ここ最近の卯月の機嫌はかなり悪くなっていた。
余りのイライラに食事はモリモリ進み、一日八時間は熟睡。疲れ知らずで元気一杯になってしまう程苛立っていた。
「それのどこが苛立ってるって言うのよ!」
「イライラしてるって言ったらそうなんだぴょん!」
「二人とも静かに」
不知火がチョークを投げる。
あまりの速度にチョークが発火。その直撃を受け卯月は額に火傷を負う。
熱さと痛みに涙を流す。
最も、阿保なナレーションをしていたのが原因なのだが。
「誰の為にわざわざ座学なんてしていると思っているんですか。真面目に受けないと叩きのめしますよ」
「サーセンだっぴょん」
「いっぺん死にましょうか」
「誠に申し訳ございません」
速やかに謝罪する。不知火は本気で殺す気だった。
今卯月たちは、不知火による座学の講座を受けている。
内容としては、艦娘としての一般常識や、戦術。戦略についてである。
満潮は兎も角、卯月は経緯が経緯なので、まともな講座を受けずに前科戦線送りになってしまった。
結果、致命的な知識不足に陥っており、そのフォローが必要だったのである。
「……実際、イライラしてんのは、確かだけど」
小声で卯月は呟く。
聞こえていたが満潮は知っててそれを無視した。
卯月の苛立ちの原因は分かり易い。
それは熊野だ。
彼女の態度のせいで、イライラが中々収まらくなっている。
以前熊野と行った合同訓練で、熊野は何故か、接近戦を真似することができないことを、最初から伝えてこなかった。
訓練全体に大きな影響はなかったが──卯月は格闘戦の訓練を一番したかったのに、できなかったことになる。
どうして最初から、できないと言ってくれなかったのだ。
あくまで満潮の推測だが、卯月はその理由を聞いていた。その会話を思い出す。
『最上は、格闘戦できたじゃない』
『うん、肩抉られたぴょん。でも鈴谷はできないって』
『できたんじゃないかしら』
『は?』
『でもそうなると、最上と鈴谷は、ますます何か関係があるって思うじゃない。それを嫌がったんじゃないかしら』
『……ごめん満潮、理解不能だぴょん』
『戦艦水鬼と、他の侵略者の戦艦棲姫を一緒くたにされたら嫌でしょ。そんな感じ。あの最上を見て、鈴谷ってヤツはあんな感じって印象を、持たれたくなかったとか』
『そりゃ嫌だけど、それを訓練には持ち込まねーぴょん!』
『だから推測って言ったでしょ!』
と、あくまで推測だが、熊野は卯月からすれば全く理解できない理屈で動いていた。
結局その辺の釈明もないまま、訓練は終わってしまい今に至る。
卯月は不機嫌なのは、そういった理由があったのだ。
「……ああ、全くどうでも良いぴょん」
鈴谷がどれだけ大事だったのかは知らないし、彼女と最上の関係性も知らない。
だがそんなことより任務の方が優先だ。
何故それができず、意味不明な情緒に囚われるのか、卯月には微塵も理解できなかった。
「卯月さん、何か言いましたか?」
「いや何も。授業の続きを希望するぴょん!」
「……そうですか、では」
こんなことで不機嫌になっているのも馬鹿馬鹿しい。まだ授業に集中していた方がマシだと、卯月は机に向き直る。
一方、その不機嫌さを間近で感じていた満潮は、かなり複雑な思いを抱いていた。
普段冷静な熊野が、あそこまで不安定になっている。
この時点でただ事ではない。
一体最上とは何なのか、鈴谷、熊野、最上の間に何があったのか、気になって仕方がなかった。
しかし、こんな態度、授業をしている側からしたら一目瞭然。遂に持っていたチョークがベキっと折れた。
「二人ともそんなに気になることがあるんですか?」
振り返った不知火は無表情だ。
能面のようだ。
鬼の仮面が張り付いているようだ。
要するにキレていた。
秘書艦の貴重な時間を使っているのに、注意力散漫な二人に怒り狂っていた。
「熊野のことに決まってるぴょん。どうなってんだアレ。戦線に出した時大丈夫なの」
それに真正面からぶつかる、イライラしている卯月。
若干だが『殺意』まで漏れ出している。
不知火の気迫に、卯月の殺意がぶつかり合う。挟まれた満潮は困惑したまま固まった。
「大丈夫です。もし何かしたら、厳粛に対応するだけです」
「訓練に必要な情報を、個人的理由で言わなかったぴょん。もう何か起こってるぴょん!」
「その程度では事とは言いません」
卯月の愚痴は無慈悲に切り捨てられた。
「……つっても実際どうするのよアレ。流石に迷惑よ。あんなんで戦場に立って役に立つの。問題しか起こさないわよ」
「そーだそーだ! ついでに隣の満潮も首に」
「あ゛?」
茶番は兎も角満潮の言う通りである。
今の熊野は精神的に不安定過ぎる。
最上──つまり鈴谷だ──の動きを熟知している為、艦隊メンバーに編入される予定だったが、これでは返って足を引っ張りかねない。
この戦いに負けは許されない上、これ以上戦闘回数を増やして、こちらの兵力を知られるのも不味い。
可能なら、最上との戦いは『一戦』で終わらせたいのだ。
なのにこのザマ。不安しか残らない。
「繰り返し申し上げますが」
しかし不知火は、いつもと変わらない淡々とした様子で言葉を返す。
「熊野が不安定なのは承知しています。ですが問題は一切ありません」
「……マジで言ってるのかぴょん」
「はい。問題が酷過ぎた場合は、艦隊メンバーから外すだけですから」
「えっ」
その発言は卯月にとって想定外のものだった。
「足を引っ張る存在は外すのが普通です」
「あの、いや、そうだけど……でも最上の動きを一番知ってるんだよ? それなのに、外しちゃって大丈夫なの?」
「全く問題はありません」
卯月が望んでいる──そして一番良いやり方は、熊野のメンタルを回復させることだ。
そうすれば足も引っ張らない、対最上として一番優れている戦力を活用できる。
これが、一番勝率の上がる方法だ。
なのに、不知火はそういった事を一切やらず、ただ艦隊から外すと告げたのだ。
全く理解できず、困惑してしまう。
「勿論、言う必要性もありませんから、熊野さんの過去について、お話することもありません。いい加減座学に戻らせて頂きますよ」
無理やり机に座らされる二人。
これでは不満しかない。
強制的にメンバーから外すとか悪手も良い所だ。
しかし、苦情を言う権限がある筈もなく、結局余計にイライラを抱え込む羽目になるのであった。
*
座学から解放された後、卯月たちはいつも通り、熊野をストーカーしながら訓練をする予定だった。
結局あれ以降、熊野との演習もやっていない。
一回やったら十分でしょと、相変わらず滅茶苦茶な理屈で突っぱねられている。
それならそれでしょうがない。
やれることをやろう、そういう気持ちでいた。
「待ってください、午後の訓練について、一つやって頂きたいことがあるんです」
「なんだぴょん」
「昼食後、工廠へお願いします」
詳細はそこで説明するとのこと。
首を傾げながらも、従わない理由もない。
言われた通り、食事の後、その足で工廠へと向かう。
「いったい何の用だぴょん」
「知らないわよ……でも、わざわざ工廠を指定したってことは」
「やっぱり
あれのシステム解析で、進捗があったとか、そんな内容だろうか。それならそれで(多分)喜ばしいことだ。
満潮のその予想は、半分ぐらいは正解だった。
システムにより、ある問題が解消されるかもしれないからだ。
「おう、待ってたよー二人とも」
「北上さんも。やっぱりシステムで何か用事なのかぴょん。訓練したいから早くして欲しいぴょん」
「卯月が訓練したいだなんて、嘘は嫌いじゃなかったの」
「最上相手に勝つには、しなきゃいけないんだぴょん! やらなくて良いならしたく無いっぴょん!」
「話進めて良いですか?」
と言われて、全員で工廠の奥へと向かう。ここで卯月が、システムが目的でないと気づく。
「……顔無しが、どうかしたのかぴょん」
工廠の奥の隔離された部屋には、拘束された顔無しが鎮座していた。
以前会った時と変わらない。
表情も、人間らしさも伺えず、死体のように沈黙し続ける犠牲者。
これを見ると、どうしても虫唾が走る。
システムの補助動力とするために、体内に生きたまま艦娘を埋め込んだ生体兵器。
人を人とも思わない扱いに、卯月は露骨に嫌そうな顔をする。
「顔無しの体内には生きた艦娘があり、深海棲艦の細胞と反発し合うことで、常に激痛に晒されている。というのは以前説明しましたね」
「ああ、最悪な気分だぴょん」
「今は……麻酔とかで、感覚を鈍化させてたわね」
細胞単位で麻痺させれば、拒絶反応も多少はマシになる。
しかし所詮場当たり的な対処方法、根本的な解決にはならない。
改善策が見つかるにしても、かなり時間がかかるだろう。
卯月はそう思っていた。
だが、今日此処に呼ばれたのは、それに進展があったからだ。
「この拒絶反応を大きく緩和させられるかもしれなくてねー、その手伝いをして貰いたい」
「……え、うーちゃんに?」
「そうだよー」
「いや、こう言っちゃアレだけど、うーちゃんに何ができるんだぴょん」
医療知識なんて持っていない、最低限度の応急処置しかできない、ましてや専門的な医学知識なぞある筈もない。
なのに呼ばれた、これはどういうことなのか。
首を傾げる卯月の前に、北上はクレーンである物を持ってくる。
それは、卯月自身の艤装だった。
「ここで、
ますます意味が分からない。何故拒絶反応改善の為に、システムを作動させる必要があるのか。しかしふざけている筈もない。
「取り敢えず、理由を聞きたいぴょん」
「勿論、結構な負担を強いるだろうからね。ちゃんと説明させて貰う。取り敢えずって話だけど……卯月について、問題? なのかなコレ、色々分かったことがあったの」
「うーちゃん自身の?」
「秋月と比較してって話。あいつ、ずーっと
如何せん秋月自身の記憶が曖昧だから断定できないが、卯月のように一戦ごとではなく、相当長期間作動しっぱなしだったと思われる。
秋月から外して解析したシステムの稼働履歴も、かなり長期間に渡っていたから間違いない。
「ってことは、ずっと深海のエネルギーに晒されてたってこと。これ顔無しの状態に似ていると思わない?」
「相反する存在が、ぶつかり合ってるってことでしょ」
「そう、それを証明するように、秋月の身体もボロボロだった。限界を超えた稼働や前の戦いでのダメージもあるけど、あの子がああなった原因の大半は、取り込み続けた深海のエネルギー、それへの反発だった」
ある意味でそれは、大量の放射線を浴びたも同然の状態。
長い間深海のエネルギーと強制的に同化させられ、秋月の細胞はほぼ崩壊一歩手前。細胞膜どころか細胞核内の遺伝子情報まで傷だらけ。
入渠して回復させても、対処なしでは、大量のがん細胞に殺される。
一人の艦娘をここまで追い詰めるのが、
「顔無しは取りこまれた艦娘の肉片が、秋月は細胞そのものが、外部からのエネルギーとぶつかり合い、苦痛やダメージを残していた……ってのが、秋月の搭載してたシステムの話。ま、相変わらず何の為にそんなことするのかは、分からないけど」
どちらにしても不快感しかない。卯月と満潮は嫌そうな顔をする。
「で、それとこれがどういう関係なのよ」
「うん、秋月がこうだからさ……卯月も、細胞とか遺伝子コードが傷ついてるんじゃないかって思って、検査させて貰ったの」
「待ってそんなの受けた覚えないんだけど」
「細胞サンプルを取るのに許可は不要です」
「えぇ……」
ここは前科戦線、人権は基本二の次。プライバシーとかはタブーである『過去』を除いて存在しない。
実際問題、遺伝子に傷──がん細胞化していたらかなり危険だ。入渠の度にがん細胞は増殖していく。一刻も早く対処しなければいけない。
「ということで検査しました」
「はい」
「何も異常はありませんでした以上」
「……それだけ?」
「それが問題なんだよ。あれだけ何度も深海のエネルギーを取りこんでんのに、卯月の細胞にはダメージの一欠けらもなかった。秋月はあれだけ細胞に傷を負ったのに、卯月は傷一つなかった」
卯月にはそれが何を意味するかは分からない。だが、非常識的なことが発覚したのは肌で感じ取っていた。
「あ、あり得るのかぴょん。そんなこと」
「……ないと思うよ。艦娘と深海棲艦は対存在だ、絶対に反発し合う関係だ。ましてや疑似的な融合をしておいて、無傷なんてあり得ない」
「そのあり得ないのがそこにいるんだけど」
「うん、そうなのよ」
何も分からない。
言っていることがぶっちゃけ理解できていない。
だが、何かただならぬことがこの身に起きている事だけは、全身で感じ取っていた。