卯月は最上に対して、ある事実を告げた。
それは秋月が彼女を殺したがっているという内容だ。
まともな性格をしていれば、絶対に言わないような事を卯月は敢えて告げた。
当の最上は、「そっかー」とあっけらかんとしていた。
彼女の感覚は幼子同然。
だから、他人からの殺意も理解できないのである。
確かめる事はこれで終わり。
卯月は熊野達と別れて、後ろからつけていた秋月達の所へ戻る。
「ただいまア゛ッツ!?」
出迎えたのは満潮渾身のアッパーカットであった。
美しい軌道で顎に直撃。
卯月は天井と地面をバウンドして転げまわった。
「何すんだぴょんッ!?」
「こっちのセリフよ! 頭沸いてんの!? 秋月がいるのに何てこと聞いてんのよ!? いなくても聞かないわよ普通!?」
「ふっ、このうーちゃんは常識に縛れるような女じゃないんだぴょん」
ドヤァと勝ち誇った顔をする卯月。ストレートパンチが顔面にめり込む。
「ふざけないで。理由によっては目玉抉るわよ」
「痛いっぴょん。ふざけてないのに。うーちゃんはいつだって真面目なのに」
「…………」
「あ、ごめんなさい、言います言います」
生命の危機を感じた卯月は真面目な対応を始めた。
「とは言っても、これはお前じゃなくて、秋月に聞くことだぴょん」
「その秋月はさっきから蹲って動かないんだけど。ショック受けてるじゃない」
壁に寄りかかりながら、体育座りで顔を埋めている。
自分の殺意を知られたくなかったのだ。
あくまで最上は無罪。
それを分かっているのに、殺したい程憎んでいるなんて間違っている。
間違った思いを抱いている自分が許しがたい、だから知られたくない──と満潮は考えているのだろう。卯月はそう思う。
「うん、確かに。でも……満潮の想定してるショックとは違うと思うぴょん」
「どういうこと」
「これは、多分、痛感したというショックだぴょん」
それはどういう意味なのか。
満潮は首を傾げる。
「ほら、一回顔を見せてみるんだぴょん」
卯月に腕を掴まれて立ち上がらされる。
隠れていた秋月の顔が見えた。
その表情に、満潮は驚きを得た。
「…………」
「やっぱり、めっちゃ怖い顔してるぴょん」
「……はい、そう、です」
満潮は秋月が泣いていると思っていた。
涙を堪えて震えているのだと。
しかし、実際は違っていた。
秋月は『憤怒』の形相を浮かべていたのだ。
「……なんで?」
「そりゃ最上の態度に更にプッツンしたに決まってるぴょん。そうでしょ?」
秋月は頷く。そして叫びだしそうなのを抑えながら話し出した。
「ごめんなさい、本当に、でも、ダメでした。やっぱり秋月はあの人を、最上さんを許せません。殺したい思いを抑えられないです。あんなのってないです。殺されそうになってるって、知ってて尚、あんな態度を取るなんて。おかしいですよ、記憶が壊れて、情緒が幼いからって、それであれが許されるんですか! 謝るまでもないし、申し訳なさそうでもないですし……罪悪感がなくたってダメです、殺さないと、気が済まない!!」
怒涛の剣幕に満潮は怯む。
満潮は卯月を睨みつけた。
どう見ても悪化している、一体お前は何をしたかったのだ、ただ状況を悪化させただけじゃないか。
当の卯月は何故かドヤ顔だ。
「うん、それで良いと思うぴょん!」
「卯月!?」
「殺したいならしょーがないぴょん。誰だってそーするうーちゃんだってそーする」
「卯月ぃ!?」
「でもそれで満足かっぴょん?」
指先を突き立てて、卯月は秋月に詰め寄った。薄っすらとだが、卯月は殺意を宿していた。
かつて、自分へ向けられた殺気を前に、秋月は後ずさり。
しかし、直ぐ後ろが壁なので叶わない。
「あの殺されてもなーんにも思わなさそうな最上を殺して、秋月は満足するのかぴょん?」
「……そ、それは」
「重要なことは『事実』へ向き合うこと。大義名分だとか常識だとか、良識とは置いといて、秋月の心はどう思っているんだぴょん。最上の現状──『事実』は見ての通り。後は秋月だけだっぴょん。そこを見て見なきゃ、抜本的解決は不可能だよ」
どれだけ綺麗な言葉を並び立てても、心の底から納得していなければ意味ない。ましてや抱え込んでいるのは『殺意』だ。放置していたらいずれ爆発するのは確実。
だから、そうなる前に適切な処置が必要だ。
そういう物を抱え込んでしまっていると、認めさせ、それを肯定させることが重要だった。
別に秋月の抱えている思いは、誤ったものではない。
そして、殺意を満足させる方法は一つだけ。
対象を戮す事。
ただ、それならそれで満足できないといけない。
しっかりケジメをつけられるような、充実した殺しでなければ意味がない。
中途半端な事をしたら、殺意は燻り続け、いずれ自他共に悲劇を齎すだろう。
「……あ、秋月、は」
「あんな、酷い殺戮を強要された手前、『殺意』そのものに嫌悪感を持つのはしょうがないぴょん。だけども、それでもハッキリさせる必要はある。今の最上を殺したら、秋月は安心を得れるの?」
秋月は沈黙する。
卯月の指摘した通りだった。
彼女には、『殺す』という手段そのものに、強い忌避感があった。
だが、やはり最上は殺したい。
理性と感情がごちゃまぜだ。
感情を無視することも、理性を無視することもできない。
両方共、容易く切り捨てられるものではない。
「北上さんが言ってた通り、いずれ最上の価値観は戻るぴょん。その時……初めて、罪悪感ってやつを理解する筈。うーちゃんだったら、その時に殺す。普通の生き方の幸福を知って、仲間を得て……自らの行いを思い知ったときにこそ、絶望の淵へ叩き落す『価値』がある!」
力強く宣言する卯月。
尚補足しておくが、卯月は秋月に対して、もう殺意は抱いていない。
彼女との戦いで、散々痛めつけたから償いは済んでいる。
それに、真に殺すべき相手は『黒幕』。
憎悪は大切にため込んでおいて、そこでたっぷり叩きつけると決めてあるのだ。
「で、どう思うぴょん。秋月」
卯月に言われ、秋月は吐き気を堪えながらイメージする。
殺した時、どうなるか。
間違いなく、最上は無抵抗に受け入れる。
全身麻痺だから痛みを感じるかも不明、苦痛を感じず、赤子の様な笑みを浮かべたまま息絶えるかもしれない。
何をされたのかも良く分かっていないまま死ぬだろう。
「うっ……!」
更に吐き気が込み上げる。
駄目だと秋月は心の底から理解した。
こんなもののでは安心は得られない。
怒りが払しょくされない。
ただ、殺しのトラウマが抉られるだけで終わってしまう。
何人も殺してきた。
艦娘も深海棲艦も。
ドロップ直後の艦娘も殺した。その時の表情を思い出す。
何が起きたのか分からないまま、赤子のように死んでいく顔。
きっと最上もそんな顔をして死ぬ。
そっくりの顔を張り付けて死ぬ。私が殺した皆と同じ顔で遺体になる。
心の傷が抉じ開けられた。
震えが止まらない、吐き気が収まらない。
頭が痛く、耳に釘を打ち付けられたような痛みがする。
「む、むり、で、す……秋月には、今の、最上さんは……殺せません……!」
考えただけでこれだった。
実際にやったらどうなるか。
もっと酷くなるに決まっている。
生理的に受け付けることができない。ストレートにトラウマを抉るような行為は、到底できない。
「じゃあ、殺しは諦める?」
「……それも、無理、です……でも、最上さんは許せない、な、なので……お姉さまの様にします、先送りに、します……我慢して、大切にして、最上さんが、
「オーケーだっぴょん」
半ば発作も起きているのか、ガタガタ震えながらも、そう宣言する秋月。
卯月は拍手を送った。
「偉いぞ秋月、良く頑張ったっぴょん」
そう言いながらを抱きしめて、子供をあやす様に頭を撫でる。
卯月は思う。
実際、困難な事だった筈だ。
怒りは制御できない、取り返した倫理観も捨てられない。その狭間で折り合いをつけなければならないのだから。
あっさり折り合いをつけれる卯月に、その苦痛はぶっちゃけ理解不能。
しかし、苦しい事だとは認識できる。
だから褒めて、慰める。
この決断がただ苦しいだけのものではなく、敬意を払われるべき、正しい選択だと思う事ができるように。
「と、なれば、このうーちゃんも単なる言い出しっぺじゃいられないぴょん……うんしょうがない。これをしないのは超ダサい」
「何言ってんのアンタ」
「はい満潮シャラップ。さてと秋月、でもそれはそれとして、最上を怖いとは思う。でしょ?」
秋月は頷いた。
殺意を抱いた理由は、最上を許せないから──だけではない。
また殺されるのでは、暴力を振るわれるのではないか、という恐怖もある。
始末しなければ、またこちらが痛めつけられる。
「満潮の手前言い辛いけど、全身麻痺が嘘で、また秋月を嬲る機会を虎視眈々と伺ってるんじゃあないか……と考えている。でしょ?」
「ちょっとアンタ、そりゃ幾らなんでも……」
途中まで言って、満潮も押し黙る。
あり得ない話だ、と思えるのは、自分達が被害者でないからだ。
感覚過敏を患う程の暴力とトラウマだったのだ。
そういった妄想を抱くのも止むを得ない。
「故に、うーちゃんは宣言を行うぴょん」
「宣言、です、か?」
「秋月の身の安全は、このうーちゃんが保証するっぴょん。この基地内にいる間、最上を含めた誰にも、秋月に傷はつけさせない」
さながら、姫に忠誠を誓う騎士のように、秋月の前に跪いて卯月は告げた。
「まあ敵の襲撃とかは例外だけど。基地所属の連中には断じて手を出させない。これでちょっとだけでも、安心して欲しいぴょん」
「……ずっと、部屋にいてくださるのですか」
「いやそれはムリ」
首を振る卯月は、「だけど」と続ける。
「このうーちゃんは知っての通り地獄耳。サプレッサーマフ越しでも十分聞こえる。態々悲鳴を上げなくたっていい。少しでも怯えた声が聞こえたらすぐ飛んでいくぴょん」
卯月は彼女の手をより強く握りしめる。
「秋月の感覚過敏も緩和させたし、
横目で見ていた満潮は、ある種の異様さを感じていた。
危険な感覚はない。
ただ異様なだけ。
だからこそ余計、変な感じが止まらない。
これは、卯月なのか?
その反応を知らず、二人のやり取りが終わる。
「お姉ちゃんを信じるぴょん」
心から敬愛する『お姉さま』が、そこまで断言してくれた。
秋月の抱えていた恐怖は霧散──はしない。そんな簡単に払拭できるものではない。
だが、それ以上の安心感を得ることができた。
明確な理由なんて必要ない。
お姉さまが守ってくれる。
そう宣言しているだけで秋月には十分だった。
「ありがとう、ござい、ます……!」
嘘を吐いているだなんて思っていない。
卯月が嘘を嫌悪するのは知っている。だから約束は絶対に守ってくれる。
疑う余地はなかった。
秋月がそう確信したのは、卯月の遺伝子を組み込んだ影響か、卯月に対する信頼が理由なのか。
しかし、卯月にとって、理由はどうでも良かった。
秋月が少しでも安堵できればそれで良い。
それにより、秋月と最上の関係性が、多少で落ち着いてくれたのなら、今はそれで良いのだ。
問題は、最上が行いを自覚した時だ。
だが、北上の言う通り、まだまだ当分先のこと。
この一連の戦いが終わる頃になるだろう。
その頃には、秋月自身も成長し、殺意や理性との折り合いをつけれるようになる筈だ。
場当たり的対処と言ったらそれまでだが、それで良い、今はこれで良いのだ。
「じゃあ、これで話は終わりで良いわね」
満潮が突然、卯月の首根っこをガッと掴んだ。
「え」
「まさか忘れてないわよね。アンタ視界がどうこうって異常が起きてたじゃない。北上さんの所で検査して貰うって言ったわよね」
「いや今じゃなくてもほら秋月が不安がるし──」
秋月を見て満潮が告げる。
「卯月お姉さまに異常が見つかったんだけど、検査必要だと思うわよね?」
「お姉さま今すぐ検査を。事があったら秋月は耐えられないです」
「そうね、聞いたわね、さっさと行くわよ」
「秋月貴様―っ!」
検査したら絶対面倒なことが見つかるに決まっているのだ。
できる限り後回しにしたかったのに、まさか秋月が裏切るとは!
素直な気持ちに従っただけの秋月へ叫びを上げる卯月は、そのまま医務室へと引き摺られていく。
秋月は卯月に心酔している。
だからと言って、命令しか聞かない奴隷とかではない。
こういう時はお姉さまだろうと躊躇がなかったのであった。