がアルバイトで明け暮れる一方。妹は兄の期待に応え、大会では何度となく優勝をもぎとった事で、ジェシーの名は陸上界隈を再び席巻しようとしていた。

 兄もまた妹に負けてられないと、アルバイトの合間合間で走り込みを続け、妹が勝てば自分の事のように喜び、そしてウマ娘とは大っぴらに戦えはしないが、想像を相手どって必死に対策を繰り返した。

 

 妹はこのままいけば再び、オリンピックの選手に選ばれる筈だった――しかしながら、悲劇は終わってはいなかった。

 

 今度は練習中に妹が骨折してしまったのだ。

 脛骨(けいこつ)の疲労骨折。重症であった。

 回復までに6か月かかり、そして治っても以前のように走れるかは分からなかった。

 

「ごめん、ごめんなさい、や、くそく、はたせなくって、ひっく、ごめんなさいっ、ごめんなさいっ」

「――――」

 

 病室ではらはらと涙を流し続ける妹を見て、オーエンは絶望し、世界を呪った。

 

 神様は何故私達にこのような過酷な運命を課すのか?

 ウマ娘より速く走りたいと願うのは、罪なのか?

 人間は、ウマ娘に勝つことは許されないというのか!?

 

 それからというもののオーエンは、アルバイトもやめ、走り込みも辞めてしまった。

 全てがどうでもよくなっていた。

 所詮人間ではウマ娘に勝てないなら、これ以上努力したって無駄じゃないか。

 一度そう思ってしまうと、気力など湧きようもなかった。

 

 世間がウマ娘に関心を寄せる中、一人だけ背を向け続けるオーエン。

 妹は怪我からの復帰以降どこか余所余所しくなってしまい、こちらからは数えるほどしか連絡をとっていない。もう何を話すとか、どう接するとか、そういうの考えることすら億劫だった。

 だから妹から逃げるように実家から逃げ、一人暮らしを始めた。一人で過ごし、毎日を孤独に過ごした。兎に角誰とも関わりたくなかった。

 

 ――季節はあっという間に春を過ぎ、夏を超え、秋を経て、冬を迎えた時、オーエンは自宅の掃除中にあるものを見つけてしまう。

 

「……! ……懐かしい。そうか、こんな所にあったか」

 

 忘れもしない、『ゆーえむえー』の被り物だった。

 ホコリを被り、当時の補修跡そのままのボロボロなソレは、今見ると酷く滑稽な顔をしていて、お世辞にも格好いいとは思えなかった。

 しかしオーエンはその被り物を見て郷愁の念を覚えると共に、小さな焦燥感を覚えた。

 

 大切な思い出を壊さなぬよう慎重に手に取り、そして被る。

 サイズ的にはギリギリなそれは、視界が塞がれた瞬間にぶわっと防臭剤と風化した紙の香りが充満する。

 ギシギシと今にも壊れそうな、心もとない質感。それでも昔は被るだけで誰よりも強く走れると信じていたな、と。懐かしんでいたのだが――不意に、オーエンは動きを止めた。

 

 透明なプラスチックの目玉越しにオーエンは確かに見た。

 ()()()()()()()()()()()()()

 

 当時の温度。当時の湿度。

 土の臭い、流れる景色。風触り、披露。

 心臓野跳ね回る感触。すぐ後ろにいる妹の息遣い。

 向かってくるカーブ。そして、色濃く残る敗北の味。

 一連の光景が、まざまざとオーエンの中に蘇っていた。

 

 それを見れたのは一度きりだった。

 しかし、オーエンの心にはその一瞬が強く、深く焼き付いた。

 両親は死んだ。妹は前と同じように走れなくなった。

 だからどうした。まだお前は走れるじゃないか。

 他ならぬ『ゆーえむえー』がそう言っているようにしか思えなかった。

 

「……!」

 

 鼓動が強まっていく。

 今までどこに隠れていたんだと思うくらい、全身に熱が伝わっていく。

 あの約束は夢は、まだ果たせていないじゃないか。まだ自分たちの夢は終わっていないじゃないか!

 

 そう考えた瞬間いてもたってもいられず、オーエンは外へと飛び出していった。

 自分の体は、久々であるというのに待ちかねていたと言わんばかりに応えてくれた。

 居住地を抜け、土手を走り、周りの目も忘れて風を切って走りながら、オーエンは感じた。妹が居なくても、一人だけでも。それを被っていれば、自分はいつでも『ゆーえむえー』なのだ、と。

 

 ――それからと言うものの、オーエンは練習の時は必ずその被り物をするようになった。

 疎遠になりかけた妹に覚悟のほどを伝えてからは、昼はアルバイトをしながら夜は公園や色んな場所を走り抜く。

 最早人間相手のコーチは信じることは出来ない。自分の体を信じ、本を読み漁り、すべての糧を自分に費やした。

 

 だが体はあっても知識は足りない。特に、敵となるウマ娘の知識が。体の作りも、考えも、テクニックも何も自分は知らないじゃないか。

 故に、最高峰の施設、最高峰のウマ娘達が集う学園であるトレセン学園に勤めることを考え付くのであった。

 

 

 

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