視線を時計に映すと午後の15時を回る所だった。
ここに来たのが昼過ぎだから、すでに2時間近く話し込んでしまったのか、とジェシーは驚く。びっくりするほど饒舌に話してしまったとも。
それもこれもサイレンスズカが聞き上手なのがいけない。
スズカは――言語化しづらいが、その儚げな雰囲気がそうさせるのか、シスターを相手にしたかのように何もかも告白したくなるような気分になってしまった
ぽつぽつと表面的な悩みを吐露するつもりが、お陰様で過去まで洗いざらい語っていた。
それとも……自分は語りたかったのだろうか。
こんな情けない生き方をしている自らの事を。
ちっぽけな被り物を拠り所にして、
ただウマよりも速く走りたいと願い。
一人で醜く足掻く、未確認生物の事を。
ジェシーはそこまで考えて、自嘲した。
独り善がりな行動は危うく子供達の未来を閉ざしかけたのだ。今更何を許されようとしているんだ。
事の発端が彼女達によるものだとは言え、それを注意せず、言われるがままに従ったのは本当に度し難い事だ。自分は年だけ取った子供か。いや、子供でさえもっと分別があるだろう。
考えれば考える程、ジェシーは自分という存在に嫌気がさしてくる気分だった。
「そう……だったんですね。そんな事が」
「……聞き苦しい話ですまない」
「いえ。こう言ってしまうと失礼ですが、とても興味深い話でした。ジェシーさんの過去も。例の件についても」
「……」
スズカは決して話に茶々を入れる事はなかった。
痴話とも呼べるその話を、時折相槌を打ちながら深刻そうに受け止めてくれていた。
それだけでジェシーは救われた気分になった。
「あまり詳しい話は聞けなかったので。噂だけが広まっていて……何が本当なのか分からなかったんです」
「……失望しただろう? キミの友達に、私は酷いことをしたんだ」
「うーん……聞く限りではそうは思いませんでした。怪我の件だって元を正せばゴールドシップが無理矢理連れ出したんですよね? 『大人としての責任』を持ち出されると、私としては頷くしかないですけど……」
「……」
「結果論にはなりますが……マックイーンちゃんもピンピンしていますし。そこまで気負う必要はないのかな。なんて思っています」
好意的に捉えてくれるが、それは同情を買うような言い方をしてしまったせいなのだろうとジェシーは捉えた。少し曖昧な表情をしていると、スズカは少し慌てた。
「別に慰めでいったとか、そ、そういう訳じゃ……ただの意見です。あの、失礼な事を言いますけどジェシーさんは……なんと言いますか、自罰的なんじゃないかなって」
「……」
「何でそう思ったかと言うと、それは私もだからです……聞いたことありますか? どんな分野の人でも一流になればなるほど、原因と結果を論理的に捉える力があると言われているんです」
釈迦に説法かもしれませんが、と恐縮するスズカに、ジェシーも頷いた。
失敗は一流を一流たらしめる重要なファクターである。
そして一流と呼ばれる人々は大なり小なり様々な失敗を糧にしているのは間違いようがない。
勿論、ただ失敗するだけでは意味がない。
「一流と呼ばれる人は、失敗して落ち込む事はあっても諦める事はありません。二度と同じ失敗を繰り返さないように考えます。『どうしたら次は上手く行くか』『どうしたら次はミスしないか』、その『どうしたら』を紐解くためには、その原因を言語化する事が必要になります」
「言語化……つまり説明する力か」
「そうですね。脳は多機能ですけど、言うほど高性能じゃない。理解するためには物事を咀嚼する事が必要なんです。人は、それで初めて原因の理解と対策することが出来る」
けれども。
「説明出来るようになる、って事は、理解が進み過ぎるって事でもあります。そうするとある落とし穴に嵌ってしまうみたいです」
「……それが自罰的か?」
「その通りです。大なり小なり自分の失敗は、自分が起こすのが大半ですから……『何でこれが出来なかったんだ』『何であの時ああしてしまったんだ』『何故これが出来ないんだ?』なんて、自分を責めちゃうんです」
苦笑するスズカに、ジェシーはさもありなんと頷いた。
家に忘れ物をしてしまう、テストでケアレスミスをする。言われたことをすぐに間違えてしまう。準備不足。連絡ミス。言葉使いの問題といった、記憶ミスから習慣や本能に基づいたミスまで。
結局の所、自らの不手際が招いたミスは厳しく律して反復しないと治らない。しかし厳しく律するあまり、どこまでも自罰的になってしまう傾向もある。
「……ミスが嫌なんですよね。叱られたくないし、周りを失望させたくない。だから次は無くそう、次は絶対無くそうって癖みたいに考えちゃうんです。すると関係ないミスまで自分のせいに思えてくるんですよね。酷い時は、離れて食事してた子がお茶をこぼした時も、もしかして私のせいかも、なんて考えちゃったりも……」
「それは考えすぎかもしれないが、今回の件ははっきりと自分のせいで」
「本当にそうですか? ……いえ、そう思わないと許せないのかもしれませんね」
「……ううむ」
うんうんと訳知り顔でうなずかれると、これまた否定しづらい。
「勿論、自罰的なのが悪いって言いたい訳ではないです。そういう方は自己分析が得意ですし、欠点にも敏感なので……ええと、つまり何が言いたいかって言いますと、ジェシーさんはあまり自分を責めないで欲しいって事が伝えたかったんです」
「……」
「そしてこれは私のワガママになるんですが……マックイーン達に会って頂けませんか?」
「それは……」
駄目だ。
その3文字の決意をはっきりと紡ぐ事が出来ず、ジェシーは狼狽えた。
「私は会って欲しいと思っています。マックイーンちゃんもゴールドシップちゃんも。関係していた他のみんなも、まるでお日様が沈んでしまったかのようにしょんぼりしてる。見てるだけで、私も元気がなくなってしまいます」
「……」
「自分が許せないのはわかっています。ですが、ソレを抜きにしてもみんなジェシーさんに会いたいと思っていますよ。これは嘘なんかじゃないです」
「……会って、何をするんだ。罵倒の言葉を私に投げかけるのか?」
「糾弾するためとか、そういうのじゃないですよ。みんな貴方が悪いなんて思ってない筈です。みんな、貴方の夢に協力したいと願っているはずです」
「……」
「信じられませんか?」
「……」
ジェシーは困惑していた。
友好関係を築いたという自覚はあった。
しかしあの事件の夜、はっきりと彼女達を失望させるような事を言ってしまった。
費やして貰った時間と努力を否定し、傷つけた。
それは許される筈がないし、許して貰えると思えない所業だ。
なのに――会いたい? あまつさえ協力したいだなんて。
そんなの、到底信じられなかった。
「なんだったら今電話して聞いてみても」
「やめてくれ。彼女達とは通話しない……いや、出来ないんだ」
「……それは、ジェシーさんがそう決めたから?」
「学園側との取り決めだ。自分は、彼女達とは金輪際会わない、連絡しないと約束をしたんだ」
「そ、そんな取り決めをしていたんですか……!?」
「……彼女達の周りを納得させるためには、それだけ重い懲罰であることを示すためには必要だった」
「オトナの話……ですね。うぅん」
スズカは自らの人差し指を丸め、唇の間に挟むとうんうんと唸り出した。
スズカの意思は分かる。しかしながら(揺らぎこそしたが)ジェシーは会うべきではないと考えているし、これは学園とメジロ家に最低でも通すべき筋だと考えていた。
自分という存在は彼女達の人生にマイナスしか付与しない。ならばこれ以上、彼女達に関与すべきでないし、するのは許せなかった。
「分からない事があります。あの、もう少しだけいいですか?」
「……あぁ」
「学園側がそうしないと駄目だと決めたんですか?」
「……」
「……なるほど、分かりました」
「……何も言ってないが」
「意固地になっちゃったんですね。駄目ですよジェシーさん」
「……だから何も」
──実際、その提案はジェシーによるものだった。
生徒会および学園側がジェシーとマックイーンら双方の事情を鑑みた上で出した結論としては、ジェシーには厳重注意および2か月間の減給、ウマ娘達には反省文提出+2か月の清掃活動という非常に温い内容ではあった。
確かにジェシーにも罪はある。ただ今回は生徒主導の事件と言ってもよく、幸いな事にマックイーンの怪我が軽い捻挫で済んだ事がその一助となった。
しかしながらその沙汰に納得出来ないと抗議したのが当のジェシーだ。
深く反省した、というよりも反省し過ぎたジェシーは、その翌日には学園への退職願い、そして彼女達との連絡を断つという
勿論学園側は呼び止めた。今回の件を深く反省している事は理解している。なればこそ先ほどの沙汰以上を求めるつもりはないと。
それでも首を縦に振らないジェシーに、学園側も渋々了承した形だった。
「ジェシーさん。どうしたら自分を許せますか? いえ、どうしたら彼女達と会って頂けるんでしょうか」
「……無理だ。連絡しない、会わないと学園に伝えたんだぞ」
「でもそれを決めたのはジェシーさんですよね。学園側はそんな事、望んでなかったはず」
「自分はもう彼女達に会わない方がいい」
「どうしてですか? 貴方はそう思っているようですが、私は彼女達は会いたがっていると思っています」
「……これ以上、自分のような変人が関わり合いになっても益なんてない」
「有益か無益かは関わった本人が決める事です。それに、益があるかないかで交流するのを決めるなんて、空しい考えですよ」
「……」
「……」
何がなんでも会って貰います。と顔に書いてあるスズカに、ジェシーは戸惑うと共に段々腹が立ってきていた。
人の気も知らずにずけずけと。こちらがどのような思いをしているのか理解できないのか。
「会ったら……何が変わる? 何も変わらないだろう」
「変わります。彼女達は貴方との対話に飢えている。怒るかもしれません。泣かれるかもしれません。けれど、それ以上に喜ぶでしょう」
「彼女達は出会ったら、私の夢を続けさせようとするだろう。しかしその夢は既に閉ざされている。これ以上無駄な時間を省かせたくはない」
「マックイーンちゃん達は同情なんかで協力なんてしませんよ。勝算があったからこそ貴方を手伝ったんだと思ってます」
「勝算だと……? 逆に聞きたい、そんなものがどこにあったのか」
「タイムはそれでも伸びているんですよね。それならいつかは……」
「いつかだと? そんなもの、微々たる量だ! まだこちらはスタートラインにすら立てていないんだぞ!?」
「……」
「ただの一度も勝てたことはなかった。惜しいと思うような展開もなかった。全てに大差をつけられて悔しさだけが残った。それだけなら自らが傷つくだけで済んだ、なのに私は! 親しくなった彼女達も傷つけてしまった!」
「ジェシーさん……」
「そもそもが蟻がドラゴンに挑むようなものだったんだ……! あぁ、なんて愚かだったんだ。どうして俺達は早く気付かなかったんだ! 人生のほとんどを捧げた夢が、全くの無駄であり徒労だったなんて!」
「……」
「もう……もう、やめてくれ。私に期待させないでくれ。会っても代わらないなら……会わない方がマシなんだ……」
彼女達の力があればきっと何とかなる。
そんな漠然とした期待があった。
それくらい、彼女達には魅力と能力があった。
アグネスタキオンの
ゴールドシップの底抜けの
トウカイテイオーのストイックな姿勢は見習うに値し。
メジロマックイーンの
あの事件がなかったら虹の端に、指先一つ分だけでもかける事が出来るのでは。
今でも、心の片隅ではその思いが離れなかった。
「『人間がウマ娘よりも速く走る』……確かにおとぎ話のように聞こえる夢ですね」
「実際、おとぎ話だった。夢は夢のままで終わりだ」
「だけど……ジェシーさんは諦めていませんよね」
項垂れていたジェシーはその言葉に耳を疑った。
顔を上げれば、スズカの澄んだ目がこちらを覗き込んでいた。
「何を言ってるんだ……もう諦めたんだ! 徒労でしかないのなら害にしかならないのなら切るしかない! だから、彼女達と金輪際会わないようにした!」
「いいえ。口ではそう言っても諦めていないように見えます。そもそも諦めてるなら、何故私が来た時走っていたんですか?」
「気分転換に走っていただけだ、関係などない!」
「あります! 心の底から諦めてるなら走る事をそもそも嫌がるはずです! それに、聞きましたよ。『期待させないでくれ』って。ジェシーさん、貴方はまだ可能性があると感じている! 違いますか!?」
「っ、そんな事……!」
「頭では諦めたと思っても、心も体もそうは思っていない! ただマックイーンちゃん達への罪悪感だけがストッパーになってるんです。違いますか!? 違いませんよ! 子供みたいに駄々をこねても、私には分かりますから!」
まさしく有無を言わさぬ圧で迫るスズカに、ジェシーは思わず気圧された。
そしてスズカは一つ息を吸うと、その場で立ち上がり、鼻息荒くその場で足踏みを始めた。
「ジェシーさん、これから勝負しましょう。私が勝ったら彼女達に出会って貰います。負けたらなんだっていう事を聞きます」
「……まさかと思うが」
「そうです、レースですよ。ここから麓までの速度を競いましょう」
「っ、流石に一方的過ぎるぞ。それにそんなの勝てる訳が……!」
「諦めるんですか? それもまた結構です。なら皆さんに会って貰うだけですからね」
「大体の話、私に受けるメリットがなさすぎる。どうして受けなければならない!?」
「私の事を好きに出来ますよ。それでも足らないなら……」
「や、やめてくれ! そんな事一度も望んでないぞ!?」
ひひんひんひん。ぷるるるるる。と二人が言い争う。
ジェシーも頑固だが、輪にかけて頑固なのはスズカである。
こうと決めたら絶対に曲げないスズカを前に、形成はどんどん傾いてゆき。やがて──
「お願いします。会うのは一度だけでもいいです。ですから──ですから、勝負を受けてください」
大きく腰を折ってお願いするスズカに、ジェシーは結局押し負けた。
そして間もなく始まったレースは当然ながらスズカの圧勝。序盤から大きく差をつけ、その差は決して縮まる事はなかった。
しかしながら──勝負を終えたジェシーの表情は、何故だか知らないが晴れやかだった。