Fate/Accelerate night:間桐慎二のサーヴァント   作:倉之助

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 なにか、様子がおかしいとは思っていたんだ。ずっと、何か言いたげなこいつが。

 よそよそしいようで、過保護な態度が煮え切らなくて。

 こう言う気質のサーヴァントなんだと、思っていた。

 

 「慎二。私はあなたと話さなくてはいけない。」

 

 それに、わけがあるとは思ってなかった。

 僕とランスロット卿に接点なんてなかった。かけらも。

 時代も、生きた国も、血脈も。全部違う。それなのに、彼は、ランスロットは震える声で告げた。

 「私は、私こそが、前回の聖杯戦争で間桐家のサーヴァントだったのです。」

 そう言うことか、と。

 今更な真実に舌打ちをした。

 

 

 


 

 

 家を出てからしばらく。柳洞寺と魔術工房(じたく)のちょうど真ん中ごろに差し掛かった頃だった。

 僕もランスロットも道中無言で、「私に記憶はありませんが、きっと座には記録が残っているのでしょう。」とランスロットは告げる。

「私は間桐雁夜を知りませんが、その名前に懐かしさを感じる。」

 「へぇ」

 だからどうしたと告げたいのに、声が震える。無言の空間。静寂を切り裂いたのはランスロットの静かな声だった。

 「間桐雁夜の手記を読みました。」

 ランスロットは陰気な顔でそう言った。

 だからどうした。僕は、間桐雁夜のことは少しだけ知っていた。父が死んだ後、祖父以外の血の繋がりを求めた僕は彼を探したからだ。

 父が一度だけ、「殺したいほど憎い」と言っていた叔父。調べて、失望した。

 当主になれるにも関わらず間桐を捨てた男。なのに、恥知らずにも聖杯戦争に参加するために舞い戻ってきた凡俗で低俗な男。それが、間桐家にとっての間桐雁夜だ。

 「あっそ。だから、何?」

 結局、聖杯戦争にも負けてそのまま死んだらしい。結局、僕を肯定してくれる家族なんていう淡い夢想は泡沫と消えた。それを、今更。なんだというのだ。

 「あなたに、知って欲しかった。彼が、間桐雁夜が何を望み、聖杯を求めたのか。」

 「知らないよ。だって僕は叔父さんを知らないんだからさ」

 「ええ、そうでした!あの人は孤独だった!

  それを、それを…わたしは、贄と…!!」

 両手で顔を覆い、「ああ」と泣いているかのようなか細い声で言うものだから。僕は思わず聞いてしまった。

 「そんなに言うなら教えてよ。

 あの人は、何を望んだの?」

  軽い口調で言ったつもりだった。だけど実際の声は弱々しく震えていた。

  「それを読めばわかることです。」

 「……読めない。」

 怖い。なぜかそう思った。

 同時に僕は、この時確かに期待した。自分でもよくわからないけれど、何かに期待した。

 読んでくれとランスロットは言った。だけど、やっぱり僕はその手記をめくれなかった。

 結局、手記はランスロットの手に渡り、それは開かれる。書かれた文字はみみずが這ったようで酷く読みづらい。

「彼の願いはーーー」

 でも、ランスロットが震える唇で紡いだ言葉は僕の期待を裏切る。

 「…遠坂桜の、間桐からの解放でした。」

 頭を鈍器で殴られたような衝撃。僕の存在意義すら否定するような事実。

 ああ、そうか。やっぱり桜か、結局みんな桜なのか。

 桜、桜、桜、桜、桜!!

 突然現れて、僕が座るはずだった席に勝手に座り、その席に座れると思い込んでいた僕を勝手に憐れみ、見下していたあの女!

 あの女が現れたせいで父はより酒に溺れ、そして死んだ!死ぬまでのわずかな間だって、僕には家ですれ違っても目をそらすくせに、桜の部屋には訪れていた!祖父も、今まで以上に僕を空気のように扱って!

 衛宮だってそうだ。僕はあいつの“親友”であるのに!あいつは僕を選ばない!桜を選んだ!

 遠坂だってそうだ!いくら実の妹だからといって今は関係ないはずなのに!あいつばかり贔屓して、僕を蔑んで!

 その上、叔父まで桜!ああ、そうか!

 血の繋がった叔父にすらも僕は選ばれないのか!

 みんなみんな鬱陶しい、ムカつくんだよ、目障りなんだよ!

 桜がそんなにいいか、そんなに桜は優れているのか!?

 魔術回路が少ないから魔術は使えないなんて言わせない。僕は、賭けに勝った。

 マスターというエクストラクラスの最強のサーヴァントを召喚した。サーヴァントは僕に従順。

 (でも、それは“まやかし”だった)

 ああ、そうだ! 

 それでも、僕は、僕は!これ以上ないほどに優秀なんだ。間桐の後継者に相応しい人間のはずだった!

 それがどうだ。何もかも僕の手には残らない。地位も、友情も、なにもかも。僕の手のひらからこぼれ落ちていった。

 「ーーーっ!」

 無意識的に右手の甲に左手を添えた。令呪の跡がうっすらと残るそれに。

 この手の甲には、リツカと“全く同じ形”の令呪があった。魔力をもつ刺青のような痣が。

 あの魔術師( キャスター)はダミーだのマスターのためだの言っていたが、それでも構わなかった。

  「(たとえ令呪が、あいつの令呪を模した偽物の令呪でも!)」

 それでよかったんだ。本物じゃなくても満足してたんだ。

 ーーー昨日までの僕は。

 リツカとの繋がりを感じていた。切れることのない友情と彼女の友愛を甘受していた。

 令呪が偽物だと嘲笑われとも鼻で笑ってやれたし、それでもいいと言えた。使い切ったことに後悔もなかった。

 でも、それは忘れていたからだ。藤丸立香は、僕のサーヴァントだけど僕だけのものじゃない。立香がこの先もずっと、僕の隣に立っているなんてことはあり得ないのだと。

 そんな当たり前を、失念していた。

 そもそも立香はサーヴァントじゃないし、サーヴァントに偽装した生身の人間。聖杯戦争が終われば未来に帰還する、泡沫のような友人だった。

 アイツが僕をマスターと呼ぶのは『友人だから』という理由の前に『参加資格を得て聖杯戦争を停止させるため』という大前提がある。

 でも、令呪はもう無い。令呪と共に、参加資格も失った。本来のルールなら僕は聖杯戦争を敗退している立場の人間だ。

 だから、あいつはそんなことはしないと信じているくせに。心のどこかで、聖杯戦争の参加資格を失った僕をリツカは見捨てるんじゃないかと怯えてる。

 そして、レイシフトシステムのどうにもならない記憶の改竄についても。

 「(怖いんだよ。)」

 これ以上失いたくない。この記憶を忘れなくない。あいつと過ごしたひと月たらずで、得たものが多すぎるんだ。

 「へぇ、そうなんだ」

 だったらもう、知りたくない。これ以上何も知りたくない。なにも見たくない。ただでさえ一杯いっぱいなんだ。叔父さんの話なんて聞きたくない。余計なことで僕を煩わせないでくれよ。

 「だから、なんなのさ」

 青空も、かの騎士の顔も。全部見たくなかった。下を向いていないと立ってられなかった。

 乗り越えたと、思い込んでいた。立香があの家から僕を解放してくれたと思い込んでいた。でも僕は未だに間桐に、いやマキリに囚われている。だってこんなにも苦しい。だってこんなにも悔しい。

 僕の体に流れる血に、僕は裏切られてばかりだ。血縁も、血族も、なにも僕には優しくない。

 サーヴァントの使役システムを構築した間桐の誇りという名の呪いが、また僕の首を締める。

 僕は、僕が僕であるために。紛い物でも令呪が必要だったんだ。

  だって、令呪を失った今はーーー藤丸立香との縁まで消えそうで怖い。

 立香が人間だなんて僕はとうの昔に認めているし、立香が人間だからこそ彼女との日々は楽しい。

 「(リツカまで、僕を置いていく。)」

 記憶も、絆も。僕の手に何も残らない。

 嫌だ。消えるな。忘れたくない。

 僕のリツカ。お前だけが僕を見てくれた。僕を認めてくれた。なのに、僕の記憶から消えるなんてひどい裏切りじゃないか。

 帰らないでほしい。ずっとそばにいてほしい。聖杯にそう願ってしまいそうになる程、僕は藤丸立香に焦がれている。

 過呼吸になりそうなほど短い呼吸。睨むように頭を上げると、目の前の騎士が僕に古いノートを差し出した。どこにでも売っている大学ノートで、表紙は黄ばんでいる上に黒いシミで汚れていた。

 「これが、間桐雁夜の手記です。

 あなたはこれを読むべきだ。」

 騎士に促されて僕はノートを開いた。触れるだけで土ぼこりが立つ。一体これはどこに保管されていたんだ。

 見たくないと言いながら、僕は表紙をめくる。一行一行じっくりと読み込んで、その文字がもはや文字とは言えない記号になっていても、その文字を理解しようと必死に脳を回転させた。

 「は、はは。なんだよ、それ。」

 間桐雁夜の手記は聖杯戦争が始まる一年前から始まっていた。僕も覚えている。あの人が突然家に戻ってきてから、父さんの酒を飲む量が増えたんだ。

 ぺらり、ぺらりとページをめくる。

 雁夜おじさんが父さんとした会話。

 お爺様に対する暴言。

 だけど、それらが書かれたページはとても少ない。一、二枚だけなのだ。

 ページの大半を占めていたのは『桜』の名前だった。最初から最後まで。桜の文字が消えたことがない。僕の名前は無いのにさ。

 聖杯戦争の内容と、最初の数ページを読んで、読むのをやめた。この先はもう文字では無い。記号ですら無い。

 ぐちゃぐちゃの、ミミズのような線がめちゃくちゃに描かれてるだけ。文字なんかじゃ無い。

 というよりも、僕はおじさんの独白になんて興味がなかったんだ。

 先に前回の聖杯戦争について把握するため。そのために日記を読んだ。必要な情報が書かれているページだけをピックアップして、内容を読む。それだけで十分だ。おじさんの心境なんて、冒頭の数日間で十分わかった。

 ぱらぱらと、惰性で流し読む。見落としがないか雑に目を通して、そして。

 とある文章を目に入れた瞬間、怒りとともに続きを読む気がざあっと失せた。

 

 『慎二くんに魔力がなくてよかった。』

 

 僕の名前をようやく見つけたと思ったら、これか。

 なんだ、これは。僕をバカにしているのか?

 魔力がなくてよかっただと?

 なあ、間桐雁夜、お前に僕の何がわかる!

 魔力を持って、サーヴァントを召喚したあんたが!

 間桐雁夜、あんたは何がしたいんだ。

 僕はずっと前から知っていたよ、蟲蔵の存在と、間桐の魔術師のあり方を。

 だって、だって、お爺さまに見せられたから! 言われたから!

 僕はいつか蟲の餌になると知っていたさ!

 お前は魔力がなくてよかったなんていうけれど、魔術師にならなくてよかったなんて勝手に理想を押し付けてくるけど違うんだよ!

 魔力があろうがなかろうが間桐の人間の末路はみんな蟲のエサだ!

 だから、だからせめても魔力が欲しかった、失望されたくなかった!

 なのに、それなのに。僕のアイデンティティーを全て破壊する言葉を、よくもまあこんな残るものに遺してくれたものだ!

 僕は叔父さんが許せない。

 間桐らしくないその自己犠牲に満ちた行動が腹ただしく、かあっと血が頭に登る。だから、叔父さんの代わりに目の前の男を睨みつけて、は、と嘲笑った。

 「ははは!バッカじゃないの!危篤状態で一番魔力食うバーサーカー?

 死ぬに決まってんじゃん!勝てるわけない!」

 叔父さんはそんなに桜が好きなのかよ。死んでも良いって思うぐらい、愛してたのかよ。

 血なんて、一滴も繋がらないくせに!血が繋がった僕よりも桜を!!

 僕はまるで狂人になったかのように笑っている。言葉に出したくなんてないのに、口は止まらない。慟哭しているような自分の声は聞き苦しく、とても愚かに見えた。

 「違う。」

 目の前の男の声も、僕には届かない。信じられない。何を信じればいいというのだ。だって僕には誰もいない。

 家でも、学校でも、誰も僕を見てくれない。家では空気で、学校では倦厭され、近づいてくるのはバカな女かそのおこぼれが欲しい男だけ。衛宮だって裏切った。僕に友達なんていない。

 この身に流れる血だって、僕を認めてくれない!

 「みんな、桜、桜、桜。そんなに桜がいいのか。なんで、いつも桜ばっかり!

 お前も、僕を馬鹿にして…!」

 「違う!」

 「何が違うんだっていうだ!」

 「あなたは、間桐の人間のだれもが待ち望んだ存在だ!」

 「それこそありえないね!

 じゃあなんで、僕は誰からも愛されない!!」

 魔術回路がほぼないくせに、そんな僕を待ち望む?ありえない。そんなことはあるはずがない。

 間桐臓硯を失望させた僕など、だれが望むものか!僕をバカにするのも大概しろ!

 「あなたは勘違いをしている!」

「何が勘違いだ!」

 「少なくとも、間桐雁夜はあなたが生まれたことを喜んだ!」

 「侮辱じゃないか!」

 「間桐臓硯の贄にされた子孫らの500年に渡る呪いがようやく身を結んだのだと!」

 妙な熱気が渦巻いていた。怒り、哀悼、無念、後悔、懺悔、執念、呪い、呪い、呪い。

 どろりとした熱は僕らを取り巻き、目の前の白い騎士は取り憑かれたように高らかに叫ぶ。

 ランスロットは僕から日記をひったくると、最後のページを開いて僕に見せつける。

 「これを見てください! 」

  ページ一面の懺悔の言葉。繰り返し書き連ねられた『ごめんなさい』の文字。

 太い文字は、ペンで書かれたというよりも指にインクをつけて書いたようで。いや、そもそもインクなのか。

 鉄錆の匂いがする。気のせいかもしれない。恐る恐る触れてみると、ざらりとした感触に血の気がひいた。

 汚い字だ。読めたものじゃない。なのに、なぜ、読めるのだろう。

 

 ごめんなさい ごめんなさい ごめんなさい ごめんなさい ごめんなさい ごめんなさい ごめんなさい ごめんなさい ごめんなさい ごめんなさい ごめんなさい ごめんなさい ごめんなさい ごめんなさい ごめんなさい ごめんなさい

 

 あんたをおいてにげたおれをゆるさないで あにき

 だからこんどはあんたがにげて

 まとうはおれがつぶすから、しあわせになって

 

 全部ひらがなだった。誤字だらけだった。幼稚園児が書いたみたいなヘッタクソな文字だ。

 気が狂いそうになる文字は所々滲んでいて、そして後半になるにつれて黒いシミで全く読めないページがいくつも存在した。

  「(これが,脳も蟲に喰われた男の末路…)」

 はく、と息を飲んだ。そのページだけめちゃくちゃに破かれていて、セロハンテープで補修されている。そのテープも、年月を重ねて黄ばんでいた。

 きっと、これをやったのは父さんだ。これを読んで、破いて、直して、そして遠ざけたのはあの人だ。なんで、これをランスロットが見つけたのかはわからない。どこにあったのか。僕すら知らなかったのに。

 「意味わかんないよ…」

 間桐雁夜は、なにを考えていたのだろう。間桐桜のことだけ考えていたのではないのか。遠坂時臣に憎しみを重ねるのではないのか。

 なぜ、間桐を潰すなんて言えたんだ。どうやって潰すつもりだった。なぜ、お爺さまに逆らえた。

 「きっと、彼はあなた達を愛していた。間桐の宿業を憎んでも、兄のビャクヤと甥のシンジは愛していたのです。」

 だから、どうしたというのだ。結局この人は聖杯戦争を勝てなかった。お爺さまに負けた。今この瞬間はなにも変わらない。

 たとえあの時間桐から逃げられていたとしても、僕が幸せになれたとは限らないのに。

 「間桐の魔術は悲劇しか生まない!

 悍ましく、醜悪な魔術は潰えるべきだ!あれは、この世に存在していていいものではない!

 …間桐雁夜が、歴代の間桐家の当主たちが疎み、恨み、そう望んだように!」

 しん、と静まり返った。先ほどまでのどろどろとした興奮がすー、っと腹の奥に静まり、消えて行き、代わりになぜという疑問で埋め尽くされている。

 間桐雁夜だけでなく、歴代の当主が間桐の魔術を疎む?

 そんなはずはない。だって、魔術は美しいもので。

 そして、それを扱う彼らも美しいもので。

 だから、冬木の御三家の一角を担う間桐の魔術も美しいはずで。

 「(そう、思い込もうとしていたんだな、僕は。)」

 醜悪な魔術を知ってもなお、手が届かないそれを美しいと思った。

 何故だかひどく納得してしまう自分に吐き気がした。この身に流れる血が、目の前の男の言葉を肯定しているかのようにざわめいている。

 ああ、と今にも湖の底に沈んでいきそうな、悲鳴を飲み込んだような沈痛な声をあげて、地に膝をつき、嘆く男は言葉を紡ぐ。

 「この地に降り立ち、あなたの名を聞いた日から、なぜだか既視感は感じていた。

 最初から知っていたように、この手記の在り処もわかった。

 だが、私であって私ではない狂人とそのマスターであった男の記憶は、私にはない。記録も座に還らなくてはわからない。

 しかしそれに付随する感情は、霊基が変わろうと残っている。

 あれは、あの絶望は、どこかの世界であったことなのだ。円卓の騎士、裏切りの騎士であるサー・ランスロットである私の座に、たしかに刻まれた記録( 出来事)なのだ。」

 ランスロットはゆっくりと頭をあげた。その目の下には隈ができていて、一瞬でこうも面構えが変わるものなのかと関係のないことを考えた。狂気を孕む昏い瞳に僕が映る。

 

 「間桐の人間は、皆一途すぎる。」

 

 一体、何を言っているのだ。間桐が一途?だからなんだ。

 それと僕が最後の間桐と言われたことになんの意味がある。どこかの世界のお爺さまが、いや間桐の当主が滅びを望んだこととなんの関係があるというのだ。

「マキリ・ゾォルケンは悪を憎んでいた。その理由はわからないけれど、正義の求道者であった彼は歪みを抱えていても遍く人々の救済を願っていた。

 間桐雁夜は、間桐の魔術を憎んでいた。それも当然だろう、あんな拷問、修行でもなければ魔術でもない。

 彼らは、皆、間桐臓硯の贄だった。

 だから彼は己が逃げることで間桐の血族を絶やそうとした。間桐の一族の救済を願った。」

 そう、だからごめんなさいなのだろう。父さんと共に逃げていればきっと僕は生まれなかったし、それも正しいのだろう。

 彼は間桐鶴野の子が魔術回路が少なく、魔術師になれたものじゃないと知っていた。だから、間桐は潰れたと思っていた。

 まさか外から才能ある子どもを引き取り、その子どもに間桐を継がせるなんて思ってもなかったのだろう。

 ぐさり、と心臓をナイフで刺されたように痛かった。自分の思考に殺されそうだ。

 僕が魔術回路をほとんど持ち得なかったことを責めているようだ。

 おじさんは自分の行く末が間桐臓硯の道具として死ぬことを嫌い、決死の覚悟で家を飛び出したと聞いた。ひとりで決めてひとりで実行した。

 僕にはできなかった。立香が連れ出してくれなかったら、今でも僕は間桐にいただろう。

 おじさんが家を飛び出した後、何をしていたのかはよく知らない。フリーのルポライターとして生計を立てていたということしか、知らない。

 だが、間桐は捨てられても冬木は捨てられなかった。

 理由は一つ。遠坂桜の母、遠坂葵に恋をしていたから。間桐雁夜は彼女が先代の遠坂家当主であった遠坂時臣と婚姻する前から彼女を愛していたらしい。

 初恋の人を一途に想い続け、魔術師の妻となり子を産んだ後も忘れがたく、どうしても離れがたく、諦めきれず、彼は度々彼女とその子どもたちに会うために冬木に戻ってきていた。未練がましいというのかもしれない。

 だが、彼の中で間桐の血を残すということは絶対の禁忌で、己の妻は間桐臓硯が命を永らえるためのエサ。

 そんな地獄に、初恋の君を巻き込むことなんてできない。ゆえに彼は想いを伝えることすらできなかった。

 「雁夜がそれを聞いて、間桐に戻った時にはもう遅かった。遠坂桜は間桐桜となっていて、すでに蟲蔵に入れられていた。

 心が壊れてた彼女を見て、雁夜は怒り、悲しみ、そして後悔した。」

 心が壊れる。なにが起きたのかは簡易に想像できた。たしかに、記憶の中の桜は笑わないやつで、衛宮と関わるようになってからようやく人間らしくなった。

 最初からそうだった。だから、それが彼女の気質なのだと。それが心を壊した結果だというのか?

 「ちょっと待て、なんで魔術師の桜が蟲蔵に入る?

 間桐の魔術は水と、蟲の使役だろう?」

 「間桐臓硯は五百年を生きている魔術師です。後継を作る必要がない。

 魔術回路をもっていようがいまいが、彼にとって等しく蟲の贄だ。」

 ランスロットは、苦しそうな、後悔に塗れた視線で僕を見つめた。そして、少しためらうように息を詰めらせ、それから、目を伏せてからゆっくり開く。覚悟を決めた妙な力を持つ紫の瞳が恐ろしい。

 「蟲の使役というのは、サーヴァント契約のようなものじゃない。

 醜悪な虫を体内に入れ込み、命を削りながら行うものです。

 彼らは蟲がひしめく暗い地下に閉じ込められ、体を蹂躙される。痛く、苦しく、屈辱的で恐ろしい魔術。」

 がらがらと、足場が崩れた。なぜ、どうして。そんなはずはない。あれに入るのはお爺さまにいらないと判断された僕みたいな人間で、魔術師は蟲を使役するだけじゃないのか。

 ーーーいや、お爺さまからすれば、自分以外は皆贄なのか。

 ざーざーと、耳の奥で血が騒ぐ。

 「わずか一年で魔術師を作り上げるには毎日のように蟲蔵に入るしかなく、錆びついた魔術回路を開発される痛みは想像を絶するものだったでしょう。

 魔術刻印の代わりの刻印蟲とよばれる蟲どもに凌辱され、寄生され、苗床となる。魔術回路の代わりになると言っても、代わりに命を蝕む害虫です。

 最終的に間桐雁夜は半身不随を患い、黒かった髪は色が抜け老人のような白髪になり、食べ物を嚥下することも不可能で魔術を使うたびに血を吐く、生きているだけで苦痛に喘ぐ。

 そんな状態になりながら、苦しみと後悔を憎しみに変え、禅城葵を幸福にすると信じていたにもかかわらず裏切られたことを、娘を平穏な生活から地獄に叩き落とした外道な父親であると遠坂時臣を憎んだ。

 むしろ、遠坂時臣を憎むことでしか生きられなかったのかもしれない。

 遠坂時臣を殺し、聖杯戦争に勝ち、桜を解放すれば葵は幸せになれると、そう愚直に信じていた。

 …当主が死んだ魔術師の家など、没落するに決まっているのに、それすら見えなくなっていて。自分勝手な理想を抱き、それを裏切られたと遠坂時臣を恨んで、遠坂葵( はつこい)を免罪符に暴挙を重ね、遠坂時臣を殺すこともできず、聖杯を取ることもできず、己のサーヴァントにすら贄と見なされ、搾取され、最後は遠坂葵に己の全てを否定されて。妄執に取り憑かれた男の行く末は死。

 何も為せず、何にもなれず、何も出来なかった男だったが、それでもその行動には確かな価値があった。

 そう、意味はなくとも価値は、あった。」

 「…お前、なんも覚えてないんだろ?

 なんでそんなことを知っているんだよ。」

 「だから、最後までちゃんと読んでくださいと言ったのです。全部書いてありますよ。」

 悲壮な顔でランスロットは語る。僕はもう何がなんだからわからなくて、だがそれを聞いてどうしようもなく納得した。

 再び日記を受け取り、こんどは最後まで読む。先ほど、ランスロットが言った言葉が丸々そのまま、文章として残っていた。

 懐かしい……のか。あまりわからない。この文字を僕は懐かしいと思っているのだろうか。そっと、指先で文字をなぞる。

 ガタガタに歪んだ字。あの人はお酒を飲んでいない時、いつも手が震えていた。アルコール中毒の症状だと今ならわかる。酷い振戦で、その上第四次聖杯戦争の際に右手まで失って、日常生活を送るのにも苦労していたというのに。そんな、左手で、震える手でこれを書いたのか。

 父さんが何を思ってこれを書いたのか、僕には理解できない。叔父さんが結局、何を思って死んだのか、僕には分からない。

 でも、叔父の行動を愚かだと笑うことなんて僕にはできない。方向性は違えど、叔父は僕だ。

 「あなたと雁夜はよく似てる。そう、思います。

 魔術を求める間桐慎二( あなた)と、魔術から逃げた間桐雁夜( かれ)は似ても似つかないと他人は言うでしょう。

 でも違う、違うのだ…!

 きっと、間桐雁夜は遠坂葵に願われなければ、間桐の家に戻ろうと、ましてや聖杯戦争に参加しようだなんて思わなかった!

 きっと、間桐雁夜の代わりに生贄にされた少女が遠坂葵に関係ない子供であれば、心苦しいとは思ったものの間桐に戻ろうなんて思わなかったに違いない!

 あの男はそう言う男だ!逆境を乗り越え、そうと決めたら決して諦めない強さを持っていた。

 だが、自分が見たくない現実から目を背け、都合の悪い事実を信じようとしない悪癖も持っていた。

 だが、間桐雁夜の、自分の正義を貫く姿勢は泥臭く、エゴに塗れていても美しかった!

 私を、私を呼ばなければ。私が彼のサーヴァントでなければ。

 きっと彼は彼の正義を貫けたはずなのに!

 私のせいで、私が、私“も”、彼を贄とした!

 私は、彼が死んでも構わなかった!

 そうだ、王に、罰せられたい、それだけを望んだ!!!

 ああ、このバーサーカーはわたしだ。その行動の理由も、意味も、すべてわかってしまう!

 私が、私がサーヴァントではなければ、彼はあんな終末を迎えなかった!」

 その慟哭は体の内側から心臓を握られるような、泣きたいぐらいに苦しい叫びだった。

 「ああ、何故、何故、何故こんなことになった。

 どうして、どうしてなのだ……」

 それは、ランスロット一人の叫びではない。きっと、間桐にまつわる全ての人の叫びだ。父さんも、おじさんも、僕も、かつて召喚されたバーサーカーも、今ここにいるランスロットも……そして、桜も。

  (違うよ、間桐は、一途なんかじゃない。)

 勇気がある。努力する。

 誰かのために自分の身を犠牲にして目的のために奔走する。

 やり方に問題はあれど、間桐雁夜は誰かのための正義だった。桜のための正義であって、おそらく、僕のための正義でもあったのかもしれない。そして父の、叔父さんの兄のためでもあったのだろう。

 間桐は一途すぎる一族だと、彼は言った。だけど、僕はどうしてもそんな綺麗なものだと思えない。

 (間桐の本質は、きっと『執着』なんだ。)

 間桐雁夜は『自分を愛してほしい』

 間桐桜は『自分を救ってほしい』

 僕は…『自分を認めてほしい』

 屈折した承認要求は魔術師という方向に向いた。だから桜が許せなかった。全部掻っ攫って行った桜が。

 結局、みんな等しく、偶像に憧れていた。

 この、何から何まで醜くて、悲惨で、陰湿なこの家の人間たちは、叶わない夢ほど美しく見えた。手に入らないものほど恋焦がれた。

 

 「なぁ、叔父さん。僕が間桐の希望だと、本気で思ってたのかよ。」

 

 間桐雁夜。あんたは馬鹿だ。

 だけど。もしも、あなたが生きてたら。僕は何か違っただろうか。

 セイバーのランスロットの告白は、僕の魔術師になるという願いを破壊させる最後の一手となった。

 今まで箱の中に大切にしまっていた理想が壊れていく。立香と出会って箱から出され、イリヤスフィールに問われヒビが入り、ランスロットの慟哭でヒビが広がり…

 

 「そうさ。僕は魔術師にはなれないよ。」

 

 最後は、僕自身の手で壊した。

 ああ、何故だろう。胸がスカスカするのに、体は恐ろしいほど軽くなった。

 虚しいのに、清々しい。

 「ありがとう、セイバー。もう忘れていいよ。」

 僕はランスロットに手を伸ばした。

 「あんたは叔父さんのバーサーカーじゃない。」

 立香のサーヴァントだろう、と告げた。ランスロットは顔を上げて僕の手を見つめ、恐る恐るその手を取った。

 「嗚呼……」

 そして、その手に縋るように両手で包み込み、額を押し付け、そして霊体化して消えた。

 




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