Fate/Accelerate night:間桐慎二のサーヴァント 作:倉之助
待ってくれていた皆さん、本当に申し訳ありません。不定期にはなりますが完結させる意思はあります
ぐちゃ、ぐちゅ、べしゃり。
湿った泥を踏む音が響いていた。湿った岩壁の匂いはどこか青臭く、苔の匂いにも海の匂いにも感じられる。
ーーー否。遠回しに、迂遠な表現をしなくとも、男ならばもっと身近に例えられるものがある。吐き出したばかりの精液の臭い。どこまでも不快な雄の香りに女性陣は顔を顰める。立香も、遠坂も、セイバーですら。表情は硬く険しい。唯一、幼い魔女だけが平気な顔で洞窟を歩いていた。
「みなさん、ここをみてください!」
明るい、不自然なほどに陽気な少女の言葉。示されたのは壁の一部。黒紫の泥の繭の中には黒ずんだ皮膚の人間ーーーの、下半身。
上半身はすでに黒光りする硬質な何かに作り変わり、ドロドロに溶けて人相がわからなくなった顔の右半分が横向きの歯茎に変貌してる。
「ラフムの製造工程です!
少し前から異臭が気になり始めていたのでそろそろじゃないかとは思いましたが、もうすでに母胎の中にいるみたいです」
ふむ、と顎に指を当てて思案するメディア。悍ましいを通り越して湧き出た嫌悪に、僕は思わず一歩後ずさる。斜め後ろからは嘔吐く声と水音。振り向くとあまりにも凄惨な光景に青ざめた遠坂が口元を拭っていた。
「正気じゃない。こんなの、こんなものがいつから……」
「大丈夫か?」
よろめく遠坂を衛宮が支える。頭を元の位置に戻すと立香の顔が目に映る。泣きそうな顔だと思った。唇を噛んで拳を握り、それでも決して目を逸らそうとしない。
「ひどい」
少女の唇から漏れた音は、洞窟の中に静かに溶けた。もう、反響はしない。ここがもうすでに現実世界の洞窟ではないのだと、理解の及ばない場所なのだと、嫌というほど理解した。
「進みましょう」
凛とした、清廉な少女の声。セイバーだった。かの英霊は決して目を逸らさず、この先に待ち受ける悍ましい何かを見据えて剣を握り直した。
「……」
きっと、もう、この時点で。
僕たちは最奥で待ち受ける【誰か】の正体に勘づいていたのだと思う。少なくとも僕は察していた。
理解したくないけれど、そうであってほしくないと心の奥で叫んでいても。
この先に待ち受けるのは【アイツ】だと、直感で確信している。
「ああ。そうだな、セイバー」
衛宮が「進もう」と声を上げる。黒い繭の中にいる半分ラフムの人間達が僕らを襲うことはなかった。けれど、僕らを見ていた。何を訴えているのか理解しながら、無言で歩みを進める。僕にできることは何もない。彼らを助けることは誰にもできない。それが、こんなにも口惜しい。
増える繭と異臭。ぽっかりと広い空間に満ちる泥沼の中央に、裸の女が浮かんでいる。ゾッとするほど白い肌。紫の髪にはリボンの髪飾り。
ーーー見覚えがなければよかったのに。
「なんで、あんたがここにいんのよ……」
真っ先に、遠坂が口を開く。声が震えている。怒りで震えているようにも、泣いているようにも聞こえる声音。
絶望を宿した青い瞳に映るのはただ1人。泥に沈む女の姿。
「それは私のセリフですよ。」
べちゃり。泥が滴り落ちる音。
「なんで、姉さんが《ここ》にいるんですか」
目の前にいるのは、本当に僕が知ってる【彼女】なのだろうか。泥がずるずる意思を持つように蠢いて、少女の肢体を飲み込む。壁面を飾るラフムの入った繭のように、少女を包む泥の繭。
「誰にも見られたくなかったのに」
ばしゃん、泥が弾ける。
「誰にも知られたくなかったのに」
泥の繭から出てきた彼女はまるで別人だった。色が抜けて真っ白な髪。ひび割れたような赤い痣。黒地に赤いストライプの衣装を見に纏った少女がゆっくりと瞼を開く。仄暗く光る赤い瞳が、じとりとこちらを睥睨する。
「よりにもよって、なんでせんぱいに……」
「いやだなぁ」と。舌ったらずの幼子のようにつぶやく。桜の視線は衛宮士郎ただ一人に固定されていて、まりにいる僕たちに視線を向けることは欠片もなかった。
「見られたくなかったなぁ。せんぱいにきらわれちゃうもの。」
ねぇ、と。こてりと無表情で首を横に傾げた。人形のように。
「嫌がらせですか、とおさかさん。いじわるですね」
緩慢な動きで首をひねり、今度は僕を見据える。桜は薄ら笑いを浮かべることすらやめて、無表情だ。
「にいさんも、今更なんのようです?」
「桜」
「間桐から逃げたくせに、どの面下げて……」
ぶつぶつと。こちらの話には聞く耳ひとつ持たないで虚な瞳で俯く。ひたすら鬱憤を呟き、ため息がひとつ。
「いやだな。みんな、かえってほしい」
「ランサー」と、桜が無感情に名を呼ぶ。霊体化を解いたランサーが鎌を構えて飛びかかる。
「凛!」
メドゥーサは真っ先に凛を狙った。されど、その刃が遠坂の首を落とすことはなかった。同じく霊体化を解除したアーチャーが干将で鎌を弾いた。後ろに退いたランサー、莫耶で切り込むアーチャー。ランサーがアーチャーの短剣を足場に跳ね上がり、鎌を振り抜く。超至近距離からの特攻。弾丸のような攻撃から逃れるためアーチャーが剣から手を離し、ほんの少し体制を崩したランサーの首を狙って干将で薙いだ。
紙一重で避けるランサー。切れた髪が一房舞う。
すかさずセイバーが走り出た。上段からの攻撃を鎌から伸びる鎖で受け止める。
「二対一とは卑怯ですね」
不利と理解し飛び退いたランサーが軽やかに着地をして、桜の前に立つ。桜がサポートしてる故か、ランサーは泥の上に立っている。サーヴァントを変質させる悪意の泥に踏み込むわけにいかず、しかし構えを崩さない。
戦況は膠着していた。
「……っなんでだよ、ランサー! 」
衛宮がランサーに問う。「桜を止めたいと言っていたじゃないか!」と吠えた彼にランサー……メデューサは悲しげに眉を下げた。
「すみません、衛宮さん。
ーーー私は桜を裏切れない。裏切りたくない」
泣きそうになりながら、「ひとりぼっちは悲しいから」と告げて、少女は鎌を構える。
「たとえ怪物に成り果てても、私だけは味方でいたい」