深夜三時を越える演習合戦を乗り越えた卯月と満潮は修羅となっていた。
目に光はなく汗と血で顔は染まり、息を荒くしながら前科戦線へ帰投する。疲労がぶっちぎっていた。
「て、てめぇのせいだぴょん」
「ざっけんじゃないわよこの雑魚」
悪口はまだ出るが手が出ない。指一本動かせない。
あいつのせいで酷い目にあった。二人はお互い同じことを思いながら入渠ドックへ飛び込んだ。
気がつけば朝になっていた。
ドックから出た二人は絶句する。疲労困憊過ぎて朝まで寝てしまっていたのだ。ドック内の時計は朝十時になっている。
「朝ごはんが!」
「早朝訓練が!」
大切な時間を逃してしまい絶望する卯月と満潮。二人は頭を抱えたあとお互いを睨み付ける。
「死ね!」
「死ね!」
まるでモノラル放送のような一致っぷりであった。
しかし泣いても仕方ない。軽食ぐらいならあるかもしれない。満潮がどうするかは知らん。なにか食べたいと卯月は食堂へ向かう。
食堂へ入ってみるも、さすがに誰もいない。
机の下で大の字になっている裸体のナマモノはどうでもいい。洗い物をする音が聞こえるぐらいだ。
「飛鷹さーん、いるぴょーん?」
「あら、うーちゃん、だいぶ寝坊したのね」
「満潮が悪いぴょん」
全ては満潮が悪い。諸悪の根源だ。あいつがこっちを挑発しなければこんなことにならなかったのだ!
と、無念の声を上げるも飛鷹さんは苦笑いするだけだ。
「で、なにか用があってきたんでしょ?」
「あ、そうだったぴょん。なにか食べれるものないかぴょん?」
「食べ物? 朝ごはん温め直せば食べれるけど……」
「ありがてぇぴょん!」
入渠では腹は膨れない。あんまりにも栄養が枯渇してると入渠もうまくいかないらしい。冷めてようがなんだろうが、あるだけでも十分だ。
「じゃあちょっと待っててね」
「わーいぴょん、うーちゃんの味方は飛鷹だけぴょん」
「それとあとで会えたら、満潮ちゃんにもこのおにぎり渡しといてね」
「お前も敵だぴょん!」
「はいはい」
渡すけどね。別にそれぐらいわ。
椅子に座りウキウキしながらご飯を待っていると、食堂の扉が開く音がした。こんな時間に誰だろう。満潮ではないな、あいつご飯面倒がってるし。
「失礼いたします」
「なんだ不知火かぴょん」
「なんだとはなんですかなんだとは」
そう言われても困る。だって「なんだ」って感じだし。卯月の不条理な感想に不知火は顔を顰める。
「あら不知火? あなたも食事?」
「ええ、受け取りに来ました」
「不知火と高宮中佐のご飯かぴょん?」
「ええ、そうです」
前もそうだったな。卯月は思い返す。業務内容はまったく知らないけど提督や秘書艦業務は大分忙しいらしい。大変そうだと卯月は思う。
「卯月さんは……球磨さんの演習で疲れていたんですね。お疲れさまです」
「御迷惑をおかけしたぴょん、主に満潮が」
「……卯月さん」
「ごめんなさい」
不知火はじっと見つめてくるだけ。それがとてつもなく恐い。まるでシリアルキラーのような瞳だ。震えあがる卯月は素直に謝った。
「入渠もタダではないんです。もう少し考えて演習を行ってください」
「了解だぴょん」
「ああそれと、ちょうど良いので伝えておきます」
卯月は小首を傾ける。なんの話だ? わざわざ不知火から伝えるということは結構大事な話っぽいけど。
「演習の様子は那珂さんから報告を受けました」
「ああ、なるほど、うん、察してるぴょん」
一発当てたものの演習そのものは敗北で全敗だ。卑怯な手段をとったのも聞いているだろう。良い話にはなりそうにない。きっと今日も死ぬ気で特訓しなきゃいけないのだ。出撃はもう明日なんだから。
「中佐から、『合格』とのことです」
「へ? 合格?」
「ええ、我々の要求する最低の練度は満たしていると中佐は判断されました。特に最後の不意撃ちの評価が高かったようです」
「まじかよ」
評価が下がると思っていたが、まさか上がるとは。でもなぜだろうか。不思議そうにしている卯月に不知火が理由を述べた。
「どんな手段でも当てた方が勝ちです。逆に喰らう方がアホ。とのことでした」
「おお、高宮中佐は分かってるぴょん!」
「ですが資材を無駄にしたことについては大変ご立腹です」
菓子折りでも持っていくべきか。いや次同じことをしなければ大丈夫だ。そう納得する卯月の笑顔はちょっと震えていた。
「えーと、で、合格だとどうなるぴょん」
「今日は訓練をしないように、という通達です」
「訓練をしない?」
「明日出撃です。なので今日は体を休めるようにと」
なるほど、そういうことか。数日前に目覚めてから、ずっと動きっぱなしだった。でも及第点まで行っててもわたしの練度は低いままだ。休むのは大事だけど、特訓しなくて良いのだろうか。
「簡単な走り込みぐらいならして良いですが、それ以外の訓練は全面的に禁止です。球磨さんや那珂さんにも通達してあります」
「そんなに休んで良いぴょん?」
「絶対に休んでください。どれだけ無茶な追い込みをしたかお忘れですか」
気絶するまで走ったり、身動きが取れなくなるまで踊ったり、流血沙汰になるまで演習したり。
「いっぱいお休みするぴょん」
「そうしてください。ただし今日の夕食後にブリーフィングを行うので、忘れないように」
「了解だぴょん」
不知火は飛鷹さんが持ってきた二人分の朝食を持って執務室へ戻っていった。その後わたしも遅めの朝食をとった。
さて、どうしよう。
食堂でひとり、わたしは呆然としていた。休みっていきなり言われてもなにをすれば良いかさっぱり分からない。
ボケーっと寝てるのもアリかもしれないけど、それはなんだか勿体ない気がする。貴重な休みなのだ最大限有効活用しなければいけない。
うんうんと頭を悩ませていると、机の下からガタンと音が聞こえた。机の下に転がっていたナマモノが突如動きだしたのだ。
「くぁぁ……あ、
「うげ、ゲロ野郎だぴょん」
まあポーラなんだけど。さっきから机の下にいたけれど。
彼女を見て卯月は露骨に顔を顰める。卯月にはもうゲロをぶっかけられた記憶しか残っていなかったのだ。
「
「うるせーぴょん、あの屈辱は忘れてないぴょん」
「わざとじゃないんですってぇ」
わざととかわざとじゃないとかそういう問題ではない。しかし言っても多分無駄だ。げんなりとした気分になってくる。
「あの~、さっき聞こえたんですけど、卯月さん今日は
「そうだけど、それがどうしたぴょん」
「ならポーラといっしょにお酒を飲みま」
「おバカ」
焼酎瓶でぶっ叩かれて、ポーラは地面にたおれ伏す。
「か、かんむすには
「それでも常識ってもんがあるでしょ!」
「で、ですけどー」
「ですけどもなにもない! 掃除するからいい加減出ていきなさい!」
瓶でガンガン背中を叩かれてポーラは食堂を追い出された。あんまりな空気に卯月もついでに出ていった。
「実際艦娘って、酒どうなるんだぴょん?」
「鎮守府次第みたいですよ? まあここは前科戦線、懲罰部隊なので……規律が乱れるようなことは
「あ、そう」
お酒か。興味こそあれど好んで飲もうとは思わない。明日出撃なら尚更だ。機会があったらで良いだろう。ポーラといっしょは御免だけどな!
これ以上一緒にいるとさらにげっそりするので、卯月はポーラと別れる。
かといって行く場所があるわけでもない。卯月は歯だけ磨いて適当にブラブラと前科戦線を歩き回っていた。
建物を出ると、やはり武骨なコンクリートの地面が広がっている。周囲は高い壁に覆われて、外のようすは伺えない。
唯一入口がある場所には武装した人間が立っていた。その光景を見るとここは牢屋と変わらないと実感が湧いてくる。
こんなところばかり見ても味気ない。卯月は反対側へ歩く。そっち側からなら海を臨むことができるからだ。
球磨と一緒に散々走りこんだ砂浜に、卯月はペタンと座り込んだ。
天気は晴れ。季節のおかげで直射日光も熱くない。ポカポカと良い陽気だ。昼寝でもしたらさぞ気持ちいいだろう。
遠くまで広がる海を視て気づいたが、視認できる範囲に陸地が一切見当たらない。脱走阻止のためだ。この前科戦線が、どの座標にあるのか一切分からせないために、こんな設計になっているのだろう。
「ヒマだぴょん」
一しきり歩き回り出た結論。見るところがない。
資料室や酒保もあったが意味がない。資料はつまらないし酒保で買う交換券もない。そりゃ懲罰部隊なんだから娯楽があってもアレだが、それにしても少なかった。
「……走るかぴょん」
本当にそれぐらいしかやることがなかった。軽い運動なら良いって不知火も言ってたし、体力が落ちない程度にはやっといた方が良いだろう。
時間的にも丁度良かったので、食堂でお昼を済ませた。その後自室でジャージに着替え、砂浜ランニングを始める。タイヤも濡れマスクもなしだ。あんなのしたら怒られる。
走りながら卯月は、回復を実感していた。
最初は走るどころか歩くのもいっぱいいっぱいだったのに、今はどうということはない。走っても体力が尽きる気配もない。
この調子で訓練を積んでいけば、那珂みたいに強くなれるのだろうか。特訓はしんどいし面倒だけど、強くならなければ深海棲艦は殺せない。
不意に思い出したのは、昨日見た悪夢だ。
燃える鎮守府にいた、巨大な深海棲艦。鎮守府を襲ったのはあいつだけなのか、集団でやってきたのか。なんにせよ、きっとあいつが仇だ。必ず殺さないと。
そこでまた思い出す。
あの夢のこと中佐に言い忘れていた。襲撃のことがどれぐらい知られているか知らないが、言うに越したことはないのに。
……ま、まあ言う機会はあるさ。卯月はランニングを再開した。
小腹がすいてきたタイミングで、卯月はランニングを止めた。
前科戦線の時計は三時過ぎだ。おやつタイムだ。といいたいが前科戦線でそんな贅沢は認められていない。欲しければ交換券で買え。そういうルール。
しかし卯月は交換券を持っていない。ゆえに小腹を空かせながらのたうち回るしかない。しかたないけど辛い。
こんな状態で走るのはもっと辛い。これぐらいで終わりにしちゃおう。
ランニングを終えた卯月はシャワーを浴びる前にと、海岸線をブラブラと歩き回る。さっきの探索ではこの辺りまで歩いていなかった。
「なーにかー、愉快なシロモノはー、なーいかっぴょーん」
まああるわけないんだけど。そう思いつつも気分転換に歩く。適当にあるいたらシャワーを浴びて晩御飯までぐっすりだぜ。
夕食のメニューを考えてニヤニヤする卯月だったが、彼女は気がつく。
「いま、なにかあった?」
建物と壁、その間に隠れるように、なにかのスペースが一瞬見えた気がした。
違和感の場所を凝視すると、確かになにか、妙な空間がある。窪みの中に埋もれているように見えるが、何だろう。
「よし、行ってみるぴょん」
ほとんどコンクリートだが、少しは植樹された場所もある。
そこは木々の量が多めだった。なのに真ん中だけなにも植えられていない。見つけにくくなっている空間を、卯月はたまたま見つけたのだ。
そこは、不思議な場所だった。
芝生の中にはいくつか花が咲き、うえからは木漏れ日が刺している。武骨で無機質な基地にはてんで似合わず、だからこそ神聖さも感じさせる場所。
そう感じるのは、真ん中のこれが理由だとすぐに悟った。
「お墓?」
誰がどう見ても、墓と分かるものが置かれていた。
しかし誰の墓かは分からない。名前が書かれていないのだ。代わりに文字が書かれているわけでもない。なにもない黒い石。下手をしたらお墓だと分からない。
場所的に前科戦線の誰かの墓なのは間違いない。荒れている様子もない。定期的に手入れが入っている。飾られた花もまだ新しかった。おおかた前科戦線で殉職した誰かのお墓だろう。
捨て駒上等の前科戦線にこんなものがあるのは驚きだった。お墓なんて用意されないとてっきり思い込んでいた。
どうせなら、そう思い卯月は手を合わせた。
「新人のうーちゃんです。明日初陣ぴょん、頑張ってくるぴょん」
誰かも知らない墓石へ卯月は告げた。
冥福を祈ることや、見守ってほしいとお願いすることもできたが、卯月は自分のことを語った。
それが一番だと思った。
理屈ではなく直感でそう思った。わたしのことを語った方が、先輩たちが退屈しないんじゃないかと思ったからだ。
「じゃ、生きてたらまた来るぴょん!」
墓石に手を振って、卯月は前科戦線へと戻っていく。
上からの目線には気づかずに。
この墓石は、中佐の執務室から見える位置にあったのだ。