つまり、物語全体のターニングポイントです。
ある日の夜、卯月は妙な気配に目を覚ました。
「今、なにか」
言葉にはできないが、確かに何かを感じた。
背筋を伝うような、とても嫌な感覚。
とてもじゃないが寝てられない。
卯月は、この感覚の正体を突き止めたくて仕方がなかった。
「んん……こんな時間にどうしたの卯月」
「何か、分かんないけど、凄い嫌な感じがするんだぴょん……あれだ、悪寒がする」
「悪寒って……ただ肌寒いだけでしょ。どうせ大した事じゃないんだから、起こさないでよ」
満潮からしたらその程度の事。
しかし、『発作』が起きる予兆という可能性はある。
彼女の様子を確認する為に、部屋の灯りをつけた。
そして卯月の顔を見た途端、満潮は悲鳴を上げた。
「うわっ!? どうしたの、その顔!?」
「え、どーゆーこと」
「鏡見て見なさい!」
言われるがまま鏡を覗き込む卯月は、満潮が悲鳴を上げた理由を理解する。
「え……めっちゃ、真っ青だぴょん」
顔が青い、とはよく言う言葉だ。
だが今の卯月は、真っ青どころの話ではなかった。
死人同然の青白さ。
深海棲艦だってここまで青くない。
どう考えても、単なる体調不良ではない。
「体調はどうなの」
「いや別に、むしろ元気一杯なぐらいだぴょん。嫌な感覚が消えないだけだぴょん」
「病気、とかじゃないわね……」
何故ここまで真っ青なのか。
卯月が今感じている悪寒が、この原因なのか。
確証はない。
証拠もない。
だが、『絶対にヤバい』という確信だけがある。
満潮も『何かがヤバい』と感じ始めていた。
「分からない、けど、何かとんでもなく大変な事になる予感がするぴょん……どうなってんだぴょん」
「アンタ地獄耳でしょ。何か聞こえてないの?」
「ちょっと、集中してみるぴょん」
無意識レベルの音を聞いたせいで、悪寒が刺激されているのかもしれない。
正体を確かめるべく、聴力に意識を集中させる。
何も聞こえてこない──そんな筈がない。
卯月は今一度、意識を集中させ、周囲の音を捉える。
ただ聞くのではない、空気に乗ってくる僅かな音も含めて、周囲と感覚を同化させるように、音を感じてゆく。
──悲鳴が聞こえた。
助けを乞う悲鳴が。
だが、その声には聞き覚えがあった。
「ガンビア・ベイ!?」
聞こえたのは悲鳴だ。
だが、助けるべき叫びではない。
被害者面したクソったれ、あいつの情けない叫び声が聞こえたのだ。
「何であいつの名前が出てくるの」
「いいい今、あいつの悲鳴が聞こえたんだぴょん!」
「はあ!?」
「まさか、もう近くに来てるんじゃ!?」
「落ち着きなさい、基地には結界があるのよ。単独で到達するのは不可能だってこと忘れたの?」
「じゃ、じゃあ、今のはどこから」
ガンビア・ベイが近くいるなんてあり得ない。
今言った通り、結界の防御がある。
仮に来てたとしたら、もう基地内に警報が鳴っている。
つまり、これは『幻聴』ではないか。
発作の一環として、幻聴が聞こえているのではないか。
ただ幻聴でも、彼女の心は抉られる。
そのショックで、悪寒を感じたり顔面蒼白になっているのだろう。
そうに違いない。満潮は確信した。
「はいはい。さっさとこっち来なさい。落ち着かせてあげるから」
「……聞こえたと、思ったんだけどな」
「何でも良いわよ。万一重要な案件なら、不知火達から連絡が来る。慌てる必要は全くないわ」
それもそうか。
と卯月は満潮のベッドへ潜り込む。
体格差の関係上、満潮の胸に顔を埋める形になる。
何時もはこれで発作を収まる。
しかし、今日は様子が違った。
「ダメだっぴょん。全然落ち着けない。悪寒が全然消えないぴょん」
「ふーん。随分しつこいのね」
「あしらうなぴょん! うーちゃんは真剣に悩んでいるんだぴょん!」
と、言われてもどうしろと。
まだ悪寒があるとか言っている。
ガンビア・ベイの幻聴が無意識下でまだ聞こえているらしい。
今回の発作は中々面倒だ。
狂乱こそしないが、変な症状が引っ付き続けている。
これが続くのは苦しいだろう。
何かできるならしてあげたいが、満潮にできることは限られていた。
「何かがヤバい……絶対にヤバい気がするぴょん」
「じゃあ原因突き止めに基地内歩き回るっての? 疲れるだけなんだけど」
「むむ、それしか方法はなさそうだぴょん」
「マジで?」
冗談だろ。
眠いのに。
こんな時間から散歩を強要されるのか。
満潮はうんざりした気分になる。
しかし、卯月的にはお構いなし。
収まる気配のない悪寒をどうにかする為、原因を突き止めようと、扉に手を掛けた。
その時だった。
確かに聞いた。
空気が破裂するような、巨大な爆発音を。
「……今のは」
花火の音とか、爆竹が破裂したとか、そんなチャチな音ではない。
本当の爆発音だった。
爆発性の兵器が発するような、殺意に満ちた音だった。
「聞こえた。かすかにだけど、私にも聞こえたわ。確かに爆発する音が! まさか本当に敵襲だったの!?」
「いや違うぴょん。これはそうじゃない」
「どういうこと」
卯月は、より正確に爆発音を聞いていた。
その音が、何処から発せられたのかも、しっかり識別できている。
だからこそ、逆に焦りだした。
「音は、基地の『外』だぴょん」
前科戦線の基地内ではなく、その外。
爆発音はそこから聞こえた。
確かにそうだ。
満潮はそう思った。
基地内で爆発が起きていたらもっと大きな音がする。
僅かに、ではなく、完全に聞こえる筈。
「この前科戦線ってさ、場所が何処か知ってるかっぴょん?」
「知る訳ないでしょ」
基地の位置が知られたら、脱走計画を練れるようになってしまう。
それに万一位置情報が洩れたら、敵の攻撃の対象になる。
この二点から、前科組には基地の位置は知らされていないのだ。
ただ、想定はできる。
少なくとも、人里離れた何処かなのは違いない。
もし仮に前科戦線が戦場になった場合、民間人を巻き込むリスクを避ける為だ。
「まさか、人が近くに住んでるなんてことは」
「ないわ……仮にそうだったとしても、私達には関係ないことよ」
「マジかっぴょん」
「それで基地の位置が敵に知られる方が問題よ。もしやるとしたら、余程の時じゃなければあr」
『動ける戦闘要員は中庭に即時集合!
「……りえないわー」
余程の事が起きたらしい。
館内放送で不知火が声を張り上げる。
異常事態が起きていた。
元々部屋から出る気だったお陰で、準備は即完了。中庭までダッシュで向かう。
外へ出てみて、卯月は異常が起きていると理解した。
「お空が赤いぴょん」
火事が起きているせいで、そちら側の空が赤く染まっている。
夜なのに、夕焼けのように煌々としてしている。
だが、一番問題なのは『方向』だった。
赤くなっているのは『海側』ではない。『内地』の方向。
前科戦線の基地は人里離れた場所にある(多分)。
それでも、内地へ向かって行けば、確実に住宅地等にぶち当たる。
そして空が赤いのは『内地』の方向。
炎上しているのは、大勢の人が暮らしている市街地の方だ。
「待ってよ。早とちりよ。向かい側が別の基地だって可能性もあるじゃない」
「どっちにしても、あの赤い空はヤバいぴょん!」
燃えているのが人里だろうが、別の鎮守府だろうが、異常事態には変わりない。
「早いですね、助かります」
二人の存在に気づいた不知火が、装甲車両を指さす。
「夜遅くすいませんが出撃です。艤装は既に装甲車両内に運搬してあります。自爆用の首輪も同じです。時間がありませんので一先ず乗車してください」
「待って、どういう事なの。さっきの爆発音は何、あの赤い空は何!?」
「乗車してください」
「そうだぞ満潮、さっさと乗車だぴょん、どうせ行けば分かることだぴょん!」
「その通りです。後ろがつっかえます至急お願いします」
球磨やポーラ、熊野に那珂までやって来る。
本当に珍しい。
前科メンバーが全員集結。
彼女達だけではなく、正規組の飛鷹まで現れた。
一体、内地で何が起きているのだ。
こんなことは、前科戦線に配属されてから初めてのことだ。
「満潮さん、早く」
「押さないでってば! 乗るわよまったく!」
満員電車に押し込まれるサラリーマンのように、装甲車両へ突っ込まれていく満潮達。
全員が乗り込んだ瞬間、アクセルが踏まれ車両は急発進。
「うげぇ……」
途端に卯月の顔色が悪くなった。
急加速、急停止を繰り返す護送車の中、シートベルトもなかったせいで、車内に身体をぶつけ続ける羽目になったトラウマが蘇る。
あの頃と違って、解体施設へ行く訳でもないし、ベルトもちゃんとしているが。
「でも良いのかしら。これじゃあ、基地の場所が私たちに分かってしまう気がするけど」
「大丈夫よ二人とも。その心配はないわ」
「何でだぴょ、ん……」
飛鷹はガスマスクをつけていた。
不知火もつけていた。
卯月と満潮は互いに顔を見合わせる。
車内に睡眠ガスが放たれた。
「あ゛ー! やっぱりかぴょんっ!」
「別の手段はなかった……の……」
確かにこれなら、基地の位置は分からなくなる。
でももうちょっと良い手段は無かったのだろうか?
それはあるのかもしれない。
しかし、前科組の為に態々検討する時間を作る理由は特段ない。
*
睡眠ガスを浴びせられて、ぐっすり熟睡する羽目になった前科組一行。
ただ、到着次第すぐ出撃する必要がある。
使用されたのは弱めのガス。
目的地に到着する頃には、全員目を覚ましていた。
ただ、乗っていた車が違う。
寝ている間に、別の装甲車両へ移されたのだ。
理由は勿論、車のルートから基地の位置を特定されない為だ。
ダミーの車両も存在している。
それらが、別々の方向から戦場へ向かえば、十分攪乱になった。
しかし、普段であれば更に攪乱する為、空路も使って移動する。
今回は陸路限定だ。
それだけ、事態がひっ迫していることの証明だった。
「下り次第、即座に戦闘へ移行します。全員準備をしておいてください」
「ええ、するわよ。でも何故?」
「そーだぴょん。理由は後で説明してくれるって言ってたぴょん。今が後じゃないのかぴょん?」
まあ、説明なくても戦うけど。
命令なら仕方がない。
でも、知りたがる事ぐらいは許されるべきだ。
ところが不知火は、かなり不服そうな表情でこちらを睨みつけてきた。
「な、なんだぴょん。話したくないなら構わないぴょん」
「いえ話します。言った事は守ります。あと顔が怖いのは状況のせいですので」
「素で怖いような」
「……卯月さん。軽口を叩ける状況ではないんです」
不知火の『圧』に、卯月は閉口した。
今までとは違う、戦ってる最中も適当な冗談飛ばしてたが、今回はそれも許されない。
と、言うことは。
それどころじゃないと言ったということは、懸念は『事実』なのか。
「以前から説明してましたが、ご存じの通り、前科戦線に
「大将の護衛艦隊?」
「要するに、大本営最強の部隊ってことクマ」
「表向きだけどねー!」
エリート中のエリート、精鋭中の精鋭という事である。
「当然、要人護衛のプロフェッショナルでもあります。しかし今回、その想定を遥かに上回る事態が起き、護衛部隊は事実上、無力化されています」
「
「超大変です。故に今回の目的は、大将及び護衛対象の確保、そして護送を完遂することです」
異常過ぎる。
全てがおかしい。
卯月は悪寒に震える。
何が起きれば、大将の艦隊が無力化されるのだ。
前科組が護送を肩代わりしなければならないって、どんな状況だ。
それに、あの赤い空は。
「敵は護衛対象を始末する為に、手段を
「どういう事だぴょん」
「護衛対象のいる位置が正確に分からない時、どうすれば始末できると思いますか」
正解は存在する。
実行するのが、あらゆる意味で困難なだけで。
「……ちょっと、那珂ちゃん的も、これはアウトだよ」
那珂が察する。
否、もう全員察している。
まともな神経をしてればまずやらない作戦を敵は実行した。
倫理的にも、戦略的にも価値が低い作戦を。
音が聞こえてきた。
「あ、ああ、まさか、そんな……あいつら……!?」
それは悲鳴だった。
爆発音に血しぶき、憎悪に狂気。空爆銃声。
交じり聞こえるのは『人々』の燃える音。
護送車の扉が開く。
眼前の光景に言葉が出ない。
一瞬で
憎悪を抑えきれない。
殺意が爆発しないよう、抑えるので必死だった。
理性なんて簡単に吹っ飛びそうだった。
代わりに卯月は、絶叫した。
「……ふざけるなぁぁぁぁぁぁ!!!」
それは全員の心の代弁。
街が燃えていた。