寝起きの卯月に襲い掛かったのは、想像を絶する筋肉痛だった。
悲鳴も上がらなかった。叫ぶと更に痛い。入渠でカバーできないレベルの、無茶苦茶な訓練をやったツケだ。
「……あんたなにやってんの」
同室の満潮が、冷たい視線を投げかけてきた。
なんてことだ、朝からこいつの顔を見るなんて。別室にしてくれないだろうか。今度相談してみよう。
なお相談した結果は、前回説明した通りなので割愛する。
「動けないぴょん」
「そう、ざまあないわね」
「人でなし!」
「なんとでも言いなさい」
白状者満潮は、ベッドでのたうち回るわたしを無視して部屋から出ていった。なんて奴だ。
いや、それで抱っこなんてされた日には、拒絶感で吐くだろうから、これで良いわけだが。
結局卯月は、自力で這いずってベッドを脱出した。
今日は確か、砲撃とかの訓練をするんだったか。那珂という艦が教えてくれると聞いた。
……この筋肉痛だから、優しくしてくれるかな?
淡い期待を抱きながら、卯月は朝食に舌つづみを打つ。
満潮が視界にいないだけでも、だいぶ心がさわやかだ。安心して食事を楽しめる。ホッとしながら、箸を持ったときだった。
「おっはよーうっ!」
背中から抱き着かれた。
結果、箸が目に刺さった。
致命傷である。
「ぬぎゃぁーっ!?」
「艦隊のアイドル、那珂ちゃんだよー!」
「自己紹介してる場合かぴょん!?」
痛みに引っ繰り返るわたしが見えていないのかよ、卯月は突っ込んだ。
艦娘でなければ失明である。なにがアイドルだ馬鹿野郎。
「あれ? 刺さってた?」
「お前にも刺してやろうかぴょん」
「駄目だよー、アイドルは、顔が命なんだからー」
いやマジで刺したくなってきた。プルプル震えるわたしを見て、「テヘ」と舌を出す那珂を見て思った。
「ゴメンゴメン、本当にゴメン。後輩ができるって聞いて、ついテンション上がっちゃったの」
「マジで勘弁してくれぴょん……」
艦娘だから失明しなかったし、謝ったのだから一応許す。痛いけど。
息を整えて向き直る。
髪の毛をお団子にした、黒髪の女性。彼女が『那珂』というわけか。
「……ん?」
「どーしたの?」
「あ!」
卯月は見覚えがあった。
この髪形をした奴を昨日見た。そうだ、熊野と一緒にわたしを賭けにしていたやつじゃないか。
「お前、うーちゃんを賭け事に使ってたなぴょん!」
「昨日のお話?」
「そうだぴょん、人を賭けごとに使うなぴょん!」
熊野にも言っておいたことだが、彼女にも改めて言っておく。
頬を膨らませて、威嚇しながら睨み付ける。
すると、なんと那珂まで頬を膨らませて、威嚇の姿勢をとってきた。
「な、なんだぴょん」
「酷いでしょ、あそこでちょっと転んだフリしてくれたら、那珂ちゃんが勝ってたのに!」
「そっち!?」
こいつ、勝手に賭け事をしてたのに、その責任をこっちに持ってきやがった。信じられない展開に卯月は絶句する。
「那珂ちゃんの交換券取られちゃったし、怒りたいのは那珂ちゃんだよ!」
「知らねぇぴょん……」
「こうなったら、今日の訓練で思いっ切り八つ当たりしちゃうんだから!」
「は!?」
「でも安心して、必ず卯月ちゃんもステージで輝けるようになるから!」
なんだよステージって、なんで訓練で八つ当たりなんだ、まるで意味が分からんぞ!
と叫ぶ暇もない。瞬きした間に、那珂は煙のように消えてしまった。足音さえしなかった。
「……忍者かなにかかぴょん?」
「御愁傷さまですわ」
「ぎゃあ!」
後ろから熊野が現れた。驚かす気満々の登場だった。今度はなんだいったい。わたしはおだやかにモーニングも食べれないのか。
「ご飯食べさせてぇ……」
「あら、愚痴の一つでも聞いて差し上げようと思いましたのに」
「いやお前も愚痴の原因の一つだぴょん」
人を賭けの対象にする奴がなにを言うか。
しかし、冷静に記憶を思い返すと、前科組みでまともなやつは何人いただろうか。
……アレ、会話が成り立つの球磨と熊野しかいなくね?
満潮はそもそも話したくないし、不知火は飛鷹さんは、立場の違いがある。
気づきたくない事実に気づいてしまった卯月は、頭を抱える羽目になった。
「気づいてしまいましたか」
「お話、するぴょん」
「……ご愁傷さまですわ」
顔を上げれば、朝から酒を飲もうとして、焼酎瓶で殴られているポーラが見えた。
見なかったことにしよう。
「で、なにをお話します?」
「愚痴でも良いかぴょん」
「よろしくてよ」
「満潮はなんなんだぴょん」
どういうことかと聞かれて、卯月は昨日の出来事を話した。
思い返せば、シチューを喰わせる以前からツンツンしていた。そのことへの不満を卯月は愚痴る。
「弱いからってなんだぴょん、腹立つ奴ぴょん」
「なるほど、ですが、全くの間違いでないのも確かですわね」
「あのドーナツ野郎の肩を持つのかぴょん」
「ドーナツではなくフレンチクルーラーですわ」
満潮が居たら「どっちも良くないわよ!」と叫んでいた。卯月からしたらどっちでも良い。
そもそもフレンチクルーラーを知らない。食べ物だろうか、前科戦線で食べれるだろうか……変な方向に行きかけた思考を戻す。
「で、間違いでないってのは?」
「この前科戦線のメンバーは5人、ポーラさんと球磨さん、那珂さんにわたくしと卯月さんですわ」
じゃあわたしは、もう全員に会っているのか。思ったより少ないと卯月は驚く。
「少ないと思ったでしょう、なぜだと思います?」
「……死にすぎるから?」
「それも一因ですね。ですが違います」
ならなんだろうか。
全科持ちの全員が全員、ここ送りになるのではない。軽めの罪なら鎮守府の独房とかに入れて、反省させる場合もある。
それでもなお、どうにもならない罪の場合、解体か前科戦線行きか選ぶことになる。
卯月はそう考えていた。しかし、それでもなお、5人は少ない。どういう理由なのか想像できないが。
「ダメ、答え教えてぴょん」
「正解は、ここに来れる……所長からスカウトされるのは、前科持ちのエリートだけだからですわ」
「所長?」
「高宮中佐のあだ名ですわ、裏で皆そう呼んでますの」
「あっそう……」
監獄かよ。
確かに自室の様子はまさに牢屋だったが、所長呼びはあんまりだ。
でもそんなことはどうでもいい。
もっと分からない。前科持ちのエリートってなんだ、超ド級の犯罪者ってことか?
「ここでの任務はご存じのとおりとても過酷」
「死亡率7倍って言ってたぴょん」
「そう、ですが、同時に
「じゃあ、前科持ちのエリートってのは、優秀だけど前科持ちの艦娘って意味かぴょん」
熊野はそうだと頷く。
任務を失敗させるような弱い艦娘はいらない。
いるのは確実に成功させる強い艦娘。
前科持ち中から、更に選別を行い、残ったエリート兵だけをスカウトする。
そりゃ少ない訳だ。
前科持ちは少ない、そっから強い艦娘は更に少ない、スカウトしても来てくるかは分からない。そして7倍の死亡率。いなくなる訳だ。
「任務が辛いから、強いやつばっか集めてると。前科持ちばかりなのは……誰もやりたがらないから?」
「その通りでございますわ」
そりゃ、死亡率7倍の戦場に行きたがる奴はいないだろう。
いたとしても、上官が嫌がるだろう。だからこそ前科戦線がある。懲罰部隊だが、必要な存在でもあるわけか。
「……え、じゃあなんでうーちゃんいるぴょん?」
卯月は着任してから、一ヶ月で前科戦線送りになった。
実戦経験はまったくない。なのに高宮中佐からスカウトされた。ド素人だ。熊野の説明と矛盾しているじゃあないか。
「そう、気になっているのはそこなのですわ」
熊野は指先を立てて、顔をずいっと近づける。楽しいおもちゃを見つけたような、好奇心旺盛な反応だった。
「本来なら熟練者しか来ない。なのに卯月さんは、素人なのにスカウトされた。そこが最大の謎なのですわ」
「なるほど……ってちょっと待って、なんでうーちゃんが実績ないって知ってるぴょん?」
「そんなの訓練の様子を見れば分かりますわ」
見てたな、賭けていやがったが。
「なので卯月さんは、『特別』なのですわ」
「特別……」
「プラスの意味かマイナスの意味かは、さておいて」
お互い揃って首を傾げる。
素人のわたしがなぜ、熟練者しか呼ばれない前科戦線に来たのか。
可能性があるなら……それこそ『前科』、いや『冤罪』だ。
消えた記憶に、その秘密があると思う。所ちょ……高宮中佐は、多分答えてくれない。
「ある意味で前科戦線はエリート部隊とも言えますの、そこへ素人の卯月さんが着任した。満潮さんは、それが気に入らないんだと」
「つまり満潮との仲はどうにもならないってことかぴょん」
こっちだって好き好んで来たわけじゃない。なのに一方的に敵視とは。本当に満潮が嫌になる。なんなんだよあいつ。
苛立つ卯月を見て、熊野は少しため息をついた。
「しかし目下の問題はそこではありませんわ、素人だとしてもここにいる以上、恐ろしく過酷な戦いに行く羽目になります。
このままだと卯月さん、初陣で沈みますわよ」
熊野は全然ふざけていなかった。
真剣な態度に、背筋がゾッとする。その時はふざけたギャンブラーではなく、熟練の戦士の目つきをしていた。
「まあ、そういうわけですわ。那珂さんはちょっと……ええ、まあ……独特ですが……訓練はしっかりやってくださるので!」
「待ってなんだぴょん今の間は!」
「あらこんな時間、わたくしお時間ですので、失礼致しますわー」
「待って恐い! どんな奴なんだぴょん!」
さっき箸を刺されたばかりだ。あれ以上にやばくなるのか。もう恐怖しかない。
卯月の叫び声が虚しく響き渡る。とても小声で厨房の飛鷹さんが『ドンマイ』と言っていた。
死ぬかも。
卯月の目は死んでいた。
*
朝食を済ませた卯月は、昨日散々走り回った砂浜をまた走っていた。
ただし濡れマスクはない。タイヤもない。ただジャージで走っているだけだ。
「……こんなので良いのかぴょん?」
「良いんだよー、まずはウォーミングアップから!」
その間、卯月は正体不明の悪寒に襲われていた。
あれだけ不安を煽っておいて、こんな簡単な訓練な訳がない。楽な分、後が恐い。
あと恐いのは隣の那珂である。
「どうかしたの?」
「い、いや、べつに」
「?」
那珂も卯月と一緒に走っていた。それは別によかった。
ただ、気になるのは背後の轟音だ。
金属がぶつかり合う音が、どうしても恐ろしかった。
那珂はタイヤではなく、ドラム缶を8個引っ張って走っていたのだ。
中身は恐らく海水で満たされている。
水はけっこう重い。
それを8個。腹にロープで繋いで。
なのに那珂は、涼しい顔で鼻歌まで歌いながら走っていた。
化け物かな?
これからこの化け物に訓練を受ける。卯月は底知れぬ恐怖を覚えながら、気を紛らわすように走り続ける。
「よーし、これぐらいにして、訓練にはいろっか!」
「っひゃい!」
「良い返事だね!」
那珂の満面のサムズアップ。
卯月の震えたサムズアップ。那珂はそのようすに一切気づかない。
こりゃ駄目だ。死ぬしかねぇ。
すっかり諦めた卯月を、那珂は引っ張っていく。どこへ連れていかれるのか、地獄か。
卯月の予想は少し外れた。
「着いたよ!」
「地獄へようこそってかぴょん」
「やっだなー、そりゃー特訓は地獄だけどー、その前にやることがあるでしょ?」
地獄なのかよ結局。
心の突っ込みはさておき、卯月は辺りを見渡す。
かなり広いスペースに、色々な機械類が設置されている。海に直接出れる場所もある。似た景色を、神鎮守府でも見た。
「工廠……ってことは」
「そう! 艤装の装着だよー!」
「なるほど」
「ちょっと、折角の一大イベントなんだから、もっと喜ばなきゃ!」
「お、おおー……!」
艤装をつけるだけでそんなハイテンションになれるのか。
ここまで元気な艦娘に会うのは始めてだ。この卯月がノリで押され始めてる。こんなことは初めてだ。
「ちょっと、うるさいんだけど」
と、工廠の
「え?」
見上げると、そこには椅子があった。
天井からワイヤーで吊るされた椅子が、ロープウェイのように動いている。そこにツナギ姿の女性が座っていた。
「ほら卯月ちゃん、あの子がここのメカニックだよ」
「あ、どうも、卯月です。うーちゃんって呼んでほしいぴょん」
「へー、うーちゃんねぇ」
これは、飛鷹さんに続いて読んでくれる流れか!?
「うーちゃん、ううちやん、うちやん……よし」
期待する卯月を見て、彼女はニヤァと笑う。イタズラを思いついた時の卯月と同じ顔で。
「じゃあ、略してうーちんで」
下ネタを連想させる素晴らしいあだ名だった。卯月は激怒した。
「キャーッ! 那珂ちゃん下ネタはNGだよ!」
「はっはっは、そういうことだって。あだ名呼びは駄目みたい」
「わざとっぴょん!?」
「いいや、これはねぇ、確信犯ってやつだよ」
「同じじゃねーかぴょん!」
顔を真っ赤にして憤慨する卯月を見て、ツナギの女性は良い笑顔で笑う。
「あ、あたしは軽巡北上、正規艦娘でメカニックやってるよ、よろしく卯月」
「結局卯月呼びかぴょん」
「結局? あたしは最初から卯月としか言ってないよ? 変な子供」
「よーし降りてこい、グーでパンチしてやるぴょん」
「降りるのは良いけど、そっちは行けないよ?」
どういうことだ?
卯月が見えるように、北上はズボンをたくし上げる。
卯月は一瞬、息が止まった。
そこには、あるべきものが欠落していた。
「足が……」
「そ、義足」
北上は慣れたようすで義足を動かす。
しかし、慣性に従って揺れるだけ。来れないとは、
天井からぶら下がった椅子で動くのも、同じ理由だ。
「そんな理由で、メカニックをやらせて貰っているの」
キュラキュラと音を立てて、椅子が地面へ降りてくる。
そして北上は、義足ですくっと立ち上がった。
「まあ、歩けるけど」
「え、じゃあ今の椅子は」
「趣味」
自由人過ぎるメカニックと、テンション高すぎる軽巡。
既に疲労困憊の卯月を、地獄の特訓が待ち受ける。前科戦線の三日目はまだ始まったばかりなのだ。
過酷な任務だけど誰かがやらなきゃいけない
→強い奴じゃないと任務を達成できない。
→強い前科持ちなら万一沈んでも問題はない!
という合理的発想の元前科戦線は運営されております。by不知火
任務の内容はまた後日。