逃がさないスズカと逃げるマヤと逃げられないトレーナー 作:エアジャガーる
「ノォー……目の前がフラフラ~、ユラユラ~……」
「気を付けて部屋に戻るんだぞ」
「オーケー……また明日デス~……」
今日1日のトレーニングを終えた後、覚束ない足取りでフラッフラのタイキシャトルが、無事に美浦寮の玄関を潜るまでフユミは見届ける。
ちゃんとタイキシャトルはバッグを背負っていたので、渡したものも忘れていないし用途も貼り付けた付箋に書いてあるから大丈夫なハズだ。
そこから先の寮の中でのことは、彼女自身に任せるより他にない。
タイキシャトルを寮まで送り届けて、フユミはこのまま自分の部屋に戻るか、学園のトレーナー室に戻るか考える。
サイレンススズカ達は既にタイキシャトルを寮に送る時に帰した以上、今日はこれ以上何をするわけでもない。
まだ学園と部屋の分かれ道が遠い内に、歩きながら考える。
タイキシャトルの悪癖の修正は少し難敵になるだろうとは思っていたが、ここまでの悪戦苦闘はさすがに予想だにしなかった。
というよりも、サイレンススズカがあまりにも簡単に身に付けてしまったせいで感覚が狂っていた。
本来なら1から身に付けるとなれば、それこそ年単位のもの。
それが一度間違って身に付けてしまっていて、後から手を加えて修正しようというのだ。
ほんの数日で解決するのは、そもそも無理がある。
ましてやこれから教えようという相手は、ウマ娘の中でもとびっきりのフィジカルを持つだろう存在だ。
今のリュックサックに慣れてきてしまったら、荷重移動のコツを掴む前に、筋力で無理矢理にでも重心のブレを抑え込んでしまうやもしれない。
そうなればもう、彼女の物真似を修正することはほぼ不可能だ。
よくても、バカで下品で最悪で短絡的で悪趣味で力任せで勢い任せに速い理不尽でヘタクソな走り方をするあの女と同じ末路だろう。
それだけは、絶対に避けたい。
でも、どうやって?
一度ある程度は形にしてしまったのだろう、タイキシャトルのステップを完全に作り直すにしてもだ。
筋力任せの無理矢理な再現も、かかる負荷に腸腰筋が耐えられるようなら実のところは問題ないのだ。
実際、NHKマイルのあの状況で無理矢理に繰り出した時に初めてその問題が浮かんだくらい、彼女の脚はもともと強靭だ。
今は必要性を感じても日が経てば、あるいは彼女の脚が負担を受け止めてしまえる強度を持ってしまえば、紛い物でも実用にはなんの問題もなくなってしまう。
この前提がある以上、彼女のステップの修正はおそらく何も知らない状態から教えるよりも難航するだろう。
先達が過去に特大の失敗例を産み出してしまっているし、そいつは今も醜態を晒している。
どうせ教えるからには、自分はその失敗をなぞるわけにいかない。
スパッと禁じてしまえばよかったかもしれない、と思うところもある。
タイキシャトルはよほどの咄嗟の状況でなければ、禁じていることをやるような娘ではない。
だが、咄嗟で出る程度には既に癖になっているくらいには多用しているものを禁じるのは、それはそれで問題がある。
咄嗟に出そうとしたものを更に咄嗟で引っ込めるのは、余計に危ないし迷いも出る。
それこそ、咄嗟の状況で一番よくない展開だ。
考えれば考えるほど、先が袋小路に見えてくる。
まだ初日だというのに、悲観が過ぎるだろう。
フユミはひとまず頭を振って、余計な心配事を振り払う。
今は、タイキシャトルが自分でコツを見つけてくれるのを信じるしかないのだ。
「えっと……スズカさーん?」
「………………」
寮の部屋の中、夕食とお風呂を済ませたスペシャルウィークは、パジャマ姿のままずっと机のほうを向いて、じっと立ったままでいるサイレンススズカの背中に呼び掛ける。
サイレンススズカの耳のよさを考えれば、スペシャルウィークの声が聴こえていないハズはない。
サイレンススズカがわざとスペシャルウィークを無視しているとしても、耳も尻尾もまるで動かずあまりにも反応がない。
そもそもスペシャルウィークは、サイレンススズカから無視されるような覚えがない。
だからといってサイレンススズカが立ったまま寝ている、ということもなさそうだ。
何しろ背筋をすらりと伸ばして立っているサイレンススズカの足元には、分厚い月刊のマンガ雑誌があり、片足でそれを踏んでもう片方の足は宙ぶらりんなのだ。
前の机に手を置いているが、その状態で片足で立って寝るような器用な真似を、今までサイレンススズカがしていたことはない。
もしかしたら、ものすごく集中して何か考えているのかもしれないが、その立ち姿が少しヘンテコなのは確かだ。
昼間に見たサイレンススズカ達のよくわからないトレーニングを考えると、もしかしたらこれも何かの特訓なのかもしれない。
スペシャルウィークはそう思い立ち、しばらく静かにしていることにした。
トレーニングに集中しているなら、話しかけたら迷惑になるのは間違いないし、トレーニングならそのうちやめるハズだ。
しばらくして、サイレンススズカがぷらぷらさせていた片足を床に置いて、少し大きく息を吐いたタイミングで、スペシャルウィークはもう一度話しかけた。
「スズカさん!」
「スペシャルウィークさん?なにかしら?」
部屋にもう一人いることすら頭から飛んでいたのか、サイレンススズカは少し驚いたように背筋をびくりとさせて振り返った。
どうやら相当、集中していたらしい。
「えっと、それ……なんですか?」
「これ?トレーナーさんが買ってきたマンガの本だけど……もしかして読みたかったかしら?踏んじゃってるけど……」
スペシャルウィークが指差した先を見て、サイレンススズカは自分が踏んでいる雑誌から降りて拾い上げる。
ずいぶん前の刊行らしい日付とヘルメットを被ったカエルらしいキャラクターが書かれている表紙を見せながら、スペシャルウィークに訊いてきた。
もちろんスペシャルウィークが訊きたいのは、そうじゃない。
「いや、そうじゃなくて……その本踏んだままずっとじっとしてたの、なんでだろうなって思って……話しかけても反応がなかったから、その……」
「あぁ、ごめんなさい。気付かなかったわ……今やってたのはエクササイズ、らしいわ。トレーナーさんが言うには、これをすると歩いている時に脚がすらっと伸びてより綺麗な立ち姿になる……って言ってたけど……」
フユミの説明を真に受けるなら、まさしくそのとおりに言われたのだ。
マヤノトップガンはそれを聞いた瞬間に目を輝かせていたが、いつものフユミのやり口を考えればたぶんこれは、ウソではないがオマケでしかないような気がする。
「えっと、やってみる?」
「はい!」
普段はスペシャルウィークが話しかけない限り、部屋の中では一人で机に向かって勉強しているか、ぐるぐる歩き回って本を読んでいるか、どっちにしろ自分の世界に没入していることが多いサイレンススズカが珍しく話題をトスしてきたのだ。
スペシャルウィークからしたら乗らない理由はないし、この波には乗るしかない。
「じゃあ、机の側に……ここら辺かしら。まずは本の上に乗って」
「はい」
サイレンススズカが床に置いた雑誌の上に乗る。
さっそくサイレンススズカがやっていたように片足を下ろしてみようとしたところで、サイレンススズカに止められた。
「先に雑誌を踏んでる足側の手を机に置いて、身体がフラフラしないようにしてね。肩に力が入っちゃダメよ」
「え、はい!」
「リラックスしてね。その状態で、片足を踏んでる本から浮かせてから膝を伸ばして……そうそう」
サイレンススズカに言われた通りに、スペシャルウィークは片足をプラプラと伸ばす。
これだけなら、ただの片足立ちみたいなものだ。
「この状態から、足を動かさないで足をゆっくり動かすらしいわ」
「……え?」
「足を動かさないで、足をゆっくり動かす」
サイレンススズカが言ってる文章そのものの内容が指す意味はわかるのだ。
ただ、サイレンススズカが言ってる指示の内容が、明らかに矛盾していて理解を拒んでいる。
「足を動かすんですよね?足を」
「うん……おへその後ろから、太ももの中辺りに伸びてる筋肉を動かして……股下から先を動かす感じで……って確か言ってたわ……」
なんだかサイレンススズカの説明がすごく怪しくなってきた。
スペシャルウィークは試しにお腹に力を入れてみたり脇腹に力を入れてみたり背筋を伸ばしたりしてから、サイレンススズカに訊いてみる。
「もしかして……スズカさんも、わかってなかったり……します?」
「……それは、言わないで……」
珍しく少し恥ずかしそうに顔を背けて落ち込むサイレンススズカに、スペシャルウィークは納得した。
さっきからずっとこれに悪戦苦闘していたなら、こちらの声が耳に入らないのも仕方ない。
「やってればそのうちわかるから、わかるまでは足を力任せにブンブン振ったりしないでゆっくり伸ばすだけでいいって言われたけど……気になって」
「なら一緒にやり方探しましょうよ!私が踏む分の探してきます!」
スペシャルウィークは思い立つなり、さっそく部屋を出ようとする。
サイレンススズカと一緒に何かしらのトレーニングが出来るのだ。
スペシャルウィークからしたらとても逃せないチャンスだ。
逸るスペシャルウィークを引き留めたのは、サイレンススズカからの誘いだった。
「えっと……それなら、一緒に探しましょう。踏み台はちゃんと選ばないと引っくり返ったりして危ない、ってトレーナーさんも言ってたから」