本文を書き溜めておいたメモ帳を削除してしまいました
泣きましたわ
それはもう泣きましたわよ
字余り
「その後、オークスの直前まで、この男は私と専属契約を結んでいた。ああ、オークスでの私の走りは……うむ、己で語るのは少々気恥しさもあるが、満足のいくものだった。憧れであった母が見た景色をなぞることで、私がレースに情熱を傾ける原点となったものを回収する事が出来た訳だ」
一息に過程をすっ飛ばして結末を語ると、エアグルーヴは紅茶を一口飲んだ。ダイワスカーレットとウオッカも、ここでようやく紅茶に口をつけるタイミングを見つける事ができた
「かなり最低な感じの出会い方してましたけど……。お2人はそれからどーやって仲良くなったんすか?」
「私とこの男が仲良くなったように見えるのか?」
「あー……。まあ、なんてゆーか、どっちかつーと……みたいな」
完全な藪蛇の雰囲気に思わず耳をへにゃっと折り曲げてしまったウオッカは、もう少し言葉を選ぶ必要があったなと少し後悔した。エアグルーヴは鋭い視線を収め、フンと鼻息を吐いた
「まあ、私も昔と比べると少し丸くなったからな。確かにそういう風に見えてしまうのも致し方ないか」
いやエアグルーヴ先輩は今もガンガンに尖ってますよ___とダイワスカーレットは口にしようとして、止めた。ウオッカと同じ轍を踏む事になるのは目に見えていたからだ。むしろ言葉に出していないのにエアグルーヴの視線がこちらに向いたような気がしたので、スカーレットは気付かぬフリをして紅茶のカップに視線を落とす事にした
未だほんのり温かさを保っている紅茶は、ナイスネイチャが淹れてくれたものだ。朝食を終え、休息日を持て余したウオッカと2人チームハウスに顔を出してみればソファーで眠りこけるトレーナーとエアグルーヴを含む何人かの先輩方がたむろしていた。紆余曲折を経て昔話を聞ける事になったのはいいが、中々気になる要素が多くある
「泡斎先生って、あの有名なトレーナーさんですよね。大和トレーナーのおじいちゃんだったんですか?」
「ああ。苗字が違うのは、この男が母方の姓を名乗っているからだな。……ああ、別に重たく複雑な事情がある訳ではないらしいぞ。単純に名乗るだけで気を遣われたりするのが好きじゃないのと、『ここ一番で名乗るとインパクトがあってオシャレ』だからだそうだ」
いかにも言いそうだな、とスカーレットとウオッカは眠りこけるトレーナーの方を向く。静かな寝息を立てる彼のお腹を土台にしてジェンガをプレイしようと、ナイスネイチャが慎重に積み木を組み立てていた。ハラハラしながらそれを見つめるライスシャワーも、ハラハラするだけで止める気はまるで無い様子だ
エアグルーヴもそちらをチラリと見たが、なにも無かったかのように話を続けようとする。
……いや誰も止めないんすか、とツッコミを入れるか迷ったウオッカだったが、隣のスカーレットが全く気にせずエアグルーヴの話に集中しているのを見て自分も放置する事を決め込んだ
「まあ、専属契約を結んだとはいえ、トレーナーは私に付きっきりという訳では無かった。むしろ私と同期でチームに入った別のウマ娘に構っている……いや絡まれている時間の方が長かっただろう。そいつの話は置いておくとして……」
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「トレーナーらしい事をしたら僕の負け、という事にしようか」
「……何の話だ」
「君には3つの守って欲しい約束事を伝えたけど、一方的にするのもよくないだろうからね」
「下らんな。貴様が負けたらどうするというんだ?」
「君の行動を制限するような内容だからね。対等なリスクとして……そうだな、もしも負けるような事があれば君の専属トレーナーなるものから身を引こうかな」
トレーナーとして振る舞いたいのかそうじゃないのか、よく解らない約束をしてきた癖に『君はちゃんと休む約束を破った。だから罰ゲームだね』『おやつの時間をとってないだろう?だから罰ゲームだ』などとのたまってなんだかんだと私の世話を焼こうとしてきた
「ふむ?お腹空いてるのかな?ふむふむ?それとも喉が渇いているのかな?」
今日も今日とて、私が持ち込んだ飲み物が全て空になったタイミングを見計らったかのように、そんな事を言いながら奴は練習場所に現れた。クーラーボックスをこれみよがしに見せつけて、へらへらと笑っている。大変腹立たしい
「取りに行くのも面倒だ。貰ってやる」
「ほうほう、貰ってやると来た。光栄だよ」
なんだかんだで一年が過ぎても、私達の関係は変わらなかった。私は独学に近い形で努力をし、それで足りないと思えば当時のチームリーダーである泡斎先生や友人達にアドバイスを求める事も徐々に増えて来ていた。ただ何が合っても、大和トレーナーにこちらから頼った事はないままだった
「エアグルーヴ。最近楽しそうね」
「は?」
「ヒェッ!収まり下さいエアグルーヴさぁん!」
スズカの何気ない一言に青筋を立てて返した私の様子に、顔を青くしたマチカネフクキタルが両手を合わせて祈るような仕草を取った。その横ではタイキシャトルは我関せずの夢中でステーキにかじりついていた。友達、というものを積極的に求めない私だったが、奇妙な縁であったり共に高みを目指すライバルであったりと気付けばそれなりに一緒にいることが多いメンバーが出来ていた
「トレーナーさんとも上手くやれているようだし、何よりだわ」
「スズカ、お前のそれは冗談なのか本心なのか解りかねるが」
「?本心よ」
「そうだな……」
「オゥ、エアグルーヴが折れました。珍しい事もありますね」
「流石はスズカさんと言うべきでしょうか。あやかりたいですねぇ」
「???よく解らないけど、もうすぐ桜花賞でしょう?頑張ってねエアグルーヴ」
「ああ、お前も皐月賞を走るのだろう。無様な所を見せるなよ」
「ええ。頑張るわ」
下らないやり取りも、嫌いではなかった。
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学園で風邪が流行っていた。他人事だと思っていた私も床に伏せる羽目になった。数日寝込めば治るようななんてことの無い風邪だった。ただその時期がとんでも無く悪かった。桜花賞が目前に迫っていたのである
「私は桜花賞には出るぞ。出るからな」
「はいはい。自分で起きれるようになったらその相談に乗ってあげてもいいよ」
寮の同室の者にうつる懸念もあり、チームハウスの一室で療養していた私がうわごとのように繰り返していた言い分など、トレーナーは端から聞く気は無かったのだろう。高熱が少し引いて、はっきりと意識が覚醒したのは桜花賞の当日。既に私の出走は取り消された後で、私はトリプルティアラに挑戦する事は出来なった
気だるさの残る身体で、私は奴に八つ当たりじみた罵声を吐いた。いや、奴に対してなのか、或いは情けない私に対してなのか。ただ彼はいつものすまし顔を、ほんの少しだけ歪めて黙って聞いていた。いつもの屁理屈など一度も挟まず、私が力尽きて枕に顔をうずめてからやっと口を開いた
「これが『オークス』であったとしたら。君が夢だと語った樫の女王を決めるべき戦いだったのであれば。君が這ってでも挑むと言うのを止めはしなかっただろう。例えベストコンディションからかけ離れていて___それが原因で大事故に繋がる可能性があったとしても___僕は君が出ると言ったなら付き合っただろう。だが、そうじゃない。今は我慢しなくてはならないんだ、エアグルーヴ」
解っていた。小さな怪我や体調不良でも、レースの出走を見合わせるウマ娘は多い。ウマ娘の意志を問わず、トレーナーがストップをかけることも多い。時速60キロを超える世界での競争はちょっとしたミスが命取りになるのだ。自分が怪我をするだけでは済まず、周囲をも巻き込んでしまう悲劇だって起こり得る
「割り切れとは言わない。恨み辛み、当然だろう。それを自分に向ける事だけはないようにね。僕がここに座っているのは、その為でもある。うん、罵倒されに来たというといささか語弊があるかもしれないが」
「……」
「今は泣いてもいいんだ。その涙は君を弱くしない。……こんな歌がある。涙の数だけ強くなれる、アスファルトに咲くにんじんのように___。うん、ちょっと間違えたかもしれないね。あいたたた、叩かないでくれ。わかったわかった、出ていくよ」
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「……彼は?」
「申し訳ない、エアグルーヴ。あの子はここには居ないんだ」
オークスを1着で終えた私を控室で待っていたのは、花束を抱えて悲しそうに笑う泡斎先生だった。大和トレーナーの姿は無かった
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「これも全て彼女の体調管理を任されていた僕の責任。彼女の専属トレーナーの名、返納いたします。先生」
仰々しく頭を下げた僕の前で、枯木のような老人はふむと呟いて顎髭をさすった。僕が何を言いたいかなど解っている癖に、これまたわざとらしく重々しく険しい顔で返答を返してくる
「退職間近の耄碌した老人1人で、全ての責任を背負えるのだがね」
「あなたを尊敬する人の数には及びませんが、輝かしいあなたの経歴に傷をつけたい人間は存外多いんです。お願いですから、僕に少しばかり責任を取ったという恰好を付けさせて下さい。それにほら、若い内の苦労は買ってでもしろと言うではないですか」
「買う側の人間がその言葉を使うのは珍しいと思うんだがね。ふぅ……相分かった、大和。お前の言う通りに事を運ぼうか」
「あなたが無能な新人に任せた事で、優秀なウマ娘が桜花賞を棒にふることになった。しかし自分の指揮の下でオークスを勝たせる事で名誉を挽回する。哀れな新人である僕は力不足を感じ身を引く。ええ、僕1人に責任を負わせるのが嫌だと仰るのでしたら、2人で少しずつ責任を取るという形で妥協して下さい。先生」
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「出たがる君を押さえつけて、無理やり休ませる。なんともトレーナーらしいことをした。つまりは、僕の負けだ。」
「今更だろうが、そんな事は」
「どうであれ。責任を取る必要があるんだよ」
「最初に言っただろう!己の責は___」
「君の責は、ウマ娘として成長する事だ。それもただのウマ娘ではなく、皆の希望になれるような。シンボリルドルフの右腕になれるような。ならばそれに徹する必要がある。『自己管理が出来ずGⅠを逃した』等と揶揄するような者達の口に蓋をする事ができるなら、僕は喜んで責任を取る。うん、社会人らしいセリフだ」
「……貴様は言っただろう。他人の夢を背負うなんてごめんだと」
「そうだね。だからこの選択肢だ。僕は楽な方へ逃げ出す。……今の今まで、こうして君と真っすぐ向き合わなかった。もっと早くそうしていたらよかったのかもしれない。そうすれば何か、上手なやり方があったのでは___なんて思ってしまうくらいだ。やれやれ、僕は本当に……トレーナーというものには向いていないと痛感したよ。さようなら、エアグルーヴ」
私は口をつぐみ、後を追わなかった。彼は笑顔で去って行った。いつものように、薄っぺらい笑顔で
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「まあ、とはいえ肩書が変わっただけでその後は普通だな。別に特別疎遠になることも無く、相変わらず時折練習に顔を出して来た」
「あ、そうなんですか」
なんだか思わせぶりで気まずそうな感じで締めくくられかけた昔話は、しかしなんでもないように雑に放り出された。ダイワスカーレットは思わず気の抜けた返事を返してしまう。その後、泡斎トレーナーが一線を退いた事でチームは一度解散、当時サブリーダーだった大丸をリーダーに据えてムーンシャインとして再結成された……という事らしかった。このチームハウスの設備が妙に豪勢だったのは、かつて栄光を極めた名残だったという訳だ
「ふん、つまらん話だったがいい暇つぶしにはなったか?さて___」
エアグルーヴは身体を横に傾けて腕を伸ばし、ネイチャとライスのジェンガ対決に割って入った。ぐらぐらと揺れる塔を指先でつつけば、哀れ木組みの塔は崩壊した。事故現場からトレーナーの小さな悲鳴が上がった
「起きろ。10時だ」
「ふむ、ふむ。いい朝___はさっき言ったかな。うん、いい午前中だね。やあ諸君、すまないが挨拶の前に、何故僕が積み木の海に溺れているのか事情を知っている子がいるのであればぜひお話を伺いたい」
「うわー。全然わかんないねー」
「やれやれだね。ネイチャ、本当にやめてくれないか。崩壊するラスボスの城から脱出し損ねる夢を見てしまったよ」
「うわぁ……ごめんね大和サン。次はオセロとかにしとくからさ」
「ボードゲーム全般を僕の上で実行する事そのものに文句があるんだけどね。上手く伝わらなかったかな」
「よし、全員暇だな?これからチームハウスの掃除をする。手を貸すように」
はーい、と揃って返事をしてウマ娘達は腰を上げた。動き出す若者達を眺めながら、大和は大きく伸びをする
「それじゃあ僕は朝ごはんでも食べに___」
「もうすぐ昼だ。手伝った後で昼食を食べればよかろう」
「それはいけないな。言っただろう?1つ、よく休む。2つ、よく遊ぶ。3つ、必ず朝ごはんを食べる、だよ。忘れたのかい?」
3つ目を都合よく変えるんじゃない、と叱りながらエアグルーヴがトレーナーの前にぽんと置いたのは、サランラップでくるまれたおにぎりだ
「今朝食堂で貰って来たものだ。これで我慢しろ」
「ふーむ。……美味しい。これはエビマヨだね。うん、僕の好物だ。流石だね」
「食べたなら働け。てきぱきとな」
「ふむ。てきぱきという言葉は僕という人間からほど遠いが、出来得る限りの事はしようかな。……そういえばだけど、僕があのまま退職すると勘違いした君が泣きながら引き留めてくれる感動シーンの回想が抜けてるんじゃないのかな?」
「ほう、私の記憶には無い話だな。ああ、抜けているとすればオークスの祝勝会の後で貴様が私の母に全力で土下座していた時の話が抜けていたか」
「成程。どうやら僕達両方共が現実には起きなかった変な記憶を抱えているらしい。ここは1つ、お互いが忘れる事にしないかい?」
「貴様らしからぬ合理的な判断だな」
やれやれ、と安心したように溜息をついて、大和は椅子から立ち上がり、エアグルーヴの指揮下に入って掃除を開始する事にした
ちょっと間が空いてしまいました。すいませんでした。反省はしています。でも仕事が悪いよ仕事が!上司が悪いよ!!
6月の対人レースイベントに向けて修行中です。今度こそ……一番に……